宿縁邂逅~名盗唄という悪夢

作者:雨音瑛

「はじめまして。それがし、螺旋忍軍、アダムス男爵と申す者です」
 どことも知れぬ、薄暗がり。アダムス男爵はシルクハットに手を添え、文字を纏ったモザイクの塊に仰々しく礼をする。
「我々デウスエクスは、味方同士というわけではありません。しかし、共通の敵は存在いたします——そう、ケルベロスです」
 モザイクの塊は、反応をするでもなく佇んでいる。さも興味が無い、というように。
「地球侵攻の邪魔者であるケルベロスを殺害、或いは捕縛する事ができれば、地球での戦いを有利に運べるでしょう。ケルベロスの力は脅威はありますが……1体1体の戦力は決して高くない。つまり、敵が1体である時に襲撃すれば、勝利は容易となるでしょう」
 そしてアダムス男爵は、ある名前を呟く。するとモザイクの塊が纏っていた文字がめまぐるしく動き始めた。どうやら乗り気になっているようだ。
「手筈は既に整えさせていただきました。是非、名盗唄様の御助力をお願いいたします」
 アダムス男爵はまた一礼をし、満足そうに微笑んだ。
 
 殻戮堂・三十六式(語る名も亡き骨董品屋・e01219)は紅唐傘を畳み、屋敷の呼び鈴を鳴らした。雨の付着した傘を揺らし、水滴を落とす。
 先日届いた手紙によると、骨董品を見てもらいたい者がこの大きな屋敷にいるらしい。しかし、いくら待てども誰も出てこない。仕方なく、扉に触れて押してみる。すると、扉は錆び付いた音を立てて開いた。三十六式は屋敷の中へと数歩、踏み出す。
 屋敷内は、人が住めるような状態ではなかった。広い玄関ホールの天井高くつり下がった照明は埃にまみれ、二階へと続く階段は腐りかけている。さらに数歩踏み出し、三十六式はあたりを見回す。と、背後に何かを感じて振り返る。視線の先には、文字を纏ったモザイクの塊が浮遊していた。とたん、三十六式の瞳孔が開く。
「名盗唄——先代から真名を奪った、名盗唄だな?」
 名盗唄は何の反応をするでもなく、三十六式へモザイクを放った。三十六式は回避しようと跳躍する。が、彼の足先がモザイクに触れた。足先を起点に、モザイクは全身を覆ってゆく。
(「まずい……」)
 三十六式の手から、紅唐傘が落ちた。
 
 ウィズ・ホライズン(レプリカントのヘリオライダー・en0158)は、ひどく焦ってた様子でケルベロスたちを出迎えた。
「三十六式が、宿敵であるデウスエクス『名盗唄』に襲撃を受けることが予知された」
 ヘリポートは一瞬だけざわつき、続きを聞こうとすぐさま静まりかえる。ウィズは急ぎ三十六式に連絡を取ろうとしたのだが、連絡がつかないという。
「既に一刻の猶予もない。三十六式が無事であるうちに、どうか救助に向かって欲しい」
 三十六式が宿敵の名盗唄に襲撃されているのは、廃屋となった屋敷だ。屋敷の正面から入ってすぐ、玄関ホールに三十六式と名盗唄がいるという。また、名盗唄は配下などは連れていない。
「名盗唄が使用するグラビティは3つ。モザイク部分に相手を吸引して文字で押さえつけダメージを与えながら体力を奪うグラビティ、「死」を想起する字をモザイクで覆い刀のような形状にして切り裂くグラビティ、呪詛のような文字で相手を覆って武装ごとダメージを与えるグラビティだ」
 名盗唄は、纏った文字とモザイクを使用した攻撃を得意とするらしい。
 説明を終えたウィズはいくらか落ち着きを取り戻したようで、ケルベロスたちを見回した。そう、目の前にいるのは、全幅の信頼を置いているケルベロスなのだ。
「三十六式を無事に救出し、ケルベロスを襲撃しても無駄だと理解させてやれ。——何、君たちならできるだろう?」
 と、笑みを浮かべた。


