●消失を望めば
真夜中零時を過ぎた頃に森の奥の泉に行ってごらん。
月を映した泉から妖精が現れて、君を不思議な世界に誘ってくれる。彼女が連れていってくれるのは悲しみも苦しみもない世界。もし君が何かから逃げたいなら妖精に会いに行くと良い。そうしたら、ほら――妖精は君をこの世界から消してくれるから。
それはとある絵本に記されている一節。
或る日の真夜中、ダークファンタジー調の物語と絵が綴られた絵本を抱えた少女はひとりで森の中を歩いていた。
「絵本の泉とこの森にある泉はそっくりだもん。だから妖精さんもいるはずだよね」
少女が呟いている通り、絵本の中の光景と近くの森の景色はよく似ている。図書館にあったこの本を読んだ友達が、この挿絵はきっとあの森だと噂していた事を聞いた少女は本当に其処が妖精の泉だと信じていた。
「妖精さんに連れていって貰いたいな。苦しくも悲しくもないところ……お父さんとお母さんが喧嘩しない別の世界に。もし私が消えちゃっても、それで良いから」
不穏な言葉を落とした少女はやがて泉に辿り着く。
しかし、妖精を探す為に辺りを見回した少女は背後に近付く影に気付けなかった。不意に胸に何かが刺さった気がして少女は振り返る。すると其処には魔女が立っていた。
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『興味』にとても興味があります」
その声の主はパッチワークの魔女、アウゲイアス。
突き刺した魔鍵で少女の心を覗いた魔女は踵を返し、意識を失って倒れた少女を放って去って行く。そして、残された少女の傍らには興味が具現化された存在が現れた。
その姿は少女が思い描いた妖精の姿をしている。
『この世界から逃げ出したい人はだあれ? 望むなら、わたしが消し去ってあげる』
月の色をした長い髪を揺らした妖精――否、ドリームイーターは甘い声で囁く。
儚く美しい姿をしたそれは見た目こそ妖精そのものだったが、瞳だけは異様に冷たく、ぞっとするような色を宿していた。
●惑いの妖精
「嫌なことってたくさんあります。逃げられるなら逃げてしまいたいです」
ちいさな溜息を零し、雨森・リルリカ(花雫のヘリオライダー・en0030)は憂鬱そうな表情を浮かべた。年頃の少女として色々あるのだろう。しかし、すぐに顔をあげたリルリカは集ったケルベロス達に事件が起こったのだと説明する。
「そうです、たいへんなのでございます。パッチワークの魔女が現れて、ある女の子の『興味』を奪ってしまいましたです!」
奪われた興味は現実化し、怪物型のドリームイーターとなって事件を起こそうとしている。このままでは心を奪われた少女は目を覚ますことが出来ず、森を出た夢喰いによって罪のない人々が襲われてしまう。
敵が森を出る前に早急に事件を解決して欲しいと願ったリルリカは仲間達に真剣さの宿る眼差しを向け、詳しい情報を語ってゆく。
現場はとある森の奥。
丸く小さな泉がある付近に夢主の少女が倒れており、解き放たれた妖精型のドリームイーターは森の何処かを彷徨っている。
「どうやら妖精さんは自分のことを信じていたり、噂をしている人がいると引き寄せられてくるようです。森は散歩コースもあるので歩きやすいですが、割と広いので探すより噂をして誘き寄せるのが良いです!」
噂をして引き寄せれば後は全力で戦うだけ。
妖精は一見して儚げでか弱そうな見た目をしている。だが、戦闘となると鬼のような形相をして襲ってくるらしい。敵の攻撃力はそれほどは高くないようだが、かなりの回復力を持っているので決して侮ってはいけない。
しかし、どんな相手でも全員で協力すれば勝てない相手ではない。リルリカは皆を信じていると告げ、任務の説明を終えた。
「自分を消して欲しい、この世界から居なくなりたいと思った理由は悲しいです。でもでも……それはきっと、彼女が優しいからでもあると思うのです」
