●狭間の時間
月明かりさえ届かない夜の学校。
割れた硝子。朽ちた黒板。むき出しになった鉄骨。
誰も通わなくなって久しい、過去の残骸。
重苦しい空気が、荒れ果てた校舎に淀んでいた。
「ここ、か……?」
懐中電灯の明かりが廃墟を照らす。
踊り場の合わせ鏡。
噂の舞台は間違いなく此処だった。
「やり直し、か……」
大鏡の前で青年は呟き時計を確認する。
午後11時40分。日付が変わるまで、あと少し。
「噂が、本当だっていうなら……」
青年の視線の先に大鏡。薄汚れて、罅の入ったそれは、どこか怪しく男を映していた。
焦るように、青年は鏡に映る自分を見つめ、時を待つ。
――――ぞぶり。
あまりに突然に、沈み込むように青年の胸に鍵が刺さる。
暗転する世界。沈み込む身体。
意識を奪われる直前、青年の視界の先に映る鏡には白い女が立っていた。
「私のモザイクは晴れないけれど……」
鍵を引き抜きながら女はじっと倒れた青年を見つめる。
その影から、黒い影のような何かが、立ち上がろうとしていた。
「――あなたの『興味』には、とても興味があります」
かちり。
時計の針が時を刻んでいた。
●鏡合わせの後悔
「『興味』に興味がある、って感情にちょっと興味がわきますね!」
ドリームイーターが『興味』を奪う事件が発生した。
その話を聞いて集ったケルベロスたちを前に、和歌月・七歩(オラトリオのヘリオライダー・en0137)はマイペースに話を切り出した。
「奪われてしまった『興味』は、ある噂話みたいです」
午前0時。今では放棄された古い学校の校舎。1階と2階の狭間。
踊り場にある大鏡に一人で映ったなら、そこには『過去の自分』が見える。
「――そして、やり直したいと告げて手を伸ばせば、最も後悔していることをやり直すことが出来る」
……なーんて、よくあるような話なんですけど。
声を低くしておどろおどろしい調子で語っていた七歩は、ぱっと笑ってケルベロスたちに向き直る。
「と、言うわけで。この噂話から生まれたドリームイーターを犠牲者が出る前に倒してもらいたいんです」
『興味』を奪った張本人であるドリームイーターは既に現場にはいない。
けれど、『興味』を元に具象化したドリームイーターは現場に残り、鏡の前に現れるものを待っている。
残っているドリームイーターを倒すことができれば、意識を失っている『興味』を奪われた青年も目覚めることだろう。
事件が起こるのは、深夜の廃学校。
青年の倒れる怪談の踊り場で、鏡と向き合い自らの後悔を告げれば、ドリームイーターは現れるだろう。
或いは、手間こそかかるが校舎全体を虱潰しに探しても見つかるかもしれない。
「ドリームイーターは、最も後悔している出来事が起こった頃の、皆様自身の姿に見えると思います」
変身する、と言うよりは過去を映す鏡のよう。
見る人によって姿が変わる、幻覚を纏ったような存在であるようだ。
あの頃に戻ってやり直したい。
そんな後悔を一切持たない人間には、ただの黒い影のように映るだろう。
敵は過去の自分の姿で、トラウマを囁きながら手を伸ばしてくる。
もう一度やり直そう。辛かった後悔をなかったことにしよう、と。
「……でも、その手を取っても、本当に過去が変わるわけじゃないんです」
何かが解決したような気分に陥るかもしれない。
けれど、それはただの催眠にすぎない。現実は何も変わらない。
「……皆様には後悔ってありますか?」
ぱたんと手帳を閉じた七歩は少しかしこまった表情でケルベロスたちを見つめた。
「私はちょっとだけあります。あの時ああしてたら良かったな、って。……でも、取り返しのつくことなんて、何もないですよね」
現在も、未来も、ケルベロスたちなら選ぶことが出来るかもしれない。
けれど、一度決まってしまった過去ばかりは変えようがない。
例え此度現れたドリームイーターであっても、それは同じことだ。
