晴色ガーデン

作者:朱凪

●休息を親愛なる番犬へ
 とある日の午後。
 光の翼を持つ少女は、鱗の翼を持つ青年に訊いた。
「……今年は、……」
 訊けなかった。なにもしないの、と問うのも憚られる様子の彼女に、青年は淡く笑う。
「そうですね。色々大変なことが重なって、……Dear達に余裕がないのは承知しています」
 会談も終え、惑星マキナクロスの接近に備えている、まさにそのさ中。
 それでも、と。
 宵色の三白眼を和らげて、軽く首を振った。
「だからこそ、休息も必要かなと思うんです」
 動転し、急転する世界に翻弄されたケルベロス達も多かったことだろう。息継ぎをしたい者もいるかもしれない。
「そう言う場を案内するのも、俺の仕事かもしれないな、と」

●under the rose
「薔薇を見に行きませんか」
 暮洲・チロル(夢翠のヘリオライダー・en0126)はそう、いつも通りに穏やかに番犬達へ提案した。
 時期は丁度、花時期。ブッシュ・ローズや蔓薔薇など立体的な開花状況を活かした庭園が見頃だ。
 例年チロルはケルベロス超会議で多くの刺激を受けて、種々の場所へ案内している。今年はそこに参加することもできなかったけれど、と彼は指先で頬を掻いた。
「大変な時期なのは承知しています。Dear達もさほど時間的余裕もないでしょう。ですが、俺の気に入りの場所に招待することはできるかな、と思いまして」
 薔薇には『神々』を喜ばせるために生まれたと言われたり、あまりよろしくはない逸話もあったりはするけれど。
「俺は好きですよ。原種のそれも、改良されたそれも」
 薔薇の咲き誇る道をただ散策するのでもいい。あるいはいくつかある東屋でゆっくり話してもいい。
「東屋では薔薇の香りの紅茶にチョコレート、マドレーヌにソフトクリーム。薔薇のジャムを添えたスコーンなんかもありますよ。まあ、花より団子であればそれだけ、お望みの薔薇を探す難易度は高くはなりますが」
 彼の発言に、ハガネ──チロルのヘリオンの傍に立っていたユノ・ハーヴィスト(隣人・en0173)もこくこくと肯く。欲張りはできないということだ。
「それでも良ければ、ですが」
 告げてチロルはまたいつも通りに幻想帯びた拡声器のマイクを口許に添えた。
「では、目的輸送地、薔薇咲く庭園、以上。少しの息抜きといきませんか」


■リプレイ


 薔薇の香を胸に吸い込んで。
「こんな時こそって言うのはあるかもね」
 ジェミが言えば、エトヴァも「そうですネ」と応じる。
「……俺ハ、日常を守るために戦っているかラ、こうして君と過ごす時間ヲ、愛おしく思いマス」
 ごく自然に零す彼の姿はまるで王子様。眩い思いをジェミは花を見るふりでごまかす。
「地上の良さの再確認、かな?」
「ええ。必ず帰ってくる場所だかラ」
 振り返れば、気高さすら纏う香の中で泳ぐ青い髪を耳にかけてエトヴァが微笑む。
 一幅の絵のような姿に釘づけになる姿に「……どうしまシタ?」兄が首を傾げれば、ふると弟は首を振り、また視線を薔薇へと逃がした。
「……君も、薔薇が似合いますよ」
「僕も?」
 石畳の道を行きながら「ええ」エトヴァは一輪の花に指を遣る。その薔薇の名は、ハニーブーケ。
「元気で優しい、明るい色の」
「そうかな、なんだか照れちゃう……エトヴァは、どんな薔薇が好き?」
 どの彩も香も好ましいと、ただ懸命に咲くそれが好いと、そう告げた兄は、ふと青い空へ視線を送る。
「……青も好きですよ」
 『夢かなう』──そんな花言葉。
 創られた命。それを奇跡と呼ぶのなら。
「僕は、こういう小さな蔓薔薇も素敵って思うんだ。うちのお店の窓辺を飾ったりさ」
 兄の話に眦緩めて、白のモッコウバラの絡むアーチに触れてジェミが言えば、エトヴァも肯く。庭に据えるのも素敵ですネ、と。
「きっと囁くような香が届く」
 三毛猫の望む窓の向こうに咲く種々の。想像すれば頬が緩んだ。
「なら、薔薇の香りのお茶も?」
「いいですネ、──」
 いつものように手を繋いで、咲い合う。
 温もりと絆を確かめるみたいに。心を育み、満たすみたいに。


