夢喰らう魔女の呼ぶ店

作者:白石小梅

●潰れた夢
 時は夕暮れ。
 神奈川県、横浜市。とある繁華街の路地裏。一軒の、小さな店。
 出されている看板には『魔女喫茶・リカ』の文字。
 店舗のカウンターの向こうに羅列されるのは、瓶に詰められた乾燥ハーブや、干物となった蟲やカエルなどの小動物。
 壁に並ぶは呪術や呪文に関する書籍、媚薬や呪薬の調合法を記したレシピ本。
 一角のショーウィンドウの中には、加工された天然石やその原石、牛や馬の頭骨をモチーフにしたティーセット。
 少しおどろおどろしく、妖しい魅力にあふれた品々……。

 配置された小テーブルに、三十路ごろの一人の女が腰かけている。
「焦りすぎたかしら……潰れちゃうとは計算外。商売のこと勉強しなきゃ駄目だったか……」
 オーナーらしき女はため息と共に立ち上がり、振り返る。
 ざくり。という音と共に、胸元に鍵が突き立った。それが、ぐるりとひねられる。
 目の前に現れたのは、牛のような角を生やした女。
「私のモザイクは晴れないけれど。貴女の後悔、奪わせてもらいましょう」
 ふっと頽れたオーナーの女。
 その傍らに現れる、三角帽子の魔女。目もとを滲んだモザイクで覆い、紅い唇を笑みの形に釣り上げる。
『魔女喫茶へ、ようこそ……お持ち帰りでも、お飲みになっても。さあ、お望みをどうぞ』
 甲高い声が、魔女の店の再開を告げる……。
 
●ゲリュオン
「パッチワークの魔女、という集団はご存知でしょうか。モザイクの卵作戦を指揮していた、通称『赤ずきん』に代わり、地球侵略の指揮を執り始めた十二体のドリームイーターです」
  望月・小夜(キャリア系のヘリオライダー・en0133)が、居並んだケルベロスに話を振る。
「その十番目の魔女、ゲリュオンという個体の動きを捉えました。ゲリュオンは『夢を叶えて個人商店を開いたものの、そこが潰れてしまった人』の後悔を奪う、という行動を取っています。今回、『魔女喫茶』を開いていた女性が狙われ、その後悔を奪われる事件が発生いたしました」
 ゲリュオンは後悔を奪うが適合せず、それは新たなドリームイーターとなって事件を起こし始めるという。
「ゲリュオンはすでに現場から逃走しておりますが、生まれた個体……仮に紅魔女と呼びましょうか。これを放置するわけにはいきません。紅魔女を撃破し、後悔を奪われた被害者を救出、及び今後起きるであろう被害を未然に防ぐことが、今回の任務です」
 
●魔女のお茶会
「周辺状況と敵の能力は?」
  アメリア・ウォーターハウス(シャドウエルフの鹵獲術士・en0196)の問いに、小夜は頷いて。
「敵は紅魔女一体。何らかの超常的な力で店舗空間を制御しているようで、件の店を営業再開させ、その中に陣取っています」
 紅魔女は三角帽子にブラウス、コルセット、ロングスカートを全て黒で統一した背の高い女性型の怪物。様々な能力でこちらの行動や想いを操るという。
「ですが一つ、致命的な弱点があります。店に乗り込んでもいきなり戦闘を仕掛けず、客として紅魔女のサービスを受け、それに対し心から満足を示すことで、紅魔女も満足して戦闘力が減少するのです」
 だがそもそも魔女喫茶……とは、なんだろう?
「魔女に悩みや望みを打ち明け、求めたい飲み薬を注文すると、合法かつ一般人のおまじないレベルで調合してくれる、という店だそうです」
 美や健康を望むなら普通にハーブティが来るだろう。金運や恋愛運を高める薬などもよし。相手と飲み合う媚薬や憎い相手に飲ませる呪薬はテイクアウトで注文……といったところだろう。
「むしろ問題なのは心から満足する、というところです。演技するより、素直に悩みや望みを打ち明けて注文するのがいいでしょう。激昂させると、紅魔女は最大戦力で襲い掛かってきてしまいますのでお気をつけて」
 ちなみに満足させてから倒した場合、被害者が意識を取り戻した際『後悔の気持ちが薄れて前向きな気持ちになれる』という効能があるという。
 なかなか難しい、といった表情で皆が首を捻る。
 
