黙示録騎蝗~誇りある刃として

作者:林雪

●決起
 深夜、しとしとと雨が降る岩場に、敗残のローカストの一群が集っていた。
 ヴェスヴァネット・レイダー率いる、不退転のローカストたちだ。
 彼らは、太陽神アポロンより、黙示録騎蝗の尖兵となり、今後の戦いのために必要な大量のグラビティ・チェインの獲得を命じられたのだ。
 それは、単騎で人間の町に攻め入り多くの人間を殺して可能な限り多くのグラビティ・チェインを太陽神アポロンに捧げるという、生還を前提としない、決死の作戦であった。

「戦いに敗北してゲートを失ったローカストは、最早レギオンレイドに帰還する事は出来なくなった! これは、ローカストの敗北を意味するのか?」
 不退転侵略部隊リーダー、ヴェスヴァネット・レイダーが、声を張り上げる。
 この問いに、隊員達は、『否っ!』と声を揃えた。
「不退転侵略部隊は、もとよりレギオンレイドに戻らぬ覚悟であった」
「ならば、ゲートなど不要」
「このグラビティ・チェイン溢れる地球を支配し、太陽神アポロンに捧げるのだ」
「太陽神アポロンならば、この地球を第二のレギオンレイドとする事もできるだろう」
「その為に、我等不退転ローカストは死なねばならぬ」
「全ては、黙示録騎蝗成就の為に!」
「おぉぉぉ!」
 意気軒高な不退転ローカストに、指揮官ヴェスヴァネットも拳を振り上げて応える。
「これより、不退転侵略部隊は、最終作戦を開始する。もはや、二度と会う事はあるまいが、ここにいる全員が、不退転部隊の名に恥じぬ戦いと死を迎える事を信じている。全ては、黙示録騎蝗成就の為に!」
 このヴェスヴァネットの檄を受け、不退転侵略部隊のローカスト達は、1体、また1体と移動を開始していく。
 不退転部隊の最後の戦いが始まろうとしていた。

●『黙示録騎蝗』の始まり
 集まったケルベロスたちに対し、ヘリオライダーの安齋・光弦はきっちりと頭を下げた。
「ローカストウォーの大勝利、すべてのケルベロスが誇るべき偉業と存じます。まずは、お祝いを」
 堅苦しい挨拶をするものの、すぐにいつものゆるゆるに戻ってしまう。
「こういうのはちゃんとした方が気持ちいいかなあって。でも残念ながらローカストはまだ戦いを諦めていない。生物の本能というか執念、を感じるよ。撤退した太陽神アポロンのために残党兵が……ヴェスヴァネット・レイダー率いる、不退転侵略部隊が動く気配を見せている」
 予知の内容は、悲壮さの滲むものだった。
「結論から言うと、アポロンは不退転侵略部隊を使い捨てにして、グラビティ・チェインを集めようとしてるらしい。部隊は命令に従って1体ずつ別々の都市に出撃し、人間を虐殺するだろう。君たちが彼らの命を終わらせない限り、彼らは人間の虐殺行為を続けてしまう。これは彼らの罪ではなく、アポロンのコントロールによるものだ。決して彼らの本意ではないはずなんだよ」
 残念ながらケルベロスが介入できるのは、虐殺の始まった後になる。予知にあった場所の住民を避難させれば他の場所が狙われ、結果被害は大きくなってしまうだろう。今件に関して被害をゼロにすることは不可能で、最小限に留めるために動くしかない。
「さっきも言ったように、彼らは自分たちの本来の意思を奪われている。でも、君たちが名乗りをあげて正々堂々と戦いを挑んで、彼らに戦士としての誇りある戦いをするよう説得できれば、彼らはすぐに人間の虐殺をやめて君たちと戦う事を選択するだろう」
 進退窮まった哀しき戦士、不退転侵略部隊。
「不退転部隊、の名は伊達じゃない。彼らは絶対に降伏せず、逃走もせず、息のある限り戦おうとするはずだ。その激しさを受け止めた上で、彼らに」
 完全なる敗北と死を、与えて欲しい。そう光弦は言った。

