南溟に暗雲生ず

作者:銀條彦

●黒き孤影
 穏やかな大洋のさまは馴染みの釣り客一行にどうしてもと乞われて船を出した船頭の眼にも絶好の釣り日和であった。
 デウスエクスの噂は耳にしていたがいざ漕ぎ出してみれば暖かな日差しと潮目に恵まれての大漁。行き当たったヤリイカの魚群を前に船上の誰もが夢中になりすっかりと釣りを堪能していたその時。

 不意に、海が荒れ黒く陰り始めた。天候の悪化ではなく『それ』の到来は下からだ。
 大きな水柱ひとつ。
 突然の衝撃の後、投げ出された釣り客の1人は我が目を疑った。海から突き出した古めかしい金属製の衝角がいともたやすく遊漁船をひと貫きしていたのだから。

 ――漁船が完全に撃沈したのを見届けると黒き巨影もまた潜航に戻り、海は再びその色を取り戻すのだった。

●爪痕の海
 狐村・楓(闊達自在な螺旋演舞・e07283)からの調査報告を受けての漁船襲撃の予知によって、相模湾海中に潜伏する水中戦艦型のドラゴンの一体が出現する場所を割り出せたのだとセリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)は語り、その討伐に向かって欲しいと集まったケルベロス達に依頼した。
 既に手配を済ませてあるという一隻のクルーザー船に乗り込んで当該の地点を航行すれば程無く標的との交戦は開始されるだろう。
「戦艦竜は城ヶ島の南側の海域を守護していたドラゴン達です。呼び名が示す通り、戦艦を思わせる装甲や砲塔等を其の身に備えており非常に高い戦闘力を誇るとされています」
 先だっての城ヶ島制圧戦においての上陸作戦が南側では実施されなかった理由の一つは、これら戦艦竜の防備突破に注力するのは得策ではないとの判断からだった。
「戦艦竜の数は多くはありませんが非常に強力で、このままでは相模湾の安全な航行はいつまで経っても果たされないままでしょう」
 だが今ならば。他ドラゴン勢力から取り残された状態での戦艦竜を各個撃破できる態勢が整った今ならば、ようやく相模湾掃討に臨むことが出来るのだ。
 幸い、戦艦竜はその強さの代償にダメージを自力回復できないという欠点を抱えていることが判明している。城ヶ島奪還を果たした今、戦艦竜を修復するドラゴン勢力は近辺には存在しない。
「一戦のみでこの戦艦竜を撃破するのは……残念ながらおそらくほぼ不可能でしょう。ですが確実にダメージを積み重ねて情報を持ち帰ることできっと撃破は果たせる筈です」
 まっすぐにケルベロス達を見つめながらそう断言したセリカは、ついで、現在判明している限りの敵情報についての説明へと移す。

 最初の一撃は必ずクルーザーへと揮われるというのがセリカの予知だった。
 目に付いた船を片っ端から破壊せずにはいられない凶暴な気質なのか何らかの拘りが其処に在るのかはまったく分からないが、自船はあくまでも戦艦竜と遭遇するまでの足であり、釣り出す為の餌であるのみと割り切って臨んだ方が良いだろう。
 ケルベロスならば冬の海での水中戦であろうと一戦闘程度ならば機動や呼吸の心配要らず、地上での戦いと同じように行動できる筈である。ただ仲間同士で会話をする際にはなにか一工夫を準備しないとスムーズな意思疎通は難しいかもしれない。
「近接戦を好むタイプなのかもしれません。ですが砲塔を思わせる部位が幾つも存在するようですし、2……いえ3本ほどでしょうか? 背中からは背びれの代わりに砲塔とはまた別の筒状の突起が何本も見受けられました」
 また、頭部とそこから伸びる一本角もかつての軍船の衝角の如き進化を遂げており、その頑健さと鋭利さで恐るべき突進攻撃を繰り出してくるという。
 現在のところ判明している攻撃はその一種のみだが、少しでも手がかりとなり得そうなものは漏らさぬようにとセリカは懸命に語り続ける。 
 体力と攻撃力が特化されており、引き換えに命中や回避力に関してはやや劣るタイプとも敵挙動から推測されている。
「戦艦竜は一度攻撃されれば迎撃行動を取り、以降、敵を倒すまで自身から撤退することはありません。同時に、深追いしないという行動パターンも備えているので、ケルベロス側が撤退に踏み切った際に阻害される心配も無いでしょう」 
 
