熱情

作者:藍鳶カナン

●情熱
 ――恋と硝子は、どうしようもなく同じものなのよ。
 ――だってどっちも、望む物を手に入れられたかどうかは、熱が冷めた時まで解らない。
 映像の中でそう語る硝子工芸作家の眼差しは陶然と熱を帯び、声音も官能的な熱を孕む。掌上に映像を燈す女が己の唇で作家の言葉をなぞれば、声音こそ違えど発した言葉は作家のものと違わぬ熱を孕んで響いた。
 完璧だと頷いて、彼女は用済みとなったものを風に浚わせる。
 先日終了した件の作家の個展のリーフレット、作家の秘書としての己の名刺。
「硝子工芸作家に近づきその情熱を写し取れなどと、上はよくもそんな不明瞭な命を下してくれたものだ。分離も抽出も叶わぬものだぞ。おかげで相手の人格から言動から反応から、時間をかけて全てトレースする羽目になったではないか」
 苛立たしげに嘆息するが、それもアンドロイドたる彼女が人間社会に紛れるための『それらしい仕草』として学習したもの。先程風に浚わせたリーフレットにあった『この硝子工芸作家の創作への情熱は、硝子を熔かす焔よりも熱い』という評論家の推薦文も、彼女が真の意味で理解することはついぞなかった。
 何かの実験か、あるいは創作への情熱を解析し、機体開発にでも活かすつもりか。
 彼女はそう呟いたが、上の意向を詮索する気はない。今なすべきことは帰還のみ。
 後は己が裡に構築した人格エミュレーターから、情熱でも何でも上が解析すればいい――そう続けた刹那、唐突に思考が途切れた。
 前触れもなく背後に黒衣の死神が現れたことも、死神が球根めいた何かを彼女の背中から身体の奥深くに沈めたことも気づく間もなく、
「…………!!」
 彼女自身の自我と理性は、あっけなく消滅する。
 代わりに起動したのは硝子工芸作家をトレースした人格エミュレーター。それも明らかに異常をきたした状態だったが、黒衣の死神は構わず命じた。
 ――お行きなさい。
「そしてグラビティ・チェインを蓄え、ケルベロスに殺されるのです」
 応えたのは、狂えるエミュレーターが再現した模擬人格の、硝子工芸作家。
『ええ、ええ。グラビティ・チェインを蓄えて、何処までも高みへ昇って、あたしはあたし自身という作品を完成させてみせる。貴女が望む物を手に入れられたかどうかは、あたしが殺されて、命という熱が冷めた時まで解らない。そういうことよね?』
 なんてすばらしいの。
 恍惚と呟いて、熱が昂るままに、高みをめざす。

●熱情
 最早永久に、彼女がダモクレス陣営へ帰還することはない。
「あなた達ケルベロスが彼女を倒すのと同時に『死神の因子』を破壊するか、因子の破壊に失敗し、死神に彼女を回収されてしまうかの、ふたつにひとつだからね」
 討ち洩らすことなど、絶対にあってはならない。
 天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)は言外にそう告げて、事の仔細を語る。
 黒衣の死神が女性型アンドロイドに埋め込んだモノは、『死神の因子』。
 大量虐殺でグラビティ・チェインを蓄え、ケルベロスに殺されたデウスエクス――それをサルベージし、より強力な手駒を得るのが死神の目論見だと思われる。
「黒衣の死神はとうに姿を消したあとだけれど、『死神の因子』を埋め込まれた標的がまだ硝子工芸作家の工房の庭にいる間に捕捉できる。戦闘を妨げるものもない、広い空間のある場所だから、そこで仕掛けて」
 幸い当の作家本人は親族の慶事で個展終了後から帰省中。
 近隣への避難勧告も手配済み、ゆえに一般人を巻き込むことはない。
「彼女本来の自我と理性は消滅している。だけど人格エミュレーターが再現した『硝子工芸作家』も彼女が持つ戦闘能力を自在に使いこなせるみたいだね。腕に仕込まれた放射器から高威力の火炎を、広範囲に氷雪を放ち、魔力で生成した硝子の剣で状態異常を深めにくる。昂る熱のままに攻める――クラッシャーだよ、相当に強力な」
 理論的に理解できずとも、彼女が構築したエミュレーターは確かに『熱』を得たらしい。
