多摩川防衛戦~赤の戦士との対峙

作者:東雲ゆう

 それは、あまりにも現実離れした光景だった。
 まるでおとぎ話に出てくるような、巨大なアラビア風の宮殿が八王子市に出現した。それだけでなく、その城からは4本の脚が生え、周囲を飛び回るヴァルキュリアたちを従えながら、街も人も飲み込みながら東へ、東へ――東京都心部を目指して移動していく。
 容赦なき破壊。逃げ惑う人々。――それは、悪夢のような光景だったが、紛れもない現実、だった。
「夢なら、早く覚めて……!」
 泣きやまない我が子を抱きしめながら、母親が叫ぶ。
 
「人馬宮ガイセリウムが遂に動き出したようです」
 ヘリオライダーのセリカ・リュミエールが静かに切り出した。巨大な城に四本の脚がついた移動要塞・人馬宮ガイセリウム――その情報は、エインヘリアルの第一王子ザイフリートよりもたらされたものだ。
 それが、八王子から東京都心部に向けて進軍を開始したと聞き、集まったケルベロスたちの間にも緊張が走る。
「現在、人馬宮ガイセリウムの進路上の一般人の避難を行っていますが、都心部に近づいた後の進路が分からないため、避難が完了しているのは多摩川までの地域となっています」
 ――つまり、このままでは、東京都心部は人馬宮ガイセリウムによって壊滅してしまう、ということだ。
「人馬宮ガイセリウムを動かしたエインヘリアルの第五王子イグニスの目的は、暗殺に失敗しケルベロスに捕縛されたザイフリート王子の殺害、そして、シャイターン襲撃を阻止したケルベロスへの報復。更には、一般人の虐殺によるグラビティ・チェインの奪取と思われます」
 語るセリカの表情は固い。
「どうか、イグニスの暴挙を止めるため、皆さんのお力を貸してください……!」
 彼女の言葉にケルベロスたちは深く頷く。セリカは軽く頭を下げると、スクリーンに地図を表示させた。多摩川の辺りを拡大すると、ガイセリウムを現す赤い丸が地図上を移動しているのが確認できる。それを指し示しながらセリカは淀みなく説明を始めた。
「ガイセリウムの周囲は、ヴァルキュリアの軍勢が警戒活動をしており、不用意に近づけばすぐに発見され、ガイセリウムから勇猛なエインヘリアルの軍団『アグリム軍団』が出撃してきます。そのため、迂闊に近づくことは出来ません」
 ですが、とセリカは少し声の調子を明るくして続ける。
「実は、現在のガイセリウムは万全の状態でない事が予測されています」
 セリカによると、人馬宮ガイセリウムを動かす為には多量のグラビティ・チェインが必要だが、先のシャイターン襲撃がケルベロスによって阻止された事で充分なグラビティ・チェインを確保できなかった、ということのようだ。さらに彼女は言葉をつなぐ。
「そのため、イグニス王子は侵攻途上にある周辺都市を壊滅させ多くの人間を虐殺し、グラビティ・チェインを補給しながら東京都心部へと向かうものと思われます」
 ケルベロスたちはその情報を頭に刻む。
「これに対して、私たち、ケルベロス側は多摩川を背にして布陣します」
 説明しながら、セリカはスクリーンの赤い丸の近くに表示された青い丸を指し示す。
「まずは、人馬宮ガイセリウムに対して数百人のケルベロスのグラビティによる一斉砲撃を行います。この攻撃で、ガイセリウムにダメージを与える事はできませんが、グラビティ攻撃の中和の為に少なくないグラビティ・チェインが消費される為、残存グラビティ・チェインの少ないガイセリウムには有効な攻撃となります」
 言葉と共に、地図上の青い丸から赤い丸に多数の青い矢印が飛んでいく。すると、それを押し返すように、赤い丸から複数の赤い矢印が発射された。
「ガイセリウムは攻撃を受けると、ケルベロスを排除すべく、勇猛なエインヘリアルの軍団『アグリム軍団』を出撃させる事が予測されます」
 このアグリム軍団の攻撃により、多摩川の防衛線が突破されれば、ガイセリウムは多摩川を渡り、避難が完了していない市街地を蹂躙し、一般人を虐殺してグラビティ・チェインの奪取を行うだろう。――何としても阻止しなければならない。
「危険と隣り合わせではありますが、上手く『アグリム軍団』を撃退する事ができれば、こちらからガイセリウムに突入する機会を得ることが出来るでしょう」
 さらに、彼女は手元の資料を目で追う。
「アグリム軍団について、ですが、彼らは、四百年前の戦いでも地球で暴れ周り、その残虐さから同属であるエインヘリアルからも嫌悪されているというエインヘリアル・アグリムと、その配下の軍団と言われています」
 アグリム軍団は、第五王子が地球侵攻のためにそろえた切り札の一つなのだろう。セリカは軽く頷くと、さらに続ける。
「アグリム軍団は、軍団長であるアグリムの性格により、個人の武を誇り、連携を嫌い、命令を無視するという傍若無人さを持ちますが、その戦闘能力は本物です。また、全員が深紅の甲冑で全身を固めているのが特徴となっています」
 頑強な肉体を持つ巨躯の戦士――強敵だが、力を合わせて立ち向かわねばならない。そう決意するケルベロスたちをセリカは見渡す。
「ガイセリウムが多摩川を超えれば、多くの一般人が虐殺されてしまいます。でも、皆さんなら必ずそれを阻止できるはず、です」
 どうか皆さま、ご武運を――セリカは深く、深く頭を下げた。


