宿縁邂逅~彼岸の兎

作者:文月遼

●敵の名は
 薄暗い草原に、一人の少女が佇んでいた。小柄な身の丈ほどの巨大なハートを模した鍵を抱えている。その白い髪と兎耳が月明かりに照らされて揺れていた。幻想的な光景だった。彼女の身を包む服装や、鍵の先端が、血のように赤黒く染まっていたとしても、その眼がどこかガラス玉のように虚ろでも。
 その少女の前に、音も無く男が現れた。紳士然とした男だ。シルクハットにモノクルと、いった出で立ち通り、礼儀正しく……それも過剰なほどに、男は告げる。
「お初にお目にかかる。アリストロキアさま、ですね? 私はアダムス。螺旋忍軍より参りました」
「……何の用かな?」
 少女は何の感慨も抱くことなく、アダムスに告げる。デウスエクスも一枚岩ではない。グラビティ・チェインを収集するという行動は一致していても、狙いは全く違う。そうした背景もあったが、彼女は純粋に興味を持っていないようだった。
「お察しの通りです。地球侵攻の邪魔者であるケルベロスを殺害或いは捕縛に協力してほしいのです」
「そう……他を当たったら?」
 大儀そうに返事を返すアリストロキアを見て、アダムスは軽く肩を竦める。
「そうですか。そのお相手が、彼だとしても?」
 アリストロキアの眼に光が宿った。頬に薄らと赤が差す。しかしそれは健全なものではなく、狂気を孕んでいた。愛や慕情を通り越したそれは、執着や妄執と呼ばれるものだった。
「既に手筈は整えてあります。ぜひ、あなたのご助力をと思いまして。用件は以上です。ああ、返事は必要ありません」
 それだけを言い残して、アダムス男爵は最初と同じように、音も無く消えた。鼻歌でも歌いだしそうな、上機嫌なアリストロキアを残して。その口許に笑みが浮かぶ。赤い三日月のように。

●黒と白
 夏の気配が少しずつ見え始めた、のどかな昼下がりの事だった。オズワルド・ドロップス(眠り兎・e05171)は、市民公園にある広場にいた。見渡す限りに草原が広がるそこを、涼しい風が駆け抜ける。暖かな日差しに、快適な風。オズワルドは小さくあくびをした。
「ちょっとだけ、休んでいくかな」
 オズワルドは大きく伸びをした。人もそれほどおらず、静かだ。そして思う。あまりに静かすぎる、と。
「……オズ?」
 甘い声が、オズワルドの垂れ気味の兎耳に届く。耳を通り抜け、心まで冷たいもので撫でられたような感覚に彼は振り返る。一瞬、ウェアライダーかと彼は思ったが、すぐに打ち消す。その胸元に小さなモザイク模様があった。その手に、巨大な鍵が握られていた。
「君は……っ!」
「僕はアリストロキア。やっと、この時が来たんだね……」
 甲高い笑い声を立てながら、アリストロキアが巨大な鍵を構える。オズワルドが剣を抜いた。
 二合、三合と剣戟がかわされる。振り降ろされた鍵を受け止めようとして、その威力に、オズワルドは膝をついた。頬が薄く切れて血が滲んでいた。
「大丈夫。恐がらないでいいよ?」
 アリストロキアが満面の笑みを浮かべる。返り血のついた鍵の先端を指で愛おしそうに拭う。そして、その鍵でもう一度オズワルドを貫いた。

