「どうしてこうなってしまったんだ……」
その男は狭い店内で頭を抱えて呻く。漂うスパイスの芳香は香ばしく、食欲を刺激するものの、それを感じるのは男一人だけだった。
時刻は正午。裏路地とは言えオフィス街に構えた筈の立地の店にはしかし、客の気配はない。それも当然だった。客足は途絶えて久しく、今となってはその扉は重く閉ざされたままだった。
「あの時、あんな挑発に乗らなければ……。もっと辛いカレーを出せ、か」
『後悔』の感情が鎌首を擡げる。長い修行で磨かれたカレー作りの腕前には自信があった。聞かされた客の言葉は確かに挑発的だったが、それに乗る理由は無かったはずだ。
「でも、専門店に比べて辛さが足りないから旨くない、はないよな」
言い訳の様に呟くが、それを聞く者はいない。
それでも男は乗ってしまった。辛さを追求し、ついにはその客を降参させる事に成功したが、それでも、一度着いた火は止まらなかった。
この店の料理は辛すぎて食えたものじゃない。気がつけばそんな評判が立ち、客は誰一人来なくなっていたのだ。
「くそっ」
男が呻いたその瞬間、声が響く。
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『後悔』を奪わせてもらいましょう」
現れたのは一人の魔女だった。言葉と共に男の胸に巨大な鍵を突き刺す。痛みもなく、出血もない一撃はしかし、男の後悔を奪い、その意識を断ちきってしまう。
魔女の名前は第十の魔女・ゲリュオン。『パッチワーク』に属する魔女の一人だった。
出現したターバン姿のドリームイーターを一瞥すると、魔女はその場から去ってしまう。
そして、重い扉が開かれた。こぼれ落ちるスパイスの芳香は、辺り一面に漂い人々の心を魅了する。
だが、その芳香は人の命を奪うための罠。ドリームイーターがドリームエナジーを吸収するための手段であったのだ。
「一国一城の主、か。気持ちは分からないでもないが」
自身の店を持つ事への夢に、ザイフリート王子(エインヘリアルのヘリオライダー)は小さく呟く。自身の過去を鑑みれば、思うところがあるのだろう。
ザイフリートの呟きにグリゼルダ・スノウフレーク(ヴァルキュリアの鎧装騎兵・en0166)は真摯な表情で頷いた。付き合いの長い彼女にとって、その気持ちは痛いほど判ってしまう。
ケルベロスが集った事を確認したザイフリートは、気を取り直したように声を上げる。
「さて。『後悔』を奪うドリームイーターが現れた」
『後悔』を奪ったドリームイーターは既に姿を消しているが、奪われた『後悔』で現実化したドリームイーターが犠牲者を生む可能性がある。その前に撃破して欲しいとザイフリートはケルベロス達に告げる。
「ドリームイーターさえ撃破すれば『後悔』を奪われた店主も目を醒ますだろう」
だから、安心して戦って欲しい、との事だった
「ドリームイーターが現れたのは裏路地にある小さなカレー店だな。客足が遠退き閉店まで陥ったが、ドリームイーターの力によって営業を再開している。サービスもそのままだ」
そこに難がある。店が潰れた原因は追求しすぎた辛さに寄るものだが、その方針は変わっていないのだ。
「しかし、そのサービスを心から楽しんだものがいた場合、ドリームイーターの源となった『後悔』を満たす事が出来る事も憶えていて欲しい」
辛さしかないカレーを食し、心から『旨い』と賞賛する事が出来れば、ドリームイーターは弱体化するものと思われる。
困難ではあるが試す価値はあるかも知れない。
「敵はドリームイーター一体。鍵やモザイクでの攻撃だが、一撃一撃が重いので注意して欲しい」
