宿縁邂逅~苦しみから解き放つ最善の方法

作者:質種剰

●デウスエクスの密談
 その螺旋忍軍は、茶色のシルクハットとロングコートを身につけ、如何にも旅姿の紳士に見えた。
「はじめまして、それがし、螺旋忍軍、アダムス男爵と申すものです」
 アダムス男爵が慇懃に一礼する先には、色彩鮮やかなビルシャナの姿。
「我々デウスエクスは、それぞれ、味方同士というわけではありません。しかし、共通の敵は存在いたします」
 ビルシャナが警戒心と猜疑心を綯交ぜにした視線を遣るのへもめげず、アダムス男爵は立て板に水の如く喋る喋る。
「そう、その邪魔者とはケルベロスです」
 男爵のモノクルがギラリと光ったようだ。
「地球侵攻の邪魔者であるケルベロスを殺害或いは捕縛する事ができれば、地球での戦いを有利に運ぶ事が出来るでしょう」
「ほう……それで?」
「ケルベロスの力は脅威です。しかし、1体1体の戦力は決して高くない」
 アダムス男爵は大仰な手ぶりで続ける。
「つまり、敵が1体である時に襲撃すれば、勝利は容易となるでしょう」
 また、そんな身ぶり手ぶりが妙に似合うのだ。
「手筈は既に整えさせていただきました。是非、翡翠・水流様の御助力をお願いいたします」
 アダムス男爵から襲撃場所の仔細を聞いた水流の、眼の色が変わった。

●死こそが救い
 森の奥。
 家族の墓の掃除を黙々と行っている翡翠・風音(森と水を謳う者・e15525)は、なるほど、アダムス男爵の言う通り1人であった。
「…………」
 草むしりを終え、石碑を水で清めたのち、風音は屈み込んでお墓に手を合わせる。
 短い時が過ぎて、風音が静かに立ち上がった瞬間。
 ――ドスッ!
 その背中へ、多角形の氷の輪が回転しながら突き刺さった。
「……誰です!?」
 八寒氷輪の痛みに耐えて風音が振り返るや、刹那、言葉を失う。
 青い羽毛と鮮やかな民族衣装のビルシャナが、血のように朱い眼へ殺意を滲ませていた。
 風音の表情が強張る。
「水流、何でビルシャナなんかに……一体どうして父さんと母さんを殺したんだ!」
 怒りに震える彼女の口ぶりは、かつての男勝りで凛々しいものへ戻ってしまっている。
 しかし、水流と呼ばわる声音には、気のせいか肉親に対する情――気安さも看て取れた。
「僕は水流じゃない」
 ビルシャナ――翡翠・水流は言下に否定する。
「貴様も姉さんなどでは断じて無いさ。森を護る使命なぞも背負っちゃいない、ただのケルベロス……」
 謳うように論じる声は狂気を帯びていた。
「そう。貴様はただのケルベロスとして、この僕の愛だけをその身に刻みつけ、死して苦しみから解放される……それが一番なんだよ?」
 水流の翼の先から、次は夥しい水流が放たれた。


「翡翠・風音(森と水を謳う者・e15525)殿が、宿敵であるビルシャナの襲撃を受けることが予知にて判明したであります」
 そう告げた小檻・かけら(サキュバスのヘリオライダー・en0031)の顔は蒼褪めていた。
「急いで連絡を試みましたが、未だご本人と繋がらず……」
 話を聞くケルベロス達にも緊張が走る。
「もう一刻の猶予もありません。翡翠殿がご無事な間に、なんとか救援に向かって頂きたいのであります」
 かけらは簡潔に纏めて頭を下げた。
「今回はすぐに翡翠殿と彼女の宿敵がいると思われる森の最奥へ急行して頂きます。宿敵は八寒氷輪と孔雀炎を使ってくるでありますよ」
 八寒氷輪は、複数の相手を氷漬けにする可能性の高い遠距離魔法攻撃。
 孔雀炎は、単体の敵を炎で焼き払い火傷を負わせる攻撃で、射程の長さと破壊力に優れる。