参加者
十夜・泉(地球人のミュージックファイター・e00031)
アルセリィナ・クロフォード(シャドウエルフの鎧装騎兵・e00703)
シグマ・コード(セルウィー・e01723)
凶月・陸井(我護る故に我在り・e04913)
九条・櫻子(地球人の刀剣士・e05690)
ジャック・ハイロゥ(廃墟の街のガンスリンガー・e15874)
森宮・侑李(星彩の菫青石・e18724)
蓮城・箒哉(花守の仙竜・e18935)

■リプレイ

●戦場・多摩川
 午後3時の少し前。その日、雲が空を覆う下で、ケルベロスたちが多摩川を背に防衛線を展開していた。
 ――その数、実に500名以上。『人馬宮ガイセリウムの侵攻を食い止める』という目的のもと、種族もジョブも様々なケルベロスが集まったその様子は壮観であった。
「まさか、要塞ごと攻め込んで来るとは……恐れ入ったね」
 少しずつ近づいてくるガイセリウムを眺めているのは、蓮城・箒哉(花守の仙竜・e18935)だ。その言葉とは裏腹に、要塞を鹵獲して使えるようにならないか考えているあたり、好奇心が勝っているのかもしれない。
「何が何でも止めるっすよ。虐殺だなんて冗談じゃないっす」
 川辺にゴムボートを係留しながら、森宮・侑李(星彩の菫青石・e18724)が答える。ボートに浮き輪を乗せていた凶月・陸井(我護る故に我在り・e04913)も強い眼差しで言葉を続ける。
「ああ、一般人の大量虐殺なんて絶対にさせない。仲間も避難している人達も全員、護りきる――!」
 何があっても絶対に、仲間の待つ旅団に帰る。固く決意する彼の言葉にアルセリィナ・クロフォード(シャドウエルフの鎧装騎兵・e00703)も同意する。
「強敵が相手だけど、多摩川で食い止めよう」
 その横では、ジャック・ハイロゥ(廃墟の街のガンスリンガー・e15874)がスキットルに入れてきたメスカルをぐびぐびっと飲み、手の甲で口を拭っていた。
「エネルギーもチャージしたし、続きはヤツラをぶっ飛ばしてからにすっかぁ、ヒャハハハハ」
 豪快に笑い飛ばすジャックの後ろから、時計を睨んでいた陸井が皆に声をかける。
「……そろそろ始まりそうだ」
 その一言で、8人の間に流れる空気が一転して張り詰めたものになる。
 彼の腕時計が午後3時を指した、その瞬間。集まったケルベロスたちから一斉にグラビティが放たれ、このチームでも遠距離攻撃の手段を有する者が一斉に武器を振るう。十夜・泉(地球人のミュージックファイター・e00031)が集中させた精神力は、九条・櫻子(地球人の刀剣士・e05690)の放った凍結光線と合わさって要塞の壁面で爆発し、アルセリィナが放った弾丸を追いかけるように、シグマ・コード(セルウィー・e01723)の召還した吹雪の精霊が要塞の外壁を襲う。
 数え切れないほど多くのグラビティの光がガイセリウムへと収束し、爆音と共に周囲に砂煙が立ち込めた。
 ケルベロスたちが固唾を飲んで注視するなか、徐々に砂埃が収まっていく。辺りに立ち込めていた煙が晴れたとき、現われたのは――傷一つ負っていない移動要塞の姿、だった。
 見守っていた人々の表情が固くなる。だが、見た目にはダメージは無いように思われるものの、その動きは止まっていた。どうやら、防御のためにグラビティ・チェインを消費してしまったようだ。
 不気味な静けさが辺りを包む。
「――油断せずにいこう」
 シグマの言葉に7人が頷く。ガイセリウムから数十の赤い点がこちらに向かって飛翔してくるのに気付くまで、そう時間はかからなかった。

