任侠艶歌

作者:白石小梅

●略奪婚
 和歌山県、とある地下ライブハウス。
 燃えるような紅い糸菊が描かれた振袖を揺らして、一人の女が歌っている。
『譲れぬことよ、こればっかりは。待ってておくんな、愛しい女(ひと)よ……ああ、行かないでなんて、言えやしない……アタシの心を燃え立たせるのは、その背で語る侠気(おとこぎ)よ……』
 それは、演歌。艶歌とも書く。
 今となっては主流と言えぬ、深く激しい歌世界。
「いよっ! 蘭子姐さん、世界一!」
 声を張り上げる観客たちは五十人ほど。頬に傷のあるやくざ者どもがひしめいて、艶やかな歌に歓声を上げる。
 そこは、今はもう古い、日本の義理と人情の心意気に満たされていた。
 だが、その時、轟音と共に会場の扉が破砕する。
「……ぁんだ!?」
 扉の向こうから進み出てきたのは、十体の剛の豚を従えた、白いスーツの豚男。
「こんにちは。私はギルビエフ・ジューシィ」
 静まり返った会場の中、豚は芝居じみた動作で名刺を放る。
「あなたの艶やかな美声は、我が主の『ドラゴンハーレム』にこそ相応しい! 是非、ハーレムで繁殖に励んでいただこうと思い、スカウトに参りました次第! もちろん、ギャラも拒否権もありませんがね……」
「舐めンじゃねェぞ、豚野郎! てめぇら、覚悟決めろィ! 姐さんに手ェ出させんじゃねェぞ!」
 やくざ者どもは、雪崩を打ってオークの群れに襲い掛かる。しかし、彼らには、デウスエクスに抗するグラビティはない。男たちを蹂躙する触手の乱舞が巻き起こり、血飛沫が会場を汚して行く。
 素早く身を翻して、楽屋へ逃れようとする蘭子の前に、いつの間にか立っているのは白いスーツの豚姿。
「逃げ場はございませんよ……姐さん!」
 血飛沫の紅飛び散る中、女の悲鳴が轟いた……。
 
●女衒豚
「グスタフ、ドン・ピッグに続く、慈愛龍配下と思われる新たなオークの動きを察知いたしました」
 資料を見つめる望月・小夜(キャリア系のヘリオライダー・en0133)の顔は、冷ややかである。
「名は、ギルビエフ・ジューシィ。各地の女性地下アイドルを襲撃し、拉致しようと行動しております。この度、三船・蘭子という歌手を襲撃する予知が出ました」
 蘭子は和歌山県を中心に活動する若手の演歌歌手。主流とは言えなくなったが、任侠の心意気を含めて歌う演歌の世界は極道の世界で根強い人気を誇る。
「任侠魂を艶をこめて歌う世界観はやくざ者たちに評判で、姐さんと慕われて人気を集めているようです」
 今回、蘭子が歌う地下ライブハウスには、五十人ほどの極道のファンが来ており、ライブを鑑賞している。そこに、ギルビエフが十体のオークを引き連れて襲撃を掛けてくるという。
「オークたちは蘭子さんを攻撃しませんが、邪魔する者は躊躇なく殺害します。面倒なのですがこのやくざ者ども、その場にケルベロスがいようとも、蘭子さんを守ろうと命懸けでオークに挑みかかろうとしてしまうのです」
 これだから、命知らずは。と、小夜はため息を落とす。
「彼らの生死は任務の成否には関係ありませんが、グラビティ・チェインを敵に渡すわけにはいきませんし、死傷者が出るのも好ましくありません。敵を勢いづかせてしまいますしね。どうにかして彼らを説得し、退避してもらう必要があります」
 