 また、時に『落花流水』なるブラックインヴェイジョンに似た攻撃を仕掛けてくるようだ。
 ブラックスライムとの違いは、襲いかかる液体が清水の如き澄み具合である事か。
「どうか、どうか翡翠殿をお助け下さいませ。そして、幾らケルベロスを個々に襲撃しても無駄だと、そのビルシャナに思い知らせてやって下さいな。宜しくお願いします……」
 かけらは何度も頭を下げて懇願するのだった。


参加者
リィン・リーランス(ビルシャナの宿敵・e00273)
アバン・バナーブ(過去から繋ぐ絆・e04036)
氷霄・かぐら(地球人の鎧装騎兵・e05716)
屋川・標(声を聴くもの・e05796)
板餅・えにか(萌え群れの頭目・e07179)
ニルス・カムブラン(暫定メイドさん・e10666)
翡翠・風音(森と水を謳う者・e15525)

■リプレイ

●救援
 森の奥地。
「水流……何故貴方がビルシャナに……? それに、どうして家族を殺めたりなんか……」
 翡翠・風音(森と水を謳う者・e15525)は、依然、因縁深いビルシャナである翡翠・水流に抗戦していた。
「苦しみから解き放つ為さ。姉さん――いや、貴様もわかるだろ……?」
 水流は口でこそ風音を姉と呼ぶものの、そのよく動く嘴はビルシャナにしか見えぬ。
 彼もまた、歪んだ教義を頭に掲げて開眼し、ビルシャナと化した元人間なのか。
 唯一判るのは、水流の放つ孔雀の翼にも似た炎が、風音を殺しにかかっている事実だけだ。
「私の知る貴方は……優しい子だったはずなのに……」
 風音は炎に巻かれる熱さへ耐えながら、2つ束ねた妖精弓より神々をも殺す漆黒の巨大矢を射掛ける。
 ――ドシュッ!!
「クッ……!」
 巨大矢が水流の分厚い翼に突き刺さり、青い羽根が辺りへ舞い散った。
「痛いじゃないか姉さん……もうそんなにもがき苦しまなくて良いんだよ。僕の愛で姉さんを幸せにしてあげる……死に勝る幸せはない。死こそが何よりの安らぎ、そうだろう?」
 水流は紅い眼をうろうろと彷徨わせて論じた。
 風音をケルベロスだと罵っていた口で再び姉と呼ばわるところに、彼の精神の不安定さが看て取れる。
 森の緑を透かす程に澄んだ水の塊が、翼の先から迸った。
 ドプッ!
 奔流と化した水に飲み込まれたのは、風音ではない。
「シャティレ――!」
 風音を守るべく共に戦っていた、ボクスドラゴンのシャティレだった。
 シャティレもまた、風音同様に水流の攻撃を受けて、体力が半減するまでに消耗していたのだ。
 そこへ水流の落花流水をまともに喰らって、ダメージの大きさが残存体力を上回ってしまった。
「シャティレ!? シャティレしっかり!!」
 故に、シャティレは風音を庇って戦闘不能に陥った……。
 エヴァンジェリン・ローゼンヴェルグ(真白なる福音・e07785)が風音の元へ到着したのは、この時である。
 ハニーブロンドのロングヘアに凛々しい光を湛えたサファイア・ブルーの瞳を持つオラトリオで、髪に白薔薇を咲かせた様は気高く美しい。
 白い天使の翼を羽ばたかせて、碧を基調とした騎士鎧に身を包んだエヴァンジェリンは、仲間より先行して風音を助けんと飛んできたのだ。
 更に、森の入り口に近い木へはアリアドネの糸を結び、仲間達が迷わぬよう道標としてある。
「さぁ、いこうか……」
 それだけの工夫を凝らして駆けつけた彼女だ。強敵との戦いを前にして自らを奮い立たせるように呟く様子は、頼もしく映る。
 エヴァンジェリンはすかさず2人の間へ割って入り、水流へ重い蹴りを見舞う。
 ――ガスッ!
