人魚は星彩に謡う

作者:犬塚ひなこ

●海と歌う
 深い夜の帳が下り、水面に星彩が落ちる真夜中。
 人魚岩と呼ばれる小さな岩場から穏やかな歌が響いてくることがある。それは星の灯りに誘われて海の底から訪れた人魚姫の歌聲。夜空を織り込んだような黒髪を海風に揺らし、人魚は星を振り仰ぎながら唄う。
 その歌はこの世の物とは思えない程に美しく、聴く者を魅了するという。

 そんな噂を信じて、人魚の姿を目にしてみたいと深夜の海に訪れた少年がいた。こっそりと家を抜け出してきた彼は浜辺を歩きながら海に映る星を見つめる。
「人魚姫かあ……きっと歌も姿もすっごくキレイなんだろうなあ」
 こんなに星が綺麗なのだから、今夜は絶対に人魚が現れるはずだ。好奇心と期待に胸をときめかせた少年は我慢しきれずに砂浜を駆けていく。
「もう少しで人魚岩だ! 歌は聴こえないけど、待ってればきっと……あれ?」
 もうすぐ目的地に着こうという時、少年は前方に人影を見つけた。それは人魚ではなく魔女のような姿をしている。誰だろう、と思う暇も無くその人影――魔女アウゲイアスは少年に魔鍵を突き刺した。
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『興味』にとても興味があります」
 興味を読み取った魔女は彼の胸から鍵を引き抜き、何処かへ去ってゆく。
 海辺に取り残された少年は意識を失い、その傍らには彼が想像した通りの黒髪の人魚が現れた。その正体は興味から具現化した新たなドリームイーターだ。
 そして、人魚姫はくすりと笑うと海の中へと身を投じた。ぱしゃりと響いた音と共に空中に散った水飛沫は星を映し、きらきらと光りながら弾けた。
 
●海辺の誘い
 或る少年が人魚姫の噂に惹かれ、その興味を魔女に奪われてしまった。
 件の噂とドリームイーターが起こした事件のあらましを語り、バレンタイン・バレット(けなげ・e00669)は長い耳を揺らす。
「フム。これもパッチワークの魔女ってやつのしわざなんだなあ」
 具現化した夢喰いは人魚のような姿をしているが、それも化け物のうちのひとつに過ぎない。このまま敵を放っておくと昼間に訪れる海水浴客が襲われることになるだろう。ヘリオライダーから聞いた情報を語り、バレンタインは皆に協力を願う。
「誰かがおそわれるのはタイヘンだ。やっつけにいかなくちゃな」
 そうして、仲間達を見つめたバレンタインはぐっと拳を握って気合いを入れた。
 今回、戦場となるは夜の海辺だ。
 相手は一体だが、人魚らしく海中に潜ってしまっているらしい。流石のケルベロスも何処とも知れない海の底までは向かえない為、まずは誘き寄せを行わなければならない。
「人魚はウワサが聞こえると出てくるみたいだぞう。水の近くでその人魚のはなしをしていればいいらしいぜ」
 そうすれば敵は現れる。人魚は水辺から出て来ようとしないので自ずと此方も浅瀬に足を浸けた状態になるが、いつもと同じように戦えるだろう。
 人魚は水に纏わる攻撃を行ってくるうえに回比率が高い。
 勝利するにはどのように攻撃を当てるかを考えて戦う必要がある。しかし、皆で協力しあえば勝てない相手ではないはず。がんばろうぜ、と明るく笑ったバレンタインは其処で説明を終える。
 すると話を聞いていた遊星・ダイチ(戰医・en0062)が提案を投げ掛けた。
「そうだ、折角だから夜の海で遊んでいかないか? 今夜は星も綺麗らしいからな」
「おお、俺もダイチと同じことをおもっていたのさ。それに夢喰いとは海でやりあうのだから戦うときも水着のほうが楽かもしれないぞう」
 バレンタインは頷き、実は、と取り出した蒲公英色をしたウサギ型の浮き輪を腰に装備してみせた。つまり後の準備も万端ということだ。
「ならば決まりだな。大人のひとりとして皆の安全は守るから安心してくれ」
 穏やかに双眸を細めたダイチは珍しく成人男性としての主張をする。そして、笑みを交わし合ったダイチとバレンタインは仲間達に向き直った。
「それじゃあ、いこうぜ。人魚のフリをしたニセモノをやっつけるために!」
 バレンタインは腕を振りあげ、えいえいおーと意気込む。
 彼の耳が元気よくぴんと立つ動きに合わせ、装備されたままのウサギ浮き輪の耳もぴこぴこと愛らしく揺れていた。
 誰が何に興味を持つか、好奇心を何処に向けるかは自由。しかし、それを奪って夢喰いにしてしまうなんてことは許せるはずがない。意識を奪われた少年を助ける為に、ひいては星が煌めく夜の海を楽しむ為に――さあ、いこう。


