蜜姫の誕生日~月に歌え

作者:地斬理々亜

●とっておきの場所
 小野寺・蜜姫(シングフォーザムーン・en0025)は、夜の海辺、断崖絶壁の上にいた。
 ここは、彼女のとっておきの場所である。
 周囲には誰もいないから、大きな音や声を出しても、迷惑にならない。
 加えて、蜜姫の正面には、金色に輝く月が浮かんでいる。
 そんな場所で、蜜姫は一心不乱にギターを奏で、歌っていた。
 あの月が、シャドウエルフの秘宝『暗夜の宝石』であるなど、1年と少し前までは、蜜姫は思ってもみなかった。
 けれど。
(「正体が何なのかだなんて、関係ないわ。あたしにとっては、いつだって、あたしの音楽を邪魔せずに聴いていてくれる相手だもの」)
 蜜姫のギターがメロディを奏で終え、やがて、残響も消えゆく。
「……そうだわ」
 ふと蜜姫は顔を上げ、微笑んだ。

●誕生日の招待
「11月27日は、あたしの誕生日よ。この日の夜に、みんなを、あたしのとっておきの場所に連れて行ってあげるわ」
 特別なんだからね? と蜜姫は言い、説明を続ける。
「そこは、誰もいない海辺の断崖絶壁の上でね。歌や演奏の練習には、持って来いの場所なのよ。それに、夜になれば、綺麗な月が見えるわ。当日は満月ではないけれど、十分に丸くて明るい月が出迎えてくれるわよ」
 月が見える断崖絶壁の上……そこで何をするかについて、蜜姫はこう告げた。
「音楽を奏でるのよ。歌でも楽器でも、みんなの好きなようにね。オリジナルの曲であれば、歌詞があっても構わないわ」
 つまりこれは、歌い、奏でる、というシンプルな催しである。
「ただし、他の人の音楽を聴く時は、みんなも、『月みたいになる』ことね。つまり、音楽の邪魔をしちゃいけないって意味よ」
 邪魔にならない程度の合いの手を入れたり、音楽が終わった後に感想を述べたりしてもいいが、曲の妨害になるような行為はいけない、と蜜姫は言う。
「音楽に乗せて、みんなの想いをぶつけてちょうだい。恥ずかしがらなくて大丈夫よ、『聴いているのは月だけ』なんだから」
 月と、月のように振る舞うケルベロスだけが、その音楽を聴くことになるのだ。
 ――目一杯の想いを込めた、『あなたの音楽』を。


■リプレイ

●前奏
「ここが、蜜姫さんのとっておきの場所……!」
 ミリムは崖の上から辺りを見渡した。街の灯りや喧噪から離れた、何も遮るモノのない、特別なステージ。ミリムには、そう感じられる。
「気に入ってもらえて嬉しいわ、ミリム」
 左右に振られるミリムの狼尻尾を見ながら、蜜姫は微笑んだ。
「はい。それにしても、緊張しちゃいますね」
 深呼吸をミリムは繰り返す。
「リラックスするのが肝心よ。それから、エトヴァも来てくれてありがとう。今日はよろしくね」
「はイ、こちらこそお招きいただきありがとうございマス」
 エトヴァの語尾には、機械の響きが混じる。レプリカントである彼が持つ、煌めくノイズである。
「心地好い夜ですネ」
「ええ。月も綺麗に出ているわ」
 ひんやりとした空気の中、見上げれば星が光っている。そして、明るく輝く月が見下ろしていた。

●煌めく声
 崖の際から、ある程度の距離を保った場所にエトヴァは腰掛けた。高い所は、少し苦手なのだ。
 晴れ渡る真昼の空に似た色の、エトヴァの蒼い髪。それを、潮の香りの風が揺らす。
 少し離れたところでは、蜜姫と、狼の耳をピンと立てたミリムが、エトヴァの歌を待っていた。ただじっと静かに、月のように。
 ミュージックファイターであるエトヴァと音楽は、切っても切れない関係にある。エトヴァが、レプリカントとしての人生を楽しむために始めたのが音楽であり、彼にとって音色とは、『心に触れ得る存在』だ。
 ギターを構えたエトヴァは、ゆったりとそれを奏で始める。電気を使わない、ナチュラルな伴奏だ。
 静かに息を吸い込んだエトヴァは、歌声を織り上げ、響かせた。
 高い声域の男声――テノール。
 欠片の濁りもなく澄み渡り、輝くような歌声であった。
 エトヴァの澄んだ歌声に、ミリムが目を丸くして感嘆し、蜜姫はうっとりと耳を傾けている。
 今、一面に広がっている夜空に散りばめられた星々。エトヴァの喉から響く、透き通った繊細な音色は、その星々の煌めきを思わせた。
 エトヴァは歌う。
 月に向かい、語らうように。
 この夜を、響かせるように。
 遠くへと、飛翔するように。
 想いを込めて、歌う。
 彼がこの日本へ来て、4年目。
 かつてダモクレスであったエトヴァが、人の心を得てレプリカントとなって、もう何年も経つ。
 これまで数多くの人々と出会い、エトヴァは、こんなにも成長することが出来た。彼が今、歌に込めているのは、そのことへの感謝の念だ。
 ――どこにいても、心は繋がることができる。
 親しきひとたちへ、この声が、心が、届きますようにと。そんな祈りと共に、エトヴァは歌を響かせた。

