宿縁邂逅~手折る紫陽花、微笑む狂骨

作者:緒石イナ

 夜の闇は、夜明けの直前がもっとも暗いという。朝日を待つ暗黒の中、ふたつの影が顔を合わせていた。そのうちのひとり――コートとシルクハットで身を覆う紳士然とした男がうやうやしく頭を下げ、コートの懐から一通の封筒を差し出した。
「お望みの情報、この通り探し当ててまいりました」
「結構。大儀であった、卿……はて、なんと申したやら」
 それを受け取るのはもうひとりの影、淡色の打掛と白い翼が闇に浮かんで見える男。
「アダムス男爵とでもお呼びください。なに、礼にはおよびません。あなた様のお力になれたなら、この程度のことなどお安い御用でございます」
 名前を尋ねておきながら、彼は心ここにあらずといった様子でまだ暗い空の向こうを見つめていた。
「あの子の死が報酬代わり、か。ならば心配はいらないよ。待っておりなさい、きっと良い報せを卿への手土産にできよう」
 そして三対六枚の翼を広げて飛び立つ男の背を、謎の紳士――螺旋忍軍・アダムス男爵は頭を下げたまま見送っていた。
「ぞんぶんにお力をふるい、目障りなケルベロスを殺してきてくださいませ。それが、我々の利益にもなるのです。期待しておりますよ――櫛乃・帳様」
 彼が邪悪な微笑とともに独りつぶやいたそれこそが、白い翼の男の名前だった。
 
 夜半の雨はとうにやみ、森の中には朝霧が立ち込めていた。そんな中、着物の袖が露に濡れるのもかまわず、櫛乃・紅緒(雨咲フローリス・e09081)は朝に咲く野花のひとつをぷちんと拝借して手元の籠に入れた。野花の道をたどって小川の流れをさかのぼるうち、ずいぶん霧深い奥地に誘いこまれてしまったことに、彼女はまだ気づかない。
「……さん、お嬢さん。そこのお嬢さん」
 不意に、紅緒はすっと背を伸ばす。聞きなれない若い男の声が彼女を呼んだのだ。声がした方へと振り返ると、白くかすむ空気の向こうに、紅緒へ向けて手招きをする男がいた。背中の翼と髪を飾る花が風に揺れている。一見したところ、紅緒と同じオラトリオの、柔和に微笑むただの男だ。しかし、なにかおかしい――言い知れぬ違和感が、普段なら無邪気に歩み寄ってしまいかねないほど純真な紅緒の足を止めさせた。
「ええと……どないか、なさりましたか」
「可愛いお嬢さん。君の名前は、なんというのかな」
「……紅緒、です。あの……うちに、なにかご用?」
「紅緒。ああ、いい名だ」
 会話がまるで成立しない。より強くなる『違和感』。その正体が『悪意』だと彼女が知るより先に、透き通った骸骨の指が細い首筋に食い込んでいた。紅緒の瞳が、驚愕で見開かれる。
「僕も自己紹介しよう。帳というんだ。僕の名は、帳」
 思わず、紅緒は何ごとか叫ぼうと口を開いた。直後、骸骨を模した御業の腕は力を強め、続く言葉を摘み取ってしまう。苦しげにもがく彼女を眺める男――帳の表情は、狂気と紙一重の歓喜で満ちていた。
「お喋りの時間はもうおしまい。さあ、紅緒。僕の手で、お死になさい」
 
 ケルベロスたちが笹島・ねむ(ウェアライダーのヘリオライダー・en0003)からの知らせを受けてヘリポートへ集まったのは、やっと空が明るくなったばかりの早朝のことだった。
「おはようございます、みなさん! さっそくですけど、デウスエクスの悪さを急いで止めてください! やつらの狙いは櫛乃・紅緒さん――あろうことか、みなさんの仲間・ケルベロスなんです!」
 どよめくケルベロスたちへ、ねむは矢継ぎ早に説明を続ける。彼女が予知したのは、山麓の森林へ紅緒がひとりで入ったところに襲撃を受ける未来。予知を受けてすぐに彼女へ連絡しようとしたものの、まったく通じない。もう山林へ向かってしまったのかもしれない。一刻も早く救援に向かわなければ、彼女の命が危ぶまれる。
 紅緒を襲撃するデウスエクスは、櫛乃・帳と名乗る死神だ。翼を背負い髪に花を咲かす姿はオラトリオと酷似しているものの、彼はこの星の住民ではなく、地球に仇なすデウスエクスである。帳は螺旋忍軍・アダムス男爵の情報提供をもとに、森林を流れる小川のほとりで孤立した紅緒を襲撃するのだという。
「森の中は霧が出てるようですけれど、そこはねむにどどんとお任せください! 予知は万全です、現場のぴったり直上へみなさんをお届けできますよ!」
 と、ねむは誇らしげに胸を張った。視界の悪い中でふたりを探し回る必要がないならば、ケルベロスたちが考えるべきは紅緒を護り帳を倒すすべだ。帳は骸骨の姿をした「御業」を用い、不可思議な奇蹟を行使する。ケルベロスの誰もがよく知る、巫術士のグラビティと同様のものである。手の内が知れているとはいえ、帳は複数人のケルベロスを相手に渡り合うだけの実力を持っている。心してかかる必要があるだろう。
「地球を守る大事な仲間をやらせはしませんよ! ねむもみなさんも、気合を入れていきましょう!」
 えいえいおーとねむが小さな拳を掲げると同時に、ケルベロスを迎えるべく、ヘリオンの搭乗口が開かれた。


