夢の果て

作者:朱凪

●水底の夢
 姉弟子が崖の向こうに消えた日のことを、忘れたことはなかった。
 そしておよそ1年前に、その姉弟子と瓜二つの螺旋忍軍がまた同じ消え方をしたことも。
「……」
 そっと静かに首許のチョーカーに触れる。変わらぬ手触り。
 無駄だろうとは思いつつ、グレイン・シュリーフェン(森狼・e02868)は水際を歩いた。
 特に日々をそうして過ごしているわけではない。ただ、かつて彼女と共に駆け抜けた森に似た場所を見つけて、つい足を踏み入れた。
 木々。夏の緑の濃い匂い。耳を擽る水の音。小川を辿り森の奥へと歩みを進める。
 崖を見上げる場所に辿り着いて、グレインは小さく尾を揺らした。こんな川辺でかき氷を食べたのは随分前のことなのに、未だ鮮やかに記憶に残る。
 ふ、と口角を緩めたその時。
 ぴり──と気配が張り詰めた。毛が逆立つと共に素早く左の浅瀬へ片手をついて身を回転させて距離を取る。それと同時に彼の居た場所へと斬撃が閃いた。
「! あんたは……」
 ばしゃりと散らした水滴の向こう側。佇む姿は見間違うはずもない。
 蔦草の巻いた鞘に長い鐵を納刀し、欠けた黒い狐面から蒼穹色の瞳がひたとグレインの姿を見据える。
「……何故あんたが“ここ”に居る」
 敢えてかつても問い掛けた質問を重ねてみても、女は──螺旋忍軍は応じない。
「また、探し物か?」
 グレインが引き攣るように口角を上げて見せると、螺旋忍者・アガタの眦が微か和らいだように見えた。
「──そう、かもしれないな」

●夢の果て
「行こうハガネ! Dear達も、乗ってください」
 ヘリポートに駆け付けるなり、暮洲・チロル(夢翠のヘリオライダー・en0126)は操縦席に飛び乗る。説明は向かいながら行いますと告げたなら、応じるケルベロス達もヘリオンへと乗り込んだ。
 予知の内容は事前に伝えた通り、グレイン・シュリーフェンの身に危機が迫っている、ということだ。
「昨年の、月の鍵を探していた螺旋忍軍と同一かどうかは、正直、俺には判りません。例えそうだとしても、『暗夜の宝石』攻略戦においてマスター・ビーストを討伐した今、残党である彼女になんの目的があるのか……おそらく、口を割ることはないでしょう」
 それよりも、とチロルは宵色の三白眼を曇らせる。指先がそっと翠蝶に触れる。
「グレイン君と敵の間には因縁がある……のでしょう。その真偽は彼らにしか判りませんがもしそうだとするならば。……どうか、彼の背を支えてあげてくれませんか」
 俺では、共に戦うことはできませんから。
 僅か俯いてそう告げたあと、「……いいえ」彼は小さく首を振った。
「俺とハガネもできる限りの支援をします。──ヘリオンデバイスを使用できるようにしておきますので、必要であれば使ってください」
 ただ、今回は純粋な戦闘になるだろう。特に配下も連れておらず、アガタはひとりだ。
「では、目的輸送地、崖の傍ら。以上。……掴まっててください、飛ばしますよ」
 そう告げたところでヘリオンは更に速度を上げた。


参加者
水無月・鬼人(重力の鬼・e00414)
シル・ウィンディア(鳳翼の精霊姫・e00695)
ジョーイ・ガーシュイン(初対面以上知人未満の間柄・e00706)
伏見・万(万獣の檻・e02075)
ベーゼ・ベルレ(ツギハギ・e05609)
楪・熾月(想柩・e17223)
ラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)

■リプレイ

●水際の邂逅
 ぱたり、ぱたり。
 滴る雫に構わず、グレイン・シュリーフェン(森狼・e02868)はその姿を見据えた。

 私を求め、そして私を『暗夜の宝石』から解き放つ! それこそが、私がウェアライダー全てに与えた使命!