また、カレーも想像を絶する辛さの為、食する勇者は気を引き締めて立ち向かって欲しい、と付け加える。
その真剣な言葉にグリゼルダの表情が一瞬引き攣った気がしたが、それに対しては「無茶はするなよ」と忠告するだけに留まっていた。
「後悔を奪われてしまった被害者の為にも、ドリームイーターを倒し、事件を解決して欲しい」
ザイフリートの言葉にケルベロス達は頷き、そしてヘリオンに向かうのであった。
参加者 | |
---|---|
陶・流石(撃鉄歯・e00001) |
星黎殿・ユル(聖絶パラディオン・e00347) |
カーリー・カレーナ(華麗なるカレー戦士・e11898) |
黒木・市邨(蔓に歯俥・e13181) |
卯月・裕平(山籠り・e15650) |
白峰・真琴(いたずら白狐・e16172) |
ターャジス・プスンコ(カレーの国からナマステー・e18819) |
岩櫃・風太郎(閃光螺旋の猿忍・e29164) |
●今宵のカレーの味は
「イラッシャイマセー」
迎え入れる声は一つ。未来予知の通りならば店主一人で切り盛りしていた店だ。それは店主がドリームイーターに成り代わった今も変わり無い様子だった。
(「どうやらまだ犠牲者は出ていない様子だな」)
十三人と言う大所帯を率いながら店に入った卯月・裕平(山籠り・e15650)はほっと一息吐く。店内に店主以外の人影は無く、ケルベロス達が最初の客の様子だった。
それでは、と頷くケルベロス達は思い思いの席に腰を下ろす。
先陣を切って手を挙げたのは、カーリー・カレーナ(華麗なるカレー戦士・e11898)だった。
「カレーを」
この店に激辛カレーしか存在しない事は承知済みだ。メニューを開く事無く注文する彼女に対し、店主の目が剣呑な輝きを帯びた。モザイク越しだったがそんな気がした。
彼女に続き、カレーを注文するのは星黎殿・ユル(聖絶パラディオン・e00347)、白峰・真琴(いたずら白狐・e16172)、ターャジス・プスンコ(カレーの国からナマステー・e18819)、岩櫃・風太郎(閃光螺旋の猿忍・e29164)、グリゼルダ・スノウフレーク(ヴァルキュリアの鎧装騎兵・en0166)の五名。併せて、彼らと共に来たアトリやガラム、小梢丸もそれに続く。
店主が厨房に引っ込んで一時。香ばしいスパイスの芳香が店内に広がった頃、待望のそれらは姿を現した。
「わー、辛そうだねえ」
銀の椀に注がれた赤に近い黄色のカレーを一瞥した黒木・市邨(蔓に歯俥・e13181)がにへらと笑う。この後の戦闘に尽力するからとカレーを食べることを辞退した彼が口にしたのは、擁護の言葉。仲間がどう受け取ろうが、これが彼なりの応援だった。
「……これ、食えんのか?」
香りだけで咽せそうになった陶・流石(撃鉄歯・e00001)は顔を背ける。彼女の知りうる限り、カレーとはこんな辛そうな匂いをしていない。市販の激辛カレーが可愛く思えてきた。
「グリちゃん、これを……」
超が付く程の激辛カレーに挑戦する友人が心配の余り、一緒に来てしまった鈴は手製のヨーグルトドリンクをグリゼルダに手渡す。
ニコリと微笑み、礼を言うグリゼルダの額には、既に汗の玉が浮かんでいた。
「それじゃあ、ボクから」
普通の激辛カレーならば問題無いから、とスプーンを構え、一掬い、ユルがカレーを口に運ぶ。
黒猫が窓の外を横切った。昼間と言うのに鴉の鳴き声が響いた。
突如発生したあらゆるフラグを無視し、咀嚼したユルは華の様な微笑を浮かべる。
「あ、普通におい」
言葉は最後まで紡がれなかった。代わりに零れた物は『に゛ゃー?!』と言う悲鳴。それを残し、レプリカントの少女は店を飛び出して行く。
