崩芽のキュビズム

作者:雨屋鳥


 静かな夜だ。
 相馬・竜人(エッシャーの多爾袞・e01889)は白く濁る息を澄んだ冬闇に溶かす。
 何の事はない。眠る気が起きず、気分を変えようと散策に出ただけだった。
 深い夜。眠る街。静かなのは当たり前かと、刺すように冷たい空気を肺に流し込む。ふと見た木の葉の先に凍った滴が、先端に辛うじてしがみついている。
 その時。雪が降るように。
「ああ、――ようやく逢えた」
 鈴の鳴るような声が張り詰めた静寂の弦を弾いた。
 震えが空気を伝い、竜人の喉を凍りつかせた。ケルベロスとしての本能が警鐘を鳴らす。
 と共に、竜人としての記憶が奥底から湧き出でる。
「良かった、今日は不思議と誰にも逢えないんだもの……」
 凍てついた竜人は、振り返りもできず、その声を背中で聞いていた、聞くしか出来なかった。
 懐かしい声だ。
 だが、振り向いてその声を、姿を、正面から捉える為の、その一歩分の諦めが足りない。
「でも、どうして人に逢わないといけなかったのかしら……、ああ、そう、そうだったわね」
 しかし残酷に、世界は番犬へと告げる。敵だと、殺さなくてはいけないと。
「殺さなきゃいけないの、でも、どうして、殺さないといけないのかしら」
 凍る空気が肌に張り付いて、世界を竜人の感覚から遠ざけていく。
 声が響く。
 声だけが響いている。
「そう、あの人……あの人を奪った全てを殺すために、殺して? そう、そうよね、ええ……大丈夫、ありがとう、分かってくれるのね、そう、だから殺さないと、殺して、あの人の仇を討つの、だから、そこの貴方――」
 逡巡の暇は無かった。風切り音に僅かな殺意は容易く紛れ、刃が落ちる。
「ごめんなさい」
 直感に振り上げた混沌を渦巻いた腕へと、鋭い衝撃が駆け抜け、硬い空に抜けていく。
 攻性植物。経験が、己を襲ったそれの正体を認知させる。
 竜人は振り向いていた。
「あなた……、うん、とても……とてもこの子の力になってくれそう」
 振り向いて、しまっていた。
 体に巻き付き伝う歪な緑、血に染まる白の服。いや、それよりも。なによりも。
 その笑み。
 充実した笑み。
「……、」
 その名を呼べない。確信に、しかし確定を保留する。半ばに開いた口を閉じ、引き締める。
 竜人はただ静かに混沌を滾らせた。
 遠き日に見失ったはずの姿が、そこにあった。


 へリオンの振動が足裏を震わせる。即座に出発ができる状態だ。
「相馬・竜人さんが危険です」
 そうケルベロス達を収集したダンド・エリオン(オラトリオのヘリオライダー・en0145)は、そう告げる。
 デウスエクスの襲撃を受ける、というものだった。
 彼には連絡がつかず、時間もない。すぐに動く必要がある。
「相手は吸収能力に長けた攻性植物一体、ですが彼一人では分が悪いようです」
 予知では、彼が殺される結果となった。
「彼が手遅れとなる前に合流し、デウスエクスを撃退してください」
 ダンドは手短に説明を終え、首肯する。
「皆さんが頼りです。相馬さんをよろしくお願いします」
 言葉を切った。へリオンが夜を裂いていく。


参加者
楡金・澄華(氷刃・e01056)
相馬・竜人(エッシャーの多爾袞・e01889)
伏見・万(万獣の檻・e02075)
玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)
ハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣精・e11231)
霧城・ちさ(夢見るお嬢様・e18388)
ウィルマ・ゴールドクレスト(地球人の降魔拳士・e23007)
ペル・ディティオ(破滅へ歩む・e29224)

