多摩川防衛戦~深紅の軍勢

作者:そらばる

●歩く城塞
 それは巨大な城だった。
 豪華絢爛なアラビア風建築を思わせる要塞が、地上を歩いていた。四方から生えた馬脚が、ビル群をなぎ倒すように、八王子市を闊歩していく。
 人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑いながら、非常識な物体を憔悴しきった眼差しで見上げる。
 針路は東京都心。周囲を警戒するように飛び交うヴァルキュリア達の槍が、光を反射し、その行軍をキラキラと彩る。
 異様な光景だった。

●『人馬宮ガイセリウム』現出
 状況は風雲急を告げていた。
「こたびは東京焦土地帯の一件にございます。心してお聞きください」
 戸賀・鬼灯(ドラゴニアンのヘリオライダー・en0096)が、硬い口調で緊急事態を告げる。
「エインヘリアル第一王子ザイフリート。彼の者よりもたらされた情報にございました『人馬宮ガイセリウム』が、文字通り、馬脚を露わしたようでございます」
 人馬宮ガイセリウムは、巨大な城に四本の脚がついた移動要塞である。出現地点は八王子焦土地帯。そこから東京都心部に向けて進軍を開始している。
 ガイセリウムの周囲では、ヴァルキュリアの軍勢が警戒活動に勤しんでいる。不用意に近づけばたちまち発見され、ガイセリウムに控える勇猛なエインヘリアルの軍団『アグリム軍団』が出撃してくるだろう。迂闊な接近は命取りだ。
「現在、ガイセリウム進路上の一般人の避難を進めておりますが、都心部到達以降の針路が不明である為、避難が完了しているのは多摩川までの地域に留まっております。
 このままでは、東京都心部は人馬宮ガイセリウムによって壊滅してしまうことでしょう」
 静かに突きつけられた事実は、ずしりと、ケルベロス達の胸に重く響くものだった。
 顔色を変えた一同を見回し、鬼灯はわずかに心痛を滲ませながらも、さらに重ねる。
「……人馬宮ガイセリウムを動かしたのは、エインヘリアル第五王子イグニス。その目的は、第一に、暗殺に失敗しケルベロスに捕縛されたザイフリート王子の殺害。加えて第二に、シャイターン襲撃を阻止したケルベロスへの報復。更には第三に、一般人を虐殺することによるグラビティ・チェインの奪取であると思われます。
 かくも非道なる暴挙を阻止するため、皆様のお力添えを、是非ともお願いいたします」

●多摩川防衛線、一斉砲撃!
 その場を去らぬことで意志を示したケルベロス達に、鬼灯は小さく口許を綻ばせた。
「それでは、こたびの作戦を説明いたします」
 まず前提として、人馬宮ガイセリウムは強大な移動要塞ではあるが、現在は万全の状態ではない事が予測されている。
 ガイセリウムを動かす為に必要な多量のグラビティ・チェインを、確保できていないようなのだ。
「先のシャイターン襲撃がケルベロスの手で阻止された事によって、見込んでいた量のグラビティ・チェインを確保できなかったという事でございましょう。
 侵攻途上の周辺都市を壊滅させ、一般人を虐殺する事で、グラビティ・チェインを補給しつつ東京都心部へと軍を進める……これが、イグニス王子の作戦意図であると思われます」
 すなわち、グラビティ・チェインはデウスエクスの兵糧も同じ。ここが敵の泣き所だ。
「対し、ケルベロス側は、多摩川を背にして布陣して頂きます。
 手始めに、人馬宮ガイセリウムに対して、数百人のケルベロスにより、グラビティの一斉砲撃を行います」
 この攻撃によってガイセリウム自体にダメージを与える事はできない。しかしグラビティ攻撃を中和する際に消費されるグラビティ・チェインは、決して少なくない。グラビティ・チェイン残量の限られたガイセリウムに対しては、極めて有効な攻撃となる。
「一斉砲撃を受けたガイセリウムからは、ケルベロスを排除すべく、勇猛なエインヘリアルの軍団『アグリム軍団』が出撃して参ります。
 このアグリム軍団により多摩川の防衛線が突破されれば、ガイセリウムは多摩川を渡河、避難が完了していない市街地を蹂躙し……後は、先の通りの虐殺と略奪。
 逆にアグリム軍団を撃退する事が出来れば、こちらからガイセリウムに直接突入する機会を得ることも可能でしょう」

