エクスカーション

作者:藍鳶カナン

●空間魔法
 夏夜の楽園がそこにあった。
 遥か彼方まで広がる夜空は月と星に彩られ、夜色の海も星月夜の柔い煌きを波間に映す。吸い込まれてしまいそうな空と海を一望できるテラスを海上へと張り出させたコテージは、地元のブルワリー、すなわちクラフトビールの醸造所がこの春から宿泊業に乗り出すために建てられたもの。何もかもがまだ真新しく、知る人ぞ知るといった雰囲気を湛えたそこは、街の喧騒からはもちろん遠く、数棟あるそれぞれが程好い距離をとっていることもあって、夜ともなれば聴こえるのは潮騒の音ばかり。
 初夏の宵ならではの心地好い風が流れるテラスに仲間と集い、空と海を一望できるそこで搾りたてのクラフトビールで乾杯、ブルワリー併設のレストランから作りたてで届けられる料理に舌鼓を打ちつつ、余人を気にすることなく仲間との話に花を咲かせるひとときは――まさしく楽園のものに違いない。
 夏夜の楽園たるひとときをくれるコテージ群、それらから少し離れた浜辺へと流れ着いた品も、本来なら非日常のひとときを齎してくれるはずのものだった。
 一見したところは窓と見える姿見ほどの大きさのそれは、美しい木材を使ったフレームを洒落た窓枠そっくりに仕立てた、窓型のディスプレイ。たとえば南国の、あるいは北国の、日常では眼にすることのない景色を、鮮明かつ鮮麗な風景動画で映してくれるその『窓』を部屋の壁へと掛けたなら、自室の窓の外に非日常の世界が広がっているような心地になれるという代物だ。
 ――それとも、旅先の宿に滞在しているような心地になるだろうか。
 海中で剥がれたらしい梱包材の残骸があることから、輸送中に何かのアクシデントで海に落ち、回収不能となったままここに流れついたと思われる窓型ディスプレイ。海水に長い間浸かって機能しなくなったはずのそれが、初夏のある夜、何処からともなく現れた機械脚の宝石、コギトエルゴスムに融合されて生まれ変わる。
 光を取り戻した『窓』に見えたのは、桜咲く京の都。
 雅やかな風景動画の中で桜が風にそよいだと思えば、ふわりと舞った桜の花が初夏の夜の海辺に溢れだした。花のみならず、桜の木々が、京の街並みが、現実世界に幻影を投影する魔法となって、辺りの空間を染めていく。そうして現れる風景は、

●空間旅行
 桜咲く春の京都に、楽園に最も近い島と謳われる常夏のフェルナンド・デ・ノローニャ、紅葉や黄葉に彩られた秋のノイシュヴァンシュタイン城、冬のアラスカで見上げるオーロラ――誰かの部屋の『窓』となって見せるはずだった、美しい世界。
 初期設定として組み込まれていたらしいその風景動画は、
「この窓型ディスプレイのダモクレス化に伴って、攻撃グラビティに変化した」
 放置すれば人的被害は免れないと天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)は語り、ケルベロス達にダモクレスの撃破を願う。近隣一帯への避難勧告は既に手配済み。
 彼のヘリオンで急行すれば、相手がまだ浜辺にいる間に捕捉できる。
 夜ではあるが月と星で視界は十分に効き、敵自身が戦場となる空間を『美しい風景がよく見える』魔法で彩ってくれる。広さも足場も問題はなく、戦いの支障となるものはない。
「敵の攻撃は辺りの空間に幻影の風景を投影する魅了の魔法と、『窓』に吸い込まれそうな錯覚を齎して状態異常を強める魔法。どっちも範囲攻撃だね」
 状態異常はキュアやBS耐性で解除できるが、投影される幻影は敵を倒すまでそのまま。
 術の効果を重ねがけするのに長けており、自身の術の効果を高めるヒールも備えた相手は決して侮れないけれど、
「鮮明かつ鮮麗っていう風景動画の臨場感は元から相当なものみたいだしね。それが魔法でいっそう高められて空間そのものに投影されるわけだから、戦えば戦うほど……」
「ああん、みんなと世界を旅をしながら戦ってる心地になれそうなの~!」
 悪戯っぽい笑みを覗かす遥夏の言を継いだなら、真白・桃花(めざめ・en0142)の尻尾がぴこぴこぴっこーんと跳ねた。
 桜咲く春の京都に、楽園に最も近い島と謳われる常夏のフェルナンド・デ・ノローニャ、紅葉や黄葉に彩られた秋のノイシュヴァンシュタイン城、冬のアラスカで見上げるオーロラ――そんな美しい世界を旅する心地で戦って、無事にすべてを終えられたなら、『グループ向けのコテージが一棟空いているので、よければ皆様で御一泊を』というブルワリーからの御招待が迎えてくれる。
