外宇宙への出航~聖夜の惜別

作者:月夜野サクラ

 アダム・カドモンとの最終決戦に勝利して、はや半年。
 新型ピラーの開発は成功し、ダモクレス本星マキナクロスにおいては搭乗するケルベロス達の居住区も整備された。デウスエクスのコギトエルゴスム化を撤廃するべく、まだ見ぬデウスエクス種族の住む惑星に「新型ピラー」を広めに行く――そんな途方もない旅の準備は、今この時も着々と整いつつある。
 そしてマキナクロスの出航を目前に控えた、二〇二一年十二月。
 ただ一点の曇りもない平穏を享受する地球に、クリスマスがやってくる――。

●いつか、どこかで
「……今年ももう終わりだな」
 見慣れたヘリポートの屋上からは、暮れなずむ街並みがよく見える。この国を訪れたばかりの頃には凡そ馴染めなかった冬の寒さにも、今は随分慣れたものだ。胸に落ちた襟巻を肩に掛け直して、ゾルバ・ザマラーディ(翠嵐・en0052)はケルベロス達を振り返った。
 指折り数えれば長いようでいて、その実、矢のように過ぎ去った六年だった。その間このヘリポートで、どれだけの仲間達と出会っただろう? 以前に比べてがらんと空いた屋上を眺めていると、今の今まで忘れていたような思い出さえ、そこかしこに蘇ってくる。
 すいと金色の眸を伏せて、男は言った。
「……マキナクロスの出航の準備が整った」
 ケルベロスの有志達と、彼らに同行するデウスエクス達を乗せて、ダモクレスの主星マキナクロスは、間もなく外宇宙へ向けて旅立つ。そうなればもう、二度とは会うことの叶わなくなる者もあるだろう。外宇宙へとまではいかなくても、日本を発つ者もいるかもしれない――だから。
 小さく白い息を吐いて、ゾルバは続けた。
「その前に、会いたい顔もあるだろうと思ってな」
「なんで僕を見るわけ?」
 一瞥した視線の先で、レーヴィス・アイゼナッハ(蒼雪割のヘリオライダー・en0060)がじろりと睨み返す。別に逢いたいなんて思ってないし、そう言って唇を尖らせる白い頬が微かに赤い。寡黙で愛想のない男と、素直という言葉をどこかに忘れてきた青年はまるで成長がないようにも見えるけれど、この六年という月日はこの二人の中でも、確かに何かを変えたのだろう。
 説明を諦めた男に代って、レーヴィスはその後を引き継いだ。
「まあ、でも、せっかくこうやってもう一度、集まったわけだし。……最後に、イルミネーションでも見に行かない?」
 別に何も特別なイベントがあるわけじゃないけどさと、呟くように加えて、レーヴィスは遥かな街を見やる。クリスマスを間近に控えて、見渡す街は七色の電飾で煌びやかに着飾りつつあった。
 季節の魔力を充填したら、マキナクロスはいよいよ、外宇宙に向けて旅立つことになる。おそらくは光速をも超える船は出航したその瞬間、地球からは観測することもできなくなるだろう。けれどどんなに遠く離れていても、絆はちゃんと繋がっている。
 うっかり涙ぐみそうになっている青年の頭を無造作に叩いて、ゾルバは言った。
「これが最後の誘いだ。……気が向いたなら、付き合ってくれ」
 明日からは、誰もがそれぞれの道を行く。
 だから――旅立つ者も、見送る者も、この夜だけは分け隔てなく。すべてが始まり、そして終わったこの国の今を、その瞳に焼き付けよう。


■リプレイ


 ひときわ高く澄み切った、十二月の空の下。
 東京都心を真っ直ぐに貫く大通りは、正に光の海であった。
 七彩の電飾で着飾った街路樹の並びは美しくも愛らしく、ラウルは微笑ましげに瞳を細めた。その隣では電飾の灯りに頬を照らされて、シズネががさごそとコンビニの袋を探っている。取り出した肉まんはまだ温かく、白い湯気を立てていた。
「それ、一つで足りるの?」
「ん。……半分こにしようと思って」
