夜を逝け

作者:土師三良

●獣欲のビジョン
 どことも知れぬ薄闇の中で。
「ドン・ピッグよ」
 ローブを纏ったドラグナーが声を発した。
「慈愛龍の名において命じる。おまえとおまえの軍団をもって、人間どもに憎悪と拒絶とを与えるのだ」
「俺っちの隠れ家さえ用意してくれりゃ――」
 と、葉巻を手にしたオークが答えた。
「――後はウチの若い奴が次々と女を連れ込んできて、憎悪だろうか拒絶だろうが稼ぎ放題だぜ」
「やはり、自分では戦わぬか。だが、その用心深さがおまえの取り柄だろう。よかろう。魔空回廊でおまえを安全な隠れ家に導こう」
「おぅ。頼むぜ、旦那」
 ドラグナーによって魔空回廊が開かれると、オークはその中に消えて行った。
 
 歓楽街のエアポケット――薄暗い路地裏をスーツ姿の女がよたよたと蛇行していた。
 酒臭い息を吐きながら。
 突然、小さい破砕音とともにマンホールの蓋が跳ね上がった。
 女の足が止まり、生気のない目がマンホールに向けられる。
 暗い穴の中から這い出てくる何者かの姿が見えた。
 無表情だった女の顔に微かながらも感情の波が揺れた。
 恐怖という感情だ。
 その『何者か』は何本もの触手を有した醜いオークだったのだから。
「お? 上玉じゃねえのぉー。今夜はついてるなぁ」
 下卑た笑みを浮かべて、オークは女に近付いた。その間にマンホールから別のオークがのそりと姿を現し、更に別のオークが続き……合計五体のオークが女を取り囲んだ。
「なーんか、妙にリアクションの薄い女だけど――」
 最初のオークが手を伸ばし、女の前髪を乱暴に掴んだ。
「――澄ましていられるの今のうちだ。すぐに良い声を出さざるをえなくなるぜぇ」
 そして、五体分の触手が女の肢体に絡み付いた。
 
●ザイフリートかく語りき
「ギルポーク・ジューシィというドラグナーの息のかかったオークどもが事件を起こすようだ」
 ケルベロスたちの前に立ち、吐き捨てるような調子でヘリオライダーのザイフリートが語り始めた。兜から覗く口許が嫌悪に歪んでいる。
「オークどもの頭目はドン・ピッグなる輩らしいが、そやつは非常に用心深いので、現場に足を運ぶことはない。よって、おまえたちが相手をするのは、ドン・ピッグの手下たちだ」
 その手下たちが事件が起こすのは東京都足立区の歓楽街。そこにいた女を暴行した後、ドン・ピッグが待つアジトに連れ帰るのだという。
「被害者を事前に避難させることはできないし、路地裏を封鎖することもできない。そんなことをしたら、オークどもは別の場所で別の女を襲ってしまうからな。心苦しいが、オークどもが被害者の前に現れるまで待ってから、現場に突入するしかない。ただ、戦闘の際にオークどもが被害者を人質に取るようなことはないと思う」
 人質を取らないのはプライドやモラルがあるからではなく、被害者の存在を(そして、ケルベロスの大義も)軽く見ているからだ。件のオークたちは『たかが一般人一人の命をケルベロスが重んじるわけがない』と思い込んでいるのである。
「被害者の名は奥村・鶯華(おくむら・おうか)。二週間ほど前に婚約者と死別している。そのためか、生きる気力を失っているようだ。勧んでオークに身を任せるなどということはさすがにないが、自分の身を守る意思もないだろうから、注意を怠るな」
 オークとの戦闘になった時、ケルベロスが鶯華に『逃げろ』と指示しても、彼女はその場にとどまっているだろう。人質に取られる恐れがないとはいえ、戦いに巻き込まれる危険性はあるかもしれない。
 一通りの説明を終えると、ザイフリートは次の言葉で締めくくった。口許の歪みを更に歪めて。
