恋文屋

作者:七凪臣

●指令
「あなた達に使命を与えます」
 ひらりカードを閃かせ、道化姿の女が言った。
「この街に『恋文屋』というのを生業としている人間が居るようです」
 女が語りかけているのは、肉付きからして青年期を過ぎた一組の男女。確かな年齢が分かりにくいのは、男女――だけでなく、この場にいる三人全てが螺旋忍軍の仮面をつけているからだ。
「あなた達にはこの人間と接触し、その仕事内容を確認。可能であればその仕事を習得した後、殺害しなさい」
 似たような衣装でありながら明らかに格下と分かる男女に対し、女の艶やかな紅色の唇は淀むことなく命を下す。
「グラビティ・チェインは略奪しなくても構わないわ」
「了解致しました、ミス・バタフライ」
 膝をつき、頭を垂れた女は従順に応えた。
「右に同じく。でも俺、字ぃ汚いから大丈夫っすかね?」
 一度は垂れた頭を僅かに上げて叩かれた軽口も、ミス・バタフライと呼ばれた女の一瞥には耐えきれず。
「ま、巡り巡って地球の支配権に大きく関わる事になるんでしょーから、この左も精一杯務めさせて頂きマスよ」
 そして右の女と左の男は、二人揃って『恋文屋』の元へと向かうのだった。

●『恋文屋』
 ミス・バタフライという螺旋忍軍が新たな動きを見せている。
 彼女が起こそうとしている事件の特徴は、直接的には大事に直結しないのだが、巡り巡って大きな影響が出るかもしれないという厄介さ。
「僕からお話する一件のターゲットは『恋文屋』を営むご婦人。彼女の所に二人の螺旋忍軍が現れ、仕事の情報を得るか、或いは彼女の殺害を目論むようです」
 恋文屋。
 つまりがラブレターの代筆業。
 恋心を抱える本人さえ上手く表現できない『想い』を巧みな話術と深い心遣いで引き出し、その人なりの自然な言葉にまとめあげる仕事。
 恋の成就の成否に関わらず、彼女の世話になった者は自分の気持ちに真摯に向き合えた事で気持ちの整理がつくらしく、そういった意味でも密かに評判になっているらしい。
「正直、何がどうなって世界の命運に絡んでくるのかは僕にもよくわかりません。しかしこの件を阻止しないと、風が吹けば桶屋が儲かる的な流れでケルベロス達に不利な状況が発生しる確率が高いのです」
 一頻り事のあらましを説明し、リザベッタ・オーバーロード(ヘリオライダー・en0064)は意欲的に微笑む。「そんな理由がなくても、デウスエクスに誰かが殺されるのを黙って見過ごせませんしね」――と。

「というわけで、皆さんにはこの恋文屋のご婦人、菊さんの保護とミス・バタフライ配下の螺旋忍軍退治をお願いします」
 基本的には菊を警護して螺旋忍軍と戦う事になるが、事前に説明して避難させてしまうと、敵がターゲットを変更してしまう可能性があり、そうなると新たな被害者が出てしまう。
「そうならない為には菊さんを避難させずに護るか、菊さんに『恋文屋』の仕事を習い、螺旋忍軍の狙いを自分たちに変えさせるかの何れかです」
 都合の良い事に、今回の件では事が起きる三日程前から菊に接触できる。菊自身、我が身の老いを気にかけている節があるので、事情を説明すれば喜んで『恋文屋』のノウハウを伝授してくれるだろう。
「とはいえ、『囮』になるには、見習い程度の力量が必要になるでしょうから。三日間、みっちり修行してもらわないといけないでしょうね」
 飾らない気持ちを引き出すには、依頼主に応じた言葉遣いのみならず、仕草一つも大事な要素。
 そしてその気持ちを表す言葉選びも、決して容易いものではない。
「辞書を丸ごと一冊読んだりとか、イメージトレーニングとか、仲間同士での実践……もしかしたら自分自身の想いを文にしたためるなんて事もあるかもしれませんね」
 戦場になるのは、街の外れにある菊の自宅兼『恋文屋』の店舗でもある庭付きの一軒家。
 現れるのは『右』と『左』と言う名の二人の螺旋忍軍。
「無事に囮役を果たせるほどの力量に達していたなら、この二人の螺旋忍軍に皆さんが『技術を教える』と称して、有利な状況で戦いを始める事も出来るでしょう」
 全ては皆さん次第です、と信を預けた笑みを浮かべ、リザベッタはケルベロス達に菊と、『恋文屋』に端を発するであろう運命を託す。
「バタフライ効果を使いこなす敵なんて、困ったものです。でも、きっと皆さんの方が一枚上手でしょうから――あとは、お任せします」


