●現れ出でる
濃密な気配と共に、小さなうねりがやがて誰の目にもわかるほどの形を作り上げていく。
魔空回廊。デウスエクスが繋げる、異次元の通路。
そこから姿を現したのは、粘り気のある黒いタールの翼を広げ、濁った瞳を持つ存在。それが妖精族のシャイターンと知る者はいるだろうか。
尖った耳をぴくりと動かし、黒褐色の瞳をぎょろりと周辺に巡らせているシャイターンの背後から、対照的な光の翼を羽ばたかせるヴァルキュリアが次々と姿を見せていく。
その数、16。
しかし彼女達の瞳には、およそ自我というものが感じ取れない。
視線はただ虚ろに宙に向けられているばかりで、自ら動き言葉を発するという気配もなく、ただ機械的に身を連ねているだけのようにさえ思えるほどだった。
そんなヴァルキュリア達を満足気に一瞥して、シャイターンはくつくつと喉を震わせて笑う。
「オレ様はなぁ、イグニス王子から貴様らヴァルキュリアの支配権をもらってんだ。わかってるとは思うが、逆らったりするんじゃねぇぞ」
その言葉に、誰も言葉を返さない。――否、返せないのか。ヴァルキュリアのことなど気にも留めず、シャイターンは高揚した面持ちで言葉を続ける。
「殿下に喜んでいただくためには何がいいか、考えた訳よ。やっぱり血だよな、血がいいよなぁ」
それ以外に何があるかと、己自身が歓喜に満ちたように、揚々と。
「地球侵攻の前祝いだ、ここら一帯にいる奴らみぃーんなゴミのように潰してこい。手当たり次第だ。そんで、ありったけのグラビティ・チェインを奪えよぉ」
それくらい阿呆でもできるよなぁ、と嘲る風に唇を歪ませて街を見やる。
至る所、ひしめくように存在する人間は、これから起こる出来事など想像もしていないだろう。
数分もすれば聞こえてくるだろう叫喚を思うだけで、シャイターンの下卑た笑みが深まっていく。
「どこぞの阿呆や馬鹿が来たら面倒だからな、4人はオレ様の護衛に回れ。……他はグズグズしてんじゃねぇ、さっさと行け!」
ゆるりと、12のヴァルキュリアが動き始めた。
これから行われる虐殺に、シャイターンは愉悦の笑みを滲ませながら時を待つ――。
●染まらぬ未来の先へ
「これまでの戦いでお疲れの方々には申し訳ありませんが、エインヘリアルに関して、大きな動きがありました」
緑の瞳を細め、セリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)は唇を引き締めた。
「鎌倉防衛戦において第一王子のザイフリートが失脚したことは、みなさんの記憶にも新しいと思います。ですが新たな王子が、その後任として地球への侵攻を開始したようなのです」
そして、ザイフリートの配下だったヴァルキュリアを、何らかの方法で以って強制的に従えることを可能にしたらしい。
侵攻する者はそのヴァルキュリア達を連れ、魔空回廊を用いて人間達を虐殺し、大量のグラビティ・チェイン獲得を画策しているのだという。
「ここに集まっていただいたみなさんに向かってもらうのは、東京都町田市になります。そして今回の敵はヴァルキュリアと、それを従える者――妖精8種族のひとつ、シャイターンです」
人間を襲うヴァルキュリア、それを指示するシャイターン。
これらの両方の対処を願うとセリカは告げ、小さく息を吐く。
「シャイターンの撃破が目的となりますが、4体のヴァルキュリアが護衛についているようです」
けれど、と間を置かずにセリカは続ける。
人間達を虐殺しに向かったヴァルキュリアが苦戦する戦場に、2体ずつを援軍として派遣するらしい。
ヴァルキュリアと交戦するケルベロス達の状況に左右されるが、最初の2体が3分から5分後に、残り2体が7分から10分後に派遣されると考えれば、何かの目安になるだろう。
「ヴァルキュリアが護衛についたまま交戦することも可能でしょうが、その場合は大変に厳しい戦いとなり、シャイターンを取り逃がす危険性が高まります」
ヴァルキュリアが援軍として派遣された先の戦場も厳しくなるだろうが、指揮官であるシャイターンを倒すことさえできれば、ヴァルキュリア達の混乱も期待できるかもしれない。
そうなれば、対峙しているケルベロス達も有利に戦うことが望めるだろう。