 ぱちりと瞬く碧の中で、黒猫の手が大きめの肉まんを二つに割り、その片方を差し出した。その指にきらりと光る円環は、ラウルの指に輝くそれと揃いのものだ。
「一緒なら幸せ二つ、だね」
 空いた方の手を繋げば、外気に冷え切った肌は一瞬、ひやりとした感触を返したが、すぐに温もりを取り戻していく。人混みにはぐれないようにしっかりと指を絡めて、シズネは空を見上げ、そして言った。
「これから先何があるかわからないけどさ。良いものも悪いものもみんな、この肉まんみたいに――半分こしていきたいって、思うんだ」
 悲しいことに辛いこと。嬉しいことに、楽しいこと。そのすべてを分かち合える人がいるということは、どんなに頼もしく幸せなことだろう。そんな誰かと二人並んで向かう未来に、怖いものなどあるはずもない。ただ――大切な人が傍らで笑っていてくれさえすれば、それだけで。
 そうだねと笑って、ラウルは応じた。
「俺もね、シズネと一緒なら何だって乗り越えて行けるよ」
 そして共に歩む人が、幸せになる日を願っている。
 庭を整え、花を植えて、巡りくる未来に想い馳せよう。戦いは終わっても、二人の物語はこれから遥かに続いていくのだから。
「クリスマスを純粋に楽しんでるって、正直今まではレアだったよね?」
 見渡すフィーの若草色の瞳の中で、無数の光が燦爛としていた。彼女達が命を懸けて守ってきた人々の営みは、長い戦いの日々を経て今ようやく落ち着きを取り戻しつつある。昼間のように明るい道に肩を並べて歩きながら、ティアンは冷えた指先で買ったばかりのココアのコップを包み込む。
「季節の魔力目当ての奴の警戒に――戦争、荒らされた所のヒール。色々あったな」
「でも、これからは必要ない。敵地突入も潜伏部隊殲滅も、寒中水泳も」
 ケルベロスとして戦線に加わってはや数年、思えば今日まで、グラビティの要らないクリスマスなどなかったように思う。
 でも、と続けて、ティアンは言った。
「このさきこれが普通になるのだろう、……多分」
「そうだねぇ。イルミネーション眺めて、すごーいきれーいって、はしゃいでていいんだ」
 広がる街並みを脅かす者は、もういない。オレンジ色の暖かな光を放つショーウィンドウを友の肩越しに眺めて、ティアンはそうだと細い手を打った。
「フィー。何か選びっこしないか」
「プレゼント交換? いいねいいね、クリスマスっぽい!」
 嬉しい誘いにパッと屈託のない笑顔を咲かせて、フィーが応じる。今年の夏、ティアンが彼女にくれた花の意匠のペンカフは、今も愛用のペンに取り付けてある。戦いが終わった今ならば、戦場では壊れてしまいかねないような品物も気兼ねなく贈り合うことができるのだ。
「よーし、じゃあ僕の趣味全開で選んじゃうよ?」
「うん。まかせる」
 淡い唇に微かな笑みを刷いて、ティアンは頷いた。
 自分は何を選ぼうか、何を選んでもらえるのか。想像を巡らせるだけで、心は鈴の音の刻むリズムに乗って弾みだす。
 願わくは来年も、その先も、年の巡るたびに迎える今日がいつも善き日になりますように。通りに面した店の扉を押し開ければ、ドアチャイムの奏でる清かな音が冬の夜空へ昇っていく。
「わわ、きらきらがいっぱいね!」
「あっ、ホントだ」
 大通りに面した、瀟洒なカフェのテラス席。通されたテーブルから仰ぎ見る街路樹の梢は無数の電飾に飾られて、アリシスフェイルと熾月は口々に感嘆の声を溢す。
 椅子を引いて席につき、アリシスフェイルは白いクロスのテーブルへ頬杖をついた。
「去年のクリスマスマーケットもきらきらしてて、楽しかったわね」
 あれもこれもと目移りしちゃったけれど、と、瞳を廻らせば一年前の今日のことが、まるで昨日のことのように思い起こされる。しょうがないよと笑って、熾月は応じた。
「クリスマスマーケットは宝物ばかりだったしさ」
「あのとき買ったスノードームもね、部屋に飾ってるの。眺めてるとね――きらきらした思い出がいっぱい出来たんだなって、思えて」
