シャイターン襲撃~飛来

作者:ichiei


 白紙にインキの滲みるが如く、魔空回廊が東京都町田市の一角を穿つ。やがて異次元よりの暴風と共に、1人の男性と16人の女性が姿を現した。
 光の翼ひるがえす彼女らは、ケルベロスならばその正体を知るものも多いであろう、ヴァルキュリア。それぞれの形状は違えど、ヴァルキュリア達はそろってなんらかの武具を携えている。共通する特徴はそれだけではない。ヴァルキュリア達は皆が皆まなじりを真っ赤な粘液で濡らしている。血の涙だ。
 ヴァルキュリア達は3体ずつ4つの班に分かれて、町田市の別々の方角に飛び立った。そのうちのひとつ、住宅街にある児童公園に着陸したヴァルキュリア達は、驚く住人に向け、無情にも武具を突き立てた。老いも若きもお構いなく、目に付いたはしから次々と亡き者へと変える。それはかつての『選定』とはまったく異なる、ただの『虐殺』だ。
 日常の業務をこなすように黙々と、ある者は首を刎ね、ある者は腹を開き、ある者は腕をもぐ。正常な感性の持ち主ならば耐えられないであろう、酸鼻極まる光景。だがヴァルキュリア達は、鮮血滴る両眼をけっして現場から反らそうとはしない。食いしばった歯の隙間から苦しげな息をこぼしつつ、ただひたすら殺戮に邁進する。
 またひとり、誰かの命が失われた。


 黒瀬・ダンテ(オラトリオのヘリオライダー・en0004)はいつもどおりのへりくだった物腰で、ケルベロス達を出迎える。
「ケルベロスの皆さん、おつかれさまっす。城ヶ島のドラゴン勢力が大変なときに申し訳ないっすが、どうやらエインヘリアルにも大きな動きがあるみたいっすよ」
 ヘリオライダーの予知によれば、鎌倉防衛戦で失脚した第一王子ザイフリートの後任として、新たな王子が地球への侵攻を開始したようだ。
 エインヘリアルは、ザイフリート配下であったヴァルキュリアをなんらかの方法で強制的に従え、彼女等に人間達を虐殺させることでグラビティ・チェインを得ようと画策しているらしい。
「ヴァルキュリア達は関東の数カ所に分かれて現れるみたいっす。ここにいる皆さんには、東京都町田市のほうに出向いてもらいたいんす」
 ヴァルキュリアを操る敵の正体は、妖精八種族のひとつ『シャイターン』。ケルベロスに課せられた目的は、ヴァルキュリア等が強行するであろう虐殺の阻止。
 当然ながら戦いは避けられないであろう、と、ダンテは語る。
「繰り返すっすけど、ヴァルキュリア達は住民を殺めてグラビティ・チェインを奪おうとしてるっす。でも、妨害された場合、それの排除を優先するよう命令を受けてるっすから、ケルベロスがヴァルキュリアに積極的に戦いをしかければ、他の人々はおそわれないはずっす」
 ヴァルキュリア達は、先ず住宅街の真ん中の児童公園に到着する。彼女らを迎え撃つならば、広場も存在するその場所がもっとも適切だろう。
 3人のヴァルキュリア達の武器は其れ其れ、ゾディアックソード、日本刀、妖精弓。彼女らは武器に見合ったグラビティを用いるに違いない。
「ヴァルキュリア達は好きで人を殺そうとしてるんじゃないっす。強制的にそんなふうにさせられてるだけっす。でも、シャイターンの洗脳は強固で、都市内部にそいつが存在するかぎり、けっして解けることはないっす」
 確かなことはいえないが、シャイターン撃破に向かったケルベロスが作戦に成功したあとならば、ヴァルキュリア達にもなんらかの隙ができるかもしれない。だが、それまでは、ヴァルキュリア達も死にものぐるいでケルベロスに抵抗するだろう。
「自らの意志に反する洗脳を施されたヴァルキュリア達はかわいそうっすけど……。このままだと、大虐殺がおこなわれるのは確実っすから……」
 心を鬼にしてヴァルキュリアを撃破してくださいっす、と告げるダンテの口振りも、こころなしか覇気に欠ける。
「あ、言い忘れるところだったっす。状況によっては、もう1体、ヴァルキュリアの援軍が到着する可能性もありますから、油断しないでくださいっす」
 おおよその説明を終えた、ダンテ、疲労の色濃い呼吸を挟む。
「もしかすると……。ヴァルキュリア達が望まない殺戮に手を染める前に楽にしてやるのも、慈悲かもしれないっすね……」
 ケルベロスのなにか問いたげな視線を察したダンテ、いやいや、と、お手上げするように両手を振ってみせる。
「こ、これは、俺の勝手な独り言っす。俺は俺の予知を伝えました。だから、あとのことはすべてケルベロスの皆さんに託すっす。皆さんは皆さんの信じるがままに行動してくださいっすよ!」


