●くだん
近所にある神社だ。
薄紅色に揺らぐ視界の中で、少年ははらはらと零れ落ちるような自我を取り戻した。
唐紅の本殿と、それを守るように立つ阿吽の狛犬。そこは少年が友達とよく遊びに出かけていた神社だった。
既に神社の中にいる。振り向いて明神鳥居を確認した少年は、ふと、目の前に大きな黒い何かが佇んでいることに気がついた。
四足歩行の動物だった。先端だけが長い毛に覆われた尾が、振り子のように揺れているのが見える。硬質な外腿の筋肉に、耳の上から突き出した角。どうやら牛のようだぞと思いつつも、なぜこんなところに牛がいるのかと少年は不思議に思った。
「……ぬぞ」
しわがれた老婆のような声が聞こえた。掠れてほとんど聞き取れず、どこから聞こえたかも分からないそれは、
「お前は……ぬぞ」
段々と近づいてきて、耳を通り越して頭の中で響き渡る。
最早意味のくみ取れない程に反芻する暴力のような音。
「ひひひひ」
笑い声が混じる。
「ひひひひひゃひひひ」
雨が強く降るように。光が乱反射するように。
「ひーっひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ!」
――その音が、ぴたりと止んだ。
牛が、ゆっくりとこちらを向いた――。
「お前は、死ぬぞ」
それは人間の顔をした、牛の化け物だった。
「うわぁ!」
少年が跳び起きると、そこは見知った自室のベッドの中だった。
なんだ、夢か。
そっと胸を撫で下ろす少年の傍らで、
「貴方の『驚き』はとても新鮮ね」
巨大な鍵を携えた、銀髪の魔女が見下ろしていた。
●件かく語りき
「件(くだん)。人に牛と書いて件、書いてそのものの半人半牛の妖怪だなんて、昔の地球人は都合良く考えたものだよね」
宵闇・きぃ(シャドウエルフのヘリオライダー・en0067)は愉快そうに一笑すると、集まったケルベロスたちに視線を投げた。
「過去に件を見た人間も、それはそれは驚いたのだという。件は不幸を招く予言を残す、なんていう噂が広まるくらいにね。今回、それと同じ夢を見た少年の『驚き』が奪われた」
驚きを奪うドリームイーター。新種に違いない敵の出現に、ケルベロスたちは息をのんだ。
「『パッチワーク』が第三の魔女・ケリュネイアか。今回君たちが相対することはないが、また妙な敵が現れたものだね。産み落とすドリームイーターもまた、とびきりの変わり種だ。君たちに問われるのはメンタルだよ」
にっこりと、挑発的とも取れる笑顔できぃは言う。
「敵が現れるのは夜、静かな市街地。通りがかった人間を驚かせては、不吉な予言を残して去って行く。付近を捜索していれば自ずと遭遇できるだろう。普通の人間は件の顔を見ただけで跳び上がって逃げ出すが、君たちならそんなことはないね」
信頼しているよ、ときぃ。
「問題は敵の攻撃だ。性質は言霊、手管は流言飛語。トラウマを植え付けるような言葉――予言を、かの敵は繰り出してくる。それはグラビティとしての威力以上に、精神的なダメージを伴うだろう。今回の戦いには、それに耐える覚悟がある者のみで挑んで欲しい」
どんな不吉な予言を告げられようとも負けることのない、不屈の心が試されるということか。
「君たちが敗北すれば、死の宣告をされた少年はその言葉通り死を迎えることになるだろう。そんなはた迷惑な予言を町中の人間にされたら堪ったものじゃない。君たちの手で、この厄介な件を片付けてくれ。
では発とう。この事件の命運は、君たちに握られた!」
参加者 | |
---|---|
ディクロ・リガルジィ(静寂の魔銃士・e01872) |
香坂・雪斗(スノードロップ・e04791) |
橙叶・藍月(両極を知り中道を識る・e05311) |
