シャイターン襲撃~救いとは

作者:ヒサ

 東京都羽村市内の魔空回廊からヴァルキュリアが現れた。
 少数に分かれ飛び立った彼女達の一団は、とある住宅街の緑地に降りる。そこを散歩していた親子連れが目を瞠った。三体のヴァルキュリア達はいずれも感情の窺えぬ顔で、人間達を見つめる両目から血色の涙を頬に伝わせていた。
 彼女達のうち一人が手にした槍を持ち上げる。今にも泣き出しそうに顔を歪めた二人の子供を、自身も震えつつ親が庇う。その親の腹を槍が刺し貫き、溢れた血が子を汚す。
「え……」
 付近の公道から、それを目撃した通行人達の悲鳴が響く。頽れ行く親の体を見つめる幼い子供達は事態を理解するより早く、一人は閃いた刀に、一人は重く落ちた斧の刃に、それぞれ命を奪われた。
「──うわあああっ!」
 得物からヒトの血を払い落としたヴァルキュリア達は緑地の外、怯えて逃げ出した者達の背を色の無い目で見遣った。次の贄を見定めて翼を広げる。
 先陣を切る娘の目尻からまた一つ、血の雫が零れた。

「エインヘリアルが動いたようよ」
 鎌倉の戦争で失脚した第一王子の後任が新たに地球へ侵攻を開始したらしいと篠前・仁那(オラトリオのヘリオライダー・en0053)は告げた。後任は、第一王子の配下であったヴァルキュリア達を何らかの方法で強制的に従え、人間達の虐殺を図っているようだ。
「妖精八種族の一つ……シャイターン、が、ヴァルキュリア達を指揮して幾つかの都市を襲撃しているようなの。あなた達には東京の羽村市へ行って、ヴァルキュリアの一隊を迎撃して欲しい」
 各所でヴァルキュリア隊を抑えつつ、襲撃を指揮するシャイターン達を倒さねばならないのだと彼女は言った。
「あなた達に頼みたいヴァルキュリア達なのだけれど」
 敵が襲来する場所、街中の大通りに面した緑地の位置を伝えて後、仁那は皆を見た。
「市民を殺してグラビティ・チェインを奪うのが目的のようだけれど、それが上手く進められない場合は、邪魔になるものを先に排除するよう、命令を受けているようなの。だから、あなた達がヴァルキュリア達へ戦いを仕掛ければ、その間に周りの人達も逃げられると思うわ。……ご老人とか、幼児連れとか、それなりに出歩いているようだし」
 シャイターンが市内に留まっている限り、洗脳されたヴァルキュリア達は躊躇いも迷いも無く淡々と他者へ刃を向けるだろう。別働隊がシャイターンを撃破出来れば、ヴァルキュリア達にも何らかの影響が出るかもしれないが、現時点では何とも言えないと仁那は目を伏せる。
「ヴァルキュリア達は三体で纏まって行動しているわ。それぞれ一つずつ武器を持っていて……決して侮って良い相手では無いと思う」
 瞼を上げたヘリオライダーはしかし、憂うよう視線を流す。
「……それに、場合によっては援軍として更に一体、ヴァルキュリアが来るかもしれないようなの。気をつけて、としかわたしには言えないけれど……どうか、無事で」
 仁那は胸の前で手を重ね、再度ケルベロス達へ視線を向けた。
 ヴァルキュリア達にも事情があるのかもしれない。だがそれでも地球の人々を殺すなど看過出来ないと、彼女は改めて敵の思惑の阻止を依頼する。
「……慈悲って、何なのかしら」
 話のあとで彼女はぽつり、幼く未熟な心には余るらしき疑問を呟いた。


参加者
ナレイド・ウィンフィールド(月追い黒狼・e00442)
薬師丸・秋雨(一般人の成れの果て・e00654)
ヴィンチェンツォ・ドール(ダブルファング・e01128)
サルヴァトーレ・ドール(赤い月と嗤う夜・e01206)
辻凪・示天(彼方の深淵・e03213)
罪咎・憂女(捧げる者・e03355)
二藤・樹(不動の仕事人・e03613)
ブリュンヒルト・ビエロフカ(シャドウエルフの降魔拳士・e07817)