「人間たちに憎悪と拒絶を与えるのが敵の狙いなのだろうが……おまえたちのほうがオークどもに与えてやれ。恐怖と絶望をな」


参加者
壬育・伸太郎(鋭刺颯槍・e00314)
ギルボーク・ジユーシア(十ー聖天使姫守護騎士ー十・e00474)
天導・十六夜(天を導く深紅の妖月・e00609)
鳴神・猛(バーニングブレイカー・e01245)
月浪・光太郎(孤高の路地裏マスター・e02318)
アウレリア・ノーチェ(夜の指先・e12921)
サーティー・ピーシーズ(十三人目・e21959)
アーシィ・クリアベル(久遠より響く音色・e24827)

■リプレイ

●月夜に響くノクターン
 夜の路地裏で、奥村・鶯華(おくむら・おうか)を取り囲む五人のオーク。
 そのうちの一人が手を伸ばしたが――、
「なーんか、妙にリアクションの薄い女だけど……」
 ――芋虫めいた指が彼女の髪に触れる寸前、爆発音が響いた。
 割り込んできたのは音だけではない。表通りに続く角から灰白色の夜霧が湧き出てきた。
 その奥から出てきたのは、銀髪のビハインドを伴ったアウレリア・ノーチェ(夜の指先・e12921)。夜霧の正体は、彼女のグラビティ『煙幕榴弾(スモーク・グレネード)』で生じた煙幕だ。
「な、何者だ、てめえ!?」
 オークが怒鳴るように問いかけると、十一個の影が煙幕の中から飛び出してきた。
 ケルベロスである。
「七天抜刀術――」
 影の一つがギルボーク・ジユーシア(十ー聖天使姫守護騎士ー十・e00474)の形を取った。腰に差した日本刀の柄に手をかけ、オークに迫る。
「――壱の太刀」
『血桜』の名を持つ居合いの技がオークの体を切り刻み、名前が示す通りに鮮血を桜のように舞い散らせた。
「うぐわぁーっ!? こ、この野郎ぉ!」
 血塗れになりながら、オークが絶叫した。それは悲鳴を兼ねた怒号だった。『血桜』には怒りを付与する効果があるのだ。
「ぶち殺してやらぁ! いくぞ、一号、三号、四号、五号!」
 怒れるオークは仲間たちに呼びかけた。名前ではなく、番号で(彼の番号は二号なのだろう)。
 彼らの意識と視線が鶯華からケルベロスたちへと移ったことを見て取り――、
「今のうちに逃げますよ」
 ――今回のチームの中では最年少の壬育・伸太郎(鋭刺颯槍・e00314)が鶯華の手を引いて走り出した。
 鶯華は抗う素振りも見せず、少年の後に続く。彼女は自覚していないが、その行動には殺界形成も影響していた。ここから離れたいという意識が働いてるのだ。
「差し出がましいようだが、言わせてもらおう」
 と、殺界形成を用いた月浪・光太郎(孤高の路地裏マスター・e02318)がすれ違いざまに声をかけた。
「人は、生きている限り、やり直せる。なにも残らないなんてことは――」
 背中越しに語り続けながら、『一号』と呼ばれたオークに向かって走り出し、脂ぎった腹部を旋刃脚で抉り抜く。
「――ない!」
 一号に命中した蹴りは一人分ではなかった。
 ほぼ同時に鳴神・猛(バーニングブレイカー・e01245)も旋刃脚を繰り出していたのだ。
 しかし、踏み込みが甘かったのか、大きな隙が生じていた。
 その隙に乗じて、一号が触手を振り下ろす。
「このアマァ!」
「いやーん!」
 肩に攻撃を受けた猛がこれ見よがしに体をくねらせつつ、嬌声じみた悲鳴をあげた。鶯華が退避するまでの間、自分に注意を引き付けようとしているのだ。棒読みもいいところなので、演技であることは一目(一耳?)瞭然だが、愚かな一号は気付いていないらしい。先刻の隙も意図的につくったものだが、そのことにも気付いていないだろう。
 他のオークたちも次々と(主に女性陣を狙って)反撃を開始した。
