懐古時計のカンパネラ

作者:犬塚ひなこ

●退廃美と絡繰り時計
 カンパネラ。それは『小さな鐘』を意味する言葉。
 路地裏にひっそりと掲げられた店看板は鐘のかたちをしている。硝子越しに見える店内には所狭しとアンティーク風の時計が並んでいた。だが、休日の昼日中だと云うのに店の扉は固く閉ざされている。
「古時計や絡繰り時計が好きな人って、きっとたくさん居るはずなのに……」
 暗い店内のカウンター奥。呟いた黒髪の女性は鐘が鳴る仕掛けが施された古時計を手に取り、深い溜息を吐く。其処は一見すれば雰囲気のある古道具屋なのだが、経営難で閉店してしまったこの店が客を招くことはもう二度と無い。
「壊れているのも退廃的で素晴らしいはずよね。……でも、駄目だった」
 店主は俯き、店の中を見渡した。
 壁や棚、机の上。錆びた真鍮や褪せた銀の時計達はどれもが止まっており、すべてが壊れていた。中には歯車やリューズが剥き出しになった物まである。
 此処はただのアンティークの店ではなく、壊れた仕掛け時計を専門に扱う場所だった。最初は自信を持って店を立ち上げたのだが、結果は見ての通り。
「こんな店、止めておけばよかった。個人収集に留めて置けばこんなことには……」
 彼女に『後悔』の念が過ぎる。――そのときだった。
 店主の前に突如として魔女が現れたかと思うと、その胸元に大きな鍵を突き刺した。鍵の力を使って女性の夢を覗いた魔女の名は、ゲリュオン。
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『後悔』を奪わせてもらいましょう」
 魔女は薄く笑むと踵を返し、意識を失った店主を置いて何処かに去っていく。そして、沈黙の満ちる店内に代わりに現れたのは幾つもの古時計が重なったかのような人型のドリームイーターだった。
 閉じられていた店の扉が大きく開かれ、新たな客を誘うように看板が揺れる。
 だが、其処に待っているのは人の命を奪う怪物。後悔が凝り固まった夢喰いは壊れた針をくるくると動かし、来客を待ち侘びていた。
 
●古時計の乱
 自分だけの店を持つのは憧れであり夢。
「後悔……それが今回、狙われてしまった原因みたいなのです」
 小さく俯き、雨森・リルリカ(オラトリオのヘリオライダー・en0030)は集ったケルベロス達に事の流れを説明しはじめる。
 古い絡繰り時計、それも完全に壊れた物ばかりを収集していた女性は趣味が高じて路地裏に小さな古時計の専門店を立ち上げた。だが、一度は叶えられた夢は店の閉店という形で壊れ、嘆いていた女性が襲われてしまった。
 女性の夢の形は今や新たなドリームイーターとなり、閉店したはずの店舗の中で犠牲者という名の客を待ち構えている。
「お店は狭い路地裏にあるのでお客さんが来る可能性はとても低いですが、ゼロとは言えませんです。誰かが殺されてしまう前に退治をお願いします!」
 リルリカは仲間達に強く願い、敵の詳細を語っていった。
 敵はたった一体のみ。
 到着する時間には周囲に一般人の気配はない。何も気にせずそのまま店に乗り込み、戦いを仕掛ければ良いのだがリルリカは攻略法があると告げる。
「ドリームイーターは夢の主になった女性の思いを継いでいるみたいでございます。それなので、お店に入ったらまず壊れた時計を買わないかと勧めて来るのです」
 商品はアンティーク風の時計ばかり。
 錆びていたり、修理が不可能な程にボロボロの物まである。しかしどれもがこの店選りすぐりの一品らしい。もし誰かがそれを心から気に入って購入した場合、満足した敵の戦闘力が大きく低下するという。
 つまり接客を受け入れて購入まで辿り着けばいいのだが、同時に問題もあるのだと話したリルリカは俯く。
「ですが……お値段が……ひとつ五万円、するそうです」
 まさかの五万円。本来の商品はそれほど高くはないのだが夢喰いは理想の値段を吹っかけて来る。ちなみに払ったお金は撃破後に戻ってくる訳ではなく、何やかんやで敵に吸収されてしまうので思い切りが必要だ。
「それなので無理にドリームイーターに付き合うことはないです。大丈夫です! リカは皆様がとっても強いことを知っていますので!」
 妙に力を入れて話したリルリカはぐっと掌を握り締めた。
 正攻法で倒すか、満足感を与えて弱体化させる方法を取るか。それは実際に現場に向かうケルベロス達の手に委ねられる。
 敵さえ倒せば、カウンター裏で眠らされている店主も助け出すことが出来る。
「後悔を歪められて、そのうえこれ以上お店をめちゃくちゃにされるなんていけないです」
 店は潰れる運命でも、好きだという気持ちは失くして欲しくない。
 だから、彼女を救って欲しい。そう告げたリルリカは信頼の眼差しを向けた。