 被害者や、他の客の有無は? その問いに、小夜は頷く。
「他の客はおらず、被害者は店のバックヤードに寝かされています。ですが早急に解決せねば被害者は衰弱死し、迷い込んだ一般人が紅魔女を激昂させて殺されてしまいかねません。今のうちに決着を付け、被害者を救出してください」
「わかった。出来るだけ皆の邪魔にならぬよう、努力する」
 アメリアの言葉に、小夜は出撃準備を願って頭を下げた。


参加者
村雨・ベル(エルフの錬金術師・e00811)
姫百合・ロビネッタ(自給自足型トラブルメーカー・e01974)
メルナーゼ・カスプソーン(廃墟に佇む眠り姫・e02761)
花筐・ユル(メロウマインド・e03772)
ミスラ・レンブラント(シャヘルの申し子・e03773)
シャルロット・フレミス(蒼眼竜の竜姫・e05104)
イリス・ローゼンベルグ(白薔薇の黒い棘・e15555)
流水・破神(治療方法は物理・e23364)

■リプレイ

●魔女喫茶
 繁華街の路地裏に、居並んでいるのはケルベロス。店には、明かりが灯っているが、ステンドグラスの窓の内側は伺い知れない。
「では、皆さん! きちんと相談するよーに!」
 と、突入の音頭を取るのは村雨・ベル(エルフの錬金術師・e00811)。
 全員が、僅かに緊張を宿した表情で頷く。そう。これは突入なのだ。足並みの乱れがあってはいけない。
 木製のドアを開けば、喫茶店にはよくある鈴の音が響く。
「わあ……とっても素敵。友達の部屋に少し似てる……」
 思わず感嘆の声を漏らしたのは、姫百合・ロビネッタ(自給自足型トラブルメーカー・e01974)。
「……猫脚の丸テーブルに、椅子はアンティークなロココ風、照明は吊り下げ式シャンデリア、壁紙の隅には黒猫模様、ワインレッドのカーペット……」
 花筐・ユル(メロウマインド・e03772)が呪文を唱えるように目についた内装を列挙していく。
「へえ、ゴシックな内装ですね……おどろおどろしさがあるのに、上品。あれ? ロココ風?」
 ミスラ・レンブラント(シャヘルの申し子・e03773)が首を捻る。応えたのは、イリス・ローゼンベルグ(白薔薇の黒い棘・e15555)。
「今の日本じゃ中世ヨーロッパの意匠を取り入れた少女趣味なデザインは全部『ゴシック趣味』で括られるから、まあ、ロココでもいいんじゃない?」
「ええ。お店はオシャレね。私は、嫌いじゃないわ」
 そう言うシャルロット・フレミス(蒼眼竜の竜姫・e05104)に続く、メルナーゼ・カスプソーン(廃墟に佇む眠り姫・e02761)の言葉が、ほぼ全員の意見を代弁する。
「……綺麗だし、中々面白そうなカフェだったんですね……知ってたらもっと前に来てみたかったのですよ……」
 そう。ここは小さいながら、乙女の趣味を詰め込んだ夢空間。
 少し歳の離れたアメリア・ウォーターハウス(シャドウエルフの鹵獲術士・en0196)も、そのサポートに来た機理原・真理も含めて、心揺らされるものがある。
 対して少しばかり首を捻るのは、今回の依頼で唯一の男性である、流水・破神(治療方法は物理・e23364)。
「俺にはよくわからねえけど……んで? 肝心の店主モドキはどこなんだ?」
 彼の言葉に、内装に目を留めていた面々がふっと周囲に視線を散らした瞬間だった。
『魔女喫茶へ、ようこそ』
「……っ!」
 ぬうっと、こちらを覗き込むように頭を下げてくる黒い影。目もとは滲んだモザイクで覆われ、裂けたような紅い口が耳元まで笑みを作っている。
 いきなりの登場に、思わずナイフを引き抜きかけたアメリアの手が、イリスに制される。
(「武器を隠しなさい……!」)
(「あ……すまない……」)
 だが、紅魔女は相手が武器を携えていようが、全く気にしていない様子で、椅子を引いた。
『お持ち帰りでも、お飲みになっても。さあ、まずはお座りになって、お望みをどうぞ?』
 全員の間に、ほっと溜息が落ちる。
「……存在目的に固く固執したタイプのドリームイーターは、相手がケルベロスか否かなんて、ほとんど気にも留めないのね。もちろん、知性のレベルにも拠るのでしょうけど」
 ユルが、座りながら呟く。大きな救急箱にしまってある、己のミミック『助手』をちらりと見る。
 恐らく紅魔女にとっては、相手が『客』であるか否かだけが重要なのだ。『存在自体に目的が在る存在』とは、そういうものなのだろう。
「でもそれって……逆に邪魔し始めたら誰であっても容赦しないってことだよね? 確かに、危険だけど。なんだか、ちょっと……」
 ロビネッタの囁きは、最後まで紡がれることなく揺らいで消える。
 裂けた笑みをニコニコと浮かべながら、紅魔女はテーブルに水を差し出し始める。大勢の客の来訪を、心から楽しむように。
 望みを伝え、叶えさせる。
 ここから始まるのは、一風変わった闘いだ。