――星黎殿・ユル、リタイア。
「そうですねー。辛いって、結構、後から来ますよねー」
「いや、ちょっと待ってくれでござるよ! おーい、ユル殿ー」
判ります、とターャジスはゆるりと頷き、心配の余り身体を椅子から浮かせる風太郎はしかし、自分の役目はそれではないと再び腰を椅子に下ろす。
「大丈夫です。ユル様は戻ってきます」
尋常ならざる友人の反応に冷や汗を掻くグリゼルダは、信頼の言葉を述べると、スプーンの一太刀をカレーに浴びせるのであった。
●カレー・デスマッチ
人間の味覚に『辛味』は存在しない。
良く知れ渡った定説だが、再度、この場で告げる必要があるだろう。
辛味とは即ち痛み。舌や口内、喉に与えられる食品の刺激が『辛味』として人に伝わるのである。
「――?!」
一口食した後、悶絶するかの様にスプーンを震わせたのは真琴とグリゼルダだった。辛いと覚悟していた。だが、口にした辛さは生半可な物では無い、と飲み込むのを難儀している。
「……こ、これは」
辛党であるカーリーや風太郎も思わずその手を止めてしまう。身体中の汗腺が開き、ぶわっと汗を放出する様だった。事実、そうなのだろう。カレーを食する八人は何れもが滝の様な汗を流していた。
「身体中を刺す様なこの辛さ! こんなカレーは初めてだよ」
その中で唯一、手を休めず食べ進む猛者がいた。アトリ・セトリ。辛党を超えた辛党――絶望的な辛党の彼女は辛さ如きに臆さない。むしろ美味しいとスプーンを動かす。
そう。美味しいのだ。ドリームイーターの能力の影響を抜きにしても、長時間煮込まれたお肉は柔らかく、また、煮込まれた野菜と形を残す野菜の双方が口腔を愛撫するかの様子は、手間を考えず、別々の調理が為されている証拠だ。そして各種のスパイスがそれを引き立てている。辛味さえ考えなければ、美味しいカレーだった。
問題はその辛さだ。それがケルベロスの舌をも凌駕する人知を超えたレベルの辛味等と、絶対にあり得ない。一般人ならショック死をしかねない程の激辛であった。いや、使われている唐辛子の量がどのくらいか判らないが、唐辛子だけで再現しようとすれば身体に毒なのは明白だろう。
(「おそらく、これはドリームイーターの力だよね」)
額に浮かぶ汗をハンカチで拭うカーリーはそう推測する。発汗による体温調節が追いついていないのか、先程からバタバタとその特徴的な耳が揺れ動いていた。
(「美味と辛味、か」)
その二つで客を呼び寄せ、被害者を生むつもりだったのだろう。
ドリームイーターの力が作用するカレーは本当にカレーだろうかと疑問もあるが、目の前に出ているカレーは紛れもなく彼女が愛するカレーでもある。ならば、食さない理由はない、とスプーンを突き進める。
「……店主、このカレー、カレーうどんにする気は」
「ナイヨ」
店主の即答に「ですよねー」と風太郎が項垂れる。世界中の激辛料理を食べ尽くしたと豪語する彼の原点はカレーうどんだった。だが、インド風料理人の店主からして、うどんとマリアージュさせる気は無いのだろう。
(「どう見てもコスプレなのですけど」)
日焼けした日本人がターバンを巻いているだけ、と言うなんちゃってインド人な店主に対し、純粋なインド人であるターャジスは小首を傾げつつ、一口分、カレーを嚥下すると、持参したラッシーに口を付ける。
カーリー同様、口に運びながら味を分析する彼女は、そのカレーの出来に思わず唸ってしまう。
元になったカレーは良く研究している物だと正直に思う。味だけでは無い。自分達が使用するカレースプーンも心持ち一回り小さい特注品を用意している拘り振りだ。徹底しているなと感心してしまう。
