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流しでゴム手袋を洗いながら女は一人息を吐いた。
台所洗剤をつけて念入りにごしごしと洗い、少しだけ息を吸ってみる。
洗剤のフローラルな香りに混じり未だに生臭さが鼻につく。
「うえぇぇ……」
吐く、とまではいかないが、正直息を止めていたくなる匂いには違いない。
「ううう、夏場に放置してた私が悪いんだけどさぁぁあ……何でこのぬめぬめってこんなに匂うのぉぉぉぉ……うえぇええ」
茶色というか灰色というか、そんな色合いのぬめぬめは夏場は特に匂う。
ちょっと放置しているとすぐにこびりつくそれは正直直視すらしたくないというシロモノだ。
「確かぬめりが付きにくくなるって商品あったよねぇ……買ってこようかな……」
ようやくまともに息を吸えるようになった台所で女がそう呟けば、背後から聞こえる笑い声。
「あはは、私のモザイクは晴れないけど、あなたの『嫌悪』する気持ちもわからなくはないな」
「え?」
とすん、と背中で何か音がしたかと思った瞬間、女の意識は途切れる。
倒れた女の隣に現れたのは茶色というか灰色というか、そんな色合いのぬめぬめでどろっどろに汚れたゴミ受けだった。
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ミンミンと騒がしく鳴くセミの声を聞きながら、千々和・尚樹(ドラゴニアンのヘリオライダー・en0132)はふっと息を吐いた。
「近頃、苦手なものへの『嫌悪』を奪って事件を起こしているドリームイーターがいるそうです。『嫌悪』を奪ったドリームイーターはすでに姿を消していますが、奪われた『嫌悪』は実体化しており、事件を起こそうとしています」
それを止めてきてほしいと言うのが今回の依頼のようだ。
「事件を起こす前にこのドリームイーターを倒すことができれば、『嫌悪』を奪われてしまった被害者も目を覚ましてくれると思います」
無事に成功すれば被害者が目を覚ましてくれるとわかりほっとするケルベロスたちだが、それにしては尚樹の顔色があまりよくないがどういうことだろう。
首を傾げていると彼はこちらを見やり口を開く。
「ところで……台所の掃除をしたことがありますか?」
この問いに幾人かのケルベロスが頷けば、彼は言葉をつづける。
「今回の『嫌悪』の対象は、はっきり言うと、排水溝にくっついているあのぬめりです」
現れるドリームイーターはゴミ受けの形をしているそうなのだが、そのゴミ受けは全身……と言っていいのかわからないが、とにかくぬめぬめどろどろ。
茶色のような灰色のような微妙な色合いのあれを纏って嫌な臭いをまき散らしながら現れるのだそう。
「攻撃方法ですが……単体への体当たり、全体へのぬめり飛ばし、単体へ覆いかぶさる、です」
それぞれに毒、ブレイク、捕縛の効果があるらしい。
「あと気を付けるべきことは……匂い、ですかね……」
攻撃が当たるとぬめりが服につくので自分自身が臭くなってしまう。
戦闘に支障はでないが、正直気持ちのいいものではないだろう。
現れるのは住宅街の一角。
女性の住んでいるアパートからほど近い公園にやってくるらしい。
夏休みに入り親子連れがいるその場所を恐怖のどん底に陥れようとするようだ。
特に母親であればこのぬめりは経験があるものが多いから恐怖の対象となるだろう。
「…………あれは本当に嫌なものだと思います。しかし、それを奪ってドリームイーターにするなど、許されることではありません。非常に気持ち悪い敵だとは思いますが、どうか、よろしくお願いいたします」
そう言って尚樹はケルベロスたちの手にマスクを握らせたのだった。
参加者 | |
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白偲・トウキ(ビスクドール・e07431) |
天目・宗玄(一目連・e18326) |
ウェイン・デッカード(鋼鉄殲機・e22756) |
常磐・まどか(赤月を翔ける・e24486) |
イルルヤンカシュ・ロンヴァルディア(白金の蛇・e24537) |
フィニス・トリスティティア(悲しみの終わり・e26374) |
リシュティア・アーキュリア(サキュバスの巫術士・e28786) |
涼風・茜姫(地球人の自宅警備員・e30076) |
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たどり着いた公園は夏休みを満喫している子どもたちと、その付き添いの母親たちで賑わっていた。
思い思いに遊ぶ子どもたちを横目に見ながら母親が井戸端会議をしている光景は平和なのだなと感じられる風景だが、今日ここにその平和を脅かすものが現れる。
「嫌悪の感情だなんて、聖人でも無ければ誰でも持っているのに……それを糧にドリームイーターが、なんて悲しいですね」
常磐・まどか(赤月を翔ける・e24486)がこれからやってくる敵を思い浮かべながらぽつりと呟く。