 ケルベロスとして戦い抜いた数年間は、決して楽しいことばかりではなかった。けれどその中で積み重ねた思い出は、寒い夜を優しく温めてくれる。
「俺も君と家族と選んだ物は大切に飾ってるよ。全部がきらきらしたものばかりじゃないけど、それでも俺には掛け替えのない思い出ばっかりだ」
 そうだよね、と笑い合い、運ばれてきた温かな紅茶を口に含めば他愛もない話に花が咲く。
 そういえばと首を傾げて、アリシスフェイルが言った。
「しーくんは宇宙は行かないんだっけ」
「行かないよ。亡くした仲間が眠る場所はこの星だから。……アリシスは?」
「私も行かないわ。残していきたくない人もいるし……ううん、それだけじゃなくて。私が、此処を離れたくないのよね」
 そう言って、娘は少し気恥ずかしそうに笑った。釣られるように笑みを浮かべて、熾月は向かい合う金色の眸を覗き込む。
「なら、またこうして会って美味しいを分けられるね。……離れたくない理由は聞いても良い?」
「私が抱いていきたいものが地球にあるってだけよ。最近ようやくね、ふわふわしていた自分が、地に足がついた気がしてるんだもの」
 だからこの星を離れたくない――離れない。
 答える声に嬉しげに目を細めて、熾月は言った。
「だったら、俺とお揃いだね」
 地に足がついた――そう思えるのなら、きっとこの星が彼らの居場所。湯気を立てる紅茶はまだ熱いほどで、冷えた身体を内側から温めてくれる。
「クリスマス、懐かしいね」
 吐く息を白く凍らせて、スバルが言った。そうですねと傍らで頷いて、雪ノ下は兄の視線を追い、冷えた夜空に目を移す。地上の光が目映いせいかそこに星はほとんど見えないが、東の空のオリオンだけが静かな青い光を投げ掛けている。
「子どもの頃は連続でプレゼントが貰えて嬉しかったなぁ。クリスマスイブと誕生日が一日違いだから」
「クリスマスと誕生日は絶対別々にお祝いするの! ……って、言ってましたからね」
 二人の記念日が近づくと、母はいつもそう言っていた。その記憶は今でも、二人の胸に温かな光を灯してくれる。
 しんしんと冷える夜気の中を数歩行って立ち止まり、スバルは妹を振り返った。
「俺、家には戻らないよ」
 去年、彼女が『迎えに来た』とやってきた時は、驚いたものだけれど。ちゃんと言いたかったんだと続けて、青年は頬に掛かる白い髪を弄る。
「家のことは申し訳ないとは思ってる。でも、俺の居場所は別に見つけたから――そこに居たいんだ」
「……そうだろうとは、思ってました」
 真摯な青い瞳を真っ直ぐに見つめ返して、雪ノ下はぽつりと言った。
「家には戻らないだろうと思っていました。だって、スバルはもう居場所を見つけていたから」
 細い指先が、無意識にスカートの裾を掻く。見上げるツリーの中ほどに光る仲睦まじい二翅の天使のオーナメントは、まるで昔の自分達を見ているようで。
「あの頃は、本当にそっくりって言われていたのに」
 隣にいる人は、もうかつての彼ではない。
 懐かしさに寄せた眉の下、微かに瞳を潤ませながら、雪ノ下は言った。
「メリークリスマス、ハル」
「……メリークリスマス、キノ。会いに来てくれて――俺のわがままを聞いてくれて、ありがとう」
 穏やかに微笑んで、スバルはゆっくりと踵を返す。この世界にただ一人の片割れを背に、その幸せをただ、祈りながら。


「日本に残るケルベロスの皆さんとも、なかなか会えなくなるでしょうね」
「ああ、いろいろ慌ただしくなるだろうしね。私も神学校に入るわけだし」
 視界一面に広がり続く光の道を歩きながら、綾音が呟き、イオシフが応じた。並び歩く二人は間もなく日本を発ち、イオシフの故郷であるロシアに向かうことが決まっている。来年の今頃二人が見るクリスマスは、極北の街のそれになるのだろう――旅立ちを間近に控えて見る東京の夜景は美しく、華やかで、そして少しだけ寂しい。