参加者
リシティア・ローランド(異界図書館・e00054)
眞月・戒李(ストレイダンス・e00383)
佐藤・みのり(仕事疲れ・e00471)
呉羽・律(凱歌継承者・e00780)
殻戮堂・三十六式(語る名も亡き骨董品屋・e01219)
平坂・サヤ(こととい・e01301)
西村・正夫(週刊中年凡夫・e05577)
多留戸・タタン(知恵の実食べた・e14518)

■リプレイ

●窮地
 名盗唄のモザイクを受け、殻戮堂・三十六式(語る名も亡き骨董品屋・e01219)は膝をつく。すぐそばに落ちた紅唐傘を手に取るが、力が入らない。それでもどうにか紅唐傘を杖代わりにして、立ち上がる。
(「きつく言われていたはずなんだがな……一人で戦うな、と」)
 三十六式は歯噛みし、一瞬だけきつく目を閉じる。
 ——と、屋敷のドアが吹っ飛び、名盗唄が側面から一撃を喰らった。続けて古代語を紡ぐ声が聞こえれば、魔法による光線が名盗唄を掠めてゆく。
「お前が名盗唄ね。運がないわね、此処が貴方の終着点よ」
「不意打ちなんてケチな喧嘩ではしゃぐんじゃありませんよ」
 魔法を紡いだ冷淡な声は、リシティア・ローランド(異界図書館・e00054)。続く声は眼前の人影、西村・正夫(週刊中年凡夫・e05577)だ。
「西村の旦那……みんな……なん、で……此処に……」
「名前ってのは親から最初の贈り物。縁をつなぐ大切なそれを盗もうなんてのは人の親として見過ごせませんよ」
 絞り出した声は、驚き半分、喜び半分。呆然とする三十六式に、絶叫ともつかない呼びかけが近づいてくる。
「サブローさああああん!」
 多留戸・タタン(知恵の実食べた・e14518)だ。投げ飛ばされたミミックのジョナは三十六式の前に落ち、彼女自身は高速回転しながら名盗唄へ向かっていく。フタをぱかぱかと開けて無事を喜ぶジョナには「ざんたい性」と書かれたフセンが何枚か張り込まれていた。
 名盗唄は浮遊し、タタンの攻撃を受け止める。そこへエアシューズを唸らせた佐藤・みのり(仕事疲れ・e00471)が星屑の軌跡を描いた。
「あなたの相手は私たちです。焼き肉、もとい若旦那さんだけじゃありませんからね! ですよね、若旦那さん? まったくもう——」
「お説教は後にしよう。全部カタが付いたら、焼き肉奢ってもらいつつこってり絞ってやるからね」
 眞月・戒李(ストレイダンス・e00383)も介入し、三十六式と名盗唄の間に割り込む。
「名を盗る……か、当事者にならなきゃこの感覚はきっと分からない」
 けれど、確実なことがひとつ、と戒李が呟く。
「こいつがボクらの大事な仲間を傷つけたってこと。それなら、やることは一つだけ——この落とし前、諸々全てつけなくちゃね」
 戒李はいたずらっぽくウインクした。
 ふいに名盗唄の浮遊する箇所、その真下から爆発が起こる。呉羽・律(凱歌継承者・e00780)によるサイコフォースだが、惜しくも直前で回避されてしまう。
「ほう……なかなかどうしてやるものではないか、名盗唄。だが——」
「今は若旦那さんの安全確保が第一、ですからね。持ってってもらっちゃあ、こまるのですよう」
 三十六式と名盗唄の射線をふさぐように立つのは平坂・サヤ(こととい・e01301)だ。彼女がおはよう、と呟けば、三十六式の体力が全快近くまで癒えてゆく。
 体勢を立て直した三十六式は、紅唐傘で名盗唄を指した。
「形勢逆転だな名盗唄。皆悪い、力貸してくれ」
「あなたがそれをのぞむなら。サヤは、そのためのお手伝いをいたしましょう」
「我等の友人に手を出すとはいい度胸してるじゃないか。さぁ、戦劇を始めようか!」
 三十六式の紅唐傘に、律がゾディアックソードが重なった。

