●音の世界
指先で鍵盤に触れ、ピアノの音を確かめる。
一小節分だけ弾いた曲は静かなホール中に広がり、穏やかな残響を残した。
規則正しく並んだアンティーク調の机と椅子。綺麗に磨かれたガラス製のカウンター。窓辺には落ち着いた雰囲気のウッドデッキテラス。そして、店の中央作られた円形のステージにはグランドピアノが置かれている。
「大丈夫かしら。……ううん、きっとうまく行くわ」
窓から朝陽が射し始める時刻、音乃辺・クレアは抑えきれない気持ちを音に乗せた。
いつからか、生演奏が聞けるカフェをつくりたいと望んでいたクレアは夢が叶う日を心待ちにしていた。思い描く世界が形になるとき――それが、今日という日。自身が店主をつとめるピアノカフェの新規開店の日だ。
だが、開店まではまだ数時間ほどある。
クレアはピアノの傍から立ち上がり、最後の確認を行おうと思い立った。
そのとき、彼女はホールの隅で一匹の蜂が死んでいることに気付く。窓を開けた時に入り込んだのだろうか。片付けてしまおうと手を伸ばした時、クレアは背後に殺気を感じた。
「誰? な、何……!?」
そこに居たのは二メートルもあろうかという巨大な蜂。
尾を向けた蜂ローカストは一瞬で彼女に襲い掛かり、その針を突き刺した。
●夢が叶うとき
それが、ローカストが起こすと予知された未来。
「クレアさんは悪くないのです。蜂を殺したわけでもないのに、酷いのでございます!」
雨森・リルリカ(オラトリオのヘリオライダー・en0030)は頬を膨らませ、デウスエクスの行いに怒りを見せた。だが、敵が勘違いをするのも無理はない。今回現れた個体はこれまでのローカストと違って知性が低いからだ。
「敵は賢くはないのですけれど、その分だけ力が強いみたいです」
それでも、被害者が出ると分かっていて放っておくわけには行かない。リルリカはケルベロス達に解決を願い、詳しい情報を告げてゆく。
今から現場に向かえば、被害者が襲われる寸前に駆け付けることができる。
だが、その命を救えるかは初動にかかっている。
彼女に針が付き刺される前に庇いに向かい、カウンターの裏や店の外などの安全な場所へ避難させてやると良いだろう。
ケルベロスが敵の気を引くことができれば女性が深追いされることはない。誰がどの役でどういった行動をするかが、被害者を助けられるか否かの分かれ目となる。
「蜂型ローカストは一体。ですが、一撃ずつが強力なので気を付けてくださいです!」
体力を吸収する針での一撃に石化効果のある一閃、そして破壊音波。
どれも油断はできないが、全員で協力しあえば勝てない相手ではないはずだ。
そうして、リルリカが話を締め括ると、説明を聞いていた遊星・ダイチ(ドワーフのウィッチドクター・en0062)が深く頷く。
「せっかくの開店日だ。記念の日を不幸な思い出にしてはいけないな」
「はいなのです! それでですね、無事に戦いが終わったらなのですが……皆様でカフェにお邪魔してみると良いとリカは思いますっ」
「成程、良い案だな。俺達も休息ができて店も潤う。良いこと尽くめだ」
リルリカの提案にダイチが同意し、仲間達を誘う。
もし戦闘で店が壊れてしまってもヒールで直すことができるし、戦いの疲れを美しいピアノの音色が鳴り響くカフェでゆっくりと癒すのも良いだろう。
店主自ら奏でるピアノを聴き、淹れたての珈琲や紅茶を楽しむ時間はきっと心地好い。
「さて、気合いを入れて行かないとな」
思い描いた時間を手にするには先ず、すべてを無事に終わらせなければならない。ダイチは快さの宿る笑顔を浮かべ、仲間達に信頼の眼差しを向けた。
