軌跡

作者:藍鳶カナン

●ブルー
 高原を走る列車に乗って辿りつくその地は、物語への扉を開いて至った別世界のよう。
 森の夏緑と湖の澄んだ青、夏の百日紅の花に彩られた地は、遠い西洋の浪漫息づく麗しきレトロ建築がいくつも残る、古くからの別荘地だ。
 玩具みたいに可愛いレトロデザインの周遊バスが駅前ロータリーにとまっているけれど、赤煉瓦づくりの駅舎を出てすぐ一望できる光景だけでも溜め息ものの美しさ。
 麗しきレトロ建築たちのあるものはクラシックホテルで、あるものは音楽ホール。
 あるいは今も誰かの邸宅であったり、誰かの別荘であったり、貸別荘であったり、洒落たレストランであったり、趣味の良いアンティークを揃えたアンティークミュージアム――と呼ばれているが実際はアンティークショップ――であったりするけれど、夏緑が綺麗な森に点在するカフェや雑貨店もそれぞれに魅力的だし、森を越えれば観光客歓迎のブルーベリー農園が、山の麓には美しい自然と澄んだ湧き水を活かしたウイスキー蒸留所があって、夏の間は毎日ブルーベリー摘みや蒸留所見学&試飲ツアーなどを楽しめる。
 日帰りで遊びに来るひとびとは勿論のこと。
 クラシックホテルで優雅に過ごしたり、貸別荘で羽を伸ばしたりと、何もせずのんびりと過ごす贅沢を満喫するひとびとも、その気になれば退屈している暇なんてきっとない。
 ――この夏、あなたがこの地を訪れたのは。
 数年前のヒール任務やその後の御誘いなどで、この地に縁があったから?
 それとも、先日ヘリポートで行き合った天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)にこの地の話を聴いたから?
 どちらであっても、どちらともであっても、ふと思い出したのは彼のこんな言葉。
「そこの湖のほとりにさ、この夏ちょっと風変わりなカフェがオープンしたんだって」
 興味があったら、行ってみない?
 狼耳をぴんと立てつつ語った遥夏の瞳が隠れ家へと誘う少年のように煌いたのは、先日のヘリポートであったか、この地のどこかであったか。
 どちらであっても、どちらともであっても、思い出したのはきっとその気になったから。
 ――行ってみようか。湖のほとりの、フォトブックカフェとやらに。

●軌跡
 湖の澄んだ青を撫で、水面を渡り来た風が花々を揺らす。
 大きな百日紅の樹々には花嫁のヴェールを思わす純白の花が咲き零れ、涼やかな木陰ではゆったりとしたハンモック、あるいはリクライニングチェアでくつろげて、爽やかな空色を咲かせるスターチスの花々にかこまれたテーブル席も水辺の涼風が心地好い、湖のほとりのフォトブック工房がこの夏オープンさせたカフェ。
「ああん聴いたことありますなの、とっても居心地いいところって話なの~♪」
 尻尾ぴっこぴこな真白・桃花(めざめ・en0142)が声までも弾ませたのは、やはり先日のヘリポートであったか、この地のどこかであったか。
 どちらであっても、どちらともであっても、続いたのはフォトブックカフェの仔細の話。
 ――フォトブックとは。
 個人的に撮った写真で創る、自分だけのオリジナル写真集のこと。
 誰もが気軽にデジタル写真を撮れる時代の到来で、フォトブックの作成サービスも一気に普及し発展した。高級感のあるハードカバーの本格的な写真集を一冊から作成できる上に、デジタルカメラやスマートフォンに撮りためた写真や、クラウドストレージに保存している写真から好きに選んで自由に編集したりレイアウトしたりできるのが魅力だ。
 頁ごとに一枚ずつ写真を載せるのもいいし。
 玩具箱に宝物をつめこむように、一頁に幾つもの写真をちりばめてみたり。
 とっておきの一枚を、二頁を使った迫力いっぱいの見開きで載せてみたり。
 編集中に写真を加工することも、コメントを添えることも可能で、全てデジタルであるがゆえに編集も注文も支払いもオンライン上で可能――だけれども、それを工房のカフェで、というのがこのフォトブックカフェだ。