参加者
守矢・鈴(夢寐・e00619)
アイラノレ・ビスッチカ(飛行船乗りの蒸気医師・e00770)
ロベリア・エカルラート(花言葉は悪意・e01329)
ジャック・シュヴァルツ(リボルバードラゴン・e02551)
百鬼・澪(澪標・e03871)
井伊・異紡(地球人のウィッチドクター・e04091)
西村・正夫(週刊中年凡夫・e05577)
小花衣・雅(星謐・e22451)

■リプレイ

●追憶の針
 時が止まった時計。
 その時計は、いつ何処で、どのようにして針を止めたのだろう。其処に想いを馳せれば、その時計だけが歩んで来た物語を感じる。
 暗い店の硝子越しに中を覗き込み、井伊・異紡(地球人のウィッチドクター・e04091)はふと思いを巡らせた。すると、店の扉がまるで此方を誘うように開く。
 小花衣・雅(星謐・e22451)はウイングキャットのアステルと静かに頷きあい、カンパネラの名を冠する店内へと踏み入った。
 ドアベルがちりんと鳴る中、仲間達も雅の後に続く。
「お邪魔するわね」
「いらっしゃいませ! さあさ、これなど如何でしょうか?」
 雅が店の中を見渡そうとする前に、古時計の怪人と思わしきドリームイーターがテーブルの上にあった商品を勧めて来た。
 敵は店内をゆっくり見させる気もないらしく、守矢・鈴(夢寐・e00619)は随分と強引な売り方だと感じた。だが、今は敵の出方を窺う時だ。促されるままにアイラノレ・ビスッチカ(飛行船乗りの蒸気医師・e00770)は勧められた商品を覗き込む。
 それは外装が剥がれた真鍮の置時計だった。
「眠りについた時計さん。あなたはどんな一生を過ごしたのでしょう」
 どんな日々を見て、どのように眠りについたのか。そう感じたアイラノレが時計を手に取った時、ドリームイーターがすかさず告げる。
「そちらは五万円になります」
 かなり無理矢理で性急な接客だが、夢喰いに常識を求めてはいけなかった。
「勿論、買います」
 正直に言えばアイラノレはこれを買う為に訪れたようなものだ。彼女が即答して財布を出した瞬間、怪人は代金を胸の時計の中に吸い込んだ。
「ありがとうございました。では、ご退店をどうぞ」
 まだじっくりと商品を見ていないというのに、敵は伸ばした腕で出口を示す。
「おいおい、そいつは流石に早くないか?」
 ジャック・シュヴァルツ(リボルバードラゴン・e02551)は怪人の言葉に訝しげに片目を瞑ったが、あることに気が付く。
 百鬼・澪(澪標・e03871)も同じことを思ったらしく、仲間に視線を送った。
 澪達も店内の商品を購入しても良いと考えていたのだが、怪人は問答無用で全員を外に出そうとしている。
 おそらく夢喰いは商品をひとつ売っただけで満足したのだろう。買い物をしたと同時に敵に漲っていた力がふっと抜けたのだ。
 澪からの合図に雅が頷きを返し、ジャックも素直に店の扉をひらく。店を戦場にしたくないと願っている現状、外に出るのは此方にとって好都合だ。
 ロベリア・エカルラート(花言葉は悪意・e01329)もビハインドのイリスを伴い、路地裏へと下がった。今一度、店の看板を見上げたロベリアは雰囲気のある店だと実感する。
「芸術ってのは他人と共感することに意味があると思うんだよね」
 個人的な考えだけど、と呟いたロベリアに西村・正夫(週刊中年凡夫・e05577)も同意し、扉前まで出て来たドリームイーターを眼鏡の奥の瞳に映した。
「古い道具は物語を買うことと同じ。ですが、貴方のその姿勢は違います」
 首を横に振った正夫は敵を見据え、その背後に眠っている時計達を思う。道具に宿る表情、持ち主と重ねた時間、大事にされた記憶、動きを止めた有様。錆や傷ですら想像を掻き立てるのだ。
「雰囲気の有るものは動かずとも手元にあるだけで良い。それなのに……」
 退廃的な時計達から過去の記憶を思い出し、鈴は双眸を鋭く細めた。
「敢えて言葉にするならナンセンス、かな」
 買うだけ買わせて店を追い出す姿勢はいけないと語り、異紡は抜き放った剣の切先を夢喰いへと向ける。
 その瞬間、ドリームイーターも殺気を感じ取ったらしく、身構え返した。
「ご退店願えないのならば、殺しましょう。そうしましょう!」
 そして――戦いの幕はあがる。