 『暗夜の宝石』攻略戦にてマスター・ビーストが言い放った台詞。螺旋忍軍に身を置き月の鍵を探していたウェアライダー達の行動理念はそこに知ることができる。
 そして──ならばもはや彼女が、アガタが螺旋忍軍に属し続ける理由は、ないのではないだろうか。
「……あんたがもし、本当に俺の姉弟子なら。──戻ってくる気は、ないのか」
 静かに告げた台詞に、女の左目が細められた。
 返答の代わりに投げられたのは、十字の刃。「ッ!」すんでのところで躱したグレインの頬を掠めたそれは、一筋の紅を刻んだ。
「……そうか」
 小さな嘆息をひとつ。その回答はおそらく、知っていた。
 相容れぬ深い溝に、けれど彼女の首に同じく存在し続ける『師』の教えを受けた証であるチョーカーに、渦巻く想いをすべて腹の底へと押し沈め、彼は蒼穹色の瞳へ力を籠めた。
「それなら、ここで終わりにするぜ」
 決意と訣別の言葉と共に、頭上から叩き付けたのはダウンウォッシュ。
 それを意識するが速いか、三角の耳を震わせた声。
「グレイン!」
「見つけたぜェっとォ!」
 がしゃん! と音を立てて彼と彼女の間に降り立ち塞がったのは樽型のミミック。同時に音速の礫がアガタへと吸い込まれるように飛んだが彼女は舞うが如き動作で長刀を抜きそれを断ち割った。
 転がった胡桃に、「へぇ、面白ぇじゃねぇか!」彼の傍へ立ったジョーイ・ガーシュイン(初対面以上知人未満の間柄・e00706)はニィと口角を吊り上げた。
 ──『無事のご帰還を』!
 聴こえた気がした声を見上げた空に、ヘリオンの姿はない。しかし望む者には備わるヘリオンデバイスに、そこに確かに在るのが判る。
「──よォ」
 ざりと水際の砂利をにじり、顎を上げて伏見・万(万獣の檻・e02075)が声を掛ける先はアガタ。彼にとってもそれは見覚えのある黒狐面。
「どっかで見たツラだな。知らねェとこでくたばってンじゃなくて安心したぜ、喰い残し」
 こんじきの瞳が獲物を捉える。「、」なにかを言おうと彼女の口が開いたとき、幾多の獣の幻影がアガタへと襲い掛かった。鋭い牙が引き裂き鮮血が水際に散る。
 相手が憶えていようがいまいが関係ない。万の視野に入れるのはグレインと『喰い』切ることのできなかった、否、彼に『喰い』切らせることのできなかった敵だ。
 ──これは俺の意地だ。
「宿縁かぁ」
 身軽に浅瀬に着地したシル・ウィンディア(鳳翼の精霊姫・e00695)は脳裏に黒衣の女の姿を描く。乗り越えた。そっと左手のリングを撫で、それでもちくりと痛む記憶はけれど、彼女にとってかけがえのない思い出だ。
 ──忘れられない人との宿縁は、わたしも紡いだことがある……だからこそ。
 シルの選ぶ道はただひとつ。
 ──全力で想いをぶつける手助けをするだけっ!
「星座の煌めきよ、その加護をみんなに……!」
 力強く、それでいて軽やかに地に描いた守護星座から光が迸り、敵と近い距離に布陣した仲間達を包み込む。
 光の中で、水無月・鬼人(重力の鬼・e00414)はちらとグレインの頬に走った傷が消えていくのを確認しつつ、すらりと業物を抜いた。
「同じような場所で、三度の別れ、か」
 運命ってのは、余程、捻くれていやがるみたいだな。
 ぽつりと零し、一歩。小石を蹴る音が耳に届くときには、アガタの左肩から胸に掛けてが突如裂けた。血華が咲く。無拍子──不可避の斬撃に、面の向こうの蒼穹の左目が大きく見開いた。
「人生ってのはよ、ままならねぇ、もんだな」
 思わずたたらを踏むアガタへと深い緑の鉱石の耀きが流星の如く墜撃した。ばさり、重い音を立てて一度羽搏いた緑──ラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)は中空で一回転する眼下にグレインの姿を見遣る。
 彼とは依頼や祭りに共に足を運んだ程度の『ちょっと』の関わりしかないけれど。
 例え『ちょっと』であろうと、紡いだ縁は大切なものだ。
「グレイン! おせっかいでも手を貸すぜ」
 その声音に、どこか安堵したように微か口許を緩めて視線を合わせたグレインへ寄り添い立つのは楪・熾月(想柩・e17223)とロティ。
 その背に掌を添えて、振り向こうとしたグレインを押し留め、彼は言う。
「今度は俺とロティが君の力になるよ。どうか──前だけを見て、悔いのないように」
 己と宿縁の邂逅は、憎き憎き存在とのそれだった。怒りに任せた戦いの背を支えてくれたのは彼だったから。
 その恩を、むすびめの君へ返す。また新しい縁を君と結べるよう力を尽くす。
 熾月の意思が温かい掌から伝わるのに、「ああ」グレインは応じて踏み締める足へと力を籠めた。
 そんな彼へ、ベーゼ・ベルレ(ツギハギ・e05609)は毛むくじゃらの拳を差し出した。
(チロル! 伝言! あったら伝えるっす!)
 降下直前のやりとりが思い浮かぶ。共に戦えないと彼は言ったけれど。きっと心は一緒に戦えるからとベーゼが伝えた言葉。
「迎えに来たっすよう、皆で!」
 首を捻りつつ差し出したグレインの掌に落ちたのは、翠蝶のネックレス。蒼穹の瞳を丸くした彼に、ベーゼはにっこり笑った。
「『絶対返してくださいね』、だそうっす」
 彼の傍でユノ・ハーヴィスト(宵燈・en0173)が肯くのを見て、グレインはもう一度空を見た。そして笑う。
「──……誓い、だからな」
 集まってくれた仲間達の姿に心強さを覚える。受け取った翠蝶を首に掛けて彼は僅か瞼を伏せた。
 ──あの時、自分にどこか躊躇いがあったのかもしれない。
 また繰り返しはしない。終わらせる。その想いがいっそう燃える。
 届けとばかりに地を蹴り空へと駆け上がったなら、風切り急降下する軌跡を虹が追った。
 鋭い蹴撃を受けて身体を折ったアガタの左目が、ただ彼だけを睨みつけた。