 死神の因子の影響で狂わされはしても、その『硝子工芸作家』の情熱、あるいは熱情は、何処までも高みをめざす熱でこちらを圧倒するほどのものだろう。模擬人格のまがいものと見下してかかれば、その時点で気持ちの上では負けてしまう。
「アンドロイド型ダモクレスじゃなくて、狂おしいほどの熱を抱いた芸術家と戦う気持ちで臨むほうがいいと思う。そうして、最善のかたちで、撃破して」
 ただ勝利するだけでは足りない。
 死神の因子を埋め込まれたこのデウスエクスを倒すと死体から彼岸花のような花が咲き、その場から消えて死神に回収されてしまうという。
「けれど相手を充分に弱らせて、大ダメージを与える一撃で命を絶つことができたなら――体内の『死神の因子』も破壊することができる。そうなれば死神も回収できないからね」
 ただ、悩ましいのがヘリオンデバイスを装着するか否かだ。
 大いなる力を齎すデバイスを纏えば戦闘そのものは有利になるだろう。だが、その大きな力ゆえに『機が熟さないうちに誤って敵を倒してしまい、因子破壊に失敗する』事態を招く可能性がある。
「デバイスを使うかどうかは慎重に考えて。いずれにせよ、あなた達なら確り策を練って、最善の結果を掴み獲ってきてくれる。そうだよね?」
 挑むような眼差しに確たる信を乗せ、遥夏はケルベロス達をヘリオンに招く。
 さあ、空を翔けていこうか。熱が昂るままに高みをめざす、『硝子工芸作家』のもとへ。


参加者
キルロイ・エルクード(ブレードランナー・e01850)
アリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)
火倶利・ひなみく(スウィート・e10573)
城間星・橙乃(歳寒幽香・e16302)
ノチユ・エテルニタ(宙に咲けべば・e22615)
クラリス・レミントン(夜守の花時計・e35454)
ヴァイスハイト・エーレンフリート(死を恐れぬ魔術師・e62872)
室生院・法月(紺碧の一太刀・e83827)

■リプレイ

●灼熱
 ――それは、生き方さえも変えるほどの熱。
 絶対零度で心を凍てつかす怒りや憎しみに呑まれた日もあった。
 けれど初めこそ春の泉のごとく湧きだした想いが熱く迸る奔流となってそれらを融かし、クラリス・レミントン(夜守の花時計・e35454)に再び前へ駆けだすための力を、未来へと羽ばたくための翼を与えてくれたから。翔ける心のまま瑠璃の釦に指を躍らせれば己が情熱そのものの爆発が咲く。
「止められないし止まらないの、歌いたいって気持ち。あなたなら解ってくれるよね!」
『ええ、ええ、止める必要なんてない、熱のままに何処までも昇っていけばいい!』
「そのつもり!」
 三重の圧を齎す爆発の中から猛然たる炎が襲い来たが即座に翻したのは万華鏡めく銃砲、撃ち放つ光弾で火炎を相殺すれば、盛大に爆ぜた輝きの世界を花嵐が翔けぬける。
「私の家族もあんな瞳をするのだわ。やっぱり『彼女』も、芸術家なのね」
「ええ、作家として尽きていくべきよ。死神の手に渡る『作品』になんてさせやしない」
 普段は熱も情も窺わせないくせに、あかりを語る時だけは瞳に熱を燈す照明デザイナー。藍の双眸を思い起こしたアリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)が蜂蜜色の瞳で『彼女』を捉えて揮うは錫色の巨大鋏めいた妖精剣、その花嵐が敵を呑み込み華やかに舞う様にフラワーアーティストたる魂を高揚させつつ、城間星・橙乃(歳寒幽香・e16302)は水晶の鱗きらめく槌鉾を誰より正確な狙いで振り抜いた。
 大気を震わす咆哮は確実に相手の足を潰す轟竜砲、序盤から重ねてきた足止めもそろそろ十分かと思えたけれど。
 模擬人格のまがいものと見下してかかれば、その時点で気持ちの上では負けてしまう。
 事前にそう明言されたのにも関わらず、ノチユ・エテルニタ(宙に咲けべば・e22615)は敵へ軽侮を抱きつつ彼我の距離を殺すも、
「感情を模してみようがもう遅い。お前みたいな鉄屑にヒトの熱が掴める訳ないだろう」
『ああ、ああ、昔「女に何ができる」って言ってきた奴らと同じね、貴方!』