●時計と刃
 双方に緊張感が巡った刹那、先手を取ったのは古時計の怪人だ。
 その動きを察した異紡が目配せを送り、正夫が気を付けてください、と皆に呼び掛ける。敵が解き放った歯車がアイラノレに向けられたことを察し、地を蹴った雅もすぐさま仲間の前に立ち塞がる。
「アステル、来るわ。お願いね」
 翼を広げて身構えた雅は衝撃を受け止め、相棒猫に呼び掛けた。その声に応えたアステルは主人と同じ仕草で清浄なる翼の加護を広げてゆく。
 身を襲った痺れが取り払われていくことを感じながら、しなやかに跳躍した雅は反撃の蹴りを敵に見舞った。その動きを補助するようにして鈴のライドキャリバー、グラナートが駆動音を響かせながら怪人に突撃していく。
「良いわよ、グラナート。そのまま援護を続けて」
 鈴は愛機の名を呼び、自らも手にした剣で守護星座の陣を描いていった。路地裏の戦いは激しくなる予感がしたが、店内で戦わずに済んだことは悪くない。
 今まで時を刻んでいたものを見れば遠い過去へ思いを馳せることが出来る。それはきっと素敵なことだから、と零した鈴は真剣な眼差しを向けた。
「個人的にドリームイーターって嫌いなんだよね。やろうか、イリス」
 ロベリアとイリスも攻勢に移り、澪もボクスドラゴンの花嵐に仲間の守護を願う。彼女達に続いて、ジャックのライドキャリバーであるアルバレストも立ち回った。
 澪は雷壁の防御を紡ぎながら、ふと呟く。
「お店の中の物、五万円でも安いぐらいでしたのに」
「壊れた時計ねぇ……まぁ、動かなくなった針や止まった時間から様々な事を想像するのは楽しそうだな」
 仲間の声を聞いたジャックも銃口を差し向けて敵に銃弾を放った。
 その際、ジャックはふと店の中を横目で見遣った。後で内部をじっくり見てみたいと感じた彼は密かな楽しみに思いを馳せる。
 それには先ず敵を倒さねばならない。
 正夫はチェーンソー剣のエンジンを派手にふかし、激しい音を響かせた。
「後悔も失敗も大事な経験ですよ。それを奪おうなんてのは好かないなぁ、おじさん」
 そういった横暴は歳を取る程に許せなくなる。言葉と同時に横薙ぎの一閃を見舞った正夫は更に回転数を上げ、相手の腹を抉り斬る。
 古時計の怪人の体から歯車が飛び散る様を確かめながら、異紡は掌を掲げた。
(「僕の懐中時計の針はあの日に止まった。時計は止まってしまったままでも、僕は歩いて此処にいる」)
 過去の喪失と消失の念を焼失の力に変え、異紡は燃え盛る焔を放つ。
 神は焔の中に焼けて失われた。しかし、この夢の元となった女性の根源は未だ失われていないはずだ。
 異紡の一撃が炎を齎していく中、アイラノレも雷杖を大きく振りあげた。
「彼女の『後悔』を奪った敵……気になる相手ではありますが、まずは今回の敵をどうにかしませんとね」
 アイラノレは杖先から迸る雷撃を敵に浴びせかけ、衝撃になびいた金の髪を手で押さえる。未だ魔女ゲリュオンの動きに対しては思案を巡らせるほかない。先に進む為には目の前の事件から、とアイラノレは己を律した。
「さあさあ、皆殺しですよ!」
 古時計の怪人は体中の針を動かし、怒りを引き起こす魔力を放つ。
 とっさにイリスが正夫を庇い、鈴とグラナートも攻撃は通させないと敵を見据え、防護への思いを強めた。更に澪が仲間を癒す為の力を練りあげる。
「誰も、手折らせなどしません――花車、賦活」
 生命を活性化させる真白の微弱電流がイリスに撃ち込まれ、傷を癒していった。
 花嵐がブレスを吐き、異紡も敵にグラビティ・チェインを叩き付ける。其処へジャックが擬似的な絶対幸運領域を引き出す弾丸を解き放った。
 ジャックの銃弾が生み出した隙に畳み掛けるチャンスを見出し、ロベリアは白雪と紅薔薇の名を持つ刃を振りあげる。
「一秒でも早く敵を倒すよ。それが皆の為で、店主の人の為でもあるからね」
「ええ、早く終わるに越したことはないわ」
 雅が頷き、色とりどりの爆風を起こして仲間を援護する。
 力が漲る様を感じ、ひといきに地獄の炎を纏ったロベリアは地面を蹴って跳躍する。そして、落下の勢いに乗せて放たれた一閃は怪人に鋭い炎を宿した。