●望みをどうぞ?
 人数が多いため、ベル、ユル、破神、アメリアの成人組に、サポートの真理。そしてロビネッタ、メルナーゼ、ミスラ、シャルロットとイリスの未成年組が分かれて席につく。
 先んじて、紅魔女が注文を取りに来たのは未成年卓。
『それでは、お望みをどうぞ?』
 真っ先に手を挙げたのは、ロビネッタ。
「私の悩みなんだけど……あのね、頭がよくなりたいの」
 ちらりと紅魔女の顔色を伺うが、裂けた笑顔で頷いている。
「学校の勉強とかそういうのじゃなくてね……友達がたまに難しい話してくれるんだけど、あんまり分からなくって……法律とか科学とか。あたしが頭よくなったら、もっとお喋りできて仲よくなれるかなって」
 悩みを吐露した後、ロビネッタは素直に「頭がよくなるお薬、ありますか?」と尋ねる。
 にっこり笑った紅魔女が頷いた。手順はこれでよいようだ。
 次に紅魔女が向き直ったのは、ミスラ。とりあえず、まとめて注文を取る気らしい。
「あ、あの……」
 ミスラが、頬を赤らめて口ごもる。
「その……ちょっと個人的な悩みなのですが……私ももう子供じゃないし、自分に合った下着類のチョイスが難しくて。えっと、つまり……サイズに合わせると見目が派手になるんです。その……恥ずかしくて」
 着るのを躊躇ってしまう。と、そう訴える。
 紅魔女が少し首をかしげる。
 ミスラは慌てて、言葉を付け加えた。
「あ、つまり……大人らしい性格、及び何か自信が付く様な気持ちになれる薬はありませんか?」
 その言葉の裏側には、付けてはみたい、という気持ちも見え隠れする。紅魔女もそこに気付いたのだろう。にっこり笑って頷いた。
 ミスラが顔を真っ赤にして俯く。あまりわかっていないロビネッタと、突っ伏して寝ているメルナーゼが羨ましい。
 次に振られたシャルロットは、それを受けてか受けずか、無難に注文をすましてのけた。
「いつもお世話になっている知り合いに疲労回復できる飲み物はないかしら? 効果が大きすぎないのがいいわね。あとは味も重要ね。美味しくお願い」
 対して、イリスの注文は挑戦的だ。
「私は、そうね……最近は目覚めが最悪だから、朝すっきりと目覚められるようにお願いしようかしら? できれば紅茶がいいわ……ちょっと難しいかしら?」
 紅魔女は、憤慨するように口をへの字に曲げる。だが激昂したのではなく、挑戦を受けて立つ意志表示であったようだ。
 最後に注文したメルナーゼは、眠り、というジャンルにおいてイリスと共通の注文をした。
「あ……私はあと、72時間ぐらいぐっすり眠ってみたいです……!」
 と、ほぼ寝ぼけ眼でいう。
 明らかに寝過ぎな相手に、紅魔女は少し困り顔をしつつも、未成年卓の注文を聞き終えた。

