雨の美術館

作者:沙羅衝

「なるほど、そういう方法もありますわよね……」
 小さな丸いテーブルを前にし、木製の椅子に座っていた女性が本をパタリと閉じて、窓を見る。
 タイトなスカートから見える足を組みなおし、珈琲をこくりと咽に入れた夕霧さやかは、読んでいた本を本棚に直して、ジャケットを羽織りながら立ち上がった。コツコツと乾いたヒールの音が、静かな空間に反響する。
「ごちそうさま」
 と、係員に一言添えたあと、レンガ造りの教会の姿をした建物から出て行った。
 弱い雨が降る中、さやかは傘もささず、前庭に出た。そこには紫陽花の花が一面に咲いていた。
 ここは神戸市にある歴史在る建物である。何度も改装を繰り返しながらも、昔の雰囲気を保ちつつ、現在はこの街の歴史を紹介する建物となっていた。
 さやかはそのまま少し奥に進み、独り言を呟くように、口を開いた。
「今回貴女には、そこの美術館に忍び込んでいただきます」
 さやかは紫陽花の奥に見える、片側二車線の道路を挟み、この建物からは反対にある美術館を見ながら言った。
「様々な美術品がありますが、アシがつきやすいので、現金にしてくださいな。勿論、ケルベロスが来た時は、ケルベロスの戦闘能力の解析が仕事になります。死んでもらっても構いません……」
 冷たい雨のような言葉に、紫陽花の花に隠れていた月華衆の少女が無言で頷く。すると少女は前の道を走る車が通り過ぎた時には姿を消した。
 葉に乗ったカタツムリがぽとりと落ちた。

 しん……と静まり返った美術館の一室に、影のように動く姿があった。月華衆の少女である。彼女の動きに無駄はなく、目の前の金庫のダイヤル式の鍵を、まるで番号を知っていたかのように合わせた。
 ガチャリ。
 月華衆の少女は、その身の丈ほどもある重い扉を開いた。

「神戸の美術館に、月華衆の少女が現れると言うことが分かった。協力してくれないか」
 集まったケルベロス達を前に、ミーシャ・スクェーニ(藍槍騎士・e24383)が話をしていた。そこへ、宮元・絹(レプリカントのヘリオライダー・en0084)が、補足の説明を加える。
「知ってる人もおるかもしれんけど、螺旋忍軍の『月華衆』っちゅう一派が金品を強奪している事件があんねん。その螺旋忍軍は、小柄で素早く隠密行動が得意なタイプみたいでな、あんまり大きな事件を起こしてるわけや無いから、たぶん地球での活動資金を集めてるだけやと思うねん」
 しかし、美術館だったら大きい事件じゃないのか? と、ふと疑問に思ったケルベロスが絹に問う。
「実は、今回どうも、美術品じゃなくて、ここの売り上げ金が狙われるみたいや」
 ケルベロス達は、高価な美術品じゃなくて現金か……、と考えつつも、絹に詳細を促す。
「月華衆の忍術は特殊や。それは、『自分が行動をする直前に使用されたケルベロスのグラビティの一つをコピーして使用する』っちゅう戦い方や。これ以外の攻撃方法はない。せやから、うまいことやれば、こっちに有利に運ぶこともできるやろ。
 あと、今回はこの敵が現れるっちゅう情報は、警察とかには話さんように頼むわ。警察とかが来たら大掛かりになってしもて、敵が現れへん可能性があるんや。せやから、話をするのは必要最低限の人間だけにして欲しいねん。せやな、この美術館の館長さんには話を通しておくから、詳しい見取り図や狙われてる金庫の場所なんかは、その館長さんに聞いてな」
 絹がそう口を結ぶと、ミーシャが頷き、ケルベロス達を確認する。
「月華衆の行動も何処か怪しい。何か他に目的があるのかもしれんし、黒幕がいるのかもしれん。大きな事件ではないが、宜しく頼む」
 ミーシャの言葉に、ケルベロス達は力強く頷くのだった。


参加者
秋草・零斗(螺旋執事・e00439)
ロベリア・エカルラート(花言葉は悪意・e01329)
エステル・ティエスト(紅い太陽のガーネット・e01557)
ジルベルタ・トゥーリオ(紫銀の騰蛇・e03599)
リリー・リーゼンフェルト(耀星爛舞・e11348)
秋野・もみじ(せーぎのみかた・e15534)
塩谷・翔子(地球人のウィッチドクター・e25598)
齋藤・光闇(リリティア様の仮執事・e28622)