●止まった時間
 戦いは続き、双方に幾度も激しい衝撃が散った。
 普段ならば手痛い攻撃がケルベロス達を襲い、癒しが追い付かぬ程の攻防が繰り広げられているはずだ。しかし、アイラノレが怪人が勧めた置時計を購入したことで敵の攻撃効果は薄れている。
 相手の攻撃力が低くなっているおかげで此方の回復も最小限で済んでいる。今や癒し手の澪までもが攻撃に回り、援護はアステルが専念するだけに留まっていた。
「やりやすくて助かりますね。このまま参りましょう」
 アイラノレは現状の優勢を感じ、仲間に呼びかけた。そして、自らがフォリアと呼ぶ刃を振り翳したアイラノレは敵の腕をジグザグに切り刻んでいく。
 炎や痺れが敵を更に蝕んでいく中、雅は熾る蛇の炎を解き放った。
「――熱く、燃え滾れ」
 凛とした少女の聲と共に劫火が溢れてゆく。次の瞬間、雅は炎によって模られた剣で敵を薙ぎ払う。それは地獄の業火の如く、古時計の怪人を包み込んだ。
 時計で構成された敵の身が徐々に崩れ、剥がれていく。されど怪人も負けじと力を紡ぎ、破壊電波を放った。
 グラナートが鈴を庇い、反撃として機銃を掃射する。ありがとう、と告げた鈴は腕部のジェネレータを起動させた。
 華焔装甲の名を持つ力が発動し、蒼いコロナめいた揺らめく魔力霧が生まれる。
「最後まで誰も倒れさせないわ。これは矜持、いえ、意地かもね」
 あんな風に適当に商品を売る怪人は何も解ってはいない。だからこそ負けたくはなかった。アンティーク時計が夏の祭典もとい趣味の道具として使えるかしら、なんてことは大々的には言えないが、鈴とてカンパネラの品を気に入っていたのだ。
 あの時計達は営みの中で徐々に老朽化して止まったのかもしれない。何かの拍子に落ちて壊れたのかもしれない。銃弾を受け、炎に包まれて壊れたのかもしれない。
「消えていく。失っていく。焔によって焼けていく。でも――」
 小さく呟いた異紡も品々を思い起こしながら、再び焼失の焔を解放した。
 それにより敵が大きく傾ぐ。
 正夫は好機を掴み、武器をしまってジャケットを脱ぎ捨てた。
「そろそろ店じまいと行きましょう。世の中の酸いも甘いも全部吸ったおっさんの拳、耐えられますか?」
 敵との距離を一瞬で詰めた正夫は、その胸元を真っ直ぐに打ち抜く。ジャックも敵の急所を見抜き、持ち得る幸運に全てを賭けた。
「絶対幸運の一撃……喰らいやがれ!」
「終わりにしましょう。歪んだ夢は在ってはいけないんです」
 弾丸が敵を穿った様を見遣り、澪は冷ややかな視線を敵に向ける。花嵐、と相棒竜を呼んだ澪は縛鎖と体当たりで以て怪人を縛りあげ、その動きを止めていった。
 最早、夢喰いの力もあと僅か。
 ロベリアは最期が訪れると察し、両腕を構成する地獄の一部を刃に変形させた。
「夢も後悔も、お前が持ってても意味が無いでしょ。それは本人のものだよ」
 強く言い放った言葉の後、悪意の嵐が剣風となる。そして――地獄で作られた刃は舞い散る花の如く迸り、戦場に終焉の幕を下ろした。
 