興味を奪われた少女を思い、リルリカはそっと目を伏せた。
生きていれば苦しみも悲しみも必ず訪れる。けれど、それは自分を消すという選択で解決していい事柄ではない。いつか少女にもそのことが分かる日が来ると良いと願い、リルリカは仲間達を送り出した。
参加者 | |
---|---|
ローレライ・ウィッシュスター(白羊の盾・e00352) |
バレンタイン・バレット(けなげ・e00669) |
サルヴァトーレ・ドール(赤い月と嗤う夜・e01206) |
辰・麟太郎(臥煙斎・e02039) |
木霊・ウタ(地獄が歌うは希望・e02879) |
アベル・ウォークライ(ブラックドラゴン・e04735) |
西村・正夫(週刊中年凡夫・e05577) |
アイオーニオン・クリュスタッロス(凍傷ソーダライト・e10107) |
●泉の妖精
静謐な森の中、ちいさな泉は穏やかさを湛えていた。
樹々から垂れた雫が泉に落ち、静かな音が辺りに響く。波紋が生まれて揺らぐ水面を眺め、バレンタイン・バレット(けなげ・e00669)は故郷の森を思い出す。
「ふむ、この森はどこかおとぎの国のもののようにおもう」
思えば故郷もそうだったのかもしれない。この森には妖精も出てきそうだと周囲を見渡したバレンタインは、妖精の翅音が聞こえないかと耳を澄ませる。
サルヴァトーレ・ドール(赤い月と嗤う夜・e01206)も周辺に異変がないかと警戒を抱きながら、噂と夢喰いについて考えた。
「ファータ、か。物語では美しいものが多いが……牙を剥くなら已む無し、だな」
特にこんな森ならば妖精が出ると噂が立つのはわかる気がする。
けれど、と首を振ったローレライ・ウィッシュスター(白羊の盾・e00352)は夢の主となった少女を思い、掌を強く握り締めた。
「罪のない少女の夢を奪うなんて……妖精だか精霊だか知らないけど叩き潰す!」
ローレライの決意が言葉にされていく中、アベル・ウォークライ(ブラックドラゴン・e04735)は手にした照明で泉をそっと照らす。
噂話をすれば件の夢喰いが誘き出せるという。ならば、と口を開いたアベルは幽かな光を映す水面と、揺れる樹々を紅の瞳に映した。
「月色の髪の妖精か。この泉に現れるらしいが……」
「妖精なぁ。普段は菩薩みてぇだが、怒るとそりゃ怖ぇ顔するんだと」
辰・麟太郎(臥煙斎・e02039)も泉の傍のひらけた場所へと歩を進め、嘲るように噂話を初めてゆく。アイオーニオン・クリュスタッロス(凍傷ソーダライト・e10107)も眼鏡の奥の双眸を鋭く細めて噂について考えた。
「悲しみも苦しみもないなんて聞くだけならいい話ね、どんな世界かしら」
「理想の国でしょうねえ。おじさんになると現実がめんどくさいと言うか結構生々しいというか、メルヘンな逃避も悪くないんじゃないですか?」
西村・正夫(週刊中年凡夫・e05577)も半ば夢想だと理解しつつ、興味を向ける。其処へ更に木霊・ウタ(地獄が歌うは希望・e02879)がぽつりと呟いた。
「消し去って欲しい奴ならいねぇことはないな。そんな妖精がいるなら会ってみたいぜ」
「消したいやつ?」
ウタが零した言葉を聞き、バレンタインがそれは誰なんだと問いかける。しかし、少年はウタが何を消したいのかをしっかりと理解していた。
それは仲間の誰もが思っていること。
そのとき、周囲の樹々が妖しくざわめきはじめた。異様な気配を察知したアベルとアイオーニオンが身構える。やっと来たか、とサルヴァトーレが剣の柄に手を伸ばし、麟太郎も視線を其方に向けた。
見えたのは月色の髪をなびかせた愛らしい妖精。されどそれは邪悪な意思を隠した夢に過ぎない。ローレライが禍々しさを肌で感じ取る中、ウタは凛と言い放つ。
「ああ。俺達が消し去ってほしいのはお前自身だぜ!」
言葉にしたこの願いこそが自分達の望みであり、成すべきこと。
悲しみや苦しみがない場所があれば行ってみたいと思う。だが、きっと誘いは幻に過ぎない。この世界はきっと、それほど甘くはないはずだから――。
