由々しき事態だわ、と千鳥・小夜子(レプリカントの刀剣士・en0075)は呟いた。その手には都内某所の洋菓子店で開催されるはずだったバレンタインフェアのチラシが握られている。
人馬宮ガイセリウムの侵攻により、大きな被害を受けている東京都。さらなる被害拡大が予測される中、バレンタインどころではなくなってしまっている。
「だからね、お店のフェアの代わりに私達で何か作れないか思って。まず壊れた建物を片っ端からヒールして、その後で設備なんかをお借りして……」
多くの人々がバレンタインデーに思いを馳せるこの時期だ、ヒールによって再生される建物も、どことなくお菓子らしい姿になるに違いない。
「作ったものを近隣の方に配ればケルベロスの評判もうなぎ登り……完璧だと思うの」
ケルベロスも一般人も関係なく、バレンタインの準備を行いお菓子を楽しめるイベントだ。小夜子は自分が食べるお菓子を作るつもりでいるが、もちろんプレゼント用の手作りチョコを作るのもいい。
「場所は、住宅街がいいと思うわ。公共施設も借りられるといいわね」
イベントを楽しむためにも、破壊された住宅街のヒールと、道具や材料などの搬入作業、お菓子作りをする人手が必要になる。
「チョコでもクッキーでも、好きな物を大量に作って……そうだわ、その場で食べることも出来る形にしておけば、もっと楽しいかしら」
一般人には、菓子作りに参加してもらったり、配布会に来てもらったりする形になる。もしお菓子作りが苦手なケルベロスがいても、仲間や参加してくれた一般人に教われば、きっと上手くいくだろう。
「もちろん、自分の分の確保と……特別な人へのプレゼントも、忘れずに取っておかないとね」
何を作るかは、ケルベロス達の自由だ。この機に気になる相手へのプレゼントを用意しておけば、当日はきっと楽しいバレンタインデーになることだろう。
●全力ヒーリング
ガイセリウムに踏みつぶされた家々に、外の寒さを吹き飛ばすような気合いの入ったヒールが掛けられる。
「ねー俺んちも直してー」
「おう任せろ! すぐにヒールするぜ!」
子供のどこかのんきな声にも、相馬・泰地(マッスル拳士・e00550)は全力で応じる。東京防衛戦はケルベロス達の完全勝利に終わり、自爆による被害は発生しなかったものの、それでもガイセリウムの移動による破壊の爪痕は残ってしまった。
(「責任を持って修復していかねーと……」)
ヒールの為に東京中を走り回る彼は、裸足のまま、ボクシングの選手のような格好でヒールをして回っている。
「あの、寒くないですか?」
「よかったら僕の上着を……」
若夫婦がそう声をかけるが、
「大丈夫だ。この程度、寒いうちに入らねーぜ」
もとより、ヒールに行ける場所は全て回りきる覚悟の泰地。その運動量は並大抵ではなく、否応なく体が温まる。そのうえ寒冷適応の用意もあるのだから、気温は泰地にとって何の障害にもならなかった。
泰地はとある住宅の壁の前に立った。壁が大きくえぐられ、重ねられていた空のプランターも割れてしまっていた。その状況を一瞥した泰地は、おもむろにボディビルのポージングを始める。
「……ふんっ!」
そのマッスルから放たれる『癒しの波動』が壁に届くと、傷跡がれんが状の起伏ある壁に変わった。れんがの色はこげ茶色。いや、よく見ればそれは固まった砂糖の壁に埋まった板チョコレートのようだった。プランターは中身入りの巨大なアイスクリーム容器へと変じ、このままでは元の用途は果たせそうにない。食べてしまおうにも、この家に住む両親と子供一人の三人では、いささか量が多すぎるとのことで、公民館で行われるお菓子作りの材料として、このアイスクリームも提供されることとなった。
「わぁ、おいしそう!」
通りがかった少女が歓声を上げる。さらに瓦屋根にヒールをかければチョコレート製の瓦に、破れた肥料袋は小麦粉の袋に。壁が巨大なビスケットへ。
「お菓子な見た目になっちまうがそこは堪忍してくれな、普通に住めるようにはなるからよ」
住人達に説明して回る泰地の姿は、好意的に受け止められる。特に子供たちは大喜びでヒールの成果であるお菓子に手を出し、大人たちをあらゆる意味で心配させていた。
「ここは大体片付いたか」
泰地はおもむろに、ヒールした塀から飛び出した板チョコレートを折り取って口に運ぶ。甘い。
「……よし」
気力体力を甘味で回復させ、泰地は次なる被災地へと駆けていく。
