帰憶海路

作者:犬塚ひなこ

●海霧
 幽世から現世へ。
 深い深い霧が掛かる晩に、海の彼方から彼の人が還って来る。
 彼の人とはこの世を去った人々のこと。現世の者が再び逢いたいと強く願ったとき、死者は霧の中から現れる。そして、彼或いは彼女は呼び出した者に問い掛ける。
『――いっしょに、いこう?』

 撮影機材を抱えた青年は静々とナレーションを読み上げ、息を吐く。
 レンズ越しに見据えるのは夜の海。月すら見えない真夜中、彼は巷でひそやかに広まっている『海から帰る死者の噂』を確かめに訪れていた。
「本当に幽世から死者が訪れるのか。現れるのならば、どういった形で……」
 噂通りに霧が掛かる海辺。周囲には青年以外は誰も居ないことから、彼はカメラマン兼レポーターを務めているのだろう。ドキュメンタリーさながらの台詞は続く。
「そして今、噂の真相が明かされる時が近付いている!」
 そんなときにふと、青年は呟きを零す。
「もし僕の逢いたい奴が……妹が現れるとしたら……」
 予定していなかった台詞を喋ってしまったことに一瞬は慌てたが、彼は気を取り直して撮影機を回し続けた。海を覆う霧は深くカメラの焦点が上手く合わない。調整を行おうとした青年が顔をあげた、そのときだった。
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『興味』にとても興味があります」
 其処に現れ、彼の胸を鍵で貫いたのはパッチワークの魔女のひとり。
 その心を覗き、魔鍵を引き抜いた魔女アウゲイアスは静かな言葉を口にした後、踵を返して去って行く。
 昏い海辺に残された青年は倒れ伏し、その傍らには黒い靄のような物で構成された人影が現れた。漆黒の人影はまるで物語に出てくるようなゴーストそのもの。おそらく、その姿は青年が思い描いていた噂の形なのだろう。
 そして影は老若男女、誰のものともつかない不可思議な声で呟いた。
「……イッショ、ニ……逝コウ……」
 
●記憶
 ――海霧の向こうから、死者が還ってくる。
「それがね、帰憶海路と書いて、きおくかいろって読む噂の話だよ」
 野々宮・イチカ(ギミカルハート・e13344)は或る海辺の街でまことしやかに流れている、海から還る死者の噂について語った。イチカは続けて、その噂に興味を持つ青年の心が奪われて怪物化してしまったと話す。
「噂の真偽はともかく、このまま放っておくとドリームイーターが人を襲うみたい。だからね、はやく海辺に行って倒してこないと!」
 ヘリオライダーから伝え聞いた情報を語り、イチカは仲間達に協力を請う。お願い、と告げてきりりと引き締めたその表情には真剣さが宿っていた。
 時刻は真夜中。
 具現化した黒い靄めいた人影は海辺を彷徨っている。興味を奪われた青年は砂浜で意識を失っており、夢喰いを倒すまで目を覚まさないという。
「んっとねえ、浜辺は広いから闇雲にさがしても敵は見つからないよ。でも、自分の事を信じていたり噂している人が居るとそっちに引き寄せられる性質があるんだって」
 今回の場合は『海から帰る死者の噂』や、『自分が逢いたい死者』についての話をしている人物の方を察知して近付いて来るということ。
 何を話そうかと考えながら、イチカは敵の能力について付け加えていく。
 相手は一体だが、その力は油断できない。
 特に心的外傷を与える攻撃は強力だ。その他にも敵は動きを制する攻撃を多用するので、気を抜いてはいられない。
 気を付けて、と語ったイチカはふと口許に手をあてて噂について考え込む。
 そうして、ほんの少しだけ俯いた。
「もしも、逢いたくて逢いたくて、どうしようもなかった人にいっしょにいこうって誘われたら……、……みんなはどうする?」
 死という別れを経て尚、記憶回路に刻まれている大切なひと。
 それは過ぎた光。夢の中だけでなら、また逢えるひと。面影も、声も、自分を見つめる瞳もそっくりそのままだとしたら。
「わたしはどうかな。なんて答えるかなんて、いまは分からないけど」
 イチカは緩く頭を振り、いまの問い掛けの答えは求めないと仲間達に告げる。
 そして、顔をあげたイチカは皆に銀の双眸を向けた。
「だいじょうぶ。……全部、幻想でまぼろしだから。それじゃ、いこ!」
 幽かな不安を振り払った少女は戦いへの思いを強める。今すべきことはケルベロスとして、悪しき存在を葬ること。ただひとつだけだから。