参加者
霧島・奏多(鍛銀屋・e00122)
ルビーク・アライブ(暁の影炎・e00512)
エヴァンジェリン・エトワール(白きエウリュアレ・e00968)
安曇野・真白(霞月・e03308)
佐々木・照彦(レプリカントの住所不定無職・e08003)
パトリシア・シランス(紅恋地獄・e10443)
遠之城・瑛玖(ファンレターは編集部へ・e11792)
サフィール・アルフライラ(千夜の伽星・e15381)

■リプレイ

 何故、恋文屋になったのか。一番大切にしている事は何なのか。
 白髪を簪一本でまとめた老婆は、そう問われると少し困ったように小首を傾げ、それから少女のように破顔した。
 学生の頃、級友に恋文の代筆を依頼されたのが始まり。
『相談しやすい顔をしていたんでしょう』
 人の話を聞くのが好きで、想像するのも好きだった。笑顔になって貰えるなら尚の事。嬉しい時は一緒に喜び、哀しい時には共に泣き。
『見えた心は、飾らず、素直に。嘘だけは、厳禁よ。相手にも、自分自身にも』
 ――でも。一等、大切なのは。
『恋をする事かしら?』

●苦悩
 開け放たれたサッシ窓の向こうは、夏の名残が濃緑の庭。
「うぅ~ん……」
 畳に直置きされた背の低い四足テーブルに噛り付き、パトリシア・シランス(紅恋地獄・e10443)は燃えるような赤い髪に覆われた首筋にじっとりと汗を滲ませつつ頭を抱える。
 相手の事を思いながら日本語を書くのに、パトリシアは慣れていない。ので、想いの丈を綴る言葉を探して辞書と格闘するのも止む無し。
(「心を込めた恋文……」)
 いつもは憎まれ口に隠してしまう心を、文字でくらいは素直に――と、思いはするが。
「……菊さぁん!」
 恥ずかしいものは恥ずかしくて。ついつい熟練恋文屋を頼ってしまう。
「はいはい、どうしました?」
 ぱち、ぱちぱち。
 まるで気心の知れた祖母と孫娘のような菊の距離の取り方に安曇野・真白(霞月・e03308) は大きな瞳を瞬き、そこから対面に並んで座る父娘――と、当人達が呼び合っている――ルビーク・アライブ(暁の影炎・e00512)とエヴァンジェリン・エトワール(白きエウリュアレ・e00968)へ視線を移す。
「大丈夫か?」
「……うん、パパ」
 ルビークがエヴァンジェリンの様子を伺ったのは、漢字が読めない筈の少女が、漢字が羅列された言葉選びの本を懸命に読もうとしているせい。お陰で、傍らの漢字辞典も先ほどから休み無しだ。
「そうか……なら、頑張れ」
 無粋な真似はすまいと、ルビークも人の心理について書かれた本へ意識を戻した。
 突然のケルベロスの来訪。そして事情の説明。それらを全て快く受け入れた菊は、恋文屋としての修練を開始してくれた。
(「アライブ様はエトワール様の事を、確り見ておいでなのですね」)
 短いやり取りの中に潜む二人の心の欠片を拾った真白は、次は庭の方へ首を巡らせる。すると今度は佐々木・照彦(レプリカントの住所不定無職・e08003)と目が合った。
「ん? 何や、真白ちゃん。オッサンに聞きたい事でもあるやろか?」
「あっ、いいえっ」
 縁側に腰かけて膝から下を陽に照らしていた照彦は、古文の辞典を捲っていた手を止める。
「にしても、オッサン初めて知ったわ。昔の言葉って綺麗やなぁ」
 心を得てダモクレスからレプリカントになった照彦の胸にも、不思議とゆかしく響く古典の詞。
「まぁ、字ぃの方はご愛敬やけどな!」
 ひらり掲げられた便せんには、少々不揃いな文字たち。けれど、頑張って綺麗に書こうとしている感も、心を温める一つの味わい。
「真白ちゃんはどうなん?」
「……そうでございますね」
 尋ねられ、真白は頭上の狐耳をピクリと揺らす。
「会話上手は聞き上手と申しますが、気持ちに添おうとすると難しくなるものでございますね」
 携帯やネット、言葉を交わす機会は容易にある。しかし、自分でも定まらない心を文字で表現するのは酷く難しく。それを第三者の立場から引き出すには、いったいどれだけ寄り添えばいいのだろう?
「真白も、いつ何が起きるかわからぬ身ですから。好き、と、感謝、の気持ちは常に伝えたいと思いはしているのですが……なかなかに難しいものでございますし」
(「もし。難しい恋をしていた叔父さまの気持ちが分かっていたら。あの悲劇は――」)
「そうなの、難しいのよねぇ」
 密かに真白が堕ち掛けていた思考の海。されど浸かりきるより早く、我が意を得たりとばかりなパトリシアの唸りが意識のうねりを断った。
「ただただ想うだけで幸せで、でも真面目で無理しがちだから心配で。……彼が背負いすぎないよう、気持ちを和ませるような文、私も書けるようになるだろうか?」
 と、そこにサフィール・アルフライラ(千夜の伽星・e15381)が加わると、場は乙女の園へ転じる。
「私は、好いた人の心に『花』を咲かせるような恋文を綴りたい、な」
 口調は誇り高い少年の如く、けれどサフィールの内は慣れぬ恋心に戸惑う少女。
「想う人の心に、慕う気持ちの『種』を撒き、密かに気持ちを映して揺れる言の『葉』積もらせ、幾つものやり取りが『花』開く」
 願わくば、受取人の心を和ませ。届かずとも癒しとなるような――。
 唱えながら素直になれない少女が思い浮かべるのは、恋る銀の主。堪らず溢れる想いの片鱗は、女たちの柔い心を擽って。
「素敵でございますね」
「本当、そんなの書けたらいいんだけどっ」
 真白は感嘆、パトリシアは羨望。
(「女の子のエネルギーって凄いなぁ」)
 語り合う女たちの花咲きぶりは、名実共におっさんな照彦にはやや眩しく。気恥ずかしさを感じた男は、がま口ポシェットから抹茶味の飴玉を一つ取り出し食むと、物理的なほろ苦さと甘さに緊急退避した。