 煌めきが流星の如き尾を引く飛び蹴りは、見事水流の鳩胸へ炸裂した。
 その勢いに僅かながら足元もふらついたと見える。
「突撃なのです〜♪」
 リィン・リーランス(ビルシャナの宿敵・e00273)も、翼で風を受けつつ、木々の上、緑の透き間から降下してきた。
 どうやら、皆と一緒にヘリオンから飛び降りる際、森の入り口へ着地せずにそのまま空を飛んで風音の居場所を探っていたらしい。
 緑の髪に朝顔を咲かせた、オラトリオのロリっ娘である。
「行くのです〜♪」
 リィンは古代語を詠唱すると同時に魔法の光線を放射して、水流へ少なくないダメージを与えた。
「引いて下さい、家族に手を掛ける……そんな惨い事を風音様にさせないで下さい」
 バルルルルルルルルル――!
 続いて、張り詰めた声音と共にニルス・カムブラン(暫定メイドさん・e10666)が、トライザヴォーガーへ乗って突っ込んできた。
 茶髪を赤いリボンで結わえたポニーテールが可愛らしく、クラシカルなエプロンドレスもよく似合うドワーフのメイドさん。
「行きましょうザヴォちゃん!」
 ニルスはバスターライフルを手に、その太く長い砲身から魔法光線を発射する。
 ドンッ――!
 眩い光の帯が水流の腹を貫き、威圧感をも齎した。
 そこへ追い打ちとばかりにトライザヴォーガーによるデットヒートドライブをぶちかます。
 いつでも息の合った見事なコンビネーションだ。
「間に合ったか!」
 そう言ってマインドリングを翳すのはアバン・バナーブ(過去から繋ぐ絆・e04036)。
 鮫の背鰭のような青い髪と、意思の強そうな橙色の瞳、それと同じ色彩のスカーフが印象的なドワーフ。
 そんな彼は夜目を活かして森の薄暗さも物ともせずにひた走り、曲がりくねる道を突っ切ったオラトリオ達の飛行に次ぐ速さで辿り着いた。
「もう大丈夫だぜ」
 アバンは、マインドリングから浮遊する光の盾を素早く具現化し、風音を防護させると同時に彼女の傷を癒す。
(「家族か、僕には僕を作ってくれた人がいるくらいだな……その人もどこかへ行ってしまってもう会えない」)
 屋川・標(声を聴くもの・e05796)もまた、後続の仲間の為に植物が我から退くように仕向けつつ駆け抜けて、この場に現れた。
「もし、もう一度会えたら、僕は何を言うだろう、きっと感謝だと思う――色々あるけど」
 そう口の中で呟く標は人間味溢れるレプリカントで、深い碧の髪と僅かに茶色がかった黒い瞳、細面の顔立ちが、穏やかな雰囲気を醸し出している。
「もしそこで戦わなくちゃいけないとしたら……きっと、とても辛いんだと思う」
 優しそうな見た目に違わぬ、思い遣りに満ちた胸を痛める標だが、なればこそ自分が躊躇ってはいけないと水流へ刃を向けた。
(「だから、翡翠さんには弟さんと話せる時間を精一杯与えてあげたい……!」)
 時間稼ぎだとて手を抜かずに振り上げるのはスモーキン・サンセット。
「行くよ、相棒!」
 ――バキャッ!!