 やがて、紅魔女が調合してきた飲み物を卓に乗せていく。
 出されたものは、香りや味から察するに……。
「あ、なんかスパイシーな味……! なんか、しゃっきりしそう! ちょっとぴりっとするけど、でも甘くて美味しい……」
 と、言うのはロビネッタ。集中力を高めるとされるタイムやローズマリーだろうが、肉料理に良く使われるハーブでもある。ほのかな甘みは果糖だろうか。
(「恥ずかしかった……なんか、ホットな豆乳っぽい味だけど……少し甘くて、花の香りもする。不思議な味……」)
 紅潮していた顔を落ち着けていくのはミスラ。甘めに作った薬湯を豆乳で割ったのだろう。心も体も、一人の女として成熟出来るように、ということだろうか。
 イリスとメルナーゼには、似たものが出されたようだ。
「……あら。ラベンダーに……カモミール? 紅茶はアールグレイ、よね?」
「あー……これなら眠れそうです……」
 リラックス効果の高い配合だが、紅茶にはカフェインが入っているので、眠りは浅くなる。イリスの注文は「目覚めをすっきりしたい」だからよいが、メルナーゼにカフェインたっぷりのものが出されているのは、一種の皮肉かもしれない。誰も言わないけれど。
 シャルロットに渡されたのは、赤い一袋。刺激の強いハイビスカスや薔薇の花びらの香り。『たっぷりの蜂蜜を加えて召し上がれ』のメッセージカードが添えてある。
「その人に対する特別な一品、ってことね。これはこれで、素晴らしいわね」
 心なしか、紅魔女の笑顔からは不気味さが薄れ、自慢気な印象が見て取れる。

 未成年卓の注文を取り終え、紅魔女は次に訪れるのは、成人面子の卓。尤もこちらは、落ち着いたもの。
「どうにもこの国の暑さに慣れなれなくて。おまけに湿度も高くてべたつくし、嫌になるの。快適に過ごす方法……スッキリできる飲み物など頂けるかしら?」
 ユルが落ち着いた様子で注文を終える。
「あー……俺様は……強敵ともっと殴り合いたいし、最近、俺様流の荒療治が中々出来なくて欲求不満なんだ。特に治療の方は全然満足に出来てなくてフラストレーション溜まってる。この欲求不満を解消したりできねえかな」
 続けたのは、破神。さすがに医療従事者だけあり、求める物は的確だ。
「あの実は……ここ、私の店と方向性がまさに同じで親近感というか、デジャブというか……私も真面目に魔法の素材扱ってお茶とか色々作ってるつもりなんですが、どうにも周りがお色気とネタとしか思ってくれませんで、ひじょーに悲しい想いをしているんです。この悩み……どうにかなりませんでしょうか?」
 そう言うのはベル。今回、薬草や魔法薬を嗜む者たちも、多く依頼に参加している。類は友を呼ぶ、ということだろう。
 初めて来た観念的な依頼に、紅魔女も気合を入れた笑顔で頷く。
「さ、アメリアさんも、お悩み相談あるなら一緒にいっちゃいましょう」
 最後にベルがそう促し、真理とアメリアが注文する。
「好きな人ともっともっと仲良くなりたいので……そうですね、プレゼントになるようなものを」
「では、私も同じものを。良い関係を築ければ、任務もこなしやすいだろう」
 二人がテイクアウトを以って、成人卓の注文が終わる。
 紅魔女が精一杯の趣向を凝らして運んできた、その中身は……。