●『アグリム軍団』を迎え撃て!
 アグリム軍団は、エインヘリアル・アグリムとその配下からなる軍団である。
「アグリムは四百年前の戦いでも、地球で暴虐の限りを尽くし、その残忍さ故に同族のエインヘリアルからも疎んじられる存在であると言われます。
 かねてより悪辣さの漏れ聞こえるイグニス王子が、この残虐きわまる軍団を地球侵攻の為の切り札として用いたところで、驚くべき事でもございません」
 軍団長アグリムの性格上、軍団の性質もまた傍若無人、その武功は個々のスタンドプレーにより成り立っている。個人の武を誇り、連携を嫌うが為に、命令無視など当たり前。それだけに、一個体の戦闘能力は非常に高い。
 また、全員が深紅の甲冑で全身を固めているが、武器や攻撃手段は各々に異なるという。

「一般人の虐殺の阻止、そして、望まぬ戦を強いられるヴァルキュリア達の為にも、第五王子イグニスの野望を打ち砕かねばなりませぬ。皆様ならば必ず成し遂げられると、わたくしは信じております」
 鬼灯は皆を勇気づけるような凛とした笑みで、ケルベロス達一人一人を見つめるのだった。


参加者
北郷・千鶴(刀花・e00564)
セラス・ブラックバーン(竜殺剣・e01755)
パール・ホワイト(サッカリンミュージック・e01761)
龍宮・ろあ(鳴り響く竜哮・e01786)
ルコ・エドワーズ(六肢の聲・e02941)
ブレネッジ・オピネル(朽刃・e02944)
ネル・エオーレ(紫雲・e05370)
ターャジス・プスンコ(カレーの国からナマステー・e18819)

■リプレイ

●人馬宮、侵攻停止
 時刻は午後三時頃、多摩川河川敷。
 曇り空の下、一斉砲撃は開始された。
 川沿いに張られた防衛線から、とりどりのグラビティが一斉に撃ち込まれていく。
「デカブツを持ってすれば勝てると見たのが浅はかよの。先ずはその足を止めさせて貰おうぞ!」
 土手の上に陣を張ったチームは、勇猛に気を吐く龍宮・ろあ(鳴り響く竜哮・e01786)の二刀斬霊波を筆頭に、次々とグラビティを撃ち込んでいった。
 息を合わせたゲヘナ・クルーセフィクションと熾炎業炎砲の猛火が、二射同時の時空凍結弾による氷塊が、気咬弾の正確な軌道が、進軍を続ける敵要塞へと吸い込まれていく。
 仕上げとばかりの二重のサイコフォースが、集中砲火の着弾点で盛大な爆発音を上げる。
 数百に及ぶグラビティの砲撃が、瀑布のごとく人馬宮ガイセリウムを殴りつけた。
 攻勢がやみ、数多のグラビティのエフェクトが退き……しかしガイセリウムは、砲撃を浴びる前と変わらぬ姿で佇んでいた。傍目には傷一つ見受けられない。
 だが、城塞を運ぶ四本の馬脚は、突如として歩みを止めた。侵攻停止。まず第一の目的を果たせた事に、ケルベロス達は安堵する。
 遠目に視認する事はできないが、時を待たず、『アグリム軍団』が出撃してくるはずだ。遭遇までには数分かかるだろう。
「さぁ、かかってこーい! ボク達が相手だよ……最高のスリルを味わわせてあげる!」
 この先にはたくさんの人達が暮らしているのだ、絶対に通すわけにはいかない。気合充溢のパール・ホワイト(サッカリンミュージック・e01761)は、ガイセリウムに向けて、高らかに宣言した。