●任侠魂
 難しい注文に、ケルベロスらも首を捻る。
「現場となるライブ会場は、立ち見で五十人ほどを収容できる閉鎖的な空間です。乱戦となってしまったら、血煙舞う惨状と化してしまいます」
 そうなれば、オークたちも血に勢いづいてしまう。
「オークたちはステージ正面の客用入り口からやってきます。皆さんはステージ脇から突入してください。ギルビエフが名乗りを上げたところに飛び込めるはずです」
 乱戦にしないためには、やくざ者どもの心を掴まなければならないが、それはどうすればよいのか。
「アウトローは公的権威を示すと反発するものです。必要なのは、皆さんの男女を問わず、侠気(おとこぎ)を示すパフォーマンスです。任侠者としての格の高さを見せつけ、尊敬に足る兄貴・姉貴分の仕事の邪魔をするまいと、自ずから身を退かせるのです」
 対して闘いを優位に進めたいオークたちはやくざ者を挑発して闘うよう仕向けるだろう。つまり、戦闘前の一触即発の中、見得を切らねばならないわけだ。
「ちなみにギルビエフは戦闘が始まるといつの間にか姿を消してしまうようです。奴の撃破は難しいでしょう。十体のオークは邪魔さえなければ、今の皆さんなら撃破出来るはずです」
 
「難しい注文だな……犠牲を払わぬためには、アウトローの心を掴む必要があるとは。役に立てるかはわからないが、私も同行しよう」
 アメリア・ウォーターハウス(シャドウエルフの鹵獲術士・en0196)がため息を落としつつ腰を上げる。
「力と気迫の差を見せつけてやってください。オークはもちろん、現場に集ったならず者たちにもね。それでは、出撃準備をよろしくお願いいたします」
 小夜は、そういうと頭を下げた。


参加者
マニフィカト・マクロー(ヒータヘーブ・e00820)
ブリュンヒルト・ビエロフカ(活嘩騒乱の拳・e07817)
勢門・彩子(悪鬼の血脈・e13084)
天王寺・静久(頑張る駆け出しアイドル・e13863)
鯖寅・五六七(猫耳搭載型二足歩行兵器・e20270)
井関・十蔵(羅刹・e22748)
月山・げっこ(旅するゲッコー・e26601)

■リプレイ

●前口上
 ケルベロスらはライブハウスのスタッフを次々に裏口から避難させながら、地下空間に突入していく。
「おう。ケルベロスだ。ちょいと道をあけてくんな!」
「用心棒役は頼むぞ、井関。皆、ここは私たちに任せて避難してくれ」
「こんな集団に押しかけられたら言わずとも皆、道を開けますわよ。さ、助手。いつも通り、不手際なく。分かってますわね?」
「なんか……俺が用心棒引き連れてステージに殴り込みに行くみたいじゃねえ?」
「げっこっこ。避難していただけるならなんだって結構でやんすよ」
「あの、マニフィカト……組の名は何だったか?」
「不安そうだな、アメリア。大丈夫か? まあ、私もこういったことは苦手だが。確か、番犬組、だったかな?」
「猟犬っす! 猟犬組! そっちは廃案っす! あ、もうステージっすよ!」
「おいおい、直前で細かいこと気にすんな! こういうのは、行き当たりばったり出たとこ勝負だ! 行くぜ!」
 転がり落ちるように加速しながら、ケルベロスたちは雪崩のようにステージ脇から飛び出して行く。

 心の準備が出来た者も、出来ない者も、演目の本番は待ってはくれない。
 始まるは、義理人情の任侠舞台。飛び入りからの即興劇。
 泣くも笑うも、一度きり。
 それでは歌っていただきましょう!
 ケルベロスの皆さまの、任侠艶歌でございます……!