 その夜、涼やかな虫の音を寝物語に、ルビークは思わぬ焦燥に胸を焼いていた。
『風邪をひかないよう、あたたかく』
『だいじょうぶ、オヤスミ』
 泊まり込んだ菊宅。就寝間際エヴァンジェリンへ送ったメールへは間髪入れずに返信が届き。あまりの速さに驚きつつ『早く寝ろ』と更に送ったものの。
 ――全国のお父さんはこんな心境になるのか……。
 恋の果てを思った父の胸は、しくりと痛む。

●『恋』
 礼節は形から。きりりと和装に身を包む遠之城・瑛玖(ファンレターは編集部へ・e11792)は、現役ライトノベル作家だ。語彙力もあれば取材に必要なコミュニケーション力もある。
 だのに、瑛玖は恋の情念を知らない。
「今までは想像で書いて来ました。でも、満足いかぬものを感じていたんです」
 技巧で誤魔化せる部分はある。が、込められぬ熱に作家自身が焦れた。
「それで、どうするんです?」
「はい、ですから私はこれを――」
 言って瑛玖は、貰ったファンレターの山を鞄から取り出す。それは瑛玖が書いた小説の登場人物に恋をして、その登場人物が作中で死すと後を追い、瑛玖の元へビハインドとなって現れた『紗依子さん』が記したもの。
「書き写してみようと思います」
「そうですか。あなたがそこにある魂に触れられるよう、応援しています」
「はい」
 いっそ恩讐。否、だからこそ。知らぬ瑛玖にとっての突破口となり得るのか。黙々と文字を浚う瑛玖を真剣な眼差しで見た菊は、こちらはどうでしょう、とルビークと霧島・奏多(鍛銀屋・e00122)のやりとりに耳を傾ける。
「切ないまでに深く思いを寄せる行為が、恋だと思うのだ――溺れる、落ちると形容するように」
 語るルビークの目線はややめ斜め下。
「俺は……そんな自分でコントロールできない感情を、どこかで敬遠していたのかもしれない」
「だが、辛いばかりでもない。そう知っているんだろう?」
「――そうだな」
 奏多の相槌に、ルビークの心にある思い出が膨らむ。
 苦いような、甘いような記憶は。決して良いばかりではないけれど、悪いばかりでもなく。
(「君に寄せた思い出は、振り返ればほんのり笑ってしまうような……甘い――」)
(「……成程」)
 僅かに横へ流れた瞳は、記憶を辿る所作。微かに上がった口角は、悪くない印象の証明。
 視線に宿る情動、所作に溢れる感情。ルビークの一挙一動を具に観察する事で、奏多は彼に心に触れる。
 あとは似合いの言葉を探していくだけ。必要とあらば、ユーモアも忘れずに。強弱の加減は、手強そうだが。
(「こういうのは案外楽しいものなんだな」)
 ――己の心を表すのは難しい癖に。
「霧島さんは筋が良いようですね。でも、貴方には素直さが足りない気がしますよ?」
 呑気に自分の事は棚に上げたのを見透かしたかのように、菊が笑った。
「ほら、これがお手本です」
「パパに、あげる」
 老婆に背を押され、ルビークへエヴァンジェリンが一通の手紙を差し出す。
「え?」
『アタシはまだ恋も知らないし、そんなアタシが恋文だなんてって、思うけれど。
 生まれて初めての恋をするなら、相手はパパがいい。
 アタシの初恋と、変わらぬ愛情を、アナタに』
 驚かれてもエヴァンジェリンは怯まない。だって、娘というイキモノは、一度は父親に恋するものだと本にも書かれていたから。