嫌悪の感情はそう簡単に取り除けるようなものではない。
とにかく、そんな嫌なものを子どもたちに経験させないよう彼女はすでに説得に向かっていいる仲間たちの後を追った。
「これで全員か?」
「そうだね」
天目・宗玄(一目連・e18326)の言葉にウェイン・デッカード(鋼鉄殲機・e22756)はこくりと頷く。
公園の東の出口前に集めた一般人はケルベロスたちが事情を説明すると慌てることなく従ってくれた。
「はい、これどーぞ」
一人一人にリシュティア・アーキュリア(サキュバスの巫術士・e28786)がマスクを渡す。
気休め程度かもしれないが、ないよりはマシだろう。
そんな彼らにまっすぐ帰るよう涼風・茜姫(地球人の自宅警備員・e30076)は言い含める。
「もし帰る途中に、他の人達に会ったら、危ないから公園に行かないでって、伝えてほしい、な」
ちゃんと退治しておくからと伝えれば子どもたちは元気よくはい、と返事をくれた。
ふわりと吹いた風に白偲・トウキ(ビスクドール・e07431)は思わず眉を顰める。
「……来たみたいね」
そう、その風に乗ってきたのはいやーな悪臭。
手早く防臭マスクをつけて振り返るのと、公園の西側入り口にソレが姿を現すのとはほぼ同時であった。
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(「そういえば……診療所の台所も最初はこんな悪臭だったような」)
漂ってくる匂いにフィニス・トリスティティア(悲しみの終わり・e26374)は過去を振り返ってみるものの、現実は待ってはくれない。
今回の敵は匂いは言わずもがなだが、正直視覚的にもキツイ。
「うっわ、ひどい匂い。もうこれ公害レベルじゃない?」
公園に入ってきたソレを見て、イルルヤンカシュ・ロンヴァルディア(白金の蛇・e24537)は素直な感想を口にしながらも前に出る。
まずは無事に一般人を避難させるところから。自分の役目は足止めだ。
正直近づきたくもないがそうも言っていられない。
イルルヤンカシュはウイングキャットのオニクシアに指示を飛ばすと、真っ先に駆け出した。
キャットリングがゴミ受けを拘束したのを確認し、そのど真ん中に拳を突き出す。
「こっから先は通行止め、匂いと汚れ程度では私を貫くことは、できぬ!」
ばっと飛び散るぬるぬるべとべとに顔を顰めつつ、飛びずさる。
「さぁ、行って、『僕のトモダチ「メリーちゃん」!』」
トウキの言葉と共に可愛らしい西洋の陶器の人形がぬめぬめに突進していく。
それを追って茜姫も駆け出した。エアシューズのローラーが地面と摩擦を起こし足に炎を纏わせる。
ぼ、と灯った炎はしかし、匂いを軽減させることはできず、控えていたボクスドラゴンに指示を出す。
「崑崙、まずはボクスブレスから、ね」
そのブレスが目隠しをしてくれている間にと彼女は一度距離を取った。
「さ、今のうちに!」
戦闘が開始されたのを確認したまどかは、急いで東出口の一般人を公園の外へ誘導していく。
公園に現れたドリームイーターの姿にさすがに少しざわめきが起こったが事前に説明していたのが功を奏したのだろう、大きな混乱もなく、しかし少し青ざめた顔で親子連れはそそくさと公園を後にしていた。
「気を付けて帰ってねー!」
見送るリシュティアに手を振り返してくれる男の子を見送れば、この公園にいるのはドリームイーターとケルベロスたちだけになる。
他に人がいないことを確認したウェインは東の出入り口にキープアウトテープを貼り付けると、急いで西側へと走る。
攻撃によりぱたぱたと地面に落ちる飛沫が何とも言い難い匂いを放った。
「これがくさい……。これは僕も、嫌だな」
東の入り口にもキープアウトテープが貼られたのを確認し、宗玄は両手に惨殺ナイフを構えた。
「こうも醜悪な見た目だと、得物を刺すにも些か抵抗感があるな」
しかし斬らねばやられるのはこちらである。
宗玄は覚悟を決めると、ナイフというには長い刃渡りのそれに雷の霊力を纏わせて突きを繰り出した。
ウイングキャットのトゥードゥルスがキャットリングでゴミ受けを高速すれば、オウガメタルを全身に纏ったフィニスの拳がそれを地面に叩きつける。
一度地面にバウンドしたゴミ受けから汚れがべちゃべちゃと飛び散ると同時に悪臭も範囲を広げていく。
「ああ、もうっ、ほんっとに臭いのね!」
臭い消しにでもなればとフィニス散布した粒状シリカゲルは激しい戦闘の中ではあまり意味をなさなかったようで、鼻がひん曲がりそうな悪臭は続く。
ふわふわと飛んでいるゴミ受けが公園の中央に到達し……そしてその身体を思い切り震わせたのだった。
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べちょり、と飛沫がついた部分から嫌な臭いが立ち上る。
ずっと息を止めていたいほどだがそうも言っていられない。
早くこの匂いから解放されるには目の前の敵を倒すのが一番の近道だろう。