●幕開け
 慇懃無礼なギルビエフが名刺を放り、突然の乱入者に目を丸くした三船・蘭子が息を呑む。悪食の豚どもはいきり立ち、やくざ者は命を捨てんと血気に逸る。
 会場に血飛沫の舞う、その瞬間。
「よォ! 邪魔するぜ! 猟犬組ってモンだ!」
 響いた声は、ブリュンヒルト・ビエロフカ(活嘩騒乱の拳・e07817)。今にも飛び掛からんとしていたやくざ者と、オークの群れの間に割り入って。
「な、なんだァ、てめぇ!」
 緊張の一瞬に水を差されて、そう声音を荒げたのは、やくざ者か、悪食の豚か。
 進み出るのは、ヤモリのような竜の娘。腰を落として、ずずいと差し出す手は、その道に生きる者なら知らぬ者のない仕草。
「やあやあ、どうも皆さんお控えなすって……急に出てきてどこのどいつだってぇお心持ちはわかりやすが、どうか一度お控えなすってくださいまし……お初にお目にかかりやす、あっしゃあ姓は月山、名はげっこ。この猟犬組の駆け出し者でございます」
「りょ、猟犬組だァ?」
「……おい、聞いたことあるか?」
 月山・げっこ(旅するゲッコー・e26601)の口上に、やくざ者どもは左右を見渡す。もちろん、架空の組の名だけで押し通すには無理がある。しかして、この組の『中身』は空ではない。
 蘭子を守るようにステージに進み出るのは、勢門・彩子(悪鬼の血脈・e13084)。黒い着流しに胸にはサラシ、守られるはずの蘭子の方が驚く気迫で。
「姐さん、ここは我らにお任せを……井関先生! お出ましを!」
 呼ばれて進み出るのは、同じく着流しの上にケルベロスコートを羽織った老人、井関・十蔵(羅刹・e22748)。後ろに従えたお付きの娘は、漆黒のスーツに身を包み、黒い眼鏡の奥に金の瞳を鋭く光らせた、冷酷な美女。
 両膝に手をついてしゃがんだのは、エイティーンで齢十八の姿を取った鯖寅・五六七(猫耳搭載型二足歩行兵器・e20270)だ。
(「だ、誰かと思った……」)
 アメリア・ウォーターハウス(シャドウエルフの鹵獲術士・en0196)が息を呑んで、サポートに来た機理原・真理を振り返る。
 尤も、彼女の視線は今、そちらにない。
(「天王寺さん、応援に来たですよ! 頑張って欲しいのです……!」)
 と、無言で友人に手を振っている。
「ケルベロスか! しゃしゃり出て来るんじゃねェ!」
 そう喚いて飛び掛かるやくざ者と、身代わりになろうと前へ出ようとする五六七の双方を、十蔵の手がさっと抑える。その老体は怖じることなく。
「オジキ……上着お預かり致しやす」
 五六七の声に、応、と十蔵。静まり返ったやくざ者を見回しながら上体をさらけ出す。
「……!」
「お若ぇ衆……この喧嘩、ワシ達に預けてくれぬかのぅ? 老いぼれの面と……この羅刹様に免じて、なぁ?」
 一瞬、静まり返った場。波紋のように、囁き声が広がって。
(「ありゃぁ……ホンモノだな……」)
(「番犬ってのは、ポリみてェなもんだと思ってたが」)
(「仁義を通せる奴もいンのか……」)
 ついに、名の裏を打つ心意気を感じずにはいられなかったらしい。
 と、するりと身を引いていた白スーツの豚が、仲間の耳元に何か囁く。すぐさま、その豚が動いた。
「おらァ、どーしたァ! なんだか知らねェが、割って入られたら芋引くってェのかァ!」
 十体分の下卑た笑いが場を満たす。
 そう。乱入してきたケルベロスらの心意気は認める。だが、彼らの庇護するものが害されようという時に、なぜよそ者に場を任せねばならないのか。
「うるせぇ豚共! テメーらは黙ってろ!」
 場に満ちかけた怒りを吹き払うように、ブリュンヒルトが一喝した。
 天王寺・静久(頑張る駆け出しアイドル・e13863)が、その隙を逃さず捉える。ここが舞台に乗るところだ。
「無粋な真似で割って入ったのは、その豚どもだ!」
 やくざ者どもが振り返れば、フリルだらけの衣装のアイドル。歌い手同士だからこそ、わかることがあると。
「……ジャンルも違うし、俺じゃ蘭子姐さんの足元にも及ばねーかもしれねえ。だけど自分の舞台を台無しにされた悔しさも怒りもわかるつもりだ。泥を塗られたのは、アイドルのステージなんだ! そこが俺には、許せねえ!」
「……!」
 そう。元はと言えば、喧嘩を売られたのは蘭子の方だ。道理の足元を穿たれ、やくざ者どもが目を泳がせる。
「その通り! 姉御、兄貴! 一生ついてくです!」
 と、サポートの真理が合いの手を入れれば、アルヘナ・ディグニティ(星翳・e20775)がすかさず畳みかける。
「そこなオーク達が、ランコの詞の持つ熱を理解出来ると思いまして? ……出来ませんわよね。ヒトを真似て言葉を吐こうと所詮はその程度。あなた達は、わかるはず。私達にはその豚どもを屠る力があります。しかし、ランコのステージを支える力を持つのはあなた達でしてよ」
 マニフィカト・マクロー(ヒータヘーブ・e00820)も、なれぬ言葉遣いでフォローに回る。
「俺たちは、この豚共と元々因縁があってな……昔、俺の女もな……いや、これ以上は言えねぇ……頼む! 俺たちに先に落とし前付けさせちゃもらえねぇだろうか。俺たちがやられたら、手前等にくれてやるからよ」
 煙に巻かれて言い倒され、やくざどもから熱が引いていく。
「確かに……番犬さんたちの方が、五十年も前から喧嘩してらした」
「他人様の喧嘩に首突っ込むのは野暮ってモンだ」
 豚が相手の臆病を謗るも、すでにやくざ達の心はこちらに傾きつつある。ぱちんと一つ、げっこが締めの手拍子を入れて。
「……ここにおいでの皆々様、どちらも修羅場を何度もくぐったお強い御仁であるとお見受けします。が、餅は餅屋と申します。人相手のやっとうならそちら様。怪物相手のドンパチならこちらに分も理もございんす……ものの道理を道理と通せるのが仁義者。どうかここはあっしたちに一任をお願いいたしやす……」
 その言葉に、やくざ者たちの一人が言った。
「……手前ら! こいつぁ猟犬組の皆さんの喧嘩だ。手ェ出すんじゃねえ!」
 返るのは、応! という威勢のいい返し。
 白い豚が小さく舌を打った。
「彼女を連れて退きなさいな。この場は貰い受けますわ」
 アルヘナが助手と共に、ステージを降りる。
「ま、此処はアタシらに任せな……姐さんを護ってやんなよ」
 ブリュンヒルトがそう言えば、十蔵は彩子と共に刃を抜き放つ。
「今日は絶好の場所だな。さ、派手に行くぜぇ」
「先生も本気だな。これは負けてられん」
 五六七が、目を白黒させている歌手に、耳打ちする。
「さ、ステージの端に隠れてるっすよ。あちきたちが、ファンの皆さんも、姐さんも守るっす……!」
「え! あ……はい」
「げっこっこ、ちょいと番犬の殺陣でもご覧になっててくださいまし」
「相手が薄汚い豚共でなければもう少し見栄えもするだろうがな」
 言葉を戻したマニフィカトが巨斧を引き抜いた。
「ライブにゃ前座はつきものだ。そのくらいでちょうどいいだろ。なに、すぐ終わらせるさ」
 静久はピンクのギターを構える。その隣に、アメリアと真理を引き連れて。
「せめて脇は抜かせないように努めよう」
「天王寺さん、格好良かったのです!」
 乱闘に引きずり込みたかったオークたちが、ステージを降りて次々に前に出てくる番犬たちに気圧されて、一歩下がる。
「こうなりゃあ……仕方ねえ! 野郎ども! やっちまえ!」