●スクランブル
「マズいことになった。ケルベロスが因縁を持つデウスエクスに襲撃される……それも、一人の時にだ」
 前置きも何もなく、フィリップ・デッカード(レプリカントのヘリオライダー・en0144)がケルベロス達に告げる。いかにケルベロスが強いと言えど、単独でデウスエクスを相手どれば苦戦を強いられることに間違いは無い。それこそ、最悪の可能性も想定される。
「襲撃を受けたケルベロスの名はオズワルド・ドロップス。連絡を取ろうとしたんだが、繋がらなかい」
 単に忙しくて連絡が取れない、などと能天気なことは到底考えられなかった。
「一刻を争う時だ。彼が無事なうちに、なんとかして救援に向かってくれ。デウスエクスも、流石に複数のケルベロスを無視することは出来ないだろう」
 フィリップは説明を続ける。
「場所は郊外にある市民公園の広場だ。向こうも人が集まって目立つのを避けたいんだろうな。オズワルドと、彼を狙うドリームイーター以外には誰もいない。彼の救援に全力を注いでくれ。手が足りなければ、彼女も使ってくれ」
「ん。ガンガン前には行けないけど、回復とかサポートなら任せてよ」
 そう言いながら、フィリップは隣に控える少女を見やる。ザビーネ・ガーンズバック(ヴァルキュリアのミュージックファイター・en0183)はぎこちなくお辞儀をした。
「敵はドリームイーターが一体。武器は手にした鍵のようだ。技そのものは標準的なものと変わらない。それに、可愛らしい外見をしているようだが、くれぐれも油断はしないでくれ」
 戦法がシンプルであるということは、絡め手を用いずとも、ケルベロス達を相手取ることの出来る、充分な戦闘力を持っているということだ。
「彼を無事に救出してくれ。ついでに、ケルベロスは狩られる側じゃないってことを、分からせてやれ」
 説明を締めくくり、フィリップはケルベロス達をヘリオンに誘う。


参加者
メルティアリア・プティフルール(春風ツンデレイション・e00008)
フェンネル・クライン(ラーテル・e00204)
レジーナ・マクスウェル(天空の殲滅機・e03377)
オズワルド・ドロップス(眠り兎・e05171)
青葉・リン(もふもふ恋狐・e09348)
青葉・ラン(もふもふツンデレラ・e11570)
烏丸・リュシカ(迦楼羅の如く・e18782)
アスカロン・シュミット(竜爪の護り刀・e24977)