■リプレイ

●蒸し暑くなり始めた館内で
 ザー……。
 美術館内部へと、雨の断続的な音が伝わっている。営業はとっくに終了し、その雨音だけが聞こえる。展示物がある部屋以外の冷房は切れ、廊下や職員の部屋などには、その効果はもうほぼ無いようだ。外の天候も重なり、蒸し暑さが増していく。
 昼間に館長と話をつけたケルベロス達は、美術館の構造を聞き、狙われている金庫の場所を把握し、そのまま身を潜めたのだった。
 真夜中へと時刻は進む。館内に備え付けられた振り子時計が午前0時を指した。
 ヒュッ……。
 ふと館内の空気が動いた。締め切られた館内ではありえない空気の動きだ。
 音もなく金庫が置かれた館長の執務室の扉が開くと、影が室内に入り、目的の金庫を探そうと様子を伺った。
「さぁ! おにごっこのはじまりだよ!」
 突然の声に、身を硬くする一つの影。その影が声のした方向を確認すると、自分より身の丈の低い影が、元気良く自分をアピールしていた。
 パチ。
「お待ちしておりましたよ」
 秋草・零斗(螺旋執事・e00439)の声と共に執務室の明かりが灯された。先程の声の主、秋野・もみじ(せーぎのみかた・e15534)はその明るさに目をしばたたかせるが、屈伸運動をして今にも駆け出しそうな様子であった。
 素早く手裏剣を出す影。ケルベロス達が見たのは、忍者の出で立ちに、顔には螺旋の仮面。その特徴を把握していたケルベロス達は、間違いなく月華衆の少女であることを確認した。
「こんばんは。いい夜だね」
 金庫の前に立っていたロベリア・エカルラート(花言葉は悪意・e01329)が、手に持っていたスマホを通話状態のまま机に置き、声をかける。彼女によく似たビハインド『イリス』がふわりと浮かび上がった。
「悪いけど、私の相手をしてもらうよ」
 そう言ったロベリアはイリスと共に、少女との間合いを詰め、巨大な鋏を分けた形状の鉄塊剣『ブランネージュ』を振り下ろす。そして、間髪容れずイリスがその執務室にあった硯を飛ばす。
 しかし、その二人の息のあった攻撃を避ける少女。ロベリアとイリスはその攻撃が避けられたのも構わず、そのままの勢いで一気に外に出て行く。
「あのね! あのね!! おにごっこであそぶんだよ!」
「そうですね、もみじ様。さあ、私達は逃げますよ。ついて来れますか?」
 扉の外でもみじと零斗がくいっと手招きし、様子を見ながら大きな動きで出口の方向へと駆け出した。
 すると、少女はケルベロス達に向かって一気に突き進み、走りながらグラビティの念を籠めた。

●雨の落ちる駐車場
 バリィン!!
 派手な音を立てて、美術館と職員用の駐車場を隔てるガラスが砕け散り、零斗が吹き飛ばされながら、雨で濡れる駐車場へと転がりこんできた。
「当ててきますね……」
 零斗は服に刺さったガラスの破片を、白手袋の手でパンとはたきながら立ち上がった。
「よーし、こっちこっちー」
 すると、その穴が開いた箇所から、元気良くもみじが飛び出した。続いて月華衆の少女も外に出る。先に進み、わざわざ裏口へと回ったロベリアも、その様子を見て急いで合流していった。
「Chi cerca trova」
 ボフ!
 次の瞬間、辺り一面にジルベルタ・トゥーリオ(紫銀の騰蛇・e03599)からバイオガスが放たれていく。
「こんばんは、初めまして? それともお久しぶり? あなたはどちらかしら?」
 断続的な雨が地を打つ音に乗せ、ジルベルタの声が響く。ジルベルタのウイングキャット『ネロ』が少女の傍をすっと通った。ロベリアのスマホから中の情報を逐一把握していたジルベルタは、タイミングよく少女の意識を散らせて行く。
 異変に気がついた少女が顔を上げたその時、いきなり横から顔面を殴りつけられた。
「毎日湿っぽくてイライラしてるのに、ほんと、うっとうしいんだよ、お前らは」
 エステル・ティエスト(紅い太陽のガーネット・e01557)が放った拳をまともに浴び、吹き飛んだ。しかし、少女は空中で身を翻し、身体全体でダメージの勢いを吸収し、両足で音もなく着地する。
「ガラ空きよ、お嬢さん。アタシと遊びましょ!」
 着地した少女に、リリー・リーゼンフェルト(耀星爛舞・e11348)の声が迫る。
「螺旋忍法番外! 喰らい尽くせ!」
 リリーの身体からブラックスライムが放たれ、少女を飲み込むように大きく広がり、襲い掛かる。
 少女は、身体を回転させて避け、するりと音もなく移動していった。
「本当に、少女なんだね……」
 そこへ、光源を確保しながら、塩谷・翔子(地球人のウィッチドクター・e25598)が現れて呟く。彼女のボクスドラゴン『シロ』は、先程ダメージを負った零斗へ近づき、回復を施していた。
「娘みたいな歳の姿の子が、使い捨てにされているのを見るのは……。うん、何だかなあ」
 そう言いながら身体にオウガメタルを纏わせていく。
「彼女が、月華衆……でございますか。今回の件で、何か分かればよろしいのですが」
 リリーの傍で齋藤・光闇(リリティア様の仮執事・e28622)が、縛霊手を構え、少女の動きを確認する。彼女の考えている事は、螺旋の仮面に隠され、把握する事はできない。
 ケルベロス達は、事前に作戦を立てていた。それは、自らの攻撃を斬撃であわせ、その耐性を持った防具を装備し、絶対的なダメージ量を減らすというものであった。自らのグラビティの特徴は良く知っている。その知識に関しては、デウスエクスよりはるかに勝るのだ。
 エステルが氷結の螺旋を投げつけ、リリーが炎を纏った激しい蹴りを少女に与える。すると少女の身体に、グラビティの氷と炎が同時に出現し、更に傷を負わせていった。更にジルベルタが、狙い済ませた氷結の螺旋を追撃させる。
 しかし、雨でも消えないその氷と炎を纏いながら、漫然とリリーに拳を使って殴りかかった。