●凶暴なる戦士ファン・ズール
「君たちに向かってもらいたいのは岡山県岡山市、敵はギンヤンマ型のローカストで、『ファン・ズール』と名乗っている。銀色の体に長い翅を持つ、荒っぽくて攻撃的なヤツだよ。十分気を付けて」
 ファン・ズールは市街地の真ん中に現れ、日本刀のような切れ味を持つ翅を駆使して人間を切り裂きまわっている。また、その牙で食いつかれればケルベロスとてただでは済まないだろう。
 身の丈2メートル以上のけぶるような銀色の体は人と同じく二足歩行、胸部のみが妙に清らかな水色をした姿をモニターに映して、光弦が言った。
「……虐殺と搾取のための道具、ではなく、誇りある戦士として彼を終わらせてやれるのは君たちだけだ。つらい戦場になると思うけど……頼んだよ」


参加者
黒鳥・氷雨(何でも屋・e00942)
西水・祥空(クロームロータス・e01423)
エルシア・ノルトヴィント(眠れる森の月兎・e04593)
深山・遼(烏猫・e05007)
鳳来寺・緋音(鉄拳必倒・e06356)
神薙・流人(護りしもの・e13632)
ザフィリア・ランヴォイア(慄然たる蒼玉・e24400)
片桐・与市(墨染・e26979)

■リプレイ

●不退転とは
 これが、決意の現れだと言うのだろうか。
 あまりの惨状にケルベロスたちの足が一瞬止まる。倒れた人々の血を吸って、舗装された道路は黒々と濡れていた。
「……そういうことかよ」
 黒鳥・氷雨(何でも屋・e00942)が呟いて眉を寄せる。遺体はどれも強烈に、明確な殺意をもって斬り捨てられていた。脅すとか追い払うといった気配は一切ない。ためらいも何もない。殺すために、殺している。
「そんな……」
 もはや、かつて命であったモノとなってしまった遺体の姿に愕然とする鳳来寺・緋音(鉄拳必倒・e06356)だったが、決して目を逸らすことはしない。庇い合うように折り重なる親子連れの姿に、改めて闘志を燃やし拳を固めた。
「しっかり、今……!」
 ザフィリア・ランヴォイア(慄然たる蒼玉・e24400)が瀕死の者の気配を察知し駆け寄った、癒しを与えようとするその目の前で、命は儚く消えていく。
「できる事ならすべての人を護りたかった……許して下さい」
 同じ光景を見送るしかなかった神薙・流人(護りしもの・e13632)が一瞬俯くが、今は救助が優先である。
「……!」
 半ば呆然と、怒りに全身を震わせていた深山・遼(烏猫・e05007)が突如地を蹴って走り出した。視線の先にはまさに命を奪おうという切っ先があった。
 敵将、ファン・ズールの研ぎ澄まされた刃の如き翅がまさに一般人男性の喉元を斬り裂こうとした瞬間。
「させない!」
 遼が愛刀、巌穣左文字黝仁を構え、掬い上げるようにして翅を弾いた。その後ろから、氷雨がライドキャリバー・宵桜に跨りフルスロットルで突っ込み、ブレーキングからのターンで壁を作る。より人々に近い位置には片桐・与市(墨染・e26979)が静かに、だが敢然と身を挺して布陣する。
 ギィン。アルミの体と激しく斬り結びながら、遼が問いかけた。
「お前のその手にあるものは何だ?」 
『……?』
「私の手にあるのは、命を守るための刃。お前のそれは、誇りを失くしたただのガラクタに過ぎないな……!」
『……ケルベロス、わざわざ敗者を嘲笑いに来たのか』
 言うや敵は遼の剣を払う。一旦距離をとり、盛大な名乗りでファン・ズールの気を引く。
「アタシの名は鳳来寺緋音!先のオウガメタル救出戦。ローカスト・ウォーにも参戦していたケルベロスの一人だ!」
 ローカスト・ウォーの言葉に、一瞬敵の動きは止まる。その間にも、混乱し泣き叫ぶ人々を氷雨と与市、流人たちが誘導する。
「貴殿はここに不退転の覚悟で赴いていると聞く……ならば手合わせ、願おう! 譲れないものならこちらにもある!」
 勇壮な緋音の名乗りを、敵は真っ向から見返して聞いた。しかし。
『こざかしいわ! 邪魔をするな!』
 一瞬の隙をついてファン・ズールは急転し、逃げる人々の背に襲いかかった。しまった、と緋音も追う。アルミの牙が突き刺さろうとした間隙に西水・祥空(クロームロータス・e01423)が割り込み、剣身でそれを防いだ。
「不退転、と称するからには、この地球で果てる覚悟がおありなのでしょう。ですが、このままではあなたが遺すのはみじめな虐殺者の汚名のみです」
 静けさを湛えた祥空の声が、ファン・ズールを制する。畳みかけるようにエルシア・ノルトヴィント(眠れる森の月兎・e04593)が語りかけた。
「無辜の民を殺戮することが誇りある行為なのかしら。戦士であるなら武ある者と刃を交えてこそ本懐でしょう」
 全員で、敵を取り囲むように距離を詰めていく。 
「誇り高き戦士であるあなたに戦いを挑むわ、ファン・ズール」
 エルシアの言葉に、全員同じ気持ちを乗せる。
 ところが、返ったのは不気味な声音。それが嘲笑であることはケルベロスたちにもわかった。
『笑わせる、この敗残の将に誇りなどあろうはずもない! あるのは黙示録騎蝗成就、ただそれのみよ!』
「なっ……」
 ファン・ズールの言葉に、全員が緊張感を募らせる。たとえ相手が自暴自棄になっていたとしても、これ以上の被害は絶対に阻止しなくてはならない。
 翅を広げ、どこへ飛ぶのかわからない不気味な構えでファン・ズールは、自分と対峙する者たちの顔をたっぷりと見た。そして。
『なれどこの血は騒ぐ! 皮肉よなケルベロス、貴様らが吼えれば吼えるほどこの血は弱者よりも強者を求めてしまう。そちらからかかって来るが良い! これ以上人間どもの屍を増やしたくないというのなら!』
 やはり相手は武人であったと与市は秘かに喜びにも似た思いを抱いた。後は、彼の者に誇りある最期を送る為、直向きに真剣に、刃と心をぶつけるのみだ。