 最後に、危険が予想される大事な戦いであると同時に一命を賭すほどの局面ではないのだとヘリオライダーは何度も念を押した。
「ですから無理だけは決してなさらないよう、必ず皆さんで戻って来られるよう……お願いします」


参加者
清水・光(地球人のブレイズキャリバー・e01264)
月浪・光太郎(潰えぬ燈火・e02318)
ニケ・セン(六花ノ空・e02547)
ペシュメリア・ビリーフニガル(アヴァンツィアーモ・e03765)
アトリ・カシュタール(空忘れの旅鳥・e11587)
秋空・彼方(英勇戦記ブレイブスター・e16735)
東雲・菜々乃(ウェアライダーの自宅警備員・e18447)

■リプレイ


(「堪える寒さも未知の巨艦竜も、この海の平穏の為に乗り越えるべき相手。そして今は、耐える時……」)
 高く結い上げた金髪を冬の船風へと舞わせながら、ペシュメリア・ビリーフニガル(アヴァンツィアーモ・e03765)は船縁より目指す巨敵の兆しを求めていた。
 水中戦に備えてのハンドサインや合図の決め事を最終確認し終えた一行は各々の配置へ。
 ニケ・セン(六花ノ空・e02547)は多数の浮力材を用意し、エルフリード・ファッシュ(猟兵・e16840)はクルーザーに備えつけたゴムボートをいつでも海へと投下できるよう傍らに立ち、戦闘後への準備と配慮も欠かさない。

 既に敵の出現予想エリア内に差し掛かりいつ戦艦竜が出現してもおかしくは無い。
 赤の鎧装姿の秋空・彼方(英勇戦記ブレイブスター・e16735)はこれまでの中でも特に厳しい戦いとなるとの予感を前に少しでも己の力が役に立てるようにと覚悟を新たにしていた。
「戦いやと気にせえへんけど、こういう格好はどうもあかんね」
 一方でケルベロスコートの下はすでに水着一枚の清水・光(地球人のブレイズキャリバー・e01264)はひらひらと軽やかに裾を翻す。
「まぁでもこれで抵抗なんかも気にはならへんやろう」
 季節外れのリゾートを連想させる肢体もはんなりとした気負いの無さも、その実、彼女の意識が既に海下の死闘へと引き絞られつつある表れ。
「ちょっと怖いけれど……待っててくれてる人のためにも、しっかり役目を果たしたいの」
 ――銀無垢の懐中時計に舞う白と黒の翼。包み縋るような両掌。
 アトリ・カシュタール(空忘れの旅鳥・e11587)がフェザークロックを一撫ですれば彼女の勇気にも翼が生まれる。

「……行きましょう」
 ペシュメリアが僅かな海面の変化を察知し敵機到来を伝達すると同時、月浪・光太郎(潰えぬ燈火・e02318)の水飛沫一つ立てぬ飛込みを皮切りに次々と離船開始。泳ぎに不安を抱えるも意を決した東雲・菜々乃(ウェアライダーの自宅警備員・e18447)がドボンと身を投じた直後に『影』が海を染めた。
 海底から急浮上しての衝角突撃。
 ただの一撃で完全にクルーザー船が粉砕した衝撃が激戦の始まりを告げる。