●岐路
「こういうんは、形から入るのも大事なんや」
 三日目の夕、恋文屋を訪れた男女の男の方を見て、照彦は苦笑いを添えて大げさに目を丸めた。
「男女ではアプローチの仕方も違ってくるからな」
 照彦を助手に、奏多が師匠という役割。奏多の神妙な口ぶりに、すっかり信じ入ったらしい男――左は、まずは君から、という招きに素直に応じる。
 そして応接室には右と、着付け役の瑛玖が残った。

「謀ったか!」
 響き渡った剣戟と左の叫び声に、右は事態を察した。
「一流の技人のグラビティは、実に豊かなものでしょう?」
 締めかけていた帯を力任せに引き、瑛玖は女の体躯の拘束を試みる。けれど、相手も手練れ。少しよろめきながらも、手刀で帯を断つ。
 即座に、清楚な小袖姿のビハインド――紗依子さんも支援に姿を現した。
「逃がさない」
 事が露見した時点で、瑛玖は仲間と合流する心算だった。しかし、右がそれを許さない。
「なら、お相手しましょう」
 立ち塞がられ、拳を振り上げられ。それでも瑛玖は虹色の翼を背に広げて柔らかく微笑む。
 構えるのは、命喰らう刃。
 和装の裾を払う足捌きは、いっそ優美な程。

●継
「そんなっ」
 意識のない瑛玖の躰を見せつけるように引き摺り縁側に現れた螺旋忍軍の女は、朱に濡れた夏庭の様子に目を剥き――素早く身を翻そうとした。
 しかし、サフィールが反応する方が早い。
「貴方に咲く花は罪の形、さぁ何が芽吹くのかな」
 足に具えた祈り星の欠片で緑の芝を蹴り、澄んだ青の髪をはらり靡かせサフィールは右の眼前に舞い降りる。
「――その罪を数えよう、咲き誇る花と成るのだから」
 繰り出すのは、千夜の妖精族に伝わる暗殺術の一つ。幻想魔術を纏う指先をすっと敵へと伸ばし、僅かに触れた面から爆発的に内部を蝕む。
「っ、くぁっ」
 己が身に咲いて散った月桂樹の花に、右は苦し気に胸を押さえた。が、まだその眼は死なず。活路を探し、辺りへ視線を走らせる。
「元より、利用するだけのお前達に習得出来るとは思えなかったがな」
 サフィールとは対面の位置へ駆け入ったルビークが、重い鉄塊剣を軽々と振りかざす。そのまま縦に一閃。極限まで研ぎ澄まされた一撃に、和装を羽織った形の螺旋忍軍の足元が崩れて、庭の中央へとまろび出る。
「全く、初仕事のエリクに何て事してくれたのよ!」
 紅蓮の髪に同色の双眸。纏う炎の色の侭に、パトリシアは苛烈な怒りを右へ燃やす。
「燃え上がれ、悲しみを焼き尽くせ」
 放たれた焔の魔力を込めた弾丸に、貫かれた右の肉体がパトリシア色の炎に包まれた。そこへパトリシアに似合いの赤いライドキャリバーが急襲をかける。
 ぶつかり合う炎と炎に、夕刻色の世界に白と見紛う眩い赤が弾けた。

