かすみがうら事変～『鎖なき獣』ジン

■リプレイ

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「これは……、植物の力は凄いですね」
　街が密林になるなんて、というカルナ・ロッシュ（彷徨える霧雨・e05112）の言葉は決して大げさではない。壁を蔦と葉が埋め、アスファルトを突き破った木々が生い茂って影を落とす。広がっているのは、ジャングルにも近い光景だった。
「のんびり森林浴、とはいかないのが残念……と、大丈夫ですか」
　見通しは悪いが、すぐ近くにも数人が蔦に囚われ、倒れている。その一人に駆け寄って力任せに蔦を引きちぎったカルナは、息がある、と僅かに表情を緩めた。
「ひとまず手近な建物に運び込もう」
　そう一声くれて、サニーレイド・ディルクレディア（因果断ち・e02909）もまた、力が入らぬ様子の女性を担ぐ。
「さあ、しっかりするんだ。こんな所で死ぬ事はない」
　屋外の、体力の弱っていそうな者から順番に。この付近の全員を今すぐ助けたいところだが、ヘリオライダーの予見は、彼女らにそれほどの余裕を許さない。だから、サニーレイド達は戦場になるだろう一帯の被害者を優先して救助している。
（「許せないよね。こんな事で大勢が死ぬなんて」）
　絶花・頼犬（心殺し・e00301）の胸の内には、強い憤りが渦巻いている。けれど、それを少年少女達よりも少しばかり長い人生経験で押さえつけ、彼はただにこりと微笑んでみせた。
「大丈夫ですか？　もう安全ですよ」
　憔悴した老人へと柔らかく声をかけ、巻きついた枝葉を払っていく。落ち着いた対処。頼犬が焦っていると気づく者はいないだろう。
（「――助けなきゃ」）
　そう、焦っていたのだ。これ以上、誰一人死なせない――嫌悪感にも似たその思いに背を押されて。
「手伝ってあげて、成親」
　月織・宿利（ツクヨミ・e01366）の傍らに控えたオルトロスは柴犬程度の体躯、複雑な命令も解しないが、それでも子供を背に乗せて運ぶ程度はできよう。彼女もまた、一刻も早く、という思いに身を焦がしていた。
　だが、彼女自身は救助を手伝わない――どれほど望んでも。代わりに、繁華街というにはあまりに鬱蒼とした森林をじっと監視するのだ。
　来る。『敵』がもうすぐ、木々に紛れて。
　攻性植物の強襲を危ぶみ、彼女らは救助の手を遅らせてでも警戒に力を注いでいたのだから。
「奴は、何処から来ると思う」
「判らないわ。出来る事をやるしかない。後悔のない様に」
　隣で別方向を監視する皇・絶華（影月・e04491）が、視線を外さぬまま宿利に問うた。それは繰り返した問い。だから、呼笛を摘む彼女の答えもまた同じ。
　それでも、出来る手は全て打ったつもりだ。例えば、彼らが陣取ったのは診療所前。最も守るべき人達が居る、という絶華の意見が容れられての選択である。
　だが、まだ。まだ足りない。
（「予測しろ……何処だ、何処から来る？」）
　少年の瞳が、鋭さを増していく。