 湖のほとりに純白の花を咲かせる百日紅の木陰で、ゆったりハンモックに揺られながら、あるいはのんびりとリクライニングチェアでくつろぎながら、もしくは空色の花を咲かせるスターチスにかこまれたテーブル席で腰を据えてじっくりと。
 自分のスマートフォンか、カフェで貸し出されるタブレットで、写真を選び、その編集やレイアウトに楽しく頭を悩ますひとときを堪能できるカフェ。印刷され製本された完成品は後日の配送となるけれど、編集作業中にフォトブックのサイズ選びに迷ったり、印刷の質を確かめたい時に実物見本を見られるのがありがたく、週替わりのケーキや冷たいドリンクもなかなかの美味だという話。
 今週のケーキはウィークエンドシトロンで、ドリンクは三種のうちから好きなものを。
 綺麗な木洩れ日色に煌くソーダは瑞々しい白葡萄スカッシュ。
 冷たい珈琲はマンデリン。一晩かけたコールドブリュー、あるいはミルクブリュー、即ち水出しとミルク出しのどちらかをお好みで。
 冷たい紅茶はヌワラエリアにベルガモットの香りをつけたアールグレイ。濃いめに淹れて氷で急冷したものに、お望みならばミルクも添えて。
 カフェらしい楽しみも味わいながら創るのは、この夏の思い出の一冊もいいけれど、
「あなたがケルベロスとして歩んできた軌跡を綴るフォトブック……なんてのはどう?」
 これぞ、って一枚があるなら、僕にも見せてね。
 眩しげに双眸を細めた遥夏の、この夏ひとつ歳を重ねるヘリオライダーの、そんな言葉がふと胸に甦る。
 たとえば、任務で赴いた先で出逢った美味や風景を。
 たとえば、ケルベロスとしての日々をともにすごした仲間や、大切なひととの思い出を、鮮やかに写し取ったものを纏めた、自分だけの、あるいは自分達だけのフォトブック。
 いつか、きっと。
 ケルベロスとしての日々を「懐かしい」と感じるときが来るのだろう。だからこそ。
 思い返すだけで涙が零れるような思い出の、思い返すたび笑みが零れるような思い出の、その時その瞬間に感じたものが心に鮮やかなうちに――あなたの軌跡を、確かなかたちに。


■リプレイ

●サマーシャワー
 深く艶めく天鵞絨に包み込んでしまいたくなる夜だった。
 迎えた朝は光に満ちて、世界のすべてが輝いているかに見えて。
 遠い西洋の浪漫を息づかせた麗しきレトロ建築のひとつ、迎賓館とも呼びたくなるようなクラシックホテルでめざめた時には御伽噺のお姫様の心地にもなれたけれど、
「世界で一番幸せなお姫様になれたのは、何といってもこの時なんだよね」
「うん。幸せで幸せで、どれくらい幸せか、今でも言葉にできないくらい」
 湖を渡る涼風に花々が揺れるフォトブックカフェ、夏緑の梢から花嫁のヴェールを思わす白花を咲き零れさせる百日紅の木陰で、2021/3/14と日付を燈す写真に二人の指が同時に触れたから、シルと鳳琴は蕾が花開くように微笑み合った。
 光と降る青薔薇のフラワーシャワー。
 約束が永遠となった日、純白のタキシードを纏った鳳琴がウエディングドレス姿のシルを姫君のごとく抱きあげ、数多降る花よりも沢山の祝福を皆からもらった至福の、証。
 出逢って六年。記憶を手繰るたびに二人の思い出という名の蕾が花開き、溢れんばかりに咲き誇る日々のうちに、互いの心に触れて、友人から恋人へ、互いの涙をも受けとめて――恋人から、伴侶へと。
 幾つもの物語が凝縮されたかの様に濃密な六年が、限りない幸福へ昇華されたあの日からもう五ヶ月。だけど眩いほどの歓喜は今も鮮やかで、この先もきっと色褪せないから。
 求め合うよう自然と指を絡め合い、改めての誓いに、口づけを。
 ――永遠に、想いは変わらないよ。
 ――愛してます、琴。
 街の暑気に疲れた心も身体も、高原と湖の息吹が潤してくれる。