●信じるもの 
「衆寡敵せずな状況は御容赦下さい。恐らく貴方の戦闘能力は、一体で我々と互角以上ですから」
『知って臨むか、小娘』
「その代わり、小細工一切なしの真っ向勝負です」
 きっぱりと言い放ち、ザフィリアが手にしていた魔槍・アスタルテを力強く地面に突き立てた。
『気遣無用! せいぜい策を弄するが良い』
 心なしか、ケルベロスと戦うことを決めた瞬間から、ファン・ズールの声にどこか明るいものを感じるのは氷雨の気のせいか。配置につき、ブラックスライムを攻撃モードに変化させ、構えつつじっと敵の動向を見据える。
 先陣を切ったのは祥空だった。
「全力でお相手し、その誇りにかなう最期を贈らせていただきましょう。……西水祥空と申します。お名前をお聞かせ願えますか、ローカストの戦士のお方」
 自らが先に礼を取り、名乗りを促す祥空にファン・ズールはぴしゃりと言葉を返した。
『貴様といい先の小娘といい、戦場においてのその律義さがいつか命取りになると知れ!』
 しかしその言葉は、祥空には敵を忌む言葉とは聞こえなかった。気を散らしている場合ではない、と気を取り直して詠唱を開始する。
「神慮めでたく。峻別の大河よ。我に敵する者を、死せる魂全てが行き着く冥府へ押し流さん……!」
 愛剣レフトクイーン・ペルセポネーを思い切りよく敵に向けて振り下ろす。両手でその攻撃を受けつつ、ファン・ズールが叫ぶ。
『我らローカストの名など、とうに色を失った!』
 微かに驚きの表情を浮かべつつ、遼はライドキャリバーの夜影に防御の指示を出した。自らもまた、仲間を守護すべく口寄せで心地よい色や香りを添えた布を舞わせた。
「助けを必要とする、包み込め……」
『皆、この星での繁栄を望み、信じるもののために散った! 我もその塵芥のひとつとなろう!』
 叫ぶや、ファン・ズールの翅が激しく上下し、次の瞬間には緋音の懐に飛び込み、肩から激しく斬りつけていた!
「うああっ!」
 ケルベロスの、それも今は防御に特化している自分ですらこの痛みなのだ。普通の人間がこの翅で斬り裂かれる恐怖と痛みは如何ばかりだったろう。出血を押さえつつ『聖なる左手』をかざした緋音に、躊躇いはなかった。
「ぶっ飛ばすッ!」
 カウンター気味に振り抜かれたのは『闇の右手』が、ファン・ズールの体を吹き飛ばす。体勢を立て直そうとする前に、足元に氷雨の電光石火の蹴りが見舞われ、再び派手に倒れる敵。
「ランヴォイア一二姉妹が五姉、ザフィリア。ケルベロスとなった今も、ヴァルキュリアとしての矜持は常に共に在ります……常に誇れる自らで在り続けられる様に!」
 ザフィリアは極力敵の気を引きながら、その動きを記憶していく。確かに速い、予想しにくい動きをする敵だ。だからこそ、よく狙って撃ち破らねばならない。己に足りぬものを埋めるべく、冷静に観察を続ける。
「星の旋律よ、皆に護りを!」
 そこへエルシアが琴座の軌跡を描いて星座の守護を仲間に注いだ。これで敵の催眠音波は破れるはずだが、緋音の傷を癒すにはまだ十分でないのが気にかかる。
 再度、敵の懐に飛び込んだのは流人だった。抑えてはいるが、彼は怒っている。今いるこの戦場の惨劇に激しい憤りを感じている。
 何故、罪もない人に刃を向けたのか。戦う覚悟があるなら、自分たちケルベロスに向ければいいものを。もう誰にも、大切な人を失って欲しくないのに。
「一閃……!」
 怒りを込めた一撃が、ファン・ズールのアルミニウム装甲を斬りつける! ダメージを受けつつ横っとびで距離を取る敵に、与市が上段に構えて迫った。
「我が名は片桐与市。蜻蛉の武人よ、我らは其の覚悟を無碍にはせぬ。持てる力と礼を尽くし、同じ志持つ武人として貴殿に挑む」
 低く早口に向上を述べると、与市は刀の切っ先を閃かせた。
(「さぁ……其方も、信念を貫いてみせよ――不退転のファン・ズール」)