当然だが、口に運ぶ回数が多ければ辛さを感じる回数も多くなる。
(「辛さが足りないから旨くない、との言葉は本当に悔しかったのでしょうね……)」
辛さを満遍なく味わわせるありとあらゆる工夫がこの皿にあった。
「く、くっく。カレーある所にカレーを食す人あり、の術なのです」
「オウマ荘で売っているこのナンがあれば辛さなんて……」
その向かいでカレーを食すガラムは、汗に濡れる小麦色の肌が露出の多さも相俟って艶めかしく輝いている。その隣の小梢丸は積み上げたナンで辛さを誤魔化しながら、ダイレクトマーケティングを行っていた。
「あ、お代わりをお願いします」
皿を空にしたアトリは次の一杯を店主に頼んでいる。『おいしくなれ』の準備はしていたがそれに頼るつもりはない、もはや病的な迄の辛党であった。
さて、繰り返しの説明になるが辛さとは痛さである。
グラビティを伴っていない攻撃であればダメージを受けないケルベロスにとって、辛さとは悶絶こそせよ、克服出来ない訳では無い。
ラッシーを用意したターャジスや事前に牛乳を一パック飲み干した風太郎、そして鈴特性のヨーグルトドリンク片手のグリゼルダと言った準備の良い面々は元より、カレーへの愛情のみで立ち向かうカーリーや『後悔』に苛まれる店主を励ます目的で挑む真琴もまた、辛さそのものに屈する事は無い。手の動きが鈍ろうが、完食は不可能では無いのだ。
しかし、ダメージの有無と痛みの有無、否、辛味の有無は別である。
「あは、カレー、美味しそうに食べているね」
脳天気な市邨の言葉に、凄い視線が戻ってくる。
「挑戦するのは良い事だが、無理はするなよ」
いつリタイアしても構わない、と告げる裕平の声はあくまで優しく。
「このスパイス系の辛さは駄目だなぁ」
ユルが残したカレーを味見と突く流石は感心した様に頷く。挑戦するつもりは無かったが、興味本位で味わったその刺激に、思わず敬礼をしてしまう。この味と戦う彼らは掛け値なしの本物の勇者だ。
「にゃ~。初期化の危機だったよ……」
気落ちした声と共に戻ってきたユルは、まだ痺れが取れないのか、赤い舌を突き出していた。
そして冷えた水を飲もうとする彼女に、鈴が声を掛ける。
「駄目ですよ。ユルさん。カレーの辛さに水は逆効果です」
「え? そうなの?」
差し出されたヨーグルトドリンクを飲みながらの返答にコクリと頷く鈴。
カプサイシンは脂溶性なのだ。カレーのお供にターャジスが用意したラッシー等が供される理由の一端がそれである。
なんにせよ、ユルが戻った事により役者は揃った。後は勇者達がカレーを完食するのみである。
●戦いの終結
少女は駆ける。彼女は自身へ挑戦者の立ち位置を課していた。それは彼女自身が決めた事。故に駆け抜ける。
耳に届く声援はもはや、誰の物かも判別が付かなかった。だが、それでも声援を力に、もがく様に突き進む。
仲間達は既にゴールしただろうか。幾度となく飛びそうになった意識はその確認を行う暇を彼女に与えない。
今はただ、進むのみ。ゴールを目指し、それ以外の全てを切り捨て、そして――。
ごくり。
最後の一掬いを飲み込んだ後、グリゼルダは気力を振り絞り「ご馳走様」と合掌した。その一瞬後、だーっとテーブルに突っ伏す。
行儀が悪いとか今は大目に見て欲しかった。完食しきった喜びよりも、もう食べなくて良いと言う喜びが勝っている時点でもう、色々察して欲しかった。辛く辛い戦いは終わったのだ。
「おー、あのカレーを見事完食したよ、すごーい」
「お疲れさん」