「でも、私の愛は変わらないよ」
 慣れない地での新しい暮らしは、決して平坦なものではないかもしれない。けれど二人で力を合わせれば、乗り越えられないことなど何もない。手に手を取ってこの戦いの日々を終えた二人には、確信に近い自信があった。
「だから――これからも、私を支えて欲しい」
 夜空に突き立つ大きなツリーの下に向かい合い、男は伴侶を抱き締める。不意を打たれた綾音はしばしきょとんと瞳を瞬かせていたが、すぐに柔らかく瞳を細めると、良人の背中に腕を回した。
 死が二人を分かつまで、と誓うつもりはない。誓うのならば、死でさえも二人を分かつことがないように――遥かな空では青い星々が、切なる願いを見守るように輝いている。
「ムギさん。どうしました?」
「え? ああ……いや」
 行く手遥かに続く真っ直ぐな並木道は、無数の光を纏って煌々と輝いている。けれどその光景に魅入るムギの瞳はそれ以上に綺麗で――見惚れていたのを誤魔化すように繋いだ手を握り直し、どうもしないとムギは言った。
 首を傾げる恋人――否、今は妻となった女性は、日を追うごとにその煌めきを増していく。この景色がこんなにも美しく思われるのはきっと、彼女がそこにいるからに違いない。
 気恥ずかしさに目を逸らした良人の手をぎゅっと握り返して、紺は笑った。
「ムギさんの手は、いつもとても温かいですね」
 とても寒い夜だから、懐炉代わりに温かいコーヒーでも――そう思っていたけれど、絡めた指先から伝わる体温は十分に温かく、心地よくて、何よりも手放し難い。
 なら、と少しだけ気を楽にした様子で、ムギは応じた。
「紺の手が冷たくならないように、しっかり握っておかないといけないな!」
 お互いを想う二人の気持ちには、以前と何ら変わりはない。ただ、書類を一つ交わしただけだ。なのにどうしてか、広がる光の海は以前よりもっと温かく、光り輝いて見える。
「こんな景色をまた、あなたと一緒に見られるなんて――夢のようです」
「なはは、夢なんかじゃないさ!」
 大袈裟だなと笑うムギは、いつもの調子を取り戻したようだった。つないだ手をさっきよりも固く握って、青年は続ける。
「これから何度だって、こんな景色に出会えるんだ。……紺が側にいてくれれば、どんな夢だって叶えられる」
 共に歩むと決めたことを、誓いの指輪を交わしたことを、後悔なんてさせない。
 期待してくれ、と少しだけ照れくさそうに頬を掻けば、泣き出しそうな笑顔で紺は言った。
「私は何度だって思います。……あなたと夫婦になれて、良かったと」
 人生はまだ長い。戦いの日々を終えても、続く道はいつも平坦とは限らない。しかしこの先何があろうとも、愛する人と共に見たこの光の美しさは、生涯にわたって二人を支えてくれるだろう。
「寒くない?」
 傍らを行く娘の顔を覗き込んで、瑛士は言った。恋人を気遣って、と言えば聞こえはいいが、本当のところは瑛士自身が彼女の手に触れたいのだ。けれどもそんな思惑を知ってか知らずか、彼女――詩織は少しだけはにかんで、差し出した手にそっと指先を重ねてくる。ささやかな温もりは抗しがたい心地よさで、どちらからとなく笑みが零れた。
「イルミネーション、とても綺麗ですね」
 寒さに薄らと頬を染めながら、詩織は言った。本当にと応じて、瑛士は目の前に続く光の道を見通した。以前なら何とも思わなかったはずの風景が、今はこんなにも美しい。人嫌いだった自分が、驚くほどの変わりようだ。とはいえ――長らく避けてきた人付き合いは難しく、未だ正解も分からぬままでいる。
 確かなのは彼女の隣にいる間、この胸が優しい幸福に満ちているということだけだ。
「このまま、ずっと……」
 君の隣にいられたら。
