我が月は深紅

作者:土師三良

●月光のビジョン
 夜の風が音もなく吹き、満月にかかっていた雲が流れていく。
 そして、禍々しい月光と頼りない街灯に照らされた田舎町の交差点に異形の存在が現れた。
 その数は四つ。
 一つは、背中に蛾の翅を有した人型の死神。
 残りの三つは、全身が発光している魚型の死神。
「さあて、我ら『マサクゥルサーカス団』の今宵の演目は――」
 頭に乗せたトップハットの角度を気取った仕草で直しながら、翅を持つ死神は声を張り上げた。
「――かわいいお猿さんのショーだよぉ!」
 発光している死神たちが交差点の上を泳ぎ始めた。
 青白い光の軌跡が複雑に交わり、魔法陣が浮かび上がる。
 それを見届けると、死神は右手に持った鞭で小気味良い音を鳴らし、闇の中に溶け消えた。
 入れ替わるようにして、何者かが魔法陣の中心に現れた。
 その『何者か』はマントヒヒにそっくりだった。二メートルほどの体長、鋭い鈎爪、赤い光を放っている両目――そういった要素を無視すればの話だが。
 無数の傷が走る灰色の体を反り返らせて、マントヒヒに似た者は夜空の月に両腕を伸ばした。
 そして、雄叫びをあげた。
「オオオオオォォォォォーッ!」
 
●王子かく語りき
「最近、『マサクゥルサーカス団』の団長なる死神が活発に動いているらしい」
 新人ヘリオライダーのザイフリート(そろそろ『新人』は省いてもいいかもしれないが)がケルベロスたちに語り始めた。
「その団長の新たな動きを予知した。どうやら、香川県丸亀市の郊外でデウスエクスをサルベージするようだ。言っておくが、ただのデウスエクスではないぞ。第二次侵略期以前に命を落とした神造デウスエクス――マントヒヒのウェアライダーだ」
 指揮を取っていた団長は既に現場から立ち去っているという。ケルベロスたちが排除すべき対象は、マントヒヒのウェアライダーと、サルベージをおこなった三体の魚型の死神だ。
「マントヒヒのウェアライダーはサルベージの際に変異強化されており、知性を失っている。あるいは生前もさして理知的ではなかったのかもしれないが……しかし、歴戦の勇士だった可能性が高い。全身が古傷で覆われているからな」
 暫しの間、ザイフリートは押し黙った。ウェアライダーの古強者が戦っていた時代に想いを馳せ、彼に黙祷を捧げたのかもしれない。
 だが、次に口を開いた時、その声音には感情らしきものは込められていなかった。もちろん、感情が欠落しているのではなく、抑えているだけなのだろうが。
「デウスエクスだった私がこんなことを言うのはおこがましいかもしれないが……生を嗤い、死を弄ぶ団長とやらの所業は許せん。いつか、必ず、その息の根を止めてやろうではないか。いつか、必ずな」


参加者
エルモア・イェルネフェルト(金赤の狙撃手・e03004)
罪咎・憂女(捧げる者・e03355)
瀬戸口・灰(泰然自若の菩提樹・e04992)
サラ・エクレール(銀雷閃・e05901)
嘩桜・炎酒(星屑天象儀・e07249)
阿部・知世(青の魔術師・e14598)
ジャスティン・ロー(水色水玉空模様・e23362)
ディーネ・ヘルツォーク(蒼獅子・e24601)