公孫・藍(曇花公主・e09263) |
白嶺・雪兎(斬竜焔閃・e14308) |
モニカ・カーソン(大樹の木陰で・e17843) |
四葉・リーフ(天真爛漫・e22439) |
九刀・蓮華(重陽背負う安寧華・e29552) |
●開戦
夏夜の怪談は芯に冷えるものがある。
香坂・雪斗(スノードロップ・e04791)は少しだけ浮かれた気分で歩を進めていた。命懸けの戦いを前にして、不謹慎かも知れないと自分でも分かっているが、しかし、だって、この時期にぴったりやん? と思うわけである。
(「楽しんでばっかりもいられへんか。予言から皆を守らんとね!」)
両手で握り拳を作る雪斗の後ろを公孫・藍(曇花公主・e09263)とモニカ・カーソン(大樹の木陰で・e17843)は行く。
「パッチワークの魔女とは、また麗しい名前のお嬢さん方ですね」
「ええ。ですが、犠牲者を出すわけにはいきません。みなさんで止めましょう」
目覚めても醒めない悪夢は、終わらせなければならない。夢より出でしアヤカシは、ケルベロスの手によって退治されなければならない。
「そうだとも。人を害する前に、夢は夢へと帰ってもらわなくては」
橙叶・藍月(両極を知り中道を識る・e05311)も首肯で返す。長い耳をそばたてて、風の中に混じる異音に注意を向ける。
此度の戦いは音がキーワードだ。何故なら敵の武器が言葉であるからだ。――件(くだん)。半人半牛、人の顔を持つ牛の怪異。古くは幕末、牛から生まれ凶作や戦を予言する怪物であるとされた。それが今回、ドリームイーターとして形を成し、市街を跋扈しているというのだ。
そのとき、低い笑い声が響いた。まるで広い体育館に大音響で鳴り渡るかの如く、あちらこちらに反射しては耳に届く不気味な嘲笑に、四葉・リーフ(天真爛漫・e22439)たちは身構えた。
「トラウマがなんぼのもんだー! どっからでもかかってこーい!」
ゆらりと視界が揺らぐ。そうして現れる黒い影。後ろ姿のシルエットは牛そのものだったが――。
「しらみね・ゆきと――」
名前を呼ばれ、白嶺・雪兎(斬竜焔閃・e14308)は思わず身体を硬直させた。
「お前の妹、じきに病に倒れるぞ」
いつの間にかこちらを向いていた敵のその顔に刻まれた嗤笑。それを見た瞬間、雪兎の脳裏が有らざる影を映し出した。生温く、しかし強い目眩のような衝撃は、紛れもないグラビティの攻撃。
「言霊使い――これは、少々キツい戦いになりそうですね」
雪兎は知らず頭を押さえる。攻撃の威力そのものも脅威だが、予言された言葉が鋭利な刃物のように心臓に突き刺さる。自分の、或いは身近な誰かの不幸を語る妖怪。それが今回の敵、件なのだ。
「そんな……予言、……げ、現実に、させる、わけ……には、いかない……な」
ゆらりと、幽鬼の如く簒奪者の鎌を構える九刀・蓮華(重陽背負う安寧華・e29552)。その表情は敵を前にして徐々に好戦的なものへと変わり、唇の端をつり上げていく。それが彼の始動。戦いに対する心の構えである。
「ある意味、ドリームイーターでよかったよ」
ディクロ・リガルジィ(静寂の魔銃士・e01872)もまた、隠し持つ惨殺ナイフ『月禍』に意志を通わせた。
「デウスエクスなら、刺せば殺せるんだって分かってるからね」
●予言
「黙って踊りなよ」
速攻で責め立てる、ディクロの『マーキングエッジ』。一瞬で間合いをゼロにし、ナイフに結ばれた赤いリボンが軌跡を描き、件を斬り裂く。
「落下して、蹴ーる!!」
急降下する『落下天蹴撃』を繰り出すのはリーフ。件の脳天目掛けて加速した足技は、角の間を狙い澄まし叩き割った。
「おら! 大人しくしとけ!」
鎌に宿るは封印の呪い。大振りの一撃を加える蓮華の『禍斬・菊花ノ縛(イマシメ)』が、笑いの形に歪む件の顔を斬り付けた。
