堕天使

作者:紫村雪乃


 ある初冬の真夜中。
 凍てつくような闇は、ささやかな音さえのみ込んで、水晶のような静寂を辺りに降らせている。
 その沈黙は郊外にある古びた洋館にも満ちていた。だから、かさりかさりと蜘蛛のような足を動かす、小さなダモクレスの音が異様に大きく響いた。
 埃の積もった部屋の片隅。そこに忘れ去られたまま放置されていたのは、エレキギターであった。
 天使をモチーフにした華麗な形状のギターであったようだが、埃を被り、薄汚れたそれには、もはやかつての栄光はない。が、潜り込んだダモクレスによって傷だらけの天使は新たな命を与えられた。
 ゆっくりと身を起こしたそれは、モチーフ通りの天使のような姿であった。神々しささえ感じられる優美な仕草で純白の鋼の翼を広げる。
 その唇から紡がれる歌声は、しかし天上の調べではなかった。おぞましい殺人音波である。
 その音波により、砕かれた窓硝子から寒風が吹き込んだ。その風にむかい、それは歩き出しーーまるで薄紙であるかのように壁をぶち破り、外へ。
 冷徹なダモクレスと化したエレキギターは、天使の姿をとってさらに歩み出した。人々を襲い、グラビティ・チェインを奪うために。


「惨劇が予知されました」
 セリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)はいった。
「けれどまだ間に合います。全速でヘリオンを飛ばせば、まだ被害が出る前に標的を捕捉できます」
 場所は郊外にある洋館。そこに放置されたエレキギターがダモクレスと化してしまったのだった。
「武器は?」
 空鳴・熾彩(ドラゴニアンのブラックウィザード・e45238)が問うた。
「声と爪、そして翼です」
 セリカは答えた。
「強敵です。けれども斃すことができるのはケルベロスだけ。惨劇を食い止めてください」
 セリカはいった。


参加者
リィン・シェンファ(蒼き焔纏いし防人・e03506)
コクマ・シヴァルス(ドヴェルグの賢者・e04813)
癒月・和(繋いだその手を離さぬように・e05458)
瑞澤・うずまき(ぐるぐるフールフール・e20031)
 

■リプレイ


 しんと静まり返った夜――夜の闇に浮かぶあがるのは僅かな灯りだけであった。
 唯一の光源に、ほっと息をつき、鋭いアイスブルーの瞳のその女は、シュシュで髪をポニーテールに結い上げた。
 女の名はリィン・シェンファ(蒼き焔纏いし防人・e03506)。ケルベロスであった。
 静謐さを湛えた夜の世界の中で、時に聴こえる音は星の囁きだろうか。それとも風の慟哭か。
 癒月・和(繋いだその手を離さぬように・e05458)は、その柔和な美貌にかすかなの悲哀の色を滲ませて、夜空を見上げた。
 大切な人が苦しんでいるのに何もできなかった。そんな悔しさが彼女を医療の道へと歩ませたきっかけである。癒やしと戦いという相反する行為に迷いがあったが、今では倒すという行為が治療法であると気づき、さらに進むことができるようになった。
 それでも思うのだ。傷つけずに解放することはできないかと。
 そのような和の葛藤をよそに、褐色の肌の男はギリギリと歯を噛み鳴らしていた。名をコクマ・シヴァルス(ドヴェルグの賢者・e04813)といい、ドワーフである。
「ああ」
 コクマは慨嘆した。
「腹立たしい。時間がたっても癒えぬこの憤怒と悲嘆。我が悔しみ…けして忘れられぬ。…此度も我が気晴らしに全てを破壊してやる」
 呟くと、コクマは行く手に聳える洋館を見遣った。
「……あそこに天使がいるんだな」
 リーズレット・ヴィッセンシャフト(碧空の世界・e02234)もまた洋館を見やった。その頭の上にはボクスドラゴンの響。定位置だ。
 もう一体のボクスドラゴンであるりかーは和を守らんと、鼻息を荒くして滞空している。その仲睦まじい様子に、思わずリーズレットは微笑をもらした。
 その時だ。童顔の可愛らしい、また躍動的な女が目を眇めた。瑞澤・うずまき(ぐるぐるフールフール・e20031)という名の彼女の紅玉のような瞳は、純白の翼を広げて此方に近づいてくる美麗な姿を見とめた。――天使の如く繊細なダモクレスである。
 ほっ、とうずまきは吐息をもらした。
「予知で聞いてはいたけど、めちゃくちゃ綺麗だな」
 思わずうずまきは感嘆の声を発した。敵であると認識してはいるが、見惚れずにはいられぬ神々しさである。
 刹那、風が吹いた。夜闇の中、なお黒々と濡れたような翼が広がっている。
「あ、ここにも堕天使さん♪」
 うずまきが微笑んだ。翼の主はリーズレットであった。
 それにしても何というリーズレットの妖しさだろうか。うずまきが堕天使と呼んだのもむべなるかな。
「私も堕天使の端くれ…負けるわけにはいかないな! 白と黒どっちが最後まで歌い、舞えるかいざ勝負!」
 リーズレットがうずまきに微笑み返した。
「心強いね、リズ姉…! いざしょーぶ!」
 うずまきがこたえた。静謐な宵に響くその声により、戦いの幕が開いた。


