朝日の照らす浜辺で、男はゆっくりと身を起こした。
纏う装束からのぞく肌は燃え尽きた灰のように白く、その足取りは覚束ない。
一歩、また一歩と歩くたび、手足の鈴がシャンと鳴る。
枯れ木めいた細身から滴り落ちる鮮血は白砂を汚すたび、赤い花に変じては散っていく。
「……戦う、守り合う、殺し合う、奪い合う……」
男の名前は櫟・千梨(踊る狛鼠・e23597)。
攻性植物の拠点である隠岐島の戦いで、仲間を逃がすために暴走したケルベロスだった。
「痛みも、怒りも、悼みも、悲しみも、憎しみも……必然だ。当然だ」
島に巣くう攻性植物――マソウショウジョモドキらを相手に徹底的な殺戮を行ってから、はたしてどれ程の時間が経っただろうか。千梨には知る術もない。ケルベロスであった頃の記憶も思い出も、今では遠い彼方にあった。
「受け止めよう、受け入れよう、己が全て。だから――」
舞いあがる炎の中、千梨の懐が小さくきらめく。
勿忘草を象った指輪である。紅蓮の炎中に舞うブルークリスタルの輝きは、まるで一粒の涙にも似て、いっそう物悲しい光を放ち始めた。
「だからどうか、俺以外は――」
全身を包むグラビティの炎に、千梨の声がかき消える。
ここから先、もう言葉は必要ない。
殺めるたびに傷んだ心も、燃え尽きかけた魂も、じきに灰となって消えるだろう。
だから、その前に少しでも塵殺せねば。
持ちうる全てをかけて。
今の彼は、只そのためにのみ存在するのだから――。
「行方不明となっていた、千梨さんの所在が分かりました」
ムッカ・フェローチェはケルベロス達を見回すと、緊迫した声色でそう告げた。
先の攻性植物拠点調査において、暴走して姿を消した櫟・千梨。
その彼が、島根県出雲市の海岸に出現する予知が得られたという。
「暴走したケルベロスは理性を失い、無差別に破壊をくりかえす存在へと変異します。残念ながら千梨さんも例外ではありません。デウスエクスであろうと守るべき人々であろうと、今の彼は容赦なく攻撃してくるでしょう」
千梨がいる海岸一帯は無人のため、即座に人々が危機に晒されることはない。
とはいえ暴走しているケルベロスを放置すれば、惨劇が起こるのは時間の問題だ。
千梨を救出し、悲劇を未然に防ぐこと。それが依頼の目的だとムッカは言った。
「救出を成功させるには、暴走状態の千梨さんを倒す以外にありません。現場に到着すれば即座に戦闘が始まるでしょう。私はヘリオンデバイスで皆さんを支援しますので、皆さんも全力で千梨さんを救出してあげてください」
千梨の使用能力は全部で3つ。
『火宅門』。燃え盛る結界を術者中心に展開し、射程の隊列に炎を浴びせる技。
『鬼神鏡』。召喚した水晶鏡に標的を映し、鏡を叩き割ることで付与を破壊する技。
感情喰ライ。不可視の刃で貫いた相手の感情を喰らい、術者の傷を癒す技だ。
千梨は己以外の全てを滅ぼさんと動くので、逃亡することはない。一度戦闘が始まれば、目の前にいる存在を焼き尽くすために、本気で襲い掛かってくる。一切の回復を放棄しての猛攻撃は、間違いなく苛烈なものとなるだろう。
「暴走中のケルベロスは、その戦闘力が爆発的に強化されます。真正面からの攻撃によって戦闘に勝利することも不可能ではありませんが……特定の条件を満たせば、暴走の力は削ぎ落とすことが可能なのです」
「存じています。『弱体化』ですね」
ムッカの言葉に、フリージア・フィンブルヴェトルが頷いた。
「それでムッカ様、具体的な方法はどのような?」
「はい。予知によれば、判明した方法は2つありました」
ひとつは『花を見せること』。
花は千梨にとって幸福の象徴であり、仲間たちと過ごした記憶にも度々関わっている。
植物の花ではなく、グラビティや装備品、アクセサリ等のそれでも良い。
花にまつわる千梨との思い出があれば、それを併せて語ることでより効果が増すだろう。