●赤の戦士との対峙
 要塞から飛び出してきた赤い点は、近づくにつれて徐々にその形を明らかにしていく。川沿いに散っていったその一つが、8人に向かって速度を上げた――と同時に、ごう、と物凄い勢いで敵からオーラが放たれ、陸井に直撃する。
「……っ!」
 身に着けた特攻服のおかげで幾分かダメージが軽減されているにも関わらず、その一撃はかなり重い。
 徐々に近づいてくる敵を凍結光線で迎撃する櫻子の横では、泉が古代語を詠唱していた。
「相手は1人ですが、強力な相手。気は抜かずに行かないといけませんね」
 光線が敵に命中したのを見て、アルセリィナが影の弾丸を放つ。それは惜しくも避けられるが、追撃したシグマの影蝕で敵の動きが少し鈍る。が、次の瞬間、再び敵からオーラが飛んでくる。
「……だらぁっ! 俺様が居るのに通させっかよ!?」
 仲間を庇ってジャックがその攻撃を受けるが、それは楽観視できないダメージを彼にもたらす。
「陸井さん、ジャックさん、回復するっす!」
 すかさず侑李が鎖で地面に魔方陣を展開する。その魔力は傷を癒し、また同時に前衛のメンバーを守る盾となった。

 ほどなくして、1体の赤の戦士が8人の前に降り立った。
「……と、来ましたか。仕事の時間ですね」
 箒哉が油断無く武器を構える。
 ヘリオライダーから事前に特徴は聞いていたものの、実際に対峙すると、3メートルをゆうに超えるその頑強な肉体から発せられる迫力に圧倒されそうになる。
 しかし、そんなことはおくびにも出さず、泉は右手と笑顔を前面に押し出してにこやかに挨拶をする。
「名前をお伺いしても? ――それ以上のことは刃でも交えながらにしましょうか」
 左手に密やかに忍ばせたナイフで奇襲を試みるが、簡単に避けられてしまう。
『……お前らごとき虫ケラに、名乗る名などないわっ!』
 赤の戦士は兜の下でふん、とあざけるような声を出した。
(「かなり傲慢な性格みたいだな。個人の武を誇らせ慢心させられないかな」)
 ナイフを構えながら考えを巡らせる泉の横から、櫻子が歩み出る。
「さて、あなたのお相手は私達がしてさしあげますわ。これ以上の勝手は許しません事よ」
 言うが否や、敵に襲いかかる彼女の拳に桜を纏った古の龍の力が宿る。
「テメェらにも志があるかもしれねぇ。でも俺らの後ろには仲間が居る、守るべき人が居るっ! 例えここで死んでも、テメェをこの先には行かせねぇっつってんだよ!」
『虫ケラが志を語るとは……笑止!!』
 櫻子の拳は命中したものの、赤の戦士はびくともしない。涼しい顔でジャックの蹴りを受け流し、流れるような動作で反撃に転じる。
「やりますわね……」
 敵の反撃を喰らった櫻子が、吹き飛ばされそうになるのを必死にこらえる。すぐさま侑李は鎖で魔方陣を描いて回復を試みた。
「お前たちの思惑は全部、完膚なきまでに叩き潰す。悪いが、此処は通さない」
 陸井が決然とした表情で神速の突きを放つと、
「これ以上先へはいかせられないよ!」
 アルセリィナも目にも留まらぬ早撃ちで追撃する。その連撃にひるんだ一瞬のスキを狙って箒哉は敵のみぞおちに蹴りを叩き込み、シグマも召喚した吹雪の精霊で敵を囲い込む。
「防衛ライン、なんとしても守り通さないとな」
『この無礼……許さぬ!』
 ケルベロスたちの連携のとれた攻撃に、赤の戦士の語気が徐々に荒くなり、一番近くにいた泉に向けて怒気の塊が放たれる。だがそれはアルセリィナによって肩代わりされる。
 ――戦線は膠着状態に入り始めていた。