 天使はゆっくりと首を巡らせて侵入者を確認した。そして身も心も粉砕すべく歌声を口ずさんだ。
 それは果たして歌と呼んでいいものか、どうか。悲鳴に似た声がケルベロスたちに叩きつけられた。
「あっ」
 たまらずうずまきが耳を手でおさえて膝をついた。空間そのものを揺さぶる殺人音波により、彼女とコクマの肉体が沸騰している。
「聖夜にはちょっと早いんじゃないかな。なんだかロックな賛美歌を歌ってくれそうだけど」
 軽口を叩きつつ、和はしかし冷静にグラビティ発動。次の瞬間、コクマの前に魔法陣が展開し、光の盾を具現化した。うずまきは翼猫が癒やしている。
「……すごいな」
 和をちらりと見やり、うずまきは感嘆した。その冷静さぶりに。戦いに有利なように事前に地形などを調べていたことをうずまきは知っている。
「かたまるな、囲むんだ!」
 叫んで、リィンが駆け出した。音楽プレイヤーから響く軽快な音楽の波に乗って。まるでサーフィンのように、その動きは淀みない。他のケルベロスたちも続き、天使を包囲した。
「奴はクラッシャーだ」
 リィンはそう読んだ。攻撃力は凄まじいが、防御力は高くなさそうである。
「うずまきさん、敵さんが綺麗なのはわかるが…ちゃーんと私の方も見ててくれよー! 頑張るからさっ♪」
 可憐に凛然と。うずまきに片目を瞑ってみせ、リーズレットは『Till the End of Infinity』を爪弾いた。その間、その足は華麗にステップを踏んでいる。
 とーー。
 天使がわずかに後退した。リーズレットから放たれた光が天使を撃ったからだ。
 星明かりのみの闇の中、天使に投げかけるリーズレットの歌は、とても静かで慈しみに満ちていた。出来れば余り傷つけること無く、美しい姿のまま静かに眠って欲しい、と――彼女が抱いた願いを、うずまきもまた持ち合わせていたらしい。
「よぉし! ボクも負けずに頑張るぞ☆」
 リーズレットにこたえ、勇躍うずまきは襲いかかった。
「ああ、本当に天使のようだね。でも」
 罪悪感を振り払い、うずまきは回避不能の卓越した一撃を放った。たまらず天使がよろめく。
 間髪入れずにリィンが地を蹴った。地に炎の筋を刻みつつ、馳せ寄る。跳ね上げた脚は紅蓮の蹴撃と化して天使にたたき込まれた。
「……楽器か…」
 コクマがふんと鼻を鳴らした。彼には他の者たちのような感慨はないようだ。
「…気が変わった。貴様は我が気晴らしの道具として使ってやる」
 ニヤリとすると、コクマは彼の背丈よりも巨大な剣ーースルードゲルミルを一気に振り下ろした。無造作に見える一撃であるが、それには大地を割り砕く規格外の威力が込められている。
 剣撃を浴びた天使の足もとの地が陥没した。これではすぐに動けない。が、天使は殺戮の本性をすぐさま露わとした。