参加者
幸・鳳琴(黄龍拳・e00039)
カロン・カロン(フォーリング・e00628)
ネロ・ダハーカ(マグメルの柩・e00662)
平坂・サヤ(こととい・e01301)
エリオット・シャルトリュー(イカロス・e01740)
リタ・トロイメライ(夢見るトリックスター・e05151)
野々宮・イチカ(ギミカルハート・e13344)
エルピス・メリィメロウ(がうがう・e16084)

■リプレイ

●海路の彼方
 死者が海から帰ってくるなら。もしあのひとにまた会えるなら。
 それは、喪失の悲しみを知る者ならば一度は思い描く夢物語。でも、どんなに想ってもそんなことが起こるはずがない。
 ――だって夢は、夢だから。
 何処か憂いを帯びた表情で野々宮・イチカ(ギミカルハート・e13344)は漆黒の海を見つめた。ランタンの燈がその横顔を照らす様をちらと見遣り、平坂・サヤ(こととい・e01301)は、はじめましょうか、と皆に呼び掛ける。
 まあるい輪になり、仲間達は互いの声が聞こえる距離に近付いた。カロン・カロン(フォーリング・e00628)は自分の話は聞いてもあまり面白くないと告げ、皆の話を促すように視線を巡らせた。
 そして、ネロ・ダハーカ(マグメルの柩・e00662)は昏い夜空を瞳に映す。
「海から還る死者、か。ほんとうに死者が還って来るのなら、……逢えるのなら」
 ネロはね、叱ってほしいひとが居るんだ。
 そんな語り口で彼女が話し始めたのはたったひとりの家族だった婆様のこと。血の繋がりこそないけれど、師匠として家族として、ネロをつくってくれたひと。
 紡がれる話に耳を傾け、エリオット・シャルトリュー(イカロス・e01740)も敵を誘い出す為の話を口にしていく。
「俺が会いたいのは死んだ弟、だな。もし会えるんなら、会って謝りたい」
 そして、今でもずっと後悔していることを伝えたい。
 弟の姿を思い返したエリオットがひそかに拳を握り締める中、エルピス・メリィメロウ(がうがう・e16084)は誇らしげに、敢えて明るく話していく。
「ワタシはお父様とお母様に会いたいの。あのね、本当はね、もういなくて……でもすごく立派なケルベロスだったのよ!」
 そう語ったエルピスは、二人は自慢なのだと大きく胸を張った。すると幸・鳳琴(黄龍拳・e00039)も自分が逢いたいのは両親だと頷く。
「もしもですね。……父様や母様にまた、会えるとしたなら……」
 思いは逸るが、件の噂は本物ではない。全てはまやかしなのだと自分を律した鳳琴は首を横に振る。
「帰憶海路……一緒にいったらどーなるのか、気になる~」
 そんな中でリタ・トロイメライ(夢見るトリックスター・e05151)は軽い調子で海と仲間を交互に見遣った。自分は行かないから、と話したリタは誰か行って確かめて来て欲しいと冗談めかす。すると、カロンが神妙な表情を浮かべた。
「死者の国が海の向こうに存在すると言う話は世界中にあるそうよ。そういうところから、戻ってくるのかしら」
「海はさかいめですからねえ」
 カロンの言葉を聞き、サヤはそっと紡いでゆく。
 ここではないどこか。近くて遠い、常世の国。こんなに靄が出てさかいめがあいまいになる日にはもういないひとが帰ってきたっておかしくない。
 逢えない人は遠きに在りて想うもの。
(「でも、誘われたら絶対に手を取らないという自信はないかも」)
 にゃあん、と鳴いてその先を考えることを誤魔化したカロンは俯いた。イチカは友人達の思いを感じ取りながら、ぽつりと零す。
「……お姉ちゃん」
 イチカが心をくれた大切なひとを想った刹那。
 海辺から靄めいた物体が姿を現し、途端に周囲の空気が張り詰めた。
「どうやら御出ましのようだ」
「がうがう!」
 ネロが踏み出して皆の前に立ち塞がり、エルピスが尾を逆立てる勢いで威嚇する。同時にエリオットと鳳琴も身構え、敵の動きに備えた。
 そのとき、様々な音が重なりあった不可思議な声が辺りに響き渡る。
『――イッショニ逝コウ』
 その呼び掛けの中に、其々が心に思い描いていた大切な人の声が混ざっていた気がした。だが、おそらく幻聴であり惑いに過ぎない。
 揺るがぬ心を持ち続けようと決め、仲間達は夢喰いを見据えた。