参加者 | |
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花骨牌・旭(春告花・e00213) |
リト・フワ(レプリカントのウィッチドクター・e00643) |
アトラス・アステリオ(天關・e02939) |
ジン・シュオ(暗箭小娘・e03287) |
葉月・静夏(丈夫な無縫者・e04116) |
遠之城・鞠緒(ファミリーに命を捧ぐ・e06166) |
ユリア・ノーティ(オラトリオの鹵獲術士・e13823) |
ジル・メルヒオーア(恋喰み・e17128) |
●夢のかたち
遠く、幽かに聴こえたのはピアノの音色。
そして、音が止んだ後に耳に届く蟲の羽音と悲鳴。ローカストによる凶行が今にも行われんとした、刹那――。開店前の扉をジル・メルヒオーア(恋喰み・e17128)と花骨牌・旭(春告花・e00213)が開け放ち、敵と店主の間に割り込んだ。
「テメェみたいな害虫はお呼びじゃねえんだよ、ローカスト」
「こっち向けよローカスト、弱い者いじめはダサいぜ」
なにも新規開店の時に現れなくたって良い。ジルと共に敵を見据える旭は店主のクレアが被った不幸に思いを巡らせた。
「よりによって、というタイミングですね。ですが、必ず防ぎます」
「こっちだ、お嬢さん!」
更にリト・フワ(レプリカントのウィッチドクター・e00643)が店内を確認し、その間に遊星・ダイチ(ドワーフのウィッチドクター・en0062)がクレアの手を引いて誘導する。
リトは比較的テーブルや椅子の少ない場所を指差し、葉月・静夏(丈夫な無縫者・e04116)に視線を送る。
「デウスエクスにとってはどんなことも些細な事だろうけど……私達が倒して、素敵なものになるはずだった未来を守って見せるよ」
静夏はその言葉を示すように、怪力無双の力を使ってピアノを持ち上げた。
彼女の行動はピアノが戦いの被害に遭わぬように案じてのこと。だが、静夏の目立つ行動に気を取られたローカスト・ビーが狙いをそちらに向けようとする。
とっさにアトラス・アステリオ(天關・e02939)がピアノを運ぶ静夏とリトの前に立ち、被害が及ばなぬように遮った。
「そうはさせません」
「素敵な夢のカフェをめちゃくちゃにしようとするなんて、許せない節足動物ですっ!」
遠之城・鞠緒(ファミリーに命を捧ぐ・e06166)は敵の胸に向かって手を伸ばし、そこに現れた本を開く。刹那、本から溢れ出した音色が敵を包み込み、動きを制限した。
それに合わせてウイングキャットのヴェクサシオンも爪撃を放つ。
そして、一瞬だけ大蜂の動きが止まった。
「アナタの標的、ワタシ達。余所見するは美味しけど、あっち襲うないね」
ジン・シュオ(暗箭小娘・e03287)もダイチが店主と共に外へ避難する様を見送り、ローカストに挑発めいた言葉を向ける。
次の瞬間、尾針の一撃がアトラスを襲ったが、それも狙い通り。
ユリア・ノーティ(オラトリオの鹵獲術士・e13823)は一撃を受けた仲間に魔術切開による癒しを施し、敵を強く見据えた。
「夢が叶う日が来たのに殺されてしまうなんてそんな事あっていい筈がないわ」
凛と言い放ったユリアは、決して負けはしないと心に誓う。
敵の気がケルベロス達に向けられている間にピアノは無事に端に寄せられ、静夏は仲間達に合図を送った。頷いたジルは胸中で小さな安堵を抱き、更なる挑発を敵に向ける。
「どこ見てんだよ、蜂野郎。テメェの相手は俺だろ」
「そ、俺たちが遊んでやるぜ」