●盗る者
 8人と1匹を前にしてなお、名盗唄は無言だった。様子を伺うように纏わせた文字を回転させると、文字の中から呪詛のような文字を放つ。それは三十六式には届かず、代わりに痛みを引き受けたのは正夫だ。
「名前ってのは親から最初の贈り物。縁をつなぐ大切なそれを盗もうなんてのは人の親として見過ごせませんよ」
 独り言ともとれる呟きを言い放ち、正夫は体に巻き付いた文字をそのままに地獄の炎を弾丸として撃ち出した。名盗唄のモザイクを、文字を、炎弾が穿ってゆく。
「この程度じゃ名前なんてあげられませんね。いいですか、家族とか縁とか絡むとお父さんは強いんですよ」
 名盗唄が炎弾に見舞われている隙に、リシティアが名盗唄の背後へと回り込む。
「私の指先は名前だけでない。全てを奪う……お前の命数悉く頂くわ」
 蠱惑的な指先が触れる。名盗唄のモザイクが大きく削がれ、代わりとばかりにリシティアのエネルギーに変換される。
「名前——」
 もしも名前がなければどうなるのだろう? きっと、存在が揺らぐことだろう。そしてそれは恐怖へと繋がるのだろう。
 わずかに震える指先で、サヤが「霾る鈔」を紐解く。
「どうか、若旦那さんの悲願が果たされますように」
 それでも、目線は逸らさず。紐解いた魔術で、三十六式の攻撃力を高める。
「名盗唄は有名人の名前集めてるですか……! タタン知ってるですよ! こういうの、ミーハーっていうですね!?」
 と、大声を上げるのはタタンだ。もちろん名盗唄の返答はなく。タタンは正夫に溜めた気力を放ち、弱まった防御力をいくらか回復する。メディックとして立ち回るサヤをサポートしているのだ。
 一方、ジョナは遠慮無く名盗唄のモザイク部分に噛みついた。名盗唄に振り払われるも、すぐに体勢を立て直す。
「澄み渡る青き風歌よ……我等の目を開き給え!」
 そこで響き渡るのは、律によるテノーレの声色。震える大気は風を呼び、前衛の視界をクリアにしてゆく。
「唄は奪うものではなく、与えるものだ。そして彼の一族が奪われた名……取り戻そうというのなら協力する。奪われたものは持ち主に返されるべきだ」
「若旦那の一族を長く苦しめてきたんだ、ここで片付けてあげたいね」
 律の言葉にうなずき、戒李は満月に似た光で自らを包む。
「皆、頼りにしてるからな。……取り返すって約束したんだ、返して貰うぞ」
 三十六式の握る弓が、しなる。放たれた矢に宿された妖精の加護は、いくつかの文字を穿ち、砕いてゆく。
「行動阻害は私に任せて、若旦那さんはなるべく攻撃に専念してください……ね!」
 みのりがルーンを発動させながらルーンアックスを振り下ろす。文字やモザイクがいくつか落ち、名盗唄の防備が弱まったのを感じた。
 ふふん、とみのりは得意げに微笑み、斧を引き抜いて着地した。