●遠い記憶
 靄の化け物が揺らめき、幻を呼び起こす一閃を解き放つ。
 その矛先がサヤに向けられたことを察したカロンが、来るわ、と呼び掛けた。その声に素早く反応したネロは地を蹴り、鋭い衝撃を受け止める。
 そのとき、ネロは思わず目を見開いてしまう。
「君は……いや、おまえは……」
 自分だけに見える存在を認知したネロは顔を歪め、ばかな子だ、と絞り出すように囁く。幸せで無邪気で、幼いが故の愚かさ。微笑みすら今は心を締め付ける。
 抗うように唇を噛み締めたネロの心配を抱きながら、エリオットは地獄の炎を纏い、刃を敵へと振り下ろした。
「たとえ死んだ人に会えてもそいつは所詮幻だ、本物じゃない」
 頭では分かってはいるが、いざ目の前に現れたとしたら冷静ではいられない。トラウマに苦しめられている仲間も、噂に誘われた青年も、誰が責めることができようか。
「嫌な展開になる前にやっちゃおうか」
「分かったわ、了解なのよ」
 リタが敵を縛る為にブラックスライムを放ち、その言葉に頷いたエルピスが鎌を回転させながら投げつける。続いたイチカも鋼鬼の一閃で夢喰いを穿った。
 そんなとき、ふとイチカの脳裏に或る考えが過ぎる。
 もしかしたら夢の中で掴めなかった手も、お姉ちゃんの迎えも待たなくていいのかもしれない。幻だと解っていても、それが自分の望んだことなら――。
 その意識が思考に傾きそうだったとき、鳳琴がしかと呼び掛けた。
「まぼろしなんです。心を強く持ち、……砕きましょう」
 鳳琴は自分にも言い聞かせているかのような言葉をかけ、精神を極限まで集中させる。はっとしたイチカが我にかえったのと同じタイミングで爆発が起こり、激しい爆風が辺りを包み込んだ。
 視界が曇ったが、それは好機でもある。
 すかさずサヤが気力を紡いでネロの心的外傷を癒した。カロンは鋭く尖らせた獣爪で煙を切り裂きながら駆け、敵の目の前で跳躍する。そのまま電光石火の蹴りを見舞ったカロンは、敵の動きを再び察知した。
「また来る気配がするわねぇ。気を付けて!」
 刹那、敵が放った幻はエルピスに向けられる。すぐにエリオットが庇おうと動いたが、夢喰いの動きの方が疾い。
 次の瞬間、衝撃をまともに受けたエルピスが俯いた。
「だめ、行かないで。嘘じゃないの。嘘だった、けど嘘じゃなくて、それは……」
 嘘吐き狼の娘は纏わりつく残像を振り払うようにぶんぶんと首を振った。だが、それはエルピスにしか視えず、感じられない。
 その間にも敵は此方をトラウマに陥れようと狙い続ける。攻撃が分散しているが故にこちらがすぐに倒される懸念は少ないが、厄介な力だ。ネロは消えた幻を思い出さぬよう掌を握り、エルピスに癒しの力を向けていく。
 そして、次に心傷攻撃を受けたのはサヤだった。
 裡に過るのは罪悪感。そして、羨望。
「サヤはサヤですがひらさかですから、そちらに行ってみたいとは、思っているのですよ。ねえ、いまならつながります?」
 己だけに視える無数の誰か――彼女達に語りかけるように首を傾げるサヤ。しかしすぐに、冗談ですよう、と平坦な聲を紡いだサヤは自らの闇を癒しで祓った。
 続く攻防は順調だ。エリオットとネロが仲間を庇い、リタが血刃で以て靄の怪人を鋭く切り裂いていった。
 しかし、幻は次々と迸る。
「これは……あの時の、あの戦場の……」
 カロンは一瞬だけ聞こえた声に眩みそうになりながらも耐えた。石榴のように爆ぜた顔、冷たい体。今も夢に見る過去。確か彼は、自分が逢いたい人――弟分は確か今のイチカと同じ位の歳だった。少女に弟分を重ねたカロンは砂を踏み締めた。
「だいじょうぶ?」
「ふふ、私は大丈夫」
 視線に気付いたイチカが振り返ると、カロンは凛と振舞う。
 其処から更に戦いは続き、鳳琴までもが敵に惑わされそうになっていた。鳳琴は受けた痛みに耐えながら、目の前に手を伸ばし、誘われたかのように踏み出す。
「父様と、一緒……。いや、惑わされないっ。私も今はケルベロスだ。大事な仲間がいるから……そっちにはいかない!」
 一瞬は戸惑いの表情を浮かべた鳳琴だったが、先程の自分の言葉を思い返した。刹那、踏み込んだ真の敵へと踏み込んだ彼女は降魔の一撃を喰らわせた。
 幻などに負けるものか。
 抱いた思いは戒めの如く、然りとて決意として巡っていく。

