大都市に巣食う狡豚

作者:白石小梅

●慈愛龍のために
 何処とも知れぬ暗闇に、ぼろをまとった人影一つ。
「ドン・ピッグよ。我、ギルポーク・ジューシィが慈愛龍の名において命じる。お前の軍団をもって、人間どもに憎悪と拒絶とを与えよ」
 混沌とした左腕が指し示すのは、葉巻を加えた豚の影。
「ふむ。旦那よぅ。隠れ家が必要だ。それを手配してくれりゃ、ウチの若いのに女を掻っ攫わせて、憎悪も拒絶もじっくり時間を掛けて稼いでやらぁ」
「ふん、端から自分では闘わぬか。その用心深さこそお前の力というわけだ。良かろう。魔空回廊を用い、お前を安全な隠れ家に導こう。しくじるな、狡知の豚よ」
 豚の口元が、にやりと歪んで。
「ありがてえ……俺っちに任せておきな、旦那」
 
●隅田川の高架のたもと
 夜半、大都会の喧騒は近いながら遠い、隅田川沿いの歩道。
 高架線のたもとで、一人の女性がため息を落として川を眺めている。
 名は有希。
 水商売を渡り歩いて懸命に生きてきたものの、たちの悪い男に捕まり、借金を背負わされて暴力を振るわれる日々を過ごしてきた。
 遂に耐えきれなくなり、意を決して逃げだしたものの、借金取りは自分を見逃すまい。
 もう、いっそ……。
 そんな想いを振り払い、首を振って振り返った刹那。
 目の前に、それはいた。
「姉さんよ……辛気臭いツラしてんなら、俺たちと遊ぼうぜ……!」
 濡れた体に、ぬめついた触手を揺らす、にやけた豚。
 有希は瞬く間に触手に抱え込まれると、薄暗い高架下へと引き込まれて。
 下卑た笑い声。おぞましいどぶの臭い。女の濁った悲鳴が、遠い喧騒にかき消される。
 その日、一人の女が、闇に消えた。
 
「竜十字島のドラゴン勢力が、新たな動きを見せています。憎悪と拒絶を集め、定命化に抗うための策略の一つでしょう」
 望月・小夜(サキュバスのヘリオライダー・en0133)は並んだケルベロスらの前に、ため息と共に資料を置いた。
「多数のオーク集団を配下に持つというドラグナー……ギルポーク・ジューシィが、ドン・ピッグという狡猾なオークの首領に命じ、配下を用いて女性を攫わせていることが判明したのです」
 女性が連れ去られるのは、東京の路地裏や下水道付近。オークたちは東京の闇に潜み、存在が消えてしまっても怪しまれないような弱者を狙ってかどわかしているようだ。
 襲われた女性はその場で暴行されてしまい、その後に秘密のアジトへと連れ込まれるらしい。
「当然、オークが女性に接触する前に手を打てば、奴らは別な対象を狙うだけです。女性がオークに攫われた、その瞬間に現場に雪崩れ込み、オークを補足。殲滅駆除をお願い申し上げます」
 東京地下に巣食った害獣どもを、根絶することがこの計画の最終目標。だがまずは、目の前の被害を食い止めることからだ。
 
 敵の戦力や、状況は。誰かが問う。
「オークの数は八体。他のオークに比べて弱いわけではありませんが、今の皆さんならば一対一でも勝てるはずです」
 問題は、戦力以外の点だ。
「首領、ドン・ピッグに似て、狡猾で小心……オークにしては悪知恵の働く連中です。女性を人質を使う、嘘をついて油断を誘う、旗色が悪いならば逃げる、など、卑劣な手段を用いることでしょう」
 封殺し、一匹残らず駆逐する工夫が必要なようだ。
「現場は隅田川沿いの歩道。夜間に人通りはほぼありません。川から一つ離れた表通りは人通りがありますので、表通りで待機しオークが動くと同時に現場に踏み込むのが良いでしょう」
 狙われる女性は27歳のホステスで、同棲中の男から逃げだしたときに事件に遭うという。
「彼女がどうなるかはこの依頼の成否には関係しません。が、憎悪と拒絶を与えない、という最終目標のためには、被害者の心のケアなどもできると良いでしょうね」
 