「もうひとつは、千梨さんの攻撃グラビティを介して感情を伝えることです」
千梨が駆使する「感情喰ライ」は、標的から感情を奪う能力を有している。
それを介して、攻撃を受けた者が真摯な想いを伝えれば、暴走を弱めることが出来る。
ただし感情喰ライは極めて高火力の攻撃グラビティのため、万全の対策が必要だ。
「これらの内、片方を満たせば千梨さんの力は弱体化します。両方満たすことが出来れば、暴走の力は殆ど失われる筈です」
そう言ってムッカは説明を終えると、ケルベロスに向き直った。
「『今の俺は知っている。皆にも己にも、消えれば悲しむ者がいることを』。暴走の際に、千梨さんは仲間達へそう言い残したと聞きます。ですから――」
これ以上、悲しむ者を増やさぬために。
大事な仲間のいる日常を、ふたたび取り戻すために。
「出発の準備はできています。さあ、千梨さんを迎えに行きましょう」
参加者 | |
---|---|
カルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112) |
端境・括(鎮守の二挺拳銃・e07288) |
ジェミ・フロート(紅蓮の守護者・e20983) |
君乃・眸(ブリキノ心臓・e22801) |
美津羽・光流(水妖・e29827) |
鬼飼・ラグナ(探偵の立派な助手・e36078) |
エトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731) |
ナザク・ジェイド(とおり雨・e46641) |
●一
木霊する鈴の音。咲き誇る赤い花。
焦熱のグラビティを浜辺に満たし、一人の男が舞い踊る。
名を櫟・千梨――暴走の果て、異質なる存在に変じたシャドウエルフであった。
「……殺さねば。滅さねば。すべて灰へと帰さねば……」
千梨は妄執にも似た衝動にかられ、夢遊病者めいて歩みだす。
だが突如、その足はぴたりと止まった。
空の彼方から降下して来たケルベロスの一団が、道を塞いだからだ。
「……敵……敵か……」
手足の鈴をシャンと鳴らし、攻撃態勢を取る千梨。
そんな彼に、カルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)は心の痛みを押し殺しながら、常と変わらぬ平静な声で語りかける。
「千梨さん。約束通り、構いに来てあげましたよ」
カルナの言葉にも、千梨は淀んだ視線を投げるのみ。
暴走の影響ゆえか、記憶は元より会話が通じる様子もない。そんな千梨の変わり果てた姿に、しかし君乃・眸(ブリキノ心臓・e22801)は微笑を浮かべて口を開いた。
「鶯が、梅の枝に留まりにきタぞ。……櫟」
親友との仲を表す言葉と共に、眸は大和錦の薫るバトルオーラを練り上げる。
多少かたちは違えども、戻って来た友の覚悟に応じねばなるまい。
「行くぞ、ロク! 迷子になった俺の探偵を、ちゃんと連れて帰るんだ!」
鬼飼・ラグナ(探偵の立派な助手・e36078)が、相棒のボクスドラゴンに呼びかけた。
久々に足を踏み入れた戦場のプレッシャーに屈さぬよう胸を張り、ラグナはレスキュー用ドローンと共に隊の後衛へと移動する。涙を流すのは後でいい。今は暴走した恋人を助けるために、全力で戦いに臨むときだ。
「センリ、今から俺達が迎えに行きマス」
「櫟さん、想像以上に難儀な人ですねえ。でも、女を見る目と友達には恵まれてますよ」
戦闘準備を終えたエトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731)の傍には、ミレッタ・リアスらの姿もあった。彼ら彼女らだけではない。この場に集った総勢44名のケルベロス達の全員が、戦いの支度を完了していた。
櫟・千梨の救出。胸に抱いた、唯一の目的を果たすために。