 薔薇にはそれぞれ、名のプレートが添えられていた。
 パステルオレンジのその花の名は、
「ユノは将来の『夢』ってあるんすか?」
 ぱっと視線を向けたベーゼにユノはペリドットを瞬いた。その瞳が訴える言葉を先取りし「こんな時だから、っすよう」彼は笑う。
「……きみはあるの」
 少し考え、浮かばなかったらしい彼女の抑揚のない疑問文にも、慣れた。屈んで丸い背中でベーゼは「おれは、……そうだなあ」灰色の瞳を和らげた。
「いつかユノに『勇者』って認めてもらえるようになりたいなぁ」
 ぽつり零し、それからそっと彼はユノを窺う。ヴァルキュリアの選定が、未だ彼女を苦しめているのなら。「でも」拳を握りおそるおそる、彼は紡ぐ。
「おれがなりたいのは、世界をすくう偉大で勇敢な勇者じゃなくて、……キミが選んだ勇者なんだ」
 けれど彼の緊張に反して、ユノは首を傾いだ。
「きみはずっと前から僕の勇者だよ」
「、」
「臆病でも。誰かのために身を呈すきみは、勇者に相応しい」
 大きな彼の手の甲に、彼女は額を寄せた。
 目をまんまるにしたくまは、それからふにゃと笑み崩れて。
「……ねえユノ。笑って、泣いて、怒って、……いつか、いつの日か、おれがおれを赦してキミがキミを赦せたら、その時は聞いて欲しいんだ」

 おれの、ほんとうの名前を。

 否やがあるはずもなく、けむくじゃらの小指と細いそれが結ばれる。
「「──やくそく、」」


「ほら、シズネ。君の色だよ」
 種々の色彩の中でもやはり目を惹くのは、──彼の色。
「名前が載ってる。サンダンスに……しのぶれど、だって」
「っ、」
 どこか無邪気に花の中を泳ぐ姿に目を細めていたシズネは読み上げられた薔薇の名に息を呑む。
 面映ゆさはあれど、振り返ったラウルの幸福に満ちた笑みを見れば、自然と口許も緩んでしまうのだから仕方ない。
 気付けば彼の姿ばかり追っている己に気付いて、頭を振ってみても心のどきどきが大きくなっただけ。
 変動する世界情勢だからこそ。ふたり寄り添い、ゆるりと花の中を往く。
「……おめぇばっかり見付けてずるいだろ」
 彼色の薔薇を見付けたかったが、ラウルの双眸のような澄んだ青の薔薇はさすがになく。
 拗ねたように告げてみたのも寸暇、シズネは「まあ」顔を上げて、彼の頬を両手で包む。
「オレには世界に一輪だけの色があるからいいか」
 少し驚いたようにその蒼を丸くしたラウルは、けれどすぐに眦を和らげる。頬の手に掌を重ねた。
「なら、君の為だけに咲き誇るよ」
 溢れる歓喜の侭に大輪の笑みを咲かせ──その眩しさに覗き込むシズネの陽色の瞳に蕩けるようないろが混ざるのを至近距離で見る。
 ──この花が枯れることがないように、オレは……。
「じゃあ立派に育ててやるか!」
「期待してるよ」
 そんな軽口を交わし、身を翻す彼の手をラウルは繋ぐ。
 彼が隣に居てくれるから、心が花のように色付いていく。
 ──だから、この先の戦いが如何なるものであれ、その背中は……俺が守る。
「探しに行こうぜ、おめぇの色!」
 共に寄り添う、黄色い薔薇を。
 何気なく振り返るシズネはしっかと手を握り返して、先を指差した。