■リプレイ

●其は死をもたらす穢れた翼
 紫の髪のヴァルキュリアが槍を振りかざす。それが獲物を貫くより早く、彼女を横薙ぎに払う斬撃があった。
「怪我しないうちに逃げな」
 怯える親子連れの前へ割って入ったサルヴァトーレ・ドール(赤い月と嗤う夜・e01206)が子の親へ告げた。他二体の敵へは、二藤・樹(不動の仕事人・e03613)とブリュンヒルト・ビエロフカ(シャドウエルフの降魔拳士・e07817)が攻撃を仕掛け注意を惹く。
「皆さん、落ち着いて直ちに避難を!」
「此処からはケルベロスの時間だ。俺達に任せておけ」
 周辺の人々へ向け、薬師丸・秋雨(一般人の成れの果て・e00654)が声を上げる。ヴィンチェンツォ・ドール(ダブルファング・e01128)が続いた。身を壁と為したサルヴァトーレの陰で竦み上がり動けずに居た親子連れへ彼は手を差し伸べる。
「おうちまで真っ直ぐ逃げろ。マンマとソレッラを守ってやれ」
 まだ幼い二人の子供のうち、兄と思しき少年の頭にぽんと手を置き彼は促した。
「ここから離れれば安全です! 但しこの付近は戦場となりますので、無事逃げられた後は出来るだけ多くの人にここが危険である事と……身内の方へご自身の無事を伝えて下さい!」
 秋雨が腹の底から声を張る。安全との言葉を真実にすべく、狼の牙を覗かせたナレイド・ウィンフィールド(月追い黒狼・e00442)は人々を背にして緑地から公道へ至る道を塞ぎ、罪咎・憂女(捧げる者・e03355)は敵の正面へ立ち塞がる。ヴァルキュリア達はケルベロス達を脅威と見、斧と刀をそれぞれ持つ二体は油断無く得物を構え、槍使いは大きく跳び退り距離を取った。
「めんどくせえな。アタシは斧の奴を殴る、フォロー頼むぜ」
 ブリュンヒルトが舌を打つ。淡橙の巻き毛を背へ払った斧使いが一番攻め易い位置に居た。更に踏み込めば届くであろう位置に、深緑の髪を結い上げた刀使い。風に長髪を流す槍使いは、直接殴りに行くには遠過ぎた。
「放置すンのも危ねェしなァ。取り敢えず一個ずつこなしてくか」
「気が変わって槍持ちのやつも出て来てくれたら助かるんだけどね」
 ナレイドが応え、守護の鎖を広げた。続き憂女が幾つもの警護ドローンを放つ。ぼやいた樹は不可視の爆弾を無数に飛ばし、その炎を振り切るよう刀使いが大きく踏み込み刃を振るう。血涙を滲ませながらも眼差しは鋭く、成したばかりのケルベロス達の防御を的確に打ち砕いた。
「妨害役か」
(「一人を集中攻撃されるよりは動き易いか」)
 傍の仲間を庇った辻凪・示天(彼方の深淵・e03213)は、斬り捨てられたドローンを仮面の奥から一瞥する。音にした一言目は仲間達へ警戒を促す意を込めた。間を置かず斧使いが迫るのを見て彼は、アンサラー、と静かに口にする。応えて彼のサーヴァントが動き、光を纏った斧の刃を正面から受け止め火花を散らした。敵の一撃は存外重く、装甲が歪み一輪は地面を滑り草を焦がす。あれをまともに喰らうのは危険だと皆が知り、改めて気を引き締める。
 サーヴァントがまだ動ける事を確認した示天は唇を結び、その背で仲間達の動きを聞くべく感覚を広げた。