参加者
フラッタリー・フラッタラー(絶対平常フラフラさん・e00172)
ツヴァイ・バーデ(マルチエンド・e01661)
ベルモット・ギルロイ(白熊さん・e02932)
眞山・弘幸(業火拳乱・e03070)
百鬼・澪(澪標・e03871)
マチルダ・ベッカー(普通の女子高生・e09332)
三石・いさな(ちいさなくじら・e16839)
藍染・夜(蒼風聲・e20064)

■リプレイ

●開始0分
 あちらより早くこちらから見付けられるよう、児童公園のなかでも一等見晴らしのいいところから、爪先立ちして伸び上がる。すると、空には飛来する影、ひとつ・ふたつ・みっつ。
「あなた達の目的は私達が止める! そしてあなた達も助ける!」
 三石・いさな(ちいさなくじら・e16839)が毅然と言い放てば、ベルモット・ギルロイ(白熊さん・e02932)の相好を、皮肉に満ちた荒い笑み、微かに過った。
 本来、強敵との戦いとは心躍るものである筈だ。が、空っぽの木偶をなぶって、カタルシスなどあるものか。
「それでも正気に戻せるかもしれないってんなら、頑張るしかないでしょ」
 それも泣いてるのが女なら、敵とはいえ尚更な。
 ベルモットが独り言つうちにも、接近する。自動機械めいて直線に、ケルベロスを目掛けるヴァルキュリア達、しかし双眸に丸くにじむ朱殷の雫は彼女らが生きている確かな証左に他ならず。本能的な怖気が、マチルダ・ベッカー(普通の女子高生・e09332)の身をひたりと奔る。
 異形の影に怯えたのでない。自分と然程変わらぬであろう年歯の妖精族、性別も等しく、色も形も異なるとはいえ、その背に翼負うところまで何処か自分に通じた彼女等を、こんなにも痛ましい有り様に変えた、『シャイターン』なる謎の存在への、多分に嫌悪のいりまじった恐怖、少なからずの哀傷が、マチルダの脚を竦ませた。
 だが、彼女の嘆きもそう長くは続かない。
「命令のためならばー、先に私達からー、相手すべきではないかしらぁー?」
 フラッタリー・フラッタラー(絶対平常フラフラさん・e00172)、場違いにのんびりとした語調で(フラッタリーにとっては、それこそもうひとつの『平常』だけれども)、ヴァルキュリアへ呼び掛ける。
 弓形に身を反らすフラッタリーの額から、伸ばしても届かぬ手の代わりであるかのように、高く噴き上がる地獄の黒炎、それが嚆矢となる。
「カラーコーンを目印に、速やかにここから離れてください!」
 百鬼・澪(澪標・e03871)の声に辛くも悪夢を醒まされて、正気づいたマチルダ、澪より一拍遅れながらも公園の人々へ指示を送る。
 カラーコーンとは、避難経路のシンボルにと、ツヴァイ・バーデ(マルチエンド・e01661)らが設置したものだ。藍染・夜(蒼風聲・e20064)は脚を折ってせぐくまり、心許なげな面持ちの一人の少年の指に己の指を添える。
「今だ、行きなさい」
「安心しな。いざとなったら、俺が壁になってやる」
 荒立つ彼女等をきっと鎮めてみせよう。夜に続き、眞山・弘幸(業火拳乱・e03070)が言い足せば、少年はひとつっきり頷いた。
「わかったよ、おはしだね」
「おはし……?」
「あっちのおねえちゃんが言ってたよ」
 押さない・走らない・喋らない。
 フラッタリーの忠告だ。戦い初めた彼女は手が付けられないから、夜と弘幸に報告したのだろう。苦笑いして少年を見送ってから、弘幸は反転する。戦場へ。
「そう急ぐんじゃねぇよ……っとと、」
 直下する星座の刃を、紙一重の差で免れる。
「楽しみはとっとけってな。まあ、聞く気がないならそれも仕方なかろうよ。雇われ店長の身としちゃあ、客の世話もできない自分を反省すること頻りだが」
 言葉で語り合えないならばこちらだろう、と、ルーンアックスを下段に構える。
 相手取るは3体ものヴァルキュリア、ためらう猶予など絶無。いさな、一途過ぎる乙女心の向かうままに吶喊する。小さい体に収まりきらずあふれるグラビティ・チェイン、彼女のうしろに虹色の光条を引く、ちらちらと。
『体当たりで、行っちゃってー!!』
 大きな刃物は置いてきた。それじゃあまりに……、上手く表せないけれども、まるで約束を違えたような酷く惨めな気持ちになるから。エアシューズを着けた両足と、バトルガントレットに包んだ片腕と、これがなにより肝心の、ひたむきな想いとを引っくるめての、全身全霊の体当たり。
「まだなにも起きてない、なにも起こさせやしない、その為に私達がいるんだから!」
 年下の友人を見留める澪の口許が、ふいに緩む。
 ああ、そのとおりだと――……。今、できることを、全力で。名もなき草が、その生涯もて、花を咲かせて実をつけるが如く。
『戦い抜くための、勇気を、力を、折れぬ刃を――白苑、賦活。』
 そしてまた澪も白亜の花を咲かせる。彼女の周りを幾つもの花が綻びて渦を生む、しとやかに舞い散る、花弁。透き通る白い花に支えられて、マチルダ、牙ある気弾を打ち掛けた。