 ふわと泳ぐ漆黒の髪と共に薔薇の香りが揺れる。
 緩く口許を綻ばせ志苑は隣の、高いところにある横顔を見上げた。
 蓮は壮麗な風景に素直に感嘆していた。
「……ご機嫌です、ね」
 彼の表情を読み取れるようになったと思えば、胸が温かくなる。そっと重ねた手に、彼が振り返る。
「そう、だな。ここまでにするには余程の手間と愛情を掛けただろうから」
 薬指に銀の環の填ったその手を繋ぎ返し蓮が告げる先で、そうですねと身を屈めた先には白のイングリッシュローズ。
「その薔薇が好きなのか?」
「はい、八重桜のようでとても綺麗です」
 見ればなるほど、彼女が好む桜と良く似ている。名は──スノーグース。
 桜が薔薇科だという事にも頷けますね。意外だとも思ったが。そんな会話を交わしながら薔薇の中を、歩く。およそ二年前からすると、ふたりの関係も大きく変わった。
 志苑がそっと窺えば、蓮の表情は思案気で。
「いつか、そうだな。大学卒業頃に、あんたにその薔薇を贈ろう」
「? ありがとうございます。それはとても嬉しいです」
 彼の意図が読めず首を傾げる志苑に、蓮は視線を合わせる。
「ああ、その時は……百八本だな」
「え……」
 その──意味。
 ぱぱっと頬に熱が昇る。彼女の表情に蓮もあまりに己には不似合いな科白だったと羞恥に震えるけれど。訂正はしない。
 元々そのつもりではいたのだから。あの銀の環を贈ったときから、ずっと。
「こ、この顔は、きっと目の前にある薔薇のせいです」
 顔を逸らす彼女に、彼も紅い薔薇に視線を遣る。その未来が善いものであるようにと祈る蓮の想いを志苑は知らないけれど。

 ──其の時が来たら……答えは決まっています。

 花は、既に。


「それほど近づかなくても香りが届くモンなんだね、凄い」
 薔薇園へ辿り着いた雨祈の感想に、緩やかにそれを追うミレッタはぴくりと耳を動かして微笑む。
「うん、この辺からもう甘くてふわっとする」
 他にもうっすら、土の湿った空気──彼女にとっては久し振りの感覚に足許もちょっぴり躍るよう。
 薔薇咲く中へ足を進め、数種の薔薇を色で香りで楽しんで。
「一重だとか、蔓だとか……種類多いね」
 己の知る花束の薔薇からは想像もつかなかったのだろうそれらに指先滑らせる雨祈。違いなど色くらいしか判らないがと、見つけたベルベットの如き薔薇に瞬いた。
「ああ、でもこれは花弁の感じが面白い気がする。香りもそんなに強くないし、色も目に優しい」
「ブラックバカラ──形は王冠みたいな、これぞ薔薇感ありつつ、色のしっとりと鮮やかのバランスが絶妙ね」
 似合うよなんて言ったなら、
「ミレッタは何か好きな薔薇とかある?」
 降って来た彼の問いに、あまり考えたことはないけれど、と彼女は頬を緩めた。
「綺麗に咲いてて匂ってくるのが好き」
 その笑顔に雨祈も彼女らしいと小さく笑み返す。
「このオレンジのとか似合いそうだよね」
「あ、あ、うん、色合い綺麗──、」
「アプリコットキャンディ、だって。美味しそうな名前なのも何か、ね」
 確かに花も団子も好きですけれども。つんと顎を上げては見せたものの。でも。彼女ははにかむ。
「あれが似合うなら嬉しい」
「とか言ってたら流石にお腹減ってきたね。少し休憩でもしてく?」
 東屋はあっちだったハズ。歩き出す姿に、雨祈さん、ガンバです! とミレッタは声援を送る。
 進む方角が明後日でも、構わない。
 このひと時が、続くのなら。


「ユノ、よければ一緒に甘いもの、どうだろうか」
 灰色の女──ティアンはそう誘った。依頼では何度か顔を合わせてはいるし、同じ場所に遊びにも行くけれど。
「ゆっくり話す機会、あったらいいなって、思ったから」
 きらきらと瞳輝かせた戦乙女が断るはずもなく。
 届いたスコーンに透明な紅のジャムをたっぷり塗りつつ「たとえば、そう、」瞬いて。
「ジャムはすき?」
 もぐ。──もぐもぐもぐ。
「すき。パンに合うものは、なんでも好き」
 もぐ。──もぐもぐもぐ。
 ……ごくん。
「おいしい」
「おいしい」
 表情の乏しいふたり。それでも顔を見合わせれば互いの眦が緩むのが判る。薔薇の仄かな香りが抜ける。
「ティアン、趣味で果物のジャムはよく作って、買ったパンとあわせるんだが」
「え、すごい」
 ユノが素直に呟く。そうか、とティアンの首が傾ぐ。
「でも、薔薇のジャムは作ったことないなと思って、話を聞いて気になっていたんだ」
 作れそう。抑揚のない疑問文に、どうかな。抑揚のない応え。
「そうだ。おすすめのおいしいパンのお店とか、もしよかったら教えてくれたらうれしい。ジョウホウリョウというやつは、手作りジャムの現物か、レシピとか」
 どうだろう、と再び首を傾げた彼女に、ユノは、じゃあね、と言った。
「テイクアウトできるお店を教えるから、僕とピクニックしよ、きみのジャムで」
「悪くない」
 悪戯気な光が、双眸に燈った。