■リプレイ

●蒼白の光
 夜の往来を十数人のケルベロスが行く。
 生者の世界に引き戻された死者を倒すために。
「ホンマ、死神っちゅうのは気に食わん連中やで」
 ウェアライダーの嘩桜・炎酒(星屑天象儀・e07249)が空を見上げた。両目を覆うゴーグルに満月が映る。
「こんなに綺麗なお月さんが出てる良い夜やのに悪趣味なことしよってからに……」
「良い夜だろうが、悪い夜だろうが――」
 ボクスドラゴンのピローを片手で抱いたジャスティン・ロー(水色水玉空模様・e23362)が口を開く。
「――夜遅くのお仕事は将来のお肌の敵だからね。ちゃっちゃと倒しちゃおう! ねえ、ヴァオおにーさん!」
 元気な声を出し、横を歩くヴァオ・ヴァーミスラックス(ドラゴニアンのミュージックファイター・en0123)に空いているほうの手でハイタッチを求める。
「いや、『おにーさん』って年でもないんだが……」
 ヴァオは機械的に手を合わせつつ(身長差があるので、彼からすればハイタッチならぬミドルタッチと言ったところがだが)、げんなりとした顔でジャスティンに尋ねた。
「つうか、なんでおまえはそんなにテンション高いわけ?」
「そう言うヴァオおにーさんはなんでテンションが低いの?」
「俺ァ、オバケとかゾンビとかの類は好かねえんだよぉ。べつに怖かねえけど。ぜっんぜん怖かねえけど」
 あきらかに怖がっている(サルベージされたデウスエクスが『オバケとかゾンビとかの類』に属するかどうかはさておき)。
 やがて、一同は角を曲がり、足を止めた。
 十数メートル先の交差点に青白い光が見える。
 発生源は、深海魚のフクロウナギに似た三匹の死神。
 そして、その光を背にして立つ影は、サルベージされると同時に変異強化されたマントヒヒの獣人型ウェアライダー。
「……」
 サラ・エクレール(銀雷閃・e05901)が無言でまた歩き出した。一般人が近付けないように、シャドウエルフ特有の殺気を放ちながら。
 他の者たちも後に続いた。
「死神って、いつも交差点でサルベージしますわね。ちょっとワンパターンじゃありませんこと?」
 自称『新世代型レプリカント』のエルモア・イェルネフェルト(金赤の狙撃手・e03004)が武器を構えた。片手にガトリングガン、片手にバスターライフル。
「交差点というのはサルベージしやすい場所なのかもしれませんね。古来より、辻は異界との境界とされていましたから」
 返答とも独白ともつかない言葉を述べながら、阿部・知世(青の魔術師・e14598)が手元の惨殺ナイフに視線を落とした。刃に映る顔は困惑の色を帯びいてる。持ち慣れぬ得物だからだ。
「クロスロード伝説なんていうのもあるしな……」
 恐怖を押し隠しつつ(ちっとも隠しきれていないが)ヴァオがバイオレンスギターを軽く爪弾いてみせた。
「でも、交差点が本当に異界の入り口なら、スクランブル交差点なんかは魑魅魍魎でいっぱいってことにならないか?」
 瀬戸口・灰(泰然自若の菩提樹・e04992)が軽口を叩く。
「にゃあ!」
 灰の頭に乗っていたウイングキャットの夜朱が威嚇するように尻尾を膨らませて、飛び立った。
 獣人がゆっくりと歩を進め始めたからだ。ケルベロスたちに向かって。
「自らの意思に反してサルベージされた偽りの生とはいえ――」
 近付いてくる獣人を凝視し、罪咎・憂女(捧げる者・e03355)が悲痛な声で呟いた。
「――ただ奪うしかないのでしょうか?」
「偽りの生を奪うんじゃなくて、真の眠りを与えるんだと思えばいいじゃねえか」
 その言葉とともに降下してきたのは、ヴァルキュリアのディーネ・ヘルツォーク(蒼獅子・e24601)。周囲に一般人がいるかどうかを確認するため、上空で四方を見回していたのである。
「空から見た限りでは、周りに誰もいな……」
「オオオオオォォォォォーッ!」
 ディーネの報告を獣人が咆哮で遮った。
 ウェアライダーのハウリング。
 それは戦いの始まりを告げる鬨の声であり、最初の第一打だった。