●殺陣
 白いスーツの影が、他の豚の後ろにするりと消える。
「さあ、成敗! っとくらぁ! ……へへっ、善玉ってなァ、気持ちが良いぜ」
 開始の合図は、十蔵のブレイブマイン。色とりどりの爆発がもたらす加護を背に、静久のギターが弾け飛ぶ。
「吼えろ……砕破! 行くぜェ!」
 先頭を走る豚の顔面に、刺々しいギターが突き刺さった。出鼻を挫かれた豚の突進を、彩子のゲイルブレイドが薙ぎ払う。
「ハッ……! さっきの勢いはどうした! お前らの売った喧嘩だろう!」
「おい、女の子はおしとやかに一対一だろ! 数持ってくなよ! さあ、お楽しみの時間だぜ!」
 ブリュンヒルトは最前線で豚たちを牽制しつつ、飛び込むことを耐えていた。その鬱憤を、顎を砕く膝蹴りに変えて叩きつける。
「……重要なのは、数を減らすこと。確実に行きましょう。さあ、今日の豚肉は活きがよろしくてよ。存分にお食べなさい」
 前衛を乗り越えた豚の足元を、黒い液体が押し包む。アルヘナのブラックスライムが、悲鳴を上げる豚に喰らいついて。
「賛成っす! まずは頭の数を減らすっす! お手伝いするっす!」
 飛び込んだのは、五六七。げっこの螺旋の氷結が、敵を穿っている。耐性を付与するのはマネギに任せ、豚の顔面を全力で殴り付けた。
「うむ。薄汚い豚共の顔を拝むのは……反吐が出る」
 その豚の背後に巨斧を構えた人影。悲鳴を上げる間もなく斧が落ちて、豚の頭がぶよぶよした肉体に沈み込んだ。だぶついた肉体がゆらりと崩れ落ちる。
「どちらにしろ小汚いが……喋らなくなっただけマシか」
 マニフィカトが、斧を翻して血脂を払った。
 まずは、一匹……。さて、このまま行くだろうか。