 涼しげなアイシングが爽やかな檸檬ケーキを彩るウィークエンドシトロンも美味なれど、指先が滑るまま画面に咲いた桜のかたちのもなかが志苑の笑みをひときわ輝かせた。初めて御一緒した茶房のさくらづくりに、此方は夏宵の灯籠流し、テレイドスコープ越しの桜にと流れる画像を唄いあげるような彼女の声に、
 ――編集作業のはずが、思い出話になっている……。
 今日中に終わるのかと些か不安を覚えつつも、七彩を咲かせる花火や柔く光る海月の姿に蓮の眦も懐かしさに緩む。けれど知らぬ間に撮られていた己はいずれも仏頂面に見えて、
「……我ながら流石に酷いな」
 思わず零せば、
「そんなことありませんよ。蓮さんの雰囲気も表情も、少しずつ優しく穏やかに――」
 変わられましたよね? と志苑が桃花へ天藤楼での写真をシェアしながら話を振って、
「ふふふ~。蓮くんは勿論だけど、今の志苑ちゃんもいっそう柔らか! だと思うの~♪」
「私も、ですか?」
 志苑の言葉に蓮が、桃花の言葉に志苑が軽く眼を瞠る。先に得心したのは蓮のほう。
「以前のあんたは、『この自由は限りあるもの』と己を戒めているところがあったからな」
 柔和な微笑みに秘められていたものをそう語り、今は真なる自由という翼を得た志苑の、比翼の鳥で己があれる歓びが胸に光を燈す様を感じとる。心の奥で張りつめていた何かを、互いにほどきあうように歩んでこれたのだろう。
 ――あなたが、私の、
 ――あんたが、俺の、
 傍に、いてくれたから。
 瑞々しい夏風に硝子と氷の音色を唄わせ、コールドブリューで喉を潤せば巴は呼び慣れた若き同族の名を呼んで、画面に昨夏の軌跡を燈してみせた。薔薇の残照が彩る黄昏の魔法、影絵のごとき幻想のオリーブの樹、その果実から滴る夏緑のきらめき。破壊の痕跡を癒しの幻想で再征服した黄昏の、溢れる希望と微かな哀愁を綯い交ぜにしたひとときに、己が眼に灼きついた、彼の横顔。
 綺麗だと、あの日思ったままを口にすれば、
「今日もぶっこんでくるよね巴さん! いやこのときぶっこんだのは僕だけど!」
「俺ばかりってのも狡くないか、遥夏君の軌跡の一端も見せてくれるんだろう?」
 楽しげな彼の声が己の慣れぬ言葉のむずがゆさを吹き飛ばすように弾むから、巴も笑って返せば、眼の前に燈るのは春の楽園で雪解けの珈琲を味わう己自身の姿。あの日に約束した自慢話はまだ語れないけれど、
 この先も交わるだろう軌跡のうちに、きっと。
 ――輩よ! 我らが海に感謝を!!
 幻想燈る謝海祭の夜が液晶画面に甦れば、祭の合言葉を唱和する声まで聴こえるよう。
 祭を彩るオイルランタンから零れる幻の真珠、夜空に黄金の煌きを描いた幻想の蜂蜜酒、そして海の青を湛える杯を掲げた男の姿に、いつの間に撮ってたと驚きに揺れた当人の瞳の銀炎が、すぐに柔い光を燈す。
「……懐かしいな」
「うん。秋が来ればもう三年、になるものな」
 生命の躍動のごとき祭の活気の中で息を吹き返すような夜だった。暴走という名の嵐の海から帰還したレスターにとっても、生の涯を越えんとした夕凪の浜から戻されたティアンにとっても。あの夜が、新たな始まり。
 足並み揃えて行こうじゃねえか。大切なものは持たぬつもりでいた男の言葉がティアンを前へと踏み出させ、少女が大人になれば離すはずの手をレスターも離せぬまま、凪も荒波も乗り越えてきた。
 無彩の竜を屠るため、理性も自制も、己が身も芯さえも焚べて望みを遂げたその果てに、ひととして在れるのは、互いを錨として共に辿りきた軌跡があればこそ。生きて帰ったのはあの日と同じ、なら今度もここが始まりかとレスターが呟けば、この先に続く時間を想ってティアンは、ほどけるような息をつく。
 胸に燈るのは旅の約束と、さいごの、約束。
「……足並み揃えて、行って、くれる?」
「ああ。さいごの約束まで、前に、進まにゃな」
 あの頃より手に馴染んだデジカメを携えて、時の浜辺に消えない足跡を記していこう。
 折に触れては思い返し、さいごには愛おしく振り返ることのできる――軌跡を。

