豚が嗤う夜

作者:成瀬

「慈愛龍の名において命じる、ドン・ピッグよ。お前の軍団を率いて人間どもに憎悪と拒絶を与えに行くのだ」
「俺っちの隠れ家さえ用意してくれりゃいい。あとはウチの若い奴が女を次々連れ込んで、憎悪も拒絶も稼ぎ放題だぜ」
「その用心深さはお前の取り柄でもある。自ら戦いの場に出ないのもまた一つの手。良かろう。魔空回廊でお前を安全な場所へと導こう」
「頼むぜ、旦那」

 東京都内、夜の路地裏にて。
「あんなに叱らなくてもいいじゃない。塾とテストをサボったくらいで。……もういい。全部面倒くさい。しばらく帰らないんだから」
 長い黒髪の家出娘が一人、眠そうな顔をして小さなバッグを片手にやって来る。親と喧嘩をして家出し、ここで寝泊まりして数日が経つ。壁に寄りかかって座り込みうつらうつらし始めたところへ、ドン・ピッグの配下であるオークの群れが忍び寄る。一斉に襲いかかると声を出させないよう口元を押さえ、都市の闇に紛れ無理矢理に繁殖を終えてしまうと、ぐったりした彼女を捕まえアジトへ連れ帰って行った。

 竜十字島のドラゴン勢力が、新たな活動を始めたようだ。オークを操るドラグナーである、ギルポーク・ジューシィの配下のオークの群れ。これが今回事件を起こしていると、ミケ・レイフィールド(サキュバスのヘリオライダー・en0165)は説明を始める。
「このオークの群れを率いてるのがドン・ピッグっていうオークね。非常に用心深い性格で、配下を使って女性を攫わせているようなの」
 狙われているのは東京の路地裏にいる女性。家出や何らかの理由で逃げて来ているなど、存在が消えても怪しまれない弱者を狙い犯行を行う。見付かるとその場で暴行され、その後で秘密のアジトに連れ込まれるようだと、悲痛な面持ちでミケは口元に握った手を当てる。
「オークが女性に接触する前に仕掛けてしまうと、オークは別の対象を狙ってしまう。オークと女性が接触した直後に、現場に突入してもらうことになるわ。オークが悪事を働く前に、撃破をお願い」
「今回出現するオークは八体。雄叫びで攻撃力を高めつつ、触手で身体を締め付けて来たり溶解液による攻撃をしてくるわ。女性陣……または女の子っぽい感じの子はオークが興味を持ちやすいみたいね。特に強気だったり上から目線の発言とか態度は。気をつけて。あえてそんな雰囲気を作って臨むのも戦いの作戦として有りだと思うわ」
 戦いの舞台となるのは東京都内、繁華街に近い裏路地。薄暗いがビルの灯りがあり、暗闇というわけではない。戦いに障りはないはずだとミケは話した。
「オークって薄暗い場所が好きみたいね。現場近くの表通りで待機して、事件が発生したら駆けつけるというのが良いと思うわ。……こんな略奪は許せない。この子をどうか助けてあげて」


参加者
イブ・アンナマリア(原罪のギフトリーベ・e02943)
華輪・灯(幻灯の鳥・e04881)
一色・紅染(脆弱なる致死の礫塊・e12835)
砂星・イノリ(奉唱スピカ・e16912)
片桐・宗次郎(星を追う者・e17244)
アトリ・セトリ(疾走の緑影・e21602)
レミリア・インタルジア(蒼薔薇の蕾・e22518)
木賊・碧(全てを知りたい・e23485)