旭も片目を瞑って皮肉交じりの言葉を紡ぎ、振り上げた斧をひといきに下ろした。
そこへジルの放つ絶空の斬撃が重なり、ビーの身が揺らいだ。そして、アトラスはこちらに敵意を向け返す敵を見つめ、静かに告げる。
「音色に誘われカフェに訪れたお客様という訳でもないならば、お帰り願いませんと」
麗しい女性の夢を奪うことなど許されるはずがない。
滅入った気分を振り払い、その未来に光を与える為に。今こそ力を尽くす時だ。
●不幸と幸福
羽音を響かせる大蜂は完全にケルベロスを倒す気でいる。
ジンはそれでいいと胸中で独り言ち、無音で敵との距離を詰めた。
「――アナタ、遅いね」
燦絶の名を冠する独自の技術によって、敵の死角を取ったジンはナイフを振りあげ、鋭い斬撃を放つ。刃が外の光を反射して煌めいた。
それを合図代わりに動いたユリアも攻撃に転じ、竜語魔法を詠唱する。
「ローカストなんかに夢を邪魔させないんだから」
心からの思いを放ち、ユリアは竜の幻影でローカストを穿った。炎が敵を包み込み、激しい衝撃が迸る。敵が動いたことで近くの椅子が倒れるが、リトは少しも怯まずに対抗した。
「展開します」
リトの宣言と共に耳部と首元の装置が干渉波を生み出し、空間を歪ませる。すると青と緑の交じり合う電撃めいた衝撃が敵を貫いた。
静夏もリトに続き、敵に狙いを定めながら床を大きく蹴りあげる。
「打ち上げるのは勝利の花火。遠慮しないで行くよ」
宙返りからの蹴り上げが幾度も繰り出され、ビーの身が小爆発に晒されてゆく。だが、静夏の一撃を振り切った敵は石化の力が宿る一撃をくらわせに迫り来る。
鞠緒に向けられた一閃が痛みを齎すが、その衝撃はヴェクサシオンが放った清浄の翼の力が取り払っていった。
「節足動物の存在自体許しがたいうえ、あんなに大きいなんて!」
痛みへの怒りと感情を織り交ぜ、鞠緒はブラックスライムを解き放つ。何故ここを襲うのかを探りたいが、持ち得る技ではローカストの心までは知れなかった。
アトラスは中衛が狙われたことを見遣り、敵の狙いを自分に引き付けようと動く。
刹那、放たれたのは獄之花。
「折角の夢の城を戦場にし続けるのは憚られます。早々に終わらせましょう」
地獄の炎により荊棘を創り出したアトラスは、放った棘を敵へと捲きつけた。その傷痕に獄炎による焼印がきざまれ、怒りを誘発していく。
敵の狙いがアトラスに向かい、隙を見出した旭はカードを取り出して呼び掛けた。
「悪いな、そのまま引き付けてくれ」
頼んだぜ、と告げた旭は勇気を込めたカードを破き、紙片を刃へと変えてゆく。カードに描かれているのは美しさに魅入られた彼の花。抱いた憧憬を守るための力とした旭の力は寒さに負けず咲く花の如く、強く巡った。
好機を察したジルも羽音を響かせ続けるビーを睨み付ける。
「――逃がしゃしねえよ」
言葉と同時にジルが生み出した影はただ鋭く、鎌首もたげて敵を穿つ。漆黒の一撃が執拗にローカストを貫いていく中、相手は破壊音波を放ち返した。
旭が身構え、ジルとアトラスも衝撃に備える。その音波が味方を惑わすものだと察したユリアは即座に極光の力を広げていった。
「大丈夫? 今すぐにそんな幻惑は取り払ってあげる」
ユリアの癒しが前衛達をやさしく包み、巡った催眠を消し去っていく。
リトはピアノを背にし、決してそちらへの射線を取らせぬように立ち回った。その際に放つ旋刃の蹴撃は鋭く、容赦のない一閃となる。
そこへ補助に訪れていたユイの援護射撃が加わり、美琴による光の盾が皆を護る力となって広がった。
鞠緒は仲間達の後押しを頼もしく感じ、自らも攻勢に出ようと決める。