●レヨンベール
 湖面を細波で奏でる風が、花々をも奏でていく。
 空色の花を奏でる風に誘われるよう、頁を捲るみたいに新たな画像が画面へ現れるたびにカルナの指がとまり、一緒に見入っては数多の宝物からとっておきを選びだす難しさに灯が幸せな悲鳴をあげる。どうしましょう、と振り向けば、翡翠の瞳が、思ったより、近くて。
 駆け出す鼓動を鎮めるよう、灯は冷たいミルクブリューの珈琲に手を伸ばす。
 いつかの春に楽園で大人ぶってみたけれど、
「私は、ふふ。本当はブラック苦手です」
「知ってましたよ。だってこんなに一緒に居たのですから」
 あの日は真に受けた彼も今はもうお見通し。微笑みのままカルナもミルクブリューを口に運べば、柔らかにミルクへ融けこむ芳醇なコクと香りが楽園の春をより鮮やかに甦らせて、檸檬香るウィークエンドシトロンを彩るアイシングを崩せばほんのり透ける白がきらきらと煌く様に、薔薇色の果皮からぷるんと真珠の果実を覗かせた、ライチの瑞々しさが甦った。
 楽園と真珠の思い出を載せて、最後の頁を、この夏の初めの写真で飾る。
 左手に煌く揃いの指輪を翳し、二人で笑顔を咲かせた写真。
「まだ二ヶ月なのに……もう、これが無いと落ち着かないのです」
「見えなかっただけで、ずっと前から着けてたのかも?」
 撫でるは画面でなく其々の薬指を彩る銀環、ずっと抱いていた想いに恋という名があると気づいたように、ずっと一緒にと願う幸せに約束を燈した、証。
 ――君の夢を半分欲しい、そんな我儘を。
 ――貴方のおかげで、私の夢は増えたんですよ?
 抱えた夢の花束に「お嫁さんになりたい」という花を加え、カルナの我儘を二人の夢へと咲かせた灯。どうしようもなく満ちる愛おしさはきっと同じだから。
 二人で描いていく軌跡を、これからも。
 記憶の玩具箱から次々と、楽しい夢達が跳び出してくるかのよう。
 液晶画面を彩る数多の思い出をフォトブックへと編集していくのは自身で卒業アルバムを作っていく心地、互いの画面を見せ合ったなら、時には猫カフェで、時には箱竜達と一緒に水中世界でといった共通の画像が覗いて笑みが咲き、互いの知らない姿を見ては思い出話に耳を傾けて。
 話が弾めば和のアルマジロ耳も弾み、リーズレットの天使の翼にも細波が渡る。
 夏の木洩れ日と水辺の風を受ける翼は黒から紫へ染まるけれど、その黒は彼女を侵蝕する彩だとは和も識るところ。遥か宇宙の彼方で為された偉業で、友を蝕むものも消え果てたと思い至れば、
「リズのそれって、ずっとそのまま、なの?」
「これ? うーん……どうなんだろうな……」
 ふと和が口にした問いはリーズレットにも思わぬもの。生まれた時から対峙し続けてきた死の宿命から解放された実感はまだないけれど、それはそれでかっこいいけどね☆ と和があえて明るく言ってくれたから、
「もしかしたら換毛期に白い羽が出てくるかもしれない?」
「換毛期……! まさかの生え変わりタイム!!」
 茶目っけまじりに返せば飛びきり楽しげな笑みが弾けた。付き合いの長さのわりに互いのことをまだまだ知らないと気づけば、明日まで二人で沢山おしゃべりを。
 たとえばクラシックホテルで、贅沢なパジャマパーティーと洒落込みながら。
 あるいは貸別荘で、満天の星が降るように煌く夏の夜空を二人占めしながら。
 波に抱擁されながら、解き放たれていく心地がした。
 夏の陽射しを優しく和らげる百日紅の木陰に揺れるハンモックの寝心地は極上で、午睡の誘惑に抗いながらもスプーキーは、披露宴用の写真を探している気分になるねと柔い笑みを燈し、自身のスマートフォンに燈した軌跡を辿る。
 夜空の雨雲が薄れ、ほのかに月あかりが照らし始めた雨上がりの海岸。
 涙も慟哭も受けとめた砂浜から始まる軌跡は、やがて友人達との、最愛のひととの笑顔の写真を咲き溢れさせていく。絶望からめざめ、陽光に辿りつくかのような、軌跡。