■リプレイ

●狂愛と親愛
 オズワルド・ドロップス(眠り兎・e05171)の流す、赤黒い血が、アリストロキアを染め上げている。頬についた血を、白い兎は愛おしそうに舐め取った。ちろりと赤い舌が、白い体躯に映える。
「どうして、逃げるの?」
「自分そっくりの影……もしかして、君は……」
 じりじりと下がる少年に、ドリームイーターが歩み寄る。まるで、旧知の友人に会った時のように足取りは軽い。けれども、赤い瞳に浮かぶのはたがの外れた妄執と呼んで差支えない。
「じっとしてれば痛くないよ。だから、ねぇ? オズぅ……?」
 ゆっくりと、けれども明確な攻撃の意志を備えて、アリストロキアは鍵を振りかざす。どくどくと血の流れる脇腹を押さえながら、彼は、その鍵から眼を離せないでいた。一か八か。目の前に近付いた死を思い、彼は身構える。
「何ともご執心のようだが。独りよがりな告白は勘弁願いたい」
 間に割り込んだ。一つの影。グラビティで生成した闘気を腕に纏わせ、即席のシールドとして鍵を弾いたのはアスカロン・シュミット(竜爪の護り刀・e24977)だった。続けざまにアスカロンは右腰の刀を抜刀。アリストロキアはひょいと跳び退ってそれをかわすが、それで十分だった。生まれた隙に握り締めていた腕を胸の前で広げる。紙で出来た兵士が意志を持つように宙を舞う。
「オズくん、遅れましたです・・・…ごめんね?」
 傷だらけの兎を、冷たい満月にも似た光が、見知ったウィングキャットが包む。オズワルドの目の前に、青葉・リン(もふもふ恋狐・e09348)のふさふさとした尻尾が見えた。
「姉さんだけじゃないわよ。ほら、アンタも、しっかりなさい!」
 続けて青葉・ラン(もふもふツンデレラ・e11570)が槍騎兵を放ち、アリストロキアを牽制する。眼の焦点が合わない姿見て、ランは叱咤するように声を張る。
「みんな……来てくれたんだね」
「……キミを、助けに来たの。……他に理由があると思う?」
 メルティアリア・プティフルール(春風ツンデレイション・e00008)がてきぱきと自身の気を分け与える。口調こそ素っ気ないが、メルティアリアの手当ては、ほんものだった。
「楽しそうな事してんじゃねえか、混ぜてくれよ」
 攻撃を受け、下がるアリストロキア。その背後から、フェンネル・クライン(ラーテル・e00204)が拳を構えて飛び込んだ。振り返ったアリストロキアが鍵を盾にして、その拳を受け止める。衝撃で地面が抉れるが、小さな体躯はびくともしない。続けざまにレオナールたちの牽制が入る。
「ボクも……っ……」
 オズワルドが立ち上がろうとする。けれども、まだ足取りはふらついたままだった。それを制するように烏丸・リュシカ(迦楼羅の如く・e18782)が姿を見せ、二人を交互に眺めた。
「あーあー、オズ君も随分やられてもうて……敵さんもかわいらしいし、瓜二つやけど……ま、ちょっと休んどき」
 これ以上の詮索は無粋とリュシカが軽く彼の肩を叩き、かざした杖から無数の青白い光球を放って牽制する。口調こそ気さくだが、表情に普段のおっとりした雰囲気はどこにもない。
「髪は黒白、瞳は青赤。まるで交わらぬ対極図」
 続けて、芝居がかった声が、人気の無い公園に響く。それと同時に
 レジーナ・マクスウェル(天空の殲滅機・e03377)の放つ銃声が轟いた。
「諦めたまえよ白兎、コインの裏表は一つになど決してなれはせん」
「おお……」
 レジーナが軽く鼻を鳴らした。その後ろでザビーネ・ガーンズバック(ヴァルキュリアのミュージックファイター・en0183)がそのセリフ回しにぱちぱちと純真な拍手を送り、和音や美琴と共に手当てにあたっていた。オズワルドとアリストロキア。二人と隔てるように、ケルベロスは立ちはだかる。

