蟲、蟲、蟲

作者:深淵どっと


「あ……部屋の窓閉めないと……」
 ある夏の夜。空気の入れ替えをしていた事を思い出し、彼は自室へと足を運ぶ。
「うわ、危ない危ない、電気付けっぱなしだったよ」
 夜風のお陰で部屋の気温と湿度は程良く下がっている。しかし、部屋から漏れる光に誘われたのだろう、蛍光灯の周辺にぽつぽつと止まっている羽虫を見て、思わず眉をしかめてしまった。
「ちょっと油断するとすぐこれだ……田舎の地元に住んでた頃だったらもう……天井一面にびっちりだったな……びっちり」
 その光景を思い返したのだろうか、眉間の皺を深め身震いをした、その時だった。
「あはは、その『嫌悪』、わからないでもないかな」
 男の胸元に唐突に何かが突き立てられる。
 それは、『鍵』だった。
「私のモザイクは晴れないけど、使わせてもらうね、あなたの『嫌悪』」
 がくりと、急に力を失い倒れる男を、いつの間にか現れていた緑の少女が見下ろす。
 その視線は倒れた男の隣で徐々に形を作り始める、ぼんやりとした輝きへと向き、不穏な笑みを浮かべるのだった。


「僕も森に住んでいた頃は虫に悩まされたものだ。ランプを付けると至る所から虫が寄ってきて蚊帳の外にびっしり……何? 事件の話をしてくれって?」
 のっけから若干脱線しようになりつつも、フレデリック・ロックス(シャドウエルフのヘリオライダー・en0057)は改めてケルベロスの方へ向き直る。
「ふむ、失敬。では話を進めよう。人の持つ『嫌悪』を奪うドリームイーターが出回っているようだ」
 そして、奪われた『嫌悪』はそれを元にした別のドリームイーターとして、更なる事件を引き起こそうとしている。
 今回奪われたのは、『蛍光灯に引かれ壁にびっしり張り付いた羽虫』と言う、トラウマめいた嫌悪感である。
「出現するドリームイーターはモザイクに覆われた光の塊だ。浮遊しつつ移動しているが、攻撃が届かない程の高度では無いな」
 無論、ただそれだけではない。
 モザイクの光球からは絶え間なく光を遮るほど大量の羽虫が生み出され、周辺を飛び回っている。
「敵はこの羽虫を武器のように使ってくる。どうやら、実際に虫が飛んでいるわけではなく、グラビティの塊のようなものらしいな」
 しかし、見た目、感触、羽音、どれも本物と全く変わりなく、人によっては近づくのも憚られる程不快かもしれない。
 また、その特性上、虫を焼いたり吹き飛ばしてもほとんど意味は無い。飽くまで本体は中心の光球だ。
 無論、虫除けスプレーの類も効果は無い。
「敵は出現場所から街に出て、人と光の多い繁華街へと向かっている。キミたちには、その途中の公園でヤツを迎え撃ってほしい」
 公園には街頭もあるので、視界の確保には問題も無いだろう。
「気持ち悪いと思う者もいるかとは思うが、放置するわけにもいかない。何とか倒してくれ、頼んだぞ」


参加者
薬師丸・秋雨(終わりなき失意・e00654)
テオドール・クス(渡り風・e01835)
ギルベルト・ツヴィックナーグル(銀色の銃弾・e02313)
ルリナ・ルーファ(あったかいきもち・e04208)
スヴァルト・アール(エリカの巫女・e05162)
七隈・綴(断罪鉄拳・e20400)
錆滑・躯繰(カリカチュア・e24265)