「わ、薔薇の匂いがするっス!」
「ほわぁ、幸せ!」
 東屋の屋根の下、ラランジャとるえるは薄紅色のソフトクリームに瞳瞬き、頬を緩める。
 すっかり背の伸びた隣の幼馴染を見上げ、るえるははにかんだ。
「えへ、おでかけするの久しぶり……だね」
「そう、っスね。スゲー嬉しいっス」
 ある日姿を晦ませた彼女は、遠く海を越えていたらしい。
 ──お手紙も全然できなくって、それなのに待っててくれて。
「……ありがとね、ララくん」
 ぽつり告げる。
 ラランジャからするとそれは当然。いつだって待ってる。だけど。
 また見ることのできた顔。嘘じゃないって確かめるようについじっと見つめてしまうのは仕方ない。
 ──頬が薔薇みたいな色してるなあ。
 そう素直に思ったから。
「まるで白雪姫、みたいっスね」
 両の手でその薔薇色を包んで、にか、と笑う。紫水晶の瞳がまんまるになって、ぱぱっと薔薇色の範囲が広がって、
「って俺、何言ってるんスかね?!」
 慌てて離そうとするその手の甲に、るえるは掌を重ねた。
「じゃあ、ララくんがキスで目を覚ませてくれるんだね、……なんて」
「ってるえるサン?! るえるサンも何言ってんスか?!!」
 慌てふためくラランジャに、るえるは瞼を伏せ、彼の硬い掌に頬を寄せた。
「えとね、やっぱり大好き」
 戸惑う彼に、そう告げる。
「ずっと会えなくて、でもこやって顔見たら胸がぎゅーってなって、」
 だから言いたくなっちゃったと肩竦め笑う彼女に、ラランジャは洋梨色の瞳を泳がせ、顔を背けた。
「お、お、俺だって、るえるサンのコト……」
「えっ? なに?」
 身を寄せる彼女に聞こえて欲しくない──でも、届いて欲しい。

「す、……好き、っスから……ッ」


 乙女仲間で、手の届く距離で、背中合わせの雪解け。
 いつもの面々で薔薇の中を往く。
「これだけ沢山種類があるのなら、お互いのイメージに合う薔薇を探してみませんか?」
 提案したエルムに意趣返しのつもりが無かったとは言えない。いつもふたりにはもらってばかりいる気がするから。
「いいね、面白そう」
「二人に似合いそうなのを探しながら回ってみますかー」
 一も二もなくアンセルムと環は趣を理解し、徐に周囲を見渡す。

 まずは環とアンセルムが示す、杏色で芍薬のような──レディオブシャーロット。
「キミには強い色より、このぐらいの柔らかくて温かみのある色が似合うかなって」
「僕からはこちら」
 エルムに示される、淡い桃色の花弁がフリルみたいに重なった──ストロベリーアイス。
「元気で華やかで、でも可愛らしい所がある環にあうかなと。大きな花をドレスに見立てたりもしましたが」
 ほら、隣に立ってごらん。促すアンセルムにえへへと環は破顔して。
「かわいい! ね、似合いますかー?」

「アンセルムはローズマリーでしょうかね。儚くて、でも凜と咲く強い薔薇」
 艶やかで華やかなあなたにはぴったりかなと。「照れるね」素直にやりとりするふたりの背後で、環は必死に頭を振る。
「今回は蔦からは離れるんです……! 色は白系でしょー、でも内面は結構かわいいところあるし……あ、これ!」
 一見して白。けれど薄桃色のグラデーションが中心に色付く、──浮雲。
「気品のあるかわいさですー」
「ふたりとも随分と持ち上げてくれるね、ソフトクリーム目当て? 違うよね?」