 伸ばされた触手の一本が比嘉・アガサに命中した。いや、他の者に命中するはずだった攻撃を彼女があえて受けたのだ。鶯華を先導している伸太郎に代わって、盾役を務めているのである。
 オーク好みのリアクションなど微塵も見せることなく、アガサは振り返って、後方のヴァオ・ヴァーミスラックス(ドラゴニアンのミュージックファイター・en0123)に微笑みかけた。
「いつも逃げ腰だけど、今日はちゃんとお仕事してるね。えらい、えらい。後でビールの一本も奢ってやろう」
 行間ならぬ『笑間』というものがあるとしたら、彼女の笑顔のそれに込められているのは『ちゃんとお仕事しないと、ただじゃおかないよ』というプレッシャーだ。
「い、いや、酒は一滴も呑めないクチなんで……」
 顔を引き攣らせつつ、ヴァオは前衛の防御力を上げるためにバイオレンスギターで『紅瞳覚醒』を奏で始めた。
 こんなことを心中で呟きながら。
(「オーク退治に参加する度に思うんだけど……デウスエクスなんかよりも女のほうが怖いよなぁ」)
 すると、その想いが正しいことを証明するかのように、女性陣の一人が元気な声を響かせた。
「これは王子直々の依頼だからね! ぜーったい、期待に応えないと!」
 ヴァルキュリアのアーシィ・クリアベル(久遠より響く音色・e24827)である。
 次の瞬間、その声だけを残して、彼女は消えた。いや、全身を光の粒子に変えて、ヴァルキュリアブラストを仕掛けたのだ。
「うひゃーっ!?」
 直撃を受けた一号が情けない悲鳴とともに吹き飛んだ。
 後方のビルの壁にぶつかり、バウンドしたところを、ゲシュタルトグレイブによる稲妻突きが出迎える。『ミストルティン』と名付けられたそのゲシュタルトグレイブを手にしているのは天導・十六夜(天を導く深紅の妖月・e00609)だ。
「天導流……鳴神」
 ミストルティンを一号から素早く引き抜き、十六夜は流れるような動きで後退した。
 刃の残光と血の糸が両者の間に引かれたが、一号が目を向けた相手は正面の十六夜ではなく、アーシィのほうだった。
「許さねえぞ、このヴァルキュリア! 徹底的に嬲って、辱しめて、いたぶって、弄んで、犯しまくっ……うひゃあぁぁぁーん!?」
 怒りと欲望に染まった言葉がまたもや情けない悲鳴に変わった。
 一号を含む三人のオークの前面で星辰のオーラが爆発したのである。
「オメーらよぉ。ほんと、エロいことしか頭にないのなぁ」
 呆れ半分の嘲笑で口許を歪めて、サーティー・ピーシーズ(十三人目・e21959)がゾディアックソードを振った。刀身に張り付いていた氷片が舞う。三人に放たれたオーラ――ゾディアックミラージュの残滓だ。
「まあ、考えてみりゃあ、幸せな連中だわな。頭ん中にエロいことだけを詰め込んだまま――」
 ゾディアックソードを構え直して、サーティーはオークたちをねめつけた。口許の笑みからは『呆れ半分』の部分が消えている。
「――あの世に行けんだからよぉ」
 その凄みのある声を後方で聞きながら、ヴァオは震え上がっていた。
(「女たちだけじゃなくて、こいつも怖えよぉ」)

●地獄に導くレクイエム
「アゲアゲでいこぉ~!」
 威勢のいい掛け声とともに猛が『ファイアエンチャント』を発動させた。使っている当人にもよく判らぬ理屈によって、前衛陣の傷が癒され、攻撃力が上昇していく。
 後衛でも声があがった。猛のそれとは対照的な、静かな声が。
「……敵の動きを封じて、アルベルト」
 声の主はアウレリア。銀髪のビハインドに指示を送りつつ、自身も黒金のリボルバー銃を構える。
 次の瞬間、機動力を削ぐ二種類の雨がオークたちを打ち据えた。制圧射撃による弾丸の雨と、ポルターガイストによる石礫の雨。