「どのタイミングでシャイターンを襲撃するかは、みなさんにお任せします。ですが、どうか、確実に撃破できる作戦をお願いします」
小さく頭を下げたセリカは、顔を上げてシャイターンに関する情報を伝えていく。
炎を操るグラビティを使用するが、詳細は未だ不明。
武器は魔導書であり、それに関するグラビティを用いて戦ってくる。
「このシャイターンは臆病でもあるようです。ヴァルキュリアを全て派遣し終えたり、自分の状況が不利になったりすれば、すぐに魔空回廊を開いて撤退しようとします。そして、回復を時間稼ぎとした戦い方をするようです」
護衛のヴァルキュリア4体全員が使用する武器は、ゾディアックソードのようだ。
魔空回廊が開くまでに要する時間は10分。
それまで如何にして倒すかが重要になる。
「妖精8種族のシャイターンが新たな敵として姿を現しましたが、情報はとても少なく、その能力は未知数です」
ですが、とセリカはケルベロスひとりひとりに視線を向けていく。
後任となるエインヘリアルの王子の思惑も、このシャイターンが何を企んでいるのかも杳として知れず、情報は皆無に等しい。
けれど、罪もない人々が命の危機に晒され、無理に使役され虐殺に手を血で染めようとしているヴァルキュリア達がいる。
これらを阻止できるのはケルベロスしかいないのだ。
「どのような存在であっても、ケルベロスのみなさんが倒してくれると、信じています」
参加者 | |
---|---|
叢雲・蓮(無常迅速・e00144) |
鳥羽・雅貴(ノラ・e01795) |
相馬・竜人(掟守・e01889) |
千手・明子(天上天下わたくしがあきらちゃ・e02471) |
葛城・時人(青闇光想・e04959) |
八坂・大輝(唯我独蔑・e05733) |
御影・有理(万有情報学者・e14635) |
アーニャ・シュネールイーツ(時の理を壊す者・e16895) |
●
一度に複数のヴァルキュリアが出現したことにより、町田市は騒然としていた。だがそれを指示していたシャイターンは苛立ちのままに舌打ちをする。
ヴァルキュリアを阻むように、ケルベロスたちが現れたからだ。
「さっさと始末できねぇのかよ」
4体のヴァルキュリアを護衛に付かせたシャイターンは、各所を確認するため忙しなく周囲に視線を巡らせていく。
そのシャイターンを狙うケルベロス達は、見付からないように建物の影に身を潜ませていた。不意を打つ隙がない様子に奇襲策は断念するしかなかったが、今はただ時を待つ。
「クソが! てめぇら2体、あっちの援軍に行け!」
他の場所で戦いが始まってから、4分ほど経っただろうか。指示されたヴァルキュリアが動き始める。
それを目にしたケルベロス達もまた、動く。
「たった今、援軍が派遣されましたわ」
ヘッドセットに向け、千手・明子(天上天下わたくしがあきらちゃ・e02471)は別の戦場にいる者へ小声で伝える。向こうの交戦の音と共に返答が得られ、激励の言葉も添えられれば、明子はあのシャイターンを倒すことが他の戦場にいる仲間への最大の援護になるのだと気を引き締め直した。
鳥羽・雅貴(ノラ・e01795)は身動きせず通信機の相手に数回のコールで増援の知らせを告げ、同様の手段で葛城・時人(青闇光想・e04959)とアーニャ・シュネールイーツ(時の理を壊す者・e16895)も伝達を終える。
ヴァルキュリアの姿が見えなくなれば、真っ先に叢雲・蓮(無常迅速・e00144)が銀糸混じる黒髪をなびかせ走る。
「ちっ!?」
彼が向かうのは、迫り来る存在を苦々しそうに見遣るシャイターン。
雷の霊力を帯びた蓮の斬霊刀が敏速な動作で突きを見舞う後ろで、雅貴がそれに続くようにケルベロスチェインを放ち、シャイターンの身体を締め上げる。
「……あなたのことは、徹底的に邪魔させていただきます!」
ウイルスカプセルを手にしたアーニャが、痛みに顔を顰めたシャイターンに向けて投射する。それは治癒行為を阻害する殺神ウイルス。回復で時間稼ぎをする敵にとって、致命的にもなりうる攻撃だ。
「狙いはオレ様ってかぁ!」
護衛に残ったヴァルキュリアには見向きもしないケルベロスに、シャイターンは舌打ちをする。
「ウザってぇな。てめぇら、そこの銀髪の女から叩き潰せ!」