「エルムさんはやっぱりラベンダー系の色合いがいいなぁ」
 視線泳がせ、自身も泳ぐように花を巡る環。
「王道の尖り気味の花びらのやつはしっかり者っぽさもでますかね。どちらかというと小花なイメージだけど……意思の強さは十分大輪クラス!」
「ボクは尖った花びらの青薔薇かな。色のイメージもあるけれど、エルムがこうしてボク達と過ごしているのって、本当は奇跡のようなものだったんじゃないかなって」
 環の指の先にはブルームーン。なんとなくだけどそう思ってね、とアンセルムが示すのは青龍。
「えっと、待って下さいね、紫と青の薔薇って、えっと、待ってくださいね」
 あわあわと腕で顔を覆った彼に、図らずも同じ意味を持つ花を選んだふたりは顔を見合わせ、に、と笑う。
「エルムはどうしたのかな?」
「お顔見せてくださいよぉ!」
「今、顔が熱暴走してしまってるので!! こっち見ないでください!」

 ──ああもう、またやられた!


 ヨハンは鮮やかな花々へと顔を寄せ、眦を和らげる。
 ──この身に抱く剣は、花を斬り払うしかできないと思っていた。
 けれど。幾つも傷付いて、傷付けて、苦しんで、迷って、立ち止まって。
 振り返ってみれば、これまでのかなしい気持ちは全部、今日の僕に必要だった。
 絵本のちいさな王子だって、最後は薔薇咲く母星に還ったように。
 ヨハンは今、思う。戦士の家系に生まれなければ、きっと出逢った人々の魂に触れる事もなかった。
 “春”のお蔭で、花を愛でることはもう恥じない。
 視線を上げた先、どこか憂いを滲ませた少女と視線が合った。少女──礼の前には、青い薔薇。
「青と言うより薄紫っぽいけど、少しずつ青に近付いているそうですよ」
 彼の視線を受け、礼は言う。
「昔の青薔薇の花言葉は『実現不可能』だったけど、現在では『夢かなう』……今の情勢、必要としてる人は多いかな」
 私自身の夢はよくわからないけど。儚く微笑んで立ち去った彼女の後に残された青い薔薇を、ヨハンは静かに見つめた。
 恥はなくとも照れはあるから、
 ──眺めることで、かつての僕に贈るのです。
 たくさんのお花を。

 礼は緩やかに薔薇園を巡る。他の薔薇園には先日も行ったけれど、花はいくら見ても見飽きないから。
 一番の目当てだった、かつて奇跡だった青薔薇は今ではいくつも品種が存在する。
 もうひとつの目的は、その内のひとつの傍に見つけた。最近販売も始めるくらい高じた趣味である刺繍──それで緑地に銀糸で薔薇を描いたハンカチを、渡す相手。
「暮洲さん、お誕生日、おめでとうございます」
 どんな薔薇園にも咲いていない銀の薔薇が──いつか貴方の夢かなう、になりますよう。


 ありがとうございます、とチロルが返したあとは。
 ただ他愛もない会話と共に並んで歩いた。
「散策日和のいい天気だな。香りがよく届く。俺は詳しくないが、こういうのが好きだな」
 アーチをくぐりざま、絡んだ白い蔓薔薇へ手を翳しグレインは問う。
「あんたはどんなのが好きなんだ?」
 気に入りの場所というからには好みがあるだろう。それくらいの気持ちの質問にチロルは瞬いた。
「あ──そうですね。淡い色合いのもの、でしょうか」
「? なんだ、歯切れ悪いな」
「いえ、その。……此処は、先代の“夢翠”とよく来た場所なんです」
 しゃらと首の翠蝶に触れ、チロルは友へ笑う。
「落ち着かないときは、此処が良いと」
 一説に薔薇の香には鎮静の作用があると言う。グレインは蒼穹の眼を細め──笑う。
「……俺が、今ここでこうやって話してるのもあんたのお蔭だ。予知だけじゃなく、誓いやあんたの存在が力になってくれてる」
 ありがとな。
 丸い三白眼の前に、グレインは腕を差し出す。
「誓いは今も続いてるからな。──ちゃんと帰ってくるぜ」
 穏やかに告げた彼に、チロルも笑ってその腕に自らの腕をぶつけた。
「ええ……信じてます」

「そうだ、前言ってたお菓子作りを一緒にってやつ、近い内やろうぜ」
「じゃあとびきり難しいのに挑戦しましょうか」
「おい、それは早いだろ」
 それからまた、そんな話。
 そんな時間が、大切だと思えたから。

作者:朱凪 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年6月15日
難度:易しい
参加:18人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 3
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