●妖精奇譚
戦いの幕はあがり、周囲の空気は一変する。
『この世界から逃げ出したい人はだあれ? 望むなら、わたしが消し去ってあげる』
妖精はあまやかな声で囁き、ケルベロス達を見つめた。彼女は見た目こそ儚げで可愛らしかったが、瞬時にその眼に敵意が滲む。
アイオーニオンはそれこそが妖精の本性なのだと感じ、小さな溜息を零した。
「ま、熱くなるのは得意じゃないし……仕事をこなしましょ」
「正体を現しやがったな。ま、戦うにゃそうするしかねぇか」
麟太郎は鬼のような形相になった妖精を見つめ返し、大きく地面を蹴る。接敵と同時に振り下ろした刃は対象の身を斬り裂き、衝撃を与える。更にアイオーニオンが流星めいた蹴りを見舞っていく。
しかし、妖精も封じの羽を使って麟太郎を狙い打った。
其処へすかさずローレライの相棒テレビウム、シュテルネが飛び出す。
仲間を庇ったシュテルネに目配せを送り、ローレライは爆破スイッチを押した。次の瞬間、色鮮やかな爆風が戦場を包み込み、正夫やアベル達に加護を与えてゆく。
ありがとうございます、と正夫が礼を告げるとローレライは薄く笑む。
「どれほど妖精が強かったとしても、私達は負けない!」
凛とした声をあげ、ローレライは騎士然とした口調で思いを力に変えた。妖精が身構える最中、サルヴァトーレも片手を天に掲げる。
「しかし妖精と妖怪の線引きはどこなんだろうな……」
敵を見遣ったサルヴァトーレはふとした言葉を落とす。目の前の妖精は少女の夢が現実となったと思えば、その想像力に思わず笑みが零れた。そして、サルヴァトーレは凄まじい寒気を感じさせる嘆きの川の力を解放する。
黒き魔の制裁が敵に襲い掛かっていく様を見つめ、ウタも援護に移っていった。
「心の隙に付け込んで夢喰いを生み出すとは酷ぇ話だ。絶対救うぜ」
ウタがバイオレンスギターに触れると弦が唸るような音を奏でる。そして、ウタは命の賛歌を高らかに歌いあげてゆく。
少女が妖精に願いたかったのは自分をこの世から消し去って欲しいという願い。
そう思うに至った心情は、よほど辛い。
バレンタインは銃を握り締め、軽い身のこなしで戦場を駆け抜けて跳んだ。
「きれいな泉も、あのこの思いも、守ってみせるぜ」
燃えろ、とバレンタインが解き放ったのは炎の弾丸。暗い森を明るく照らした一閃は妖精に炎をもたらして迸る。
「この性格と風貌、妖精というより妖魔と形容するべきか……」
思わず呟いたアベルだが、決して怯んでなどいない。
そして、竜爪を敵に差し向けた彼は斬撃を見舞いに駆けた。アベルの鋭い一撃が妖精を刺し貫いたが、敵は自らを癒す。
淡い光が戦場に満ちたかと思えば、今まで与えた傷が一瞬で回復されてしまった。脅威の癒力に正夫は思わず感心したが、遅れは取れない。
「癒されるなら畳み掛けるだけです」
降魔の力を込めた拳を振りあげた正夫は狙いを定めた一撃をくらわせる。敵が回復に強いならば此方の攻撃を激しくすればいい。
その為に攻撃手を多く配置しているのだから抜かりはなかった。
アイオーニオンが更なる攻撃に移り、其処に続いたローレライとシュテルネも連携しながら妖精を穿っていく。ローレライのアームドフォートの主砲が一斉発射される中、シュテルネは振り回した凶器で敵を殴り抜いた。
そうして、戦いの展開は次々と巡っていく。
悪くない調子よ、とアイオーニオンが仲間に呼びかければ、正夫が深く頷く。即座に旋刃の一閃を放った正夫は身を翻して射線をあけた。
すると、攻撃の隙を掴み取った麟太郎が己の身に闘気を纏わせる。
「――巡りて染まれ、一輪花」
まるで敵を緋色に染めるが如く、突き放たれた一撃は妖精の力を奪い取った。夢主の少女を思えば胸の奥が痛んだ。彼女を救うには、その心を何とかしてやるには先ず目の前の敵を屠らねばならない。
「心優しい少女の未来を閉ざしてしまわない為にも、ここで倒す!」