■リプレイ


 額縁だ。
 それに切り取られた世界は、。


「出る」
 ヘリオンから飛び出した楡金・澄華(氷刃・e01056)は、ビルの窓枠を蹴り更に加速を得ながら、大太刀を引き抜く。
 この首の、命の借り。それを返上する良い機会だろう。顔には出さず、しかし滾る気概が硬質な響きとなって、風を裂く。
 雪白の刃紋が凍えた空気を照り返し、二人の人影を睨めつける。剣閃が女性体から放たれた蔓の群れを纏て切り飛ばした。
 伏見・万(万獣の檻・e02075)は両者の間に立ち塞がっては、背中へと語りかける。
「おう、生きてっか?」
「……ああ」
 問うた声に返るのは、いつものぶっきらぼうな返答だ。
「やられねェ程度には、しゃきっとしとけよ」
 見つめ返すその目は揺るがぬ黒に満ちている。
 一先ずは無事そうだ。
 万はそう判断し、霧城・ちさ(夢見るお嬢様・e18388)が駆け寄っていくのを見遣った。
「縁がある相手、との事だが」
 澄華は潜めた声で万へと言葉を投げる。向かう途中に聞いた話だ。
「ま、大丈夫に見えるが」
「……そう、か」
 万の声に、澄華は僅かに眉を跳ねて、大太刀を構え直した。
 重傷ではないが、傷はある。ちさは、その防御傷を治癒しようとして、その手を留められた。
「お怪我は……」
「いや、それより――敵だ」
 ちさが「でも」と放とうとした言葉が轟音と重なり、掻き消える。
「……ッ」
 ブラックスライムと攻性植物。黒と緑が発する幾百もの衝撃音の合唱が響き渡る。
 年端もいかぬ少女が蔦と争う、獰猛な樹檻へと、ハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣精・e11231)が駆け抜けていく。
 閉じた瞼の裏にそれを聞く。手の中に、髑髏の仮面が揺らぐように現れた。
「悪いな」
「いえ、それなら珈琲と美味しいお菓子でも後でご馳走してくださいませ」
「ああ」
 軽く言葉を交わし。
「敵なら、殺して――それでおしまいだ」
 瞑る彼は、その掬い上げるように付けた仮面の奥で、その目を見開いた。
「仮面は、全てを……覆い隠すッ!!」
 混沌が、その身を包み込んだ。