 説明を終えた小夜は、眉を寄せて再び息を落とす。
「奴らは東京の陰部に大規模に巣食い、闇から闇へと被害者を連れ去っています。ひょっとすると予知をすり抜け、すでに連れ去られた被害者も存在するかもしれません。連中を、一匹たりと残さず皆殺しにするよう、お願い申し上げます」
 小夜はそう言って、頭を下げた。


参加者
アンノ・クラウンフェイス(ちっぽけな謎・e00468)
九道・十至(七天八刀・e01587)
扶桑・睦月(正義執行者・e07372)
ブリュンヒルト・ビエロフカ(活嘩騒乱の拳・e07817)
公孫・藍(曇花公主・e09263)
天宮・陽斗(天陽の葬爪・e09873)
リリー・リーゼンフェルト(耀星爛舞・e11348)
ヴィオラ・セシュレーン(百花繚乱・e11442)

■リプレイ

●闇
 隅田川沿いの繁華街……艶やかな街灯り、行き交う無数の人々、ここは巨大な大都会。
 ふらふらと表通りから川に近づいていく一人の女に目を留める者など、居やしない。その女を追い、そっと姿を現した八人のケルベロスにも。
「あれが、有希さんですね。若い女性が攫われ、ひどいことをされる……下卑た男の欲望そのもの。激しい怒りを覚えます」
 その背をそっと目で追う公孫・藍(曇花公主・e09263)の表情は、凍り付いたように動かない。
 今回の敵に対する想いは、全員に共通している。被害者と同じ、女同士となれば、それはなおさらだ。
「そうやねぇ。ほんま、碌なオークおらんなぁ……デウスエクスにマトモなん求める方がお門違いやろかねぇ、ふふ」
 ヴィオラ・セシュレーン(百花繚乱・e11442)の笑んだ瞳にも、冷たい炎がちらついて。
「ま、女性にゃ申し訳ないが……男ってのはどいつもこいつも少なからずあんなオーク共みたいなもんさな」
 おどけたように言う九道・十至(七天八刀・e01587)が見つめているのは、現場の上に掛かる高架。轟音と共に、無数の車が流れている。
 扶桑・睦月(正義執行者・e07372)は、移動がてらに集められた情報を話す。
「あれは自動車専用の高架みたいだな。下は見えないし、下の物音は車の中じゃ気付かない。なるほど。用心深さ故、ということか。だが、何ともまぁ小物だよな。弱い者にしか強がれないし」
 返すのは、天宮・陽斗(天陽の葬爪・e09873)。スマートフォンを駆使して周辺の地形の把握に努めながら。
「ったく……相変わらず外道な豚共だ、ここできっちり挽き肉にしてやらなきゃな。俺たちならあの高架上に陣取って飛び降りて奇襲するのも問題ないし、高架下で左右に回り込んで挟み撃ちにも出来るぜ。どうする」
 オークたちは公的な地図などでは把握が難しい路地裏や、抜け道、下水道などを利用しているのだろうが、逃げ道を塞ぐ上では十分に利用できる情報だ。
 リリー・リーゼンフェルト(耀星爛舞・e11348)が頷いて。
「今回は素直に回り込んで挟撃しましょう。離れた位置から連携するより、きっと確実よ。こんな卑劣な奴等、一匹残らず駆逐してやるわ!」
「そうだね。じゃあ、ボクらは隠密系の能力で物陰に身を隠して、みんなとは反対方向に回り込むよ。攻撃を始めたら、こっちも一斉に仕掛けるね」
 アンノ・クラウンフェイス(ちっぽけな謎・e00468)が指すのは、ヴィオラとリリー。今回は、戦力を二手に分けての挟撃作戦を用いる。奇襲を担うのは、この三人だ。
「よっしゃ、打ち合わせは終了、と! 正直、女の方はしゃーねぇなァとは思うが、取り敢えずひっさびさに喧嘩できんな!」
 ブリュンヒルト・ビエロフカ(活嘩騒乱の拳・e07817)が、手を打ち合わせる。それを合図に、ケルベロスたちは二手に分かれた。
 都会の暗部に、闘いの気配が忍び寄っていく……。