 無人の船に注意を逸らした戦艦竜の巨体は絶好の的と映る。
「しかしデカイな」
 不謹慎かもしれぬが、それでも、光太郎は躍る己が心のままに漆黒へナイフを突き立てる。伝わる感触は上々。
「この破壊力。やっぱり、盾の守りは欠かせないみたいだね」
「旅人達への守護をあなたに……!」
 過不足無くエンチャントを施す為のハンドサインが交わされた後。
 恐るべき純ダメージに対してニケの黒鎖が守護の魔法陣を描き、翡翠の鳥へ祈り傾けたアトリからも柔らかな加護の波が拡がる。
 また、いまだ見ぬ状態異常にも備えて菜々乃が黄金の果実から解き放った光に翼猫プリンが邪気祓う羽ばたきの魔力を重ねて前中衛をカバーした。こちらは合図不要の阿吽の呼吸。
「ドラゴンの進化ってすごいのですね。もっとじっくり見せてほしいのです」
 ほわぁっと浮遊しながらの態勢から吐かれた菜々乃の感嘆は本心からのもの。いざ戦場たる海で未知の強敵を直に目にすれば少女の内から恐怖は掻き消え、純粋な驚きへ、そして、やがては対象への興味にとその形を変える。
(「耐えるべき時、ですが……」)
 ケルベロスであるペシュメリアの身は凍える海中にあっても戦闘や生命維持に全く支障は無い。が、かといっていつまでも体験していたい類いのものでもない。
(「日本の炬燵の、あの包みこまれるような甘美なぬくもりが今は恋しい――もとい」)
 ふるりと一振りだけ頭を廻らせ、横滑りしかけた思考をすぐさまに切り替えると、少女はまず眼下の味方とそれに迫ろうする戦艦竜双方の動静を注視すべく神経を集中させる。
 その意識の一部を傾け戦艦竜へと伸ばされた猟犬の鎖を囮とするタイミングで巻き起こる銃撃。敵上方へ位置取り、海面近くからバスターライフルを構えて制圧射撃の口火を切ったエルフリードの狙いは、竜の背中から生える円筒状の突起群だ。
「巨大突起は3本で確定か。一見しただけなら煙突そのものといった外見だが、さて」
 『逆鱗』への過剰反応を警戒するケルベロス達の前でグラビティの光弾の雨は全弾命中するも顕著な反応も変化も戦艦竜からは観測されず。
 人車一体のスピン走行で戦艦竜へと襲い掛かる半身ヤタガラスの援護を受け彼方も携行砲台を掃射させて煙突部周辺の制圧へと加わる。
「なんて巨大な……でも! 皆で無事に帰るために頑張ろう!」

 辺りに飛散する船の残骸に突撃特化の武器の高威力を実感しつつ光はそれら全てをひらりくるりと人魚の如きしなやかな動きで回避し間合いを詰める。
 たなびく光の長い桃髪の、肩口から先は噴き上がる炎獄。まずはその炎を全身へ廻らせようとしたがこの戦いの為にと意図したグラビティの大半が今我が身には宿らぬ感覚に彼女は短く舌打ちした。だが女戦士は実行可能な範囲での最善へと戦法を切り替える。
 大の男の手にすら余る重量感を備えた鉄塊の巨剣二振りも水中戦闘も、緋花散らす光の剣技の糧にこそ生れ枷とは為り得ない。 
「この道を修羅道と知り推して参る」

 小さき侵入者らの出現に、竜はゆっくりとその艦首をもたげ己が領域たる海を睥睨する。
 砲塔が同時起動したと伝え合う間も与えず砲火は海域を灼熱へと燃やし尽くし爆ぜた。
「……ッ! なんて……激しい!! 皆大丈夫!?」
 愛機に守られながら中距離の間合いを取る自身の目と鼻の先で炸裂した猛攻に、前衛列を心配した彼方は思わず叫ぶもその声は同時に吐かれた大量の泡音に掻き消される。
 戦列の最前を固めるケルベロスとサーヴァントの数は六。
 その堅い守りが戦艦竜の全砲塔から一斉に放たれた砲撃を減衰させた一方で、複数自軍を癒すヒールグラビティの威力も弱体化を余儀なくされている。
 だが永久を刻む針音は癒し手たるアトリの鼓動に優しく重なる。
(「私は私の戦いを。守るべきものを守れるように、戦うよ」)
(「前後に連装砲各2基、全身に小型の単装砲10基からの一斉砲火はファイアブレス級。減衰させて尚強力な威力に加えもしこれに重ねて【炎】が発動した場合の被害も軽視できませんね……」)
 菜々乃らに引き続きの回復支援を求める合図を出したペシュメリアは武揮う仲間達への信頼を鎮火の雨へと変える。
「巨大突起の方はいまだ変化なしか。それじゃお返しさせてもらおうかなぁ」
 敵攻撃を見定めたニケは紡ぐ鹵獲術に竜語魔法を選択する。
 森の賢者の掌中から現れた竜が劫火の息吹を浴びせた先は三本煙突。部位破壊を試みる為エルフリードの気咬弾が重ねられた。
 堅く守備を整えた後、総力あげてあらん限りのバッドステータス攻勢と綿密な連携による部位狙い。粘り強い情報収集に重きを置きつつも『隙あらば……』を狙い続ける戦術がニケ達の基本方針である。ただし守備を担う前列の半数は耐久に劣るサーヴァントである。
「ヤタガラス……ッ」
 衝角突撃の最初の餌食となり戦線離脱した愛機に彼方は焦りの表情を隠せない。
 敵艦の火勢いや増す中、彼方は抗い、手を伸ばす。
「――AC005『アメノヌボコ』! 来い!」
 過ぎた力と自覚する持たざる少年がそれでもと、召喚した氷の巨矛は漆黒の背を掠めるに留まり直撃には到らず。 
「くっ……いや、効くまで撃ち続けるだけだ!」
 諦めない。今はまだその意思だけが少年の確かな力。