●奪う者
 名盗唄が簡単に倒せる存在ではないことは、誰もが理解していた。名盗唄の攻撃を一手に引き受ける正夫とて同じだ。蓄積された状態異常は自らが、あるいはサヤやタタンが回復するにせよ、限界がある。
 名盗唄が纏う文字が揺らぎ、モザイク部分が肥大化した。そこに正夫を吸引しようと、名盗唄は進み出る。しかし、咄嗟に飛び出したのはタタンだ。名盗唄に体力を奪われる感覚に目眩を覚えながら、ジョナを支えにどうにか踏み止まる。
「娘より小さい子にかばわれたら、おじさんの格好のつけどころがないじゃないですか」
「タタンにも『かっこー』つけさせてください!」
 幼いながらも、タタンもケルベロス。相応の覚悟は、できている。
「回復はサヤに任せて、前衛のみなさんには攻撃を続けてほしいのですよ」
 そう告げるサヤにうなずき、正夫がチェーンソー剣の一撃を見舞う。モザイクが砕け、また少し名盗唄を弱めてゆく。
 続けてサヤが「紅瞳覚醒」を奏でる。癒やしながら防御力を高める唄は、前衛を奮起させるには十分だ。重ねて律も鮮やかな爆発を前衛の背後に発生させ、さらに士気を高めてゆく。
「ふむ、杞憂だったかもしれん」
 律が小さく呟く。実は、万が一戦闘不能の者が出たら引きずってでも後ろに下げようと思っていた。だが、ここにいる誰もが確かな覚悟と思いを抱き、全力の攻撃とサポートをしている。そう簡単に負けるわけがないのだ。再び仲間に目を配ると、タタンが大きく息を吸い込むのが見えた。
「悪い子はいねーがー!」
 彼女の声とともに、名盗唄が爆発に巻き込まれた。
 正体不明の化け物の姿をした爆煙は、術者であるタタンすら震え上がらせる。そのためジョナにエクトプラズムで手を生成してもらい、目隠しをした。もし見てしまったのならば、夜思い出して寝られない上にトイレに行けないことは確実だからだ。
 爆煙がおさまったところでジョナが偽物の黄金をばらまくが、名盗唄は見向きもしない。
 そこへリシティアが簒奪者の鎌を振るう。すれすれのところで回避する名盗唄へ、リシティアはごく冷静に語りかけた。
「この命を奪う鎌は二段構え……一撃目を捌いたとしても……」
「もう一撃はかわせるかな?」
 戒李が振りかざした鎌『銀翅・艶姫』が、見事、名盗唄に突き刺さる。
「良いタイミングだったわ、カイリ」
「リシィのおかげだよ」
 視線を交わすリシティアと戒李の横を抜けて、三十六式もモザイクを切り裂きながら自らを癒やした。受けた傷はそこそこあるが、まだ戦える。
「それでは私も。……神性宿りて神業と化せ、力奪う者の名は『アウトリュコス』」
 みのりが詠唱するが早いか、御業に神性を宿らせる。やがて御業は大狼へと変わり、名盗唄を爪で抉った。爪先に残るモザイクは、みのりへと還元して癒やしとなった。
「……倒せる、か……?」
 三十六式が目を細め、呟く。そこで言い返すのはリシティアだ。
「倒せるかどうかではなくて、倒すんでしょう。サブローの宿敵、そして因縁に興味はないけれど——私は全力で始末する心づもりでいるわ」
 そう、迷う必要などない。今や既に、ケルベロスたちが優勢となっているのだから。