 気づけば、飾らない言葉が唇から零れていた。え、と驚く気配に状況を悟って、瑛士はあたふたと弁明を試みる。
「あ、いや――」
「瑛士さんも」
 続く言葉を遮り、ずいと大きく詰め寄って詩織は言った。
「私と同じことを……瑛士さんも思ってくださっていたのですか?」
 ずっと、こうして隣に居られたらいいのに。
 時間が止まればいいのに。
 そんなことを想ったら――贅沢だとすら思ったのに。
 いつも以上に真剣な眼差しに射抜かれて、瑛士はばつが悪そうに頬を掻く。ややあって大きく息を吸い込むと、青年は上着のポケットから小さな箱を取り出した。それが何かは言わずもがなだ。
 思わず息を呑んだ娘に向けて、瑛士は少しだけ恥ずかしそうに、けれども少年のように真っ直ぐに、微笑った。
「婚約指輪なんて大層なものじゃないけれど――どうか貰ってくれますか?」
「…………ありがとう、ございます」
 答える声は、震えていた。目映いばかりの光の中で、二つの影は音もなく一つに融けていく。
「はい、どうぞ」
 両手に持った紙コップが、冷えた指先に温かい。顔見知りの店でテイクアウトしたカフェラテを一口含みながら、リィンはもう一方の手に持ったレモンティーを差し出した。隣を歩く光咲はにこやかにコップを受け取り、鞄から取り出した紙包みを代わりにと手渡す。
「今日はお誘いありがとうね。これ、冬は空気が乾くから」
 絹糸の滑らかなネックウォーマーは、歌姫の喉を労わったものだ。その意図を識ってやんわりと笑み、リィンは零れる吐息を追って冬空を仰いだ。
「本当に長い戦だったわね」
 ケルベロスとしての二人は、喪失から生まれた。失くしたものは大き過ぎて、立ち竦む場面は何度もあった。けれど――今は、失くしたものの数以上に得られたものが沢山ある。
「色々あったけど、お互いに次の道を見つけられた」
「ええ。……これからも大切にしていきたいわね」
 繋いだ縁は、明日を生きる確かな理由をくれる。頭上から降る無数の煌めきに目を細めながら並木道をしばらく行くと、どこからかピアノの音色が聞こえてきた。
「あれ見て」
 大勢の人が行き交う道の片隅に、一台のピアノが置かれていた。クリスマスの飾りに身を包んだストリートピアノから戯れの子ども達が離れていくのを見て、リィンはちらりと傍らの友に視線を送る。
「久しぶりに光咲の演奏が聞きたいな」
「……そういうことなら、喜んで」
 ポーン、と、柔らかな音が跳ねる。一つ、二つ、続く音階は重なる唄声とともに、温かなメロディを紡ぎ出す。
 宝石言葉は『きらめき』。別名は、サンストーン。
 鮮やかな光を放つ輝石の歌は今までも、これからも、彼女達の心を照らし続けるだろう。そして地球に息づく彼女達と、遥か未知の世界へと旅立つ人々との絆になる。
 宙の果てまで届けとばかり歌い上げる旋律は高らかに、澄んだ冬空へ吸い込まれていく。


「キラキラキレーだねー」
 色とりどりの光の粒で円い瞳をいっぱいにして、鈴は夢見るように言った。転ぶなよと釘を刺す父の声に両手を上げて返事をし、幼い娘はトコトコと光のツリーへ駆け寄ると、その袂で足を止める。
「パパとゾルバおにーちゃんのお目めと、レーヴィスおにーちゃんのかみみたいだね!」
「鈴」
 くるりと後ろを振り返ると、父と母、それに二人の友人達が後を追ってくるのが見えた。迷子になってはいけないと娘を呼び寄せて、瞳李は小さな手を捕まえる。そんな母の瞳は、ツリーを飾る丸くて紅いオーナメントのようだと思う鈴である。
 娘の肩に手を添えたまま、瞳李は言った。
「呼び止めて悪かったな。年明けに日本を発つと聞いたから」
「え」
 けれどもそれは鈴にとっては寝耳に水の話だ。つきりと胸を刺した寂しさを言葉に表すことはできないまま、少女は小さく首を傾げる。
「おにーちゃんたち、とーくに行っちゃうの……?」
「ああ、国へ戻ることにした。その後のことは考えていないが」