「折角だから、少しでも後悔のない未来を選びたいですよね」
そう微笑むと、七歩はくるりと回って微笑んだ。
「……さあ! 行きましょう、ケルベロス。望みの未来は見つかりました?」
参加者 | |
---|---|
天野・夕衣(ルミノックス・e02749) |
リコリス・セレスティア(凍月花・e03248) |
アッシュ・ホールデン(無音・e03495) |
リリー・ヴェル(君追ミュゲット・e15729) |
扇華・冥(真宵・e22951) |
エフェメラ・リリィベル(墓守・e27340) |
佐伯・誠(シルト・e29481) |
須藤・花(オラトリオの螺旋忍者・e29482) |
●逆光
後悔先に立たず。
あまりに自明であるこの言葉が使われ続けているように、例え無駄だと分かっていても、人は過去への執着を容易には捨てられない。
こんな噂が流れるのも、だからこそなのだろう。
廃校舎の踊り場。大鏡の前に立ちながら、アッシュ・ホールデン(無音・e03495)は溜息を付いた。
「柄でもねぇんだけどな……」
ぼやきながら動かした視線の先には、物陰に潜む仲間たち。
その中の、扇華・冥(真宵・e22951)と目が合うった。
(「……変わろうか?」)
――と、でも言っているつもりだろうか? アッシュは軽く笑って冥の好意を遠慮する。
自分で言い出したことだ、今更否定はできない。
後悔が本物であろうとも。アッシュは鏡に向き直り、手を伸ばした。
持ち込まれた設置型ライトで照らされた廃屋の中、男の声が響く。
「噂が本当だって言うのなら……やり直させてくれ」
それはいつかの物語。気がついた頃には全て終わっていた物語。
――かつてアッシュは戦場に居た。
命を懸けて敵と戦っていた。何人も、顔見知りが死んでいった。
アッシュは死に慣れていった。自分がいる場所は世界の最前線で、最も危険な場所のようだった。
そしてアッシュは戦場から日常へと帰った。そこで待っていたのは両親の訃報だった。
安全なはずだった国で、待っているはずの両親は死んでいた。
やりきれない、割り切れない思いがあった。
「……死んだ事実まで覆せとは言わねぇ。だがせめて、息子としてきちんと見送ってやりたかった」
アッシュの瞳の中で、鏡に写る自分の姿が変わっていく。
軍服姿の彼は、シンクロするように口を開いて、現実のアッシュへと手を伸ばした――。
……やり直そう――。
「――ダメ、です」
その手を遮るように、雷電の壁が突如として立ち塞がる。
稲妻の杖を振りかざし現れたリリー・ヴェル(君追ミュゲット・e15729)は、静かに首を振った。
「カンジョウ、キオク、想い出……それは、そのヒトのもので。他人が利用し、弄んでよいものではない、の」
続いてケルベロスたちも物陰より現れて、鏡から出てきたようなドリームイーターを取り囲む。
「大丈夫ですの?」
敵から目を離さないように構えながら、エフェメラ・リリィベル(墓守・e27340)はアッシュに声をかける。
「……ああ、後悔なんぞに捕らわれて、今を見失う程馬鹿じゃねぇさ」
――選択全てを否定するようじゃ、親父に張っ倒されかねねぇしな。
口元を歪めながら、アッシュも、自らの後悔を模った敵へと武器を構えた。
●未来
『それ』は、リコリス・セレスティア(凍月花・e03248)には幸せだった頃の自分に見えた。
きっと最も幸せで、だから最も後悔した。
「――時間の巻き戻しの力は失われ、もう誰にも起きてしまった事は変えられない」
それは当たり前のことで、普通のことだ。……けれど、リコリスは僅かでも残念と感じてしまう。
愚かなのかもしれない。罪深いのかもしれない。目の前の彼女は、リコリスを誘うように手を伸ばす。
知らなかった。デウスエクスだったなんて。そのデウスエクスが、村の人達を、あの人を殺すなんて。
結婚して幸せになるはずだったのに。
……やり直しましょう? 今度こそ、幸せになりましょう?
