八竜襲撃~ザ・ネメシス――災竜『ジャバウォック』

作者:屍衰

●瘴気を撒く残虐の竜
 宮城県仙台市。その日、その街は崩壊した。
 ただ一匹のドラゴンの手によって。
『――――――!!』
 人の耳には届いても意味の分からない音が響いて、間もなくだった。一匹のドラゴンが飛来した。
 その瞬間、人々は逃げようとした。襲来したドラゴンの遠くにいた者は幸せだっただろう。彼の竜の口から漏れる瘴気によって、苦しんで死ぬだけで済んだのだから。
 近くにいた人々は不運だった。
 弄ばれるように毒の息を吹きつけられ悶える様を見て、ドラゴンが悦びの奇声を上げる。逃げる男を背中から足だけ踏み潰して、強酸の唾液を掛ける。苦痛の叫び声を上げる男に死ぬまで背中から唾液を掛け続けた。果敢にも向かってくる人がいたが、守ろうとする人を先に殺すと絶望したまま毒で死んだ。
 まさに阿鼻叫喚の地獄。
「あ、あ……アァ……」
 そして、眼前に立つ死の具現に、その少女は恐怖した。瞳から滂沱の涙を流し、許しを乞うた。
 しかし、その竜は逆に喜んだ。恐れ震える様は見ていて楽しいし、何よりも大好きな大好きな餌が目の前にある。
 ニタリ、と。残虐な笑みを浮かべて、強酸の滴る顎を開き――。
 
●邪竜を戮せ
 手元のバインダーへ一瞬だけ目を落とし、ヴァルトルーデ・シュタール(ヴァルキュリアのヘリオライダー・en0172)は内容を再確認する。一度、瞑目するとケルベロスたちへと顔を向けた。
「此所に来た、ということは覚悟はできているのだな」
 いつもにも増して固い声色。だが、その声に怯む者は一人もいない。その様子に満足しつつ、今回の依頼についての説明を始める。
「ドラゴンたちの拠点、竜十字島から多数のドラゴンが襲撃を掛けに来る。これの中の一体を迎撃することが、貴方たちの使命だ」
 強力なドラゴンの襲来。風雲急を告げる内容で、状況は逼迫している。
 唐突な襲撃の理由は、襲撃してくるドラゴンたちの定命化を避けるためだ。
 地球を愛して生きるか、それができずに死ぬか。本来ならば二択だが、もう一つの選択肢があるらしい。
 それは、憎悪の蒐集。忌み嫌われることで、定命への耐性を得るというもの。
「敵の作戦としては単純だ。地球の人々を虐殺する。それだけで事足りる」
 放っておけば万を超える人が死ぬだろうが、もちろん見過ごす訳にはいかない。だが、だからと言って、周囲の一般人を一斉に避難させたり数百人単位の大戦力を動かせば、別の地点を襲撃されてしまう。そうなると、さすがの演算予知でもカバーしきれない。
 出せる戦力は三十人まで。一般人の避難も襲撃が確実となるタイミングを見計らってから。そうなるのだ。
「つまり、貴方たちの双肩にすべてが掛かっている。そして、貴方たちに撃破してもらいたい竜は――」
 災厄の道化竜。名をジャバウォック。
 戦闘能力は戦艦竜並か、それ以上。
 しかし、それが瑣事と言える程の、厄介な能力を有している。
「強さもだが、それ以上に不味いのはこの個体が発する毒だ」
 息をするだけで周囲に強力な毒を撒き散らす。この毒はグラビティでないらしく、ケルベロスたちに効果はない。
 しかし、一般人が巻き込まれれば?
「一分後に体が麻痺し、動けぬまま五分後に苦しみ抜いて死ぬ」
 故に、到着直前から避難を開始し、ジャバウォックの瘴気が広がり切る前に一般人を避難させなければならない。
「急な避難となるが故に、間に合わぬ人々もいるだろう。彼らは貴方たちが手助けしなければ救えない」
 人数としては全体から見れば少数だが、全員を救うとなるとそれなりに無理をする必要がある。当然、一般人を避難させるにはジャバウォックを足止めしなければならない。足止めには十人程度で何とかなると想定されているが、そこに割くリソースをどれだけ避難に回すか、ということだ。
「厳しい戦闘が予想されるため、選択肢として一般人の救出は無視しても構わない」
 ここで竜を撃破できなければ、もっと多くの犠牲を生むだろう。それを避けるというのならば。
 大を生かすために小を殺す。そんな選択肢もある。ケルベロスたちが容認すればの話だが。
 これで説明は終わりだ。ヴァルトルーデは手元のバインダーを脇に挟む。
「どうかドラゴンたちの暴威から無辜の人々を守ってくれ、勇者たちよ」
 ケルベロスたちへ頭を下げ、ヘリオンへと導く。