●肩を並べて
「貴方たちは……?」
 赤と白でまだらになった服。それに僅かにグラビティによって煤や擦り傷がついたアリストロキア。無邪気な声に、わずか面白くなさそうな響きが混じる。仲良しの友達が、別の仲良しグループ取られた時のようと言えば微笑ましいが、滲むのは相手への敵意だった。
 彼女の問いにアスカロンは肩を竦め、リンはキッとアリストロキアを睨んで答える。
「義妹が世話になってるらしいからね」
「私たちの大事な友達です。これ以上、傷つけるはやめてもらいましょうか……」
「同じケルベロスだ。他に理由はいらないだろ」
 フェンネルも、軽く首を鳴らしながら答える。
 それを聞いたアリストロキアはゆっくりとケルベロス達を見渡した。ッ傷ついた彼の手当てに回る者、彼女を包囲する者、様々なケルベロス達がいた。直接的な面識がある者はもちろん。面識の無い者でも、傷ついた彼を守ることに必死だった。
「ふぅん……オズは、こんなに愛されてるんだね」
 じゃあ。アリストロキアが胸元のモザイクに手をかざす。ぼうとそれが浮き上がり、ふわりと浮かぶ。
「でも、僕が欲しいのはオズだから。キミたちはいらない。邪魔」
 一切の邪気無く、躊躇いもなくアリストロキアがちょいと一人を指差す。狙いはオズワルドの手当てをするメルティアリア。彼女目がけて、弾丸の如くそれが飛ぶ。
「させないのです!」
 すんでのところで、リンがモザイクの弾丸の前に飛び出す。命中したそれが彼女の身体を覆う様に蠢く。
「行くよ、ヴィオレッタ……ちょっと動きにくいかもしれないけど」
 庇われたメルティアリアが、手に巻き付けた鎖を前に立つケルベロスへと伸ばす。拘束するようにも見えたそれは、決して彼らの動きを阻害しない。むしろ、ケルベロス達を守る盾だった。
「まずは動きを……この地に住む土着神よ、我に力を貸し賜え!」
 ランの声に応えて、地面を割るように無数の白蛇が飛び出した。いくつもの方向からやってくるそれがアリストロキアの身体を捕えんと伸びる。鍵でいくつかを振り払ったものの、完全には凌げなかった。ドリームイーターの動きが止まる。ランが矢面に立って、モザイクに囚われる姉に発破をかける。
「姉さん。そんなモザイクに気をとられてる場合じゃないでしょ?」
「ええ、その通りなのです! 妖の力を我らに与え賜え!」
 リンがモザイクの拘束を破った。そのまま得意の狐術を用いて、ケルベロスたちに加護を与える。タマも、それに続いて支援に応じる。
「短期決戦だ。チンタラしてられねぇな! 行くぞ!」
 フェンネルがその力を受けて力強く一歩を踏み込んだ。アリストロキアも避けようとするが、蛇の枷がそれを阻害する。そして、孤術の加護が、踏み込みの速度を増す。
「っらァ!」
 鋭い蹴りが、アリストロキアに命中する。轟と大気が揺れた。
「せやな。ウチらがフォワードや。気ィ抜けへん!」
 アリストロキアは、嫉妬する子供だ。打てば響くと救助に来たケルベロスは睨んでいた。仲良しこよしを見て、癇癪を起こして貰わなければならない。
「ちぃと痺れて貰おうか!」
 その隙を、リュシカやフェンネルが叩く。リュシカが力強く握りしめた錫杖でドリームイーターに打撃を加える。一撃こそ重くないが、纏う電撃が威力を底上げし続ける。
「彼女にはぴったりかもな。悪いがその恨み……使わせて貰う!」
 アスカロンが続けて紙兵を胸元にかざす。その紙の山が次第に溶け、やがて禍々しい色を放つ一枚が残される。残されたことを呪うように、それがアリストロキアへと飛ぶ。
「シトラス……ボクらも、やれるよね?」
 オズワルドが、隣にいるミミックに問う。それがガチンと蓋を鳴らしたのをみて、彼は微笑を浮かべる。
「……あの子はきっと、ボクが落としてしまった負の落し物だ」
 傷は懸命の手当てによって、動ける程度にまでは回復していた。シトラスが主に答えるように、弾丸の如き速度でアリストロキアに突っ込み、その動きを封じるように噛みつく。
「ふっ!」
「オズ! 来てくれる――っ!」
 身体は言うことを聞いてくれた。相棒の作った隙を見逃さずに、鋭い蹴りを見舞う。近付いた瞬間、アリストロキアが満面の笑みを浮かべたのも、見逃さない。彼の隣で、レジーナが薄く笑う。
「おずっちよ。もう動けるのか?」
「うん。あの子を見て、休んではいられないから」
「そう来なくてはな。舞台を仕立て上げる手伝いは任せたまえ」
 道化が薄く笑う。仮面に貼り付けたそれではなく、友人に向けるそれだ。レジーナが地を蹴って、彼が下がる余裕を与えるために、アリストロキアに鋭い蹴りを放つ。下がるオズワルドに、万全ではないのだからとザビーネが更に回復をする。
「アンタ、良い人たちに会えたんだね」
 ザビーネの言葉に、彼はわずかに微笑みを浮かべた。