呼びかけられるその声は、ひどく甘い。
――きっと、躊躇はしなかった。リコリスは手を彼女へと向けた。
「あの日に起きた事は全て私が招いた事だと、理解しております……」
その手には、一枚のカード。
「死を望む程に後悔をして……けれど、この罪は決して消えません」
宿す力は、熾炎の業火。燃え上がる炎が、幸福だった彼女の姿を焦がしていく。
「だから、この身も力も、全て誰かを守る為に使うと誓ったのです」
いつか、リコリスが戦場で死ぬ最後の瞬間まで。
「……立派だな」
携行砲台による射撃で攻撃を加えながら、佐伯・誠(シルト・e29481)はリコリスの覚悟を認めた。
誠には、その姿は警官になったばかりの自分に見えた。若かったあの頃。
経験が足りなかったからか、それとも何らかの油断だったのか、或いは必然だったのだろうか。
誠達が取り逃がした敵が、大量殺人を犯したのは、その頃だった。
非力だったことを悔いた。自分にもっと力があれば助けられたかもしれないと。
「はなまる、お前に後悔はあるか?」
自らの指示に従い戦闘を行うオルトロスのはなまる号へ声をかける。
不思議そうな顔で自分を見返すはなまる号を見て、誠は息をこぼす。
「……ないか。いいな、お前は」
「まあまあ、後悔なんて今したってしょーがないってね!」
明るく呼びかけながら、須藤・花(オラトリオの螺旋忍者・e29482)は自らの先輩、誠の隣へ並び立つ。
「……須藤」
花の笑顔を見て、誠は気になっていたことを問う。
「お前にはあれが、どんな姿に見える?」
誠は、花の過去を知っていた。かつて家族を奪われ、翼を奪われた事件を知っていた。
それが今でも後悔なのではないかと、そう思っていた。
はは、と軽く笑って花は答えた。
「先輩見てくださいよ、あの時の俺可愛くないですか?」
あ、見えないか。そういう花の口調は軽いものだ。けれど、見えている以上、それは確かに後悔だった。
「見えなくて良い、お前の後悔の姿なんて辛いだけだ」
「んー……。大丈夫ですよ、もう泣いてる少年はもう卒業したんで」
苦そうに顔を歪める誠に言葉を返し、氷の魔力を集めながら、花は少年と向き合った。
涙を流す自分、弱い自分。助けて欲しかった自分。
……吹っ切れては居ない。けれど、囚われるつもりもない。
「もう、その涙も見飽きましたんで」
退場してもらおう。過去の少年には。
ケルベロスたちの攻撃が自ら過去を傷つけていく。
やめてくれ、助けてくれ。『それ』は言う。言葉は刃となりトラウマを抉ろうとした。
「落ち着いて、わたくしが守りますわ」
エフェメラは、静かにその攻撃を受け止めた。
盾として敵に対峙するエフェメラには、その姿はどこか曖昧なものに見えた。
エフェメラの中に、痛ましい過去はある。けれど、それは後悔と呼べるようなものではない。
「やり直すことなんて、考えたこともありませんもの」
だって、本当にやり直すことが出来たとして、そうすれば幸せになれるのだろうか。
だって、つらい思いを抱えて生きてきたからこそ、今の自分自身なんじゃないか。
誰を忘れて、誰を失っても、エフェメラは今を否定することはなかった。
だとすれば、後悔はやはりエフェメラの中にないのだろう。
「――そんなことより、あなたはお強いかしら?」
旋刃脚を一閃。強さ。過去でも今でもきっと未来でも。それこそがエフェメラの価値基準だ。
曖昧な自分を蹴り飛ばすと、エフェメラは強く敵を見据えた。
●過失
「後悔を公開する」
その冗談をいつから秘めていたのだろう。
妙にキリッとした顔で天野・夕衣(ルミノックス・e02749)は敵を見る。
そして、何も変わらないようないつもの調子で、飄々と世間話のように後悔を口にした。
「夕衣さんは3日ぐらい前に欲望に負けてパフェを食べたのが後悔ですね」
では、その瞳に映る敵は3日前の夕衣だろうか。
或いは、その程度では後悔とは呼べず、曖昧な影法師でしか無いのだろうか。
語られぬ内心を悟ることは誰にもできない。
夕衣は薄い笑みとともに誰もが自分の姿に見えている敵へと、紫電を纏った槍を突き出した。
「はいはい、それじゃ片付けてしまいましょうね」
にこり――。公開すると語った自身の言葉とは裏腹に、夕衣の後悔も感情も、全ては笑顔の下に葬られた。
傷つき、次第に動きが鈍くなりつつある敵を見つめながら、リリーは戸惑いを覚えていた。
なぜ、そこに自分が見えるのだろうか。
敵の攻撃は後衛であるリリーにまでは届かない。少し離れた位置から仲間たちを癒しながらも、彼らが戦う相手は自分に見えた。
「……どうして?」
コウカイなんて、わからないと思っていた。リリーは未熟な人形だから。ココロが、満ちていないから。
けれど変わらない、リリー自身のように見えるその姿は、何も言わずにリリーを見つめ返していた。