「ぴゃあああ、間近で見ると何だかとっても照れますなのー!」
「そうなのかい?」
 誰より傍で跳ねる尻尾に相好を崩し、春色をより深く抱き込んで、
「あの浜辺を……いつか桃花と一緒に訪れたいな」
 晴天の日にカメラを携えて、と望みを言の葉にすれば、迷わぬ応えが耳朶を擽った。
 ――帆を上げて海へ旅立つ最初の日に、連れていって。
 青空に浮かぶみたいじゃん、とキソラの声音が喜色に弾むのもむべなるかな。
 空色咲かせるスターチスの花にかこまれたテーブル席は蒼穹の楽園めいて、花の青いのとコイツは案外絵になる――なんて、春の青花の海でも浮かんだ言の葉は、白葡萄の瑞々しさ弾ける滴と共にサイガの裡で躍る。
 青空を雲で彩るように、数多の風景に食べ物生き物、睨んだり笑ったりする連れの姿と、共に歩んだ軌跡をキソラが頁いっぱいに鏤めれば、不意にタブレットへ伸びるサイガの手。
「ちょ、テキトーに弄んなし!」
「誰にモノ言ってんだ。この手の機器なら任せろっての」
 ブルーライト対策ばっちりな眼鏡をすちゃりと掛けた男は、胡散臭いと言いたげな連れの眼差しに気づかぬふりで、白味噌海老の画像に「このラーメンうまかった」と書き込んで。負けじと濃厚豚骨に「コイツも絶品!」と記したキソラが更に軌跡を手繰れば、鮮烈な彩が瞳に跳び込んできた。
 世界すべて、大気さえも茜色に染まる中に立つ連れの姿。
 遥か水平線に沈んだ陽の残照へ迫る、深く澄んだ夜の藍。
 今傍らに在る彼と肩を並べて、同じ時間を望んでもイイと刻んだ、朽ちた灯台での記憶を一頁まるごと使って載せ、やけに静かになった連れの頬に、眠い? とコールドブリューのグラスを押し付ける。言い尽くせぬ感謝の代わりに告げるのは。
「今後共ヨロシク」
 あの日の匂いや眩しさまでもが鮮烈に甦る感覚に呑んだ息を、漸くほどくようにサイガは応えを絞り出す。目許に熱い滴を感じて遣った手で、冷たい硝子杯が纏う水滴に紛らせて。
「……ったり前だろ」

●シャレイブルー
 二人でお泊まりするのは好き。
 一日の始めと終わりに貴方の顔を見られるから――なんて囁くクラリスの笑みがめざめに見たより眩しくて、ヨハンは冷たい珈琲とともに面映さを飲みくだす。これはキャプテン・クラリスの宝箱、と次々に思い出が花開く画面でひときわ煌びやかに咲いたのは、華麗なる王朝ラブロマンスの動画から切り出された画像。
 僕達はこんなに幸福そうに抱き合ったのか、と感慨もあらわに彼が呟けば、結ばれるのは華麗なるマッサマンカレー専門店再訪の約束。皇太子も素敵だけれどと白葡萄スカッシュの気泡に重ねて声を弾ますあの日の皇女が、
「ヨハンの魅力は格好いいとこだけじゃないから、これも載せなきゃね」
「むっ、厳つい男の猫耳姿がそんなにお気に入りですか?」
 指先で咲かせたのはスーパーにゃんこ大戦で皆してにゃんこになった日のとっておきで、解せぬと苦笑する彼の口許が晴れるよう綻んだのは、純白のシフォンが咲かせる花嫁衣裳を纏うクラリスが、六本の白薔薇を抱く姿が画面に現れたとき。
 あまりに綺麗でいとしくて、僕は貴女に求婚を決めたのです。
 任務のあと試した姿をそう語られれば、クラリスの頬に咲くのは紅薔薇の彩。
「……ふふ、私の魅力はヨハン特効なんだよ」
「特効どころか、一撃必殺です。次に花嫁衣裳を着る時は必ず隣に立ちますよ」
 これからも貴女が大好きです、と今は十二の薔薇が薬指に咲く左手を包まれて、掌を重ね合うよう、未来の約束を共に抱くよう握り返す。
 これからもずーっと、よろしくね。
 淡い金色が満ちる硝子杯に踊る気泡が弾けるたびに白葡萄の香りが咲いて、姉と弟めいた二人の声が弾けるたびに楽しげな笑みが咲く。改めて見返す数多の思い出は常に胸で満開に咲くものもあれば、大切に眠っていた蕾が花開くように甦るものまで様々で。
 これ持ってきたんだ、とスバルが星の印章を取りだせば、私もよ、とアリシスフェイルの掌に蝶の印章が踊る。封蝋専門店を訪れたのはもう二年前、