●甘受
 あーあ、と軽く息を吐いてジョーイは首を曲げた。ごき、と景気のいい音がする。
「この前の戦争以来暴れてなかったから身体鈍ってんなァ……」
 『魅剣働衡』を抜いて見据えるのは同じく長い鋼を手にした狐面の女。身のこなしは軽く相手に不足はない。
「ここいらで身体慣らしとくか。相手してくれよ、なァ?」
 踏み込む足は派手に水を散らし、放つ斬撃は月の輪郭をなぞって水面を割り、避けようとしたアガタの身をも裂いた。
 散らされ壁を成した雫が水面に戻ると、水壁の蔭に長大なライフルを担ぐ万の姿。銃口はひたりとアガタに狙いを定めている。
「いい隠れ蓑だったぜ、ガーシュイン」
 口角を吊り上げる。眩い光線が一閃して、彼女の身体は声もなく水の上を吹き飛んだ。
「ッ!」
 何度か水面を跳ねた彼女は身を捻り、着地よりも先に幾多の十字の刃を放った。刃は一列の筋となって前列の仲間達を斬り裂いていく。「っ、」水際に散る幾多の赤に、自らの傷よりも仲間へと視線を巡らせるグレインに、
「大丈夫」
 力強い言葉が届く。熾月はユノへと目配せをひとつ。くるると彼がぴよ──否、『月翼の雛鳥』を回転させ、ユノが光の翼を羽搏いたなら、薬液の雨が仲間へと降り注ぎ傷を癒していった。
 集中する彼に代わって万がグレインの背を強く叩く。
「こっちは気にすンな、思いっきり動け」
 軽く目を見張ったグレインは、少し笑う。──ひとりではない。その事実が心を軽くする気がした。だから見据える先はひとつ。輝く指輪から盾を生み出しながら問う。
「……やっぱりあんたなんだな、アガタ」
 明確な答えは常にはぐらかされ続けてきたが、森の中で共に研鑚を積んだ身として彼女の攻撃を、動作を、仕種を、憶えていた。
 ──姉弟子。
 彼の独白にも似た声に眉根を寄せたのはラルバだ。彼と初めて逢ったのは金糸雀色の翼を持つ少女の救出に向かった依頼だった。
「……そういやあの時、グレインも何か見てたっぽいよな。その時見たのも、目の前の相手なのか?」
「ああ──そんなことも、あったな……」
 ラルバの問いに、微かに耳を震わせてグレインは口許を歪めた。『また届かなかった』、その思いを再び味わうことは、もうないだろう。それがどんな、形であれ。
 気遣わしげにやや力なく垂れるラルバの尾に、彼は肯いてみせる。
「大丈夫だ。デウスエクスなら倒すだけ。ただ籠められた意思を受け止めたいってのは俺の我侭だからな」
「わ、我侭じゃねえよ!」
 咄嗟に返し、一度ラルバは息を呑む。親しかった相手と戦うというのは、どれだけつらいことだろうか。もしも師が、なんて思うだけで胸が締め付けられる。……でも。
「……負けるなよ、グレイン。みんなついてるからな」
 刹那の踏み込み。瞬息の間に距離を殺して繰り出す指先は、アガタが防御のために構えた刀ごと彼女の身を弾き飛ばした。
 非物質化したロティの爪がアガタの胸を貫いて、瞬時止まった足の隙をついて、ベーゼは吼える。
「きみがマスター・ビーストに従ってたのなら。もう戦う理由なんて、ないじゃないっすか……何で、何で戦わなくちゃならないんすか……!」
「フ」
 ベーゼの声に、アガタが小さく声を零した。蒼穹の左目がベーゼではなく、あくまでグレインを見つめ続けるのは、精神を蝕む怒りの所為だろうか。それとも。
 届かない。あるいは、揺らがない。それを痛感してベーゼは拳を握った。力になりたい。
 ──今度はおれ達の番だから。
 彼もグレインに背を押された者のひとりだ。そのたなごころの力強さを、知っている。
「……グレインなら全部ぜんぶ、受け止めきれるから」
 おれにも背中、支えさせてほしいっす。
 静かな決意と共に放った盾に、応じる声がある。
「ああ、……頼んだ」

