幽霊花

作者:四季乃

●Accident
 果たしてその”赤”は、本物か紛い物か。
 一体どちらであったのか分からぬほど周囲は赤く染まっていた。西に沈みゆく夕陽の色と相まって、どうにもいけない。穢れに満ちた外気が肺に溜まって、むせ返るようだった。
(「逃げなくては」)
 そう思うのに脚が震えて立つことすらままならない。
(「見つかる前に、逃げなくては」)
 両手でしっかりと口を押えて、柱の陰に身を潜める。白い割烹着はこの夕闇の中で浮き立つように見えるだろうから、裾がはみ出ぬよう身体を小さくして、なるたけ息すらしないように。
 たまたまだった。
 祖父が住職を勤める寺の厨を手伝うことが時々あった。今日がその日であった。大したものは作れないが、祖父の大好物である揚げ出し豆腐がことのほか上手く出来たので、早く食べてほしくて夕餉の支度が出来たのだとそう伝えに庭に出たところ。
 夕陽に照らされた彼岸花の庭に、ぽつんと佇む広い背中を見つけた。
 祖父かと思い声を掛けようとしたとき、右腕が水平に薙いだ。何か細長いものが陽射しを照り返し、奇妙なことにそれが刀であると理解した。間を置かずパッと花びらの如し液体が散って鈍い音が続く。
「どうせ俺ァ地獄行きだ。今さら一つ罪を重ねたところで気にするかよ」
 喉を鳴らすように嘲笑する声は低く、不思議なことに恐ろしい声音ではなかった。
 しかし。
 群生する彼岸花のただなかで一人立ち尽くす男の身体は、およそ常人とは思えぬ巨体であった。離れた場所に居ても鼻腔を突く鉄臭さは恐らく血だと思われた。
(「ああ、なんで気が付かなかったんだろう」)
 いつもは賑やかな寺から自分以外の声が失われていることに。
 血の匂いの元を理解して、少女の眦に珠のような涙が盛り上がった。

●Caution
「このお寺は参道から庭に至るまでが全て彼岸花で埋め尽くされているのです」
 さほど大きくはない寺だが、人柄の良い住職が地元の人たちに好まれていたこともあって、何かと足を運ぶ人も多くいるのだとか。
「死人花や墓花、火事花と、まぁ色々縁起の悪い名前がついてる彼岸花だが、それでもこの時期で最も賑わいをみせるくらいには親しまれているらしい」
 泉宮・千里(孤月・e12987)の言葉に、ちいさく微笑を漏らしたセリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)は、改めてケルベロスたちに向き合うと表情を引き締めた。
「そんなお寺に罪人エインヘリアルの出現が予知されました」
 皆にはこれの撃破をお願いしたい。

 過去にアスガルドで重罪を犯した凶悪犯罪者は、刀を所持した着流しの男である。
 参道から寺に侵入したエインヘリアルは、小僧たちが悲鳴を上げる間もなく一刀で殺害し、庭の手入れをしていた住職とは問答の末に斬り伏せたのち、民家のある方へ立ち去る姿があったとか。
「放置すれば更なる被害が続出したことでしょう。無抵抗のものを殺害することに特に思うことはないらしく……つまり、居ても居なくてもどうでもいい、というような考え方のようです」
「ただ目の前にわらわら群がっていたから邪魔で殺したとか、そんな理由なんだろうが……羽虫かなんかだと思ってるんだろうな」
 ならば力を持つケルベロスが現れたらどうなるか。霞のような一般人を相手にするよりは遥かに興味を抱くだろう。
「敵が堂々と参道を登ってくるならば、喜んで迎え撃ってやろうぜ」
 千里は口端を吊り上げて笑った。
 参道は石段となっており、深い森に呑まれたように木々が屹立している。その隙間を埋めるように彼岸花が群生しているのが絶景だ。階段の幅はうんと広くここで戦うのも問題はないが、登り切った先に聳えるかぶき門前もそれなりの広さがあるため、人払いすれば戦いの場としては十分だ。
「未だ尚も送り込まれる罪人エインヘリアルを野放しにはできません。どうか皆さん、よろしくお願いいたします」
「彼岸花も今が盛りだ。束の間の休息をしてくるといい」
 セリカと千里の言葉に、ケルベロスたちは大きく頷いた。