●豪雨
「お任せください!」
 光闇がリリーの間に入り、その攻撃を縛霊手で受ける。しかし、その少女の細腕からは想像できないほどの力が光闇に伝わり、縛霊手ごと彼を吹き飛ばした。耐性がなければ、一気に持っていかれそうな勢いであったが、何とか光闇は起き上がったのだった。
「もみじアターック!」
 もみじがバトルガントレットを握り締め、気の抜けた掛け声で少女を殴りつける。少女はその攻撃を何とか避けるが、そこへロベリアがブランネージュと惨殺ナイフを両手に持ち、斬り付けた。すると、先程から少女にまとわりついていた氷の数が増えていった。
「ねえ、そういう戦い方じゃ勝てないって他の人から情報貰ってるんじゃないの?」
 そう言いながらロベリアは、直ぐに距離を取っていった。
『時よ、汝の理を今だけ侵す。その力を身に纏て逆巻く事を許し給え。顕現せよ! 理喰らいの剣よ!!』
 零斗が不可視の剣の力を自らと、前に立つロベリア、エステル、それにもみじと光闇へと与えていく。
 ケルベロス達は、補助の効果のグラビティの恩恵を受けながら、月華衆の少女を追い詰めていっていた。勿論、月華衆の少女も、そのケルベロスの補助の力を真似るが、破剣の力を得たグラビティと、翔子の大鎌の一撃によって容易くその効果を剥がしていく。
 ドウッ……。
 翔子が大鎌をぶんと振り回した時、少女が濡れたアスファルトの上に叩きつけられ、身体が跳ね上がる。
「……何だか、不憫だね」
 翔子の横にシロが待機したとき、ぽつりとそう呟いた。それを聞いたエステルが、彼女をギロリと睨みつける。
「翔子さん……。私はその言葉に賛同できません。あまり、口に出さないでいただけますか?」
「分かってるって……」
 翔子はデウスエクスとは言え、命が使い捨てにされる事が腑に落ちない。エステルはデウスエクスの存在自体を忌み嫌っている。その様子を見たケルベロス達にほんの少し、戦闘から考えが外れる。
「翔子ちゃん、どんな状況でも冷静さを失ったらだめよ」
 少し、翔子の手の力が抜けているのを確認したのか、ジルベルタがそっと注意を促す。
 ボタ……ボタボタッ……。
 雨の勢いが増し、更に大きな雨粒が地面を叩き始めた。そしてとうとう、その勢いはスコールのように両者に降り注ぎ始めた。
 一粒はそれ程でもないが、こう大量に浴びると、流石に体温を奪われていく感覚が分かる。翔子は少女はどう感じているのだろうと考えてしまう。
 頭から大量の雨水が身体に流れ込む。
「ねえ、あなたは人形なの?」
 リリーがふと問いかける。しかし、少女に反応はない。
「この手裏剣を見ても、何も思わないのでしょうか?」
 零斗が手にした螺旋手裏剣、月華咬狼を少女に良く見えるようにかざした。その手裏剣は、零斗が以前他の月華衆より奪ったものであった。雨を弾いているその手裏剣に街灯の光が注がれ、幻想的な光がその手裏剣を包む。
 しかし、少女に反応はない。その様子を見た光闇が、続いて少女に問いかける。
「私の主の元へ、来られませんか? メイドとしての教育なども出来るのでございますが……」
 しかし、少女に反応はない。
 雨が様々な音をかき消していく。そして、翔子が口を開いた。
「ケルベロスとしちゃ、どんな姿でも放って置くわけにもいかない、か。うん、わかってるんだよ……」
 翔子は大鎌を持ち上げた。身体を流れる雨が、更に自分達の心を流していく。ケルベロス達は、意を決した。