「安心して頂戴、絶対全員助けてみせる。大丈夫！」
　頬を両手でぺちん、と叩き、気合を入れて。何があっても慌てないでね、と宥めて回っていた鎧塚・纏（センチメンタルスクラップ・e03001）は、殊更安心させる様に常にない大声を張り上げた。
　ボリュームたっぷりの髪を束ねる苺色のリボンにそっと触れる。蘇るのは陽の匂いのする笑顔。ええ、と自分自身を鼓舞し、纏は人々を屋内に運び込む。
　だが、その時。
「――来やがったぜ」
　木々の揺れを、攻性植物の脈動を。見逃すまいと目を凝らしていた菅・五郎左衛門（オラトリオのウィッチドクター・e16749）が、鋭く誰何の声を上げる。
「何モンだ、って決まってるよな！」
　森の中から飛び出してきたそれは、全身を蔦と枝葉に覆われた巨体。見紛う事なき攻性植物――ジンが現れた刹那、彼らの耳朶を白神・楓（魔術狩猟者・e01132）の呼笛が打ち、その後に甘やかな声が響く。
「来た、左手の方！」
　喧騒を貫いて届いた纏の警告。反応した宿利達が討って出るのを視界に認めた五郎左衛門が、地面に鎖を走らせ魔力の紋を描く。
「ガキには理解できないだろうがな、やらかした事には責任が付き纏うのさ」
　利用されただけと知っていて、彼に哀れみの色はない。仲間達に守護を与え、次なる一手を紡ぐ。それだけだ。
「最後の授業だ、社会の厳しさを体験させてやれ」
「同感だね、植物野郎にはさっさと退場して貰うよ」
　一先ず避難が済んだとみて、彼の横を駆け抜ける楓。袖口からぞぶりと溢れ出た黒い物質が、鎌首をもたげ敵へと喰らいついた。
「まさかこんな事になるなんて、想像していなかったよ」
　オーズとの関連を調査していた彼女にして、こうも大規模な事件は想定外。事前に判明していなかったらと思えば肝が冷えるばかりだ。
「何をしようとしているかは知らないけど、止めさせてもらう」
　だが、彼女らは此処に居る。ならば、後は戦うだけの事だった。

●
「成親！」
　ただ一人の家族の名を呼ばわりながら、宿利が斬り込んだ。否、此度の得物は得意とする刀ではなく、白い縛霊手でもなく、摩擦で足に纏った紅蓮の炎。
「もう、人の原型を留めていないね」
　そうまでして力が欲しかったの、と呟いてから、その問いの滑稽さに気づく。欲しいに決まっている。――他ならぬ、この私自身が。
　右腕のあの傷は、もう消えないのだから。けれど。けれど。
「でも、私は……！」
「――大きすぎる力を得たって、何にもならないのに」
　はっ、と振り向いた。宿利の耳に届いた、頼犬の微かな呟き。時に明るく、特に優しげに救助に励んでいた青年の顔に今浮かぶのは、どこか平板さを感じる無表情。だがそれは一瞬。すぐに、彼の声色には哀れみが滲む。
「眠らせてあげよう。誰かを傷つけてしまう前に」
　符を宙に撒く頼犬。呪言が風に舞うそれに霊力を与え、守護の紙兵となって周囲の仲間達に付き従わせた。
　ケルベロス達の猛攻。だがジンは痛みを感じた様子もなく、太い蔦を振り回して前衛達を薙ぎ払う。
「流石は『あいつ』の嫌がらせか、面倒な！」
　そう吐き捨てて、絶華は刃の据えられた横柄を握りこむ。カタールともジャマダハルとも呼ばれるその武器は、デウスエクスの亡骸より生まれた刃を用いた物だ。
　ぐん、と加速して、すれ違いざまに一閃。武門の鍛錬が齎した熟達の斬撃が、両断した枝の断面を凍てつかせて。
　次の瞬間、むせ返る森の匂いが彼の鼻腔と思考とを刺激する。
「エインヘリアルと攻性植物は敵対していたのではなかったのか？」
　絶華の脳裏にふと浮かんだ疑問。だが、今はそれどころではないと、彼は頭から追い払うのだ。