■リプレイ


 薄っすらと遠くで聞こえる蝉の鳴き声。蒸し暑さの中に吹く、心地良い夜の風。
 そして公園に浮かぶ、眩いモザイクの球体。
 通りすがる人々も不思議そうにそれを見上げていたが、次の瞬間にはその表情は驚愕、あるいは恐怖、嫌悪に染まる。
 光球の中心部からおぞましい黒い煙が立ち上り、周囲に散開し始めたのだ。――いや、それは、煙などではない。
 蟲だ。
「ここは危ないから、早く離れて!」
 瞬く間に光球を取り囲み、大喝采の如し羽音が撒き散らされる中、それらを裂いてルリナ・ルーファ(あったかいきもち・e04208)の声が辺りに響く。
「そういうわけだから、巻き込まれない内に急いでね」
「ほら、もう遅いかもしれないけど、トラウマになる前に帰って寝た方がいいよ!」
 ルリナの言葉に危機感を呼び起こされた人々に錆滑・躯繰(カリカチュア・e24265)とテオドール・クス(渡り風・e01835)が避難を促し始めると、人々は公園から散り散りになって逃げていく。
 幸い、この時間に出歩いている人は少なく、広範囲に渡って避難誘導をする必要まではなさそうだ。
「それにしても……想像以上だな……虫除けスプレー、貸してくれない?」
 逃げ惑う人々を見送り、テオドールは辟易した表情でちらりと光り輝くドリームイーターに視線を向けた。
 モザイクから生み出された小さな羽虫は光球にびっしりと纏わり付き、周囲を飛び交っている。
 虫郡によって遮られた光はぼんやりと漏れ出て、さながら夏の夜を彷徨う亡霊のようだ。
 見る人が見れば、地獄の光景である。
「スプレー、効くかわからないけどな。……俺、何か見てるだけでかゆくなってきた……」
 飛び交う羽虫は一種のグラビティの集合体だ。故に、効果は皆無なのだが、吊るすタイプの虫除けを首から下げ、ギルベルト・ツヴィックナーグル(銀色の銃弾・e02313)はテオドールに持ってきた虫除けスプレーを手渡す。
「こういう手段で攻めてくるとか、デウスエクスってどいつもこいつも本当にタチ悪いよ……」
 ただでさえ、ローカストとの戦争があったばかり、虫にはあまり良い印象がない。
 ため息を零す薬師丸・秋雨(終わりなき失意・e00654)の隣でスヴァルト・アール(エリカの巫女・e05162)と七隈・綴(断罪鉄拳・e20400)もややしかめ面だ。
 脅威度で言えばローカストよりはマシだろうか……いや、人によってはローカスト・ウォーよりヤバイかもしれない。
「正直かなり不快ですが……このままにするわけにはいきませんしね」
「えぇ、飛んで火に入る夏の虫……と言う事で、此処で消えて貰いましょう」
 ケルベロスたちの敵意を察知したのか、ドリームイーターの光量が微かに明滅を繰り返し始める。
 どうやら高度は地上から数メートルが限界らしく、虫を引き連れ繁華街方面へ逃げるように動き始めるがそれをメルカダンテ・ステンテレッロ(茨の王・e02283)が阻んだ。
「どこへ行こうというのだ。お前はここで倒す、逃げ場は無い」