●間奏
 とくとくと水音が鳴り、白い湯気が立つ。ミリムが、温かいお茶を水筒からカップに注いでいるのである。
「エトヴァさん、どうぞ」
「ありがたくいただきますネ。ミリム殿、ありがとうございマス」
 差し出されたカップをエトヴァは受け取り、お茶で喉を潤した。身体が芯から温められる。
「気が利くわね、ミリム。そういう気遣いができるところ、とっても素敵よ」
「ふふふ、照れちゃいますね。ありがとうございます」
 蜜姫のストレートな褒め言葉に、ミリムは頬を掻いて笑った。
「そんなミリムには、トリを務めてもらうわね」
「次は蜜姫殿が歌ウ、ということですネ」
「ええ、そうよ」
 エトヴァへとにっこりと笑顔を向けた蜜姫は、桃色の長い髪をなびかせ、崖の方へ向かう。
「蜜姫殿、お誕生日おめでとうございマス。是非、拝聴させてくだサイ」
「誕生日おめでとうございます、蜜姫さん! 私も楽しみにしてますよ」
 祝いと期待の言葉を投げかけたエトヴァとミリムへと、蜜姫は一度振り向く。
「二人とも、ありがとうね」
 嬉しそうに礼を述べてから、彼女は月へと向き直った。

●熱情の調べ
「それじゃあ、聴いてちょうだい――『ブラッドスター』」
 デフォルメされたウサギの意匠のギターが、激しくかき鳴らされる。
 叩きつけるような、激烈な曲調。
 グラビティではないが、パワフルな演奏だ。
「Lalalala-lalala lala-lalala――」
 歌詞なしの歌、すなわちスキャットで、蜜姫は『ブラッドスター』を歌い上げる。
 自分の中の、他人に伝えたい想いを、ギターの音色と歌声に込めて、思い切りぶつけるような。そんな、情熱に溢れた音楽が鳴り響く。
 彼女が伝えたい想いとはすなわち、『ブラッドスター』の主題でもある、『生きることの罪の肯定』である。
 ピンと狼の耳を立てたミリムは、緑色の瞳を輝かせて聴いている。エトヴァは、メロディの一つ一つを受け止め心に染み込ませるように、耳を傾けていた。
 よく通る声を辺りへと響かせて、蜜姫は最後まで歌いきり、ギターを奏で終える。
 ミリムとエトヴァが、崖の方向から戻ってくる蜜姫を拍手で迎えた。

●間奏
「どうぞ、蜜姫さん」
「ありがとう」
 温かいお茶をミリムから受け取って礼を述べた蜜姫は、それを一口飲んでから、ふと尋ねた。
「『cry for the moon』っていう言葉の意味、知ってる?」
「ええと、確か……」
 思い出そうとするミリムだが、その前にエトヴァが答えた。
「『ないものねだり』という意味だったカト」
「そうよ。この言葉どおり、月が欲しいと泣き叫んでも、何かが起こることはないわ。だけど……」
 蜜姫は続ける。
「音楽には、力があるってあたしは確信してるの。だから、こういう風に月に向かって歌っていると、何かが起こるような気がしてくるわよね?」
 くすりと笑って言ってみせる蜜姫。
 ミリムとエトヴァは、顔を見合わせて。それからミリムはにこっと明るく、エトヴァはふわりと綻ぶように笑った。
「きっと、想いが届きますね」
「はイ。心ガ、伝わると思いマス」
「あたしもそう思うわ。音楽は、想いを、心を、届けてくれるのよ」
 エトヴァとミリムの言葉に、蜜姫も頷いて笑顔を浮かべた。

●月へ向けて
「いよいよ私の番ですね」
 ミリムが懐から取り出したのは、ハーモニカであった。
 見覚えのあるそれに、蜜姫がそっと笑顔をこぼす。そのハーモニカは、2年前の蜜姫の誕生日においてもミリムが演奏を披露した物であった。
 最後にもう一度深呼吸して心を落ち着けたミリムは、恥ずかしがりながらも、ハーモニカを吹き鳴らし始める。ぽつぽつと、少しずつ。
 技術的に巧みだとは言いがたい、つたない演奏である。それでも、そのメロディは少しずつ、力強さを帯び始めた。
 エトヴァは静かに耳を澄ませており、蜜姫は目を閉じて聞き入っている。
 ミリムがその音楽に込めているのは、エトヴァと同じく、『感謝』の想い。
 たとえ、孤独を感じる寂しい時でも、行き先の分からない闇の中でも。月はいつでも、傍でそっと見つめてくれる。進むべき道を、照らしてくれる。
 そんな月と、『月』に……仲間のケルベロスたちに向けて。
 ミリムはハーモニカの音色に乗せ、伝える。――いつもありがとう、と。
 歌よ、音よ、想いよ、月まで届けと。願いを込めて、ミリムはハーモニカを吹き鳴らした。

●後奏
 ハーモニカをしまい、ミリムは蜜姫たちの方向へ振り向く。
「遠吠えしたような気分ですっ」
 清々しい表情でミリムは言った。
「思いっきり音楽を奏でると、すっきりするものよね。ミリムも、エトヴァも楽しんでくれたようで、嬉しいわ」
「えエ。ありがとうございまシタ」
 感謝を述べたエトヴァへ、蜜姫は微笑んだ。
「お礼を言うのはあたしの方よ。エトヴァとミリムの音楽、どちらもとっても素敵だったわ。良いものを聴かせてもらったわよ」
 その言葉にエトヴァは穏やかに微笑み、ミリムは照れ笑いを浮かべる。
 笑顔を交わし合う3人のケルベロスたちを見守るように、空には月が輝いていた。

作者:地斬理々亜 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年12月9日
難度:易しい
参加:2人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 0
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