妖精へと双刃の大鎌を差し向けたアベルは、鋭い回転と共に相手を切り裂く。アベル達の猛攻を頼もしく感じ、サルヴァトーレも追撃に走った。
「あのまま美しい女性のファータだったなら良かったんだけど、ね?」
まるで子供を諭すように敵に語りかけたサルヴァトーレは重力を破壊力に変える。余裕めいた瞳が敵を映した刹那、それまでとは打って変わった戦闘狂めいた殺気が満ちた。
サルヴァトーレの放った一撃が妖精を穿つが、敵とて反撃に移る。
『消してあげる。みんな、ぜーんぶ』
くすくすと笑った妖精はバレンタインを狙って妖精の粉を振りまいたが、正夫が即座に飛び出して攻撃を肩代わりする。しかし、彼の身は痺れに冒されてしまった。
ウタはすぐに異変に気付き、気力を練りあげてゆく。
「まだまだ、気合を入れろ!」
喝と同時に放つオーラは心を奮い立たせるように強く巡っていく。ウタの燃える心が何者にも縛れぬが如く、与えられた癒しは正夫の穢れを取り払った。
バレンタインは仲間達の動きにほっと胸を撫で下ろしながら、傍の樹に駆け登った。其処から跳躍した少年は手にした鈍器を振りあげ、妖精に狙いを定める。
「カクゴするといいんだぞう」
次の瞬間、振るった鈍器の先端の曲がった所が妖精を貫いた。痛そう、とローレライが思わず呟いたが、それも攻撃が効いている証だ。
そして、アイオーニオンは徐々に敵が弱りはじめていることを察する。
「消失するのはあなただけでいいわ。これが苦しみのある世界よ」
冷ややかに言い放った後、アイオーニオンは癒力を抑える殺神ウイルスを放った。
その回復力さえ弱めてしまえば勝機は掴める。歪んだ夢の化け物を映した氷のような銀の眼差しは、確実なる終わりを見据えていた。
●未来に進む力
それから幾度も攻防が繰り広げられ、戦いは苛烈さを極める。
『消し去って、あげる……あなたも、あなたも――』
此方も無傷とは言えない。だが、妖精の声も動きも目に見えて弱々しくなっていた。相手は自分を癒せば攻撃には移れないが、ケルベロス側は癒し手のウタがしっかりと背を支えてくれるおかげで確実に攻勢に入れる。
「それが厚意だってんならありがたいが、消えるにゃまだ早いんでな」
麟太郎は聞こえた妖精の言葉に応え、破鎧の衝撃を与えに向かう。この妖精を作り出したのはかの少女だ。
きっと優しい娘なのだろう。そんな少女を失わせるわけにはいかない。
真剣な目を向けた麟太郎に続き、ローレライもシュテルネと一緒に終わりへの一撃を打ちに向かう。
「全て浄化してあげる!」
テレビフラッシュに照らされた弓から七色の宝石で出来た矢を放てば、妖精が苦しみに呻いた。攻撃に移ったアイオーニオンは双眸を細め、氷のメスを創造していく。
「妖精にも神経とかあるのかしらね。切ればわかるかしら?」
刹那、急所を断ち切る斬撃が放たれた。
嫌なことから逃げたくなる気持ちは分からなくもない。だが、まだ幼いうちに自己犠牲の心を持つなんて早過ぎる。
バレンタインはそれも強さや優しさなのだと感じ、絶対に助けると銃に誓った。
「おれたちが辛いことを終わらせてやろう!」
「絶望するにはまだ早いだろ……」
バレンタインの銃口が再び炎を撃ち出し、続いたサルヴァトーレが星天の十字を描いて敵を切り裂いた。正夫は好機だと感じ、磨崖撃を打ちに駆ける。
「おじさんもカッコつけていきますよ」
その拳が妖精を真正面から貫く最中、ウタも攻撃の機を掴んだ。燃え盛る炎の渦が敵を取り囲み裁きの焔となって迸る。
「お前の鼓動が止まるまで、俺の炎は止まらないぜ!」
この断罪の炎が鎮魂曲代わりだと告げ、ウタは口許を引き結んだ。
誰にでも苦しみや悲しみから逃げ出したいという気持ちはあるだろう。だが、それを乗り越え前に進む力も同じように持っているはずだ。
そう信じたアベルは竜尾を伸ばし、鋭い槍の如く切先を敵に向けた。その身に宿る竜の力が迸り、妖精に向けて尾が迫る。