●君を見つめて
 相手は、外見は可憐なウェアライダーにも似た少女に過ぎなかった。けれども、ひとりのケルベロスを戦闘不能に近い状態まで追いやるデウスエクスだ。決して、楽な戦いではない。
 特に、身を挺して攻撃を受け止めるケルベロスの消耗は、朔夜や静夏の援護を含めても、激しいものだった。誰もが眼に消耗の色を滲ませていた。けれども、闘志は衰えていなかった。
「しっかりしてよね。助けるんでしょ、彼のこと」
「言われなくとも、さ」
「そう。なら、ヴィオレッタも、もう少しだけ頑張って」
 メルティアリアの叱咤に、アスカロンは冗談めかして応じる。それを聞いて、傷だらけのケルベロス達に淡い光を注ぐ。その光が、あちこちに出来た打撲を癒し、擦り傷を塞ぐ。完治には程遠いが、動くには十分だ。それを証明するように、ボクスドラゴンがブレスを浴びせかける。
「邪魔だって、言ってるの。オズだけが欲しいの! オズワルド。ねぇ! オズ、オズ、オズ!」
 いくら攻撃を加えても立ち上がるケルベロス達に、アリストロキアが癇癪を起こす。けれども、彼はアリストロキアの鍵の射程の外にいた。その鍵で心臓を貫くことが出来ないと理解した彼女は、手近にいたリンへと鍵を振りかざす。それを受けても、彼女はしっかりと地面を踏みしめたままアリストロキアを睨みつける。
「トモダチが何! 何だっていうの! 所詮は赤の他人じゃない!」
「っう! ……理屈じゃないんです。オズ君を死なせたくない。それだけです!」
 その気迫に、アリストロキアが一瞬だけたじろいだ。リンの足に力が抜け、少女がそのままへたり込む。
「後は任せて! タマは姉さんを!」
 主の妹である妹ランの声に応じて、ウィングキャットが主の手当てに加わる。そのままランは手にしていた鎌を力強く振るう。アリストロキアが退いてそれを避ける。けれども、刃が戻って来ることまでは想定していなかった。
「りっちゃん、らっちゃん、心意気は受け取った。白兎よ、狂気の茶会はお呼びでない! 「天空の殲滅機」の本領…とくと御覧あれッ!!」
 レジーナが友の名を呼びながら燐光を煌めかせて跳躍する。持ちうる全ての武装を展開し、驟雨の如く、地表へと注ぎ込む。
「おずっち……いや、覚悟があるなら、あたしは何も言うまい」
「ああ。道を開く!」
 レジーナの声に、アスカロンが応じる。もうもうと黒煙が上がる。その奥に、小柄な人影が見えた。居合と返す刀が、煙ごとそれを切り裂いた。
「畳み掛けるなら、手伝うよ!」
 追い打ちのように、ザビーネが光を纏い、煙の切れ間へと吶喊する。未来と神太郎のグラビティが炸裂する。
「合縁奇縁…これもまた一つ……やり方がどうあれ。オズ君への思いは、本物か……堪忍な」
 アリストロキアの叫びを聞き、リュシカはほんの一瞬だけ憐憫にも似た表情を浮かべる。けれどもそれはすぐに消え、凛とした声と共に、リュシカの周囲の風が渦巻く。
「吹き荒べ、斬り結べ、風の刃」
 声と共に、激しい暴風がアリストロキアを襲う。鎌鼬を思わせる旋風に、アリストロキアが怯んだ。
「まだまだ行くぜェッ! 最大まで溜めて…ぶちかます!」
 フェンネルが、自らその暴風に飛び込んだ。その瞬間、風は掻き消える。フェンネルのガントレットに、限界まで圧縮されたグラビティ・チェインが収束する。それを掌底の要領で、叩き付ける。
「今だ! オズワルド!」