●かどわかす者
 有希が隅田川を眺めている。川面は都会の明かりを反射するだけの漆黒。
 水中から音もなく伸び上がる触手や、目立たぬところから歩道へ上って来る影に、彼女が気付くわけもない。
 彼女が振り返った時には、その背後には大柄な影が八つ、彼女を覆うように取り囲んでいた。
「姉さんよ……辛気臭いツラしてんなら、俺たちと遊ぼうぜ……!」
「ひっ……!」
 有希の息が詰まり、下卑た笑い声が響き、高架下へとその体が引きずり込まれ、ふさがれた口から濁った悲鳴が漏れる。
 全て予知の通りだ。
 ここまでは。
「女性を誘うにしてはお粗末なセリフだな、豚頭」
 睦月の言葉に、八体の豚がぎくりと一斉に振り返る。瞬間、ブリュンヒルトと陽斗の持ち込んだライトが、豚の群れの目を打った。
「……っ!」
「お前らの行動、容認は出来ん! 響、着装!」
 光に一瞬怯んだ豚の群れに、その装甲を纏うや否や、素早く睦月が跳躍する。その蹴りが、有希を押さえ込んでいた豚を蹴り倒して。
 歯を折られた豚の頭上には、翼を広げた影。
「汚い豚に攫われるうらぶれた女……いかにも下衆が好みそうな展開ですね。気に入らない」
 大地を侵食し、鞭のようにしなった藤が弾け飛ぶ。混乱した群れに、猛禽を思わせる速さで突っ込むのは藍。有希の体を包み込むように抱えると、そのまま豚の群れの反対側に飛び出した。
「くそッ! なんだ!」
 とっさの反撃に出た二体が、追い立てるケルベロスたちを迎え討つ。
「さあ、お楽しみの時間だぜ! 豚ども!」
 ブリュンヒルトの言葉と同時に、その顔面には旋刃脚が叩き込まれている。隣の豚もまた、その顎を同じ技に打ち抜かれて。
「逃がさねぇぜ、痺れていけよ」
 そう言ったのは陽斗。
 曲がりなりにも抵抗した二体とは違い、五体は有希を抱えて反対側に飛び出した藍に向けて殺到し、獲物の奪還に動く。
「あ、わ、わ……!」
 有希が、悲鳴ともつかない間抜けな声を上げる。護る者が一人ならば、当然に押し切られる数だ。
 だが。
「ウチの仲間や、可愛いお姉さんに、なにしはるん?」
 その言葉と共に先頭を切っていたオークが、蒼い蝶の群れに打ち据えられた。ぱちりと閉じた扇から覗くのは薄く微笑む唇。
「ヴィオラさん……助かりました」
 藍の言葉と共に、奇襲班の隠密気流と螺旋隠れが解き放たれる。
 雨のように襲い掛かる触手の前に飛び出したのは、小柄な影。リリーの瞳は揺らぐことなく、槍の嵐で無数の触手を薙ぎ払う。
「有希さん……だね? アタシ達はケルベロス、理不尽の敵にして希望の味方。もう大丈夫よ」
 触手に続く巨体の前に、火柱が吹き上がる。火だるまになった豚の群れは、悲鳴と共に高架下に転げて戻った。
「あはっ、そういうこと」
 するりと暗闇から現れたのは、アンノ。
「ケ、ケルベロス……ホントに……?」
 呆然とする有希を尻目に、豚の群れの中では後衛の一体だけが冷静だった。さっとその視線を川に向ける。その先は、護岸にぽっかりと開いた下水道。
「おぉっと、ダンスパーティーの会場はそっちじゃぁねぇぜ?」
 しかし、手すりを飛び越えようとした矢先、いきなり下水道の入り口が爆散する。
「!」
 ぐっと足を止められた豚が振り返れば、十至の指がそっとポケットから爆破スイッチを引き抜いて。
「どうだい、ここがパーティー会場さ。ご機嫌だろう? ちょいと照明が足らないかと不安だったが、俺の仲間は気が利く奴らばっかりでね」
 十至の言葉に合わせて、ヴィオラとリリーもそれぞれのランプを展開し、高架下は完全に明かりに晒された。
 豚たちの周囲には八人のケルベロスが囲むように立っている。包囲は成ったのだ。
 後ろは川。逃げ場は、ない。