「……滅する、何もかも、一切合切……」
「気をつけて、来るわ!」
ジェミ・フロート(紅蓮の守護者・e20983)の警告が飛んだと同時、千梨はケルベロスの隊列めがけて迫ってきた。視認さえ困難な疾駆と共に、展開するは炎の結界。一切を滅ぼす事に特化したその動きは、まさに狂える獣そのものだ。
「千梨さん、悪いけど手加減なしだからね!」
ジェミは展開したヒールドローンを引き連れ、中衛を狙う炎熱の結界に身を晒した。
たちまち全身を炎で炎上させるジェミ。だが、その瞳に宿す戦意はあくまで不動。
誰も、倒れさせない。倒れるつもりも、ない。
この戦いは笑顔で終える、そう決めているのだから。
「行くわよ皆。千梨さんを取り戻すために!」
「うむ。妨害役は引き受けたのじゃ!」
端境・括(鎮守の二挺拳銃・e07288)は頷きひとつ、『機運転輪の輪胴銃』を構えて浜辺を駆け出した。千梨の圧倒的な火力は、それだけで恐るべき脅威となる。まずはその力を、一秒でも早く封じねばならない。
「摩尼車よ回れ! 狂える力を砕くのじゃ!」
「援護します括さん。――フォートレスキャノン、発射」
叡智の力が撃鉄を起こし、グラビティの礫が放たれる。
次いで轟くのはカルナのアームドフォートが発射する主砲斉射だ。対する千梨は、二人の攻撃を受けるに任せて更なる攻撃へと移った。その手に召還するのは水晶の鏡。保護を破壊する散幻死法『鬼神鏡』である。
「……戦う、守り合う、殺し合う、奪い合う……」
鏡の破片が飛散すると同時、眸のドローンが音を立てて爆発した。
眸は体のパーツが弾けるのも構わず気力溜めを発動しながら、背に庇った美津羽・光流(水妖・e29827)を振り返る。
「大事はなイか、美津羽」
「お陰さんで。しかしエグい強さやのう、千梨先輩は」
冗談めいた口調で肩を竦め、光流は肩を竦めた。
怒り、恨み、悲しみ。きっと数多くのものを飲み込んで、千梨は帰って来たのだろう。
(「俺は情の薄い男や。先輩のそれを全てわかるとは言えへん。せやけど――」)
光流は決意を秘めて、手裏剣を振り被った。同時、螺旋を込めて放った螺旋射ちの一投が唸りを上げて飛び、千梨を捉える。
「それに潰されるような人やない。断言する。せやろ、先輩?」
光流の手裏剣に、装束の鈴が音を立てて砕け散った。
●二
呼吸すら許さぬ程の勢いで、千梨の猛攻は続く。
それに一歩も譲らず仲間達が戦うなか、後衛のナザク・ジェイド(とおり雨・e46641)は千梨の足下を狙い、轟竜砲を発射していく。
「不思議だよなあ千梨。俺は自分の事を、割と雄弁な方だと思っていたが」
次々と砲弾を装填しながら、ナザクは深い溜息を洩らした。
常ならば、軽口や冗談は幾らでも出せる。だがこんいう時の肝心な一言となると、これが全く出てこない。使い慣れた武器も、妙に重たい。
――やれやれ。涙と違って、迷いまでは捨てきれないか。だがな、千梨……。
――お前と視た彼岸の花。あの花だけは、今のお前に見せたくないんだ。
そっと唇を噛みしめ、砲撃を続行するナザク。その周りでは、サポートの仲間達もまた、主力の8名を援護すべく動き始めていた。
「惨劇の記憶よ、癒しの力を!」
「皆さん、心置きなく説得を。――どうぞ、召しませ」
「いなくなって悲しむ人がいるのは、櫟さんも同じ。だから……お手伝いに来ました!」
後衛のフリージアが発動するゴーストヒールが降り注ぎ、天璋院・かなでの香水壜が甘い香りで炎を吹き消す。いっぽう盾役を務める水瀬・和奏は、浮遊砲台の斉射で千梨の回避を封じていく。
そして――猛攻の応酬が続く中、最初にそれを仕掛けたのはエトヴァだった。
「センリ……覚えていますカ?」
銀の瞳が千梨の目を覗き込む。泥のように沈んだ色の瞳を。
そこを介してエトヴァの『花』が伝えるのは、かつて共に過ごした記憶だ。