●享楽の戦士
 市街地からは、早、戦端が開かれたと思われる騒音が聞こえてくる。
 ケルベロス達は思い思いに土手の上や側面に佇みながら、辛抱強く敵を待ち伏せた。
(「さっさと終わらせて帰還してぇな……」)
 ネル・エオーレ(紫雲・e05370)が退屈にあくびをかみ殺したのは、ガイセリウムが足を止めて、五分も経とうかという頃。
 眼下に広がる草地の向こうに、ぽつりと、不穏な影が生じた。遠目にもわかる、血液のごとき深紅の甲冑。
 『アグリム軍団』が一兵、アンヴァルである。
「さて、強そうなのが出てきたのぅ。血が騒ぐのぅ」
 ろあは悦に入ったように、くふふ、と嗤う。弱者をなぶるに慣れた輩に、格別の戦いを味わわせてやろうと、闘争心がうずいてならない。
「僕らに盾ついた事を後悔させてやる。くれぐれも僕の足を引っ張らないでくれよ? ブレネ」
 手袋をきつく装着し直しながら、ルコ・エドワーズ(六肢の聲・e02941)は意地の悪そうな目つきで傍らを見やった。
「引っ張られても引っ張りはしないつもりだよ、ルコ」
 ブレネッジ・オピネル(朽刃・e02944)も、ルコに対しては引っ込み思案を返上し、負けずに応酬。少しむくれたような表情が、彼にしては珍しい。
「この多摩川で、なんとしてもアグリム軍団を制しましょう」
 イグニス王子の好きにさせるわけには行かない。ターャジス・プスンコ(カレーの国からナマステー・e18819)が、ゆっくり噛みしめるように呟く。
「殺戮も、報復も、許す訳には参りませぬ。必ずや食い止めます」
 締めくくる北郷・千鶴(刀花・e00564)の言葉は、参戦した多くのケルベロスの気持ちを代弁するものだったろう。
 それ以上の私語は、状況が許してくれそうになかった。
 深紅の甲冑の、抜き身の剣を手の中で弄びながらの悠然とした足取りも、もはや目視に堪えるところまで来ている。
 じわじわと狭まる互いの距離が、遠距離グラビティがギリギリ届くデッドラインを踏んだ、その瞬間。
 アンヴァルが、弄んでいた星辰の剣を、大きく振りかぶった。
「――今だぜ!!」
 セラス・ブラックバーン(竜殺剣・e01755)の直感的な号令で、ケルベロス達は一斉に土手を駆け下りた。各々のグラビティを放射しながら、残りの距離を一挙に詰めていく。
「おーおーイキがいいねぇッ!」
 アンヴァルはケルベロス達の遠距離攻撃を避けもせず、ゾディアックミラージュを横薙ぎに放った。禍々しいオーラが、前衛に立って接敵せんとしていた三人を打ち据え、足を止めさせる。
 中衛と後衛は怯まず、前衛の脇をすり抜け陣を展開、至近距離の攻撃も惜しまない。セラスはスターゲイザー、千鶴は月光斬で敵の機動を削いでいく。ネルは的確な距離を保ちつつ気咬弾で、ターャジスは殺神ウイルスで敵の治癒力を阻害しながら、時を稼ぐ。
 パールの治癒を受け、前衛もすぐに立て直した。ろあは果敢に絶空斬で斬り込み、翼を大きく広げながら皆を庇える位置に退く。
「やあ、楽しい殺戮を僕らに邪魔される気分はどう?」
 入れ替わりにルコが飛び込む。スマートに高々と跳び上がり、強烈なグラビティブレイクを敵へ叩き付ける。
 盾のように構えた片腕の手甲で攻撃を受けながら、足元が沈むかという衝撃に、アンヴァルの声に喜色がにじむ。
「はっ! すげぇすげぇ、こりゃあなかなかのもんだ」
 弾き返すようにルコを払いのけ、痛みを散らす仕草で腕を振る。たいそう余裕な態度だが、ケルベロス達の攻撃は確実に届いているようだ。
「――遠くから大所帯でよく来たね、蛮族」
 静かな、しかしよく通る呼びかけと共に、禍々しい印が甲冑の胸部に打ち込まれる。痛みと違和感に、アンヴァルは不快そうに視線を落とし、それから、声の主を探して視線を馳せた。
 視線の先に佇むブレネッジは、挑むような眼差しで敵を睨み据える。
「ケルベロス風情がお前達の準備運動の相手になってやろう」
 あからさまな挑発。しかしそれは、アンヴァルの好むところである。
 魂に打ち込まれた憎悪を握りしめるようにして、甲冑の下のエインヘリアルが凶暴な笑みに顔を歪めたのを、ケルベロス達は直感した。