「邪気祓いの刃、神封じの呪い、よぉく効くだろ?」
それに応える件は、笑う。
「こうさか・ゆきと――」
猛攻に、後退ることさえせず、件は呪いを振りまく。
「こいつ、攻撃が効いとらんのか?」
交差する視線の中で、雪斗はスターゲイザーを放つ。その雪斗に、次なる予言が語られる。
「お前の恋人は、来月までの命」
「この――!」
雪斗は手を前にかざす。視界に映るブレスレットは、その恋人に、頑張ってという言葉と共に付けてもらったもの。こんな予言などに負けられるものかと、気丈に心を奮い立たせた。
「雪斗さん――!」
回復の詠唱に入ろうとするモニカを、雪斗は手だけで制した。
今の予言は、グラビティによる攻撃とは違った。その証拠に、ジャマーによって重ねられるはずのトラウマが発生していない。この件という敵は、グラビティ『凶兆の予言』と、グラビティではない『予言』を使い分けているのだ。グラビティならば再使用までに時間を要するが、単なる言葉だけならばその制約はない。
「なるほど、これは……確かに厄介な敵ですね。それなら――【護殻装殻術】!」
鋭敏に事態を察すると、モニカは藍月に向けて回復グラビティを掛けた。
「声といい、内容といい、ひどく耳障りだ」
藍月は与えられた勢いそのままに、稲妻を帯びたゲシュタルトグレイブを件の胴に突き立てる。やはり件は動じない。身動き1つせず、薄気味悪い微笑みを浮かべている。
「とがの・らんげつ――」
その藍月に、件は向き直る。
「遠からず、お前は死を迎える」
「そんな予言をされてもな。死ぬなんて言われて挫けるくらいなら、最初から定命化なんてしてないだろう」
藍月の言葉を前にして、件は愉快そうに喉を鳴らした。
「く、……ふん。この程度、堪えませんね」
親しい人々の顔をした白い影を『斬竜刀・灰迅』で払いながら、雪兎は心眼を解き放つ。トラウマによるダメージもここまで重なると厄介なものだと再認識しつつも、さりとて負けることなど許されないと、奥歯を噛み締める。
「子どもの夢から生まれた件――古典的な怪奇が過ぎますが、逆に新鮮味があるというもの。その名に負けないその姿勢、崩してみせましょう」
羽ばたいて羽根を散らせつつ接近した藍は、攻性植物で件を喰らう。その攻撃が件に通じている様子は見て取れないが、しかし効いていないはずがない。迷いを捨て、次なる攻撃へと意識を移す。
幻のように明滅する件は、なおも笑い続ける。
●凶兆の詩
「ディクロ・リガルジィ――お前の弟は、苦しんで死ぬ」
「デウスエクスはどいつもこいつも煩いよね。とっとと黙らせたいよ」
切り刻む『マーキングエッジ』で更なる攻勢を仕掛けるディクロ。
「よつば・リーフ――お前の親しい友人はみないなくなる」
「へへーん!そんなのでびびる私じゃないぞー! 見せてやれ、チビ!」
舌を出して挑発するリーフの呼びかけで、ウイングキャット『チビ』が清浄の翼で前衛を癒やす。
「くどう・れんげ――お前には将来大勢の仲間が出来て、そして全て、死に絶える」
「チッ、鬱陶しい――黙ってろ! ぼさっとしてたら殴るぞ!」
鋼の鬼が件を屠る。衝撃音だけが夜闇に迸った。
「蓮華さん! 少し距離を取ってください! 『大樹の癒し(ユグドラシル・ヒーリング)』を使います!」
大樹よ、そのお力でこの者たちを癒したまえ――。連打する蓮華を見下ろすモニカがキュアをばらまく。この混戦の中、誰にどれだけのトラウマが付与されているのか分からない。後方から戦場を俯瞰するモニカですらそうなのだから、手当たり次第に回復していくより他に手はなかった。
「こうそん・らん――」
「お化けはお休みの時間ですよ」