どうして? ……問い返すような彼女の視線の先で、想起される儚い物語。
無邪気に永遠を信じていた倖せな日々だった。
当たり前のようにいると思っていた人が、突然喪われて終わった。
それを、取り戻したいと望んだことが無いといえば嘘になる。
だけど、それがコウカイだなんて、思いもしなかった。
「わたくしは、コウカイしているのでしょう、か……」
リリーは自らの心の揺れを自覚する。
「――世界を生き抜く中での一番の敵は、自分ってことなんだろうね。きっと」
その迷いごと絶ちきるように、冥の剣は振るわれた。
「メイさま……」
リリーの声に背中で応えながら、あの日の姿をした自分と、冥は向き合う。
「もう一度会うことが出来たなら。僕にもそう思う人がいる」
リリーにか、自らの後悔へか。冥は語りかける。
大切な親友を救うことが出来なかった。深い後悔と哀しみを冥は覚えている。
「……だけどね、あの日に戻ってやり直せれば、とは思わないんだ」
冥の後悔はビハインドの神楽を生んだ。悔やんだからこそ神楽と出会えた。
本当に辛くて悲しいことだった。だけど、だから、冥はどうしても今を否定できなかった。
「過去も後悔も全て抱えて僕は今を生きるよ」
続けるように、番犬たちは言葉を連ねた。
「ええ、勿論ですわ。行きましょう」
迷いなどない。癒やしの波動を放ちながら、エフェメラは仲間の意志に頷いて同意する。
「……もう、戻ることは、出来ないのですしね」
時すら止める弾丸も、過去を取り戻すことは出来ない。氷の礫を放ちながらリコリスは静かに思いを馳せる。
「俺も、彼奴に逢うまで戻る訳にはいかないんですよ」
後悔だけでは足りない。宿敵を抹殺するまで終わらないと、社交的な仮面の下で花は誓う。
「そうだな、丁度いい機会だ。かつての自分に活を入れてやろう」
届かない過去を昇華できるだろうか。どこまでも実直に、誠の銃弾が苦悩する自分を貫いた。
「そうそう、自分に素直にならなくちゃいけませんね♪」
過去は語らない。夕衣の右目が赤く染まり、鏡合わせの相手の心に傷を与える。
「……そう、なんです、ね」
何か少しだけ、リリーにも分かったのかもしれない。
後悔はきっと、特別なものではない。誰もが抱える、当然の感情。ヒトそのもの。
そして、それでもきっと、ヒトは今を生きていくことが出来るのだ。
そこにまだ、続いているものがあるから。
「……そうだよね? アッシュも」
「おう、任せときな」
冥の言葉に短くアッシュは答えた。
後悔を象った人型は動きを止めていた。
作戦でも余裕でもなく、ただ力尽きようとしていた。
アッシュはゆっくりと近寄るとナイフを振り上げる。
いいのか……? 瞳に映る満身創痍の青年は、そう問うているように思えた。
「……いいも悪いもねえだろ」
振り下ろす。無防備に刃に貫かれた青年は影に溶けこむように消えていった。
消える自分と、貫いたナイフと、自らの手袋をアッシュは見る。
――例え噂が本当で、やり直すことが出来たとしても。
『これ』は、今なのだから。
アッシュは手袋の送り主を想った。
●虚構
戦いは終わった。
番犬たちの後悔は、廃校舎の闇に溶けるように消えていく。
未練か、感慨か。彼らは暫しそれを見送った。
「では、ヒールで修復してから帰りましょう」
今は使われていない学校ではあるが、修復しなかった結果、倒壊してしまっては流石に大事になってしまう。
エフェメラの言葉に冥が頷いて、戦闘のあとを癒していく。
「では、私は被害者の方を迎えに行きますね」
「……っと、そうだな。俺もそっち手伝うか」
リコリスの言葉にアッシュが同意する。
ガシャーン。大きな音が響き渡ったのは、その瞬間だった。
振り返るケルベロスたち。
「いえ、また利用されないとも限らないな、と思いまして」
視線の先で、大鏡に縛霊手を叩きつけてた夕衣は、真意の読めない笑顔でそう言った。
粉砕された大鏡は床に散らばった。もう、誰かの後悔を想起させることなどありえないだろう。
「……ああ、これで良かったのかもな」
誠は地に落ちた残骸を見て、呟いた。
午前零時に廃校舎の大鏡を見ると過去の自分が見える。
その時、手を伸ばせば後悔をやり直すことが出来る。
かつて、そんな噂話が人々の興味を引いたことがある。
昔の話だ。今はもうない。
眼前には、後悔で舗装された道がある。
割れた鏡の破片の上を、ケルベロスはこれからも歩いて行く。
作者:玖珂マフィン |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2016年7月28日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 6
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