●追憶は深く
 戦いは激しく、心が揺り動かされるような衝動が胸を衝く。
 心が揺らぎそうになりながらもエルピスは全力を揮い続け、鳳琴も攻撃を止めまいと力を発揮していく。その中で、仲間を庇って何度もトラウマに侵されたエリオットは顔をくしゃりと歪めて耐えた。何かに責め立てられているような彼は奥歯を噛み締めて堪え続け、そして――ひとつの答えを出す。
「……わりぃ。兄ちゃんは、まだそっちには行けねぇよ」
 綯交ぜになった後悔も、幻想の寂しさも、全て吹き飛ばす為に。エリオットは黒白の翼を大きく広げ、炎を足に集めて地を蹴った。地獄の炎で出来た碧色に光る大鷹が宙を舞い、羽搏きによる癒しと加護が仲間達を包み込む。
「回復、手伝うぜ」
 エリオットが不敵に笑むと、ネロは気丈かつ淡い微笑みを返した。
 惑わされてなどいられない。援護に回る護り手達に頼もしさを感じ、リタは敵の背後に回り込んだ。疾風の如く蹴りを放ったリタだったが、振り返った夢喰いはリタを惑わそうと幻を見せてきた。
「――……いや! あんな電話、っ出ナイから!」
 自分の耳元でだけ鳴るけたたましいベルから逃れたいのか、リタは耳を塞ぐ。だが、もう結末は知っている。それにちゃんと解っていた。
「……たぶんね、言わねーと思う。いっしょにいこう、なんて、あの人は言わナイ」
 アタシに会いになんか来ない。だからそれはニセモノで、ウソ。いつもより静かに笑い、囁いたリタは顔をあげた。
 彼女はもう大丈夫だと察したサヤは攻勢に移るべきだと感じる。
「そろそろ、おわらせましょーねえ」
 弱り始めた敵に向け、サヤは死の可能性を集約してゆく。常世の境目、境界に佇む者として放った因果は絡まり、夢喰いの力を大きく削り取った。
 エルピスもサヤに続こうと決め、狼耳をぴんと立てる。先程見せられた幻は未だ心に棘を残していた。でも、今回はお友達がいっぱいだから平気なはず。
「いくのよ、わおーん!」
 高く吠えたエルピスの力は衝撃となり、構えたネロも魔力を編み上げ解放する。
「寂しくはない。そんなものは、幻想だ。それでも――」
 自分だけに解る言の葉を紡いだネロはしかと敵を見据えている。そして、鳳琴は其処に隙を見出した。
「一気に倒す……勝負だっ!」
 龍状の輝く力を収束させ、鳳琴は渾身の拳突を放つ。重い痛みが靄怪物を貫きながら迸り、その腹に風穴を開けた。
 だが、敵が放った反撃はイチカを狙っている。敢えて衝撃を受けようと決めた彼女が構えた瞬間、幻が弾けた。
「お姉ちゃん、わたしはずっと待ってたよ」
 自分だけに見える存在へと目を向けたイチカは双眸を細める。
 手が震えた。けれどこの腕は伸ばさない。呼吸を整え、そして告げる。
「でも、わたしは、もう、理由が増えたから。いま、一緒に行くわけにはいかないんだ」
 イチカは首を振り、心電図の炎を解放した。
 迷いを断ち切った様子の少女にネロが静かに笑み、カロンも最後の一撃を与えに駆ける。蠍座の正位置を示すカードが差し向けられ、夜色の毒刺が放たれた。
「サヨナラ。悪夢でもイイ夢だったわ」
 幻を魅せる海霧の靄を裂き、カロンは別れの言葉を向ける。
 今度は本物に逢いに行こう。それは自分の命が尽きた時だから、いつになるかはわからないけど。その時は、その時こそは、もう一度。
 穿たれた靄は急激に薄れ――そして、戦いの幕は下ろされた。