致命的でありすぎるためか。アーニャを集中して攻撃するようヴァルキュリアに指示したシャイターンは、逃走のために魔空回廊を開くべく動作させた。視認できる8名のケルベロスが迫れば耐え切ることが難しいと判じた、臆病者の気質が故に。
「徹底的に叩き潰すさ」
逃走する前に倒しきればいいだけのこととばかりに八坂・大輝(唯我独蔑・e05733)が拳銃から放つ弾丸が跳弾し、シャイターンの身を貫く。
唯一のクラッシャーである蓮へ魔導書の禁断である箇所を詠唱し強化を行っていた相馬・竜人(掟守・e01889)は、ヴァルキュリアの行く手を阻もうと前に立つが、目に留める事無く横切った1体はゾディアックソードを構えてアーニャに重い斬撃を放つ。もう1体はシャイターンの傍から動かぬまま剣に宿る星の力を凍て付くオーラに変えて飛ばすも、辛うじて明子が身を挺して庇う。そして流れるような動作で間近にいるヴァルキュリアへと縛霊手の掌から巨大な光弾を放つが、僅かな差で回避された。
「大丈夫か……!?」
仲間の身を案じながらも時人が大鎌に宿る怨念を解放すれば、幾多もの亡霊がシャイターンと傍にいるヴァルキュリアを襲う。
仲間の傷はまだ浅いと見た御影・有理(万有情報学者・e14635)は星辰の剣で地に守護星座を描き、シャイターンの前にいる者達へと害するものを阻む力を与えていく。そして彼女の傍らにいたボクスドラゴンのリムが、アーニャへ属性インストールでの治癒を行った。
魔空回廊が開き始めてから1分、町田市の各所で始まっている戦いからは5分。
双方共に、大きな負傷はない。
●
蓮は隙を窺いながら刀を振るうが、シャイターンは身軽な動作で避けていく。
回避されたときに油断させるための言葉を考えてはいたが、既に魔空回廊が動き始めて撤退の可能性が高まっている以上、口にする意味も薄い。
「(けど、こんな卑怯で悪そうな奴の好きにはさせないんだぜ)」
「殴り倒し甲斐がありそうだ」
そう言って大輝が放つヘッドショットが、見切られたように回避される。
「本当はてめぇらゴミクズの相手をしてやるだけ無駄なんだがなぁ!」
シャイターンが何かを呼び起こすように、間近にただひとりいた蓮へと掌を向ける。熱がシャイターンの手に満ちれば、生じる灼熱の炎塊が少年の身体を焼き焦がしていく。
「(炎は掌からか)」
敵は奇しくも雅貴と同じ妖精族であり魔道書を手にする者ではあったが、その所業は到底認められるものではない。
「こんな奴らがかつての同胞たァな」
雅貴が古代語を詠唱を始めれば、それは瞬時に魔の光を呼び寄せ、石化を齎す光線へと変える。
「あなたは逃がしません、絶対にここで仕留めます!」
自身が狙われていると理解していても、アーニャはシャイターンに狙いを定める。アームドフォートの主砲を放てば、避けきれない攻撃が連続して身を焦がすことに相手は露骨な舌打ちをする。
ヴァルキュリアは、2体ともアーニャに迫る。命じられるままに動く彼女らをいなすために動く者達は必然的にアーニャの下へと集まることになり、このことで前衛と中衛とで分断される形になってしまった。
そして庇うこととて必然ではない。
「横に飛べ、来てるぞ!」
竜人が警告しつつ1体の斬撃を引き受けるも、反応しきれないアーニャの身体は再び血で染まる。
シャイターンの炎を受けてみたいと思っていた明子だったが、この場を離れる訳にもいかない。ならばせめて己に注意が向けられるようにと、瞋恚を湧き立たせていく。
「わたくしは貴方の敵。守りたいなら、おいでなさい」
明子の胸から、花が咲くように炎が噴き上げ、シャイターンのを巻き取るように包む。
その炎は慈悲のものでもあった。明子が仲間の脅威であると認識させることで、怒りを覚えさせる――
「オレ様の真似事か? くっそうざってぇな!」
この卑劣で臆病なシャイターンに仲間を思う心があればだが。
時人もまた予想とは違った状況に青の双眸を細める。シャイターンと距離が近ければそちらに攻撃を仕掛けることを念頭に置いていたためだ。
達人と称されるほどの技量の賜物である一撃をヴァルキュリアに打つことで傷を負わせていくものの、彼女達は生存させたまま戦いを終えたい。けれどもこのままではシャイターンを屠る戦力が足りない。この場をどうするべきか、逡巡する。