攻性植物を件の首に絡め、『枯渇の慈悲』を発動させる藍。ギリギリと思い切り締め上げているというのに、件は嘲弄するような表情を途絶えさせることはない。
「病床の母親が、間もなく死ぬ」
「面白くもない冗談ですね」
視界に白い影が蠢いた。そこに死に別れた誰かの姿を幻視して、藍は懐古を味わう。
「降ってくるよ。キミを切り裂く、冷たい雨が」
雪斗の詠唱と共に、絶対零度の雨が降り注ぐ。
如何なる天候の下にあっても、件は変わらず笑った。
「虚実は入り乱れる。幻実は交差する。揺らぎて結ぶ夢現の像」
藍月の『幻影・揺らぎかすむ斬鉄蹴』――投影された幻による蹴撃が、件の角を叩き折った。
からんころんと音を立てて、破片は闇に消えていく。
「ひひひひっひひひくひひひっひひひっひひっひひひ――!」
件は、狂ったように笑った。
「ここは無慈悲なる処刑場」
その瞳に、何が見えているのか。
「紫電よ集え。銀閃よ煌めけ」
その脳裏に、何が映っているのか。
「我は絶対なる斬首の執行者。故に我が刃は神すらも逃れること能わず」
その真実は分からないけれど、それでも祈ることは止められないから。
「モニカ・カーソン――!」
「切り裂け!」
雪兎の神速、渾身の抜刀術『絶影剣・紫電絶刀』が件を一閃する。真空の刹那、揺らめく白刃が煌めき、黒牛を両断した。
「お前は、滅びを招くだろう――」
件は、最後に予言を残し、内側に吸い込まれるかのように溶け、狂笑と共に消えていった。
●予言の爪痕
「ふむ……一先ず、巻き込まれた人はいないみたいだ。夢を見た子も、今頃目覚めていることだろう」
「そっかそっか、よかったー! これでやっと一件落着だ!」
顎に手を当て、周囲を見回していたディクロが1つ溜息を漏らした。次いでリーフが景気づけにヒールを蒔いた。
「まったく、何が予言や。酷いこと言いよって」
「そのくせ、自分には『希望の予言』だなんて。随分と都合のいいことだよ」
嫌な敵だったと、雪斗と藍月も感想を呟き合った。
「トラウマも、相手にして改めて脅威の程を知りました。ですが、私たちは過去に囚われてはいけません。大事なのは今です」
モニカが言ったのは、これから先のどんな戦いにおいても大切な心構えだった。トラウマに限った話ではない――何かに囚われたままでは、いつか命さえも失う。それこそ、件の予言にあったように。
「……あ、終わった……のか。でも……も、もう、件……は、出て、こない……よな……。それなら、それで、いい……か」
戦闘中とは打って変わって、蓮華は心労でぐったりとした様子だった。確かに、件は消えた。だが、再び同じような脅威に見舞われないとも言い切れない。
「件とは、不吉な予言を呟いた後直ちに息絶えるモノと伝え聞いています。この事件が、更なる悪夢の始まりではないと良いのですが」
胸に手を当てて藍が言う。件の存在が何を示唆していたかは分からないが、少なくとも今回のような事件が続くことは間違いないだろう。――パッチワークが第三の魔女・ケリュネイアの手によって。
「パッチワークですか……。随分と手の込んだ真似をしてくれますねぇ。その名前、覚えておきましょう」
舌打ち混じりに雪兎が締める。言語道断の敵として、パッチワークはケルベロスに立ち塞がったのだ。
これ以上ないくらいの宣戦布告を受け取って、ケルベロスたちは更なる戦いを予感したのだった。
作者:真鴨子規 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2016年8月4日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 5
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