「わたしの歌は破壊音波などに負けません、ふふふー♪」
はじめは囁くように。次第にころころと鈴の転がるような高音を響かせ、鞠緒が歌いあげたのは追憶に囚われず前に進む者の歌。
ジンも流れる音色に合わせて床を蹴り、病刃を踊るように舞わせた。
「蜂にとって同胞の恨みいうところか……彼女も災難のことよ。でも――」
その恨みを抱く相手は間違っている。
ジンは災難をそのままにさせまいと己を律し、尚も敵意を向ける大蜂を見据えた。
●散る羽音
店内で繰り広げられる戦いは激しく、熾烈なものになってゆく。
机が派手に倒れ、いくつかの椅子が折れて崩れ落ちる。しかし、壁に寄せたピアノだけは決して傷付くことなくそこに在り続けた。
それはこの店のシンボルを失くしたくないと願うジルやリト達の行動の賜だ。
「通しません。この先には、一歩たりとも」
リトは自分に向かってくる攻撃を敢えて受け止め、ピアノを守り続ける。彼の思いと狙いに気付いた旭も果敢に立ち塞がり、ローカストを抑えた。
「よし、いっちょ行くとするか」
旭は敵の隙をついて跳躍し、掲げた斧を一気に振り下ろす。頭上からの一閃に対応しきれなかったビーはまともに衝撃を受けてしまい、大きく体勢を崩した。
更に静夏とアトラスが天から降るかのような斧撃を続けて見舞い、追撃を成す。
「周囲に当たり散らされても困りますから、どうぞこちらへ」
アトラスは敵の気を引き続け、痛みに耐えた。
だが、その背はユリアとヴェクサシオンが癒しに徹することでしっかりと支えている。
「お前の相手は私達よ。最期まで、ね」
ユリアも言葉を投げかけ、決して店をこれ以上は荒らさせないと宣言した。鞠緒もヴェクサシオンに頑張ってと告げ、ブラックスライムを捕食モードに変形させていく。
「あなたの真に欲する事はわかりませんでしたが……退治、退治ですっ!」
ぐっと掌を握った鞠緒はそのまま黒液を解き放ち、ローカストを喰らわせた。暴れる敵を冷静に見つめ、ジンは影の如き一閃を解き放つ。
仲間達が与えた炎や重圧は敵を苦しめ、じわじわと力を奪い取っていた。
ジルは戦いが決するのもあと少しだと感じ、視線を仲間へと差し向ける。
「長引かせんのもやべえし、とっとと終わらせちまおう」
ジルはタンザナイトの瞳をすぐにローカストへと移し、気咬の弾丸を打ち放った。敵に喰らいつくかのような一撃は深く、ジルは双眸を鋭く細める。
彼の眼が今だと告げている気がし、静夏は更なる攻撃に出ようと決めた。
再び蹴りの乱舞を見舞った静夏は追撃の機を見出し、大蜂を天井高くまで蹴りあげた。
「室内だけど打ち上がれー」
激しいアッパーカットと同時に大きな花火の爆発が起こり、静夏は口の端を緩める。これで敵の体力は大幅に削れたはずだ。
仲間の一撃に素直な賞賛の眼差しを送り、リトも終わりを狙って動く。
「終幕が近いようですね」
ただ静かに、真剣に。攻撃手としての役割に忠実であろうとするリトは降魔の力を拳に宿し、衒いも躊躇もない一撃をローカストに見舞った。
あまりの衝撃に火花が散り、煩かった羽音が途切れ途切れになる。
ユリアはもう癒しの手は必要ないと感じ、時空すら凍結させる弾を撃ち出した。
「大切な物も、思いも、壊す訳には行かないわ」
「その通りです。壊されるのはあなた。ふふふー♪」
鞠緒は歌うように笑い、ヴェクサシオンにリングを舞い飛ばせる。そして、再び淵源の書を手にして攻勢に移った。鞠緒が読み取ったローカストが生きる意味はただグラビティ・チェインを奪うという一点のみ。それならば、こんな生は終わらせるべきだ。