 オークが頼りにするのは、一部の強大な、もしくは知性的な突然変異体を除き、常に数だ。
 が……。
「いっただきー! 俺、二匹目ー! 今回は良い調子だぜ!」
 ひらめくフリルを血で染めて、静久のエクスカリバール……もとい、砕破が豚の顎を弾き飛ばす。
 舌を打ちつつ、肩を肌蹴た彩子の口元は、笑みに歪む。
「やるな……! だがクラッシャー同士、私も譲れない」
 ほとんど体当たりで押し倒しながら、彩子の日本刀が豚に突き刺さる。
「あっ! そりゃアタシのだ! 横取りは反則だろ! アメリア、こいつ貰うぜ!」
 目の前の敵を横から持っていかれて、ブリュンヒルトがそう喚く。矢と、真理の銃弾に射抜かれていた豚が、伸し掛かられて悲鳴を上げた。
 そう。サポートやサーヴァントを含めれば、ケルベロスの布陣は優に十を超えている。頭数でさえ敗けては、種の強みがないも同じ。
「カッカッカ! 前のめりってぇのも、たまにはいいもんだな! 引っ込んでろと言うまでもねえか! ……そこの! 逃げ回ってんじゃねえよ!」
 十蔵の作り出した短刀が、這う這うの体で出口へ這いずっていた豚の背に突き刺さった。血の臭いに迷ってほのかに香るのは、強い梔子の香り。
「素早く片付ければお怪我も少ないもんっすね! あちきの仕事も、楽なもんっす」
 マニフィカトの傷を、体中から生やした様々な医療器具で癒しながら、五六七が言う。マネギや助手が羽ばたきでその仕事を援護するとなれば、なおさらだ。
「しかし、却って厄介なこともある。私には逃げ回る豚どもを追い回す趣味はないのでね」
 マニフィカトが召喚した無数の蟲が、今や客席の間を散り散りになったオークたちを追い立てる。もはや彼らは追い立てられて逃げ回る豚の群れだ。
「雑魚も良いところでしたわね。ゲッコ、追い立てますわよ」
「あいよ、姐さん。逃げ出されちゃあ、厄介だ」
 アルヘナが剣から双子座の氷結を呼び、げっこの吐きだした炎壁が逃げ道を塞いでいく。こうもばたばた倒れていると、氷炎に巻き込まれて死んだものもいるかもしれない。
 そこは、血煙と悲鳴が飛び回る、豚にとっての地獄絵図。
 ひいひいと息を枯らしながら、一匹の豚が出口の扉に縋りついた。
「た……助けてくれ! 助けてくれよ、兄貴ィ!」
 だがその扉はいつの間にやら鍵が閉められ、びくともしない。
「……あの白スーツ、本当に逃げ脚速いんだな。ま、とりあえずはまだ殴れそうな奴が残っててよかったぜ」
 ブリュンヒルトがふうっと一つ、鼻を鳴らす。豚が振り返れば、いつの間にやら己一人を取り囲むように、番犬たちが立っていた。
「……ひっ!」
「残るはお前一匹だけだぜ? 他の豚は、みぃんな踊り終わったってよ。駄目だろ、息を合わせなきゃよ」
 残虐な笑みを浮かべて、ギターで肩を叩くのは、静久。
「す、すまねえ! 悪かった! 命だけは!」
「我ら猟犬組を相手取るには実力不足だったな……この下衆が。楽しめた時間さえ、僅かとは……」
 もはや刀も要らぬとばかりにそれを放り、指を鳴らしながらにじり寄る彩子。
「お、おい! 命乞いしてんだろ! 聞けよッ!」
「お? 外道を成敗するシーンっすね! 楽しそうっす! あちきも参加するっす!」
 垂涎の表情で、横から五六七も加わって。
「ま、待て! 来るな! 来るなァア!」
 じりじりと豚を追い詰める娘たちの影に覆われながら、甲高い悲鳴が響き渡った。
「げこ……哀れでやんすねえ」
「同情にゃ値しねえよ。見逃して反省するってわけでもなし。美人の番犬に引っ張りだこで、幸せってもんだろ。カッカッカ!」
 げっこと十蔵が、向き合って笑う。
「さて……勝敗は決しました、が……」
 断末魔の悲鳴を背景に、ため息を落とすのはアルヘナとマニフィカト。
「十体もの豚を解体した後となると……なんとも壮絶な光景だな」
 ライブハウスを満たすのは、血反吐と赤黒い肉塊と、すえた臭い。
 聞こえるものはもはや、順繰りに響き渡る殴打の音だけ。
 闘いは、終わったのだ。