そんな彼女に差し出されたおしぼりは流石からだった。汗を拭いながら確認すれば、仲間達は既に食事を済ませていた。平然とした表情を浮かべている者、犬の様に喘ぐ者、くあーっと意味不明な呻き声を上げている者など、様々な様相であったが、あの地獄を皆が乗り越えたとの喜びがゆるりと沸き上がってくる。
「後は俺達の仕事だな」
「出番ですかね、やってやりますか」
立ち上がる裕平は得物である精霊手とゲシュタルトグレイブを構え、市邨は蔓と名付けた攻性植物と己のアームドフォートを展開する。
厨房から出てきた店主は、巨大な鍵を携えていた。カレーで殺せないのであれば直接手を下す。その腹積もりなのだろう。
「始めよう」
シャーマンズカード――星降る金符を掲げるユルはドリームイーターを迎えるべく、詠唱を始めた。
「我が魔力、汝、救国の聖女たる御身に捧げ、其の戦旗を以て、我等が軍へ、勝利の栄光を齎さん!」
流石、カーリー、裕平、真琴の四者に戦旗を掲げる聖女のエネルギーが宿る。
「さぁて、ボコるか」
それを見届けた流石から男らしい一喝が上がった。
鍵の一撃が翻る。その一撃を精霊手で受け止めた裕平は「む」と唸る。
(「軽い?」)
叩き付けられた一撃は確かに痺れを残す強烈な痛打であった。だが、ディフェンダーの恩恵を与る裕平が受けたダメージは微細。
すかさずグリゼルダが施す緊急手術により、彼の傷口は完全に塞がっていた。
「皆の頑張りは無駄じゃなかった、って事だ」
困惑する裕平に掛けられた声は市邨の物だった。普段の口調や表情をかなぐり捨て、冷淡な眼差しをドリームイーターに向けている。
ドリームイーターの元となった店主の『後悔』、店を潰した事への後悔を、皆が完食する事で昇華した。ならば、ドリームイーターが力を失うのは当然の帰結。
「夢喰い、覚悟は良いか? 俺は外さない、よ」
故に敗北の道理は無い。此処に集うケルベロス達は誰もが精鋭揃いだ。それが十三人もいる。彼らに抗う力をドリームイーターは有していないのは明白だった。
「――さようなら、在るべき場所へお還り」
瞬間、市邨の足下から蔓が伸びる。急成長する蔓が捉えた物はドリームイーターの肢体。仇を逃がさぬ蔓、罪を切り刻む棘、侵略者を切り裂く葉刃は、彼の抱く蔓の物だった。
悲鳴の上がるドリームイーターに更なるグラビティが襲った。
「拙者の黄金の左足の威力、とくと味わうでござる!」
螺旋を込めたエネルギー球体を練り上げた風太郎はそれを蹴り飛ばし、ドリームイーターに叩き付ける。その衝撃にコックコートとターバンが千切れ、紙吹雪の様に舞い散った。
「ぶっとべ!」
「いっくよー!」
ウェアライダーの攻撃に続く二つの追撃は同族の二人からだった。真琴の蹴りはその身体を大きく浮かせ、カーリーの振るう双剣の一撃は、超重力の一撃となってドリームイーターを切り裂いた。
「おう、目ぇ逸らしてんじゃねぇよ」
蔓に縛られたまま、まるで十字架の様に吊されたドリームイーターに、流石が鋭い視線を叩き付ける。鋼の様に鋭く冷たい視線はまさしく邪眼。それがドリームイーターの中身を抉って行く。
「お前の動き、見切ったぜ」
幾多のグラビティによって這々の体と化したドリームイーターに裕平の槍撃が突き刺さる。目を閉じる事で視覚以外の感覚を研ぎ澄ませた一撃は、紛う事無くドリームイーターの身体の中心を貫いていた。
ぽとりと蔓から落ちたドリームイーターを待ち受けていたのはターャジスだった。ニコリと微笑み、その頭を両腕で優しく包み込む。まるで恋人の頭を抱擁する慈愛に満ちた眼差しに、ドリームイーターのモザイクの顔に困惑が浮かんだ。
「インド人を右に」