「あの時は誘ってくれてありがとう、とっても嬉しかったのだわ」
「俺も嬉しかった! 思ってたよりもアリシスがはしゃいでくれたしね」
 だって楽しかったもの、と双眸を細めたアリシスフェイルは美しい青へと捺された封蝋の画像を切りぬいて、青き蝶が時を渡るように頁を彩っていく。俺も星で真似したいなと笑う弟分の手許を覗けば、
「スバルは彼女との写真も笑顔でいっぱいよね」
「うん、あの子の笑顔が少しずつ増えていったのが、すごく嬉しい」
 彼と共に紅の花咲く少女が映る写真が咲き満ちる。それこそ蕾が綻ぶよう、大切なひとの笑みが咲いていく軌跡を辿りながら、スバルは時を追うごとに陽光を思わす青年との写真が増えていく姉貴分の画面を覗いて、アリシスも幸せそうな、良い表情になったよと語れば、アリシスフェイルにも輝くような笑みが咲くから。
 何故かは判らない。
 けれど秘儀を見たあの夜に言えなかった言葉を、今なら言える気がした。
 ――大丈夫だよ、アリシス。
 夏の木洩れ日が煌く百日紅の木陰で、液晶画面に白銀の雪が舞う。
 四年前の聖夜に輝くクリスマス・ツリー、出逢って間もない彼の手を取り駆けだした時の写真を家族の軌跡を綴る最初の頁に決めたなら、あの頃からエトヴァはリアル王子様だったけれどと零れるジェミの笑み。
「実は意外に食いしん坊で、本当においしそうに食べるよね」
「……そ、そうですネ。けれど俺をさらに食いしん坊にしたのハ、君かもしれまセン」
 楽しげな彼の指がメンマいっぱいなラーメンから揚げた温玉に彩られたうどんなどへと、己の辿った美味の軌跡を次々と手繰る様にエトヴァは照れまじりの笑みでそう紡ぐ。一緒に食べれば歓びも美味しさも増すのはお互い様。
 湖に潤された涼風に撫でられるたびに、その心地好さとリクライニングチェアで身を寄せ合う家族のぬくもりに心がほどけていく。軌跡をともに振り返れるひとと今年も夏の休暇をすごせる幸せを胸に満たせば、この穏やかな日々が続いていくのだと芯まで沁む心地。
 これが俺達のとっておきですネ、と微笑むエトヴァが指をとめたのは。
 穏やかに揺れる木洩れ日に彩られ、のんびり日向ぼっこをする三毛猫と、愛猫をかこんで笑いあう二人の姿。暖かな幸せに満ちた我が家での、掛け替えのない日常を燈した一枚に、とっておきだね、と笑みを深めてジェミが太鼓判を押す。
 これからも大切に続けていこう。この愛おしい、日常の軌跡を。
 誰もが幸せの波間へ漕ぎだしていくような夏の午後。
 葉擦れの細波が木洩れ日を踊らす木陰でリクライニングチェアにゆったり己が身を預け、高原の夏を享受しながら千梨は、見開きで載せたい一枚を画面に燈す。
 四季すべて集ったような数多の花々と、大勢の仲間にかこまれた、己の姿。
 仲間達へと高級寿司を奢って懐は軽くなったけれど、胸には軽くなった分を遥かに凌ぐ、皆に贈られた幸福が満ちた、冬の終わり。理性を手放して身を投じた嵐からの、帰還。
 冷たい珈琲を伴に、檸檬香る菓子と共に幸福を噛みしめて、機器に慣れぬ指の覚束なさを自覚しつつも次々画面に咲かせるのは、桜に梅に菜の花に、蓮にミモザに酔芙蓉、向日葵、秋桜、彼岸花、福寿草。皆に愛される門松ツリーに、胸に光を燈す勿忘草。任務の合間や、プライベートでの写真を貰ったままにしていたけれど、この機会に作りたくなったから。
 先のとっておきに、友人達と花々を観た軌跡を合わせて。
 ――花束のような、フォトブックを。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年8月20日
難度:易しい
参加:21人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 7/キャラが大事にされていた 1
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