 ――災厄の竜を討ち果たせ。


参加者
アシュヴィン・シュトゥルムフート(月夜に嗤う鬼・e00535)
ミオリ・ノウムカストゥルム(銀のテスタメント・e00629)
神薙・焔(ガトリングガンブラスター・e00663)
星詠・唯覇(奏でる音に迷いなし・e00828)
桐山・憩(さかまき・e00836)
ドロレス・ハインツ(純潔の城塞・e00922)
神城・瑞樹(めぐる辰星・e01250)
ジン・フォレスト(からくり虚仮猿・e01603)
ピジョン・ブラッド(銀糸の鹵獲術士・e02542)
オーフェ・クフェロン(人類好きの人形・e02657)
月見里・一太(咬殺・e02692)
レイ・ヤン(余音繞梁・e02759)
御門・愛華(落とし子・e03827)
ノイア・ストアード(ブレイズドライブ・e04933)
ルイン・カオスドロップ(冒涜する救われ人・e05195)
ウィリアム・バーグマン(地球人のガンマン・e05709)
メアリベル・マリス(マザーグースの斧幼女・e05959)
ラームス・アトリウム(ドルイドの薬剤師・e06249)
フェル・オオヤマ(むっつりえっち・e06499)
リュセフィー・オルソン(オラトリオのウィッチドクター・e08996)
ミュシカ・サタナキア(新城さんちの娘・e11439)
天野・司(ここにイルヨ・e11511)
原・ハウスィ(マーライオン・e11724)
ノア・ウォルシュ(ある光・e12067)
シャオフー・リー(ドワーフの降魔拳士・e14065)
多留戸・タタン(知恵の実食べた・e14518)
メイリーン・ウォン(見習い竜召喚士・e14711)
笑天宮・命(ムッチリ力成す者・e14806)
ランジ・シャト(舞い爆ぜる瞬炎・e15793)
リヴァーレ・トレッツァー(通りすがりのおにいさん・e22026)

■リプレイ

●ホワイト・ラビット――災禍の騒乱はかくて始まりき
 その日、仙台市は狂騒に包まれる。
「仙台市にお住まいの皆様、我々はケルベロスです」
 ルイン・カオスドロップ(冒涜する救われ人・e05195)の録音していた声が街に響く。ラジオもニュースも町内放送も。今、ジャバウォック襲来の報を知らせている。
 自身の声を聞いて、ルインはわずかに歩みを緩めて誰にも気付かれないようニタリと笑みを浮かべた。
 自分の一言で街が狂気に包まれることの何と――心地いい事か。誰も彼もが焦りと恐怖に包まれて逃げ惑う。わざと念入りに感情を込めて、いかにも人々を救いたいですと乞い願う自分の声も――白々しくて実に良い。
「どうかされました、ルインさん?」
「いやいや、何でもないっすよー?」
 ならば良いのですけどと呟いて、オーフェ・クフェロン(人類好きの人形・e02657)はわずかに柳眉を顰めたまま歩を進める。かすみがうらの事変に続き、最近はデウスエクスの動きが活発にも思える。交渉する手段でもあれば良いが、攻性植物は意思があるのかすら不明であるし、ドラゴンはただただ暴力的で話が通じるべくもない。それは自分の有り様として、矜持に欠けるのだから少し腹立たしい。それでも、人々を救うためならばと奔走を続ける。
「こちらは逃げ遅れる可能性の人が多そうですからね。急ぎましょう」
 ピジョン・ブラッド(銀糸の鹵獲術士・e02542)の言葉に西側へと向かっているフェル・オオヤマ(むっつりえっち・e06499)、メイリーン・ウォン(見習い竜召喚士・e14711)も頷いた。ジャバウォックの操る毒は想定以上に厄介だと、フェルは思案する。わずかにもたげる不安を前に、胸元のお守りをきつく握り締める。メイリーンもまた己の使命を胸中で反芻する。戦艦竜を屠り、次は禍を成す毒竜だ。竜の災禍は一片たりとも見逃すわけにはいかない。それが、きっと自分の使命であり――償いでもあるのだから、と。
 ピジョンが調べた通りに、向かう先は病院の乱立している地域だ。襲来地点はルインが、襲来方向はノア・ウォルシュ(ある光・e12067)が、予めヘリオライダーから聞き出しており分かっている。東側、つまり太平洋側から飛来し、市街地へと降り立つ。厄介なのは今向かっている西側――襲来とは逆側であり、おそらくは多くの人々が逃げてくるであろう方向に、逃げ遅れる可能性の高い人々が集中しているということだ。それ故に、少し多めの人数を割り振っている。
 もちろん、逃げ遅れそうな高齢者や病人、子供の多そうな施設は、ピジョンだけでなく、神薙・焔(ガトリングガンブラスター・e00663)、御門・愛華(落とし子・e03827)、天野・司(ここにイルヨ・e11511)、リヴァーレ・トレッツァー(通りすがりのおにいさん・e22026)らによっても調べられている。東側には病院がぽつぽつと点在しつつ一キロ圏内ぎりぎりの場所にデイケアサービス施設が、北側には保育園や幼稚園、小学校と言った子供の多い施設、そして出現地点すぐ南に老人ホームや駅がある。
 故に避難が開始されたのは、西側だけでない。
 北側では、子供たちへとおもちゃを渡しつつ神薙・焔(ガトリングガンブラスター・e00663)が避難を促す。渡されたおもちゃで素直に子供たちは言うことを聞きつつその場から離れていく。手を振りながら子供を見ていて、ふととある童話の一節を思い出す。
 ジャバウォックと言えば――。
「あたしたちはヴォーパルの刃になりきれるかね」
 ルイス・キャロルの童話、鏡の国のアリス。その詩に出てくるジャバウォックを絶命せしめた剣。因果関係は恐らくないであろう。だが、その剣そのもの足らしめんと、焔は意気込む。そのためにも人々を一刻も早く避難させなければならない。
 東側では、レイ・ヤン(余音繞梁・e02759)が一般人たちを誘導しながら頼み込む。
「子供とか年配の人とかを見かけたら、逃げるのを手伝ってくれ」
 何も難しいことは言わない。時間は僅かであるが、まだ猶予もある。そもそもケルベロスたちは三十人しかこの場にいない。ジャバウォックの足止めを考慮すると二十人にも満たない。それで大人数を避難させきれるかと問われれば否。然らば、一般の人々に手伝ってもらう他はない。警察、消防、メディア。ありとあらゆる物を駆使して救わんと。
 そして、南側。駅の付近ではリヴァーレの大声が響き渡っていた。
「駅はもう封鎖してあるぞ! 元気な奴らはもっと南を目指せ! 大丈夫だ、俺たちがいるからジャバウォックはここにゃ来ねぇ! 急いで避難するんだ!」
 拡声器を一度下ろして一息つく。普段のおちゃらけた雰囲気は鳴りを潜めて真剣そのもの。それも当たり前だ。自分たちがしくじれば大勢の人間が死ぬとあらば、真剣にもなる。再び現状を伝えるべく、拡声器を持ち上げた。
 ぎりぎりまで出来うる限りの手は打つべく、ケルベロスたちは奔走する。