対する敵は針の一撃がアトラスに向けるが、彼はそれを何とか避けてみせた。
ただやられてばかりではないと示すように立ち回ったアトラスは、獄之花による棘で敵を絡め取っていく。
「そろそろカフェでの時間を楽しみたくなりましたね」
「同感だな」
アトラスの言葉にジルが冗談めかして頷き、影を迸らせた。
彼等の力を受けた大鉢は既に虫の息。蟲だけに、と小さく呟いた旭は青紫の瞳に敵の姿を映し、光り輝く呪力のルーンを発動させた。
その一撃は抵抗するビーに交わされてしまう。されど、旭はそれで構わないのだと小さく笑む。何故なら――敵の背後には物音ひとつ立てずに近付くジンの姿があったからだ。
「……晩安」
微かな呟きと共に終わりの言葉を紡いだジンは、蟲の身に刃を突き立てる。
そして、死が齎される。羽音は完全に止まり、ローカストの身はさらさらと崩れ落ちるようにして消滅していった。
●守った時間
戦いが終われば、店の後片付けが待っている。
「片付けとヒールと……店主も回収に行かねえと、と戻ってきたのか」
ジルは店をちゃんと開いてもらわないといけないと零し、ダイチと共に外から戻ってきた店主クレアに軽く手を振った。その際、店主がまず心配したのはケルベロスの怪我。そして、店の大切なピアノのこと。
不安げな彼女を安心させるべく、リトはピアノを点検した。
「少し汚れてしまいましたが、無事なようです」
「ああ、安心しました……!」
「そりゃよかった」
クレアがほっとする傍、ジルも肩を竦めて無事を彼なりに喜ぶ。
そうして、壊れたテーブルなどにはヒールがかけられていく。花が咲いたかのような幻想的な見た目になった椅子は不思議と店内に調和していた。
「これで開店できるかな。せっかくだからのんびりとティータイムを楽しみたいね」
静夏はすっかり綺麗になった店内を見渡し、満足げに頷く。クレアも是非お客様第一号になって欲しいとケルベロスに願い、一同は微笑みあった。
そして、はじめての開店時間が訪れ――穏やかな一日が幕開ける。
「折角ですからカフェオレを」
「私はショートケーキと紅茶をお願いするわ」
テラス席に座るアトラスが店員に注文し、ピアノの近くのテーブルに腰掛けるユリアも別の店員へとオーダーを告げた。昼前のカフェには少しずつではあるが一般の客も訪れ、賑わいはじめている。
響くピアノの音色はテラスにも伝わり、アトラスは湯気の立つカップを手にした。
この店の開店を知らなかった人々も彼の様子に気付き、興味深々の瞳を向けている。その光景を眺めるユリアは運ばれて来たケーキに頬を緩め、笑みを浮かべた。
「ふふふー、幸せ」
紅茶に甘い物。そして、綺麗な音色。自然と零れた言葉は心からのものだった。
そこに響くのはクレアと鞠緒の二人が連弾で奏でるピアノの音色。
上手くはないけれど、と語った鞠緒の補助を行うようにクレアが旋律を足し、美しい音楽が店内に広がっていく。
「ふふ、鞠緒さんもお上手だと思うわ」
「そんなこと……けれど、楽しんで弾くのは大好き。勿論、聴くのも」
ピアノを弾きながら話す二人は笑顔に満ちていた。その足元ではヴェクサシオンが心地よさそうに丸まり、主人が奏でる音に耳を澄ませている。
チーズケーキと紅茶を注文した真理も一般客に交じり、鞠緒達が弾く曲を聴いた。
いつか、一緒に来たい人が居る。その人と訪れる時を想像しながら、真理はあたたかな心地を感じていた。
一方、リトはメニューを眺め、この店ならではのものを希望する。
「この店のお勧めをお願いします」
「はい、それでしたらピアノチョコケーキとアートラテですね」