 そこで饗される夕餉は、夏野菜たっぷりのバーニャカウダや帆立とマンゴーのタルタル、甘辛スパイシーな蛸のフリットに渡り蟹のラザニア、飛魚のエスカベッシュといった、海を望むテラスで味わえばひときわ美味なこと間違いなしの海鮮寄りな料理の数々。
 搾りたてのクラフトビールとの相性はもちろんばっちりで、酒を呑めない者に振舞われる爽やかでスパイシーなクラフトコーラも料理に合う味わいだとか。
「ふふふ~。戦いの間の『旅』のこととか語らいつつ、みんなで夕餉のひとときをゆったり楽しめたら嬉しいの~♪」
 初夏の夜の楽園を、と夢見るように続ける桃花が声も尻尾も弾ませる。
 そうしてまた一歩進むのだ。
 この世界を、デウスエクスの脅威より解き放たれた――真に自由な楽園にするために。


参加者
ティアン・バ(世界はいとしかったですか・e00040)
アリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)
カルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)
アストラ・デュアプリズム(グッドナイト・e05909)
ムジカ・レヴリス(花舞・e12997)
ナクラ・ベリスペレンニス(ブルーバード・e21714)
アレクシア・ウェルテース(カンテラリア・e35121)
灰山・恭介(地球人のブレイズキャリバー・e40079)

■リプレイ

●極光
 旅に焦がれるのは、旅に誘われるのは、きっと。
 命が生きることそのものが涯てなき旅路であるがゆえ。
 涯てなき旅路を限りある命で往くからこそカルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)は識っている。どうしようもないほどに、旅には別れがつきものだから。
 ――さようなら。素敵な旅路を、ありがとう。
 潮騒が寄せる浜辺であるはずの戦場は凛冽な雪原とも氷河とも思える銀世界に染まって、氷雪の大地を旅するカリブー達とともに駆けて振り仰ぐ遥かな夜空には、薄く伸びた一条の白光。儚くも思えたそれはゆるやかに脈動をはじめて輝きを増し、翡翠色の光の紗となって天空へ解き放たれれば、桃色真珠の彩を混じらせた冷たい焔のごとく壮麗に翻る。
 敵たる『窓』の空間魔法で誰もがオーロラの下を駆ける心地、極光の天と氷雪の地を繋ぐ幾重もの光の柱は仲間の燈した星の加護。空恐ろしいほどに美しい絶景を心に灼きつけつつカルナが揮う手からは、杖より変じた白梟が翔けた。北極圏で卵から孵り、南へ旅する鳥。
 忘れえぬ光景だった。
 白梟に穿たれた『窓』が極光めいた輝きになって、世界に還っていく様さえも。
「ホント、壮大な物語みたいだったわネ! あのオーロラなんてホラ……!!」
「ええ、夜空に舞い降りた女神様のドレスの裾さながらだったわ。星が歌っているようで」
 四季と世界を一気にめぐる旅のごとき戦いを終えれば、皆を迎えてくれたのは初夏の宵と潮の香りをふうわり掻き混ぜていくような心地好い風。星月夜と夜の海を一望できるここは街の喧騒を遠く離れたコテージの、海上へと張り出した大きなテラス。先程までの高揚感と今この瞬間の解放感を綯い交ぜに咲いたムジカ・レヴリス(花舞・e12997)の笑みに燈火の瞳を緩めて、アレクシア・ウェルテース(カンテラリア・e35121)は詩を織る糸を心に紡ぎ始める。
 あの世界で飛んでみたかったわ、と白梟のそれによく似た天使の翼を宵風に遊ばせながら手を伸ばしたのは、明るい金色を優しく霞ませ、ふんわり豊かな泡を戴くクラフトビール。彼女も、己も手にした、背が高く上部がふっくらとしたこの硝子杯をヴァイツェングラスと呼ぶのだと今宵知ったティアン・バ(世界はいとしかったですか・e00040)は、
「ビール、初めて飲むんだ。乾杯してくれたらうれしい、どうだろうか」
「ああんそれはもうぜひぜひ! 歓び勇んで乾杯しますともー!」
 尻尾ぴこぴこな真白・桃花(めざめ・en0142)にほっぺちゅーされ、その様子に破顔したカルナも当たり前のように杯を掲げて、
「ティアンさん二十歳になったところですもんね、僕もクラフトビールは初めてです!」
「お祝い事はいつだって大歓迎だぜー。初めてってのもいつだってわくわくするよな!」
 陽気に笑ったナクラ・ベリスペレンニス(ブルーバード・e21714)の手の杯に泡が弾み、皆其々に杯を手にすれば、アレクシアが嫋やかな笑みで音頭を取った。
「それでは、皆の勝利に、初めての楽しみに」
 ――乾杯!!