 吐く息を白く煙らせて、ゾルバは頷いた。それに重ねてレーヴィスも応じる。
「この朴念仁と一緒ってのも気に入らないけどね。故郷はあっても帰る家があるわけじゃないし――僕はもう少し、世界を見てみるつもり」
 元より、二人揃って根無草だ。この国に留まったのはここで果たすべき役割が彼らにもあったからだが、少なくとも今日ここに来たのは、短い季節の中でも絆をつないだ友人達が居たからに他ならない。
「……今まで、ありがと」
 花の揺れる耳元を淡く染め、レーヴィスが言った。どういたしましてと鷹揚に笑って、アッシュが応える。
「お前らには何かと世話になったからな」
「そうだな。二人が誘ってくれたイベントで、何かとこう――色々あったというか」
 こほんと小さく咳払いした瞳李の言葉は、何故だか少し歯切れが悪い。
「何かと?」
「しっ」
 訝るように首を傾げるゾルバを、レーヴィスが制する。寡黙な戦友と、小生意気な弟分――二人のやりとりを眺めていると、在りし日のヘリポートの光景が今も鮮やかに思い起こされるようだ。
 それはそうと、と半ば強引に話題を切り替えて、瞳李は続けた。
「よかったら、ホットワインでも飲まないか? 二人の新しい旅路を祝してな」
「鈴もそれ、のめる?」
「大人になったらな。今日は代わりにホットココアだ」
 わあいと歓声を上げる娘の髪をくしゃりと撫で、アッシュはその手を引き歩き出した。
 並木道に沿って並ぶ店は皆、光の中で暖かく輝いて見える。手近なドリンクスタンドで頼んだ品を待つ間、振り仰げばビル街を遥かに越えて、夜空はどこまでも続いている。
「生きていれば、どこに居てもまた会える」
「これが今生の別れってわけでもねぇしな」
 戦いは終わったけれど、彼らはずっとここにいる。呟く瞳李に頷いて、アッシュはにっと口角を上げた。
「こういう別れを寂しいと思えるほど平和なんだ――また日本にも来ればいい。今度は、単に遊びにな。宿くらいは提供するぜ」
 宿代は、いつかの旅の道案内でいい。飄々と告げる男の提案は好ましく、考えておくと竜人は応じた。ねえねえ、と、鈴がレーヴィスの袖を引いたのはその時だった。
「今度ふたりに会う時はね、鈴、おねーちゃんになってるんだよ」
「!?」
 突然の爆弾発言に、父母とレーヴィスとがボンッと顔を赤くする。ほう、と一人真顔で少女を見やり、ゾルバは夫婦に悪気のない目を向けた。
「そうなのか?」
「あ、いや」
「まだそうと決まったわけじゃ……」
 いくつもの戦場を共にしてきた友人達がしどろもどろに視線を泳がせる姿は、もはや新鮮にさえ映る。そうだもん、と小さな拳を握り締めて、鈴は更に追い打ちをかけた。
「サンタさんにおねがいしたもん!」
「そう……そう、だな。ずっといい子で私達の帰りも待っててくれたしな」
「そうだよ! 鈴、いい子だったよ!」
 抱き締める母の腕の中で得意満面に言って、幼い娘は旅立つ二人を見上げる。
「だからね、おにーちゃんたちも、おねーちゃんになった鈴を見にきてね!」
 そんな笑顔で言われたら、もう頷くしかなくて。新たに芽吹く命が再会のきっかけになるのなら、それもきっと悪くない。
「……それじゃあ」
「またな」
 再会を願うのに、多くの言葉は必要ない。飲みかけのワインとココアを手に遠ざかっていく家族を見送って、凸凹の竜人と天使はちらりと顔を見合わせる。
「そうなったら、会いに行く?」
「……そういう約束だからな」
 そう、と微かに口角を上げて、レーヴィスは再び人混みに目を向けた。一家の姿は光の中に紛れて、もうどこにも見えない。
「あ、いたいた! レーヴィスさん! ゾルバさーん!」
 名を呼ぶ声に気づいて、行き交う人波に目を向ける。すると見知った顔の二人組――リーズレットとうずまきが、手を振りこちらに駆けてくるの見えた。その手には、何やら布のようなものが握られている。首を傾げる青年達に悪戯っぽく笑った。