●其は命を燃やし輝く意志
 狙い澄ました槍の攻撃は厄介と先に彼女を降したくとも、前を守る二体が邪魔をした。ゆえ、ケルベロス達は狙いを散らし、斧使いへ攻撃を叩き込む傍ら、後方の二体へは呪詛を重ね、身を灼きその翼を手折らんと縛り行く。またそれと並行して、ナレイドの鎖や憂女のドローン、秋雨の杖が成す雷壁が戦線を維持する者達へ守護を為す。すると時折刀使いがその守護を打ち消しに動き、その時ばかりは敵の攻撃が緩んだ。
「楽観は出来ないけど、悪くは無いと思うよ。このまま慎重に押して行こう!」
 守りを固める手間ゆえに、思い切り攻める事は出来ずにいたが、敵に押されて崩れるよりは良いと秋雨は皆を励まし今一度雷壁を織る。
「チマチマやんのは性に合わねえんだけどよ……!」
 零しつつもブリュンヒルトが拳を振るう。鋭いそれは風を切り、鎌鼬の如く斧使いの肌を裂いた。血を噴きながらも眉一つ動かさない敵の表情に、彼女の眉が寄る。
(「つまんねえな」)
 得物に篭める熱も、譲れない主義も、ここには──今この敵には無い。敵は人形めいて、決め事をなぞる如く斧を操り反撃を試み、庇いに入ったサーヴァントを叩き伏せた。狙った標的が未だ無事である事実を確認するだけといった風、視線を緩やかに動かした斧使いはしかし瞳を変わらず血色に濁らせていて、それが余計にブリュンヒルトの気分を害した。
(「こんなの喧嘩じゃねえだろ」)
 せめて泣き止めば良いのにと。嘆息して彼女は、少しでも早く終わらせるべく再度踏み込む。それを迎え撃つ如く、刀が陽光を弾いた。彼女が気付くのとほぼ同時、ヴィンチェンツォの銃撃が刀使いの手を鈍らせる。退いて再度の機を窺う敵をしかし彼は許さず次々銃弾を放つ。
「世話掛けるな」
「良いさ。後ろは任せな」
「グラッツェ、兄さん」
 ブリュンヒルトへヴィンチェンツォが目を細める。兄と同じように柔らかにサルヴァトーレが口角を上げ、けれど標的を見定めるその目は敵への殺意を透かした。星宿す剣が鋭く翻り、出でた黒い水流が斧使いの身を刻む。
「未だ膝を折らないか。シニョリーナは健気だな」
 『ごめんなさい』は早めに、などと幼子を諭す如く彼は言う。
「サヴィ、急かすのは酷じゃないか?」
 自由など遙か遠く重い鎖に繋がれる彼女達を憐れんだヴィンチェンツォの銃が雷を纏う。光が白く撃ち出され、槍使いを捉えた。
「良い感じだと思う。集中攻撃すれば斧持ちのやつを落とせるかも」
 槍使いにも刀使いにもそれなりに不自由を与えた。秋雨が放った毒に治癒を阻害された斧使いの傷は今や目に見えて深い。腕のコンソールを高速で操作しつつ樹が皆を促した。
 とはいえ、と彼が続けるより早く。槍使いが高く跳び彼の爆破をいなした。落ちる勢いを乗せて攻め手を狙う穂先を見上げ、示天が動く。危険と悟り、務めを果たすだけとばかりごく自然に彼は身を盾と成し、槍撃を受け止め膝を付いた。
「手間取ると危険だ、手早く頼む」
 仲間を庇い傷ついた体はもう立てないらしいと示天はその事実を受け止める。皆の身を案じて彼は、苦しい呼吸の合間を縫って樹の言葉を継いだ。