「俺は願いまシタ。センリの抱えている悲しみも、痛みも、そっと零せる――そんな場所があればいい……場所であれればいいと」
支え合い、救い救われ、共に過ごした日々の記憶。
紫陽花を眺め語らうカフェの、何気ない日常の愛おしさ。
それらが鮮明なイメージを伴うグラビティとなって、千梨の心を捉えこむ。
「何度でも、手を差し出しまショウ。痛みなど、いくらでも受けとめまショウ。だから――もう、ひとりで負わないデ。一緒に行こウ」
「滅ぼす……己は……」
エトヴァの映し出す鮮やかな花々に、千梨の猛攻が僅かに緩んだ。
それを契機として、ケルベロス達は一人、また一人と語り掛け始める。
ある者は千梨との縁を、ある者は千梨への想いを、花々に込めながら。
「幸運を運ぶ、青の小花……その幸運をあなたに……」
「引きずってでも連れて帰るわよ、所長。だからもう少しだけ、我慢していて」
シル・ウィンディアと狐々・理紗のフローレスフラワーズが舞うなか、続けて口を開いたのは据灸庵・赤煙。千梨と共に隠岐島の調査へ赴いた一人だ。
「櫟さん、貴方のお陰で私達は逃げ切る事ができました。暴走されたもうお一方も、無事に救出されています」
そこへ、同作戦のメンバーである氷霄・かぐらと夢見星・璃音が続いた。
「選んでくれてありがとう。――本当はあの時、この言葉を伝えたかったのだけど」
「窮地の中、頑張ってくれた事も覚えてるから……ね、一緒に帰ろう?」
二人の言葉に頷いた赤煙は、改めて千梨に言う。
「あの作戦は、貴方が帰らねば終わらないのです。櫟さん、どうか戻って来て下さい!」
「……戦う、闘う……」
千梨の攻撃はなおも止まらない。
だが、掲げられた花々と、身を挺しての説得は、着実に暴走の力を弱めていた。
次第に失われゆく、千梨の火力。対するケルベロス達は色鮮やかな花々に心を込め、更に説得を続けていく。
「覚えてる? 一緒に劇をした時のこと。千梨さんはハニワの王子役でさ……」
紫の菫を見せてウォーレン・ホリィウッドが語るのは、かつて過ごした日の想い出だ。
そこへ続く蘇芳・深緋とレヴィン・ペイルライダーは、依頼で千梨と眺めたコスモスを、グラビティで、写真で掲げて千梨に見せる。
「ワタシ、依頼の経験とか少ないしさー。でもあのとき、千梨さんが軽口に乗ってくれて、だいぶ気楽になってさ。……感謝してるんだわ、これでも」
「楽しい事の道連れはいつでも大歓迎だぜ。だから戻ってきてくれよ……千梨!」
深緋やレヴィンだけではない。
桜模様のバンダナを着け、ラルバ・ライフェンは語る。かつて双魚宮を攻略する戦いで、『門』や死者の嘆きに心を痛めていた千梨の事を。
「千梨、本当に優しいよな。きっと今回も、みんなを助けようとしたんだよな。そんなお前がいなくなったら悲しむ人、目の前にたくさんいるんだぜ!」
筐・恭志郎は言う。宿敵のビルシャナと戦った時、助けてくれた思い出を。
「辛い時に支えてくれて、ありがとうございます。今度は俺が助ける番です」
なおも飛んで来る攻撃を、盾役の仲間達が受け止める。
身を焼く炎に耐えながら、ピジョン・ブラッドが、伏見・勇名が、そして尾方・広喜が、梅花の枝やポインセチアの髪飾り、そして金色に輝く向日葵型の氷結輪『日回リ』を掲げて言葉を紡いでいく。
「調査一緒に行けなくてすまん! 戻ったら改めてお礼を言いたいんだ!」
「櫟には、とんがりでいてほしい。カラコロしてるのはいやだ」
「千梨ーっ! 強くて優しくて面白くって、戦いが嫌いな、そんな何もかもひっくるめて、お前は俺の自慢の友達だっ!」
肩を並べて戦った戦場。共に過ごした記憶。
出会った場所は違えども、花々と共に語られる仲間達の言葉。
それらに囲まれ、暴走が更に弱体化していくのを、ラグナは感じ取る。
(「千梨、気にしいだからな。誰一人にも傷ついてほしくないだろうけど……」)