●甘く温かい心のありか
ヒールによって、公民館が再生される。床のタイルはクッキーに似て、概ね元通りの機能を果たせるまでになった。一つ変わったのは、一部の会議室にお菓子めいた外見のオーブンと冷蔵庫、水道設備が増設されてしまったことくらいだ。お菓子を作るのに必要な設備は整い、瓦礫の類は小麦粉やバター、砂糖といったお菓子の材料へと変わっていった。さらに、ヒールの副産物や休業中の店から提供された果物が運び込まれ、お菓子作りの準備は万端に整った。
地域の子供向けのお菓子教室を開催する天津・千薙(天地薙・e00415)の周辺では、エプロンと三角巾を身に付けた子供たちがお菓子作りに励む。思いを込めてお菓子を作る。その体験は彼らにとっても、きっと大切な思い出になるだろう。
「お姉ちゃん、こんな感じでいい?」
小麦粉その他を混ぜ合わせた生地を見せながら、小学生の少女が千薙に向かって声を上げる。
「ええ、よく出来ました。ではその生地をこちらのカップに……」
「おねーちゃーん、上手く混ざんないー!」
活発な少年少女たちが大騒ぎしながらお菓子作りを楽しむ姿。千薙はそれをほほえましく見守り、指導していく。手が足りない分は、お菓子作りが得意な大人も手伝って。
「素敵なお菓子を贈って、家族や友達みんなで笑顔になりましょうね」
うん、と元気よく返事をする子供たちの姿に、心が温かくなるのを感じる千薙。ガイセリウムの侵攻にも怯まず東京に残った子供たちの笑顔を守れてよかったと、改めて思う。
子供たちのお菓子作りがひと段落ついた頃、千薙は千鳥・小夜子(レプリカントの刀剣士・en0075)に目を留める。小夜子はお菓子教室が開かれている間に、黙々とクッキー生地を作っていた。そして千薙は思い出す。先ほど、アイスクリームが届いていたのだ。
「小夜子さん、なぎはこれからクッキーサンドアイスを作るつもりなのですが、良かったらご一緒しませんか?」
「私も同じ考えだったわ。そうね、一緒に作りましょうか」
作った生地を伸ばし、様々な型でくりぬいていく。二人がかりなら作業も早い。星やハートが天板に並び、そのままオーブンへ。焼き上がりを待ちきれない小夜子がオーブンの中をひたすら睨む中、千薙は次なるお菓子作りに入る。
千薙が最後に作るはブラウニーに、チョコマカロン。彼女の大切な人の為の、特別なお菓子。
(「なぎは未だに「心」を得た理由を思い出せません」)
けれど、それでもいい。お菓子に込めたたくさんの『好き』と、たくさんの『ありがとう』という気持ち。彼女が得た心は確かに、ここにあるのだから。
●休日出勤ボランティア
社章を付けてイベントに参加する御崎・五葉(クローバーフィズ・e01561)の目的は、勤務先の好感度アップだ。勤務先の業務命令により休日出勤を余儀なくされた五葉を、朶守・深滓(ミャゴラーレ・e19157)が慰める。彼に休日出勤手当ないしは振替休暇が与えられることを願うばかりである。
そんな深滓は、五葉の手伝いを口実に幼馴染へのチョコを用意する為に来ている。悲しげに耳を垂らした五葉を慰めながら、エプロンを広げて作業に取り掛かった。
深滓に慰められながら、五葉も持参のエプロンを身につけた。勤務先のロゴ入りエプロンはなかなかに目立つ。宣伝効果は十分にありそうだ。
「どうしましょう、何を作ればいいかな……?」
「ブラウニーはどうかな。甘さは控えめでね」
「ブラウニーですか、お洒落ですねっ」
深滓の提案により、二人はブラウニーを作り始める。ビハインドの壱さんに見守られながら、まずはチョコレートを湯せんで溶かして。卵を割り、溶きほぐしていつでも入れられるように。
深滓が危なげない手つきで順調に製作工程を進めていく一方、五葉はおっかなびっくりといった風で、レシピと材料を交互に見ながらブラウニーを作っていく。
「次に薄力粉を……薄力粉って、小麦粉と違うんですか?」
「小麦粉の一種だよ。薄力粉はこっち」
強力粉と間違えないようにね、と声をかけ、深滓は手伝いに来てよかったと苦笑する。
「次に……お砂糖を」
五葉が白い粒子の入ったカップを手に取ると、彼のビハインド、壱さんが五葉の頭をぺしっと叩いた。
「ええっ何で叩くんですか壱さ……あっ、これ砂糖じゃないですね!?」
カップの中をよく見れば、確かに白い粒子だが砂糖とは何かが違う気がする。
「そっちは塩だよ。……五葉って料理下手。壱の方が頼りになるね」