●其は死に行く魂を掬い上げる為の翼
 盾役もこの時ばかりは攻勢に出、彼らは斧使いへ攻撃を集中させた。その間、他の二体はヴィンチェンツォが抑え、ほどなく斧使いは絶命した。だがケルベロス達の負傷も既に軽んじ得ぬ域と、間を置かず彼らは次の標的を求め敵陣へ目を向け、そして訝しむ。目にしたのは、棒立ちになった刀使いの姿。
「私は、……っ」
 呟き彼女は、痛みを覚えたよう顔を歪めた。そうして不意に身を翻し槍使いへと斬り掛かったかと思うと、刀使いの瞳は再び色を失くす。
「二藤?」
「鳴ってないよ」
 もしやと気付きナレイドが問う。それに否定を返して樹は携帯電話を覗く。やはり受信記録は無く、また、この場に来てから十分以上が経っている事が判る。そしてきっと、シャイターンを倒しに向かった班は無事目的を遂げてくれたのだろう。
「もう多分、増援は来ないね」
 正直助かる、と樹が洩らした声は、爆発音に掻き消された。彼の手に依る爆破が槍使いを襲う。敵の数が減っても生憎戦法に変更は不要、槍使いを捉え難い面々は刀使いへ武器を向けた。癒し手の負担が軽くなった分だけ加速して、彼らは敵を追い詰めて行く。
「どうか、殺して」
 その中でふと、ヴァルキュリアの声が乞うた。虚ろな目で刃を向けるその合間、一時的に緩んだ洗脳の下から彼女自身が顔を出す。
(「死を、望むのか」)
 敵の刀を弾き憂女は相手と視線を交わす。何ゆえに、などと問うのはきっと無為と。
「……死ぬ事なんて、彼女達には未知のものの筈なのにね」
 僕達もだけど。秋雨が困ったように呟く。ヴァルキュリアの声に彼女達なりの矜恃を見て樹は思案するよう小さく息を吐いた。
(「殺すとか死ぬとか……救うとか。そういうのは多分物凄い覚悟が要って、他人を殺して来た彼女達には多分、もう備わってるんだろうけど」)
 少し遠いと思う自分を彼は冷静に顧みる。戦う事、命を奪い合う事、死と隣り合う事。触れられる程の距離で直視しても、その事実を知覚する事はあまりして来ずにいた彼は、己には覚悟が足りない、と静かにただ受け入れた。
(「死ねとか死ぬなとか、生きろとか償えとか、あとは悔い改めろとか? こういうの言える人はどうやってんだろ。凄く重いのに」)
 敵の槍が不穏に光る。翼で風を切り跳んだ槍使いが狙ったのは、傷を負ったブリュンヒルトが痛みを堪え眉をひそめたその一瞬。腹部を抉られ彼女は、それを為した槍使いを見上げる。乱れた紫の髪は埃と血に汚れ絡まり見る影も無い。槍使いはブリュンヒルトと目が合い一つ瞬いて、
「──……」
 一筋だけ。目尻から透明な雫を零し、頬を濡らす血を僅かに洗い落とした。
「すまねぇ」
 ブリュンヒルトが口を開く。視線の先にはヴァルキュリア、しかしその声は仲間達へと。
「後、頼むわ」
 槍が横薙ぎにブリュンヒルトの体を払う。跳ね飛ばされ彼女は戦線離脱を余儀なくされた。
「──私達は、こんな事の為になんて」
 ぶれる意識の狭間でヴァルキュリアが嘆く。槍使いの手で、血に濡れた得物がくるり、反転した。
 直後、槍は持ち主の腹を貫く。鮮やかに血が華と咲いた。彼女の目は、痛みなど無かったが如く直後に再び淀んでしまったけれど。
「……っ」
 派手に零れた血を秋雨は、綺麗だと思った。口元が緩んでいる事に気付いてはっとして、唇を引き結ぶ。
(「愉しんじゃ、ダメだ」)
 彼は己を戒める。だって彼女達はあんなに苦しんでいる。何故なら未だ生きている。腹底に息づく、命を奪う事への高揚を、罪と蓋して彼は努めて深く息を吐き、傷の深い仲間を癒すべく術を紡ぐ。光を、愛を。血も業も薄らぐほどの正しさをと。
 揺らぎ向けられる刃を兄の銃弾が逸らして生じたその隙にサルヴァトーレが敵へと斬り掛かる。敵が惑い憂えども、自分達は退けはしないと。
 苦しげな声でそれでも冷静に示天が残した忠告は、今となっては『呑まれるな』の類義のよう。皆へ後を託したブリュンヒルトの声は、痛みに──肉体のそれで無く、他者の嘆きを我が事同然と胸に受け止めた如く揺れていた。
(「殺される側には、死の意味などどれも同じだろうけれど」)
 此度の事が無くとも、贄を求めるヴァルキュリア達の在り方は憂女には肯定し難い。しかし彼女は他者が零した幾つもの感傷を耳に入れ、敵と相対する中で、思う。
(「『慈悲』などというものはきっと、彼女達が願う通りに殺す事や、背いてでも命を救う事では無いのだろう」)
 それは与える側の独善と、彼女は断じる。だが同時に、そちらの側でしか在れない事も承知の上で。
(「……墓に似ているかもしれないな」)
 生者の為のよすがたるそれ。与え、捧げ、刻んで行くのは続く道がある者の特権だ。生きて感じる己こそが基準で最優先、それは生き物のサガだろう。
(「ならば私は──己の信ずるものの為、敵を打ち破るだけ」)
 彼女は微笑み、思考を断つ。此度は戦友を支える事を主としつつも、目指す先はやはり、と。翼を広げた彼女は地を滑る如く踏み込み直刀を振るった。彼女が刀使いを抑える間に、樹が操った爆発が風を起こし槍使いを仰け反らせる。
(「俺には多分、何も言えない」)
 ヴァルキュリア達の涙はきっと誇りの証。ゆえに重いと、彼は。
(「俺にも出来る事があるなら、それはきっと終わらせる事だけ、かな」)
 負わず悼まず。時折躊躇う彼女達の信念を助けと、ただ仲間と共に攻めるのみ。
「──危ねェ!」
「っ……すまない、助かった」
 幾度目か、刀使いが迷いを振り払い刃を向けるのを見、ナレイドは傷の深い憂女の手を引いた。彼女を守り、己の肌へも届かんとする切っ先は咄嗟に抜いたナイフで逸らし、彼は地を蹴る。駆ける足元が熱を上げ、蹴り上げた脚を槍使いへ届かせる。
「ごめんな。奪わせて貰うぜ」
 踏みにじられる彼女達を憐れめど、その手が為そうとした罪は許し難いと。抗う力すら持たぬ人々が虐げられる事など一つたりともあって欲しくないと彼は、その芽をも全て摘むべく槍使いへ炎を移す。痛みと熱ゆえの苦痛に歪んだ彼女の目は刹那柔らかに色を映し、過ぎた負傷ゆえかその遺体は崩れるように消えた。