 そんな侮辱であたしの熱を阻めると思ったら大間違いよ、と更なる熱を瞳と声音に燈して笑んだ『硝子工芸作家』が彼の指天殺を右腕で侮辱ごと弾き飛ばしたのと同時、左手に夏の夕陽より眩い熱を燈す。瞬時に顕現したのは迸る鮮血を思わせ、それでいて何処までも深く透きとおった真紅の硝子。
 相手を貶めるのは対比する自分をも貶めることに他ならない。僕の熱は硝子細工みたいに割れたりしないと自負するノチユ、その喉笛をまさに硝子の剣が喰い破らんとした刹那、
「なら、わたしが阻んでみせるんだよ!!」
 渾身の跳躍で割り込んだ火倶利・ひなみく(スウィート・e10573)が鮮烈な一撃を自身で受けとめ、間髪を容れずキルロイ・エルクード(ブレードランナー・e01850)が奔らす鎖が彼女を癒し前衛に幾重もの守護魔法陣を展開した。
 常ならば誰より苛烈な殺意と憎悪をダモクレスへ向ける彼だが、初手に三重の呪いで敵を縛めた仮面の奥の美貌に今は憐憫が燈る。
「本来こいつは誰も殺さず帰還するつもりだったようだしな、それを歪められたなら――」
「うん、もし彼女が作家さんを殺してたら許せなかったところだけど」
 多少は憐れに思ってやらんこともないと続けられたキルロイの言葉に頷いて、ひなみくが揮うは棒付き飴のごとき槍。燈す神速の稲妻で彼女の脇腹を貫いて。
 硝子工芸作家に近づいた彼女が作家の秘書として長くその傍にいたのも、当の作家本人は個展終了後から帰省中であるのも、予知や避難勧告の段階で判明している事実だ。
 一方、彼女が『相当に強力な』敵であるのも予知に違わぬ事実。
 対する自陣は癒し手二人を擁するが、デバイスなしで戦いに臨む現状、ビハインドと力を分かつヴァイスハイト・エーレンフリート(死を恐れぬ魔術師・e62872)と最も練度の浅い室生院・法月(紺碧の一太刀・e83827)の癒しを合わせても敵火力に及ばず、癒し手同士が連携を図ることもない上に、誰とも心を繋がぬ法月はすべてに出遅れてしまう。
 敵の攻勢と拮抗できるまでに態勢を調えられたのは、癒し手達より強力なヒールを揮えるひなみくを始め、攻守の技を的確に駆使する護り手達と妨害手達の手腕と、己が身を仲間の盾とする護り手達の献身あってこそ。なれど戦況は予断を許さぬままだ。
 群れの動きについていけない個体は狩りの標的となりやすい。
 それは獣達でさえ理解する、極めて単純な自然の摂理。
「……!!」
 法月の視界が一瞬で灼熱に染まった。
 凄まじい火炎は間一髪の瞬間移動で盾となったビハインドに爆ぜたが、余波だけでも焼き潰されると錯覚する程の威力に背筋が凍る。体力的には従者と命を分かつヴァイスハイトが劣るが、一撃で倒される可能性が最も高いのは敵の最大火力である火炎に防具耐性で備えた彼ではなく、まったく無防備な法月のほう。
 敵は『グラビティ・チェインを蓄えた上で、ケルベロスに殺される』つもりであるから、戦闘不能にした獲物にとどめを刺し、グラビティ・チェインを奪う機会を見逃す訳がない。そうなれば皆も因子破壊のための調整を捨て、仲間の命を護るために速攻での撃破をめざすだろう。己一人の危うさが皆の尽力すべてを台無しにする――これは、そういう戦いだ。
 経験や練度の浅さが問題になるのではない。それを補える備えや気構えを持てるか否か、己の手に負える任務を見極められるか否かが肝要なのだ。
 私達がどれだけ早くあなたの力を抑え込めるか、それが勝負の分かれ目ね。嫋やかにそう笑んで、一瞬で相手の懐へ跳び込んだ橙乃は神速の稲妻で真っ向からその胸を貫いた。
「作家のままあなたの熱が尽きる瞬間を、私が見届けるわ」
『ええ、ええ、何処まで高みへ昇れるか、貴女にも見せてあげる!』
 重なる眼差しに燈る、鮮烈な熱。

●冷却
 硬く澄んだ音が響き渡った。
 菫から藍へと透きとおる裡に星屑めいた煌きが流れる硝子、生成されるたびに趣を変える硝子の剣を、明るい黄金、真鍮色の蔓薔薇咲く鎖で受けつつアリシスフェイルは威を殺し、橙乃を斬り裂かんとした一撃を受けとめる。鎖ごと肩に喰い込む刃は冷たく、強大な魔力で抉られた傷が痛みと熱を生むが、