「――っ!」
 主砲級とおぼしき武装や点在する小型砲塔のみを見敵必殴。無属性のフェイントを交えてひたすら『緋色芙蓉(アカイハナ)』を叩き込み続けていた光だったが、燻る大火傷の痛手を立て直す前に戦艦竜の全力突撃に沈んだ。
 ヤタガラスに続きプリンも耐え切れず戦闘不能となった後の隙を衝かれた形となったが、元より我が身すら使い潰しての威力偵察任務と覚悟完了で臨んでの戦い。心配無用と仲間達へ親指を突き出しながら、悠然と、修羅たる女の気配は戦闘領域より完全に消失する。


 幾つかの攻防を経た戦艦竜の有様はさながら状態異常の大バーゲンであった。
 彼方やニケとサーヴァント達が浴びせたBSだけでも両指に届きそうな徹底振りである。
 果敢にも竜へと噛み付く窮鼠ならぬ桐箱……ニケのミミックのギザ歯は軽く跳ね返されてしまったが、ひょこりと上蓋を傾けて不思議がる仕草は愛嬌満点。
 次なる攻めでむにむにと具現化された武装は何故か古式ゆかしき火縄銃でこれまた何故だか見事に石化付与に成功していたりした。
 一方でいまだ性能低下に繋がる部位破壊は為せぬままでもあった。
「斬る! 砕く! そして惑わす! ……良いぞ! どれだけ業を振おうとも倒せる気がしない、楽しい、素晴らしい獲物だ!」
 歓喜に満ちた哄笑ごと光太郎の肉体が闘気の光へ溶け、月光色の斬撃そのものとなった『伝承者』は巨龍の船体を深く貫く。
 直後。
 三本煙突が突如一斉に不気味な重低音を奏でて熱を帯び、正に煙突の面目躍如といった勢いでどす黒い煙を吐き出し始めた。
 それは列攻撃としてはやや強力だろうが今迄繰り返されて来た砲撃の威力には及ばない。
「この黒煙の正体は……」
 真っ先に反応したのはペシュメリアだった。即座に薬液の帯に指向性を持たせ煙中の前衛列に浄化を施したのに続き同職のアトリも癒術の雨を重ねた。
「――アンチヒール」
 桁外れの火力を誇る敵を相手に廻しての死闘下、生命線に等しい治癒を阻害されては戦線の一挙瓦解にも繋がりかねない。
「へぇ、臆病なんだ、お前」
 治癒防御と部位別攻撃を担う後衛列に攻撃を誘引する危険性とダメージ分散を秤にかけた後ニケは、内心の葛藤などおくびにも出さずおっとりと挑発の語句を口にした。
 遠い間合いの水中下。伝わるかは五分五分でも揶揄の気配だけでも通じれば充分との思惑。だが返るは低く重く漏れる駆動音ばかり。
「まるでドラゴンというよりもダモクレスを相手にしている様だな」
 そう零しながら任務遂行に徹しロケットランチャーを構えるエルフリードの眼光は一層鋭いものとなる。軍装のシャドウエルフが発射した『Blitzschlag(ブリッツ・シュラーク) 』は稲光にも比する威力と輝きで漆黒艦を又穿つ。