 街が喧騒に包まれ始めてまだ間もなく。メアリベル・マリス(マザーグースの斧幼女・e05959)は空を見上げていた。あの日もこんな青く晴れた日だった。でも、あの時は炎の赤色に包まれて。さらにはもっと鮮烈な紅色が周囲に散っていたはずだ。
「メアリベル――」
 ぼんやりとした様子で空を眺め続けるメアリベルの様子を見つつ、星詠・唯覇(奏でる音に迷いなし・e00828)が声を掛けようとするが、月見里・一太(咬殺・e02692)が唯覇の肩に手を置いて動きを制する。唯覇が振り向けば、ゆるゆると一太は首を振るだけだった。
(「そう、だな……彼女にとっての仇」)
 故郷の村が滅びたのはいつのことだったか。そこかしこに悲劇は転がっていて、昏き炎はあちこちに点っている。唯覇もそんな一人だから、彼女の想いは分からないでもない。だから、ついぞ声を掛けることはできそうになかった。
「この辺りにはもう人もいなさそうだな」
「はい、駅の中の人たちも脱出してもらいました」
 アシュヴィン・シュトゥルムフート(月夜に嗤う鬼・e00535)が殺界形成を解いて周囲を見回し、地下鉄構内から出てきたミュシカ・サタナキア(新城さんちの娘・e11439)もその言葉に同意する。先程までは重点的にケルベロスたちが避難を促していたため人っ子一人いない。念のためと路地裏やらを覗いてみたが、特に人気はなかった。
 近くには病院もあったからこそ、この近辺は集中的に探索した。今は全ての人を避難させ始め、西方向から脱出する面々へと引き継いだ。
 すでに襲来の予定時刻まで五分を切っており、足止め班は武器を取り出して準備を整えている。
 足止めの人数は十一人。足りるかと問われれば、恐らくぎりぎりのところだろうと原・ハウスィ(マーライオン・e11724)は予想する。
(「かと言ってこれ以上増やすと、救助が厳しい……難しいところだよねぇ」)
 ある程度の救助であれば二十人ばかりをこちらに割いても良かったろうが、全員を救うと決めたのだ。それは途方もなく厳しい道。
(「犠牲なく終わらせるなんてのは、夢想かもしれない」)
 それでも成し遂げなければならないのだと、ラームス・アトリウム(ドルイドの薬剤師・e06249)は決意する。薬師は人を救う存在だから。自分の手に入れた力を人々のために使うのならば、それは自明の理であった。
(「実家も近いし、本気でやらないとな」)
 手を抜いて勝てる相手とは微塵も思っていないが、神城・瑞樹(めぐる辰星・e01250)にとってこの仙台の地は故郷と目と鼻の先の場所である。だからこそ、守らねばならないと想いを強くする。
 そして、ケルベロスたちの奔走する十分が間もなく終わる。
「来たわ、来たわよ! 嗚呼――」
 空を見ていたメアリベルが楽しそうに声を上げる。
 やってくるやってくる。災いの化身がやってくる。
 自分の心を母を父を。自分のすべてを奪っていた元凶が。
 色とりどりに継ぎ接ぎされた災いの竜が上空より姿を見せた。