 一口にクラフトビールといえど種類は様々、銘柄は星の数ほど。このブルワリーだけでも数種類が造られていると聴いたが、今宵饗されたのは大麦のみならず小麦麦芽をたっぷりと使ったもの。明るい金色を柔く霞ませる酵母由来の香りはフルーティ、杯を傾ければ豊かな泡の奥から程好く冷えたビールが溢れくる。口中に躍る炭酸は軽やか、苦味は淡く味わいは驚くほどなめらかで、なのに喉越しは爽快で。
「……! びっくりな美味しさネ!!」
「料理との相性も凄いです! 帆立とマンゴーのタルタルが、タルタルが……!」
「ビールを一口飲んだだけで、いきなり一段と旨味が鮮やかになったな」
 爽やかさと艶めかしさを併せ持つ初夏の宵風そのものみたいな酒にムジカの歓声が咲き、帆立の白とマンゴーの橙がモザイクめいて絡むタルタルを合わせたカルナの、感に堪えぬとばかりの言葉にティアンが深く、深く頷いた。
 そんなに!? とアリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)も胸を期待に弾ませ、その手の杯を口に運ぼうとしたところで、
「え? ルクス?」
「酒は、俺といるときにだけ飲んで」
 夏陽色の杯はするりと攫われ、掌中に入れ替わったのは琥珀色の杯。
 眼の前に咲き誇る数多の美味はブルワリー併設のレストランで調理されたもの。すなわち何よりもクラフトビールを楽しんでもらうために生み出された料理なのだと思えばたっぷり未練も覚えたけれど、酔ったアリスの可愛い顔は独り占めしたい――なんて陽南・ルクス(零れ陽・e87336)に囁かれれば、燈る甘やかな熱に抗えない。
 楽しげに気泡が躍る琥珀色はクラフトコーラ、自家製カラメルの煌きに数多のスパイスと檸檬の風味を秘め、一口味わえば炭酸の刺激とともにコーラナッツが独特の風味を咲かせる奥から幾重にも香辛料が花開く。シナモンにカルダモンにクローブ、コリアンダーシード、余韻をぴりっと引き締めるジンジャーに檸檬の爽やかさが跳ねて。
「成程、甘さも控えめで、これは料理に合いそうだ!」
「少し不思議で、癖になっちゃいそうな味だね……!」
 灰山・恭介(地球人のブレイズキャリバー・e40079)は上機嫌で絶賛し、心を躍らせつつアストラ・デュアプリズム(グッドナイト・e05909)は、無事戦いを終えられた安堵と共に味わう心地でもう一口。
 敵である窓型ディスプレイをじっくり確認してから挑むという悠長さゆえに皆より大きく初動が遅れたが、癒し手たる己の失態にも関わらず戦線が乱れることがなかったのは、もうひとりの癒し手たるムジカを始め、妨害手達や護り手達の盤石な備えあってこそ。それでもなお油断禁物と言いたげな騎士ミミックにがぶりとされて気を引き締めた。
 敵の魔法を撮影しながら皆を応援するよ――そんな当初の気持ちのまま戦っていたなら、アストラが今こうして皆と笑って夕餉を楽しむことは叶わなかったはずだ。
 焼きたてのラザニアは濃厚なトマトにベシャメル、渡り蟹の身をたっぷり孕むソース達とモッツァレラが層を成す。生地から溢れる美味の協奏に恭介の左目の獄炎が輝くけれど、
「今こそこの台詞だな! 『うまいぞ! シェフは誰だ!? 直接、礼が言いたい!!』」
「ふふ。けれどここに呼びつけるわけにはいかないものね、言付けをお願いしましょうか」
 何せブルワリーもその併設レストランもこことは別棟。
 アレクシアの言葉がさりげなくそれを思い出させてくれれば、彼の胸に先の戦いも甦る。命中率五割から七割の恭介の技を確実に敵へ届かせることができたのは、狙撃手たる彼女が徹底的に撃ち込んでくれた流星と竜砲の賜物だ。
 ひとりでは叶わぬ勝利、ひとつでは叶わぬ美味。胸裡で言の葉を織り成しつつ切り分けた熱々のラザニアを味わう合間に酒杯を傾ければ、アレクシアの口中でトマトとベシャメルが深みとコクを増し、それらが蟹の甘さをいっそう際立たせた。更にはビールの麦芽の旨味が新たに咲いて、ほのかな甘みをも引く様ときたら――それはもう!!