竜人は跳躍し、ヴァルキュリアの脳天に目掛けて斧を振り下ろす。脳を揺らし威圧することで、相手の攻撃を少しでも避けやすくするためだ。
「(殺しちゃまずいんだよな、今回は)」
髑髏のような仮面の奥で、竜人は誰にも覚られぬ溜息を零した。
「……滾り、活かせ」
有理が魔導書の詠唱による治癒を行使し、アーニャの傷を癒しながら強化を施す。すべての傷を治すことはできなかったが、分断されたこの状況下では有理の治癒が不可欠なものとなっていた。自らの傷を癒す手段を持つものは多くいたが、それでは攻撃が不足している現状が好転しない。今は少しでも攻撃に専念させる必要があると、リムには蓮への回復をさせていく。
●
しかし、戦況は停滞していた。
傷の累積と、行動を阻害するものが増えたシャイターンは、次の行動から己の回復に専念したためだ。
魔空回廊が開き逃げ延びることを最優先としたシャイターンが、無理にケルベロスと戦う必要はない。狙いの甘い攻撃は避けることも多く、致命傷を与えるには遠かった。
またヴァルキュリアを殺さぬようにと動くものの、手加減ができる攻撃を用意したものはシャイターンに専念していたため、時が経つにつれて満身創痍となっていく彼女らへの攻撃も躊躇われる。
傷を受けては癒す。それを重ねてから事態が動いたのは、シャイターンと交戦を始めて5分が経過しようかというときだった。
「く……!」
ヴァルキュリアに狙われ続けたアーニャが、地に崩れ落ちる。
ディフェンダーらに庇われることも多かったが、ヴァルキュリアは執拗に彼女のみを攻撃し続けたことによって蓄積された傷が限界を超えたのだ。
けれどもアーニャの行動がなければシャイターンの治癒を抑えることができなかった。意識が遠くなる中、彼女は仲間がシャイターンを逃がす事無く倒してくれることを信じ、灰色の瞳を閉ざすように目蓋を下ろした。
「手間かけさせやがって、クソが!」
シャイターンにとってはようやくと言うべきか。ヴァルキュリアへは一度も回復させることなく堪え続けていただけに過ぎないが、この男にしてみれば攻撃の手がひとつ減っただけでも負担は軽くなると思ったのだろう。
しかし、変化したのはそれだけではない。
全力で戦えるようにと、有理は同じ町の防衛隊員として席を置いている同士の明子に、禁断の断章にある脳細胞を急激に賦活させていく。
未知のグラビティをその身に受けてみたいと言っていた明子に、もし何かがあれば。また目の前で誰かを失うのかと、有理は自身の凄惨な過去と重ねて恐怖する。それを忌避するには、過去とは違い力を持つ今の自分にできることは、彼女を信じて傷を癒し、守ることに他ならない。
「あなたは絶対に、倒し切ります」
頼りにしている同士の助力を得て、明子が再び瞋恚の炎を噴き上げる。慈悲をも呼び起こす炎の花弁は、まるで生きているかのように静かに揺らめき、敵の下へと舞い、燃やし尽くすが如くシャイターンの身体を焦がしていく。
炎の熱で僅かに揺らぐその隙を見逃さず、蓮は空の力を纏わせた斬霊刀でシャイターンに残っている傷跡を抉るように斬り広げていく。
「キミ、すごく手強かったけど、戦い方を変えていたらボク達を倒すこともできたのだよ?」
「てめぇらみてぇなカスと付き合うためにいる訳ねぇだろうが!」
吐き捨てるように言葉を返しながら、シャイターンはコレまでに何度も使用してきた治癒のグラビティを展開する。生きた蛇を創造し、自ら喰らうことで治癒と盾の力を得ていくものだ。
「よお、新入り。来たばっかのテメエに、ひとついいこと教えてやるよ」
竜人がシャイターンに肉薄する。
すかさず放つは、自身の爪を硬化させることで衝撃を防ぐ呪術の盾ごと破砕して貫く神速の一撃。
「殺されたら死ぬ、ソイツがルールだ」
使い捨ての駒でしかない奴が、ヴァルキュリアを強制的に配下に置いて偉ぶっている。それだけでも十分に気に食わないのだから、殺して然るべき相手だ。盾が消えていき歯噛みするシャイターンを目にし、竜人は仮面の奥で小さく笑った。
「お前にくれてやるものなど何もない!」
時人が手にする簒奪者の鎌の刃が、虚の力を纏う。死を齎す鎌を渾身の力で斬り裂けば、シャイターンの傷口から鮮血と共に生命力すらも奪い、我が物にしていく。