 斧をまるで体の一部であるかのように扱い、潜在能力を充分に引き出した上での一撃を打ち込んだ。
「いつでも駆けつけられる仲間がいるって事を思い知らせてあげましょう」
 氷霄・かぐら(地球人の鎧装騎兵・e05716)は、まず風音の負傷具合を確かめて己がいかに立ち回るべきかを判断。
「ドローン起動。集中モードで展開」
 それでも殆ど駆けつけざまに、対象の警護機能を排したヒールドローンを射出、風音へ集中させて体力回復と状態異常の治癒を行った。
 ごくごく普通の家庭に育ち、元が明るい性格のかぐらだけに、風音の背負った物の重さを少しでも分かち合えたらと、ドローンを操る最中も考えあぐねている。
 ガイバーン・テンペスト(ドワーフのブレイズキャリバー・en0014)も普通の小型治療無人機を展開して、風音の怪我の治療を助けると同時に、後衛陣の守りを固めた。
「宿敵ピンポイントで差し向けてくるたーなかなか穏やかじゃないですね」
 と、やる気に満ちた物言いでやって来たのは板餅・えにか(萌え群れの頭目・e07179)。
 長い草色の髪と瞳が爽やかなえにかは、白い狼のウェアライダーで普段は人型にて過ごしている。
 動物と遊ぶのが好きならその肉を食すのも好き、そしててきとーが口癖の、なかなかにタフな精神をした小さいおねーさんだ。
(「しかし人様の宿敵ですとなんていうか、言葉を選ばないとですね」)
 とはいえ、万事が万事適当に澄ませているわけでないえにか。
 この日も念を入れてエヴァンジェリンの手配書を用意、危なげなく仲間を追いかけてきたようだ。
「そーれ!」
 うっかり唐揚げにしたいなどと口走らないよう、彼女なりに風音を慮りつつ、水流へ高速で礫を投げつけた。
 ――ガツッ!
 羽毛に覆われし翼の骨格が目にも留まらぬ速さの小石に砕かれて、鈍い音を立てる。
「……そうか。お前達も姉さんを愛しているんだね? でも姉さんを一番愛しているのはこの僕さ。だからこそ姉さんを濁世にとどめおくような馬鹿な真似はしないっ!!」
 さあ、今すぐ苦しみから解き放ってあげるよ!
 水流は、風音以外のケルベロス達を一瞥してから、後衛陣を狙って八寒氷輪を投擲してきた。
 風音には死の安寧を与え、風音を生かそうとする邪魔者は力で排除せんとしたものか……真意は水流本人にしか解らぬ。
 ザクザクザクッ!
「翡翠はやらせないよ!」
 かぐらが風音の前に立ちはだかって、彼女の分まで氷の輪を喰らう。
「っ……」
 風音は、かぐらのお陰でダメージこそ受けなかったものの氷や寒さに苦手意識があるのか、表情に脅えの色が混じった。
 脳裡をよぎるのは、辺り一面凍りついたように見える木々の光景――それは風音の意識を苛んでいる悪夢だ。
「……森を護る一族として、苦しいこともあったのは確かです。ケルベロスとなった今もそれは同じ」
 ……でも、死だけが苦しみを解くものではないはずでしょう……?
 それでも、悲痛な声で水流への問いかけを続ける風音。
 問い質す事を、弟の今の心境――ビルシャナになってしまった経緯を探る努力を、決して止めたくは無い。
「ふっ、ふふふ……死は全ての重しから自由にする。僕が貴様に与えてやれるのは死だけだよ?」
「水流……!」
 また、彼の胴へ喰らいつくオーラの弾丸を放つ事も、今の風音には止められなかった。
「死が苦しみからの解放だ? 悪いけど認めたくないな!」
 アバンはそう力強く言い放って、ケルベロスチェインを水流の身体目掛け振り伸ばす。
 その内心では、肉親を自分の手で殺すような事も絶対認めたくないと思っていた。
 ギチギチギチギチ……!