参加者
バレンタイン・バレット(けなげ・e00669)
真柴・隼(アッパーチューン・e01296)
ジョゼ・エモニエ(月暈・e03878)
海野・元隆(海刀・e04312)
テトラ・カルテット(碧いあめだま・e17772)
シレン・エアロカーム(風と共に生きる・e21946)
真神・小鞠(ウェアライダーの鹵獲術士・e26887)

■リプレイ

●人魚の誘い
 海辺は静謐に、寄せては返す波の音だけが砂浜に響く。
 星が煌めく夜空の下、ちいさな光を映し出した水面はゆらゆらと揺れた。
「なんてキレイな海だろう」
 バレンタイン・バレット(けなげ・e00669)は星が映る海を眺め、思わず感嘆の声を落とす。綺麗だと思うと同時にこの海を夢喰いなんかに渡しちゃあおけない、と確かな決意が巡ってゆく。
 そうだねー、と明るい調子で答えたテトラ・カルテット(碧いあめだま・e17772)は周囲を見渡し、殺界を形成していく。
「誰かいないかなー? 夜の浜辺でイチャついてる不届きもの共とか!」
「どうやら誰もいないようだな」
 シレン・エアロカーム(風と共に生きる・e21946)も同じく殺界を広げたが、周りには人っ子一人見当たらない。シレンが合羽を閉じ、覆面を付け闇に潜む最中で他の仲間達は人魚を引き寄せる為の噂話を始めていく。
 まず海野・元隆(海刀・e04312)は、海の話なら任せろと胸を張った。
「俺も一つ心当たりがある。昔の話だ、あれは俺がまだ海賊もどきの傭兵団にいた頃だ。ある夜、不思議な歌声が聞こえてきてな」
 気になった見張りが見に行くと水面からそれはそれは美しい女が顔を出していたという。すると、元隆の話を聞いたイルルヤンカシュ・ロンヴァルディア(白金の蛇・e24537)が深く頷く。
「私も聞いた事があるなぁ。船を沈めるっていうあの話」
 イルルヤンカシュが語る最中、ウイングキャットのオニクシアはいつ敵が現れても良いように周囲を警戒していた。同じく翼猫のレーヴとテレビウムの地デジも一緒になって海辺をじっと見つめている。
 真柴・隼(アッパーチューン・e01296)は相棒達が見張ってくれていることに感心しながら、隣のジョゼ・エモニエ(月暈・e03878)に笑顔を向ける。
「童話の中だけの存在だと思ってた。かの人魚姫に相見出来るなんて感激だなァ」
 少し前に丁度ジョゼと人魚の話をしていた事を思い出し、隼は胸を高鳴らせる。ちなみに彼は既にパーカーとサーフパンツを着用しており、色んなやる気でいっぱいだ。
「所詮紛い物の人魚でしょ」
 対して、ジョゼはそっぽを向いて突っ撥ねる。しかし、彼女も内心では人魚の到来を楽しみにしている。幼い頃から繰り返し読んだ童話の主人公。今夜に現れるのはそれそのものではないが、本当にあの岩に座して美しい声で唄うのかと気になってしまう。
 真神・小鞠(ウェアライダーの鹵獲術士・e26887)も興味津々に海を見つめた。
「ここが人魚に逢える海岸なんだね。小鞠、一度逢ってみたかったんだよね。人魚ってどんな格好してるのかなぁ?」
「俺の想像上だと貝殻の……いや、何でもない」
 少女の好奇心に満ちた眼差しが向けられる中、遊星・ダイチ(戰医・en0062)は言い掛けた言葉を引っ込める。
 そのとき、何かの音を拾ったバレンタインの耳がぴいんと高く伸ばされた。
「みんな、何か歌がきこえてこないかい。これが人魚の歌ってヤツ?」
 少年の言葉に皆が身構え、海を見据える。
 其処には歌を紡ぎあげる人魚の影が現れていた。揺らめく歌は波の音に交じって不可思議な音色となり、夜の海辺に響き渡ってゆく。