●誇りある刃として 
 ここからは、力と力のぶつかり合いとなった。ケルベロスたちはファン・ズールの硬化ボディを正面から打ち砕きにいき、今やただの殺戮者から戦士としての矜持を思い出したファン・ズールもまたそれに応えた。アルミの牙は正確に、攻撃の要たる祥空を狙い腕を食い破る!
「ッ!」
「しまった! くそっ、狙うならこっちにしろッ」
 緋音が目端を尖らせて挑発的な蹴りを放つが、ファン・ズールは冷静な武人たる風情を崩さなかった。
『どうした、かくなる上は我を楽しませてみよ』
 逆に煽るような足さばきで、敵はケルベロスたちの攻撃を次々とかわしていく。
「止めなくては……!」
 ザフィリアが慣れた武器さばきで槍を手に取ると、目にも止まらぬ速さの突きを繰り出した。
「はぁッ!」
 ザフィリアの穂先に捕まり、動きを鈍らせるファン・ズール。
 その隙を逃さず、流人が畳みかけようと構えるが。
「虐殺と搾取のための道具、ではなく、誇りある戦士として……ですか」
 流人の口調は冷静なようでいて、内に滾る怒りを殺しきれていなかった。誇りを取り戻したのはいい、だが、道具によって殺されてしまった人々はどうすればいい? 残された人々は? やりきれない思いで振った刀は空を切る。
「……まずいわね」
 エルシアだけが、その流人の様子に気付く。回復手として仲間の守りを固める手は止めず、だが素早くその背に駆け寄るエルシア。
「流人さん、冷静さを欠いては討てる敵も討てないわ」
『その通りだ。よく狙え』
 傲然と言い放つと、胸を広げて見せるファン・ズール。
 その様子は敵ながら堂々たるもので、与市は黙って肌を粟立てた。武の道を征く者としての、純粋な興奮。
 敵を取り囲み、ケルベロスたちは足を止めない。入れ替わり、すれ違う。その度に剣戟の火花が散り、ファン・ズールの身は削ぎ落とされていく。
(「一切の回復もなく、味方の援護もない……その状態で、よく」)
 まさに不退転だと、遼が秘かに息を飲む。だがここで止まるわけにはいかない。敵とてそれは望まない。竦まず、臆さず。繰り出される一撃は夜影に直撃し、その姿が消えかかる。
「……決着を!」
 寡黙な遼が腹の底から叫ぶ。その響きやよし、とファン・ズールも最期の力を振り絞った。
(「見事だ」)
 螺旋手裏剣を叩き込まれ、ダメージがあるだろうにそれを面に出さず闘志も衰えさせない敵の姿を与市は心に焼き付ける。
「……これが」
 祥空が、構えた自身の剣から立ち昇る白い炎に視線を遣った。冥府の王も自分もきっと、この敵に対して抱いている気持ちは『白』なのだ。白炎が逆巻く中、奇怪な破壊音が響く。ファン・ズールの翅から発せされる音波は、しかし。
「効かん!」
 緋音が一喝し、鋭く足元を薙ぎ払う。そこへ飛び込むのは、ずっと遠巻きからの攻撃に徹していた氷雨。
 バウッと低くエンジンを唸らせた宵桜が氷雨を運ぶ。スピードのためか、ボディーに散る桜吹雪が本当に舞っているように錯覚させた。
 殺すために殺す、死ぬために死ぬ。そんなのはもう沢山だ。
『……ケルベロス……』
「俺は黒鳥氷雨、お前にとっての死神はここにいるぞ」
 お前にとって誇りある、悔いのない――。
「死をくれてやる」
 黒い影と化した氷雨がファン・ズールに最後の一撃を与え、ギンヤンマの体はアスファルトの上に崩れた。 
 崩れゆく体を見送るように、ケルベロスたちが囲む。
『……これでまた奴らに、会えるか……』
 呟きは塵芥となって消え、後には何も残らなかった。 