「ぐぁあぁああ!!」
 民族衣装の上から強固な鎖で腹を締めつけ、水流へ耐え難い苦痛を与えた。
「僕だって会いたい人はいる。その人がこんな風に敵になって出てきたなら、せめて僕がトドメを刺したいって思う」
 高々と跳躍し、スモーキン・サンセットを振り下ろすのは標。
 複雑そうな表情を浮かべるも、水流の脳天を斧で叩き割る両手に、迷いはなかった。
「ケルベロスが1人でいるところを狙っての襲撃作戦……理には適ってるけど、甘く見られてる気がしてちょっと悔しいわね……」
 かぐらはアームドフォートの主砲を一斉発射。
 ドドドドドドド……!
 数多の砲弾で水流の翼や胸を撃ち貫き、体力を削った。
「地を揺らすものよ。汝の上顎を天へ、汝の下顎を地へ、汝の牙を我の敵に見せつけよ! 汝の脅威を我に見せてみろ!」
 フェンリルチェインを放射状に飛ばして水流を締め上げんとするのは日和。
 蠢く鎖の束は、まるで黒い狼の群れのように意思を感じさせる動きで、水流へ襲いかかった。
「そこだな……」
 高速演算を用いてビルシャナの構造的弱点を見抜いたエヴァンジェリンが吼える。
 ドグシャァッ!
 民族衣装の中でも反り返った鳩胸を痛烈な一撃でぶち抜き、破壊せしめた。
「風音に水流、なかなか風流じゃありませんか。何を拗らせたか知りませんがメンドウなお相手みたいですね」
 えにかはどこかマイペースに感想を洩らすと、空の霊力を帯びた武器を構えて肉薄。
 水流の胸を抉る大きな傷跡を容赦ない太刀筋で斬り広げ、更なる苦痛を加えた。
「風音さんの弟さんが、なぜ風音さんを襲うのです~?」
 オラトリオヴェールで風音達の傷を治療しつつ、水流へ詰問するのはリィンだ。
「唐揚……じゃなくてビルシャナなら教義があるはずなのです~唐・じゃなくて、あなたの教義は何なのです~?」
 どうしてもビルシャナイコール唐揚げという認識を改められないらしいが、それでもリィンの質問は他のケルベロス達やもしかすると風音当人も訊きたいものであろう。
「唐揚げ……いや、確かに鳥だけど……」
 かぐらはリィンから飛び出す単語に苦笑いしてから、雷の霊力帯びし斬霊刀で、神速の突きを仕掛けた。
 ズブッ……!
 既に胸や腹の一部が露出している民族衣装が尚も裂けて、突き破られた皮膚からは血が噴き出す。
「愛する者が『何か』の為に苦しむならば、その『何か』を消し、愛する者を殺害する事で苦しみからの完全な解放を――それが僕の信ずる理念さ」
 平然と答える水流の破綻した論理に耐えかねてか、次はニルスが口を開く。
「風音様とこのビルシャナさんにどれ程の因縁があるのか、私ごときが軽々しく推し量って良いものではありません」
 でも、一つだけハッキリと言える事があります。
 キッと強い眼差しで水流を見据えるニルス。
「どんな事情があっても、それで人を殺めて良いという事にはなりません。ましてや家族が傷付け合うなんて……」
 フォートレスキャノンの全弾が水流へ吸い込まれるように撃たれて、爆ぜた。
「見せてやるぜ、俺達の絆!」
 自分の中に憑り付いている同胞達の霊魂から貰った霊力を、マインドリングへ集約するのはアバン。
 ドゴォッ!