●ホワイト・ナイト――無償にてすべての民を掬いて救わん
 ジャバウォック襲来。その報が届いた時、ケルベロスたちは躊躇わずにその情報を開示した。
「ジャバウォック襲来です! 皆さん、落ち着いて慌てず騒がずに避難してください!」
 リュセフィー・オルソン(オラトリオのウィッチドクター・e08996)の言葉で、一瞬恐慌が起こりかける。恐怖し我先に逃げ出そうと人々が思い立つ直前。
「大丈夫だ! 俺たちがいる! 安心して、このまま整然と避難するんだ!」
 ジン・フォレスト(からくり虚仮猿・e01603)が再度掛けた言葉ですぐに人々は平静を取り戻す。見るだけで勇気を振り絞ろうと思える力を纏って、彼は人々を鼓舞する。
「大丈夫です。このまま真っ直ぐ道なりに行ってください!」
 ノイア・ストアード(ブレイズドライブ・e04933)も懸命に声を上げて、人々を誘導する。北側は子供たちが多い。未来ある彼ら彼女らの命を救うべく。彼らはただただ邁進する。
 一方の南側。電車で逃げれば安全かと思った一般人もいたのか、駅付近にやってくる人々も割と多い。電車が使えぬと悟ってかへなへなと力なく座り込む人もいるが、笑天宮・命(ムッチリ力成す者・e14806)が近づいて声をかける。
「ほらほら、元気出して。まだ此処まで毒は来てないから。後、数百メートル程度。走れば何とかなるさ」
 視線は見えないが、ほんのり浮かんでいる笑みを見れば、座り込んだ彼はほぅっと一息を吐いた後に立ち上がる。それを見送って、命は避難誘導を再開する。
 ケルベロスたちの手に掛かれば、人々を宥める手段など両の手に余るほど手段がある。グラビティを纏い精神を落ち着かせるも良し、種族としての力を全力で発揮して手に取るも良し。混乱よりも情報の規制をこそ、彼らは恐れた。
 彼らから自力で逃げる術を取り上げれば、自分たちだけでは手が足りないのだから。
 だが、自力で逃げられないような人たちもいる。ケルベロスたちはそんな人々も見捨てる気は更々無かった。
「オラッ、早くバスに乗せろ! 急げ急げ!」
 桐山・憩(さかまき・e00836)が声を上げて、重篤な病人たちをバスへと導く。医師や看護師たちも急いで患者をバスへと運び込む。しかし、医師たちは困惑する。これで逃げられるのかと。
 英語や中国語など有名な外国語で書かれた避難勧告の看板をミミックに持たせた多留戸・タタン(知恵の実食べた・e14518)が前方を見やれば、道は車で渋滞している。車で逃げていた人々も、ケルベロスたちの指示の元に降りてから徒歩で逃げている。乗り捨てられた車があちこちにあるのだ。そんな場所でバスを走らせることができるのかと。怪力無双を使えば、道端の車を退けることも可能だろうが、退ける先などない。歩道を遮れば走って逃げることすら不可能になるからだ。
 しかし。そんな常識レベルの思考など投げて捨てる。
「ア、アァアアアアア!!」
 声を張り上げて、愛華と司、オーフェがバスを担ぐ。その姿に、周囲の人々が響めく。普通では見られない光景であるが故に当たり前であった。さすがに大型バスは人々を載せれば十五トン近くになるため、怪力無双を利用しようとも不可能だが、マイクロバス程度であるならばぎりぎり可能だった。ただ多くの人は載せられない。ぎりぎり三十人程度を運ぶのが限界だが、それでも一人でそれだけの人数を担いで行けるのは大きい。二、三台あれば十分だ。
 そんな様子を見て、自分たちも乗せろなどと曰う健常者もいた。
「って、お前たちは大丈夫だろが! 走って逃げろ、甘えんな!!」
 しかし、憩が一喝する。四の五の言っている暇はないのだ。無駄口を叩く暇があるのならば走るしかない。
 斯くの如くして、避難は順調に進んでいた。

 一方。飛来した竜は、不気味な声を上げる。人意を介さない不可思議な音。ただ、かの敵が何を考えているかは理解できる。分かるが故にランジ・シャト(舞い爆ぜる瞬炎・e15793)の顔は嫌悪に歪む。
(「ほんっと、分かりやすいクズよね」)
 虐殺を愉しむ。まるで蟻を潰すように人を殺し、それを見て笑うように。カハ、と。竜の吐き出す吐息は瘴気を纏っている。
「行くわよ。私たちは盾であり、剣でもある。アレを――殺して止めるのよ」
「はい、退治しましょう。モードドラゴンハント・オープンコンバット」
 ドロレス・ハインツ(純潔の城塞・e00922)がマインドリングで剣を顕現させ、ミオリ・ノウムカストゥルム(銀のテスタメント・e00629)も応えるようにアームドフォートの銃口をジャバウォックへと向ける。
 ケルベロスたちの戦意を理解したのだろう。ジャバウォックは口の端をニタリと歪めると、口をカパリと開けて濃密な毒息を吹き付けてきた。
 狙いは後衛だ。半数を後ろに配置していた以上、数の多いところから薙ぎ払おうとしてくるのは当然である。
 散開しようとするが、広範囲に的確に撒き散らしてくる。アシュヴィンとランジがドロレスとラームスを庇うが、人数差もあってすべての面々を庇いきれない。結果として、前衛と後衛で分かれて毒に侵されてしまった。
 すぐさまドロレスはより傷の深いアシュヴィンへマインドリングから生み出したエネルギーの盾で毒霧を遮り、傷ついた臓腑を癒す。サーヴァントのウィングキャットには、羽ばたいてもらって後衛の邪気を払う。多数の人数がいたにも拘らず、ほぼ全員が毒に侵されていた以上は回復に専念せざるを得ない。毒のブレスそのものに威力がさほどないのがせめてもの救いかと、ラームスも考察しながら薬瓶を取り出す。ドルイドとしての魔力を込めれば、薬瓶の蓋が飛んで薬液が雨のごとく降り注ぐ。それでもまだ毒に侵されている者も多い。ミオリが毒に対抗すべく、ゾディアックソードで守護陣を描いて味方を援護する。ランジと瑞樹もまた同じく毒への耐性を付けるために守護の力を振るう。
 しかしただ守るだけでは勝てそうにないと判断し、ハウスィが攻撃を仕掛ける。両手に構えたガトリングガンを掃射する。身を翻すジャバウォックであったが面制圧としてばらまかれた弾丸を避けるのは容易でなかったらしく、弾痕にわずかながらも傷を付けられる。好機とばかりにミュシカがエアーシューズから突風を噴出させつつ流星のごとく蹴りを放つが、ジャバウォックはあっさりと回避する。立て続けに一太がバスターライフルからエネルギー弾を連射するが、その尾を振り回して弾き飛ばす。一太と唯覇の放つ鎖には囚われるが引き千切り痛痒も感じていない。ほんのわずかに動きが鈍っているが、誤差という領域にすら至っていない。
 二度目ジャバウォックは前衛へと毒を吐き散らす。全てへと毒を撒き、こちらをジワジワと苦しめる算段だろうか。させじとミオリが今度は前衛へと守護陣を描き、ランジは鉄塊剣を振って載せたグラビティで癒す。ドロレスもラームスも瑞樹も、行動を治癒へと傾ける。
 散発的にハウスィとアシュヴィンの攻撃が命中するも、堪える様子が全くない。
 戦いの火蓋は切って落とされたばかり。ケルベロスたちはジャバウォックに抗するべく武器を向ける。