●楽しい楽しい殺し合い
 三メートルにも及ぶ巨体から、強靭な一撃が振り下ろされる。万全に身構えたブレネッジは、それでも後方へと大きく吹き飛ばされた。盾役としての防御力とあらかじめ付与した盾効果のおかげで、大事はないが、それにしてもでたらめな衝撃である。
 すぐにフォローに入ろうとするパールに、ルコが小さく声をかける。
「このまま前衛でできるとこまで引き付けるから、回復はキュアより盾多めにしてくれる?」
「わ、わかった!」
「わたしぃも、手伝いまぁす」
 危機的状況に陥ってから対処するのでは遅い。こくこく頷くパールに、ターャジスもぽややんと同意し、共に「紅瞳覚醒」を斉唱した。ターャジスが歌声にカレーへのありったけの想いを籠めて響かせるものだから、なんとなく無性にカレーを食べたくなるという副作用なんかもあったりしたが、無事、これまでの前衛のダメージはほとんどがカバーされた。
 その間にも、ケルベロスの猛攻は絶え間ない。
「……とんだ先鋒を放ってくれたものです」
 後衛の分をわきまえて目立たぬ立ち回りを心がける千鶴は、誰にともなく呟きながら、鋭く花嵐を叩き込んだ。
 続くセラスは月光斬、ネルはグラインドファイアと、状態異常を確実に入れていく。千鶴の鈴、ろあのポメさん、ネルのボクスドラゴンも、補助を主眼に立ち回る。守備の硬いブレネッジとろあは、アンヴァルを刺激する言葉を投げかけながら、スターゲイザーやサイコフォースで派手に引っ掻き回し、ルコの大火力に繋げていく。
 立ち回りの甲斐あって、アンヴァルの標的は前衛に絞られた。気を抜けば瞬く間に布陣が瓦解しそうな攻撃を、ケルベロス達はよく耐えた。ディフェンダー陣で上手くダメージを分散し、メディックの二人で回復量を見ながら適度に治癒。その間にも、敵の状態異常はうずたかく積み重ねられていくが、アンヴァルはそれすら楽しむように、愉悦に満ちた哄笑を放つ。
「いいねぇ楽しいねぇ。もっともっと、続けようぜぇ!」
 地に転写された星図の輝きが、アンヴァルの昂揚を可視化するように、深紅の巨体を映し出す。
 即座に動いたのはセラス。
「俺がいる限り、耐性なんてつけさせないぜ!」
 竜爪撃を叩き込みざま、気を吐き、後衛へと退く。
 甲冑の隙間から、アンヴァルが目を細め、初めて後衛に意識をやったのがわかった。
 ゾディアックソードが後衛を狙った列攻撃の予備動作に入った、その時。
「ねぇ、そんなトロい攻撃が当たると思ってるの?」
 完全な死角からのブラッディダンシング。アンヴァルが視線を向けた時には、ネルはすでに大きく距離を取り、仲間達とは離れた場所に陣取っている。戦闘前とはうって変わって、らんらんと輝く瞳はヤンチャな子供の雰囲気だ。
 アンヴァルは一息に身を翻すと、振り向きざまに剣を払った。思いのほか素早い攻撃を、ネルは反射的に躱してみせる。咄嗟に立てた惨殺ナイフの腹に火花をこすりながら、宙を駆けるオーラが紙一重を通り過ぎていく。
「はぁー……遅すぎて欠伸が出るわ」
 割と危うかった事をおくびにも出さない、堂々たる挑発。
 手強い敵に囲まれる悦びに、アンヴァルの迫力はいや増していく。