参加者
ルーチェ・ベルカント(深潭・e00804)
リコリス・セレスティア(凍月花・e03248)
ティユ・キューブ(虹星・e21021)
ノチユ・エテルニタ(夜に啼けども・e22615)
弦巻・ダリア(空之匣・e34483)
曽我・小町(大空魔少女・e35148)
ラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)
オズ・スティンソン(帰るべき場所・e86471)

■リプレイ


 石階段に這い寄る影法師を、爪先で踏みつける。
 膚を刺すような視線に頤を持ち上げた罪人は、頬に掛かる長い前髪の隙間から覗く双眸を緩めるなり歩を止めた。腰の物を引き抜く矢庭に、耳をつんざく衝撃音が夕刻の静けさを搔き乱す。
「此処から先は、死者と生者の祈りの場だ。誰にも、踏み荒らされちゃいけない」
 敵の凶刃を蹴撃で相殺したノチユ・エテルニタ(夜に啼けども・e22615)の言に、空気が漏れたような掠れが聞こえた。笑っているらしかった。
「はい残念。ここでストップよ、お兄さん」
 木々のざわめきに乗って、くるり飛翔した曽我・小町(大空魔少女・e35148)の蹴りが罪人の背面を撃つ。貫かれた衝撃によって、わずかに上体を傾けさせたものの、男は首だけで背後を振り返ると、腕を振り払い切っ先を跳ね上げた。ほぼ真後ろへと巡らされた斬撃が躯体を刻む。
 しかし。
「この先は花も人も集まる場所だ。お前が進めるのはここまでだぜ」
「もし、僕だったら。どうせ地獄行きなら、失敗を恐れず人助けをしたいと思うけどね」
 立ち塞がるように左右から姿を現したラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)とオズ・スティンソン(帰るべき場所・e86471)両名が、斬撃を食い止めた。それはちょうど弦巻・ダリア(空之匣・e34483)が前衛たちに黒鎖の魔法陣を解き放ったタイミングであった。
 ふむ、と興味深そうに敵が体勢を整えるその時、離れているにも関わらず真っ直ぐと寄越されるものに反応して、敵の刃が振り返る。
「僕も強者と対峙する方が好みだよ。愉しもう? 今、とても殺したい気分なんだ」
 翻った刃を物ともしない、それは殺気というよりもはや甘美な喜びに近かった。絶えず微笑を浮かべたままのルーチェ・ベルカント(深潭・e00804)を視認した罪人は、笑みの奥から滲み出る残忍な気配を察している。
「Sei pronto……?」
 瞬間、光が瞬くような素早さで繰り出された蹴りが刀を返す罪人の横っ面を弾き飛ばした。反動で身をわずかに静止させたその刹那を狙い、リコリス・セレスティア(凍月花・e03248)が熾炎業炎砲を放つ。
「導こう」
 炎に巻かれ、開いた片手で顔を覆い身をよろけさせた罪人を見、ティユ・キューブ(虹星・e21021)は後衛たちに向かって星の輝きをもって星図を投影し、ジャマーを担うリコリスとティユにはオズがサークリットチェインを展開すると、ラルバは己を含む前衛に過去に喰らったデウスエクス達の護りの力と、大地の御業の力、さらに自身のグラビティチェインを練り上げ、対象に強固な護りの力として付与を施した。
 攻撃体勢に入らせまいと、ペルルがシャボンのブレスを吐いて視界を遮れば、グリが死角からリングを撃ち込み追い込んでいく。
「残念ながら、この先に君の望むものは何もないよ」
 苧環とトトたちが視線にて疎通をはかり分担して回復の補強に当たるのを横目に、ダリアは口にする。
「望むものは「ここ」にある。君ももう分かっているよね」
 全身の装甲から光輝くオウガ粒子を放出、それらは中衛二人の超感覚を覚醒する呼び水となった。
「迷惑以外に言いようがないね。どうせ地獄に行くというならさっさと行っておくれ」
 援護を受けたティユはすぐさまドラゴニックハンマーを砲撃形態に変形させると、夕闇を引き裂く星の輝きの如し一発を撃ち出した。罪人は至近から地獄の炎を纏いしノチユの打撃を腹で受け止めながらも、彼を一閃にて弾き飛ばす。そうして広げた切っ先でティユの砲撃をいなしたのだ。
 しかし。
 パン、と乾いた音がしじまに跳ねる。
「全く……嫌なところを突きやがる」
 刀を持った利き腕の、その根元。まるで肩が外れたようにだらりと腕を垂らして、罪人が初めて言葉を口にした。白煙をのぼらせ突き付けた銃口、その奥で真っ赤な瞳をしならせて笑うルーチェを見止めて、罪人が喉をぐるりと鳴らす。
 罪人は肉に食い込んだ弾丸を指先でほじくり放り捨てた。まるで靴に入った石ころのように呆気ない仕草で、痛みなど感じぬように。なるほど、と思う。
(「あの方にとっては取るに足らない罪だとしても、それは今を生きる、罪無き人々の命……必ず、守ります」)
 きっと、人を殺す時もあのように気にもとめた風もないのだろう。リコリスは悲哀の色を湛えた瞳をわずかに震わせたものの、自分たちの背中には無辜の命が隠れているのだと思いなおし、白き五指をきつく握りしめる。
 そうして放たれた禁縄禁縛呪。半透明の御業に真横から鷲掴みにされた罪人は、少し興味深そうに瞠目してみせたが、彼の振り払った斬撃が御業ごと前衛たちを等しく掻く。
 真正面から迫っていたラルバは、その軌道を確実に読み的確に捌きつつも一撃を繰り出した。急所のひとつ壇中を攻められ、苦し気な呼気が口端から漏れる。寸の間、前のめりによろけたが、しかし罪人は怯まない。
「見た目はお侍様だかなんだかっぽいけど、つまるところ、でっかい無敵の人ってやつかしらね」
 一段も登らせまいと、高々と掲げたガネーシャパズルより竜を象った稲妻を呼び起こす小町は、咆哮にも似た轟きに伴う風にたっぷりとした髪を揺蕩わせ、不敵に笑う。
「こうやって出てきた以上、地獄行き、手伝ったげるわ」
 罪人は刀から駆け上ってくる稲妻に双眸をしならせると、パッと五指を開いた。火花を散らす稲妻が天に向かって迸る。だが竜は決して見誤らない。罪人の躯体を這うように昇って解き放たれた衝撃を確実なものとしたのだ。敵は散りゆく光に思案を覗かせたが、意識を向けなくてはならない相手は沢山いる。