●救い
 戦いを終えてからもケルベロスたちは戦場に留まり、傷の治療と、それ以上に精神的なケアに当たった。
「そっちも痛みがひどいのね? 少し待って。すぐ行くわ」
 遼があちこちに気を配るのを、ザフィリアが引き受けた。
「ああ、私が行きましょう」
「頼んだわ、ザフィリア」
 今はただ強い者に傍にいて欲しい、彼女たちの声を聞いていたいと願う人々もいた。その状況を見れば、やはり虐殺行為などは許されるものではない。
 ファン・ズールが倒れ、消え去ったあたりを眺めて緋音が呟いた。
「譲れないもんがあったんだな……でも、やっぱり人を殺していい理由にはならねぇ」
 そう言いながらも、どこか整理しきれない表情の緋音。その気持ちを汲んだ氷雨が、持参していたアルミボトルからウイスキーを手向けてやる。
「死ねば敵も味方も関係ない……うまい酒は誰にだってわかるもんだ」
 言って、煙草を一本咥えて火を着けた。
 命を燃やし尽くそうとした哀れな戦士、不退転のローカスト、ファン・ズール。
「ボクたち、彼に何かしてあげられたのかなぁ……?」
 戦いを終え、『大家さんと、ちょっと頭の上がらない下宿人』のふたりに戻っているエルシアと流人。エルシアが問うでもなく問えば、やはり柔和な様子を取り戻した流人が答える。
「……終わりにしてあげられた、と。そう思うことにしましょうよ」
 小さく頷いて、エルシアが微笑んだ。
「にしても、相変わらず流人さんは血が上りやすいよね」
「面目ない」
 一方で、祥空はファン・ズールの言葉を思い出し、ふと長いまつ毛を伏せた。
(「戦場においてのその律義さがいつか命取りになると知れ、か……」)
 脅しとも警告とも取れるそれは、祥空には戦友に送られた忠告であったように思えてならない。ほんの一瞬、刃によって交わされた絆を胸に仕舞いこむ。
 同じような感慨を抱いているのは、与市もまた。
「……思う心がありながら」
 何故、殺戮に走ったのか。与市の胸の奥の問いに答える者はない。今はそのまま目を伏せる。散った命全てに黙祷を捧げ、与市は心に誓う。
 ……これ以上は、許すまい。
 この先の戦いでも、きっと失われる命はある。それでもケルベロスたちが歩みを止めることはないだろう。助けを求める人がそこにいる限り。 

作者:林雪 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年8月3日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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