「易々と屈するつもりはないわ。もっと痛い熱を私は識って、抱いているのだもの」
『ええ、ええ、鮮やかなそれが見えるよう!』
 夜色の装いに鮮血を散らしつつ硝子を跳ねのける。そう、それは思い返すたび掌に硝子の破片を握り込むようなもの。私の光。そう想う大切なひとへ己が手で終焉を突きつけ、それなのにともに逝くことさえ選べなかった夜が胸に甦るたび、心が鮮やかな血を流すけれど、
「アリシス、受け取って!」
「ええ! あなたからの癒しを追い風にさせてもらうのだわ、クラリス!」
 友が迸らせた蜂蜜色の輝きに背を押され、痛みも熱も一気に魔力へ昇華して踊らす左手の薬指には金の環が煌いて、二度と手放さぬ恋の熱を証すようくちづけた人差し指からは眩い星が弾けて光る。舞い散る星光は相手の剣先を揺らがす耀星の泪。
 彼女達の熱は己が思い描いていたものとまるで違う。
 歌を愛する姉ならあの熱を持つだろうかと、胸に浮かぶ姿は竜翼と蛇の半身を持つ女性。
 長きに渡り種族すべてが宝石化していたメリュジーヌ、地球人たる己と血縁があるはずもない彼女を実の姉と感じているのと同様、ヴァイスハイトが前世の記憶と感じているものも事実でなく長い夢を見た記憶であるのかもしれないけれど、
 ――それでも、ボクは。
 記憶の中の己が持ち得なかったものを握りしめる心地で、癒しの輝きを凝らせる。
 解き放たれたヴァイスハイトの光がアリシスフェイルを癒す様を視界の端に捉えつつも、ひなみくの眼差しは大きく間合いをとる敵を追う。翳す縛霊手は死神の謀略を噛み砕く牙、
「火力も勢いもそれなりに鈍ってると思うけど、まだまだ油断できない感じだよね!」
「同感。攻撃そのものを封じられればいいんだけど」
 眩く膨れ上がった輝きは巨大な光弾となって翔け、視界も意識も眩ます光が痺れを孕んで相手を呑んだ刹那、横合いへ滑り込んでいたノチユも刃のごとき蹴撃で標的に麻痺を刻む。脳裏に浮かんだ言葉は己が熱で熔かしつくして。
 冷静なつもりで肝心なことに気づいていなかった。
 彼女をガラクタと貶めることは、彼女を『硝子工芸作家』として接する仲間達をも貶めることだと漸く思い至る。仲間を貶めたその口で、僕はあのひとに想いを伝える気なのか。
 瞬時に閃いた彼女の左掌に放射器が開口する。だがその奥に覗く炎が不意に霧散して、
『……!!』
「パラライズが効いたか。だがお前さんの熱とやらはまだ封じきれんだろうからな」
「そうよね、これで終わりとはとても思えないのだわ」
 生じた隙を逃さず標的を捉えた銃口から、キルロイが迸らせるのは幾重にも彼女の火力を中和し鈍らす光弾、輝きを追って馳せるアリシスフェイルの手には明日を切り拓く刃、咲き誇る花の嵐で相手の力を呑んで、己が熱を明日へ繋ぐ。
 幾重もの縛め、幾重もの枷。
 機を奪われ力を奪われ、それでもなお彼女の右手が翻る様に橙乃が笑みを咲かす。
 落ち着きのある穏やかさを好むのに、己が今これほど高揚している理由など識れたこと。世界に溢れて吹き荒ぶ氷雪の冷たさを心地好くさえ思うのは、それが最愛の水仙の花をより凛然と咲かせてくれるものだから。
 嗚呼、幾ら手間暇かけて育んだって、思いどおりになるとは限らない。
「恋も花も創作も、戦いだってそうよね。だから心が燃えて焦がれるほどの熱になる」
 精魂こめて丹精して、初めて手が届くからこそ――。
『ええ、ええ、我儘で気紛れで、だからこそ時に思いもよらぬ高みへ連れていってくれる』
 一瞬で凝縮された橙乃の魔力、蕾が花開くように爆ぜて咲き誇ったそれが右の腕を大きく砕くのにも構わず、彼女の左手に輝きが生まれる。顕現する硝子の剣は仄かに透ける乳白の裡に虹の遊色が煌いて。
 恋という橙乃の言葉に胸を衝かれたクラリスの、硝子を映した撫子色の瞳から不意に涙が零れそうになったけれど、その理由を追うよりも硝子の剣が揮われるよりも速く、銃口から光を解き放つ。初めての恋が己の歌にいっそうの奥行きを与えてくれたけれど、
 ――熱と熱がぶつかりあったその涯に、何が待っているの。

●硝子
 ――死神には何ひとつ、渡してなんかやるもんか!!