 そんな鈍色の雨を浴びながらも、一号が『雨ニモ負ケズ』とばかりに触手を繰り出そうとした……が、体を硬直させて棒立ちになった。旋刃脚のパラライズが働いたのだ。
 その隙を見逃すことなく、光太郎が一気に間合いを詰めて――、
「砕けろ、この一撃で!」
 ――一号の顔面に叩き込んだ。月光を思わせるオーラと化した拳を。
 悪趣味な手品のように一号の頭部が一瞬にして消失した。骨片と脳漿が混じった赤黒い血煙だけを残して。『月光撃』という名のこのグラビティは、慈愛を以て用いれば、敵に痛みを感じさせることなく葬り去り、憎悪を以て用いれば、逆に地獄の苦しみを与えるという。今夜、光太郎が慈愛と憎悪のどちらを拳に込めたのかは言うまでもないだろう。
「ひえーっ!?」
 仲間の死を目の当たりにした三号が悲鳴をあげて走り出した。自分たちが出てきたマンホールに向かって。
 だが、ギルボールと十六夜が行く手を遮った。こういう状況になることを予期して、戦闘中も常にマンホールの位置を意識して立ち回っていたのである。
「あなたたちのような輩を――」
「――逃がすわけないだろう」
 ギルボークが刀を閃かせ、十六夜が掌を突き出した。絶空斬によって斬り広げられた傷口をドラゴニックミラージュの炎が焼く。
「あぎゃあぁぁぁー!?」
「ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっ!」
 斬撃と炎熱が生み出したオークの悲鳴に哄笑が重なった。
 サーティーの哄笑だ。
「おつむの出来が悪くても、判るよな? 自分はもうここで死ぬしかないってことがよぉ。オラ、もっといい声で――」
 サーティーがゾディアックソードを斬霊刀の『My Sin』に持ち替えて横薙ぎに払うと、刃から霊力が放たれ、二号と三号に命中した。パラライズを有する『神妙の刃・摂理(シンミョウノヤイバ・セツリ)』というグラビティである。
「――鳴いてみろやぁ!」
 しかし、リクエスト通りに『いい声で鳴い』たのは三号だけだった。二号は今の攻撃で絶命したのだ。
 残された三号に向かって、サーティーはまた凶悪な哄笑をぶつけた。
「パラライズってのはめんどくせえだろ? そうやって死ぬまでのたうってろやぁ!」
「……やっぱ、こいつ、怖ぇよぉ」
 ヴァオが体を退き気味にして泣き声をあげた。
 それを見て『このヘタレ野郎なら倒せるかも』とでも思ったのか、三号は触手を突き出して攻撃した。
 三号にとって幸いなことにパラライズは発動しなかったが――、
「させません!」
 ――咆哮する小さな影が身を挺して盾となり、ヴァオを庇った。
 鶯華の避難を終えて戦線に復帰した伸太郎である。
 己の体を刺し貫く触手などものともせずに、伸太郎はオークを睨みつけた。
「弱者をいたぶることしかできませんか。救えぬ愚物」
「そーだ、そーだ! おめーら、スクエヌグブツだ!」
 十歳の少年の背に隠れるようにして、『弱者』であるところのヴァオ(もうすぐ五十歳)がオークに悪態をついた。見苦しいことこの上ないが、手だけはしっかり動かし続けて、『紅瞳覚醒』の音色で伸太郎たち前衛陣をヒールしている。
 そんな頼りない主人に代わって、オルトロスのイヌマルがパイロキネシスを放った。更にアガサが旋刃脚でパラライズを重ね、その傷口をアーシィが絶空斬で抉り抜く。
「ひっ……ぐっ……」
 悲鳴にすらなっていない声を漏らしながら、満身創痍の三号はよたよたと逃げ出した。ギルボールと十六夜が立ちはだかる場所ではなく、別の方向をめざして。路地裏のマンホールは一つではないのだ。
 しかし、そこには先客がいた。