●銀灰の獣
 ハウリングの標的となったのはケルベロスの前衛陣――エルモア、憂女、灰、サラ、そして、夜朱以外のサーヴァント。人数が多いために減衰しているとはいえ、そのダメージは決して小さくなかった(おまけに回避力を落とす効果もある)。
 もっとも、傷を負ったのは肉体だけだ。戦意は挫かれていない。
「ーーーォォオ!」
 獣人に対抗するかのように憂女が『闘龍の咆哮(ソウルシェイカー)』を放った。それは対象範囲にいる者たちの命中率を上昇させるグラビティ。人間の可聴域を超えた無音の絶叫。
「ほな、行くでぇ!」
 命中率が上昇した者の一人――炎酒が獣人に突進し、手錠型の拘束具が付いた手で獣撃拳を打ち込んだ。
 手錠の鎖が鈍色の軌跡を刻む。
 そのすぐ横で円の軌跡も描かれた。ディーネのグレイブテンペストだ。獣人に向けられた彼女の目には怒りが宿っている。もっとも、怒りの対象は獣人ではなく、彼の眠りを呼び覚ました死神たちだが。
「サルは足止めしておくから、その間に薄汚い魚どもをかたづけてくれよな!」
『ブリッツシュラークII』という名を持つゲシュタルトグレイブを回転させながら、ディーネは仲間たちに言った。
「任せてくださいな」
「はい」
 答えたのはエルモアとサラ。前者は一匹の魚に狙いをさだめてガトリングを連射し、後者はコンバットマグナムの制圧射撃で三匹すべてに銃弾を浴びせた。
 銃弾のシャワーが収まると、ミサイルの雨が降った。ジャスティンのマルチプルミサイルである。
 続いて、灰が腕を突き出して、縛霊手の御霊殲滅砲を魚たちに食らわせた。
 知世もまた同じように腕を突き出し、掌からドラゴニックミラージュを放った。標的は、エルモアの連射を受けた魚。各個撃破を狙っているのだ。
 主人に続けとばかりにサーヴァントたちも戦いに加わった。夜朱は前衛陣の頭上で清浄の翼をはためかせ、ピローはディーネに属性をインストールし、ミミックのツァイスとオルトロスのイヌマルは果敢に獣人を攻め立てる。
 サーヴァントほどではないが、ヴァオもそれなりに奮闘し、回復役として貢献した。
 だが、回復の手段を有しているのはケルベロスだけではない。三匹の魚のうちの二匹は長い体をくねらせて己にヒールのグラビティをかけた。
 残りの一匹は治癒よりも攻撃を選び、口を開けた。上顎と下顎との角度が九十度になるまで。
 洞窟を思わせる口腔の奥から吐き出されたのは、幾つもの怨念が凝り固まってできた黒い弾丸――怨霊弾だ。それはケルベロスの前衛陣めがけて飛び、甲高い音を発して炸裂し、瘴気を撒き散らした。
 その余波が消えぬうちに獣人が獣撃拳を叩き込んだ。相手は、瘴気に毒された憂女。とはいえ、獣人は魚と連携したわけではない。憂女のほうが攻撃を誘ったのだ。敵の前面に張り付くことによって。
「……重い一撃だ。さすがは歴戦の勇士」
 誰に聞かせるでもなく、憂女は静かに言った。口調も目付きも戦闘が始まる前のそれとは変わっている。
「どこ見てんだよ! おまえの相手はこっちだ、サル野郎!」
 憂女に気を取られている獣人にディーネが稲妻突きを見舞った。
 無数の古傷が走る灰色の体に新たな傷が増えていく。
 それらの傷を憂女の惨殺ナイフ『鳴風』が抉り抜いた。ジグザグ効果を有した絶空斬。
 そして、ウェアライダーの二人――玉榮・陣内と比嘉・アガサも獣人に攻撃を加えた。陣内は『油雨』で。アガサは『青鈍』で。どちらもトラウマを具現化するグラビティだ。
「オオオッ!」
 あらぬ方向に目をやり、獣人が吠えた。トラウマの幻覚を見て、恐怖の声をあげているのかもしれないが――、
「――本当に怖がってんのかよぉ? 怒り狂ってるようにしか見えねえぞ」
 ヴァオが首をすくめた。もう恐怖を隠そうとはしていない。
 そんな彼に影のように寄り添っているのは、日本刀を手にしたジャージ姿の四方堂・幽梨。敵の増援が来た場合に備えて(それが杞憂に等しいことは幽梨自身にも判っていたが)後方を警戒すると同時に、ヴァオを警護しているのだ。
「ほらほら、ヴァオおにーさん! ギターを弾く手が止まってるよ!」
 もうすぐ五十路を迎える『おにーさん』を叱咤しながら、ジャスティンが『鷹の目(ホーク・アイ)』を発動させた。命中率上昇と治癒の効果を持つ眼鏡型の立体映像が前衛陣の顔(ミミックのツァイスは錠前の上の辺り)に張り付いていく。エルモアの眼鏡は左右の上端が大きく吊り上がったフォックス型、憂女はラップ型の赤いミラーグラス、灰は丸縁のサングラス、サラは細い銀縁の眼鏡。
「それぞれの髪の色と同じなんですね」
 皆の眼鏡を見回して、サラが感心したように言った。
「何故にトンガリ眼鏡ですの? まあ、構いませんけど……」
 自分にあてがわれた眼鏡のデザインに少しばかり戸惑いながら、エルモアが六つの鏡片を散布した。『煌めく万華鏡の君(カレイドシューター)』のための特殊兵装である。
「光物のお魚は――」
 魚の一匹にトンガリ眼鏡越しの視線を向けて、彼女はレーザーを放った。視線から大きく離れた場所に向かって。しかし、浮遊する鏡片がレーザーを何度も跳ね返し、魚のもとへと導いた。
「――新鮮なうちに捌かなくてはいけませんわね!」
 魚の横腹をレーザーが貫通した。青白い光が消えて、体が黒ずんでいく。
「あら? そんなに新鮮でもなさそうですね」
「じゃあ、火を通しておこうか。腹を壊すといけないからな」
 灰が蹴りを放ち、グラインドファイアの炎で魚にとどめを刺した。
「あと二匹……」
 そう呟いて、サラがコンバットマグナムの引き金をひいた。狙いは魚ではなく、信号が備えられた電柱。絶妙の角度で撃ち込まれた弾丸は電柱に跳ね返され、アスファルトに跳ね返され、また電柱に跳ね返され……と、先程のエルモアのグラビティと同様に複雑な軌道を描いた末に魚に命中した。跳弾射撃だ。
「――!?」
 魚が口を開いた。皆の耳にはなにも聞こえなかったが、悲鳴をあげたのだろう。それは痛みだけでなく、恐怖がもたらした悲鳴かもしれない。知世が惨殺ナイフを閃かせて、魚のトラウマを具現化させていたのだから。
 トラウマに苦しめられていないほうの魚は仲間を助けようともせずに(そもそも助ける術を持っていないのだが)あいかわらず体をくねらせて、自らを治療していた。
 少し離れた場所からそれを見ている者がいる。
 炎酒だ。傍らにゲシュタルトグレイブを突き刺し、妖精弓を構えている。
「死神っちゅうのは気に食わん連中やで」
 戦いが始まる前に口にした言葉をまた繰り返しながら、ハートクエイクアローを放つ。『気に食わん』と言いながらも、その声は愉悦の響きを含んでいた。スカーフに隠れているために外からは見えないが、口許にも笑みが浮かんでいる。満月の影響と本来の性質が相まって、戦いに酔っているのだ。
 獣人の相手をしていたツァイスが攻撃の手を止めて、主である炎酒を振り返った。
 ミミックに目鼻があるなら、彼(彼女?)は心配そうな表情をしていることだろう。