●バンダースナッチ――努努忘るるな、其は災禍の具現なり
 毒を治そうとする魂胆を嫌ったか、ジャバウォックは執拗にミオリを狙い始めた。何よりも幼いであろうということを悟ったか、その顎をこれでもかと開き強酸の滴る牙で噛み付く。
 庇おうとするメアリベルの動きより早く、その毒牙はミオリを捕らえ噛み千切る。
「くぅッ……!」
 苦悶の表情のまま膝を付いてしまう。もう一時も余裕はない。慌てて回復しようとするも、意味不明の咆哮を上げてきた。脳を揺さぶるような動きに、後衛陣の動きが鈍ると再び毒息を撒き散らしてくる。ついにミオリは毒に耐え切れず倒れてしまった。
 強い。恐ろしいまでに強い。ケタケタと笑うように飛び跳ねながら、ハウスィと唯覇が放ってくるグラビティの弾幕を前にまったく屈しない。
 吐き出す猛毒の吐息はあっという間に味方の体力を奪っていく。治療をするドロレス、瑞樹、ラームスが一気に倒れれば、戦線は即座に崩壊する。可能な限り、メアリベル、アシュヴィンとランジは彼らを庇うが、その分だけ毒の巡りも早い。メディックがひたすらキュアを掛け続け、ジャマーの二人が毒への耐性を高めてすら追い付かないほどの毒量。
 さらに、三分と経過しない内に倒れる者が続く。毒を浴び続ける羽目になっていた唯覇、ラームスが一度に倒れた。ハウスィもかなり危険な状態ではあったが、辛うじて毒ブレスによる直接的な威力をグラビティで軽減していたため、後数手は持ちそうだった。
 だが、確実に追い込まれている事実に、一太は歯噛みする。道化のように無駄に動き回ったり遊んでいるかのような挙動を見せるが、攻撃対象を選ぶ目だけは確かだ。牙に至っては守勢に回るか対策でもしていなければ、一撃で倒れかねない。
「これほどとは。さすがに十一人では厳しかったか……」
 アシュヴィンも端正な顔を歪めて、現状の拙さを把握する。瓦解まで近い。
 ミュシカのチェーンソーがジャバウォックに届き、大きく翼を切り裂くがそれでもなお余裕を失った様子がまったく見られない。そもそも攻撃の大半を回避され、これが初めての有効打ですらあるという事実。
 ハウスィの攻撃も当たりはしているが、ジャバウォックはわずかに鬱陶しがるだけだ。ある程度、仲間内で狙いを付けやすくするために敵の行動を阻害すると共通していれば、この頃になって効果が出始めて少しは違ったかもしれない。
 そして、ついに。ジャバウォックの牙がメアリベルを捉えた。
「k∮Щy+mιtβ!!」
 複雑怪奇な哄笑を上げてジャバウォックが喝采する。ドロリと広がる血の味に悦び、それを嚥下すると、今度は牙に力を込める。子供の柔らかな肉を両断しようと。
 それは悲劇の日の再現のようで。
「う、ぐぅっ……マ、マ」
 手を伸ばしたメアリベルへ、ビハインドもまた手を伸ばす。しかし、それでメアリベルも彼女のママも限界だった。スッと音もなく影に溶けるようにママが消える。
 カラン、と。音を立てて斧も落ちる。
 遊戯はまだ終わらない。悲劇を肴に、ジャバウォックは懐かしい味を堪能しようと顎を閉め――。
「させるかぁ!」
 そのままメアリベルを噛み砕こうとするジャバウォックへ、一太がチェーンソーを振り上げて飛び掛かる。同時にミュシカもエアシューズで蹴り穿つ。仲間を失うまいという気迫は、ジャバウォックの頭蓋を捉えて脳を揺さぶった。堪らずと口中のメアリベルを離し、距離をとった。
 しかし、駄賃替わりと再び怪音の雄叫びをあげた。これに耐え切れず、ハウスィが膝を付く。
「ぐぅっ……ハウスィもそろそろ限界かなぁ……」
 躊躇うことなく、ハウスィは信号弾を五発打ち上げると倒れ込んだ。