 間合いを取るように刀身を払えば、大きな蛇の下肢がくゆりとうねる。オズは身を引くような仕草をしてみせたが、積極的に前に出るノチユへと光盾を授けながらも、その身を呈することをかかさない。仲間を庇い、苛烈な斬撃を喰らってもトトの清浄なる羽ばたきが都度参道を巡り、癒しとなる。
 オズはバネのように巧みに尾を巻いて翻ったが、敵の足元をちょいと引っ掛けてやると、あちらこちらへ注視せねばならぬ罪人が少しばかりよろけてみせた。
「”足”が長くてごめんね?」
「”尻尾”の間違いだろう」
 笑って、罪人は両手で刀を振り上げた。真っ直ぐと狙うはオズの下肢、両断せしめんとする気迫にさしものケルベロスも焦りを見せた。真っ先に身をねじ込むようにしてラルバが壁になると、彼の肩口に刀身が深くめり込んだ。
「くっ……さすがに、重いな」
 下から突き上げるように如意棒で刀を弾いたラルバへと、すぐさま苧環の祈りが灯る。内から温められるようなやさしさが皮膚を這い、思わず吐息する。ペルルとグリは逡巡したものの、快活な笑みを見せた彼の姿に安堵を見せ、敵の意表を突く素早さでグリのリングが罪人の目を潰す。さすがに眼球を攻撃されるのは慣れていなかったのだろう、頭を垂れるように俯いた頸裏に今度はペルルがタックルすると、不安定な階段で立ち回る巨体が僅かに足を踏み外したことに、気が付いた。
「罪の意識を、とっくの昔に無くしてるんだろ。地獄行きがわかっているなら必ず此処で墜としてやる」
 皮膚に吐息が掛かりそうなほど至近から聞こえた言葉に、反射的に刃を振るった。しかしそれは軽々と跳ね返され、寄越されたのは呼気すら止めるほど強烈な石火の蹴り。胸を真っ直ぐと蹴り抜かれた罪人は、後ろに倒れる間際、星屑のように揺らめく漆黒の髪をなびかせたノチユを見た。
「冥府の案内なら、任せろよ」
 冷めた視線に見下ろされても尚、罪人の気性は落ち着いている。
 男の足が階段を蹴った。力強いその蹴りの反動で、巨体がバク転するようにくるりと元の体勢に整う。少しばかり石段をえぐらせて着地し、上体を低く構える仕草に、余力を見る。彼岸に咲く赤の群れがノチユの眼の端をよぎった。
(「血飛沫が舞うより、ずっといいのにな――花が散るのは、見たくない」)
 そんな思いが腹の底を燻っている。
 リコリスが禁縄禁縛呪にて敵の巨体を背後から押さえつけると、ティユが星の輝きをジグザグに走らせる。着流しから覗く胸部や四肢に無数の殺傷を描くそれは、まるで星座盤のようにも見えた。
(「罪を認識しているあたり、僕よりよっぽどマトモと言うか、なんと言うか……エインヘリアルに共感する所が多いって、大概だよねぇ……」)
 胸の内でこぼれる吐息は感嘆か諦念か。ルーチェは高々と振り上げた光り輝く呪力を帯びる斧で、自身の思案ごと敵の肉を断ち切った。頬に、生温かな雫が触れる。軽く曲げた第二関節で血を拭ったルーチェは、微笑んだ。
「血の色は一緒なんだねぇ」
「ほう、見せてみろ」
 言うなり、銀が奔る。刀身に引っ掛かれるより身を翻す方が速い。盾役たちの足腰もまだしっかりとしている。そう容易く味方を凶刃に伏すケルベロスたちではない。
 颯爽とした身のこなし、暮れていく落陽に夜の訪れを知る。
 まるで、そう。命の帳が下りるかのようで。
(「深い森はまるで水底のよう。登って来る大きな姿は、泉から引き上げてられてきたようにも見える」)
 伸びるケルベロスの影法師をゆっくりと踏み締めて、唇に淡い笑みを刷くエインヘリアルを見ていると、ダリアはふと、そんなことを思った。吹き抜ける冷涼な風に現実を見る。ちいさくかぶりを振ったダリアは、先陣を切る味方たちを支えるべく、唇を開いた。
「ふるえ重なれ祝福よ 響き増して彼の者を包め」
 深海より召喚される数多の祝福。それはやがてひとつの光となる。
 頭上からの叩き潰しとも思える苛烈な一振りを庇い受けたトトを、ダリアの泡沫共振によるヒールが包み込む。トトは眩い両翼を拡げると礼を口にするように一陣の羽ばたきを起こした。
「日も暮れてきたし、そろそろお開きにしましょうか」
 空中を翻り夕空を駆ける小町とグリは互いに視線を絡ませ頷きあった。
 次瞬。
「この手に宿れ、生命の光!」
 天に突き上げた拳に光の粒子が集中する。輝く鉄拳、敵に向かって撃ち出されるは――。
「――グリッター……グラインドッ!」
 回転を生む疑似ロケットパンチ。繰り出された烈光の拳撃を視認して、罪人は両手で刀を構え、真っ向から叩き切ろうとした。が、いざ振り下ろすその間際になって、込めた力が膝から抜ける感覚を覚えた。ハッ、と短く息を呑んで視線のみを落とすと、いつの間に掻い潜ったのか、足元に潜り込んだグリが軸足の膝裏を輝かしいリングにて殴打したことに、気が付いた。衝撃は少なかった。しかし、確実に腱を撃ち抜いたその的確さが、巨体の膂力を僅かに乱したのだ。
「この……ッ」
 思わず片足を跳ねのけてグリを蹴飛ばしたものの、小町の鉄槌は止まらない。鼻っ面をへし折る気概で叩き込まれた一発は想像以上によく効いた。僅かに生んだ隙が最後の命取りであると、おそらく気付いている。
 だからこそ。
「ここに来る人達は、ここの花や人が好きで集まるって聞いたんだ。そんな場所を、集まるみんなの喜ぶ顔を好き勝手に壊させるかよ」
 振り被られたラルバの超鋼金属が腹を突く。くの字に折れ曲がった身体が、宙に投げ出された。まずい、と思い罪人も咄嗟に刀を突いて踏みとどまろうとしたが、毒のオーラをまとった大蛇の尾が容赦なく、激しく罪人の躯体を打ち据えた。
「よし、ペルル行っておいで」
「さ、苧環も」
 許可を得たペルルと苧環は地を蹴った。空中で身動きの取れぬ罪人の胸に着地すると、顔面にシャボンを吹きかけ目を潰すペルルの横で、爪を非物質化した苧環が霊魂を切り裂いた。五指が開かれた。刀が甲高い音を立てて階段を跳ねる。
 ――落ちる。落ちていく。
「ようこそ」
「地獄が待ってるぞ」
 真っ赤に濡れた視界で待ち伏せる。白と黒の両極端が手を伸ばす。生命を断ち切る刻印の右手に心臓を抉り取られ、残滓すら許されず狙い研ぎ澄まされた一撃が冥府への標。ルーチェとノチユに開かれた地獄の門が、罪人をぱくりと呑み込んだ。