 瞬間、叫ぶ彼の体の中に巡った凶暴な何かが、その傷を癒したのをウィルマ・ゴールドクレスト(地球人の降魔拳士・e23007)は悉に観察していた。
 獣よりも悪鬼とばかりに駆けた彼の背中へと、笑みと援護の鋼糸をうねらせる。
「なる、ほど……では、お手伝いしま、すよ」
 声は彼には届かない。
「その答えは、きっと、正しい、ですよ」
 最初手、レゾナンスグリードを打ち放ったペル・ディティオ(破滅へ歩む・e29224)は、胸を息で満たす。
 選んだのなら、我は助力となろう。
 そも、その存在が疎ましい。消し去るならば否やはない。
 広げていたブラックスライムの樹枝を、攻性植物の蔦ごと捻り、束ねて、剛槍と為す。
 障る物を、穿ち抜く。ただその為に。
 ハルの振るった剣が、葉刃とぶつかり均衡する――その寸前に、ハルはその剣を手放していた。
「っと、ッ」
 攻撃を諦めたわけではない。剣を砕いた刃がハルを襲う前に、双剣が葉を弾き返す。そのまま交差するように振り下ろされた双剣が左右から差し込まれた蔦に阻まれた、と思えば、握る両手剣がそれを打ち上げる。彼の殺界の至る領域は、彼の間合いだ。領域内の足元から無尽蔵に剣をその手にできる。無尽の剣閃が容赦なく、攻性植物を斬り飛ばして、その向こう女性へと銀光を奔らせた。
 渾身の一撃に、しかし、阻むは鋼を破る蔓。
「あなたが何者であろうと彼を討たせるわけには行かない」
 互いの攻勢が停滞する、その刹那。ハルの足元に蠢いた黒が女性の下肢を飲み込んだ。
「全力で抗わせてもらう」
 その上に、ウィルマの鋼が更に動きを縛り付けては、ペルの放った黒槍が囲みこまんとしていた棘蔦を穿ち散らす。
「――ッ!」
 息を呑む声が弾けるよりも先に、細い腕が宙を舞った。
 ハルの振るった刃が両腕の半ばを断ち。
「ア、ァアア!!」
 飛び込んだ混沌の人影が豪烈な脚撃をその胴の中心へと叩き込んで、その衝撃に耐えきれなかった繋ぎ目が千切れて、跳ねあがったのだ。
「来たか」
「殺す――ッ」
「……、ああ」
 ハルは、その言葉に一瞬の沈黙と共に目で頷いた。ならばそれに従おうと、伝えるよりも先に、攻性植物が動いた。
 攻撃ではない。千切れた腕の傷口から赤い線が蠢き、溢れる。
 血管か、植物の根か、もはや分からぬ血の通う糸が、傷口を繋ぎ合わせて瞬く間に癒着させていた。
「驚いた、治してくれたの?」
 痛みなど感じないのか。そう穏やかに言葉を紡ぐそれは、未だ人と呼べるのか。驚愕などする暇もなく、攻性植物の刃が即座に再構成され振るわれる。
 翡翠の羽に、深い紫の毛並み。鮮やかに目を引きつけるウイングキャットが、その寸前にへと舞い込んでいた。
 羽を揺らし、妖艶な微笑みがほんの僅か、彼女の動きを止めた。瞬間に。
「そうは、いきません!」
 避けるでもなく、むしろ、その遅れた攻撃へと飛び込んだちさが、オウガメタルに護られた腕を犠牲に差し出した。
 その攻撃すら、受ける事が辛いのだろう。ちさにできる事。
 何ができる? 彼女を突き動かすのは、矜持だ。ここに立つという、小さな矜持。だが、ちさが、全力を振り絞るには十分だ。できる事は、殆ど無い。ならその全てを。多くの傷を自らが受け、多くの傷を自らが与える。
「この程度……ッ!」
 貫かれる痛みを振り切り、刃を握る。裂かれる痛みをも活力に、更に踏み込んだちさは、もう片方の拳を叩きつけた。オウガ粒子に強化された拳が、轟音を響かせ、女性の体を砲弾のごとき勢いで吹き飛ばす。
「……、」
 玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)は、舞い戻った緑と紫の猫を、視界から外しながら攻撃の継続を短く告げる。
 繋がりのある存在と、敵対し、殺し合う。そんな状況に過去の記憶が、吐き気すら催す。それを加速させるその猫が持つ翡翠色を、意識したくない。
 思考を中断し、戦況へと意識を向けた。
 ケルベロスは猛攻を重ねている。だというのにしぶとい。成程、攻性植物と同化し強い生命力を備えていたのだろう。
 だが、足りない。徐々にケルベロスが仕掛けた蝕牙がその強みを削り始めている。結末は、もはや見えていた。
 ウィルマのウイングキャットが光の輪を放つ傍ら、ちさのウイングキャット、エクレアが回復を施す。エクレアが飛び回るそれだけで、十分に足りるような状況。
 そして。
「――ッ」
 今にも崩れ落ちそうな女性へと肉薄する彼の姿に、助けに来た誰もが視線を寄越した。
 拳に混沌が渦巻いて、暴力の何たるかを体現する。
 それで、終わる。


 相馬・竜人(エッシャーの多爾袞・e01889)は戦いが恐ろしかった。
 己が誰かを殺し、侵害する。そうして、己の芯が揺らぎ変質することが、恐ろしかった。
 だから、それが何であれ敵になった。
 俺はお前の敵だと、仮面を、役を被った。
 多角的な視点から、己自身の視点だけを仮面で意図的に覆い隠した。そうすれば、分かりやすかった。敵は敵だから全部殺せばいい。
 竜人という意識は俯瞰に徹し。
 眼前の存在は敵だと訴え。
 己の存在は敵だと訴え。
 殺し合うから殺すのだと訴え。
 そうすべきだから、殺してきた。
『敵だから』殺してきた。
 だから、今、この時も。
 ――嫌だ。
 罅割る乾いた声が聞こえた。
 それはきっと、竜人のよく知る声だった。