「俺の力だ！　誰にも止められない！」
「そんなの、鎖が外れた唯の野犬よ」
　怒号。対峙する纏。大回りで滑走し、速度を上げる。正面衝突コース。だがその直前、ぐん、と彼女は跳ねた。
「その飢え、満たしてあげる」
　――さぁ来い、駄犬。
　迎え討たんとするジンに、流星の様な蹴りが突き刺さる。ばきばきばき、と派手に生木を裂く音が戦場に響いた。
「これだから糞餓鬼は嫌いなんだ」
　舌打ちせんばかりの五郎左衛門がまた鎖を放てば、じゃらりと這って円陣を成す。魔力が癒しへと変換され、傷ついた者達に注がれていった。
「世界の拡がりに心踊らせて、じっとしてられなくてヘマしちまって、そうして成長するもんなんだよ、子供ってのは」
　未来ある若者『だった』のだ。だからこそ、安易な力に溺れデウスエクスと化したジンを、彼は『糞餓鬼』と一刀両断した。
「最初から狭い世界でステゴロだけしてようなんざ、阿呆らしくて反吐が出る」
　殴りつけりゃ万事順調なんて、そんな都合のいい話があるもんか――そう吐き捨てる五郎左衛門に、サニーレイドもまた頷くばかり。
「自分の力ならともかく、所詮借り物の力でいい気になって、弱いヤツ相手に見せびらかして」
　未だうら若い女性であるサニーレイドだが、戦場に在る彼女は刃の如し。常に戦いの中に身を置いてきた彼女にとって、他人の力を誇るジンの姿など玩具を振り回す小児にも等しい。
「本当の力を見せてやる――我が身は一振りの刃なれば」
　その時、サニーレイドを取り巻く空気が変わった。いや、彼女の動きはむしろ無造作とも言えるもの。だが、何千と振り続けた得物はいまや彼女の一部となり、何万と繰り返した所作は最早奥義の域に昇華する。
「――これを通すは意を通すなり」
　直線の斬撃がジンに殺到し、巨体の動きを押し留めた。次の瞬間、動きを止めるのを待っていたかの様に、輝ける流星が降り注ぐ。
「ほらほら、どこ見てんのさ！」
　それは上空に高く舞った楓。しなやかな四肢を伸ばし勢いをつけた銀狼は、踵落としの格好でジンの頭部に強烈な一撃を叩き込んだ。
「どうせなら迷惑にならないやり方で自己主張しなよ、植物野郎。そうしたら、写真を撮ってサンプルを集めて、たっぷり研究してあげるのに」
「なるほど、確かに興味深いですからね」
　同じ銀髪翠眼の同僚に惚けた相槌を打つ、浮世離れした雰囲気のカルナ。だが、この少年は見かけ程頼りなくはない。マイペースには違いないのだが――。
「貴方の動きは見切りました。おいでなさい、相手をしてあげます」
　のんびりとした口調はそのままに、砲門をジンへと向けた。余りの重量故に胴に固定せざるを得なかった砲筒が赤熱していく。
　そして。
「終焉を教えてあげましょう」
　戦場を圧する咆哮と共に、空間を埋め尽くす業火が解き放たれた。

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　確かにジンは強かった。
　だが、御せない力に意味はない。事実、彼らは一人も欠ける事無く、敵を追い詰めていたのだ。
「花よ血る血る――癒すは躰」
　普段と変わらぬ声色に聞こえど、頼犬が紡ぐ呪には力が篭っている。ましてや、それが絶花の一門秘伝の奥義であるならば尚更だ。暗殺の一族にあって人を癒す奥義を示す椿の花弁が、纏の周囲にひらひらと散り、流れる血を吸って赤を増した。
（「戦うのは好きなんだけどなぁ」）
　密やかに苦笑を漏らす。生き死にを避ける性なれど、武術そのものは好きだ。だが頼犬が、後方に在って人を癒す事に喜びを感じているのも確か。
　彼の思いはともかく、治癒役の援護は厚い。後背を支えてくれる仲間――その存在は前衛陣にとって何よりも有利な条件と言えた。
「癒すだけが後衛とは思われたくないな」
　廃墟の宿の同居人に張り合って嘯いた楓が、突き出した掌を大きく広げた。
　奇怪なるリズムの高速詠唱。
　急速に高まっていく熱。
　それはやがて火球となり、そして劫火纏う竜の幻影となる。ああ、それこそが鹵獲術士の真骨頂。最強の敵より奪いし幻術。
「――植物野郎には火を放て、ってね」
　解き放て炎。幻影の吐息がジンに襲い掛かり、紅蓮の花を咲かせた。
「勝つのは……俺だ！」
「ハ、何言ってやがる。都合の悪いモンは全部遮断して、己の得しか見てこなかったくせに」
　吼えるジン、だが五郎左衛門はその心根を喝破する。戦いを好むと呼ぶ事すらおこがましい。箱庭で最強に酔った愚か者に、勝利を謳う資格はなかろう。
「まあ大サービスだ、悪戯のケツは拭いといてやる」
　攻め時と見て攻撃に参加する五郎左衛門。目にも留まらぬ速さで放たれた飛礫が、唯一生身を露出させていた額を割る。
「授業は終いだ、とっとと還れ」
　ぐらり、揺らぐジンの体。踏み止まるも、もう余力など無いだろう事は誰の目にも明らかだった。止めを刺すべくカルナが近寄っていく。
　だが、その時。
「オーズの種よ――」
　ジンが叫ぶ。まだ俺は負けていない、そう言わんばかりに。
「――俺に力を寄越せ！」
　どくん、と彼の身体が脈打った。急速に回復していく傷。ああ、その力は何処から齎されたのか。
「こんな形で、グラビティ・チェインを搾り取るなんて……！」
　悲痛な声を漏らす宿利。だが、治癒は半ばにして止まる。何故だ、と怒りを露にするジンに、彼女は白き縛霊手を突きつける。
「一人でも多くの人を……出来るなら全員を助ける。それが、私達のやるべき事だもの」
　警戒に手を割きながらも数十人以上は救助した筈だ。その分生贄が足りなかったのだろうと予測は出来る。
　ならば誇れ、彼女らの献身は報われた。例え、敵の奥の手を弱らせた事よりも、まだ救えていない人が居る事を気にかける彼女らだとしても。
「だから、戦うよ」
　渾身の力を乗せた宿利の一撃。反撃とばかりにジンが太い蔦を振り回し、前衛達を打ち据える。
「残念です……効きませんよ、その程度の攻撃は」
　魔導書で器用に蔦をいなし、そう言ってのけるカルナ。挑発半分ではあったが、しかしそれは彼の本心でもあった。
　負ける道理などない。こんな、力に溺れた者等に。
「こんな植物怪人の姿になって嬉しいですか」
　たん、と軽く地を蹴って、ふわりカルナは浮き上がる。だが、宙を舞う身体がジンの頭上に影を掛けた時、突如として彼の動きは鋭角を描き、輝きすら纏って巨体に突き刺さった。
「理解に苦しみますね、まったく」