「君が泉に居た事があったのか、僕は知らないけれど。これでもう誰も君を利用する者はないよ」
 おやすみ。
 ダリアは、罪人エインヘリアルが塵となって消えていった空を仰ぐ。
「わざわざここに来たのは、あいつも土産の一つも欲しかったのかね」
 風にそよぐ彼岸花に鼻先を近付けるペルルを横目に、ティユは頬杖を突いたままそんなことを零した。彼岸花に囲まれて住職と問答したのは、彼にとってどういう価値があったのか、もう今となっては分からないけれど。
「お師匠様のお墓とかにあるのを見た事あるけど、不思議な花だよな、彼岸花。葉っぱもないし、花の形も変わってるっつーかさ……あんま良く言われないっていうけど、オレは嫌いじゃないぞ。花の赤、キレイな色だと思うしな」
「どこか哀愁を思わせる花だよね。だからかな、黄昏の夕陽に照らされて一層赤が映えるような気がするのは」
 縁側に腰掛けたラルバとオズの会話に耳を傾けていたノチユは、瞬きをした拍子に眼裏に残る女性の横顔を見つけた。赤が鮮やかすぎたからだろうか、ふいに、逢いたくなった。彼岸花によく似た、淡い薄紅を身に着けたあの人を想う。
 あの罪人にも、逢いたい人は居たのだろうか。
 思案したとき、どこからかが微かに聞こえてくる小町の歌声に気が付いた。被害は最小限に抑えられたが、参道の補修をしてくれているのだろう。けれどそれは弔いの歌にも聞こえるような気がして。
(「そういえば、彼岸花を斬る真似はしなかったな」)
 静かな歌声を耳にしていると、なぜだかそんなことを思い出していた。