 優雅ともいえる繊手の一閃。鮮血を撒き散らし、コクマは吹き飛んだ。洋館の壁を粉砕し、内部に転げ込む。
「りかー、コクマ君の回復を」
 ボクスドラゴンに和は命じた。防御力を高めているため、致命傷は免れているだろうが、敵の攻撃力もまた高い。クラッシャーの攻撃力を維持するために、損傷はすぐに再生しておかなければならなかった。頷いたりかーがすぐさまコクマをいやす。
「ボクは」
 和は再び光粒子の盾を現出させた。今度はうずまきの前に。
「ありがとう。助かるよ」
 和に礼を述べたうずまきは呟いた。
「格闘闘戦を仕掛ける方が楽そうだけれど、今回はやめておこう」
 天使を殴るのは、何だか気が引けてしまうので。そっとそう呟いたうずまきだったが、手心を加える気は更々ない。
 うずまきが天使を見据えた。常識を超えた集中。凝縮された思念をうずまきが解き放った時、天使が爆発した。
 思念による爆破能力者。それがうずまきであった。
 瞬間、氷の砕けるような音と共に、真っ白な磁器のような肌に細かなひびが入ったものの――天使は顔色ひとつ変えずに淡々と、翼を大きく広げた。攻撃の予備動作である。
「どうあっても戦わずにはいられないのか」
 リィンの顔に一瞬、哀しみの色が浮かんだが――彼女は直ぐに表情を消し、淡々と己の役割を果たすべく攻撃を仕掛けた。たったの一足で距離を詰め、射手座のシンボルのついた星剣で迅雷の刺突を繰り出す。
 絡みつく紫電にも怯まずに、天使は朱唇を開いた。近距離での音波攻撃だ。
 咄嗟にリィンは跳び退った。が、指向性を与えられたら殺人音波はリィンを捉えーーズタズタにされた響が吹き飛んだ。リィンを庇ったのである。
「響!」
 哀憐の叫びを発したものの、しかしリーズレットの天使にむけるまなざしには迷いは無かった。
 天使を屠る者。それは堕天使である。
 優雅な身ごなしで、リーズレットは弓に矢をつがえ、放った。闇を切り裂く矢は、まるで意思あるもののように飛び、追う。回避能力を封じられたにも等しい天使を矢は確実に貫いた。
 その時だ。洋館の壁をぶち破ってコクマが飛び出した。矢を引き抜いた天使めがけ、身を旋転させ、遠心力を加えた一撃を叩き込む。
 空に氷片のごときものが飛び散った。呪的防御力を施した天使の皮膚である。
「堕天使としてうずまきさんを惑わせるのは私です!」
 これは、やはり嫉妬なのだろうか。自らの心の色に苦笑しつつ、リーズレットはオーラを蹴り放った。流星と化して疾ったそれは、またもや天使の呪的防御を粉砕する。
 さらに亀裂のはいった、それでも神々しい美貌を天使はケルベロスたちにむけた。
 颯!
 天使が翼で空をうった。瞬間、翼から放たれた羽根が吹雪のようにうずまきを襲った。
「あっ」
 鮮血をしぶかせたうずまきが片膝をついた。羽根は鋭利な刃であったのだ。
 すぐさまりかーがうずまきを癒やす。得意そうなりかーに和は頷いてみせた。
 同じサーヴァントを有するというだけでなく、どうも和はうずまきに特別な感情がある。まるで年の離れた姉であるかのような感情が。
 次いで和は手を差し伸べた。天使に向かって。
「ごめんね、キミはもう飛ぶことはできないよ」
 和の手から黒い粘塊が飛んだ。それは空で巨大な顎門へと変化。天使の片翼を食いちぎった。
 さすがに苦悶する天使。その隙をついて接近するリィンであるが。
 悟った天使が天使が爪で空を薙いだ。反射的に横に跳んだリィンは、しかし塀を利用してさらに跳躍。天使の斜め後ろの宙に舞ってーー。
「この世に形を得た悲しみの欠片達よ、我と共に舞い踊れ!」
 リィンが拳の、脚の連撃を天使に叩き込んだ。グラビティで錬成した無数の小さな氷の刃を乗せた一撃が天使を切り裂く。
「悲しみを全て束ねた欠片、悪意断ち切る一刀に変えここで貫く! ……全てを零に!」
 氷の刃を錬成一つとした大太刀でリィンは天使を貫いた。冷徹な刃が急所をえぐる感触がリィンの手を震わせる。機械とはいえ天使を斬り伏せることに複雑な感情を抱きつつも、その剣先には些かの迷いも無い。
 そして、うずまきも迷いを断ち切った。その覚悟のように白銀の鬼となり、天使を襲う。
 対峙する天使と白鬼。互いの爪が互いをえぐる。
「さがれ、うずまき」
 血煙にまかれるうずまきをだきとめ、コクマはいった。そして天使に視線を据えると、
「貴様も天使。やはりとどめは神の拳でなくてはならぬ」
 天を貫くように、高々とコクマは拳を振り上げた。
「我が拳に宿るはアウルゲルミル! 天地創造を司りし巨人の怒りが齎すは…己を否定した世界の破壊なり!」
 神器と一時的にリンク。その権能を拳に収束し、コクマは凄絶の一撃を天使にぶち込んだ。
 権能は即ち破壊。限定的とはいえ、神の力が荒れ狂った。物理の法則を超え、その力は空間ごと天使を破壊してのけたのであった。
「堕天使よ。天に還るべし」
 光粒子となって消えゆく天使にコクマは厳かに告げた。


 戦いは終わった。シュシュを解いたリィンがほっと息をもらす。すこしだけアイスブルーの瞳にあたたかみが戻ったようだ。
 コクマはすぐに背を返した。憤懣をギターをひくことで晴らそうと思ったのだが、粉砕したそれを戻すことはかなわなかったからだ。もはや、ここには興味はない。
 興味があるのはうずまきであった。洋館と黒翼のリーズレットを交互に見比べ、
「絵になるなぁ」
 と感嘆しきり。そのことに気づいたリーズレットは照れくさそうに頬を赤く染めると、そのことを誤魔化すようにうずまきの手を握った。私の天使はうずまきさんだ、などとは恥ずかしくていえるものではない。
 思いは同じ。うずまきの方はリーズレットこそ自分の天使だと思い、つないだ手を握り返した。
「もう二人とも天使でいいんじゃないかい?」
 あまりの二人の仲の良さに、からかってみたくなる和であった。

作者:紫村雪乃 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年12月16日
難度:普通
参加:5人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
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