●楽園
 桜花爛漫が彩る古の都に、柔らかな金色の光が満ちた。
 空間魔法の幻影が戦場すべてを桜咲く京都に染め、仲間が燈した黄金の果実の輝き越しに見霽かせば優しい黄昏を迎える異界へと攫われた心地。春の京都を訪れたことすらないのに切ない愛しさがアリシスフェイルの胸奥から溢れたのは、
「あの世界を、あなたと一緒に感じたかったからだと思うの」
「……連れて行くよ。春の京都へも、どこへでも」
 記憶の裡の存在がどうあれ今のルクスは掛け値なしにまっさらな駆け出しのケルベロス。魔法耐性の防具があればまだしも、敵の範囲魔法ひとつでも倒れかねない身での戦場支援は憚られた。だからいつか改めて。
 俺も知らない世界に、君と一緒に逢いにいこう。
「あらあら、ごちそうさま――で、いいのかしら?」
「いいのよネ? 見るからにらぶらぶだもの」
 眼には見えねど柔く波打つ薄紗の帳が二人の世界を閉じてしまいそうになったけれども、微笑ましげな眼差しのアレクシア、アタシも大切な子と一緒にいくノと小指のガーネットに触れるムジカが、皆の語らいへと招いてくれる。耳まで薔薇色に染めたアリシスフェイルも皆と一緒に楽しみたい心は同じ。時折、あの日の渓流の煌きが、胸に眩く沁みるけれども。
 揚げたて熱々、甘辛スパイシーな蛸がぷりっと弾けるフリットと、微細な宝石めいて煌く刻み香味野菜と優しい酸味が爽やかなマリネ液を纏って一晩冷やされたエスカベッシュは、交互に口へ運べばとまらなくなってしまう蠱惑の味。フリットは無論のこと、綺麗な狐色に揚げ焼きされてマリネされた飛魚の白身は香味野菜やビネガーの風味をふっくら受けとめ、夏陽色の杯を傾けつつ味わえば美味の協奏がいっそう高揚する心地。
 酒も料理も奥深い味わいを開かれるのは、油分をやんわり蕩かし馴染ませるアルコールの特性ゆえ。大人の特権だと朗らかに笑って、
「そういやあの『窓』も大人の贅沢だよな、いやぁ、調べたら結構いい値段でビビった」
「高機能で高品質な製品自体の良さもでしょうけど、サイズが大きいですからね……!」
 弟妹に仕送りしてる俺じゃとてもとても、と戯けるナクラが製品情報を検索したスマホを披露すれば、酒精とエスカベッシュの幸福に双眸を細めていたカルナが眼が瞠る。ネットに繋がる『窓』は風景動画の追加購入も可能で、定額で世界中の絶景が見放題、そのいずれも現地で最高の環境と技術をもって撮影されたものと聴けば、ティアンはひとつ瞬きをした。
 敵に招かれるような魔法の眩暈に薔薇の庭を思い起こした気がしたけれど。
 見る者の望む光景を汲んで『窓』に再現してくれるAI――というのは誰でも触れられる科学ではなく、限られた者のみが届くか否かの魔法めいた領域なのだろう。今はまだ。
 鮮やかな赤と黄のパプリカや艶めく緑のズッキーニは予め綺麗にスライスされ、朝採りの水茄子は自身の手でやんわり裂いて。熱いバーニャカウダソースを纏わせ頬張れば、大蒜とアンチョビのコクの裡から夏野菜の瑞々しさが迸るよう。
 誰かの部屋の『窓』になれなかったのは可哀想だったけれど、
「浜辺へと流れ着いた品って、浪漫を感じるよね」
「浪漫ですよね。ティアンさんの故郷の島にも色々流れてきたりするんじゃないですか?」
 窓型ディスプレイに思いを馳せつつアストラが語れば、少女に倣って水茄子を手に取ったカルナが裂いた半分を差し出して、受け取ったティアンの胸には南海の楽園が燈る。