参加者
天壌院・カノン(オントロギア・e00009)
小早川・里桜(死合中毒の散華・e02138)
桐屋・綾鷹(蕩我蓮空・e02883)
花筐・ユル(メロウマインド・e03772)
チェレスタ・ロスヴァイセ(白花の歌姫・e06614)
櫛乃・紅緒(雨咲フローリス・e09081)
香・褐也(盲目ディストピア・e09085)
月桜・美影(オラトリオの巫術士・e21666)

■リプレイ

●手折らせはしない
 櫛乃・紅緒(雨咲フローリス・e09081)をみずからの御業で捉えたまま、帳は悠々と彼女に歩み寄る。たしかに彼は帳と名乗った――紅緒がその名前を聞きちがえるはずがない。彼女を大切に育て上げた祖父の名前だ。視界をさえぎる霧が薄くなっていくうちに明瞭さが増していく、髪を飾る花は紫陽花、羽織る打掛は水色、どれもよく似ている。しかし、本当にそうなのか。彼が本当に祖父ならば、愛する孫娘を手にかけようとするだろうか?
「お爺さま、なのですか……? お願いです……こんなこと、止めはってください……お屋敷に、戻りましょう……?」
 蜘蛛の糸のような期待に賭けて、紅緒は声を振り絞る。それを聞いた帳は、彼女の無垢な希望をたった一言で踏みにじったのだ。
「おかしなことを言う子だ。どうして殺させてくれない。お前は、いまここで僕に殺されるために生まれてきたのではないのかい」
 人生のすべてを否定するその言葉は、彼女の心を、思い出を、無残に傷つけて余りある力を持っていた。むき出しの悪意にさらされ、遠のく意識の中、仰いだ霞空。白い翼の乙女たちが弧を描いて降りてくる。看取りの天使たちの降臨にも似た幻想的な光景は、時をも凍らせるグラビティの一閃で引き裂かれた。
「なっ――」
 帳は御業を解いて飛び退る。凶手から脱した紅緒は河原の上を転がり、困惑をこらえて周囲を見渡した。幻想なんかではない、現実だ――ケルベロスたちが、彼女の命を救うためにかけつけたのだ!
「退きなさい、死神。私の前で、生死を弄ぶような真似はけっしてさせません」
 白い翼をもつ3人のオラトリオのうちのひとり――花天壌院・カノン(オントロギア・e00009)は、放った時空凍結弾がかわされたことを見てとった。それでも、救うべき仲間から敵の注意を反らす第一段階は成功だ。命が無慈悲に摘まれる悲劇が起きてしまう前に間に合った――その事実だけで、最前線に立つ勇気と誇りが心に満ちる。
 続いて、花筐・ユル(メロウマインド・e03772)はすみやかにサークリットチェインを展開し、紅緒をはじめ仲間たちへの加護を用意した。
「恐ろしい思いをされたでしょう。でも、もう大丈夫ですから」
「ああ……なんと、お礼したらいいか……」
 二人きりだった世界への乱入者。帳が考えうる心当たりは、ただひとつ。
「地球の番犬気取りか。忌々しい」
「番犬様がかまってやってるんだ、ありがたく思えよな!」
 小早川・里桜(死合中毒の散華・e02138)は敵の苛立ちなど意に介さない。詠唱に乗せた殺意は熱と化し、獄炎の鬼神を呼び出した。
「クソ死神ー、あーそびーましょーォ! 灰すら残さず焼き尽くしてやるからさァ!」
 燃え盛る拳撃のラッシュを翼でいなすうちに、帳はいつしか何人ものケルベロスに包囲されていた。拳の連打が途絶えたかと思えば、焦げた羽を霊力を帯びた切っ先が狙う。
「いっちょまえに羽なんざ生やしやがって、紛らわしい。オラトリオってあんたみてぇに顔色悪くねぇんだよな」
 翼の先をあやまたず切り落とし、桐屋・綾鷹(蕩我蓮空・e02883)は漆黒の刀身にまとわりつく白い羽毛を払った。その切っ先がにわかに二筋の閃光を反射した。綾鷹の頭上を飛来したのは、金色の竜と稲妻の一矢。チェレスタ・ロスヴァイセ(白花の歌姫・e06614)と月桜・美影(オラトリオの巫術士・e21666)による狙いすました一斉射撃だ。
「あなたという禍根は、ここで断たせてもらいます……!」
 チェレスタが宣告する先で、グラビティの洗礼を受けた帳はゆらりと立ち上がった。
「どうしても、僕たちを二人きりにはさせてくれないのか。なら仕方ない――さあ、ともに行こう。邪魔者たちを根絶やしにするんだ」
 護殻装殻術。帳を慈しみ守るように、明瞭な像を成す御業の骨格が白無垢を虚空にゆらめかせる。彼が、この場にいる全員に殺意を向けた瞬間だった。
 