「どんなに逃げ回ろうと、必ず追い詰める! これで――終わりだ!」
そして、次の瞬間。
貫かれた妖精は断末魔すら残さず崩れ落ち、幻のように消えて逝った。
●譲れないもの
泉は元の穏やかさを取り戻し、静かな風が樹々を撫でてゆく。
柔らかな草の上で眠らされていた少女は目を覚まし、瞼を擦りながら周囲を見渡す。そのことに気付いた正夫と麟太郎が彼女の元に向かって事情を説明してやった。バレンタインも傍に屈み込み、問いかける。
「ねえ、おまえ。へいきかい? もうだいじょうぶだぞう」
少女には怪我ひとつなかったが、噂がただの噂に過ぎないと知ると酷く落ち込んでしまったようだ。ウタは頷き、気持ちは判るぜ、と少女に同意する。
「好きな相手にはいつも笑顔で仲良くしてほしい。だから消え去りたかったんだよな」
「うん……」
答えた少女の瞳には涙が浮かんでいた。麟太郎は泣き出しそうな少女を見つめ、その想いをしっかりと認めてやる。
「自分が消えれば両親が喧嘩しなくなると思ったかい? 嬢ちゃんは優しい子だなぁ」
「よく頑張ったな……バンビーナ」
サルヴァトーレも優しい瞳を向け、その頭を軽く撫でてやる。
その手には温かさが宿っている。そして、サルヴァトーレは語った。何か思う事があれば素直に言葉にすべきだ。我慢する事ないと彼が告げると、アベルも続く。
「両親もきっと心配している。君がいなくなったら、二人とも悲しむだろう」
確かに喧嘩はいけないことだ。されど両親は子供のことを大切に思っているからこそ真剣になってしまう。
アベルが真剣に語ると、ローレライも静かに頷く。
「私には、あなたが羨ましいわ。……貴女の思ってること伝えなくていいのかしら?」
自分にはもう伝える両親がいない。そっと俯いたローレライは一瞬だけ瞳を伏せた後、少女に甘い飴をひとつ手渡した。
飴を受け取った少女の涙は止まり、正夫は目線を合わせて語りかけてゆく。
「喧嘩は悲しいですよね。でもお父さんとお母さんは君の事を想いすぎてボタンを掛け違ってしまったんでしょうね。私も人の親だからわかります。だからこそ両親の喧嘩は悲しいと君が伝えないと分からなかったりするものです」
親に似た年齢だからこそ、正夫の言葉には重みがあった。
そして、アイオーニオンは戸惑っている少女を見遣り、一言だけ告げる。
「苦しもうと長い年月かけて向き合い続けなさい。命は軽くないのよ」
声が少女に聞こえたかは分からないが、アイオーニオンは一足先にその場から去って行った。麟太郎はその姿を見送り、皆に呼び掛ける。
「さぁて、戻るとするか」
「さあ帰ろうぜ。送ってくよ」
ウタも少女に手を伸ばし、サルヴァトーレも笑みを向ける。
うん、と頷いた少女はケルベロス達の傍に駆け出した。バレンタインは、ウサギのおれにはむつかしいことはわからないが、と話した後に自分なりの思いを告げた。
「おまえはとっても優しいから、辛いおもいをしているのだろう。優しいおまえに、セカイが優しくないワケがないぞう」
――争いというものは、いつだって大事なものが譲れないからこそ起こる。
だったら、少女は両親にとって大切なものに違いない。忘れないでおくれ、と伝えた少年が笑顔を向けると少女はおずおずと微笑みを返した。
まだ彼女の問題は片付いた訳ではない。それでも今夜、皆の言葉のお陰で進む為の一歩目が見つかったはず。
そして、少女が踏み出した後の森の泉は寧静に満ちる。
薄青の水を湛える泉は何故だか、不思議とやさしい色を宿しているように思えた。
作者:犬塚ひなこ |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2016年9月5日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 2
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