●雨の音と残された仮面
 ジルベルタが躊躇い無く、毒の手裏剣を少女の腹部に打ち込み、ネロが爪で引っかく。
「よーし! いっくぞー!」
 そこへ、もみじが殴りかかろうと突っ込む。すると、それを待っていたかのように、両手に持った手裏剣をもみじに狙い済ませて、右、左と猛然と突き立てた。その片方の一撃は、もみじの胸に深く突き刺さり、そこから氷が発生していく。
 もみじが、その場に倒れ、胸を押さえる。
「いたい……いたいよぉ……。なんで……? わたし……わるいことしてないのに……ひどいよぉ……」
 と言いながら、ゆっくりと顔を上げる。
「……ひどいことするひとは……ころさなきゃ……」
 もみじは、その小さな身体にグラビティの力を纏わせながら、バトルガントレットを握り締め、少女に飛び掛った。
『ころす…ころす、ころす、ころす、ころす、ころす!!!!』
 叫びながら少女を突き倒し、そのまま馬乗りになる。そして、その殺意をこめた両手で顔面を何度も殴りつけていく。
 少女は既に動かなくなりつつあった。しかし、もみじは殴るのを止めない。
「しんじゃえ! しんじゃえ! しん……」
「そこまででございます。もみじ様!」
 背後から光闇がもみじを抱え上げる。
「もう、よろしいでございましょう」
 光闇が抱えたままくるりと踵を返すと、翔子がもみじの傷を癒していった。
「あれ? ボク、なにしてたんだろ……?」
 すると、もみじはいつもの自分を取り戻していった。
 ゆるりと立ち上がる、月華衆の少女。少女は既に限界であったのか、それ以上動くことが出来ない。だが、構えだけは解かなかった。
「せめてもの情けです。これ以上苦しまないように。もう、終わらせましょう……」
 零斗がそう言うと、リリーがこくりと頷き、一節の歌を唱えだす。
『応じ来られよ、外なる螺旋と内なる神歌に導かれ……』
 その歌に導かれるようにグラビティチェインが舞い、ぐるりと螺旋を描き出す。その螺旋は、リリーの手を離れ、月華衆の少女を囲んでいく。
『その威光を以て破壊と焦燥を与えん』
 リリーが最後にそう言った時、荒れ狂う磁気嵐と共に、月華衆の少女は消えた。
 ふと見ると、螺旋の仮面が残されていた。その仮面を大粒の雨が叩く。その音だけがその場に響いていた。

「では……」
 エステルはそれ以上何も言わず、ヘッドホンを耳につけて傘を差し、歩き始めた。
「……よくわからないまま戦って、ハイ終わりって言うのもね」
 ロベリアがエステルを見ながらぽつりと呟いた。
「あの子はきっと、分割された存在の1つのような感じなのかもしれないわね」
 ジルベルタも、思うことがあるのか、誰に言うでもなくそう声に出した。
 ケルベロス達は、戦闘によって壊された箇所をヒールで直して、再び駐車場に来ていた。雨は先程より弱まっていっていたが、止む事は無かった。
「結局、グラビティの謎とかはあまり分からなかったわね」
 ヒールから帰ってきたリリーが言う。
「これで、何か分かると良いのですが」
 その言葉に、零斗は螺旋の仮面を見て答えた。月華衆の情報がこれで少しでも分かれば、このような事件も解決できる。
「そうでございますね……」
 光闇は、もみじをしっかりと背中に背負い、同意した。もみじは彼の背中でぐっすりと眠っていた。
「んー雨は好き、なんだけどねえ……」
 翔子は傘も差さず、また、雨の落ちる駐車場に出て、空を見上げる。その空からは、いつまで続くか分からない雨粒が自分に向かって降り注いで来ている。
 残ったケルベロス達は、暫くの間、無言のまま時を過ごした。
 任務とはいえ、どこかやるせない。そんな気持ちを抱えながら、雨を眺めていた。
 梅雨の雨から夏の雨に変わりつつある。
 次に季節が変わる時、自分達、世界は、どうなっているか。そして月華衆との戦いは……。
 先の事は誰にも分からないが、願わくば、お互い無事であらん事を。
 まだ振る雨を見ながら、そう思った。

作者:沙羅衝 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年7月7日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 1
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