●夜の海
 敵が現れたことを契機にケルベロス達は浅瀬へと駆けた。
 不思議な魔力によって海に浮かぶ人魚は妖しく笑み、此方に指先を向ける。
「おぉ~やっぱり想像通りの美女!」
 隼は目を輝かせながらも、人の夢想が具現化された存在だから綺麗じゃない筈はないと独り言ちた。地デジを伴った隼が水飛沫をあげて駆けて行く中、元隆はしかと身構える。
 二人が敵を穿つ前に漣の波動が巻き起こされると察知した元隆は、狙われたテトラを庇って立ち塞がった。その間に隼達が斬撃を放ち、いくぞう、と気合いを入れたバレンタインが流星めいた蹴りを敵に見舞う。
 しかし、それらは敵の高い回避率によって躱されてしまった。それでも仲間達は諦めずに立ち向かう事を心に決める。
 テトラは自分を護ってくれた仲間に礼を告げ、自信満々に宣言した。
「ふっふーん! 人魚なんかよりもあたしの方が綺麗で可愛くて希少だもんね!」
 魔法の木の葉を纏わせたテトラが力を溜める最中、シレンも持てる力すべてを振り絞ってハンマーを振りあげる。
「夢を持つ少年の心を奪うとは……許しておけぬ。覚悟いたせ!」
 加速した槌を振るったシレンに続き、ビハインドのコーパァが攻撃に移った。動きを鈍らせていくことが重要だと考えるシレンは次なる一手に向けて構える。
「手強そうだけど負けたりしないわ」
 ジョゼは光輝く粒子を発現させ、仲間の力を高めてゆく。
 その援護を受けたイルルヤンカシュはジョゼに礼を告げ、自らも敵の攻撃を受け止め、肩代わりすることを心に誓う。
 そして、攻撃の機を得たイルルヤンカシュは竜槌を砲撃形態に変化させた。ひといきに解き放たれた竜砲弾に合わせ、オニクシアが清浄の翼を広げる。
 小鞠も真剣な瞳を敵に向け、相手は悪い人魚なのだと認識した。
「人魚が悪いことする前に、やっつけないと」
 水場を蹴って跳躍した小鞠は空中で回転を入れ、まるで星が落ちていくような蹴撃を敵に見舞った。しかし、人魚も更なる攻撃を行ってくる。
 人魚が手をかざすと、流星めいた煌めきがバレンタインに目掛けて降って来た。
「わあ、キレイだけど危ないぞう」
「任せておけ。今の内に行けるか?」
 すかさず元隆がその一撃を受け止め、目配せを送る。ああ、と頷いたバレンタインがブラックスライムを捕食モードに変形させて敵を穿った。更に痛みに耐えた元隆が蹴りを叩き込み、敵の足止めを行う。
 攻撃は当たり辛いが、地道な積み重ねが功を奏するはず。
「先生、お願いするわね」
 ジョゼがレーヴに呼び掛ければ、広げられた翼から仲間達への加護が広がる。ジョゼ自身も援護に入り、皆の背を確りと支えていった。其処へテトラによる紙兵が散布されていき、強化はより強い物に変わってゆく。
「いでよ美少女親衛隊! みんな紙なのはご愛敬! 番犬として正義の味方として、そして何より美少女として! いっくよーっ!」
 元気の良いテトラの声は夜の海に響き渡り、仲間を鼓舞していった。
 隼はその威勢の良さにふっと笑みを浮かべ、ジョゼ達の援護に感謝の念を送った。地デジがぶんぶんと工具を振り回して敵に殴りかかって行く中、隼は気咬弾を撃ち放って敵の力を削った。
「当たり辛かったのが良い感じになってきたな」
「うむ、このままの調子で行こう」
 隼が頷くと、補助と攻撃をこなすダイチも戦いを見据える。
 元隆とバレンタインも強く踏み出し、左右から敵を挟撃することでそれぞれの一撃を見舞った。敵が僅かに揺らいだ隙を見出し、小鞠もぐっと拳を握る。
「小鞠必殺、肉球ぱんち!」
 そういって繰り出されたのは肉球が出るわけでも必殺なわけでもなかったが、かなりの気合いが入った強力なビンタだ。更にシレンが居合斬りで切り込む。
 人魚は衝撃によろめいたが、海の歌を紡いでジョゼを惑わせようと狙った。
 だが、即座に動いたイルルヤンカシュが歌をその身に浮ける。
「私は盾。そうそう簡単に貫けると思わないことだ!」
 凛と言い放ったイルルヤンカシュは心が揺らがされるような感覚を振り払うべく、己の内に秘める真なる正義の心をオーラとして展開した。
 誇りを胸に掲げ、すべては心のままただ往くのみ。強い心と共に催眠を祓ったイルルヤンカシュは真っ直ぐに敵を見据えていた。
 打ち寄せる波の音は深く、深く――真夜中の海辺に響き渡っていく。