「十六夜たちが言ったはずよ。逃がさない、と……」
 マンホールの蓋の上に陣取っていたのはアウレリア。その手に握られていた銃がホルスターに戻されたかと思うと、四半秒ほどの間を置いて、再び抜き放たれた。
 クイックドロウの銃声が響き、三号が体をのけぞらせる。
 その横を一陣の風が走った。
「天導の一端を解く。その知識、吸い尽せ」
 風の……いや、十六夜の愛刀『雷斬り』の刃が何条もの軌跡を描き、オークの全身に幾つもの花が咲いた。
 血で構成された蓮華の花が。
「導流神殺し、血刄蓮華」
 雷斬りが鞘に戻ると同時に鮮血の蓮華は雲散霧消し、三号はゆっくりと頽れた。
 それを見届けた猛が――、
「あと二匹!」
 ――残された四号と五号に鋭い視線を向ける。
 その二体はヒールのグラビティを有していた。しかし、それ故に戦闘に加わることができずにいた。激しい攻撃に晒されていたため、自分を治癒することで手一杯だったのである。
 彼らに猛攻を加えていたケルベロス――顔を返り血で染めた玉榮・陣内が煙草をくゆらせつつ、猛たちにニヤリと笑ってみせた。
「食べ頃にしておいたぞ」
「こんな連中を本当に食べちゃったら、おなかを壊しちゃいそうだけどね」
 軽口に軽口で応じて、猛が四号を降魔真拳で攻め立てた。最初の攻撃した時と違って、わざと隙を見せるようなことはしない。
 彼女の拳に続いたのは、禍々しい形状をした二本の刃。光太郎のブラッディダンシングである。
 踊るような動作から繰り出される斬撃によって、四号もまた踊るように体をよろめかせたが、倒れる寸前で踏みとどまり、光太郎めがけて触手を突き出した。ヒールに付属するエンチャントで触手の攻撃力は上がっていたのだが、それはブラッディダンシングを受けた瞬間にブレイクされている。アウレリアが最初に用いた『煙幕榴弾』には破剣を付与する効果があったのだ。
 しかも、その触手は目標の光太郎には届かなかった。
 伸太郎がまたもや盾になったのである。
 彼は自分に命中した触手を手繰り寄せるようにして四号との間合いを縮めると――、
「嘗めるな、下郎!」
 ――小さな体躯に似合わぬ叫びを発し、グラインドファイアを放った。
 炎を帯びたエアシューズが唸りをあげて真一文字に走り、四号の首が飛んだ。
 首は地面に落ち、何度か跳ね上がった後に転がり、五号の足元で止まった。
「うぉぉぉーっ!」
 五号は吼えた。怒りの叫び。もっとも、その激しい感情は同胞の死に喚起されたものではない。ギルボークが二度目の『血桜』で斬りつけ、怒りを付与したのだ(そうでなければ、他の者たちと同様に逃亡を試みていただろう)。
 だが、燃え上がる憤怒の炎に冷水を浴びせるかのようにサーティーがゾディアックミラージュをぶつけた。例によって、凶悪な哄笑を響かせながら。
 星辰のオーラが再び爆発し、五号の体のそこかしこが霜が覆われていく。
「つ、つべてぇ! いてぇー!」
 五号は思わず悲鳴をあげたが、すぐにそれを雄叫びに変えた。
「だが、この程度の氷で俺様の怒りを冷ますことはできないぜぇ!」
「べつに冷ますつもりなんかないから」
 そう言いながら、アーシィが五号に突進した。アスガルドで鍛えられた『星河』という刀を手にして。
「いきます!」
 叫びとともに放たれた攻撃は『氷消瓦解の太刀(ヒョウショウガカイノタチ)』。
 ほんの一瞬、星河の輝く刀身に別の輝きが加わった。冷気が生み出した輝きだ。
『冷ますつもりなんかない』というアーシィの言葉通り、冷気を帯びた刃によって五号が冷めることはなかった。
 冷めるより早く、凍結し、そして砕け散ったのだから。

●明日に続くセレナーデ