「二人とも、今までお仕事お疲れ様。そしていってらっしゃい!」
 端と端を手に持って広げたのは、旅立ちを見送る為の横断幕。きょとんと瞳を瞬かせる竜人の隣で、レーヴィスは白い頬を真っ赤にし、はあ!? と声を上げた。
「ちょっとやめてよ、恥ずかしいでしょ!?」
「人の厚意を無碍にするものじゃないぞ」
「そういう正論要らないから! ……あ」
 むきになって噛みついたその瞳から、ぽろりと一粒の雫が落ちる。慌ててそっぽを向く子どもじみた仕種に思わず吹き出しながら、うずまきは言った。
「ボクは日本に残るけど、二人にもまた会えたら良いな」
「ああ。縁があれば、またどこかで会うこともあるだろう」
 愛想のない竜人の唇が、ほんの微かな笑みを刷いた。旅の無事を祈る贈り物は、剣と栞の小さなアミュレット――赤らんだ目でそれを受け取って、レーヴィスが言った。
「君達も、元気でね」
 これ以上顔を合わせていられないのだろう、早足に歩き去る青年を追って、男もまた光溢れる路の先へ消えていく。その後姿を見送って、うずまきはそっと睫毛を伏せた。
(「またね」)
 出逢いは別れの始まりだ。人と人が出逢った以上、その時は必ずやって来る。
 そんなことを考えていると――隣では、と息を呑む気配がした。
「気づいてしまった」
「え?」
 何に、と惚けた声で聴き返すと、リーズレットはバッとうずまきの方を振り返り、その手を掴んだ。
「今までちゃんと、聞いてなかった」
 いつも一緒に居てくれる、大切な友達。
 けれどそれが当たり前ではないということ。別れの時が来るかもしれないということ――それが、もうすぐかもしれないということ。
 考えなかったのではない。考えたくなかったのかもしれない。今更だけどと言葉を詰まらせながら、リーズレットは言った。
「うずまきさんは宇宙に行かない……よな?」
 もしかして、と思ったら、居ても立ってもいられなかった。友を見つめる紅茶色の瞳には、迷子になった幼子のような不安が揺れていた。その深刻な表情に思わず狼狽えつつ、けれどすぐに柔らかな笑みに立ち返って、うずまきは答える。
「うん。ボクは居場所を見つけたから――ここにいようかなって、思ってるよ」
 冬の空気に冷え切った、東京都心のこじゃれた石畳。その下に広がる地球という星が、彼女の居場所だ。ホント、と声を裏返して、リーズレットは心底安心したように吐息する。
「よかったぁ! うずまきさんがもし宇宙へ行くって言ったらどうしようかと思った! 私も行くか!? ってなってたぞ」
「そ、そう? でもそうだよね! ボクも、リズ姉が行くならついて行っちゃうかも」
 お互いに同じことを考えていたことが楽しくて、可笑しくて、そしてどうしようもなく嬉しい。照れたように少しだけ眉を下げて、うずまきは笑った。
「これからも仲良くしてね、リズ姉」
 一緒に居てくれて、ありがとう。
 これ以上ない感謝を込めて告げれば、返る微笑みが降り注ぐ光のように温かい。
 見上げる空に、一条の流星が横切った。今頃はあの月の軌道上で、旅立つ者と見送る者が最後の別れを惜しんでいる頃だろう。
 長きに渡った戦乱の季節は、彼ら彼女らの人生の一ページに過ぎない――平和になったこの星で愛しい人々と共に歩む時間は、まだ始まったばかりなのだ。

作者:月夜野サクラ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年12月24日
難度:易しい
参加:21人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 4
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