 揺れる赤をぼんやりと眺めている。
 リコリスは無限の彼岸花に母の面影を重ねて見た。脳裏をよぎるのは己のこと。
(「生まれた事も、母と共に死ななかった事も、決して私の罪ではないと、あの人は言ってくれたのに」)
 己が無知であったが為に、デウスエクスを助けて”あの人”も自分達を受け入れてくれた村の人達も死なせてしまった。母の一族の習慣で髪の花の名を付けられた通り。
(「悲しい想い出ばかり積み重なるのは、なんという皮肉」)
 ――けれど。
「想うのはあなた一人」
 せめて、そのように生きられるように。
 リコリスはそっと、胸を押さえて幼子のようにちいさく背中を丸めて蹲った。

 ひとり庭を散策していたルーチェは、お堂から聞こえてくる楽し気な声に耳を欹てた。夕風に乗って鼻先を掠めるのはダシの香りだろうか。やさしくて、あたたかな匂い。
「ああ、住職は無事に孫娘の夕餉にありつけたようだね」
 指先でいたずらに彼岸花をなぞり、ルーチェは双眸をやわらげる。
(「悲哀に目が生きがちな花言葉だけれど、結局は乗り越える強さが本質の花、なのかな」)
 ――また会う日を楽しみに。
 彼岸を過ぎた秋の夕暮れに、たおやかな囁きがとろけて消えた。

作者:四季乃 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年10月8日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。