 太平洋と大西洋――遠く離れはしても、碧く透きとおる海が煌く様は『窓』の空間魔法で旅したフェルナンド・デ・ノローニャとよく似た、故郷。
 美しい流木や白珊瑚から、果ては龍涎香までも。波打ち際の様々な出逢いから、
「色々流れ着くぞ。女神誕生の貝ほどじゃないが、ナノナノが乗れそうな貝殻とか」
『ナノっ!?』
 視界をふよふよとよぎる姿に思い起こして語れば、愛らしいふよふよがぴゃっと跳ねた。
「いいねぇ! 女神様になってみるかい、ニーカ?」
「ふふ、可愛い女神様の誕生に間違いなしなのだわ」
「さっきの浜辺へ貝殻探しにいってみましょうか、食後の散策がてらにでも」
 弾けるような笑みでナクラがふよふよする愛娘に杯を掲げれば、新鮮な帆立とマンゴーの甘味が南国的な酸味と融け合う様に相好を崩していたアリシスフェイルが更に笑みを深め、悪戯に笑むアレクシアが皆を誘う。
 南海の扇貝ほど大きな貝が生息していることはないだろうけど、それこそ、貝殻となって遥かな潮流を旅してきたものが、流れ着いているかもしれないから。
 楽園に最も近い島、フェルナンド・デ・ノローニャ。
 碧く透きとおる海も明るい島の緑も、泣きたいほど眩く輝く、大西洋の宝石。
 同じ海を望む南米の港町に生きたムジカにはその魔法がこの場の誰よりも現実感をもって触れたけれど、今こうして、仲間と語らいながら太平洋の潮騒に浸るこの夏夜こそが――。
 夢に求めたりと唄うまでもない、現の楽土。

●旅路
 暖かに色づく紅葉や黄葉に彩られた城は、白鳥の名に恥じぬ美しさ。
 ノイシュヴァンシュタイン――新白鳥城。麓からその近くまで登るのだという馬車が己の横合いを通りすぎれば馬の息遣いまでも感じられそうだったとは皆に語っても、携行砲台を敵へ斉射したとき攻城戦気分になったのは、カルナのここだけの秘密の話。
 空間魔法で旅した秋は昼下がり。だったけど、思い出を囁く花と希望を告げる花が実らす黄金の果実の輝きに透かし見た光景は、秋の夕暮れのようで夜明けのようで。
「秋の夜も旅できたらこれ歌ってみたかったなー。焚火か暖炉の傍なんかでさ」
「素敵ね。情緒も浪漫もとても豊かで」
 青き翼を揺らめく焔めかしてさざめかせて、現の夏夜の海辺でナクラは、君の孤独な夜を暖めようと唄うバラードを口遊む。即興でハープに指を踊らせ併せたアレクシアは彼の唄がゆうるり帷を降ろすとともに、女神の祝福と勇士達を讃える詩と情熱的な旋律へと繋げて。
 戦場にあれば癒しや加護を齎すはずの唄声と旋律、空間魔法の旅路でそれらを聴く機会がなかったのは、二人の音色を必要とせぬほど他の癒しと加護が充実していたからだけど、
「桃花ちゃんと一緒の戦いも久々だったケド、アタシみんなを確り援護できてたカシラ?」
「ああん勿論なの、ヒールもばっちり、蹴り技もばっちりでしたともー!」
 ふと萌したムジカの不安は弾む桃花の声と尻尾で霧散した。きゃーと抱き合う竜の娘達の言葉で灰の娘の胸によぎった光景は、星剣で描く癒しと聖域の加護、戦舞靴を閃かすムジカ独自の蹴撃の、太陽と黄金の花が咲く彼方に青空を見るかのごとき鮮やかさ。
「ムジカの体術は舞踏絡みの何かだよな、ティアンも舞うから、よくわかる」
「私は知識のみだけど、カポエイラ、かしら?」
 明けの明星を連れて舞うティアンが癒しの花と三重の浄化を咲かせる様も思い起こしつつアレクシアが訊けば、当たりヨ、とムジカが笑み返す。物語の紡ぎ手たる女の胸には皆への更なる興味が芽吹いたけれど。