 ユルに出されたのは、薄い金色の薬湯。
「ありがとう。頂きます……うん、Gut。とても美味しい。素材は何かしら? ふふ、好奇心と言うやつ。今後の参考にさせて頂きたいわ」
 紅魔女は含み笑うだけだが、素材は恐らくスイカズラの蕾のお茶に、たっぷりの蜂蜜。夏の怠さに効果があるとされる、仄甘い味。
 観念的な願いをしたベルには、珍しい水色のお茶が出された。
「わあ……透き通るような青。マロウ茶かな……青は風水とかで確か、仕事運……なるほど。暖色系は恋愛運に通じますもんね。それを避けると……うう……なんか切実で身に迫るですよ、今回」
 破神の薬湯はといえば、強いシナモンの甘い香りに、コーヒーに似た噛めるような深い味。相手が男性であることを意識した配合だろう。
「へえ……あんがと、何かマシになった気がするぜ。ここ、良い店じゃん?」
 最後にアメリアと真理に、小さな袋が手渡される。甘いバニラビーンズと、微かにオレンジピールの切ない香り。『少しの湯で濃く煎じた後、ミルクを注いでお飲みなさい』と、メッセージ。
 二人が感謝を示すと、紅魔女はにっこりと笑みを浮かべて一礼した。今や、不気味さは感じられない。
 準備は、整ったようだ。
 可憐な陶器に少し不気味な絵柄のティーカップが、かちん、かちんと音を立てて、一つ一つソーサーの上に帰る。
「まるで童話のワンシーンの様な演出……好奇心を擽る楽しい一時だったわ。ありがとう……だけど、アナタの時間はもうお終い」
 ユルの言葉に合わせて、番犬たちが立ち上がる。
 夢の終わる時が来たのだ。

●仄甘い夢の終わり
「さあ、終わりを始めましょう」
 救急箱から飛び出した助手が紅魔女に喰らい付き、ユルの放った白薔薇の花弁が降り注ぐ。
「綺麗な挿し木をしてあげるわ。黒い茨の白い薔薇、なんてね。狙ったわけじゃないけれど……夢のような偶然もあるものね」
 そういうイリスが放つのは、黒茨の槍。微笑んだままの紅魔女を貫く。
「来て良かったよ。ありがとー……可愛そうだから、すぐに終わらせてあげないとね」
 目にも留まらぬ速さで銃を抜き撃ったのは、ロビネッタ。弾痕が、彼女のイニシャルを穿つのを合図に、シャルロットのハンマーと破神の地裂撃が黒い影を打ち据える。
『うふふ。ご満足いただけたようで嬉しいわ……』
 口の端を動かして放つ呪言は、紅魔女の反撃。だが本来であれば、憎悪を煽る呪言を紡ぐはずの唇は、満足を込めた感謝を口にしてしまう。それでは呪いの形を成さない。
「殴りがいがねえ……こいつ。ホントに弱体化してるぜ……」
 そういう破神の言葉は、どこか寂し気。それもそうだ。拳骨荒療治を本分とする破神が、回復に回る必要がないのだから。
「報復には許しを。裏切りには信頼を。絶望には希望を。闇のものには光を。許しは此処に、受肉した私が誓う。この魂に憐れみを……」
 ミスラが寿ぎを紡げば、もはや、呪いは完全に霧消する。その心に過ぎるのは、その祝福の最後の一節。今、憐れまれるべき魂はどちらだろう。
「お友達予定の人を返してもらうのですよ……! あなたはその人の夢に還るのです」
 メルナーゼの指先から放たれた氷の弾丸が、様々な攻撃に射止められている紅魔女の動きを、更に凍てつかせていく。
『ふふ、ふふふ……』
 動きを封じられた紅魔女が、紅い爪の軌跡を乱舞させるが、それはもはや牽制にしかならない。
 魔法の木の葉をその手に、ベルがため息を一つ。
「この勢いなら、お店の中にそんなに被害が出ないうちに、片付けられますね。援護します! 狙ってください!」
 邪魔をするつもりか、紅魔女が影を紅く伸ばして攻撃してくるのを真理が受け止める。ベルのステルスリーフを纏い、アメリアの影がその脇を切り裂けば、紅魔女の体が更に氷に押し包まれて。
「……茨に薔薇に、氷の呪い。眠り姫でもあるまいし。甘くて悪い夢も、これで終わりよ」
 シャルロットがその身に蒼い輝きを纏い、閃光となって駆け抜けた。
『それでは、皆さん。お悩みのある時には……』
 氷の柱に走る、一筋の亀裂。紅い唇が、笑みを含んだ囁きを一つ。
『……また、どうぞ』
 その言葉と共に、夢で出来た魔女の姿は砕け散った……。