●実らざる御業
「紅緒! 大丈夫か!」
 紅緒の傍らに降り立った影が、あまりに聞きなじんだ声で名前を呼ぶ。顔を見るまでもなく、彼女にはわかった。香・褐也(盲目ディストピア・e09085)。
「褐也さん、お爺さまが……!」
 褐也は迷いなく彼女を背にして敵の前に立ちはだかる。彼女のためなら全力を賭す――その決意をユルは見てとった。
「皆さんのバックアップは私と助手が受け持ちます。ですから、香さんは櫛乃さんを護ってあげてください」
 彼らの周りでは、助手であるミミックと美影のボクスドラゴン・真桜が主人に恥じぬ健闘を見せようと位置についている。
「もちろん、任されたわ。そっちも頼んだで!」
 2人と2匹へ目くばせすると、褐也は前線に踊りだす。射線をさえぎり動く盾になるため、翼を大きく広げたまま、グラビティの応酬の中心にいる帳へ炎の軌跡を散らす。
「あんた、紅ちゃんのお爺さまなんやってな……なあ、こんなに無垢で優しい子を、どうして殺そうなんて言うんや! 紅ちゃんと暮らした日々を、何もかも忘れてしもうたんか!」
「まったく……誰も彼も、意味のないことばかり言う。僕はあの子を殺したいだけなのに。可愛い可愛い、僕の――」
 噛みつくような言葉さえ、帳にとっては柳に吹く風でしかない。命を路傍の石のように扱うそぶりは、病と闘って生き延びた美影にはとうてい許容できるものではなかった。
「許せない……! 人の命をなんだと思っているんですか!」
 義憤を込めた全力の禁縄禁縛呪が放たれても、彼はまだひるまない。
「悪くない御業だ。しかし、僕のほうが上手らしい」
 宙に舞い上がった白無垢が袖をうち振うと、超自然の炎が滝のように降り注ぐ。御業の腕を相殺したうえで、さらなる火力をもって後方へと火の手をのばす――! 
「……っ、間にあった……!」
 火の手は途上で途切れた。間一髪、綾鷹が全身で炎を受け止めたのだった。体をさいなむ熱を気合で押しとどめながら、彼は不敵に笑う。
「上手がなんだって? この通り、俺はしっかり立ってるぞ。ぜってぇ、倒れてなんかやんねぇからな……そのスカスカの御業と一緒に、さっさと地獄に帰ったらどうよ?」
 帳は目を見開き、その場に立ち尽くしていた。その隙を見逃すケルベロスではない。
「可愛い、可愛い……そう言ってばかりですけれど、花は手折るものではなく、愛でるものです。それが分からぬあなたに、櫛乃さんの命を渡すわけにはいきません」
 命を無下に扱い、人生を奪う。そんな敵へ放つ攻撃は、カノンが生きた証――記憶で研がれた刃。
「御業がなんとかと大口叩いたくせにザマぁないねぇ、ださっ!」
 溢れ出す里桜の敵意と殺意がガトリングガンに込められ、破滅的な弾幕となって降り注ぐ。どちらも強力なグラビティの痛打だ。攻撃の余波で河原の小石が跳ね上がり、川の水が激しく波打つ。
 ガトリングが吐き出した硝煙の向こうで、歪に曲がった翼の影がぐらりと揺れた。
 