●開始4分
 ちりちりと軋るイヤホンマイク。ツヴァイはすぐさま察した、シャイターンへ臨んだケルベロスからの連絡だろう、と。実際そのとおりで、たった今ヴァルキュリアが2体飛び立った旨、イヤホンのあちらから告げられる。戦況を問う言葉もあったようだが、生憎とノイズが多く、全部は聞き取られない。
「こっちはこっちでなんとかするっすよ。そっちもがんばって、シャイターンをぶん殴ってくださいっす!」
 最前で挑む彼には、細々報告するだけのゆとりがなかったのだ。ベルモットが絶塵の高速で浴びせた足刀により、ヴァルキュリアがたたらを踏んだ、その一刹那を溢すわけにいかぬ。
 傷跡の真上のツヴァイの瞳へギラリと冷たい影が横切るのと同じく、彼の背なの飛翼から、心の臓から、逆巻く地獄。地表へ落ちれば立ち所に、煉獄の白い火焔へと変ずる。互い違いに咬み合いながら、ヴァルキュリアを包囲する。
『アンタの罪を数えろ、って奴っすよ!』
 間隙を引き延ばす、煉獄の籠舎が完成した。
「夜!」
 気の置けぬ知己に声を掛けられて、夜は閑かに首肯を返した。
「足元注意、っすよ!」
「俺の攻撃を、どうしてツヴァイが代弁するんだ……」
 疑問はひとまず心中に折りたたむ。露含む一輪の月草にも似て、しなやかに、夜、刀を備えた。
 紅涙に暮れる少女を討とうとは、なんとも忍びがたきこと。だが、内なる傷口を爛れるままにさせておけば、奥底にはいつかすっかり干上がるに違いない。
「ならば、楔を断って涙を拭いとろう」
 口の端にのぼる言葉と胸中の誓いは、寸分の狂いなく。
 空々漠々と冱ゆる剣技。そよぐ、銀。藍色の一房、戦風に煽られて棚引いた。
『蒼焔風詠、風の聲を聴け』
 ――……鳳が翼打ち下ろすが如く、残る白の焔に重なる蒼の焔。それを跳躍して、刻む、断つ、散らす。弘幸が慈悲の一撃で星座の剣士を仕留めるのに前後して、新たな影が飛来した。
「やれやれ、休ませてくれる気はないらしいな」
 と、殊更にぼやいてはみせたが、その声は案外からりと明るい。
 援軍のお出では、始めから重々承知の上。むしろ上手いこと寄せられた、と、快哉を叫ぶわけにはいかぬが、気持ちとしてはそんなところだ。ゾディアックソードのヴァルキュリアをくだしたところに今更加わった戦士がやはりゾディアックソードを携えていた、というのは、少々皮肉ではあるけれども。
「……アックスを使うのはあまり慣れてなくてなぁ」
 なんとはなしに、掻き上げる癖髪。
「手が滑ったら悪りぃな。俺の客あしらいは御役所仕事のように雑だと、とかく好評でね」
「あらー、」
 と、新たなヴァルキュリアに言葉を投げ掛ける、これはフラッタリー。
「ゴミ掃除はー、手強い所からがー、基本ですのー」
 額の地獄が再度ふつふつ煮立った。気泡の噴きこぼれる毎に猫の爪めいて、角度細くして吊り上がる、フラッタリーの唇。
 他人事のように遠く感じる、妬ましい、恨めしい。自分は最早、戦闘の悦楽に蕩ける毀れ物でしかないのに、自我に反する殺戮に従おうとしながらも血の涙流す彼女等が貴くて、反面、己に穿たれた狂気の亀裂はますます根を深めるばかりで。
『Тэи穣天外、$hI方八法、視得ルワタシノ此ノ景色、伽覧ヨ御覧。煩ワシキ孤之世界』
 上下に大きく開いた地獄の底で澱む、憎悪のような敬意、或いは憧憬。
「悲・嘆・憤・怒、果Te無ク喰ラフ! 全テ! $uベテ!!」
 どうしても分かりあえぬというならば、いっそ悉く呑み込んでしまいましょう。奪われたグラビティ・チェインを奪い返す。
「ったく……」
 面白くねぇな、と、本日数度目の小言を口にするベルモット。
 確かに、ヴァルキュリアは強敵だ。ケルベロスはほぼ思惑通りに戦いを進めてはいたが、それはあくまでも想定外のダメージに苛まされることはなかったというだけで、無傷の快勝を意味するわけではない。例えば、今も、澪は治療に必死で追われている。ウィッチオペレーション、弘幸の傷を瞬息で縫い止める。
「……花嵐? ベルモットさんがどうかしたんですか?」
 だが、その手を止めて、澪、わざわざベルモットを窺った。正確には、ベルモットの側の彼女の妹分が、ベルモットの衣服の裾を引っ掻く様子を気に留めたというべきか。
「花嵐、ベルモットさんを診てあげてください」
「ああ、悪い。そうじゃねえんだ」
 ふと放心したあいだに、余所のボクスドラゴンにまで心配をかけてしまったらしい。ざまあねぇな――……。ベルモット、意識を引き戻した。
 ヴァルキュリアは強敵だ。これがもし始めから対等の立場で向かい合ったならば、いくらでも情熱を奉げられたのに、今はなにもない、矜持も意地も何も無い、全部木枯らしが持ち去って、空しさだけがあとの名残。
「……仕方ねぇんだけどな!」
 ベルモット、咆哮と同時に音速の拳を滑らせれば、弘幸もごくわずかに頷いた。
「ああ、仕方がない。だから、酷く面倒だ」
 弘幸、ヴァルキュリアの零距離へと自らを落とし込む。一点で停止するや否や、右足を軸に、反時計回りで半転する。精悍な肉体はそれだけで完成したひとつの武具となろう、地獄の業火を纏った左脚を繰り出すと、弘幸、つと澪のほうに向き直る。
「そうそう、澪よ」
「どうかしましたか?」
 癒えぬ傷が残っていたのだろうか、と、避雷針を握り直す澪に、弘幸、すこしばかり意地悪く片頬を上げる。
「さっきは、ありがとよ。礼が遅れてすまねぇな」
 といっても、あれから1分足らずしか経過していないのだが。きょとんとして、けれどもすぐさま事情を了解した澪、
「どういたしまして、です」
 たおやかというより、ずっと気丈に、力強く。
 花のかんばせ、ほろりと崩した。