詠唱と共にくいっとその首を曲げる。グキリと鈍い音が辺りに響いた。人間であれば頸椎を砕きかねない一撃は、ドリームイーターにも有効だった様だ。がくりと膝を突いたドリームイーターはそのまま光の粒子へと転じ、消失して行く。
「ご馳走様、でした」
のんびりとした声が、まるで葬送の言葉の様に響いた。
●再出発の時
「その腕を鈍らせるのは惜しいでござる!」
「いや、しかしだね」
困惑気味の店主に力説するのは風太郎だった。店は潰れてしまったし、と口籠もる彼に、かれこれ三十分ばかり説得を続けている。
店主が発見されたのは厨房だった。眠る様に倒れていた彼は、ターャジスが施したヒールの効果もあってか、今は元気に見える。
その彼の身柄をケルベロス達は、厨房から店内へと移したのだ。ちなみにその店内もヒールが施され、戦闘の痕跡は完全に消去されている。
彼の『後悔』は昇華した。次はその足を一歩、踏み出させよう。それがケルベロス達の想いでもあった。
「店主の腕は悪くないでござる! 激辛は裏メニューとして普通のカレーを出していれば流行るでござるよ! あとカレーうどんも是非」
しかし、と唸っていた店主はその熱意に絆されたのか、最後は再出発の旨を了解する。
その瞬間、ぐーっと凄い音が響いた。
「……グリくん?」
「あ、いえ、その、えっと。運動するとお腹が空きますよね!」
赤面して誤魔化すグリゼルダに一同の笑いが起きる。
「っても、あたしらもカレー、食べてないし」
お腹空いたぞー、と目の端を拭いながら流石が同意の言葉を上げたのを切欠に。
「判りました。再出発一号のお客様達にカレーをご馳走致しましょう」
店主が腰を上げたのだった。
漂うスパイスの芳香はあくまで香ばしく、食欲を刺激する。
それは先程、カレーを食べなかった流石、ユル、市邨、裕平や鈴と言った面々だけでは無く、カレーを完食した筈の八人も例外では無かった。そもそもカレー好きを公言する面々だ。二杯目――一人は三杯目になるが――のカレーに異存は無かった。
「……今度のは普通の辛口なんだな」
旨い、と素直な感想を述べる裕平の隣で、真琴が自身のカレーをがつがつと掻き込んでいる。
そして顔を上げると、
「これは美味い。俺が太鼓判を押すよ」
断言し、うんうんと頷く。
「料理は心、カレーを愛している気持ちがあるなら、大丈夫なんじゃない?」
ゆっくりとカレーを食していた市邨がそれに続く。
「だな。普通のカレーは旨いんだから、『辛くなければカレーじゃない』とか思わなければ、ね」
カレースプーンを咥える流石の言葉は本心からだった。美味い物は美味い。それでいいだろ? と告げながら。
「ボクはさっきの辛いカレーも好きだったよ。諦めずにそっちも作って欲しいなぁ」
カーリーの感想にターャジスも同意する様に頷いていた。なお、その言葉の瞬間、グリゼルダの表情が固まった気がしたが、それは無視する事にした。
「まぁまぁ。メニューにオムカレーもつけて貰おうよ。ちなみにオムカレーってのはふわとろのオムライスの上にね……」
ユルのフォローははたして、凍り付いた彼女の心に届いたか否か。とは言え、普通にカレーを食している様子から、問題ない様に思える。
「うむ。これで一件落着でござるな」
ぽんと風太郎が膝を打つ。上がったその声は、心底楽しそうな響きを帯びていた。
作者:秋月きり |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2016年7月31日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 6
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