■リプレイ

●月明かりを踏んで
 大通りから離れた裏路地は薄暗く、食べ物が放置された時のような匂いが停滞した空気に混じり鼻を刺激する。けれどそれも、長く居れば慣れてしまうだろうか。日中であったとしても陽の光を建物が遮り、直接日光が道を照らすことはなかっただろう。今、空にあるのは欠けた月。月明かりをそっと踏んで、ケルベロスたちはオークの現れるこの裏路地へとやって来た。
「他人を犠牲にしてまで自分達の欲を満たそうとする。……決して、許せないことです」
 深く紅い眼を伏せ、胸の前で片手を握り締め一色・紅染(脆弱なる致死の礫塊・e12835)が口を開く。身体に定着した心は未だ不安定でおどおどした態度に表れるが、今日は心に刃を宿す。反らした刀身の如き意志を持ち、紅染は道の向こうを見据える。隠密気流のおかげでその存在は、まるで闇に溶け込むよう。
「止めなくちゃ。耳障りでいやな笑い声がする」
「うん。あの子を持っている人もいる。……無事に帰してあげないと」
 砂星・イノリ(奉唱スピカ・e16912)とアトリ・セトリ(疾走の緑影・e21602)、そして片桐・宗次郎(星を追う者・e17244)も光の当たらない場所で息を潜め周囲に違和感なくその気配を溶け込ませている。
(「家出をする気持ち、わかるけどね」)
 理由など、容易に一つ二つ、アトリは思い浮かべることができた。覚えが全くないとはいわない。ウイングキャットのキヌサヤが心配そうに主に寄り添う。オークが逃げるとしたらあちらと此方かと目星をつけるが、今回はその心配はなさそうだ。
「ちょっとおイタが過ぎたオークさんには、お仕置きって奴が必要かもねえ」
 一般人が立ち入らないように木賊・碧(全てを知りたい・e23485)が殺気を放ち領域を展開する。オークの生態とは如何なるものか。そう考えるだけで好奇心が疼いた。その半面、家出した女性に関しては少々複雑だ。家族の記憶というものが、碧には欠けてしまっている。帰るべき場所、迎えてくれる人。それがこの世界にある。それだけで幸福だというのは、言い過ぎだろうか。持っている者は大抵、持たざる者の気持ちなど分かりはしない。仕方のないことかもしれないと、密やかに碧は溜息をつく。
「……いたね。オーク、此処からでも見える」
「うぅ、気持ち悪い。でもタオルも着替えもばっちり用意しましたし、あとは突っ込むだけですね。消えていい人なんていない。あの子にだって、帰る家があるんです!」
 イブ・アンナマリア(原罪のギフトリーベ・e02943)と華輪・灯(幻灯の鳥・e04881)が囮役として八体のオークを引き付ける間、木賊・碧(全てを知りたい・e23485)たちが女性を逃し戦いに入る作戦だ。
「ところで繁殖って、具体的に何をするんでしょう」
 しん、と場が静まり返る。仲間たちはどう言ったものかと視線を彷徨わせる。が、灯はとんっと自信満々に自分の胸を軽く叩き、自答する。
「ええと……」
「大丈夫です! 私、わかってますから!」
 わかっていない。本当は、ちっとも分かってはいないのだが。大人ぶった訳知り顔をしてみたいお年頃なのだ。恐らくそれは、オトナへの第一歩でもある。
「…………それは」
「……良かった」
 紅染と宗次郎が安堵を滲ませ、短い一言を完成させる。
「灯ちゃん。とりあえず、行こうか。私達の純粋な心が砕け散らない内に」
 冗談なのか本気なのか、イブは特別な表情を浮かべる事もなくそう告げ囮役として裏路地へ先に向かう。赤い瞳が自分の背を見詰めているのを感じながら、敢えて振り返りはしなかった。
(「足を引っ張らないようにしないと、ですね」)
 敵が逃走するかもしれないとの情報は特になかったがレミリア・インタルジア(蒼薔薇の蕾・e22518)は念の為と辺りの地形を確認しておく。緊張気味らしいと自覚して、深く息を吸い込み吐き出すと少しだけ気分が落ち着いた。
 路地裏では、オークたちが女性にじりじりと寄り背中の触手を生き物のように蠢かせている。家出中の少女は恐怖に凍りつき後退していくが、建物に背中が当たる。もう、逃げ場がない。ガタガタと震え、目を閉じる。オークの触手が伸び、獲物を捕らえたと喜びに高らかに嗤い出す。――その時。
「薄暗がりでわちゃわちゃ群れてあなた達は虫ですか! 豚ですか! そうですか!」
 路地裏に響き渡る灯の声にオークたちが一斉に振り返る。
「きみたち、弱そうだね……僕マンゾク、できるかな。させてみて」
 挑発の色を孕んだ強気な発言に、オークの目が恍惚として潤む。
「とにかく気持ち悪いし卑劣な輩です! 反省し伏して許しを請うといいです!……別に許さないけど!」
 畳み掛けるような言葉の羅列に、オークたちはどよめき少女から二人へはっきりと目標を変える。興奮のあまり、じゅるり、と口元の涎を手で拭うオークも。
「女だからって、なめてかかると……痛い目見させて、あげるんだから、ね」
 周囲の一般人は殺気で近づけない。少女も、この隙に逃げ出したようだ。だから宗次郎の抱く心配は、仲間の一人へ向けられたもの。
「……なんか、似合わない台詞」
 違和感に苦笑いして呟くと毒林檎の姫は騎士の目を見詰め、肩を竦める。たまには良いとでもいうように。
「前に言っただろ? 守ってやるって」
 宗次郎はイブを庇うように戦場に飛び出した。その身をもって、盾とする為に。