●やがて雨は
 名盗唄のモザイクは欠け、周囲を覆っていた文字の勢いが弱まっている。ケルベロス達が重ねた攻撃は、確実に名盗唄の体力を削いでいた。
 文字のいくつかが、モザイクで覆われ始めると、サヤが警告を発した。
「来ます、「終字」です」
 今度はみのりを狙った刃は、思わず飛び出した律が受け止めた。
「やりますね、呉羽くん」
 そう言う正夫は、満身創痍そのもの。煙草が恋しいとばかりに息を吐き、裂帛の叫びと共に自らを癒やして状態異常を消滅させた。
「きっともう少しです、がんばりましょう!」
 タタンがジョナの前に光の縦を具現化させる。その横で、戒李は静かに名盗唄を見据えた。
「逃げてもいいよ ボクの間合いから、逃れられるものなら」
 一瞬だけ現れた魔力の薄刃は限りなく薄く。虚空からの抜刀術は、戒李のイメージの中で振るわれた斬撃に会わせ、名盗唄を切り裂いた。本来の刀の間合いを遙かに凌駕している攻撃に、そして想定外の威力に、名盗唄は数歩分後ずさる。ひとつ、またひとつとモザイクが、文字が零れては消えてゆく。
「多少は頭が回るようだけど、詰が甘いわね。そして喧嘩を売る相手を間違えた……そのツケは身をもって払ってもらうわ」
 戒李の攻撃を受ける名盗唄を見て、リシティアが武器を下ろした。きっと名盗唄は、もう長くない。
「サブロー、好機だ。逃すんじゃないぞ」
 律が後衛へとブレイブマインを展開する。三十六式の攻撃力が高められたところで、みのりが声を張り上げる。
「もちろんいけますよね、若旦那さん!」
「若旦那さんの因縁で因果ですゆえ。サヤは、それを果たしていただきたいと思うのですよ」
 続けて他のケルベロスも、彼の名を呼ぶ。
「若旦那さん」
「サブロー」
「若旦那」
「サブローさん!」
「殺戮堂くん」
 三十六式はうなずく。見知った仲間たちの声を、視線を受け止めて——護符を、展開した。
 召喚するは鋭利な黒曜石の幻影、その礫。
「目を閉じれば、いつだって其処にある」
 おびただしい数の礫は、その中心にいる名盗唄めがけてあらゆる方向から飛びすさぶ。人が恐れてきた闇が。あるいは、恐れてきた存在が。
 仲間の支援を経てより強大な威力を発揮した『暗夜之礫』を受けては、さすがの名盗唄とてひとたまりもない。礫が止むと同時に、名盗唄はどさりと落ちた。
 地に落ちたモザイクの塊から、文字がひとつ、またひとつ、舞っては消えてゆく。もはや名盗唄は動かない。やがて球状のモザイクも、崩れるように消えてゆく。
 名盗唄には、もうまともな力は残っていないのだろう。三十六式は静かに歩み寄り、名盗唄を見下ろした。
「祓い屋、殻戮堂一派十八代目家長。殻戮堂・幎。お前が最後まで盗めなかった、九代目が残してくれた最後の一文字だ……冥土の土産に覚えとけ」
「あ、……」
 名盗唄が最後に残したのは、か細い女性の声だった。——終わったのだ。
「とばり、というのですね。若旦那さんのお名前」
 静まりかえった屋敷の中で、サヤの声が響く。どうにも居心地の悪さを覚えた三十六式に、目を輝かせたタタンが飛びつかんばかりに近寄った。
「サブローさんサブローさん、お名前もどりましたか!? おいしいお肉は食べられそうですか!?」
「まったくもう、心配したんですからね?」
 頬をふくらませるみのりも、ジト目で三十六式を睨む。三十六式は仲間に向き直り、頭を下げた。
「皆、その……迷惑……じゃないな、心配かけて悪かった」
 顔を上げれば、サヤが笑顔でうなずいた。
「ふふー、ご心配で済んでなにより! おいしいごはん、たくさん頂きましょーねえ」
「……分かったよ腹は括ってる。何か美味いもんでも食いに行こう。俺も久々に腹減ったんだ」
 観念する三十六式の言葉をしかと聞いたみのりは、携帯電話を取り出した。
「これはもう焼き肉奢りですよ、焼き肉!」
 素早く焼き肉屋に電話をし、予約をする。じゃあ冷麺も、アイスも、特上も、と各々が食べたいものを述べ始めたところで、正夫が三十六式を手招きする。肩に手を置いて仲間に背を向けたところで、三十六式の懐にお札を何枚か差し込んだ。
「おじさんからのカンパです」
 名盗唄討伐のご祝儀、なのだろう。正夫は口元に人差し指を当て、それ以上は沈黙を保つ。もちろん説教も無い。今回は運が悪かっただけ、というのが正夫の見解だ。どうにも断りづらく、三十六式はごく小さく頭を下げた。正夫は満足そうにうなずき、仲間へと向き直る。
「よし、皆さん、殺戮堂くんの男を上げに行きましょう」
 と同時に、ざっと周囲を見渡す。律も共に周囲を見るが、ここにいるケルベロス以外には誰もいないようだ。ならば、と律は三十六式を促す。
「これから行く場所があるだろう? 長居は無用だ」
「サブローはご愁傷様。まぁ、いい勉強になったでしょう」
 騒ぐ仲間を横目に、リシティアが無表情に言い放つ。
 屋敷を後にする途中で、ふと三十六式は立ち止まった。きっと、言うならば今しかない。直感とも衝動ともつかない思いは、三十六式の口からこぼれる。
「……ありがとう」
「どういたしまして。……若旦那、そういう笑顔もできるんだね?」
 戒李に指摘され、三十六式は慌てて顔を背けた。どうやら無意識に笑顔を浮かべていたようだ。それも、滅多に人に見せない種類の。

 雨はいつの間にか止んでいたらしい。屋敷の扉を開けると、柔らかな光が注ぎ込んだ。
 梅雨時とは思えないほどの晴天が、ケルベロスたちの視界に映った。

作者:雨音瑛 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年6月16日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 7/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。