 叙事詩にしたいと吟遊詩人が願えば、誰もが喜んで己の来し方を語ってくれる――なんて展開は、残念ながら物語の中だけのこと。なれど、言の葉で語られるまでもなく、
 戦場での姿が何よりも雄弁に、そのひとが歩んできた軌跡をものがたる。
 如何な想いを抱き、如何な策で戦うか。如何な武装を纏い、如何な術を揮うか。
 そして、空間魔法の旅のさなかに見た、世界で唯ひとりのみが揮える、特別な技が。
 獄炎の斬撃で敵を葬らんとする恭介の剣技、弾幕めいたデジタル文字を奔らせ命中補助の効果を齎すアストラの癒し。殲滅の魔女の物語を魔術へ昇華して、彼女と魂を重ねるように零した星の泪で『窓』の術を鈍らすアリシスフェイル、竜人でありながらも時空を操る術を識るかのごとく魔力を圧縮し、不可視の魔剣を揮うカルナは『窓』の術力を三重に抑えて。癒えなければよかったのにと希った傷痕を秘める喉へと触れて、ティアンが『窓』の癒しを三重に阻む術を織り上げる――。
 今ここに。
 かつて故郷を滅ぼされた者達がいるだろう。
 かつて大切な存在を喪った者達がいるだろう。
 余程気心の知れた相手でなければ、おいそれとは言の葉にできぬ物語。
 大きな戦いや重要作戦の報告書で明らかな通り、壮絶な死線を潜り抜けてきた者もここに一人や二人ではないけれど。きっとアレクシアだけでなく皆が一様に感じ取っているのは、其々の物語を艱難辛苦で彩ってきた戦いの日々が終わると思える、希望の光。
 帆立も蛸も、渡り蟹も飛魚も。
 夏野菜のバーニャカウダさえも確りアンチョビが効いた、海の幸、大海の恵み。
 初めてのクラフトビールともクラフトコーラとも合わせてそれらを存分に堪能したなら、潮が満ちるようティアンの胸に、この星が平和になる時の望みが寄せる。
 大人になったらと勧めてくれたひとがいたから、旅に出よう。
 この国で馴染んだ桜、故郷と重なる楽園、仰ぎ見て息を呑んだ、白亜の城とオーロラに、己の足で逢いにいく旅に。
「大切な人と共に行きたいの、……甘えが抜けてない、だろうか」
「まったくもって! 甘えじゃありませんともー!!」
 微細な棘のごとく胸を刺す想いを吐露すれば、間髪を容れず桃花がそう断言する。だって命が生きること自体がもう旅路だもの~と続く言葉にカルナが翡翠の瞳を和らげ微笑んだ。絶景に心躍らせ通りすぎる時も、故郷と思える処で羽を休める時が来ても。
「旅は僕にとっての日常そのものですからね。大切な人と共にって気持ちはよく解ります」
「同感よ。孤独を愛するひとも共連れを望むひとも、自分の幸せを求めればいいと思うわ」
 碧きエーゲ海を旅立ってから旅そのものがアレクシアの故郷、楽しくありたいと望むのは自然なことで。子供の頃のささやかな、けれど当人にとっては大冒険に出た時のあの無敵な高揚感を今も翼の追い風にするナクラが、晴れやかな笑みと声音で何度目かの杯を掲げた。
 辛い旅にする必要なんてない、幸いを望んだっていい。
「だってこれまでもこれからも旅で、まだまだ旅路は続くんだからさ」
 ――カロ・タクシディ、いい旅を!!

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年6月15日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 0
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