 時間はわずかに遡る。
 足止め班が死闘を繰り広げている頃、ジャバウォックの毒は市街地に満たされ始めていた。もう一キロ圏内の大半が毒に侵されているだろう。それでも避難は完了しきっていない。
「げほげほっ……!」
 わずかに領域に追いつかれた人が咳き込んだまま動けなくなる。子供たちを率先して逃がしていた保育士たちが、ぎりぎりまで逃げ遅れた園児がいないかを探していたようである。領域からの脱出まで残り数百メートルほどの地点だ。
「いけないっ!」
 すぐさま近くにいたシャオフー・リー(ドワーフの降魔拳士・e14065)が駆け寄ると光の魔法陣を描く。一人だけでなく、結構な人数が苦しんでいる。ここは一気に治癒する必要があるだろう。何とか近寄ってもらって、白虎の力を宿し毒を払う。
「ダメだ、僕一人じゃ間に合わない」
 癒しの力を与え続けるので限界だ。二人を担いで離脱するにしても、他の人を置いていくわけにはいかない。すぐに通信機で近くのケルベロスを呼ぶ。反応したのは同じ北側にいた焔だった。
「これは担いでいかないと不味いね。走る体力なんて残ってないでしょ?」
 シャオフーの隣に並んで攻性植物から果実を生み出しながら保育士に聞くと、弱々しく頷いた。すぐさまシャオフーも状況を理解して小さな体で二人を担ぐ。焔もまた二人を担いで何とか急ぎ領域から離脱していく。
 そんな時に、信号弾が五発打ち上がるのを二人は見たが、成す術はない。他の者に期待して、自分たちは己の職務を全うするべく全力で移動を開始した。
 信号弾が上がった時、ルインはやや遠くに、ウィリアム・バーグマン(地球人のガンマン・e05709)は襲撃地点の目と鼻の先に居た。ルインのいた西側は要救助者が多く、五分程度で引き上げるつもりだったが予定していたよりわずかに時間がオーバーしてしまった。しかし、ウィリアムのいた東側はそこまで要となる施設が多くなかった。残りは遅れている人がいないかを確認する段階に移っていたため、急ぎ戻っていたのだ。
(「やはり、危ういか!」)
 まだジャバウォックの襲撃があって七分程度しか経っていない。だが、ウィリアムの確認した信号弾の数は五。五人は倒れていると言うのだ。もしかしたら庇える味方が全滅している可能性も危惧し、全速で現場へと向かう。
 たどり着いた時、ミシュカはすでに倒れていた。次の標的は一太に決めているのか、しつこく噛み付こうと襲い掛かっている。
「お前に、命に干渉する重さを教えてやる!」
 何とかその間にウィリアムが割り込んで、毒牙から身を呈して庇う。激痛が走るが、それよりも怒りが勝り、チェーンソーを叩きつけた。距離を取るジャバウォックを尻目に、残っていたケルベロスたちも体勢を整え直したところで、ルインもまた到着する。ほぼ間を置かず、信号弾を見たジンとレイも到着する。
(「チッ、こっちはすでにボロボロか」)
 現状を見て、レイが心中で悪態を吐く。元々足止め班だった者たちは、毒と麻痺ですでに満身創痍だ。唯一まだ何とかまともに動けそうなのは、ドロレスと瑞樹のただ二人だった。
 一分の内に、怪音波と毒でドロレスと瑞樹を除く元々の足止め班が全滅する。六体一というとてつもなく危険な状態に置かれるかと思った直後、信号弾から危機的状況を察知して、憩、ノイア、司、ノア、タタン、命の六名が辿り着く。
「よう、タタン。来たか。こいつぁ、骨が折れそうな仕事だぜ?」
「ダイジョブ、ダイジョブ! タタンが来たからカナボーですよ! どんとこい!」
 互いを鼓舞する憩とタタン。目の前に立つ怪物は、まだ健在であることが伺える。何としてでもここで攻め切る必要がある。
 それでも、十二対一。抑え込むことはできるであろうが、倒しきれるか。そんな疑問がドロレスの胸中に湧き上がる。しかし、首を振り不安を払拭すると、再びジャバウォックと相対する。

 振り回されるジャバウォックの尾と爪をウィリアムは、具現化したオーラを纏って弾く。隙を見てチェーンソー剣を振るうが容易く回避すると、毒の息を吐いてくる。
「徹頭徹尾、毒毒毒、厄介ですよ!」
 何度でも吐かれる毒に、ドロレスがうんざりしながらマインドリングへ力を込める。サーヴァントと共に癒すが、ここまでのものならば複数を一度に癒す手段でも持って来れば良かったかもしれない。今言おうとも詮無きことではあるのだが、そう思わざるを得ない状況だ。
 戦況は先程までと同じく硬直状態――否、真綿で首を絞めるかのごとくじわりと苦しめてくる。
「げっほ、ごふっ、いやいや、これはキツ過ぎっすねぇ」
 毒に侵されつつルイン。それでもバスターライフルで氷結光線を放ち、的確にジャバウォックへと命中させる。まとわり付く氷は砕けると、ジャバウォックの身体を傷付けていく。少し違うのは今までの戦いで受けていた縛鎖の攻撃による影響か心持ち動きが鈍くなっている点か。ほんの少しだけ最初期よりは有利に戦えている。
 しかし、なかなか有効打が決めきれない。スルスルと舞うような動きで、気付けば攻撃を避けられているのだ。
 当然、毒と麻痺への対策は命がしている。紙兵を撒き散らして人形にする。代わりに燃え尽き毒に対して耐性を得るが――それを見るや否やジャバウォックが集中して命を狙うようになってきた。ジャバウォックの毒牙を何とかウィリアムが庇って、事なきを得るが、代わりにウィリアムが満身創痍だ。
「おりゃぁあああ!」
 竜の翼で飛び回りながら、レイが鋭い蹴りを放つが図体が大きい癖に、ジャバウォックは難なくその動きを見切る。ケタケタとこちらを嘲笑いながら、咆哮を上げる。
「グッ……!」
 ツ、と司の耳から血が流れ落ち、三半規管を揺らされたか視界がグラグラする。まともに立っていることもできず体が麻痺したように感じる。
「効くなァ、タタン、無事か!」
「うー、きついかもです……」
 憩とタタンの二人も足を止めざるを得なかった。何とかタタンのミミック――ジョナがジャバウォックに噛み付くが無視するかのように、命を狙って牙を剥く。前衛にまで毒と麻痺の耐性を付与できたが、ついには庇い切れずに牙の餌食となってしまった。
 やはり、十二人では場を持たせるのが限界に近く、敵へ痛打を与えられそうにない。ノイア、ルイン、ノアの三人が懸命に攻撃を続けるが、足を止めきる前にジャバウォックが周囲の毒を吸収して回復した。これで振り出しに戻ったも同然だ。
 完全にジリ貧になっている。十五分という時は、避難にあっては須臾の如く、闘争においては永遠の如くあった。
 すぐにでも救助に残っている九人がこちらに来れば、趨勢は傾く可能性がある。しかし、まだ十五分は経っていない。十分は経ったと思うが、現状は分からない。まだ来ないということは、救助がまだ残っているということなのだろう。
 そういうことならばと、ウィリアムは傷を圧して立ち上がる。まだ倒れるわけにはいかない、と。
 憩もタタンも率先して敵の攻撃が癒し手に行かないように尽力する。命の残した紙兵により辛うじて毒とは拮抗できているが、積み重なってくる直接的な毒が身体を蝕む。
 必死と瑞樹も黄道十二宮の守護で毒を防ぐ。これでかなり毒に侵される確率は下がったが、こちらからの攻撃がなかなか届かない。
 だが、諦めるわけにはいかない。ジャバウォックを完膚なきまでに倒す。その一念を以てケルベロスたちは尚屈しない大敵に折れることなく立ち向かう。
「ウォオオオオオ!!」
 ジンがジャバウォック目掛けて突貫し雷撃を浴びせる。わずかに動きを止めたかに見えたが、まだ一手は足りず。
 襲いかかったレイの蹴りが決まるが、それでも倒れる気配はない。ノイアも、ノアもエアシューズから突風を放出して流星のごとく蹴り穿つ。捉えてノイアの放った一発は鋭く決まり、ジャバウォックがわずかに呻き声を上げた。だが、まだまだ健在で返礼とばかりに毒の吐息を撒き散らす。その毒霧の勢いを防ぐべくウィリアムが立ち塞がるが、ついに限界に達して倒れた。ドロレスと瑞樹への影響はタタンとジョナが替わり、被害を出来うる限り抑える。憩とタタンもそろそろ無視でき得ぬほどに傷付き始めているが、倒れるわけにはいかないと気力で立ち塞がる。
 その二人に応えるべく、攻撃の手を緩めず、ひたすらジャバウォックへと火線を集中させる。それでいてなお、ジャバウォックは満身創痍から遠い。
 息を切らしながら、ジンが強大な敵を睨む。誰も彼も、必死にジャバウォックへと食らいつく。死闘は今尚続けられる。 