幾度かの攻防でどろどろぬめぬめは色々なところに飛び散って、その被害はケルベロスだけでなく公園の遊具にまで及んでいた。
「人よりは気にならぬ方だとは思うが、流石に覆い被さられるのは御免だ」
先ほどは運よくその攻撃を避けられたが、飛び散るぬめぬめは宗玄の体にも付着しており、まるで自身も汚物になったかのような錯覚を覚える。
「……さて、そろそろ頃合いか」
手分けして相手の防御力を下げてきたのだ。
空の霊力を帯びたナイフが仲間たちと共に集中攻撃をしてきた箇所を穿つ。
ばきりと音がしてゴミ受けの一部にヒビが入る。
「あと少しね!」
それを見てフィニスはそう叫ぶが回復も忘れてはいけない。
少しでも仲間たちのダメージを癒そうと薬液の雨を降らせていく。
消毒液にも似た液体の匂いとトゥードゥルスの清浄の翼が少しばかり悪臭を抑えてくれはしたものの、雨風が収まればその場は再び嫌な臭いが立ち込める。
「うぅ、匂いもあれだけど、見た目も……」
どうにかそれを嗅がないように努力しながら、リシュティアはふよふよと浮いているゴミ受けを横目で見る。
攻撃を受けるたびにどろどろぬるぬるが剥がれ網目が見えるのだが、どろどろぬるぬるはいつの間にか復活しており、これは無限に出てくるものなのかと戦慄すら覚えてしまう。
はっきり言って近づきたくない。よって、リシュティアが選んだのはスナイパー。
狙い通りというべきか、攻撃は前衛の面々に注がれているので今のところ匂い以外の被害は被っていないものの、これ以上仲間に嫌な思いをさせたくはない。
「これ以上近づかせないよ!」
喚び出された半透明の御業は再び炎弾を放ってゴミ受け全体に炎を纏わせる。
これで汚物は消毒……できればいいのだがまだ倒すには至らず、ゴミ受けはまどかへ向かって飛んでいく。
「っ!!」
目前にどろどろぬめぬめが現れたかと思うとそれはゆっくりと傾いて、まどかのからだをすっぽりと覆い隠していた。
べちゃりと生々しい音がして、誰かのうわぁという声が聞こえる。
再び光を取り戻したまどかの体にはあのどろどろぬめぬめが容赦なく纏わりついており、ぞわりと鳥肌が立った。
「……早々にケリを付けましょう」
腕に残るどろぬめを振り落としながら、まどかは愛用の簒奪者の鎌……焔刈りを振り回す。
刃は先ほど宗玄が攻撃していた箇所をかすめ、再びぱきりと音を立てた。
「終わらせるよ!」
イルルヤンカシュが炎を纏わせた蹴りをお見舞いすれば、ばきばきと音がしてゴミ受けの一部が地面に落ちた。
その隙にトウキが溜めていたオーラをまどかに向かって打ち放つ。
「今のうちに!」
その声に動いたのはウェインと茜姫だ。
「可及的速やかに、君を排除する。……他でもない、僕のために」
「さよなら、ね」
惨殺ナイフを両手に持ったウェインが舞うように斬りかかり、茜姫の投げたファミリアロッドはオナガの姿に変化し空高く舞い上がる。
一撃、二撃と斬りつけるたびにゴミ受けはぼろぼろと崩れていき、ダメ押しとばかりにオナガが真ん中を突き抜ければゴミ受けは空気に溶けるようにその姿を消したのだった。
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完全に脅威がなくなったことを確認し、まどかはふぅと息を吐いた。
「なんだかもう、鼻が馬鹿になっているような……大丈夫ですかね?」
「はい、これで大丈夫よ!」
一番の被害者であろうまどかが自分自身を見下ろしながら言えば、リシュティアがその体をぽんぽんと叩き体と服を綺麗にする。
しかしそれだけでは終わらない。
宗玄は辺りを見回しながら武器を収めれば、そこかしこに戦闘の爪痕が残っている。
「流石にこのままでは帰れんな」
えぐれた地面に壊れた遊具。そこまでは想定範囲内なのだがそれよりも問題なのは。
「このどろどろぬめぬめ……ヒールで取れるか、な……?」
茜姫が困ったように呟く通り、先ほどのぬめぬめが遊具にも地面にも飛び散っているのだ。
敵は消えたというのに未だに臭いがするのはこれのせいだろう。
「掃除、しなきゃだろうね」
「じゃあ、私はヒールをするわね」
「僕もー。掃除が終わったら、改めてクリーニングしようね」
ウェインが持って来ていた掃除道具を取り出しながらそういえば、フェニスとトウキの声にヒールができる面々が公園内に散っていく。
公園の水飲み場の蛇口を捻れば冷たい水が溢れ出て、それだけで臭いが少し薄まったように感じられた。
ウェインがふと思い立って仲間を巻き込んだ水遊びを始めて怒られるのはもう少し先の話。
作者:りん |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2016年7月31日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 5
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