●開始11分
 青天の霹靂。4体のヴァルキュリア達はある瞬間を皮切りに、ある者は首を押さえ、ある者は刀剣を取り落とし、それぞれに非常な変化をみせた。
 連絡を待つまでもない。シャイターンが斃されたのだろう。
 今なら聞き入れてくれるかもしれない。意を決したマチルダ、涸れぬ血の涙をハンケチで拭き取ってあげたくて、わりにしっかりした足取りでヴァルキュリアのひとりに近付いた。だが、弓のヴァルキュリアがぎりぎりと矢をつがえる。マチルダの身が強ばった、すわ今感じたものは錯覚か、私たちはまだいがみあわなくてはならぬのか。
 錯覚でなかった。ヴァルキュリアの狙いはやはりヴァルキュリアであったのだ。が、同士討ちは、果たしてならず。弘幸が再び加えた一撃によって、矢は乾いた音と共に、地表に落ちる。
「これもディフェンダーのお勤めってな」
 我ながら意外な仕事だ、と、弘幸。だが、良い仕事をした。マチルダとヴァルキュリア、おそらくは双方を守ったのだから。
「いいのか? 今、おまえらの思考を支配しているものは偽物だ。自分の意志じゃねぇ。そんなものに騙くらかされて、仲間もいっしょに亡くす気か」
「そう、貴女方にも信ずるものはあるはず」
 肩をふるわせながら、澪、懸命に訴える。未だ混乱のなかにある残りのヴァルキュリアに向かって、攻撃ではなく防衛のために、彼女等を打つ。
「そのために、刃を振るうのではないですか? それはで無益な殺生に手を染めることですか? 望まぬ戦いを続けることですか?」
 フラッタリー、ヴァルキュリアに触れる、斬霊刀と鉄塊剣はいったん片付けた、白く儚いてのひらで。――……貴女を見失わないで。心を以って心を伝えれば、人のように温かい彼女等の皮膚が、人のようにわなないた。ほんの僅かな嫉妬、フラッタリーは押さえ込んで微笑む。
「みんなは自由になったんだよ! もう戦う必要はないんだよ!」
「……さあ。戻って、来い」
 いさなが泣くように叫んで、弘幸が低く掠れた声で招いて、ふたつは全然違うものだのに、優しく混じり合う。それはあまりにも心地よくて、全てを委ねそうになるものだから。
 そして、彼女等は帰還する。