●往く先のしるべ
 幻は全て消え去り、浜辺に寄る波が跳ねる。
 リタは目を覚ました夢の主に歩み寄り、風邪ひくよ、とからかうように笑った。自分が寝惚けたのだと勘違いした彼は礼を告げ、帰路に着いていく。
「……アタシの相手みたいなヤツばっかなら、みんな騙されねーのにね?」
 リタはその背を見送りながら静かに双眸を細めた。鳳琴も青年の無事を願いながら、ふと誰に言うともなく呟く。
「――私は、ほんの少しでも……強い子になれてますか?」
 鳳琴の問いに応えられる者はもう何処にもいない。気付けば涙が一筋、鳳琴の頬を伝い落ちていた。
 潮風が髪を揺らす中、エリオットはぼんやりと思いを巡らせていく。
(「やっぱり……本物のあいつに謝らなきゃな」)
 幻などではなく本当の弟に、と波間に視線を落とした彼は頭を振った。エリオット達が思いに耽る様を見つめ、エルピスは誓う。
 嘘吐き狼であることは変わらない。けれど、いつか皆に本当の事を話そう。
(「ワタシは勇敢な狼の娘だもの!」)
 それはとても勇気が必要だけど、きっと大丈夫。胸中で紡がれたエルピスの決意は確かなものだった。
 深い闇を映す海辺に波の音が響く。
 カロンは目を瞑り、戦いの最中に見た光景を思い出した。
「嘘でも声を聞けただけで満足だわ」
 戦士は戦場で死ぬものだと解っているから。それでも、もし遠い未来に逢えたなら、また抱き締めてあげたいと思う。今はただ、それだけ。
 カロンの尾が海風にあわせて揺れる。何故だかその思いまで揺れているようだと感じたネロもまた、自分の心も揺らめいていると悟っていた。
 死者を悼み、その眠りの安寧を祈るが己の生業。だから、死者の帰還を祈るのは禁じられたこと。それなのに、逢いたいという甘えを消せない。
「……婆様。いつか、求めて祈ってしまうネロを、どうか叱咤しておくれ」
 それは、ひとで在るが故の性。
 そんな中でサヤは水平線の向こう側を見通そうとしてみた。
「あいたいという記憶をしるべに会いに来るそのひとは、呼んだひとにとっては、ほんものなのでしょうかねえ」
 其処には何も視えないままだったが、今はその方が良いとサヤは判断する。
 今回は現世に帰るおまじないは効きましたから、と左手首に飾った桃の花を見下ろしたサヤは、波打ち際に立つイチカに視線を向けた。
「もしも錆びて朽ちたら、そのときは、きっとわたしから会いにいくよ」
 それまで、待ってて。
 姉と呼び慕ったひとに思いを向け、イチカは踵を返した。しかし、波の音が自分を呼び止めた気がしてつい振り返ってしまう。
 されど海に映るのは淡い期待を裏切るかのような昏い色だけ。
 それでも、ただ哀しいだけではない。
 戻した視線の先には明るい表情のリタが、ぱたんと尻尾を振るエルピスが、涙を拭った鳳琴や、決意を新たにしたエリオットが立っていた。いきましょ、と穏やかに笑うカロンも、いつもと変わらず微笑むサヤも、凛と顔をあげたネロだって自分が踏み出すのを待ってくれている。
 見つめるのは遠き海の彼方ではなく、大切な仲間達がいる処。
 いっしょにいこう、と手を伸ばすのは過ぎた日の怨讐や死者ではなく――いま、懸命にこの世界で生きているひとたちであるべきだから。

作者:犬塚ひなこ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年8月15日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 12/キャラが大事にされていた 0
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