 地面に散乱した氷の破片(五号の肉片)を踏み砕きながら、鶯華が路地裏に戻ってきた。
「もう大丈夫だよ! オークどもは一匹残らずやっつけたから!」
 猛が微笑みかける。
 だが、鶯華は笑顔を返すことなく、うつろな目で周囲を見回した後、ぽつりと呟いた。
「べつに助けてくれなくてもよかったのに……」
「なに言ってんだ、おめぇ!? みんな、おまえのために命を張ったんだぞぉ!」
 と、激昂するヴァオを抑えて、ギルボークが穏やかな声音で語りかけた。
「貴方の婚約者が亡くなったことは知っています」
「……」
 鶯華は反応を示さなかったが、ギルボークは言葉を続けた。
「こんなことは考えたくもないけど……僕も自分の大切な人を失ったら、とても耐えられないと思います。だから、判ります。心を強く持てと言われても難しいのはね。でも、そのままではいけないという事も判るんです」
「そうだよ!」
 猛が勢いよく頷いた。
「さっき、光太郎も言ってたでしょ。『なにも残らないなんてことはない』って。人はいつか死んじゃうけど、残せるものはきっとある! 顔を伏せて泣いてばかりいたら、亡くなった人が残してくれたものまで見えなくなっちゃうよぉ!」
「それに忘れてはいけないのは――」
 と、伸太郎が鶯華に言った。
「――貴方もまた、誰かの大切な人だということです」
「もし、その『誰か』であるところの婚約者さんが今のお姉さんを見たら、絶対悲しんじゃうよ。好きな人には笑顔でいてほしいと思うのがあたりまえだもん!」
 アーシィが熱弁をふるう。最初に『もし』と付けたが、彼女は信じていた。亡き婚約者の魂がどこかで鶯華を見守っていることを。
「そうだ。亡き人に笑顔を見せてやってくれ」
 十六夜がそう言った後で、すぐに言葉を付け加えた。
「空元気の笑顔でもいいんだ」
「……」
 鶯華はあいかわらず無言だった。
 路地裏が静寂に包まれる。
 もっとも、それはほんの数秒の間のこと。
「また生きてくれねえか。おまえを好きだった奴の、好きだったおまえのようによ」
 静寂を破ったのはサーティーの声だった。その顔からは、オークたちに見せた凶悪な笑みは消え去っている。
「遺されたからには生きるしかねえんだから」
「……」
 鶯華は無言のままだったが、うつろだった目に生気が戻った。ほんの少しだけ。
 その目を見据えて、アウレリアが口を開いた。
「愛する人のいない世界で、どうして自分が変わらず息をしていられるのか判らない――そんな想いには覚えがあるわ」
 一瞬だけ、アウレリアは視線を逸らした。傍らに立つビハインドのアルベルトに。
「それでも、私たちは、生きていかなければ、ならないのよ」
 再び、周囲を静寂が領した。
 ケルベロスたちはもうなにも言わなかった。
 そして、短くも長い時間が過ぎた後、鶯華が口を開きかけたが――、
「……」
 ――寸前で思いとどまったのか、言葉を発する代わりに笑ってみせた。
 とても悲しそうな笑顔だった。
 十六夜が言ったような空元気の笑顔なのか、すべてを捨てた諦観の笑顔なのか。ケルベロスたちには判らなかった。
 たぶん、鶯華自身にも判っていないのだろう。

作者:土師三良 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年6月30日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 4/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
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