刻んだナッツを混ぜながら言った深滓の言葉はほんの冗談だったが、五葉はしゅんとうなだれた。
「うう、お役に立てずすみません……」
「いいよ、五葉は五葉に出来ることをして。壱は五葉がレシピと違うことしたら、止めてね」
話しているうちに、ブラウニーの生地が出来上がる。ナッツ入りの生地を型に流して、オーブンで焼き上げて。
「……出来た」
「いい香りですっ! 壱さん壱さん、僕だってやれば出来るんですよ!」
焼き上がったブラウニーを前に、深滓は満足げに頷く。あとは型から出して、ラッピングして完成だ。地域の人々に配る分は、さりげなく勤務先の名称が配された袋に入れる。量こそあるが、次々とラッピングし、その間に次の型を冷まして……としていくと、途切れることなく作業が続く。
深滓は途中、出来のいい一つを別の袋に入れ、配布用とは分けて置いた。イベントに参加した最大の目的、大切な人へのプレゼントにするために。
「あれ、朶守さんも誰かに渡すんですか?」
「内緒。五葉も誰かに渡すの?」
「僕はもちろん壱さんにっ」
楽しげにブラウニーを取り分ける五葉の背後に、壱さんがすっと寄ってブラウニーを眺める。
「折角だから社長にあげればいいのに」
「しゃ、社長は嫌ですよ! 死ねって顔されます……壱さんみたいに……!」
(「壱にも死ねって顔されたんだ……」)
深滓はそれ以上その話題に触れることなく、作業を続けた。あまり深く聞くべきではないような気がしたから。
「でも、壱さん以外にあげるなら……あれ?」
五葉が分けておいたブラウニーが一つ、減っている。もしかして壱さんが食べたのかとビハインドへ視線を移すと、壱さんは窓の外へと顔を向けた。しかしその口元がもごもご動いていることには、五葉も深滓もすぐに気付いた。
「壱も、物食べるんだ」
「どっどうでしたか壱さん! 美味しいですか!?」
壱さんに駆け寄り、面倒そうにあしらわれる五葉。壱さん以外にプレゼントするとしたら。誰かの顔が浮かんだことには、五葉自身も気付かないまま。
●きみが作ったものだから
一杜・詩乃(ラストバレット・e03097)は並べられたお菓子の材料と調理器具を前に、途方に暮れていた。アスト・ソフィア(不可視の狂弾・e03008)に誘われ、折角だからと来たものの。実はお菓子作りの経験は無く、道具をどう使ったらいいのかもよく分からない。
「詩乃さん、どうしたの?」
「えっいや、大丈夫」
大丈夫大丈夫、とごまかしながら、詩乃はチョコレートを手に取る。こっそり周囲を観察し、見よう見まねで板チョコレートを湯せんにかけてみた。アストからの機体のまなざしを感じ、頑張らないと、と自然と声が漏れる。
(「見た目だけ誤魔化せば良いわよね、自分で食べるんだし」)
溶けたチョコレートを型に流し込み、チョコスプレーやハート型のホワイトチョコでトッピングをして、見た目はバレンタインらしい物になった。味は手を加えていないのだから、食べられないことは無いだろうと一安心する。
一方アストもあまりお菓子作りに自信があるわけではなかった。なかったが、自分から誘った手前、詩乃の前で自信のなさそうな素振りは見せられない。
気になっていた相手と一緒にお菓子を作る。そんなイベントに参加してみたいと、アストはずっと思っていた。同じ時間を過ごすだけでなく、お互いの手元に心をこめて作った品が出来上がる。だから。
「ね、よかったら作ったお菓子交換しない?」
そんな提案をするのも、許されていいのではとアストは思う。気になる相手からお菓子をもらえる、こんなに嬉しいことは無い。明確に付き合っているわけでなくとも、現代は友人同士でチョコレートを渡す習慣があるのだから、作ったものをお互いに交換するのは、不自然ではないはず。
だが詩乃は慌てた様子で目を泳がせる。
「えっ交換? あーいやえーとそれはちょっと」
なんとか形にして自分で食べるつもりでいた詩乃は、断る口実もとっさには浮かばず。かといって自分でも美味しく作れたと思っていないチョコレートをアストに食べさせるのも申し訳なく思い、けれども嘘はつけない。結局は、正直に言うことにした。
「……ごめん! 本当はお菓子の作り方とか全然知らないのよ」
「ん? そうだったんだ」
詩乃の目に映るアストは、少し残念がっているように思えた。幻滅しただろうかと心が痛む。少なくとも、落ち込ませてしまったことは間違いないと確信する。その実、アストは慣れない作業をさせてしまったという小さな罪悪感を持っていただけだったが、詩乃はそれを知る由も無く。