●深紅の月
 満月の影響を受けているのは炎酒だけではなかった。
 獣人と戦っていた陣内も理性を保つことが難しくなり(狂月病を抑えるために人型を取っていたが、今は獣人型になっていた)、アガサに半ば引きずられる形で戦線を離脱した。
 二人が抜けたことによって、獣人と対峙するのは憂女とディーネとサーヴァントたちだけになったが――、
「お魚退治は終わりしました」
 ――魚を全滅させた知世たちが新たに加わった。
 同時に新たなトラウマも加わった。
 知世が惨劇の鏡像を使ったのだ。
「オオオ、オオオォォォーッ!」
 トラウマの幻覚に攻撃を受け、獣人が吠え猛る。
 その声に臆することなく、知世はじっと見据えた。
 新旧の傷で全身を飾った、歴戦の勇者を。
「きっと、生前の貴方にも素晴らしい物語があったのでしょう。それを知ることはできませんが、せめて……」
 言葉を途中で切り、獣人に視線を固定したまま後退し、ジャスティンに並ぶ。
「ヴァオおにーさんに『ヘリオライト』をリクエスト! で、僕は攻撃力アーップ!」
 ヴァオに指示を送りながら、ジャスティンは爆破スイッチを操作した。
 ブレイブマインが発動し、色取り取りの爆炎があがる。
 その爆風を背に受けて獣人に攻撃をしかけたのはエルモアと灰。
「新世代の輝きをお見せしますわ。古強者の貴方にね」
 エルモアのガトリングガンが火を噴き、無数の空薬莢が地に撒き散らされた。
 それらに足を滑らせることもなく、灰が獣人に肉迫する。
「欠片も残さず――」
 殴りつけ、蹴りつけ、噛みついて、シャドウエルフの降魔拳士は連撃を食らわせた。なにも知らぬ者が見たら、『無残』という名のこのグラビティを用いる灰こそを獣人だと思うかもしれない。
「――砕けちまいな!」
 獣人は砕けこそしなかったが、『無残』な姿に変わり果てた。だが、まだ立っていた。双眸の赤い光も消えていない。きっと、戦意も消えていないだろう。
「それでいいんや! 簡単に死なれちゃあ、おもろないからな!」
 後方で叫び声があがったかと思うと、ブレイブマインのカラフルな煙を突き破って、炎酒が飛び出してきた。得物は妖精弓からゲシュタルトグレイブに変わっている。
 二つの影――炎酒と獣人がぶつかり、三つの音――電光を帯びたグレイブの唸り、稲妻突きを放った炎酒の哄笑、それを受けた獣人の咆哮が重なった。
 更に場を盛り上げるかのように『ヘリオライト』が鳴り響き、グラビティの音波が獣人を襲った。もっとも、ダメージを与えている当人であるヴァオは恐怖に顔を引き攣らせているが(幽梨が張り付いていなかったら、逃げ出していたかもしれない)。
 そして、ゲシュタルトグレイブとバイオレンスギターによるセッションにディーネが飛び入り参加した。
「地獄へ帰りな!」
 光の翼から地獄を噴出しながら、彼女は獣人に突進し、ブリッツシュラークIIを突き立てた。体内にめり込んだ穂先が二股に分かれてグラビティを放出し、同時にブラックスライムが獣人の全身を包み込む。内側と外側からダメージを与えるグラビティ『楽園への招待状(シャングリラ)』。
「オオオーッ!」
 スライムの中で獣人は吠え狂い、暴れ狂った。楽園への招待を受けるつもりはないらしい。
 数秒後、スライムの牢獄は溶け去り、解き放たれた満身創痍の獣人を憂女が迎えた。
「せめて名前だけでも知りたかったが……そんなものは感傷に過ぎないのだろうな」
 憂女(だけでなく、他の者たちも)の中にある想いは、実際は『感傷』と呼ぶには重すぎるものなのかもしれない。しかし、重いものであるからこそ、その想いは攻撃を躊躇する理由にはならなかった。
 憂女はそれ以上なにも言わずに鳴風を振るい、雷刃突を仕掛けた。
「……オオッ!?」
 獣人は呻きを発し、よろめきながらも、獣撃拳を放とうとしたが――、
「我が閃光、その身に刻め!」
 ――死角に回り込んでいたサラが愛刀『伯耆安綱』の抜き打ちを浴びせた。
 抜き打ちだけでは終わらなかった。白刃が描く弧の軌道が自然かつ瞬時に直線に変わり、斬撃の後を刺突が追う。
 二種の攻撃を与えた刀が鞘に戻った瞬間、獣人は仰向けにどうと倒れた。