サポートメンバーの厚い支援も手伝って、戦闘不能者は未だゼロだ。ラグナもほぼ無傷を保っている。しかし、自分を庇って傷つく仲間を見る度、彼女の心は痛んだ。
自分でさえこんなに辛いのだ。もし仲間が倒れれば、助かった千梨がそれを目にすれば、彼はどれほど己を責めるだろう。
故に、ラグナは思う。
「探偵助手の名に誓って。俺も、皆も、誰一人倒れさせないぞ!」
そして、ケルベロスチェインで描いた守護魔法陣が前衛を包んだ、次の瞬間――。
「……見えざるものを……」
千梨の『感情喰ライ』が、不可視の刃となって標的を貫いた。
咄嗟に光流を庇った、ジェミの体を。
●三
「ジェミさん!」
「フロート殿――!」
仲間達の間に一瞬走る動揺。
だがジェミは、刃を受けたまま、傷だらけの腹筋に力を込めて立ち続ける。
「それは、砕くわ。師匠譲りのこの体に、通じるもんですかっ……!」
弱体化を受けてもなお、強烈な力を誇る一撃だった。
刃を通じて己の感情が千梨に流れ込むのを感じながら、ジェミは口を開いた。
「ねえ、千梨さん。貴方は自分をよく『適当』って言うけどさ――」
傷だらけの顔には、まぶしい笑顔を浮かべ、
「貴方の裏にあったもの、なんとなくわかってたよ。……私も、仮面をつけてるから」
手首に括りつけた桜の花と共に、
「どんな貴方でも私達は貴方が大好きで、ラグナさんの愛する人ということ」
拳には渾身の力を込めて、
「好きだよ、千梨さん。――戻ってきなさいよ……このゴリラ探偵ッ!」
「己は……俺、は……」
滲んだ視界に映った男の胸を、いまジェミは全力で叩いた。
攻撃する力さえも失い、崩れ落ちる千梨。
同時、その周りをグラビティの花々で囲み、カルナと光流が語り掛ける。
「記憶も思い出も、喪うのは寂しいものです。……だから、まだ帰り道を覚えている内に、帰ってきてください」
カルナが展開する『氷華虚鳴』の花々が、彼岸花の姿をとって咲き乱れる。
彼岸花は群生する花。千梨もまた一人では無いという心を込めて。
「其は何処にも無く、其は何処にも在れり。見んとする目は此処に! 咲け!」
地面を叩く拳で、光流が咲かせるのは『路傍の花』。
雪割草の異名を持つミスミソウは、暴走の力を叩き割る意思を秘めたもの。
「ちなみにこの花は常緑や。つまりトキワギやな」
「……トキ、ワギ……」
「そうだよ。ほら、これ!」
地を割る氷柱の刺突を浴びる千梨に、紺崎・英賀が掲げたのは、クリスマスツリーの小型アレンジメントだった。梅に葉牡丹に餅花にと幾つもの花々が咲き乱れるその姿は、カオスながらもどこか温かい。
「思い出せるかな? これにトキワギと名前をつけたのも君だ」
英賀は訥々と語る。旅団の皆で育て、門松に変身した時のこと。
そこに集い、楽しく笑い合った時のことを。
「君が作り出した場所だよ。君も手離せないでしょ……」
「のう千梨、一人ですべてを負わずともよい。わしは千梨が痛みを一緒に背負ってくれて、本当に助けられたのじゃ」
括が掲げるのは、花菖蒲と鬼灯の花束。
いつか師団の皆で折った千羽鶴、その千代紙で折った花々だ。
そうして皆の温かい心に包まれながら、千梨の全身が明るい火が包み込まれていく。
「さあ。後は頼む」
戦いの終わりが近いようだ。ナザクは虚構の花々で千梨を包みながら、自分より相応しいと信じる仲間達へ後を託す。どうか戻って来てほしい――友へのそんな本心を、そっとウタに忍ばせて。
「帰りまショウ、センリ。あなたの居場所へ」
「貴方は大切な僕達の仲間です、千梨さん。いつでも待っていますよ」
ミモザの花冠が、エトヴァとジェミ・ニアの手で被せられた。
続いて、眸が振るう九尾扇の放つ光が、地獄の炎を帯びて千梨を包み込む。
「ここに来られなかっタ者達も、帰りを待っていル。だから戻っテ来い……なあ、親友」
幽玄な色を湛えて舞い散る桜花のなか、暴走の力が溶けるように消え去っていく。