「これ、見た目整えただけで味ひっどいから食べない方が良いわ」
ただの友チョコだし、と詩乃は、努めて明るく言う。特別な相手からもらったわけでもないのに、美味しくないチョコレートをわざわざ食べる必要も無い、と。
「うーん……でもそれなら、なおさら交換したいな」
「そうよね! ……って、え、ほしいの……?」
得意でないのに、頑張って作ってくれたものだから。アストは驚く詩乃に、柔らかく微笑みかける。
「うん、頂戴」
●甘く楽しい思い出を
ケルベロス達が作り上げたお菓子はお茶やジュースと共に大ホールに運ばれた。机や椅子が用意され、配布用のブースと喫茶スペースが設けられた。一通りの設営作業を終えた峰岸・雅也(ご近所ヒーロー・e13147)は、最後に手作りのガトーショコラを持ってきた。出来栄えはそこそこ、悪くは無いはずだ。
碓氷・影乃(黒猫忍者おねぇちゃん・e19174)の手にはドーナッツが。配布に出す前にどきどきしながらまずは一口。
「か、形は歪んでるけど……味は……大丈夫なはず……!」
試食というより毒見になるのではないかとドキドキしながら、意を決してぱくりと口に含むと、甘くふわりとした食感。配布会に出しても大丈夫そうだと、ほっと一息つく。
(「事前に練習をしていて……良かった……」)
普段、女子力を物理的な方向に発揮しがちな影乃だが、人に食べてもらうものはきちんと練習する気遣いを見せる。
「影乃、俺が作ったの一口食ってみるか?」
雅也が自作のお菓子を持って微笑むと、影乃は頷いて笑顔を返した。
「食べたいです……! 僕のも……お一ついかがですか? 形は……アレですけど……。……味は保証します!」
折角のイベント事だ。恋人同士らしい振る舞いをしても、咎める者などいはしない。一足早いチョコレートの交換が行われた後、二人は折を見て席を立った。
気がつけば、会場に多くの一般人が集まっている。走り回っている少年を注意する父親や、母親と思しき女性の影に隠れる女の子。外国人の姿も多く見られるのは、先の東京防衛戦で一時的移住に応募した人々だろう。
もとより子供に、と思っていた雅也は、元気な少年の前に立つ。
「こらこら、走り回ったら危ないだろ。これやるから、良い子にしてな」
「マジで? くれんの!? 兄ちゃんケルベロス? これ兄ちゃんが作ったの!?」
矢継ぎ早に質問する少年に、追いついた父親がまず御礼を言うようにたしなめる。
「おう、喜んでもらえたならいいんだ、味見はちゃんとしたから、心配いらないぜ」
にっと笑う雅也に、影乃も静かに頷いた。少年は満面の笑みで二人に礼を言うと、母親に自慢するようにお菓子の包みを掲げて走り去る。困ったように会釈する父親。少年を追いかけていくその背を見送って、次に目についたのは内気そうな少女。影乃は女の子に、作ったドーナッツを差し出した。
「お姉ちゃんの……作った……お菓子……お一つどうぞ」
精いっぱいの笑顔を作り、影乃が渡したお菓子。少女の表情が明るくなる、
「あ、ありがとう……お姉ちゃん」
「どう……いたしまして」
受け取ってもらえたことに安堵する影乃。その様子を見守る雅也の手には、最後に残った包みが一つ。
やがて、ほとんどの菓子が人々の手に渡り、人影もまばらになってくる。雅也のガトーショコラは、プレゼント用に取っておいた一つを除いてすべて配り終わっている。影乃のドーナッツも好評だった。
「あ、そうだ」
会場に残っているお菓子を、雅也は会場にお菓子が残っていないか見渡した。もしあるのなら、友人たちへのお土産にしようと考えてのことだ。皆で一生懸命に、そして大量に作ったものだから、足りなくなることは無く。
やがて始まった撤収作業に、ケルベロス達は尽力する。最後に残ったのは甘く温かい思い出と、お菓子な街並みに変わった平和な東京。
作者:廉内球 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2016年2月13日
難度:易しい
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 2
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