●護り手
「い、犬どもだ! 囲まれた!」
 恐怖に目を見開いた豚が、後ろの一匹を振り返る。恐らく、スナイパー。指揮役の兄貴分といったところか。
「こうなったら仕方ねえ! やっちまえ! 女ァ奪い返すんだ!」
 その声に背を叩かれ、雄叫びを上げて豚どもが突撃する。ブリュンヒルトが、にやりと口の端を吊り上げた。
「ハッ! そう来なくっちゃな! 大乱闘の中でタイマンだ! 睦月! 陽斗! ピンチになったら、呼べよ!」
 と、言うが早いが、ブリュンヒルトは触手の叩きつけに飛び込み、殴打にも構わず豚の首を掴みかかっている。
「ありゃ、ピンチになってなくても、こっちの獲物まで横取りに来そうだな……さて、俺たちもやるか」
 陽斗と睦月が苦笑いの混じった目配せを交わして、彼らは互いに踏み込んだ。
「強者は弱者を護るためにいる。それすらわからんとはな。お前らに生きる資格はない! この世から消え失せな!」
 二閃の降魔真拳が、豚の体を打ち据えて。
 押される仲間を援護しようと、そちらに向かう一匹の前に、帽子を被った大柄な影。
「よう。お前さんのダンスのペアは俺だぜ」
 刀が居合い抜きに閃くと同時、飛び散るのは血飛沫と悲鳴。
「おっと失礼。生憎と社交ダンスの経験はなくてな。不作法で腕の一本や二本飛んでもご愛嬌って事で頼むぜ」
 言いながら、十至は刃を翻す。
 一人一殺。一対一に持ち込んで、逃げ道を塞ぐ。それが作戦の第二段階。
 オークたちを奇襲班へと追いたてた攻撃班は、優勢にことを運んでいる。やがて前面の敵を押し潰すだろう。
 だが、有希を救出した藍が合流した奇襲班の闘いは、優勢とまでは言い難い。
 オークの狙いは獲物を奪い返して逃げ延びること。有希に向けて触手が殺到し、それを庇いながらの闘いとなれば、それも当然。
 怯えた有希がしゃがみ込む目の前で、鞭のようにしなった触手が藍の頬を打つ。
 だがその細身は、口から血を吐き捨てると、怯むことなく前へ出て。
「いくら当ててきても痛くありませんよ? 悪いけど今日は最高に機嫌が悪いんです。ミンチになる覚悟は出来ましたか? ……不味そうだけど挽肉にしてやるよ、薄汚い豚共」
 ペインキラー。痛みに怯むことなくその翼が光を放ち、豚たちの罪を焼いていく。
 その脇から飛び込む触手を、身を挺して止めるのはリリー。尖った触手が、その肩口から血の飛沫を飛ばす。それでも。
「……それが何か? アンタ達ぐらい、片手で仕舞ってやるわよ。絶対に逃がさないわ……覚悟なさい」
 不退転の気迫に押され、指揮役の豚が叫び散らす。
「な、何してやがる! てめえも、あの女を奪いに掛かれ!」
「で、でもよ、このアマが……」
 引き攣った笑みを浮かべる豚の前には、くすりと微笑む京娘。その笑みに、嘲りと怒りを滲ませて。
「……世の中、こんな悪い男の人だけやない、と言いたいとこやけど。こんなん見せられたら、同性に心の拠り所を見つけるんもええんやない、なんて思えてきはりますな?」
 その言葉は、有希に向けて。励ましと、同時に挑発でもある。豚が怒りに叫び、豚がヴィオラと馳せあって。
 思惑を外され、指揮役が舌を打った。
 自分を護って闘う者たちを、有希は呆然と眺めている。そこに囁く声が一つ。
「安心して。ここはボクたちが必ず守り切る。そしたら……過去は変えられないけどこれからを変える事はできるよ。ボクたちも応援するからもう1回頑張ってみない?」
 アンノは微笑みかけた後、踵を返して。その視線の先には、怒りに震える指揮役。
「というわけで。同じスナイパーだし、キミの相手はボク。彼女には、指一本、触れさせない」
「ぬ……抜かしやがれぇえ!」