「あ……?」
 顔面の左半分が燃えていた。いや、燃えるような――激痛が走っていた。
 左目が潰れている。激痛が感覚を焦がし、瞼が開いているかも分からない。
 竜人は地面に尻を打っていた。襟首を引かれて、斬撃が仮面ごと竜人の顔に深い傷を刻んでいた。
 興奮物質が痛みをただの信号だと誤認させる。視覚の片側を失った喪失感だけが確かだ。すぐに駆け寄った彼のテレビウムがその傷を癒す。視界もすぐに回復するだろう。
「……迷うな、その時間はない」
 護る様に傍らに立つハルが、短く告げる。
 決しろと。彼女にあのようなことをさせたままでいいのか、と。
 拳を振り下ろせなかったのだと、漸くに気付いた。
 襟首を掴んでいるペルが、彼を叱咤する。
「折れてくれるなよ? いつもの竜人はそんな弱い背中では無いだろう」
 その声は、どこか懇願するような響きすら孕んで、竜人の鼓膜を揺らした。
 竜人は、乾いた喉を震わせる。
「なんでだ」
 怒りが沸き立つ。だというのに、喉を通る息は冷えていた。
 その怒りは、誰に向かっているのか。
「最初っから俺に言えばよかったんだよ」
 拳を握る。5本の指を折り畳む。それだけで腕が震える。
「あいつら全部殺せって!」
 立ち上がる。脚は縫い付けられたように重い。
 俺は強くなった。それでも。
「そうすりゃ、こうはならなかったろうに……ッ」
 弱い。
 目の前の存在を救わない理由を探している。目の前の敵を殺す理由を探している。
 敵だから? 敵だから殺さないといけないのか? どうして殺さなきゃいけない?
 ずっと背後に捨ててきた目が、問い掛ける。
 敵だからと殺してきた。そのくせに、敵だとしても殺さないなら。
 他の誰でもない竜人が、これまでとこれからを問い掛ける。
 ――殺すのか?
「ありがとう、そうね。ええ、……大丈夫」
 響いた柔らかく笑う言葉は、敵が放っていた。竜人への返答とは思えない。
「誰も、あの人を助けてくれなかったんだもの」
 であるならば。厭に鮮やかな緑が肯定するように、蠢く。
「だから、私が全部殺さなきゃね」
 確かに死に瀕する声、だというのに。
 その表情に、竜人は拳を解いていた。
「……頼む」
 瞳に映るのは、幸せに笑う姿。
 零れた言葉は。
「殺してくれ」