●嗤ったところで豚は豚
「気持ち悪い……」
 生ごみを見るような目でレミリアは触手を見る。うねうねと動き、僅かに湿ったそれが肌に直接触れてくるのを思うと背筋が生理的嫌悪感で震えた。
「女性を無理矢理手籠めにしようとは。これは一匹残らず殲滅ですね。参りましょう」
 にっこりと笑みを浮かべ、レミリアは戦いの始まりを告げる。
 ケルベロスたちはオークを取り囲むようにしてさっと動き、戦いを始める。一番手を取ったイブは、その身を覆う魔力を高め弾丸に凝縮した力を放つ。
「……お前の相手はこっちだろっ!」
 たとえ死の淵にあろうが、眼を見開き両の脚で地を踏み締めて不敵に笑う。それが、それこそが宗次郎の憧憬する正義の味方の姿。自らの身でそれを体現し、心に燃える炎を乗せて高く咆哮する。オークの怒りを誘い、自分に攻撃を向けさせる気だ。
 そうして咆哮が続いていく。オークたちは次々と鳴き声をあげ、自分の攻撃力を底上げする。
「大勢で襲った罪は重いよ、お前達は一匹たりとも逃がさない」
 アトリの操るケルベロスチェインが地面に魔法陣を描き、前衛の仲間を守護する力を与える。鎖が陣を描き終わると同時、キヌサヤが動き異常状態に対抗する守りを同じく前衛へ。
 攻撃力を上げたオークがイノリを狙うも、触手の射線を紅染が遮り代わりに攻撃を受け止める。腕や首に絡みつく気色の悪さを堪えると、ぐらりと視界が一瞬揺らいだ。
「……気持ち悪いなぁ。僕、男なんだけど」
 揺らいだのは視界だけではない。遠くない昔に受けた傷はまだ心に残り、自分が傷付いたことで精神的な安定までもが危うくなっていた。
「何、そういう趣味でもあるの? ……死んでよ」
 普段奥底に眠っていた攻撃的な性質が一時的に表に出、冷めた紅染の声がオークの耳へ入る。
「ひああああ! 気持ち悪いです最悪!」
 凄まじいモーター音にも灯の声は消されない。攻撃力を上げたオークを狙い、高く持ち上げたチェーンソー剣を頭上から勢い良く――振り下ろす。
(「……変な感じ。気持ち悪い、けど」)
 オークから欲望の眼差しを向けられ欲の対象として見られることに、イノリは今までに味わったことのない感覚を覚える。疼くような落ち着かないような、言いようのない未知のものを持て余し心の中で小さく呟いた。
「舐めないで、ボクだってケルベロスなんだ」
 ちらと振り返ると仲間たちの姿が見えた。惨殺ナイフを握り締めて構え、絶対に引かないと覚悟を決める。迷いのない足取りは軽く、オークの胴に斬りつけた刃で間髪入れずに斬り上げ、蝶のように舞い肩を深く抉っては二発目へ繋げる。
 毒の苦しみに眉を寄せながらも、レミリアは雷の力を纏った突きを繰り出す。軌跡には青白い雷光が生まれ、花弁のように儚く消えていく。
「これで木偶の出来上がりっと……♪」
 細く鋭い針を飛ばし、碧はツボを突き通しオークの動きを阻害する。ただツボを貫くだけでなく、帯びた雷の力で神経を焼き切ろうという勢いだ。一体目のオークがどさり、と重量のある身体を地面に投げ出し動かなくなる。
 オークの怒りを買い、連続して攻撃を受けた灯と宗次郎は他の仲間より深い傷を負う。触手から飛び散る溶解液、イブは反射的に目を瞑るも何の衝撃も痛みもない。目を開けてみれば、見知った背中がそこにあった。
「だから、アンタは好き勝手にやればいい。その意思だって守ってやるから」
 ありがとう、と口に乗せた言葉は途切れて小さく、告げるべき相手に聞こえたかどうかは分からない。
 続いて他のオークからも溶解液が放たれるが、灯は腕で顔を庇いダメージを半減させる。ダメージの大きい宗次郎へアトリは気力溜めを飛ばすが、まだ傷は深い。同じポジションで参戦していたキヌサヤが更に回復をかけ、傷を癒す。
「く……気持ち悪い! 泥をかぶったほうがまだましだよ」
 僅かに溶け出した服から滑らかな素肌が外気に晒され、アトリは服を引っ張り隠しオークを睨みつける。その反応さえもオークを悦ばせたようで、品の無い笑い声が辺りに響く。
「女の子を襲うのは、やっぱり駄目だよ。……キミ達を、止めなきゃならない」
 触手に腕を取られながらもイノリは引く気配を見せない。
「あら、そのような一撃では触れること叶いません。失礼致します」
 自分に向いた溶解液を、華麗な動きでレミリアは避ける。金の髪をさらりと揺らし、立ち止まる。此処には好きなものが何もない。陽だまりの暖かい匂いも、風も、緑も。腐った水のように、淀んだ空気があるだけだ。妖精族の血を引くレミリアにとって、心地良いとはかけ離れた場所である。できれば長居などしたくはない。
 じわり、と行動をする度に紅染の体力は毒で奪われていく。こくりと唾と共に苦しみを飲み下そうとしながら、気力を振り絞り地面に守護星座を描き前衛の傷を癒やした。
 ブレイクで攻撃力アップを何とか引き剥がそうと碧が拳を繰り出すも、ギリギリのところでオークは攻撃を回避する。
 一体、また一体と攻撃に耐えられなくなったオークが倒れるがケルベロスたちも毒を受け触手に動きを邪魔されたりと無事ではいられない。ただ、アトリとキヌサヤを中心とした癒し手が耐性の守護を与えていったおかげで被害はある程度抑えられている。この力がなければ、もっと押されていたのかもしれない。
 最後に残ったオークは対峙するのはイブだった。
「あっち向いてて」
「……別に、気にしてねぇよ」
 そんな短い遣り取りをし、とんっと踏み出すこと数歩。唾液に含まれる毒、それは癒せぬ永遠の病ゆえ。口付けによって醜いオークに強力な毒をもたらす。
「僕の毒とどっちが強いか……勝負しようよ」
 ばらの騎士(ローゼンカヴァリエ)、それがオークの命を奪うグラビティの名であった。