●決着、次のステージへ
 間もなくして、アンヴァルの標的に偏りが生じ始めた。他の挑発を受け付けず、ひたすらブレネッジを狙い始めたのだ。
 敵も確実に追い詰められている。ケルベロス達は互いに目配せし合った。立ち回り変更の合図だ。
 肩で息をするようにしながら、少し姿勢を沈めたのは、ろあだった。
「なかなかやるのぅ……じゃが、妾らはまだ倒れてはおらぬぞ?」
 『弱ってなお気を張っている』と思わせる演技でアンヴァルの気を引く。前衛以外には極力攻撃を回さないよう立ち回ってきたため、説得力や防御力など諸々を考えると、ここはろあが適任だった。
 アンヴァルは、まんまとかかった。一刀がろあめがけて振り下ろされる。強烈な一撃を、ろあはギリギリのところで耐えて見せた。
 そう何度も同じ手が通用するとも限らないし、前衛の体力を思えばこれ以上時間をかけてはいられない――直感したセラスが仲間達に呼びかける。
「パール! ろあ! 派手に決めるぜ!」
「いつものいっくよー! ロックン、ロォォオルゥ!」
「っ、承知なのじゃ! 一刀一穿!」
 三人のコンビネーションが爆発した。パールのロックソウルフルインパクト、ろあの哮竜穿牙『雨音断チ』が次々と打ち込まれ、
「こんな所で、負けてられねーんだよ!」
 どんな強敵であろうとデウスエクスは一匹残らず地球から叩き出す! 決意を籠めた炎の一撃を、セラスが叩き込む。アンヴァルの上体が、初めて不安定に傾いだ。
 機を逃さず叩き込まれるケルベロスの追撃は容赦がない。深紅の甲冑はもはや、無数の傷やへこみに覆われている。腕や足のパーツなどはところどころ脱落しており、内部のダメージも伺い知れた。
 その有様でなお、アンヴァルの哄笑はいっそう威圧を増した。敗北を喉元に突きつけられた状況を理解していながらに、戦闘が楽しくて愉しくて仕方がないと言わんばかりだ。
 完全に、戦いの狂気に呑まれている。もはや芯を外してでたらめに繰り出されるオーラを、千鶴は避けるまでもなくやり過ごし、静かに愛刀を構える。
「私は道を切り開く。そして貴男方の道は、此処で断つ――御覚悟」 
 信条は真逆なれど同じ武人、餞別には身魂捧げた一撃を。疾く鋭い一太刀は巨体の足を挫き、儚い花弁を散らした。
 静かに決まったその傍らで、
「くお~ぶつかる~ここでアクセル全開、インド人を右に!」
 何をどうしてかターャジスがドリフトターンからのすごいキックを決める。シュールな光景であった。
「小賢しい羽虫が、目障りだからとっとと消えなよ」
 汚物を見下すように、ルコの舞うがごとき斬撃が苛烈にアンヴァルを引き裂いた。哄笑が途切れ、吐血混じりの不快なうめきが兜の下から漏れる。
 敵の限界を見極め、ネルが子供っぽい表情を消して魔法で蝙蝠を作り出したのと、ブレネッジが『相棒』たる黒刃のナイフにいかづちを纏わせ駆け出したのはほぼ同時。
 いち早く敵に届いたのは、ネルの攻撃だ。
「――全てを噛み砕け」
 すっかり白けきった様子の主人の命を受け、蝙蝠は敵の懐に飛び込み、自身の周囲の空間を急激に圧縮させた。空間の消滅に巻き込まれた胸部の甲冑がひしゃげて弾け、アンヴァルの生身に、大きく抉られたような生々しい傷跡が残される。
 エインヘリアルの、頭蓋を揺るがす絶叫がこだまし――唐突に潰えた。
 声を殺して肉薄したブレネッジの『相棒』が、甲冑の隙から差し入れられ、アンヴァルの喉を貫いていた。
 傷だらけの巨体は、姿勢を固めたままゆっくりと傾ぎ、どう、と地に伏すと、それきり動く事はなかった。

 防衛線を固めていたケルベロスの全部隊は、多摩川を越えて撤退していく。
 作戦は成功だ。多くの部隊がアグリム軍団を下し、防衛線を護り切った。
 だが、重要なのは、イグニス王子に『ケルベロスの作戦が失敗した』と印象付ける事なのだ。
「逃げ帰るみたいでちょっと癪だけど……しょうがないよね」
 ガイセリウムをちらりと振り返りながら、パールが小さくぼやいた。
 大兵力の遠距離グラビティによるガイセリウム襲撃は失敗、アグリム軍団の反撃により、両陣営に損害を出しつつも、ケルベロスが押し負け敗走……そのように『誤認』してもらわなければならない。作戦の肝はあくまで、侵入部隊がつつがなくガイセリウム内に潜入を果たす事なのだ。
「侵入部隊の無事と成功を、祈りましょ~」
 静かに、のんびりと、ターャジスが締めくくる。
 曇天の下、人馬宮は未だ、都市の中央にどっかりと居座っている。その周辺でどのような動きがあるのかを、ケルベロス達が目視する事はできなかった。
 十分に、布石は打てたはず。あとは、作戦の成功を、ただただ祈るばかりだ。

作者:そらばる 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年1月22日
難度:やや難
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 3/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
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