●ハンプティ・ダンプティ――時は還らず、而して選びし道は奇跡に至り
 そろそろ毒が満ちるまで残り一分にも満たない時間。バスの中へ入り切らず見送ることにした僅かな人々を、オーフェと愛華は担いで走っていた。これが最後の三人だ。
「大丈夫だよ、もうすぐ、もうすぐ着くから」
 愛華の言葉にもぐったりとしたままだが、わずかに背中に呼気を感じる。それが潰えないように急ぐ。
「後少しの辛抱です。意識をしっかり保ってください」
 二人とも背負った患者にヒールを掛け続けながらひた走る。毒の領域に犯されても、寸でのところでその力が患者の命を繋ぎ止めていた。何とか領域外まで辿り着くとすぐに医師へと引き渡し、とりあえず領域外へと脱出し避難を続行している人々の様子を観察する。
 もしかしたら、助けを要する人が残っている可能性――別の所で避難しているはずの家族が見つからない、そんな可能性を危惧して。
 そして、リュセフィーの元へ焦った様子で保育士と、女性がやってくる。
「そ、それは本当ですか!?」
 内容を聞いて、リュセフィーが驚きの声を上げる。聞くと、子供が三人いないと言うことらしい。近くにいたリヴァーレに問うても見掛けていないとの答えが返ってきて、母親と思しき女性が泣き崩れた。
 その刹那、リュセフィー、シャオフーは毒の領域へと弾かれたように舞い戻る。
「ッ、その子たちがどの辺りではぐれたか、検討はつかないでしょうか?」
 逸る気持ちを抑えて、ピジョンが冷静に保育士から話を聴く。避難の途中まではいたということらしい。保育園の名前を聞いて、予め決めておいた避難ルートと照合する。
「最後まで救助に残る、って言ってたヤツは誰がいた?」
「さっき飛び出していった二人と、戻ってきたばかりのオーフェさん、愛華さん。残りは……焰さん、メイリーンさん、フェルさんがまだ内部で捜索していそうですね」
 リヴァーレの問いに、ピジョンが答える。
「すぐに連絡を取ってやれ。近いのが誰かいるはずだ。俺も急いで向かう!」
 ピジョンへとそう告げると、リヴァーレも駆け出す。頷いたピジョンはすぐさま無線機で救助活動を続けているであろう面々へ連絡を入れる。

 すでに毒の領域は満ちている。フェルはセットした自分のアラームの音でそれを悟った。
 しかし、まだ逃げ遅れている人が居る可能性もある。ギリギリ限界の時間は残り五分。残っている人々はいないか。空を飛んで目を皿のようにして探す。
 そんな折、ピジョンから無線で連絡が届く。
『逃げ遅れている人がいるらしいです』
「真でござるか!?」
『えぇ、時間一杯まで確認をお願いします。近くにメイリーンさんもいるようです。リュセフィーさんも交えて三人は手分けして空から捜索して下さい。僕を含めた残りの六人は地上から探します』
「相分かった」
 通信を切るとすぐさま捜索を再開する。
 そして、一分も経たない内にメイリーンから連絡が飛ぶ。
『見つけたアル! 全部で三人いるアル!』
『場所は何処ですか!?』
『地下鉄の駅からさらに二百メートルほど南下した場所ネ! 写真で送るアルヨ!』
 すぐさまオーフェはアイズフォンで情報を受け取ると、その場へ急行し発見した子どもたちへヒールを掛ける。だが、状態は良くない。残り時間はほんの僅か。すぐにでも、この場から連れ出す必要があるだろうが間に合うか。
「空……もし毒の領域が球状なら、空から最短距離で向かえばぎりぎり抜けられるかもしれませんわ」
 オーフェが演算したところに、ちょうどフェルとリュセフィー、シャオフー、焔が辿り着く。シャオフーが気力を送り一番体が小さく体力のなさそうな子どもへヒールを掛ける。合わせるように全員でヒールを掛けて、空を飛べるリュセフィー、メイリーン、フェルが担いで空を駆ける。たどり着いた地上の面々も遠距離からヒールで毒を払って脱出までの時間を稼ぐ。
 襲撃から、ぎりぎり十五分。残りわずかでも遅れれば命に支障を来たしたであろう。そんなタイミングで、市民全員の救助が完了した。