●泡沫の最期
 波の飛沫と戦いによって起こる水飛沫が弾け、星を映しながら舞い飛ぶ。
 足止めや捕縛を重ねることによって敵の動きは鈍くなり、当たり辛かった攻撃も徐々に有効になってきた。敵からの攻撃はイルルヤンカシュとオニクシア、元隆やコーパァが庇うことで衝撃を分散させている。彼女達の癒しはジョゼが担い、補助を終えたテトラは他の仲間に合わせて攻撃に移っていく。
「あたしがいるから大丈夫っ! 見惚れちゃってもいいのじゃよん☆」
 軽い調子で猫の如くぴょんぴょんと駆けたテトラは、その身軽さで以て敵を翻弄するように動いていった。月光めいた斬撃で斬り込んでいくテトラ。其処に続いたシレンは幾度目かの竜槌撃を振るう。
「容赦はせぬ。覚悟すると良い!」
 シレンは女性と思えぬ怪力でハンマーを振り回し、衝撃すら厭わぬ勢いで人魚を殴り抜いていった。
 小鞠も懸命に立ち回り、縛霊の一撃で敵の動きを封じる。
 元隆は攻撃の機をしかと掴み、絶空の斬撃で敵の不利を増やしていく。しかしそのとき、元隆は人魚が仲間に近付こうとしている動きを察知した。
「おっと、気を付けろ。来るぞ」
 人魚は物凄い速さでバレンタインに近付いたかと思うと、漣波を起こしながら腕を伸ばした。その手が自分の耳を掴もうとしていることに気付いたバレンタインは後ろに反る形で身を翻し、くるりとバック転をする。
「耳にさわろうとするなんて! 掴まれたらすごく痛いんだぞう」
 バレンタインは若干危機を感じた様子だったが、漣も人魚の動きも見事に避けた。そして、反撃として銃口を差し向けた彼は一気に炎の魔弾を打ち込む。
 夜の海を照らすように焔が迸り、眩い衝撃が散った。
 彼のウサギそのものの動きにひゅう、と称賛の口笛を吹いた隼は人魚が弱り始めていると判断する。そして、隼はジョゼに一緒に畳み掛けようと呼び掛けた。仕方ないわねと頷いたジョゼは人魚を改めて見据え、溜息を零す。
「嗚呼、やっぱり紛い物ね」
 だって――アタシが識ってる人魚姫は最期まで決してヒトを傷付けなかったもの。そういって魔力を紡ぐジョゼに続き、隼はチェーンソー剣の駆動音を響かせる。
「あれは人間の想像が形作った海のお姫様だ。物語のように泡沫となり消え逝く散り際は大層美しいんだろうね」
 隼が言い放った刹那、ジョゼが悍ましき小妖精の群れを解き放つ。人魚の血を求めて群がった饑き妖精達が残した傷跡を狙い、隼は刃を全力で振り下ろす。
 更に地デジが光を放ち、レーヴが尻尾の環を飛ばして主人達に続いた。
 その様子を眺めたイルルヤンカシュは口の端を緩め、にやりと笑う。そうして、オニクシアを呼んだイルルヤンカシュは轟竜砲を放った。
「そぉら、逃げろ。逃げろ。追い込んで一気に叩いてあげる!」
 翼猫は一瞬だけ主人に鬱陶しそうな視線を向けたが、続いた引っ掻きは的確に敵の肉を切り裂いてゆく。
 おそらく敵の力もあと僅か。
 元隆は指を鳴らし、自らの魔力によって舟幽霊を具現化させた。
「ほらよ、連れて行け」
 海に誘う女は人魚を掴み、海へと引き摺り込もうとする。されど人魚も抵抗を行い、漣で元隆の力を相殺した。するとテトラが今こそ自分の出番だと飛び出す。
「今一たび、永久に封ず氷鎖の大樹となりて!」
 テトラは敵に掌打を与え、打ち付けた場所に黄金に輝く樹を植え付けた。莫大な呪を齎したエネルギーが光り輝き、海を明るく照らす。
「終わりにしようぜ。ニセモノはおはなしのなかに帰るんだ」
 高く跳んだバレンタインが蹴りを放ち、其処にシレンが合わせて駆けた。シレンは皆でトドメを狙うべきだと感じ、腰に差した剣の柄に触れる。
「その身に纏う水諸共――斬る!」
 居合いの一閃には彼女の全身の筋肉の力が込められ、一刀両断を狙った斬撃は水ごと人魚を切り裂いた。皆が繋いでくれた好機を察し、小鞠は人魚に最後の一撃をくらわせる為に戦場を駆け抜けていく。
「にせもの人魚さんはさよならの時間だよ!」
 容赦なく振るわれた肉球パンチはただ真っ直ぐに、終わりを求めて勢いを増す。
 小鞠の全力が振り下ろされた次の瞬間――人魚は戦う力をすべて失い、その場に伏してゆく。そして、人魚はまるで海の中に溶け消えていくかのように崩れ落ち、幽かな泡となって消失した。