●開始12分
 夜はヴァルキュリアに対して保護を申し出たが、彼女等は丁重に断った。いぶかしむ夜の肩に、ベルモットが大きな手を置く。
「汲んでやれ。向かうべき場所があるんだろう」
「……成る程。俺としたことが、女性の機微を掴み損なうとは、迂闊だった」
「なあに。こういうのは、喧嘩やナンパと同じ、場数を積めばイヤでも上達するもんだ。俺を見れば分かるだろう?」
 翼羽ばたかせて撤退する彼女等を仰いで見送るケルベロス、しかしツヴァイ、「あっ!?」と素っ頓狂な声を上げるので、皆、神妙な気持ちを中途で打ち切らざるをえない。なにがあった、と、夜が問えば、とても大事な機会をうっかり逃してしまった、と応えるツヴァイ。
「ヴァルキュリアが本当に女性だけかどうか、折角だから質問しとけばよかったっす!」
「……ツヴァイ、」
「なんすか?」
「女性の機微以前の問題だ。こんな浅はかな言葉は使いたくないが、それでも言わずにいられない。空気読め」
「夜にはあんまり言われたくないっていうかー!?」
 ほんの数分前の殺伐とした気配が嘘のように溶けていく。あんまりにもおかしくて、いさな、籠手をはめたままの手でまぶたをこすりあげる。と、剥き出しの指にふと違和感。
「あれ……?」
 濡れている。流血か、と、思ったが、違う。籠手に滴るものは何処までも透徹していた。涙だ。勿論それは赤く濁っていたりはしない。泉のわき出るが如くしんしんと、しんしんと。
「え、え?」
 ぜんぜん悲しくないのに、ケルベロスにもヴァルキュリアにも死者はなかった、それどころか、あとを引くような著しい負傷もなかった。作戦は予想以上の成功であった、と、言い切ってしまってもかまわない。だのに、何故涙が止まらないのだろう。
「ねぇ、澪さん。私おかしくなっちゃったのかな?」
「違いますよ」
 澪、唐突な感情をもてあます、幼い体を引き寄せる。ヒールで裂傷を癒すことは出来る。けれど、今はまず真っ先に、とてもそうしたかった。人肌の温もりを二人で分け合いたかった。
 これが愛だ、と。
 ヴァルキュリアが知る日は来るのだろうか。マチルダは考えた。いつかは彼女等も地球を愛してくれるだろうか。愛の意味を論じ合う日は来るのだろうか。
 ヴァルキュリアの消えた冬の空、太陽はだいぶ傾きつつあった。

作者:ichiei 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2015年12月24日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 2/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 3
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