●ハブ・ア・ナイスドリーム
 ケルベロス達のありったけのグラビティ。それを受けても尚、アリストロキアは立っていた。けれども、全身はボロボロだった。マフラーはずたずたになり、手にしていた鍵にあしらわれた宝石にはヒビが入っていた。
「――ぁ」
 ゆっくりと、オズワルドはアリストロキアに近付いた。
「ボクは。取り返しのつかないことをした。ボクを見てくれる人がいなくなって、そして君はおかしくなった」
「……ずぅ」
「キミの心を受け入れて前に進むから……」
「おずぅ……」
 オズワルドの持つ魔導書が、光の球になる。
「だから」
「オズッッっ!」
 アリストロキアが鍵を振りかざす。光に包まれた魔導書が、意思を持つようにそれを受け止める。
「どうか。お休み」
 懐に飛び込んだオズワルド。彼の持つ剣が、アリストロキアの胸のモザイクに突き刺さる。アリストロキアが大きく眼を見開いた。二人の顔が、数センチの距離にある。
 アリストロキアの唇に、薄い笑みが浮かぶ。その形のまま、薄らと赤いそれが映し鏡のように似通った少年の頬に触れる。
 ほんの一瞬の間だけだった。
 アリストロキアは塵となって消えた。
 オズワルドは、剣をだらりと落とした。魔導書から光が消え、焼け焦げた芝生へと落ちる。
「……お疲れ、ナイスファイトだった」
「お疲れさま」
 ぼんやりと立ち尽くす彼に、フェンネルがタオルをかける。メルティアリアも、ぶっきらぼうにねぎらいの言葉をかける。素っ気ないものであったが、それは彼を思っての事だった。ひとつの決着がついたのは確かだが、それが決してすべてではない。因縁を持つ者がいたという事実は消えないのだ。そこから先は、多分孤独な闘いになる。
 少し離れた場所で、アスカロンは周囲のヒールを行いながら、目を光らせている。それを見たザビーネが、ヒールを手伝いながら小首を傾げる。
「ん。どーしたの。おにーさん」
「この襲撃、彼女一人でやれたとは思えない。警戒をするに越したことはないからね。手伝ってもらえるか?」
「うっす。今はそっとしとく方が良さそうだし」
 アスカロンの言葉に、ザビーネは頷いた。そのままふわりと宙を浮かび、ぐるりと公園を巡る。
 ぼんやりと立つオズワルドを、リンはランとレジーナに支えられながら遠巻きに見ていた。今すぐ駆け寄っていきたい気持ちもあったが、それ以上にかけるべき言葉も見つからず、やきもきとしている。
「みんな生きている。みんな無事。それだけあれば、充分じゃない?」
 妹のぶっきらぼうな励まし。けれども、ランの尻尾も彼を案じているのか少しだけ垂れていた。
「そうだな。おずっちは強い子だ。そして……デウスエクスとは言え、想いは本物だった。手を合わせるくらいは許されるだろう」
 レジーナがぽつりと呟いた。胸の前にかるく手を掲げ、静かに眼を閉じる。
 オズワルドの背後に、リュシカが近づいた。魔導書をひょいと拾い上げ、頭ひとつほど差のある小柄な少年を、背中からそっと抱きしめる。
「よう頑張ったなぁ」
 返事は無かった。
「皆心配しとるさかい。顔見せんと」
 今度は静かに頷いた。それを見て、リュシカは満足そうに笑って、少年から身を離す。
「ほな、帰ろか」
 オズワルドは、ゆっくりと振り返った。彼を心配そうに見守る者。周囲を警戒する者、焼いた草花をヒールしようとしている者。彼は、面識のあるなしに関わらず自分が多くの人に囲まれていることに気が付いた。足元には、彼をじっと見上げるシトラスもいた。
 ――今はもう一人じゃない…それに、失くしたくない人達がいるから。
 オズワルドは足元に残された鍵を拾い上げ、彼を待っているケルベロス達のいる場所へゆっくりと歩き出した。
 決して、振り返ることはなかった。

作者:文月遼 重傷:青葉・リン(あふれる想いを愛しいあなたへ・e09348) 
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年6月16日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 0
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