●星と月の海に謡う
 幻の人魚は消え去り、夜の海は元通りの平穏が訪れた。
 海岸で倒れていた少年が目を覚ました気配を感じ取り、バレンタインと隼は笑みを交わしあった。小鞠もほっと胸を撫で下ろし、自分達の勝利を喜ぶ。
「男の子もこれで元通りだよね、良かったー」
「少年の様子も見て来なければいけないな」
 シレンは用意していた大きなおにぎりを手にして少年の元へと向かった。あまり大勢で行っても驚かせるだけであり、後の事はシレンに任せれば良いと判断した仲間達は信頼を込めて見送る。
 イルルヤンカシュはオニクシアを連れ、少し離れた場所で釣りを始めた。
「折角だしね。この猫の食費も馬鹿にならないんだよねぇ……」
 早速釣れた魚にかぶりつくオニクシアを見遣り、イルルヤンカシュは溜息を零す。しかし、その声は不思議と穏やかなものだった。
 その頃、テトラは浜辺で花火とバケツのセットを広げていた。
「やはー! みんなでやろうよ!」
 夜の浜辺にうってつけ、とテトラが手渡す花火を受け取った小鞠は夜ならではの遊びに瞳を輝かせる。星がキラキラと光る中でパチパチと弾ける花火は更なる光を作り出し、海辺を煌めかせていた。
 やがて、楽しくなって来た小鞠は水着姿になって海辺へと駆け出す。泳ぐ最中に動物変身をした少女は狼なのだが、どうみても可愛い子犬にしか見えなかった。
 そんな仲間達の姿を眺め、ダイチは微笑ましそうに双眸を細める。元隆も花火の始末をしながら月が映る海を瞳に映した。
「太陽の下とは一味違うがこれもなかなかいいもんだ」
「ああ、星が出ているだけで随分と雰囲気も変わるな」
「それに月も良い。月見酒でも楽しむとするかな。今日の夜はなかなか星も綺麗だし、いい酒が飲めそうだ」
「俺も付き合おう。下戸ゆえに酒は飲めないんだが、気分だけでもな」
 ダイチと頷きあった元隆は盃を取り出して空を眺めた。そうして、二人は大人の時間を楽しんでいく。
 皆が海辺で思い思いに過ごす中、隼は葛藤していた。
「俺も元隆さんとダイチさんを見習って大人の一人として皆の安全を……」
「無理はするな。ちゃんと見てるから安心して遊んできてくれや」
「俺の事は呼び捨てで良いぜ。安全に関しては俺が元隆に任せてくれればいい。それに、彼女の所へ行きたいんだろう?」
 隼がうずうずしている様に気付いた元隆は薄く笑み、ダイチは波打際にひとりで佇むジョゼを示す。あざっす、と笑顔を返した隼は上機嫌で駆けていったが、そのテンションは急速に下がることとなった。
「ジョゼちゃんとデート! え、水着じゃないの? あ~そう……」
「デートじゃない。水着なんて持ってないし。それに海は綺麗で――少し怖いわね」
 隼を鼻先であしらいながら歩きだしたジョゼは、本当は夜の海に入るのが怖いだけだと本心をひた隠す。そんな彼女の心に気付いたのか気付いていないのか、隼はジョゼに海の水が塩辛い事を教え、拾った貝殻を手渡す。