 獣人は立ち上がらなかった。
 立ち上がるだけの力は残っていないのだろう。
 その代わり、腕を伸ばした。
 夜空から自分を見下ろす月に向かって。
 なにかを求め、訴えかけるように。
 もちろん、月は答えを返してくれなかったが。
「オオオォォォ……」
 獣人が鳴いた。今までに一度も発したことのない悲しげな声で。
 その慟哭は唐突に途切れた。
 腕はまだ夜空に向かって伸びているが、微動だにしない。腕だけでなく、体のどこも。腕を伸ばした姿勢のままで息絶えたのだ。
「見事な戦いぶりでした」
 いつになく神妙な声でエルモアが言った。
「……」
 月に伸びる腕――朽ちかけた卒塔婆を思わせるそれを見つめながら、ディーネが黙祷を捧げた。
 その横で憂女もまた獣人の骸を見つめていた。ミラーグラスの立体映像が消える。現れ出た瞳は、戦闘が始まる前の穏やかなものに戻っていた。
「……せめて、安らかにお眠りください」
 知世が改めて口にした。先程、途中で切った言葉の続きを。
 獣人の死体が鈍く輝き、幾千もの光の粒子に変わった。
 夜の風が音もなく吹き、それらを散らしていく。
 流されてきた雲が月を覆い、冷たい光を遮った。
 示し合わせたかのように外灯も消えていく。
 そして、周囲は闇に包まれた。

作者:土師三良 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年4月15日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 9/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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