●月が照らす帰路
 全てのオークが倒れ伏してしまうと、裏路地には元のような静けさが戻って来る。襲われた家出娘も、恐る恐るといった様子でケルベロスたちの様子を見に戻って来た。
「あの、……助けてくれてありがとう」
「無事で何より。僕だって男だから。女性は守らなきゃ、です」
 戦いを終えて精神的な落ち着きを取り戻した紅染は、心の刃を再び奥底へ封じそう言って無事を喜ぶ。
「あなたを守るために来たんです。触手一本触れさせないって頑張ったんですけど、守れて良かった」
「はい。ケルベロスの皆さんがもしいなかったら、きっとあの気持悪い触手に襲われて……今頃どうなっちゃってたのか」
 灯の言葉を受けて、自分を抱くように家出娘は縮こまる。その様子を横目に、小さく宗次郎が呟く。
「気にするなら使わなきゃ良いだろ、馬鹿」
「もしかして、心配とか。してくれた? さっきも見てたでしょ、出て行く時」
「っ、アンナがらしくないことするからだろ」
 焦った様子で返した台詞には、あまり余裕はない。
「……無事で良かった、俺ちゃんとアンタを守れたかな?」
 真っ直ぐに微笑みを向けると、イブが僅かに目を見開き向き合う。こくん、と。小さく、けれど確かに頷き声無き答えとした。
「家族が心配してるんじゃない?」
「……親と喧嘩、しちゃって。それで帰りにくくなっちゃって」
「待ってる人も、帰れる場所もあるなら、一度戻るといいよ。それからのことはまたそれから決めればいいんだから」
 碧の返す響きには、不思議な重みがある。形ばかりの説教とは違う、現実に即した切実なもの。何もいえなくなって、少女は黙りこむ。そんな彼女に近付き、イノリが頭を撫でた。
「大丈夫だよ」
 たった一言。はっとして顔を上げた少女の瞳が、じんわりと涙に潤む。荒れてどうしようもなくなっていた心に、イノリの優しさが染みこんでいく。
「帰ろう? 送っていってあげる。ね?」
「親御さんは待っているよ、きっと。顔見せて、安心させよう?」
 ふわりと腕にじゃれて来たキヌサヤを撫で、アトリも続ける。
「でも、あんなに私のこと怒って……」
「叱るのは貴方の事を本当に大切に思っているからですよ。きっと心配しているからお家に帰りましょう?」
 膝を折って目線を下げ、俯く少女の顔をレミリアは覗き込んだ。
「……ごめん、なさい」
 つう、と少女の瞳から涙が零れ落ちた。
「それはお家に着くまで取っておいてくださいね。もう暗いですから、足元に気をつけて」
 そう言ってレミリアは少女の服の埃を軽く払い、髪を整えてやる。
「それじゃ、行こっか。もう怖いことなんてないよ。平気平気」
 イノリが笑うと、少女もつられて笑った。
 八体のオークを無事に倒しケルベロスたちは月明かりが照らす帰路につくのだった。

作者:成瀬 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年5月20日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 7
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