●死闘
 赤の戦士が地面に降り立ってから、およそ5分が経過した。
 体格も戦闘能力も勝る強敵に対して、ケルベロスたちはチームで協力して奮戦している。
 敵にダメージを与える泉と櫻子をスナイパーの箒哉が支援する。ジャック、陸井、アルセリィナは味方を庇い、傷つくたびに侑李が回復する。後方からはシグマが素早さを活かす盗賊スタイルで敵に忍び寄り、ナイフを片手にバッドステータスの付与を狙っていた。
 敵から受けてきたダメージは少なくない。だが、戦闘開始から地道に敵に対してバッドステータスを重ねがけしてきたことが功を奏し、赤の戦士のほうも当初より動きが鈍くなり、こちらの攻撃が命中することも増えてきていた。
 おそらく、敵はここまでケルベロスたちが健闘するとは思っていなかったのであろう。兜で表情は隠されているが、当初の余裕はなくなりつつあるように感じられた。
 その時、変化が訪れた。
『……ぬおおおお!!』
 赤の騎士が動きを止め、気力を溜める。それは、戦い始めて初めて敵が回復に転じた瞬間だった。
 8人は頷き、さらに攻撃を激化させる。しかし、敵もやられっぱなしではなかった。
『お前たちごときの志なぞ、ここで打ち砕いてやるわ!』
 回復役の侑李に向けてオーラの弾丸が放たれる。すかさず、ジャックが庇い、血と共に言葉を吐き出した。
「固かろうが赤かろうが志があろうが関係ねぇ! 抜かせねぇって言ってんだよ!」
 と、両手に構えたリボルバー銃から降魔の一撃が放たれる。それは敵の魂を喰らい、彼の生命力となる。
 それとほぼ同時、櫻子の放った達人の一撃が敵を襲う。
「ミッツメ、そろそろ避けきれないと思いますよ?」
 続けざま、泉のGenau dreiが正確に敵を捉える。好機と見た侑李は、高々とマインドリングを掲げる。
「狩猟神アルテミスよ――その力を今此処に!」
 月と貞潔、そして狩猟を司る女神アルテミスの加護が、敵の近くで戦っているメンバーを包み込み、命中率を上昇させる。
「侑李くん、支援感謝する。――いかせてもらう!」
 陸井は手にした霊刀『零れ桜』に空の霊力をまとわせて、敵の傷跡に斬りかかる。その後ろからはアルセリィナが光り輝く斧を振り下ろし、箒哉は指一本に気を集中させて敵を突く。それは敵の気脈を絶った。
「――悪夢を見ろ!」
 シグマの黒フードの下の前髪は長く、その表情は見えない。しかし、そのナイフは敵のトラウマを映し出し、容赦なく斬りつける。