 脳裏に死神という言葉が閃いた途端、視界も意識も真っ赤に染まった心地になったのは、盾として受けとめた灼熱の火炎ゆえではなく、己が裡に燃え盛る憎悪ゆえ。死神に殺された家族の面影は日毎に曖昧になっていくというのに、憎悪はより鮮やかになっていくばかり。
 ぽつりと降るひとしずく。ただそれだけで大きな癒しと浄化をひなみく自身に齎した雨が呼び水となったように、橄欖石の瞳が濡れる。涙が溢れだす。悲しくて虚しくて。だけど、
「結局わたしには……復讐の炎しか燃やせないのかな」
「そう思う気持ちは解る。だがそれだけじゃなくなる時もきっと来る、お前さんにもな」
 魂を捧げたひとを、己の人生すべてを奪ったダモクレス。この種族全体への復讐者となり劫火のごとき憎悪とともに生きてきたキルロイにさえ、稀に憎悪を感じぬ相手との出逢いがある。
 己がダモクレスのために祈るのは、真夏の向日葵の迷路で戦った少女アンドロイドへの、生涯ただ一度きり。なれど、眼前の相手も死神の手に堕ちるのは憐れだと思うから。
 自ら望んで芸術に殉じるならそれもいい、だが、
「誰かのいいように弄ばれて死ぬことが、芸術であっていいはずがない」
『――!! ああ、ああ、だけど、あたしは……、……!!』
 熱の方向を歪められたのだと語ってやりながら喚び起こす劫火で、身体の自由を幾重にも奪い去る。広がるがゆえに威の浅いはずのそれに彼女の脚が熔けだす様を捉えれば、即座に術を切り替えたアリシスフェイルが蔓薔薇の鎖で守護魔法陣を展開した。硝子の剣が麻痺に潰えて消える。終焉が近い。
「もう少し削れそうなひとがいればお願いするのだわ!」
「うん、やってみるんだよ!」
 一瞬躊躇しつつも『少し削れる』仲間が少ないのだと察したひなみくが巨大な光弾を解き放つ。今なら見切られるくらいでちょうどいい。大きく標的を呑みながら浅くその命を削る眩い輝きとは対照的に、暗灰の獄炎がノチユの靴先から星屑を燈す漆黒の髪までをも覆わんばかりに燃え上がる。
 昏き焔の裡、魂の芯に息づく思慕が、地獄の炎よりも熱い。
 唯あのひとだけが、それを識ってくれればいい。
 貴女への思慕は硝子を熔かす程の温度なのだと伝えれば黒い瞳が軽く瞠られるだろうか。けれど、きっと微笑み返してくれると思えるから。差し伸べた手をとり、ともに星を追ってくれると思えるから。この熱の名など考えるまでもない。
 ――この想いが恋じゃないなら、とっくに愛だ。
 ――私達の想いも、いつか冷めてしまうのかな。
 攻撃手たる彼自身の力を高める獄炎に重ねる歌声が僅かに震えかけて、クラリスは左手の薬指に真新しい煌きを燈す環を右手で包み込む。星空のもとで確かに咲いたダズンローズ、されど硝子工芸作家の言葉が胸をよぎれば、初めての恋の熱の涯が、怖くて。
 それでも、煌きを胸に抱き寄せれば仲間の力を三重に高める凱歌が花唇から溢れだした。同時に、朝靄と虹が綺麗に融けあったような、先程見た硝子の煌きが胸に燈る。
「金盞銀台――そんな水仙の二つ名、ご存じかしら?」
 黄金の盃に癒しの滴を満たし、白銀のうてなでそれを支えるように、水仙の花が咲く。
 確かに仲間を癒す橙乃の花が、幾重もの縛めで反撃の機を失った標的への手向けのように思えたから、今だけノチユは己が術の、冥府への標となるような名を忘れる。眼前の相手が何者であろうと、死神に引き渡してやるつもりはない。
 この手で咲かせるのは死神の花などでなく、愛しいひとの笑顔という花だけでいい。
 何処までも冴ゆる一閃が、終焉を描きだした。
 最後に訊かせて。
「熱に焦がれて逝くのは悪い気分じゃないでしょ?」
『ええ、ええ。こんな高揚は――』
 最初で、最後。
 微笑んだ橙乃の眼差しの先で、彼女は輝く火の粉のごとき光の粒子となって、何も残さず花も咲かせずさらりと消える。改めてクラリスは、左手の煌きを胸に引き寄せた。
 たとえ互いを甘く熔かしていく恋の熱の涯に終焉があるのだとしても、想い出として胸に甦るたび笑みを咲かせられるよう、今を愛おしみながら歌っていく。けれど恋の熱の涯に、あのオパールを思わす硝子みたいに、互いの魂が融けあったかのような、
 ――永遠に分かたれることがないと確信できる、絆を手にすることができるのなら。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年3月18日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 0
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