　戦いは終局へと向かう。緩まぬ攻撃に傷ついたジンに、もはや逆転の目はない。
「俺は、強い……！」
「はいはい、強い強い」
　とはいえ、腕力は大したものだと認めてはいるサニーレイドである。だがそれは何処まで行っても腕力に過ぎない。こういう手合いは舐めている様に見せる位で丁度いい、と見切っていた。
「腰抜けめ、文句があるならかかってこい」
　怒気を露にするジンに挑発を重ね、しかし軽やかにステップを刻む彼女。死角に跳んだかと思えば、何処からか取り出した手裏剣を投げつける。螺旋の軌跡を描くそれは、斬、と太い蔦を切り飛ばした。
「いいえ、それすら許さない。迷い込んだらもう逃がさない」
　いつの間にか手にしていた本の表紙をなぞる纏。ぱたりとそれが開いたかと思うと、びっしりと埋められた黒インクの文字が虚空へと脱走する。
「これは貴方の為の物語。不思議の国への道標」
　ジンを取り巻く活字達。絶大なる魔力を篭められたそれは、目の眩んだ客人を幻想の世界に捕らえる甘い罠。
「出口など夢のまた夢。引き返すなんて無粋な事――しないだろう？」
「お、俺は……」
　纏の幻惑に抗うジン。だが、次なる牙はもうそこに。ああ、それこそは自らに狂気を宿した暴食の狂獣なのだ。
「我が身に降り立て、四凶門『饕餮』――開門せよ！」
　秘儀により限界を超えて筋肉を膨らませ、吼え猛る絶華。刃を突き入れ、力任せに引きちぎり、喰らいつき――そして。
「何故、だ！」
　今度こそ限界を超えたジンの身体が瞬時に干からびる。そして、枯れ果てた身体から突然光り輝く『種』が飛び出し、何処かへと飛び去っていった。
「奴らの狙いは何だろう……嫌な予感がする」
　それを見送り呟く絶華は、事件の黒幕、かのシャイターンの姿を思い出すのだ。

　――別に君達の勝ちでも構わないよ。どう転ぼうとある程度の成果はあるからねぇ。

　そうせせら笑っているだろう仇敵に、彼は知らず拳を握り締めた。

作者：弓月可染	重傷：なし 死亡：なし 暴走：なし
種類： 公開：2016年3月8日 難度：普通 参加：8人 結果：成功！
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