●終幕
「皆さん、本日は危ないところを本当にありがとうございました。犠牲がなく、この事件が終わったことを、心から嬉しく思います」
 血に満たされた地下空間から場所を移し、演歌歌手の蘭子がそう言ったのは屋外の路上。
「ま、目的は全員の生存だったからな! あんた達にも、怪我がなくて幸いだったぜ」
 ブリュンヒルトが振り返れば、やくざ者たちがそれに応じる。
 曰く。
「いいぞー! 猟犬組ィ!」
「兄貴! 姉貴! 親分さぁん! 惚れたぜー!」
「俺も入れてくれェ!」
 などなど。
「五十人もいれば立派な組になるっすね! 猟犬組、結成するっすか? あちきは、自分の組があるっすけど」
 一人として怪我を負った者のないことを確認しつつ、五六七が十蔵に向き直る。
「よせやい。俺ァ、そんな大所帯背負う柄じゃねえ。お若ぇの! 自分たちの持つ義理を、大事にしとくんな!」
「げっこっこ。あっしも、風の向くまま、気の向くまま、が、性分でやんすからねえ」
 げっこが笑うが、番犬の闘いを目にしたやくざ者たちの気迫は先ほどとは別な意味で熱い。事後処理の警察を待つ間は、一緒におらねば興奮して大騒ぎでも起こしかねない。
 ふと、思いついたように彩子が蘭子に語り掛ける。
「そうだ……ファンのみんなもこのままでは不完全燃焼だろう。どうだろう。姐さんが良ければ、一曲、歌ってはくれないか」
「あ、それ俺も聞きたいな。へへっ……俺もほら。アイドルの端くれだし。参考にさ」
 蘭子は一瞬、驚いたようだったが、静久にそう言われると顔をほころばせた。
「かしこまりました……それでは、一曲! 歌わせていただきます!」
 腹の底を震わせるような、艶を持ちながら太い音に、演歌歌手は一気に声音を変えてみせる。
 マニフィカトが拍手を始めれば、その音は波紋のように広がっていく。
「艶の中に、力強さのある声だ……どうかな? 私も一つ、詩でも送ればお近づきになれるだろうか?」
「下心がなければ、な」
「アイドルに触れるのは、御法度ですよ?」
 アメリアと真理がそれを諫めれば、魔術師は自嘲するような笑みを浮かべて首を振った。
 歌われ始めた人情歌と、手拍子の輪が広がっていくのを聞きながら、ドワーフの老女が独りごちる。
「ええ、そう……持つべきは死ぬ覚悟より生きる覚悟。魅せるなら、死に様ではなく生き様ですわよ」
 ねえ? と、問い掛けるように空を見上げたアルヘナが、思い浮かべていたのは誰だったろう。

 ……。
 ここに終わるは、義理人情の任侠舞台。笑い合っても一夜の限り。
 堅気を泣かす、デウスエクスのある限り。
 番犬たちの闘いが、尽きる時など来ることはなし。
 ……それでは、歌っていただきましょう。
 ケルベロスの皆さまの、次なる舞台は……――。

作者:白石小梅 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年9月19日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 13/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 1
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