 青白く輝く光を水流へ叩き込み、彼にしか判らぬ幻影を植えつけた。
 アバンによると、集めた霊力の残滓は同胞の姿を成して、共に攻撃してくれるらしい。
「もう泣いても許さないから――」
 えにかは、狼達の遠吠えを満月の夜が如き不気味さで響き渡らせて、水流の精神を汚染する。
「煩い声だな……」
 既に精神の均衡を失っていそうな水流でも、狼夜の恐怖を感じるのか、羽毛にじっとりと汗を浮かせていた。
「……例え、風音の身内であろうと……敵対するならば、斬る!」
 マインドリングから具現化させた光の剣を構えて、水流へ迫るのはエヴァンジェリン。
 威圧感を滲ませる剣捌きで、水流の翼をザックリと斬り払った。
「千の仔山羊を孕みし森の黒山羊よ! 黒き豊穣の万物の母、大いなる宇宙の女神よ! 我が願いを叶えたまえ!」
 リィンはアル・アジフを開いて、泡立つ雲に似た肉塊の幻影を顕現させる。
 そこから何本も黒い触手を伸ばして、水流の腹をギリギリと締めつけた。
 凍てつくような空気は晴れぬまま、戦いが続いた。
「どうしても……どうしても引いてはくださらないのですか……!」
 トライザヴォーガーに風音を守らせたニルスは、バスタービームとフォートレスキャノンを使い分ける中で、何度も水流に声をかけていた。
「翡翠さん……君はどうしたい? トドメを刺したいかい?」
 標も、シンクロナイズド・ファイターで着実に水流を追い詰めながら、風音に弟を殺す覚悟があるか否かを問いかける。
 風音は、標へ深く頷いてみせてから、水流へ向き直る。
「今後、人々に大切なものを失う苦しみを負わせるというのなら……私は今全力で貴方を止めます」
 凛とした声音に躊躇いは感じられない。
 水流にこれ以上罪を重ねさせたくないという思いもあっただろう。
「……つらくとも、姉として……ケルベロスとして」
 風音はそっと目を閉じて、追憶の夜想曲を奏で始めた。
 懐かしく、穏やかで、しかしどこか悲しげな旋律――誰もが来し方を思い返す音楽。
「うっ……ぐっ……!」
 がくりと膝を着き、苦しそうに蹲る水流。
 それは、水流にさえも、夜の闇のように暗く、夜の空気のように冷たい記憶を呼び起こさせる。
 水流が破れた翼で土を掻いて苦悶する間、風音は風音で懐かしい記憶を紐解いていた。
 技量で劣る部分を兄弟にけなされていた苦い思い出や、自分を無邪気に慕う幼い水流の姿……。
「う、うウウううウ……!」
 水流は、獣の唸り声のような呻きを発して、苦しみながら死んでいった。
 それは、風音の胸にある水流のかつての凶行を思えば、当然の報いであったかもしれない。
「ね、姉さん……」
 けれども、水流は、風音の弾く音に包まれて逝ったのだ。
 歪んだ愛を抱き、その愛で己の心をも歪に捻じ曲げてしまった水流にとって、最愛の姉を感じながら死んでいったのは、せめてもの、僅かな救いになったのかもしれない。
 血泡に塗れた嘴で最期に呼んだのも、風音の事だった。
「…………水流……」
 風音は震える声で弟の呼びかけに応え、亡骸をそっと抱き締めた。
 死ぬ間際だけは、かつての優しい弟が戻ってきたと――姿形はビルシャナのままでも、そう思いたかったのだろうか。
「……よく、頑張ったね」
 風音を優しく励ますのは標。
 ニルスは、戦いの爪痕をヒールドローンで消していく。
 風音は、えにかに手伝って貰って、水流の遺体を両親の墓の隣へ埋める事にした。
 その際に、水流の翼の骨格から、腕輪を密かに抜き取る。
 形見にするつもりか、彼を自らの手で殺めた事実を背負って生きる為なのかは、本人にしか解らない。
「皆さん……この度は、危ういところを助けて頂いて、ありがとうございました」
 ただ、水流を弔って、彼が身に着けていた腕輪を両手で握り締めてようやく、風音は長い戦いから解放されて、仲間達へ深い感謝の気持ちを伝える事ができた。
 シャティレも時が経てば力を取り戻し、目を覚ますだろう。
「ううん……うまく言えないけど難しいなって思うよ」
 標はそう応えて、風音の両親の墓にぬかずいてから、
「できれば幸せな未来が欲しいって思う」
 静かに呟いた。

作者:質種剰 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年6月16日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 4/感動した 14/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 1
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