「傷つく者達に希望を、戦う者達に力を与えるのですっ!」
 前衛列への猛攻傾向は依然変わらず衝角の最優先目標は今、光太郎であるらしかった。
 負わせた損傷だけなら部位狙いに徹するエルフリードも彼とほぼ同等の筈だが、一手一撃の強さと引き換えに命中頻度で劣る光太郎排除に執着する理由は何なのか。
 敵をより識る為にも彼を残すべきと決断したウェアライダーの少女は懸命に、黒煙も突撃もその小さな体に引き受け遂に力尽きた。
「――砕けろ、……この一撃で!」  
 ゆっくりと海面に向けて浮上する菜々乃を光太郎は振り返らない。
 攻撃役としてより龍を苦しめ得る一刺しのみを模索し、集中し、削る。其れにこそ希望を繋いだ乙女の挺身に暗殺者は禍上流殺法奥義で応え……ただただ不屈たれとペシュメリアの魔術切開治療に後押しされながら敵弱点の発見へと結実する。
「少しでも、次につながる戦いを……!」
 空ならぬ海掻くアトリの翼。高く捧げ持たれた杖から放たれる眩き守護の雷迅。
 人派ドラゴニアンの乙女の祈りが仲間達を支え続ける。
 命中率ほどの正確な眼力は働かないがそれでも、目標達成近くまで敵に損害を与え得たとの感触が各人に共有されつつあった。

 新たに攻撃グラビティを2種確認。いずれも列攻撃。
 特定バッドステータス抵抗への得手不得手は見られず。
 弱点部位は煙突・砲塔・衝角『以外』全般。漆黒装甲部の魔法耐性のみ格段に劣り通常以上のダメージが見込める。ただし度重なる魔法攻撃は煙突部からの列アンチヒール攻撃と攻撃集中の誘引に繋がる危険大。
 ……成果を冷静に反芻しながら、ニケは、目標に達したと撤退を決断し差配する。

 撤退を示すライト光の合図を視認した光太郎は最後にその両腕に惨殺ナイフを構え、死を纏う舞踏の如き連続斬撃で装甲を斬り裂いた後に仲間達の後を追った。
「名残惜しいが……。さらばだ巨龍よ。今回はここまでだが、我ら猟犬は執念深い」
 焔噴く顎からは呪詛にも似た去り際の台詞が深き水面へと残された。
 死ぬまで追い続ける狩りは、始まったばかりだ、と。


 ケルベロス達の散開と撤退に対しては事前情報通り、戦艦竜から追撃の気配は無い。
 ペシュメリアが一瞥すれば遠ざかる巨影はいまだ黒煙を纏うていた。
 もしも冠する名があれば、との願いと共に視線を投げれば。八重垣の如き昏き濁流の奥、一対の柘榴色と刹那交わり、漆黒の光沢で覆われた瞼がすぅと細められた。
 それは偶然が見せた、些細な動作の一つでしかなかっただろう。だが。
 固く無反応を貫き対話はおろか戦闘中についぞ咆哮すらあげぬままだった竜が初めて覗かせた生き物としての確かな息遣いにペシュメリアは静かに一礼の所作を取る。
 ――戦艦竜『八雲』。
 其れこそが彼女達との激戦を経て導き出される事となるかのドラゴンの個体名。
「……また会いましょう」

「この冬の海で泳いで帰るのは酷だからな」
 自身は寒冷適応でそれらをものともしないエルフリードは力強いストロークで救助に向かい光や菜々乃を次々と拾い上げ保護してゆく。予め用意したゴムボートの出番である。
「……ボートは襲いに来ないんやね」
 小舟に横たわる光がぼそりとそう呟いた。何ということのない只の思いつきだったがそれに返されたのもまた快復しつつある菜々乃のふとした思いつき。
「もしかしたらですけれど、より機械的なほうが狙われやすいのかもしれませんね」
 最初にクルーザー船を撃沈され、一斉砲撃を織り交ぜつつも次に衝角が狙いをつけたのは確かにライドキャリバーに対してであった。
「ふむ。機械音に向かうのか……いや、違うな……」
 検討する価値のある仮説ではとエルフリードもしばしボート上で考え込む。
「単純にサイズの問題なのかもしれんか」
 思わぬ話の流れに、愉快げに、体の痛みも忘れて身を起こした光も談義にと加わる。

「こんなにも強力だなんて……」
「そうだねぇ。でもさ、俺たちはこうやってちゃんと敵の手の内もその行動パターンも弱点も暴いて帰還しようとしている。誰ひとり欠けることなく、ね?」
 独り、心身を沈めかけていた彼方の身体を、ニケは散布した救命具へと手繰り寄せ掴まらせながら穏やかに労う。シャドウエルフの青年が掛けた言葉は決して気休めなどではない。
「です、ね……情報を持ち帰れば、後に続いてくれる人達がきっと!」
 ガントレットの拳を堅く握りしめた少年達を波間に乗せ、海は再び、ひとときの静けさを取り戻すのだった。

作者:銀條彦 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2016年1月13日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 6/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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