●ほろ苦い現
 闘いは、終わった。一つの夢も、また。
「……事情は、今お話した通りです。ドリームイーターは討伐しました。お店の壊れたものも、ヒールで直してあります」
 ミスラがそう伝えると、店主、沢城・リカは疲れた笑みを浮かべて礼を言った。
「……なんだか、夢のよう。店が潰れたのも、夢だったらよかったのだけどね」
 そう言って、店主はため息を落とした。アメリアが、俯いて言う。
「私たちの仕事は、デウスエクスの脅威より人々を守ること。何も出来ず、申し訳ない」
 重苦しい沈黙が、小さな店の中を満たして行く。
「魔女、な……俺様は興味ねえが考えは面白いんじゃね。商売関連をきっちり勉強すれば人気店になりそうな気がするぜ」
 ぎこちなく言うのは、破神。
「うん。潰れちゃったの残念だなー。もしかしたら、怪しいお店だと思われちゃってたのかも。……そだ、ブログとかSNSで情報発信したらどう?魔女喫茶に興味持ってくれる人は絶対いるよ!」
 ロビネッタがそう言うと、シャルロットとメルナーゼが言葉を重ねる。
「私たちはこの店のサービスを受けたけれど。こんな風に悩みを聞いて作るのは、特別だけど不安になるわね。量産して、この悩みの人はこれ、みたいに並べておくとお客としてはいいと思うわ」
「これでも私も魔法使いを名乗っているですが……もっとも、私は薬を作るのはあまり得意ではないんですけど……でも、私の作った魔道具とかを置くともっと店内の雰囲気がよくなると思うのですよ……」
 アイデアも、励ましも、それ自体はすでに遅い。夢は、砕けてしまったのだから。
 だが店主は、微笑んで頷いた。
「ありがとう……色々考えてくれたのね」
 店主の心を揺らすのは、満足を示した上で本気でぶつかるその心。
 ユルが、そっとその肩に手を当てて。
「私も薬草薬局を開いているから、苦労は分かるつもり。顧客に合った品を提供をする姿勢は素晴らしいと思うわ。人は失敗や後悔から成長するもの。工夫次第でもっと輝けるのではないかしら?」
「……あなたのお店、私は嫌いじゃないわ。あなたがこれからどうするのか分からないけど、そこは自信を持ちなさい。私が保障してあげる」
 イリスが言い終わったとき、店主は目を拭った。
「ありがとう……そうね。また一から始めるわ。穴はたくさんあったけど、この店だって世界を守るケルベロスにご満足いただけたんだもの。それが、何よりの自慢よ。いつか、今度こそ、皆に満足してもらえる魔女喫茶を開き直すわ」
 それが、いつのことになるかはわからない。
 だが店主の心には、小さな夢が再び灯を燈していた。
「新しくお店始めたら連絡ください。ぜひお邪魔させてもらいたいと思います。仕事関係なしにプライベートで!」
 ベルの言葉に、店主は頷く。小さくとも、固い決意を胸に。

 その日、救われたものはなんだったろう。
 悪夢に囚われた魔女か。
 はたまたその犠牲になるはずだった人々か。
 いや、もしかすると、魔女の微笑みがまたいつか路地裏に返り咲く、ちっぽけな未来であったのかもしれない……。

作者:白石小梅 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年9月5日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 2
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