●決着
 豚の布陣の崩壊は、ほとんど同時に訪れた。
「どうしたどうした! アタシはまだまだ闘えるぜェ!」
「骨を拳で砕く感触は良いもんだ………色々と散々だったな、そっちは大丈夫か」
 追い込み班が踏み越えるのは、触手を引き千切られて顔面を潰された四体の豚の死骸。
 奇襲班に襲い掛かっていた豚たちは、まだ生き延びている。ただし、もう優勢は保っていない。催眠や怒りの呪いが群れの内部に浸透し、狂ったように同士討ちや無鉄砲な攻撃を繰り返している。
 飛び込んで来た四人が加われば、骨のひしゃげる音や、打突の鈍い音が増え……一分もすれば、それもほとんど聞こえなくなった。
 ひいひいと息をつきながら、川の手すりに背を打ち付けるのは、指揮役の豚。
 それが、オーク最後の生き残り。
「ま、待て! 見逃してくれ! ボスのアジトの場所に案内してやるよ、それでどうか! 命だけは!」
 甲高く響く声は、悲鳴に近い。だが取り囲んだ八人の視線は、冷たくその豚を見下ろした。
「嘘は良くないよ。用心深いボスが、実行役に重要な情報なんか渡しておくわけがないもの」
 アンノの返答に、豚が引き攣った笑みが浮かべる。一瞬の沈黙が、答えを物語っている。
 豚は、いきなり悲鳴を上げて川へ向かって飛び降りた。アンノがそっと手をかざして、無造作にその周囲の空間の因果を捻じ曲げる。
 水しぶきの後、全身の骨が捩じられた豚の死骸が浮かびあがり、ゆっくりと川を流れていった……。

●救い
「ケルベロスは遠い世界のヒーローだって思ってたけど、私なんかを助けに来てくれるなんて……」
 有希は、陽斗に掛けてもらったタオルを握り締めて、そっと頭を下げた。
 その肩に、藍がそっと手を置いて。
「物理的危機は脱しましたが、有希さんは未だ危ない状況です。然る行政機関に行きましょう。今は避難シェルターもありますし」
「ああ。あんたみたいな良い女を殴る馬鹿からは逃げて良いんだ、その手助けなら出来るぜ?」
 陽斗と藍の言葉に、有希は俯きながら頷いて。
「うん。二人が言うように、別に誰かを頼っていいんだよ。貴女が思うほど、世界は冷たくないんだから」
 リリーが言い、ブリュンヒルトは恥ずかしそうに頭を掻く。
「アタシこういうの苦手だけどよー……ま、ヤケになんなよ。助けてくれる奴はこーやっているもんだからよ」
「そうね……間近で見て分かった。みんな私と同じように、血を流しながら闘ってる一個の人間だって。みんな独りで、闘ってるわけじゃないんだね」
 その瞳が、八人のケルベロスそれぞれを映す。
「うちも、困ったときは相談のりますえ。綺麗なお姉さんには、暗い顔は似合いまへんえ」
「そうそう、幸せが逃げちゃうよ。笑顔笑顔、ねっ? 良ければほら。ボクも」
 ヴィオラとアンノが差し出したケルベロスカードを、有希は深く頭を下げて受け取って。
「ありがとう。これは、今回の件で破れた服のお金だけ、貰うわ。借金も、暴力で背負わされたものだもの。勧めの通り、警察や専門家にお話して片をつけてみる。彼とはきっぱり別れて、然るべき助けを借りて、精一杯抗ってみるわ」
 その言葉に、壁に寄りかかって話を聞いていた十至の口が、ふっと笑みをこぼす。
「おう。立派立派。女は、それぐらい強気なほうがいいさ。いや、むしろ……いつか、借りを返してくれよ。利子をつけてな」
「そうですね。後悔だけしてても何も変わりません。変えたいのなら動かないと」
 睦月の真っすぐな言葉が、辛辣なジョークの後ろに重なっても、女の顔にもう影は差さない。
 彼女も今や、下衆を極めた豚の群れと、地獄を護る番犬の、血と泥に塗れた殺し合いの下を潜り抜け、共に生き延びた女。その自負を芽生えさせたのは、彼女を護る意志を身と言葉を尽くして伝えたこの八人。
 有希が、笑う。屈託なく。
「ええ。ケルベロスの闘いには、みんなの応援と……お金がいるんでしょ? 自分の力で借金に片をつけて、次はきっと、私がみんなの力になって見せる」

 この日、大都会に巣食う豚の群れが一つ、駆逐された。
 無論、敵はまだまだこの闇の奥に巣食っている。無数の敵勢の前に、八体の撃破では、大した意味はない。
 だが闇にともされた小さな灯は、女に植え付けられるはずであった憎悪と拒絶を吹き払った。
 それは事実。
 最大の戦果の名は、一人の女の胸にともされた、希望と夢。
 それだけであり、そして、それで十分だった。

作者:白石小梅 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年5月5日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 8/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
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