にこやかな店員がオーダーを厨房に告げてから、暫く。リトの前に現れたのは、なんと黒と白が配列された縦長のケーキだった。それはまるで鍵盤のようだったが、大きさが数人分はある。
「これは凄いな。一人で食べきれるのか、リト」
「何だったら私も手伝おうか?」
ダイチが思わず問いかけ、静夏も期待に満ちた瞳でリトを見つめる。交互にケーキと仲間を見遣ったリトは小さく息を吐き、どうぞ、と双眸を細めた。
静夏は笑顔で席につき、ダイチも仕方ないなとまんざらでもない様子で座る。
リトはこれも賑やかで良いと感じ、ケーキと一緒に運ばれて来たラテを見下ろした。そこにはココアパウダーで音符のマークが描かれている。
「今の皆さんの気分を表すなら、きっとこんな感じですね」
音符を崩すのが少し勿体ないと感じ、リトはそっと独り言ちた。
●音の心地
モンブランとミルクティー。チョコレートケーキに紅茶、そして珈琲。
テラス席に運ばれた注文の品の前には、ティアリスが不服そうな顔をしていた。男二人に挟まれて座るのは妙に落ち着かない。
「あのね、顔見知りの男に挟まれても嬉しくないんだけど」
「顔見知りだと嬉しくないの? じゃあ今から僕達他人になろう」
「他人って、あのなぁ。ってルディが既に他人のふりしてるー!?」
冗談を紡ぐルディに思わず突っ込む旭。それは嫌だよ、と前言を撤回したルディは男二人が並ぶよりは良かったのだと説明する。
奢りか奢りではないか。いじめか否か。じゃれあうように言い合う彼等は何だかんだで仲が良い。二人の様子に軽い溜息を吐いた後、ティアリスは小さく微笑む。
「ほら、リクエストした曲が流れて来たわよ」
奏でられるのはエルガーの愛の挨拶。流れてきた音色にティアリスが耳を澄ませれば、旭とルディも静かに音に聞き入った。
三人で過ごす日柄の良いひととき。たまにはこうして、ゆっくり過ごすのも悪くはない。
同じく、テラス席の一角。
「お前さぁ……他に行く人が見付からなかったからって俺誘う?」
「……え、エンデさ、……エンデも、その、甘い物好きだった、なぁと、思って……」
問いかけられ、落ち着かない様子で肩身が狭そうにしている柊。だが、エンデが何処か楽しそうなので来て良かったと感じていた。甘い物に香り高い紅茶。そして、柊がリクエストした月光の音色が耳に届いた。
心地良い時間が流れていくことを感じ、二人は暫し穏やかな時を過ごしてゆく。
同じ頃、ジルも隅の席でひとり珈琲を味わっていた。
「クラシックはよく知らねえけど、いい曲だな」
珈琲も美味い、と小さく零した彼はまた来ても良い店だとピアノの方に視線を向ける。
ジンも物陰で壁に背を預け、演奏を暫し聴いた。そうして、ジンは何も言わぬまま静かにその場を去っていく。
ユリアは仲間が満足したのだと感じ、淡い笑みを浮かべた。
「この世界にはまだまだ知らない音楽や、お店がたくさんあるのね」
気付けば皆がそれぞれに寛ぎ、静かで楽しい時間を過ごしているように思える。
願わくば――この素敵な店が、これからたくさんの人と良いご縁で結ばれますように。ひそかに祈った思いは鍵盤から紡がれる音に乗り、優しい心地を宿していった。
作者:犬塚ひなこ |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2015年12月15日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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