 最後まで救助に残っていた九人がついにジャバウォックの元へと着く。十五分という長時間、ひたすら強敵に耐え忍んだケルベロスたちだったが、すでに勝利は絶望的だった。倒れている人数は十三人。九人がたどり着いた瞬間に、毒で後衛四人が倒れた。
 十三対一。敵が満身創痍であれば勝機はあろうが、周囲の毒を吸収したかジャバウォックの傷がみるみる内に癒えていく。勝ちの目は薄い。
(「敗因は――戦力の逐次投入アルね。八割でも救出に成功していれば、避難としては成功だったアルか……」)
 メイリーンが苦々しげに考察する。単に救出に人手を割き過ぎた。
 強大な敵相手にこちらの戦力を一気にぶつけなければ、この戦いだけで倒しきるなど到底できはしない。しかし、すべての人々を救うまで粘るとするのならば、そうせざるを得ない。故に余すことなく救うとなると、撃破はもはや不可能なまでに近しい。途中で、それこそ信号弾が上がったタイミングで、最小限の避難要員に留めてほぼ全員がタイミングを合わせて加勢すれば勝機はまだあった。もちろん、そうすれば掬いきれずに零れ落ちた命はあっただろう。
 そして、そここそが分水嶺だった。
 だが。だが、それでも。決めたのだ。すべてを救うと。
「アハ、アハハハ! 台無し! 何もかもが台無しよ! ジャバウォック!」
 手に持つ巨大な斧を杖変わりに、倒れていたメアリベルが立ち上がる。そう、敵の目論見は失敗している。その言葉に、不快という想いを理解するに足る唸り声をジャバウォックは漏らした。
 立ち上がるメアリベルの足に力はない。斧に身を預けて幽鬼のごとくふらつくだけに過ぎない。もし、ここでジャバウォックが押し通ると決めたのならば、もう止める手段はない。
 いや、ある。たった一つだけ。満身創痍のケルベロスの少女にできる術は一つしかない。
「それでも――これ以上進むなら、メアリのぜーんぶを賭けるわ」
 憎悪と一緒に失った。楽しさの感情以外は捨て去った。
 でも、大切な人たちを再び失うくらいならば、わずかに残った理性も心もすべて捨て去る。残された感情さえも捨て去って、力に飲まれ堕ちて。ただ一個の暴力装置と化してでもアレを止める。
「メアリベル、一人にそんなことはさせるか……」
「そうだ、ジャバウォック、この地を汚した貴様を殺すためならば!」
 アシュヴィンが、唯覇が、身体の無茶を圧してでも立ち上がる。力を使い果たせば無事に済むかどうかすらも分からない。それでも。
「――兄貴分、みたいなもんなんでね。一人で行かせるわきゃないだろ」
「ハッ、アンタたちだけに良い格好させる訳なんてないでしょ?」
 一太も、ランジも。殺す気で来るのならば、こちらもすべてを投げ打って迎え撃つ。
 闘志を胸に立ち上がる者、決意を胸に立ち塞がる者。ケルベロスたちに不退転の覚悟が点る。来るのならば、命を、心を捨ててでも殺しきる。絶体絶命とあらば、すべてを捨て去る覚悟。
 そんな執念を理解したのか――はたまた、単に目的が達成されることは終ぞ皆無だと悟ったからか。忌々しげにケルベロスたちを眺めていたジャバウォックは来た時と同様、唐突に遥か上空へと舞い上がり、東の方角へと飛び去っていった。
 突如とも言える撤退にケルベロスたちは武器を下ろす。脅威は去った。ならば暴走してまで戦う必要性もない。戦いの幕はようやく下りた。

 勝敗は兵家の常である。戦いという観点では確かにケルベロスたちはジャバウォックを撃破できず敗北した。依頼の観点から見れば失敗である。しかし、大局的視点で見れば、これは勝利とも取れる。ジャバウォックの目的は達成されず、しかも一般人の被害者は一人としていない。ケルベロスたちは意義を戦以外に見出して、それを完全無欠に成し遂げた。比較的大規模なデウスエクス襲来で人的被害がゼロという事実は、それだけで人類史において奇跡とも言える偉業なのだから。

 仙台市災竜騒乱と呼ばれるこの戦い。
 ただ一人の犠牲もなく。
 故に、奇跡の一戦と謳われる。
 

作者:屍衰 重傷:ミオリ・ノウムカストゥルム(銀のテスタメント・e00629) ウィリアム・バーグマン(地球人のガンマン・e05709) メアリベル・マリス(グースハンプス・e05959) 
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年4月6日
難度:やや難
参加:30人
結果:失敗…
得票:格好よかった 31/感動した 63/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 10
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