そして。
「千梨。今も持ってくれてたんだな」
ラグナは千梨にそっと駆け寄ると、彼の胸に光る指輪に目を留めた。
青い光を湛える『勿忘草の指輪』。帰る場所を忘れずに戻って来られるよう、肌身離さず千梨が身に着けていた指輪を。
「梔子の花、待っているよって髪に差してくれた。今度は俺が『待っているよ』、千梨」
青と対を為す『赤い実の指輪』で千梨を照らし、ラグナは最後の一言を贈る。
これからも、一緒に色んな花が見たいと。
だから――。
「だから……! 一緒に帰ろう、千梨!」
「……ラグナ……」
眸が放つ桜花のグラビティを浴びながら、再び帰還を果たした千梨は、
――ただいま。
勿忘草の花咲く恋人を、腕の中でそっと撫でるのだった。
●四
「ふむ。まあ何というか、その……」
目覚めて早々、千梨は気まずそうに頭を掻いた。
自分は戻って来たのだ。
その事実に安堵を覚えつつも、置かれた状況は何とも気恥ずかしい。
「すまん皆。色々と迷惑をかけた」
ラグナは千梨の胸に顔を埋め、大粒の涙を流し続けていた。
戦いの間、ずっと感情を押し殺してきたのだろう。
歓声の響き渡るなか、仲間達にもみくちゃにされながら、ラグナと抱擁を交わす千梨。
そんな彼を、ある者は嬉し涙で、ある者は満面の笑顔で迎え入れる。
倒れた者は一人もいない、完全なる勝利であった。
「聞いて下さい皆さん。千梨さんから、大事な話があるそうです」
温かい祝福の空気が漂う中、カルナはパンと手を叩き、千梨の声真似でこう言った。
「『さあ皆、打ち上げと行こう。高級寿司と、それにスイーツのいい店がある』」
「えっ」
千梨が固まる間もなく、ジェミが続く。
「ふふっ。『金魚鉢サイズのパフェも、どーんと奢ろうじゃないか』!」
「えっ。ちょ」
「本当か千梨……? 食べ放題なのか?」
「え、いや、それはその」
ラグナの輝く目に、慌てる名探偵。
その肩をポンポンと叩くのは、ナザクと光流だ。
「回らない寿司とは太っ腹だな。なに、俺は腹十分目くらいで手を打つよ」
「流石やね先輩。浜辺で情勢報告っちゅうのも寂しいしな」
「あれ……おかしいな、急に体の調子が」
頭を抱えてよろめく千梨。
そこへ括はお守りを差し出して、こっそりと耳打ちした。
(「懐が痛むならば開くが良いのじゃ!」)
入っていたのは、括からの心づけと、そして一枚のメモ紙。
そこにはカルナとジェミが言った店の地図と共に、ムッカの字でこう記されていた。
戦いを終えた45人の来訪を、店は歓迎する……と。
――皆さんで、思い切り羽を伸ばして来て下さい。
――任務、本当にお疲れ様でした。
「……仕方ない。今日だけだぞ」
浜辺を満たす大歓声。その中をラグナと括はハイタッチを交わして飛び跳ねる。
「わあああ! やったぞロク、お寿司だぞ!!」
「うむ、楽しみにさせてもらおうかの! 実はわし、鮭に目がなくて……」
遠くでは、浜辺の修復を終えたエトヴァと眸が、笑顔で手を振る姿が見える。
出発の準備は万端という事だろう。
つくづく彼らには敵わない。そう思うと、自然と頬も緩んだ。
「有難う皆。そして――これからも、宜しく」
微笑みを浮かべ、千梨は仲間達と歩き出す。
秘めた孤独は過去のもの。灰色の苦悩には別れを。
春が近づく空の下、薄青の勿忘草が幸せに揺れていた。
作者:坂本ピエロギ |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2021年2月21日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 2/感動した 7/素敵だった 12/キャラが大事にされていた 3
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