●其は生者の為の、
 残るは刀使いのみ、とケルベロス達は油断無く戦いを続ける。彼らも苦しい状況にあったが、勝利はそう遠くはなかろうと。
 だが暫しして、ふと動きを止めた敵は宙を仰ぎ二、三度目を瞬かせた。束の間我に返った時とも違うその様子にケルベロス達は警戒したが、やがて彼女は背の翼で舞い上がる。
「待──っぐ!」
「あ」
 それが空へ離脱を試みたと気付き、追うべく翼を広げた憂女が呻いた。反射的に動いた樹が掴んだのは、浮ききる前に墜ちた彼女の腕。地面に蹲り酷い負傷ゆえの痛みに耐える彼女に、彼は安堵して手を緩める。続く声すら忘れ呼吸を乱す彼女には悪いが、死にに行かれるより余程良い──これでなお止まらぬ程、彼女は愚かでは無かろうと。
「無理したら駄目だよ。一旦退こう」
 秋雨が膝を付き、憂女へ杖をかざした。やがて彼女はきつく瞑っていた目をそっと開く。
「はい……お二人共、ありがとう」
 彼らへ笑んで見せた彼女の顔はしかし憂いを含み、その視線は空へと上った。
「少しはマシな状況になってると思いたいけどね」
 樹は彼女に倣い、ヴァルキュリアが消えた方を眺める。彼女達を指揮していたシャイターンは倒されている筈で、この場で殺されるかもしれなかった人達を守る事も出来た筈だ。刀使いの最後の様子と併せると、別の新たな意思により再度彼女の自我が塗り潰されたのだろうと推測出来た。
「シニョリーナ達の自由意思で停戦を選んでくれるのであれば歓迎だったんだがな」
 ヴィンチェンツォが落とした視線の先には橙の髪のヴァルキュリアの亡骸があった。彼は懐から煙草を取り出して少し思案した後、胸に組ませた彼女の手にそれを二本持たせてやった。箱ごとは遣れなくて──彼にとっては中身より、家族から贈られた箱の方が大切だから──、けれど苦しんだまま逝かせてしまった彼女達へ、少しだけでも想いを遣りたくて。腰を上げた彼は己の為にもう一本同じ物を取り出して火を点ける。
「兄さん、今ので最後じゃなかったか?」
 買い置きも切れていた筈では、とサルヴァトーレは、空になったシガーケースをしまう兄へと目を向けた。
「また買えば良いさ」
 弟へ応えた彼は、何をも為せぬ身となったヴァルキュリアを見、紫煙と共に淡く感傷を吐き出した。

作者:ヒサ 重傷:ブリュンヒルト・ビエロフカ(活嘩騒乱の拳・e07817) 
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2015年12月24日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 4
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