 もはや、敵は一目でそれと分かるほどに激昂していた。
 敵の腕を纏うバトルオーラがゆらゆらと不気味にその密度を高めると、泉に向かって突進してくる。敵の攻撃を真正面からナイフで受けて、自らの傷も省みず赤の戦士を切り裂く。
 その攻撃は鎧を切り裂き、深紅のしぶきが泉にかかる。
『おのれ、おのれ、おのれぇぇぇ……!』
 再び泉に殴りかかろうとしたとき、2人の間に割り込む人影があった。――ジャックだ。
「退けねぇ場所で退かねぇと決めた。命賭けるにゃそれで充分だろ」
 突撃するジャックと交差するように、赤の戦士の放ったオーラの弾丸が彼を直撃する。その衝撃で意識が朦朧とし、地面に倒れこんだところに敵が歩みよる。
『……威勢がいいのは、口だけか?』
 そして、トドメを刺さんと拳を振り上げた、その時――。
「ジャック、許せ――!!」
 味方の中から目にも留まらぬ速さで駆け出たシグマが、ジャックのベルトをがし、とつかみ、そのまま勢いをつけてぶん、と放り投げた。6人の頭上を高々と越えて、色黒の筋肉質な身体が侑李の後ろの川辺に鈍い音を立てて着地したのを見届けると、シグマは素早く戦列に戻る。
 痩せた見た目から想像のつかない怪力ぶりにあっけに取られた敵に隙ができる。それを陸井は見逃さない。
「壱の型……吹き荒れろ、鎌鼬」
 放たれたのは、一閃壱ノ型:鎌鼬。その霊刀の軌跡は美しい弧を描いたかと思うと、次の瞬間、霊力の斬撃が吹き荒れ、敵の傷を抉る。そして彼の影から箒哉も距離を縮めていた。
「ジャックさんがくれた好機、無駄にはしません……!」
 箒哉の手元のブラックスライムが、不気味な口を大きく開ける。そして赤の戦士を丸のみにし、身体の自由を奪う。
「あんたの影、いただくぜ!」
 さらなる足止めを狙ってシグマがナイフで赤の戦士の影を断ち切る。
「その巨体なら外しはしないよ。一撃痛いのをお見舞いしてあげよう」
 アルセリィナが繰り出したのは『Sturm und blitz』。アームドフォートを乱射しつつ接近し、持てる力を全て振り絞ってゾディアックソードごと敵の身体に突撃する。
『……まだだ、我は退かぬ、我は負けぬ……!』
 回復しようと敵がオーラを溜め始めるが、その前に櫻子が立ちはだかる。
「古の龍の眠りを解き、その力を解放する。桜龍よ、我と共に全てを殲滅せよ」
 彼女が放つのは、桜龍殲滅斬。確かな手ごたえを感じた、その時。
『アグリム様ぁ……! どうか、どうか……!』
 シグマのトラウマ攻撃の影響か、錯乱した敵が櫻子に襲い掛かる。咄嗟のできごとに避けきれず、櫻子の足に攻撃が直撃してしまう。痛みのあまりうずくまった彼女を、側にいたアルセリィナと陸井が素早く後方へ移動させる。
 一方、もはや自分の意志で動くこともままならない赤の戦士に、静かに泉が近づいていた。
「哀れですね……あなたの敗因は、私たちを虫ケラ扱いし慢心したこと、です」
 言うと、彼は一瞬黒い瞳を閉じて息を吸い――息を吐いたときには、左手のナイフが赤の戦士の急所に突き刺さっていた。
 恐怖と絶望が交じり合った耳をつんざくような絶叫が辺りに響いた次の瞬間、赤い戦士は深紅の霧となり、ほどなくしてその姿は完全に消滅した。
「……一寸の虫にも五分の魂、ですよ」
 泉が呟く。そして皆、耐え切れずその場にへたりこんだ。

●祈り
 死闘の末、何とか勝利したケルベロスたちは、ゴムボートに乗り対岸を目指していた。
 足の手当てを受けながら、櫻子は眼鏡を外して汚れを丁寧に拭いている。いつもと印象が違う彼女を、ヒールしている箒哉がじっと見つめた。
「ヤダ、そんなに見ないで下さい。恥ずかしいですわ」
「いえ、足以外に怪我はないか、気になりまして……」
 勘違いが恥ずかしくて櫻子の顔がさらに赤くなる。その横では、ジャックがうっすらと目を開けた。
「……気がついたっすか?」
 起き上がろうとする彼を、つきっきりで看病していた侑李が制止する。1日もあれば回復する怪我ではあるが、今はまだ安静にした方が良い。すると、横からシグマがひょいと顔をのぞかせた。
「さっきは手荒な真似をして悪かったな」
「全くだ」
 悪びれないシグマの口調にジャックが苦笑する。すると、オールを操る陸井が口を開いた。
「あの赤い戦士は、無事倒した。今、俺たちは――多摩川の対岸へ向かっているところだ」
 ジャックの表情を見てその意図するところを察した泉が、ゆっくりと喋り始める。
「……『私たち』がガイセリウムに突入するのは、あまりに危険だと判断しました」
 言うと、泉はボートの中を見渡す。幸いにも重傷を負った者はいないが、激しい戦闘で皆消耗している。
「でも、俺たちが行かなくて誰が行くんだ、なぁ?」
 一瞬、ボートの中がしんとする。そこで口を開いたのは、アルセリィナだった。
「実は、密かに別行動していた部隊が、ガイセリウムに到達して侵入を始めた、って伝令があったんだよ」
 驚きの表情を浮かべるジャックに、シグマが小さく口元に笑みを浮かべながら言葉をつなげる。
「だから、ガイセリウム突入は侵入部隊に任せて、俺たちは彼らが有利になるように、『ケルベロスは作戦に失敗して敗走してる』って演技をしてる訳で」
 ジャックは寝そべったまま首を動かす。すると、先ほどまで気付かなかったのが不思議なくらい、辺りには自分たちと同じくボートに乗ったり、泳いだりして対岸へ向かう多くのケルベロスが立てる水音がしていた。
 ジャックは大きく息を吸い、空を見やる。
「――進もうぜ、前へ」
 例えその場に向かえなくても、心は同じ。
 侵入部隊の成功を祈るその呟きに、7人は静かに頷いた。

作者:東雲ゆう 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年1月22日
難度:やや難
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 6/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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