「これ、耳に当てると海の音するっていうよね」
「……よく判らないわ」
 ジョゼは金の睫毛を伏せて貝殻に耳を寄せ、不思議そうな顔をした。でも、とても静かで不思議と落ち着く。まるで貝の中に別の世界があるような――。
 その横顔があまりにも綺麗だと感じた隼は、人魚姫なんか目じゃないなァ、と小さく嘯く。それを聞いたジョゼは、ばっかじゃないの、といつも通りの反応を返した。
 何時もの軽口だと聞き流して踵を返したジョゼの後を隼が追いかける。
「待ってよ、ジョゼちゃん」
「もう、知らない」
 ふい、と視線を逸らして知らぬふりをしたジョゼだったが、その胸には隼が寄越した白の巻貝が確りと抱かれていた。
 浅瀬を歩けば、煌めく星が水面に揺れる。
「キレイな海だろう、星が水面にゆれていてさ」
「ええ、そらもうみも、どこまでもつながっていますもの!」
 まるでその光景は星空が落ちて来たかのようで、空と海の境がわからなくなってしまう程の景色。おいでよ、と手を差し伸べたバレンタインの手に、少しだけはにかんだいづなの手が重なる。
「せっかくだから中にはいろうぜ! おれ、いいウキワをもっているんだ」
「はい、ばーにぃさま」
 はぐれないようにと繋いだ手は海月のような君へ。
 ぷかぷか浮き輪もふたりで掴まってはんぶんこ。こうして水面に漂っていると、夜空を旅している気分だとバレンタインは笑う。
 いづなも空と海が交わる景色を眺め、人魚を想った。
「このうみに、にんぎょひめはきっとほんとうにいるのですね」
 だって――ゆめは、しんずるものには、いつだってほんとうなのですから。
 そうして微笑むいづなはバレンタインの隣で、彼にだけ聴こえる歌を口遊ぶ。流れる淡い旋律に耳を傾けた少年は双眸をゆるやかに細めた。
「この海に人魚がいたとしても、こんなにしあわせな歌は歌えないだろうな」
 以前、水槽が作り出す蒼の世界で聞いた歌を思い出したバレンタインは傍らの少女の横顔を見つめる。妹のような君の、その歌声が好きだ。聴いていると心が落ち着いて、守りたいのに守られているような気持ちになる。
 海辺にちいさく響く唄を聞くバレンタインの耳が心地好さそうに揺れていることに気付き、ふわりと笑んだいづなはそうっと願った。
 ――いつか、あなたのゆめが、かないますよう。
 ふわふわ浮かぶ星明かりの波間で、やさしい想いが静かに揺れていた。

作者:犬塚ひなこ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年8月24日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 2
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