●手向ける慈雨
 ウィッチオペレーションを綾鷹に施し終えたユルは、背筋をなでる寒さに気がついた。早朝の山の冷気ではない、異様な寒さ。
「……不愉快だ。君たちは、彼女をけなした」
 硝煙が晴れたとき、ユルは顔を歪ませる帳を見た。綿帽子の下でかちかちと顎を震わせるしゃれこうべを見た。
「気をつけてください、なんだか様子が――」
 彼女が警告するより早く、白無垢の御業は骨の腕を伸ばし、里桜の体を地面に叩きつけていた。
「――っ!? このッ、クソ死神が……!」
 意地で再び呼びだした獄焔焼鬼の殴り返しに続けとばかりに、前線にあたるケルベロスたちが隙を生じさせない一斉攻撃を叩き込む。体が灼け、雷撃が挙動を阻むいまの帳は、あきらかに劣勢と見て取れる。それでもグラビティの威力は衰えないどころか、御業の加護を投げ打ってでもケルベロスたちへの攻撃を緩めようとしないのだった。もはや両脚で立つこともかなわず、片膝をつきながらも、戦場を舞い災厄を振りまく白無垢の骸骨に彼は語りかける
「忌々しいことこの上ない犬どもに、死をもってわからせてあげよう。それから、あの子を殺してあげよう。僕らふたりで……」
 不意に途絶えた一方通行の会話。彼の目に映ったのは、ケルベロスたちをつつむ虹色の光だった。紅緒のオラトリオヴェール。
「結局、おとなしく僕の手で死んではくれないんだね」
「紅緒は、生きていたいんどす。大切な人と、未来を見たいんどす」
 帳は何も言わず、最後の力で彼女へ向けて御業を繰り出そうとした。しかし、それは叶わなかった。
「お爺さま……いや、帳。この子はやれんよ。指一本触れさせるわけにはいかへん。……絶対に、失くしたらあかん子なんや」
 彼の目の前に、褐也が立ちふさがった。両手を広げ、どんなグラビティも後ろへ通すまいと。
「あなたにはわからないのですか。彼女が『覚悟』をもって、いまあなたに向き合っているということを」
 チェレスタは注意深くファミリアロッドを突きつけていた。たった一撃でもグラビティを放てば、帳は力尽きることだろう。それをあえてしなかったのは、紅緒の『覚悟』をくんだためだった。
「思い出の中の貴方は、たった一人の優しいお爺さま……何も知らない紅緒は優しい貴方に愛されて、幸せでした。紅緒の祈りで、貴方の罪穢れを祓います」
 野山の花々と白い翼に、輝かしい御業が宿る。神恩・祈りの雨。穢れを祓い清める慈雨に導かれ、死神・櫛乃帳は生涯を終えた。
 
●雨のあとに咲く
 河原は戦いの余波で踏み荒らしてしまったけれど、ヒールで元通りになる範囲内だ。すこし幻想の混じった風景の中、カノンは、足元に転がる小さな籠を手に取った。中に入っていた野花たちは、戦いの最中に散り散りになってしまったらしい。
「ありました! 少しだけですけれど……はいっ」
 そこへ美影がぱたぱたと駆け寄り、可能な限り拾ってきた花々を籠にいれる。
「ありがとうございます。これで、ちゃんとお返しできそうです」
 ふたりは花の入ったバスケットを携え、持主のもとに歩いて行った――河原の片隅で背をかがめる、紅緒のもとへ。
 彼女は褐也の胸に顔をうずめ、声を押し殺して泣いていた。
「頑張ったな、紅ちゃん。よう頑張った」
 彼が頭をそっとなでると、紅緒はおもむろに顔をあげた。そして、両目を真っ赤にしながら、笑ってみせた。
「褐也さん、紅緒……逃げへんかったよ」
 それから、ぐしぐしと涙をぬぐい、命の恩人である7人と2匹を見渡した。
「ありがとうございます。みなさんのおかげで、紅緒はいま、ここにおります」
 深々と頭を下げる彼女に、「櫛乃さんが無事で本当によかった」と言葉を添え、美影はそっとバスケットを差し出す。来た時の半分ほどのかさになってしまった籠、その上に紅緒は胸元でにぎった拳をかざした。華奢な指がそっとほどかれると、そこから零れ落ちたのは、ちいさな紫陽花の花びらだった。

作者:緒石イナ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年6月16日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 4/感動した 1/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 0
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