 ドリームイーターの放つ輝きは、この公園にも立っている街灯のような少し古めかしい蛍光灯に似た白い光だ。
 立ちはだかるメルカダンテを前に、威嚇するように輝きが強まる。
 その白を、猛火の紅色が染め上げた。
「お前の抗議を聞く気はわたくしにはありません。……焼き払え」
 杖先から放たれた火球は爆炎となり、黒い渦を文字通り焼き払っていく。
「露払いならぬ虫払いです。このまま追撃を」
「あら、本当に火に入ってしまったのですね。では、遠慮無く行かせていただきます」
 虫から虫へ伝播する炎を斬り裂いて、綴の蹴撃がドリームイーターに突き刺さる。
 そして蹴り飛ばされた光球を捉える、躯繰のブラックスライム。
「良いね、これならこいつらも無視できる。虫だけに、ってね」
 ブラックスライムに捕食されたドリームイーターはそのまま夜空の下へと投げ飛ばされる。
「そのまま炎に巻かれ、墜ちてくださいな」
 潰しても潰しても虫の群れは光の中心から溢れ出す。だが、黒い煙のように群れた虫を、今度はスヴァルトが血煙のような霧で包み込む。
 霧はやがて、宵闇に紛れるように色を深く落とし、モザイクの灯りを塗り潰す程の昏い炎を巻き上げた。
「思ったより大したことない……かな?」
 初手からのイニシアチブは完全にケルベロスたちが握っていた。このまま、あっさりと片が付くならそれに越したことは無いのだが。
 しかし、秋雨の予想はいとも簡単に覆されてしまう。
「……来ます!」
 スヴァルトの声が響く。同時に、昏い炎を弾き飛ばすような光量が公園を照らした。
 爆発するような勢いで公園を文字通り包み込む、虫の群れ。
 その口器はグラビティを吸い上げ、力を奪うドリームイーターの『武器』だ。
 一匹一匹なら大した事はないが、この量に襲われれば一般人など数秒で絶命に追い込まれてしまうだろう。
「う、うわぁぁぁ!?」
「うおおおお!?」
 無論、ケルベロスならある程度は耐えられるが、受け過ぎればやがてまともに立つことすら難しくなってしまうだろう。
 狼狽しながらも的確に礫を乱射するテオドールを、同じくらい狼狽しながらもギルベルトが庇う。
 同様に後方で控えていた秋雨とユリア・フランチェスカ(オラトリオのウィッチドクター・en0009)をそれぞれメルカダンテと綴が守るも、ダメージは少なくない。
「か、かゆい! 全身ぞわぞわする!」
「大丈夫よギルベルトさん、気のせいだから! 秋雨さん、ヒールは私に任せてちょうだい」
 地獄の炎を全身に纒って痒みを紛らわすギルベルトを中心に傷付いた仲間をユリアが即座にヒールしていく。
「わかった、手が足りなくなったら言ってね」
 丈の長いライトニングロッドを構え、秋雨は術式を展開する。グラビティによって敵の力に触れる、それは敵の力の根幹を探る手段の一つでもある。
 その視線は、戦闘前の穏やかな表情とは裏腹に鋭く、敵を見据えていた。
「大丈夫大丈夫、こわくない、きもちわるくない……!」
 視界を埋め尽くすほどの羽虫の大群の中をルリナは自分を鼓舞しながら、突き進む。
「だって、ほんとの虫さんじゃないもん! だからみんなも大丈夫だよっ!」
 手にした槍を必死に振り回して羽虫を払い、全身でぶつかる勢いでその尖端を突き立てた。


「なるほど、嫌悪を元に形を変えるグラビティ……本当、タチが悪いね」
 不規則な動きで宙空を彷徨うドリームイーターに狙いを定めながら、秋雨は呟く。
 この虫はルリナの言う通り、本物の虫ではなくグラビティによって作られた、一種のサーヴァントに近いものだろう。
「なら、キミにはこの籠絡術≪コトバ≫を送るよ――」
 降り注ぐ言葉に公園に蔓延る虫の動きが鈍り、モザイクの輝きが陰りを見せる。
「灯りはこちらですよ、灯蛾の如く……誘われるまま燃えてしまいなさい……!」
「まとめて殺虫だよ、喰らえ」
 そこに、スヴァルトの御業と躯繰の竜語魔法が業火となって羽虫ごとドリームイーターを焼き払う。
 ケルベロスたちはヒールを持たない敵の弱点を突いた、短期決戦の戦法で戦闘を続ける。
「えいっ、お願い!」
 そんな火力に重点を置いた攻撃をファミリアを用いたルリナの攻撃や、ユリアのヒールがサポートし、戦いはケルベロス優勢で進みつつあった。
「ルリナ、とても華麗な技です。ですが、油断は禁物ですよ」
 炎に焼かれ数の減った虫が一点に集中し、ルリナに襲いかかるが、それをメルカダンテが氷の魔法で迎撃しながら受け止めた。
「あんまり長期戦にすると押し切られるかもね……精神衛生的にも」
 焼いても焼いても、斬っても払っても虫は猛スピードで湧き出る。
 一時凌ぎにこそなるが、多少強引にでも本体を倒してしまうのが得策だろうと、躯繰以外の7人も認識する。
「とにかく、さっさと倒しちまうのが一番って事だな!」
 精神衛生的に保たなそうな一人、ギルベルトは地獄の炎を切り離し、炎弾として乱射する。
 炎に巻き込まれた虫達は焼け焦げ、消滅し、一瞬だけだが本体への道ができあがる。
 その道に、咄嗟に滑り込んだのはテオドールと綴。
「……ルリナだって頑張ってるんだ!」
「見切りました……!」
 苦手な虫を前に口数少なかったテオドールは、一生懸命な友人の姿を心の中で噛み締め、炎弾の作った道の死角へと潜り込んだ。
「そういう事なら……君の刃に、何処までも、速く、研ぎ澄まされた一撃を――!」
 更に、秋雨の放った電撃がテオドールの肉体を活性化させ、その機動力に磨きをかける。
「ここですね、気脈を断ちますよ」
 一方、正面から突っ切る綴は真っ直ぐ伸ばした指先をドリームイーターの中心へと突き立てる。
 その一撃を回避しようと揺らいだ瞬間、夜闇からテオドールがドリームイーターの背後に現れた。
「――!」
 集中しているからか、あるいは虫への嫌悪感からか、口を硬く結んだまま、綴と同時にとどめの一撃を深々と突き刺す。
 光を包んでいたモザイクがヒビ割れ、ガラスの割れるような音が響く。
 次の瞬間、公園を真っ白に染め上げるほどの強烈な閃光がひび割れたモザイクから溢れ、ケルベロスたちの視界を埋め尽くした。
 やがて眩い光も収まり、緩やかな夜風が通り過ぎる。
 そっと目を開くと、あの悪夢の光景はまるで一夜の夢だったかのように、綺麗サッパリ消えていたのであった。