●未来の刻
 後悔が具現化した怪人は倒れ、幻のように消失していく。
 戦いの終わりを感じ、ジャック達は店内で眠らされていた店主の元へ急いだ。扉を開けると、女性は瞼を擦りながら起き上がる所だった。
 自分達はケルベロスだと告げた鈴に続き、アイラノレは率直に申し出た。
「あの、ここの時計、もう少し売ってもらえませんか?」
「え? も、もちろんです!」
 驚きながらも快い返事が聞けたことで、アイラノレは双眸を緩める。役目を終えた物品には親愛と敬意をもって、必ず大切に扱うと約束した彼女と店主の間に微笑みの花が咲いた。
 訪れた時はゆっくりと見れなかった商品を見る為、正夫達は店内を見渡した。ロベリアは退廃的な雰囲気もディスプレイの賜物だと感嘆を零す。
「自分が好きなモノでお店を開けるあたり行動力スゴイな……」
 ロベリアが考えを巡らせる中、雅はふと棚の前で立ち止まった。そして、アステルに何か気に入ったものはあったかと問いかける。
 すると翼猫は小鳥の意匠が刻まれた懐中時計をじっと見つめた。
「あら……ふふっ。やっぱり気が合うわね、私たち」
 直す気なんて端から無く、ただ雅とアステルだけが許された部屋に飾りたいから。これに決めた、と少女は懐中時計を手に取った。
 異紡はガラスが放射状に割れ中央が凹んでいる時計を選び、澪は鈴と一緒に歯車が花を模した時計を眺める。
「この歯車が花を模した時計、とても素敵ね」
 鈴達が大いに楽しむ最中、ジャックは店主にアドバイスを送っていた。
「夢を追いかけるのが悪いとは言わない、だが工夫は必要だな」
 例えば普通の正常なアンティーク品を新たに前面へ押し出して集客する手法。来客数が多ければ懐古時計が目につく機会も増えるだろう。
「視野を広く持つ、それが店を営むうえでの秘訣の一つだと思うぜ」
「……そう、ですね」
 店主はジャックの正論に気圧された様子で俯いた。何せそれは仕方がない。この店は既に破綻しており、後は撤去の時を待つのみ。
 しかし、異紡はそんな店主にケルベロスカードを渡す。
「一人じゃどうしようもなくなった時は相談に乗りますからいつでもどうぞ」
 壊れた時計が好きになったように後悔も大事にして欲しい。時を刻む時計や心、人生についた傷も、それがあるからこそ唯一つのものなのだから。
「夢も後悔も本人のものだよ。壊れた物だって美しいんだよね」
 ロベリアも声をかけ、澪は優しく微笑む。
「この時計達は時を止めて佇んでいますが、貴女の時はまだ動いています。だから大丈夫、まだまだやり直すことだってできます」
 人は何度も後悔を重ねて、そうしていつかの成功へと向かうもの。異紡や澪達の言葉に嬉しさを感じたのか、店主の瞳に涙が浮かぶ。
「ありがとうございます……最後のお客様が、貴方達で良かった……」
「ふふ、どういたしまして」
 微笑んだ雅は懐中時計を眺め、動かぬ針を愛おしく思った。鈴は店主の背をそっと撫で、お礼を言うのは此方だと笑む。
「泣かないで。どうか、後悔と一緒に時計たちを手放さないようにね」
 そして、仲間達は思い思いの品々を手にした。
 正夫は淡く綻ぶ店主の表情を見つめ、ほっと息を吐く。
 きっと何を選んでも選ばなかった反対側が後悔になる。時計屋にならなかったとしても後悔はあったはずだ。そういった思いを経験に変えることこそ人生。
「また新しく初めてもいいし違う人生を選んでもいい、今こそあなたは自由です」
 何でも選べるのだと告げ、正夫は穏やかに笑んだ。失敗して、後悔して、止まってもまた立ち直って進んでいく。
 この先に続く時を動かし、経験を刻み、時間の針を進めるのは誰でもない。
 ――たったひとり、自分自身だけ。

作者:犬塚ひなこ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年7月28日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 1
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