 結果として瑛玖が稼いだ時間は、残った同胞へ圧倒的有利な戦況を齎した。
 罠にかかった左は、包囲からの一方的先制攻撃を喰らい、右の到着を待たずに倒れ。残された右も、数の差の前に成す術もなく。
 しかし、左の身に起きた異変を察した時点で右が逃亡を図っていたら。ケルベロス達の手は彼女に触れる事はなかったろう。右がミス・バタフライの命に忠実であったのが、彼女にとっての災いであり、ケルベロス達にとっての幸いだった。
「せめて一矢っ」
 藍色の袖を揺らし、右が螺旋を込めた拳をルビークへ伸ばす。だが、触れる間際にエヴァンジェリンが二人の間へ割って入る。
「エヴァンジェリンっ」
「へいき。アタシがパパを、護る」
 叩き込まれた衝撃は盾を担う少女の足が、幾歩か鑪を踏むほど重かった。それでも右が狙ったダメージと比べると、遥かに軽く。
「忌々しいケルベロス共め!」
「生憎と、これ以上お前たちに譲歩するものはないんでな」
 表に浮かぶ一切には僅かな苛立ちさえ滲ませず、奏多は瑛玖へ届けることは敵わなかった癒しでエヴァンジェリンを満たす。照彦のテレビウムのテレ坊の献身も、かすり傷一つ許さぬ回復に大いに寄与した。

「きらきらひかる夜をつなぎ、」
 菊の仕事は、気持ちを伝え結ぶ素敵なもの。
「請うて願いし、」
(「菊さまのお命も、恋を応援する術も。人を踏みにじる貴方がたへはお渡ししません」)
「光糸のゆらぎ」
 抱く想いの強さの侭に詠唱を終えた真白が右を指先で示すと、翔けた流星の煌きがただの葉切れとなった衣を纏う女の腹を貫く。
「オルヴォワール、螺旋忍者」
 間近に感じた別れを言葉にし、エヴァンジェリンは天空より舞い降りる蹴りで右を地へねじ伏せた。
 対峙したのは、片手の指にも余る短い時間。駆け上がった運命の階段は、一段も踏み外される事なく照彦を終局の扉の前へ誘う。
「君らのせいで、菊さんのお庭もちょっと駄目になってしまったやん」
 縁側に腰かけ最初に見た、隅々まで菊の心配りが届いた風景を思い出し、照彦は束ねた二挺の弓の弦を引き絞る。
「あの世でごめんしてや?」
 長い命の終わりの果てに、彼岸があるかは識らないが。照彦が射掛けた神々をも殺める黒矢は右の胸を深く穿ち、デウスエクスへ不死の終わりを齎した。

「命に別状はなさそうよ」
 一足先に運ばれていった瑛玖の容態をパトリシアが告げると、サフィールはほっと丸い息を吐く。
 菊の命は守られた。形を残す被害も、所々が剥げた芝と一部壊れた縁側くらい。
「なら、オッサンも安心してお庭にヒール出来るなぁ」
「手伝おう」
 ゆるり照彦が庭へ繰り出せば、サフィールも後を追う。

 ――また来てもいいですかね?
(「貴女になら、普段はきっと伝わらない心を認めて貰える気がする」)
 平穏を取り戻した一軒家に響く賑やかなケルベロス達の声に隠した奏多の願いに、菊は「勿論よ」と器用で不器用な男の手を取り笑った。
 憂い去り、晴れる心。
 しかし、曇った侭の女心が一つ。
「……さて、この恋文。どうしましょうか」
 自分に好意を寄せてくれている二人の顔を思い出し、パトリシアは紫煙燻らせながら宛名無き恋文を手持無沙汰に摘まむ。
 そんな年上の女の様を見つめ、真白はボクスドラゴンの銀華を抱き締め目を細めた。
(「真白もいつかお手紙で――そんな恋に巡り会えれば」)
 温もり伝わる手書きの文字。
 綴る言葉が結ぶのは、誰も先読みできない未来の物語。

作者:七凪臣 重傷:遠之城・瑛玖(ファンレターは編集部へ・e11792) 
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年9月9日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 3
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