 吹いた風に、己の血の温度を知る。
「あァ、任せろ」
 万は即応した。
 自らの出自を木の股から生まれた、などと嘯き、親という存在を知らぬ彼は、竜人の傷を理解はできない。だが、だからこそ。彼は拳を握る事を躊躇わない。チェーンソー剣の牙が影の獣と共に唸りを上げる。
 同じ傷を負うことはない。
「だから、気にせず任せろ」
 道具としての出生ゆえに、臆しない。
「それがおめェの望みなら、きっちりこなしてやらァ」
 その答えが正しいかは知らない。だから、万は肯定した。出した答を正しくする。彼はそのためにここに駆け付けたのだから。
「ああ、正しいです、よ」
 対比するようにウィルマはそう断じた。当然の結論だと笑みを浮かべた。だが、間違いだ。
 答えなどない。答えを出そうとすること自体が間違いだ。だが、その答えを求めてやまないその情動は。
「とても、人間ですね」
 正しいと。地獄から引きずり出した巨剣が薙ぐは、人間の周りに鬱蒼と伸び盛る蔦。その全て。敵も味方もすべてを擦り抜け、交わりの邪魔をする全てを排除して、道が拓く。
「竜人の母よ。あれは我の大事な玩具だ。勝手に壊そうとするな」
 そこにペルが肉薄する。その腰に引いた拳から溢れる夜を焼くような白光が稲妻を描く音に紛れさせるように誰にも聞こえぬ声で、己の答えを、始めから決まっていた正しさを突き付け、今にも自分諸共に弾けてしまいそうな魔力の暴走を抑え込んで、雷拳が駆けた。
 劈く雷轟が、地面すら揺らして爆ぜる。
「……いいえ、全部、壊すもの」
 身を白雷に焼きながら返る言葉に、益体もないと切り捨てる。
 衝撃が離した間合いに、しかし、ペルは一歩退いた。
 ペルが優先するのは、決してこの敵ではなく、竜人の想い。だからこそ、白雷が弾けたその瞬間に追撃と迫るのではなく、オーラの盾を展開してはペルの傍らを駆け抜けた仲間へと。竜人が願いを託した彼らへと。
 願わくば、その背が竜人の支えとならんことを。
「請け負おう」
 澄華は、癒される傷に、竜人の言葉に、応える。
 大太刀を片手に提げ、空いた手にもう一つかついでいた刀を抜き放つ。澄むような氷を思わせる大太刀とは真逆、拒絶を示すような黒。
 駆ける。魂を喰らう刃が叫ぶように、無音が闇を貫いて――。
 それが彼女の声に反応していたのであれば。
 手を汚させた、と気負うな。短く、伝えるべき全てを告げた陣内は、届くだろう声を沈む様に響かせる。
 睨むのは、彼女ではなく、その中に巣食う攻性植物。何を思うかは知らない。何を為すかは知らない。
 陣内は至る果てではなく、途上の今を阻む。
「聞こえてるんだろう」
 やけに鮮やかに、今、陣内の網膜に張り付いているその羽の色が、奪った命の色が言葉を紡がせる。
 苛立つ。これは竜人の為の、そして陣内の為の言葉だ。
 親を殺させるな、子を殺させるな。繋がりを、苛むな。
「一線を、踏み越えさせるな」
 この痛みは忘れたままでいい。竜人の出した答えから間違いを遠ざける。
 女性の体に刻まれた癒えない傷。だが、断面の覗くようなそれにも血の通う根だけが再生して流血はない。もはや限界だろう、その女性は、それでも笑う。
「ああ、それじゃあ、もっと殺さないと――」
「いいや、それはさせない」
 その澄華の声よりも刃が先に届く。
 澄華の振るった二振りの刀身が、陣内の放った幻影に別たれる剣閃が。
 もはや動くこともままならない、その体を貫き、万のチェーンソー剣がその体を裂いた。
「私は……、殺さないと」
 袈裟掛けの軌跡に別たれた人の体が、まだ、無数の細い糸につながろうとする。
 その足掻きを諸共に、禍々しい黒が包み込んだ。
 判然としない無数の獣の幻影が、混ざりあい、食いあい、生まれた塊は明瞭に竜の咢が開かれた。
「悪ィな」
 それは誰に向けた言葉か。
 デウスエクス、攻性植物、相馬優子の体を、牙が貫いた。
 静かな夜だ。
 息の途絶える音すら、聞こえてしまう静寂。
 それでも、人の体が崩れる音は聞き逃してしまうような微かな震えだった。
 吐いた息は白い。
「――」
 竜人が、その一歩を踏み出した。
 彼の動きを、ハルは掛けようとしていた言葉を飲み込んで、背を向ける。そのまま携帯端末を取り出し、完了の報を入れる事にした。


 風は冷たい。
 ああ、死んだのか。
 動かぬ母の顔を見下ろし、現実感の無さに淡泊な感想が湧いて出た。
「終わったな」
 ペルが、竜人に声をかけていた。
「我の胸でも貸そうか?」
 振り返ると、軽い口調。それに竜人は笑みを浮かべた。少なくとも彼は浮かべたつもりではいた。
「それとも、一人の方がいいか」
 追った言葉に、竜人は頷く。
「ああ、その方がいい。悪いが、こいつを頼む……要らねえ心配させたな」
「ふん、格好つけめ。竜人が取りに来るまで返さんぞ」
 テレビウムを押し付けた竜人は、ペルの返事に少し笑い、他のケルベロス達に礼を告げると、翼を広げて夜空に去っていった。
「……さて、疾く去るとしようか」
 ペルは、テレビウムを抱いて、仲間へと告げていた。
 冷えた温度を残し、静かに夜は過ぎていく。
 一度だけ、虚ろな空を振り返った。

作者:雨屋鳥 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年1月2日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 5
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