「う……まだ何かむずむずする、気がする」
 戦いが終わり、公園のヒールをしている最中もギルベルトは先ほどの戦闘を思い出す度に身震いをしていた。
 無理もない。あに強烈な光景はちょっとやそっとじゃ離れてはくれない。
「私も虫は苦手ですが……今回の件で余計に苦手になった気がします」
 綴も思わずため息を零す。
 結果としては、快勝と言っていいだろう。一般人にも被害は皆無だ。
 しかし、肉体以上にどっと押し寄せる精神的披露にケルベロスたちの表情は晴れやかとは言いがたかった。
「もう少しで修復も終わります、後一息ですよ」
 その一方、戦闘中もそれほど嫌悪感を示していなかったメルカダンテはテキパキとヒールを続け、仲間たちを引っ張っていく。
「いやぁ、僕も虫は……もうしばらくは見たくないかなぁ」
 街灯に群がる普通の羽虫から目を逸し、苦笑を浮かべる秋雨。
 さて、件の『嫌悪』から作り出された擬似虫を操る術式。概ね鹵獲はしたが、どうしたものだろう。他に応用でもできないだろうか。
「はぁ……本当に災難だった……ん、どうしたの、ルリナ」
 今回ばかりは笑顔も少ないテオドールは、どこかぼんやりとヒールの終わった公園を眺めているルリナを見つける。
「え? あ、ううん、何でもないよ! お疲れ様、テオさんっ」
 脳裏を過ぎっていた大切な人の顔を慌てて振り払うルリナ。
 それを知ってか知らずか、テオドールもようやく軽く笑みを浮かべるのだった。
「……パッチワークの魔女、だっけ? 夢だけじゃなく感情まで奪おうなんて、実に……度し難いほどに欲が深いものだ」
 跡形もなく消えたドリームイーターのいた場所を眺め、躯繰はどこか呆れの混じった、達観めいた表情を浮かべる。
「自身に空いた穴を埋めるものを望み、探している……と言う事でしょうかね」
 同じく、地面を見下ろしながらスヴァルトは思案の表情を浮かべた。
 果たして、仮に奪ったものが件のドリームイーターを満たすモノだったとしたら、何が起こるのだろうか。考えは尽きない。
 パッチワークの魔女、その内の一人が奪う『嫌悪』の感情。
 彼女たちの目的は定かではないが、いずれケルベロスたちの前にも姿を現すことになるのだろうか……。

作者:深淵どっと 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年8月2日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 0
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。