この敵を決して逃す訳にはいかないのだ。この町田の住人のために、そして今まさに同じ街で戦っている者達と、彼らが守ろうとしているヴァルキュリアのためにも。
「ただただ祈る――」
リボルバーへ込められた弾丸に、大輝はゆるりと目蓋を伏せて祈りを捧げる。
その祈願は、命を断つことに向けたものではない。
「この祈りが、安寧を与えん事を」
これから死にゆく者が、僅かでも安らかに逝けることを只管に願うが故。狙い定めて放たれる弾丸は、シャイターンの胸部を貫いた。
「てっ、めぇ……!!」
胸部を押さえながら、シャイターンは大輝を睥睨する。
これまでに蓄積されていた癒しきれない傷、そして重ねるように放たれていったケルベロスの苛烈なる攻撃に、シャイターンは血を吐きながら未だ開かぬ魔空回廊を見遣る。後どれくらいで逃げられるのか、思案を廻らせるかのように。
「逃がすかよ、下衆野郎」
その意識は雅貴の言葉で断たれた。
己が手はどれほどの血に塗られようとも、護ると決めたものが彼にはある。
あらゆるものを奪われた過去と重なるものがあるのだろうか、雅貴は銀の瞳を眇めて唇を薄く開く。
「――オヤスミ」
ただの一言。囁きと紛うような詠唱。
それだけで、音もなく影から現れ出でる刃がシャイターンの視覚を闇へと誘い、共に齎す痺れと痛みが、命をも絶たせる。
「血も涙も、これ以上はご免だ」
声もなく死を迎えた者を見据え、雅貴は嘆息を零した。
●
シャイターンの撃破が叶ったときには、6分が経過していた。
元凶が倒れれば、残されたヴァルキュリアの瞳に正気の光が戻っていくが、眼前にケルベロスがいればゾディアックソードを手に身構える。その様子に、竜人は首を振った。
「今は退けよ。テメエら自身、この状況の整理に時間は要るだろ?」
「一体、何があったと……」
「説明している時間は少ないけど、存命しているザイフリート王子が今、苦境に立たされているんだ」
時人の言葉に、ふたりのヴァルキュリアは息を呑む。
「暗殺されそうになっていると聞いている」
「ザイフリート王子のところへ向かったら如何ですか?」
有理と明子の促しに、ヴァルキュリアは躊躇いなく頷いた。
「敵対していた身であったが、寛大な言葉に感謝する、ケルベロス」
「我らに問い質したいこともあるだろうが、今は王子の御身を守ることを優先したい。どうか不義理を許してほしい」
言葉を交わしている時間が増えるほど、真に守るべき存在の命が危うくなる。であれば、今は戦場に向かうべきだと彼女達は判じたのだ。
「でもお姉ちゃん達、怪我が酷いけど大丈夫?」
「命があるだけ恵まれている。……治癒は、道中で我ら自身で行おう」
気遣う蓮の言葉に、ヴァルキュリアは小さく笑みを見せる。
意思の疎通ができ笑みを向けられたことに、気を付けてね、と蓮は少女と見間違える笑顔を返した。
ヴァルキュリアは皆へと頭を下げ、もう一度感謝を伝えると翼を羽ばたかせて飛び立っていった。
負傷している様子から保護も考えていたが、恐らく今は心が受け入れないのだろう。女神のことを問おうとしていた雅貴は、小さくなっていくふたつの姿に苦笑を滲ませた。
「……他の敵は、現れないようだな」
周囲の警戒を怠らない大輝は、倒れているアーニャの安否を確認した後に、他に被害がないかも確認していく。
「後は、祈るだけだね」
今も尚、ヴァルキュリアと対峙している者達がいる。
自分達がシャイターンを倒したことで好転することを、己が相棒が無事であることを祈りながら、時人は未だ続く戦場へと視線を向けた。
作者:矢島つな |
重傷:アーニャ・シュネールイーツ(時の理を壊す者・e16895) 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2015年12月24日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 10/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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