 鞘鳴りはかそけく。
 ロティへと繰り出された蔦巻く刀の白刃はロティのカタチ無き身を裂く。奪い去られる気力に、素早く熾月が癒しを与える傍ら、ジョーイが鋭く舌打ちした。
「それが回復手段か、クッソ面倒くせェ……、」
 爆発的にオーラが膨れ上がり、ジョーイは緩やかにさえ見える動作で刀を上段に構え、
「なァッ!」
 振り下ろす。
 その渾身の斬撃はアガタの身を袈裟に斬り、深く深い傷から空へ鮮血が舞った。
 ふらりと体勢を崩した彼女の背後へ「おっと」鬼人がジェットパック・デバイスの機動力で回り込み雷光の疾さで繰り出す刃が、アガタが水の中に倒れ込むのを防ぐ。
 姉弟子とやらが、宿縁の主にとってどんな存在かは判らないが。
 ──なんか、縁起が悪い、そう思うからよ。
 鬼人の狙いを受けて、シルも大きな瞳に力を籠めた。
「動き、止めさせてもらうからね」
 ここならたくさんの力を借りられそう。一瞥した周囲は青々とした木々が茂る。アガタへと差し向けた指先に、ぽぅと碧い光が収束し、膨張する。
「──世界樹よ、わが手に集いて力となり、束縛の弾丸となり、撃ち抜けっ!!」
 一条の光は軌跡も残さず敵を穿ち──傷を起点として生え伸びた幾多の魔力の蔦が、敵の身体を縛めた。
「……フ、ははっ!」
「っ?」
 初めて声を上げて、アガタが笑う。シルの縛めを受けて鈍る腕で、それでも螺旋忍軍の女は小石を四方に散らすほど鋭く踏み込んだ。
「ぐッ──!」
 咄嗟に星辰の力を宿す刀で受け止めたグレインと鍔迫り合いになる。
 至近距離でかち合うふたつの蒼穹。
「ッ……、……っ?」
 初めてしっかりと覗き込んだ『敵』の瞳に在った感情。それは、『怒り』ではなかった。戸惑いに緩んだ間隙を衝いて、アガタの刃がグレインを貫いた。
 ──ああそうか、あんた、
 仲間の声と癒しの力を感じながら、グレインはアガタから目を離せないでいる。

 ──……そうだったんだな。

●狐面の向こう側
 経過した時間は数分。シルの献身的な阻害攻撃が実を結び、アガタは手足すら思うように動かすこともできなくなっていた。
 それでも消えぬ闘志にラルバは右腕にグラビティ・チェインを縒り集めた。
「目の前の敵が誰であっても、仲間を倒れさせるわけにはいかねえ……!」
 練り上げて形作ったのが狼の咢だったのは、彼の敬意だったのかもしれない。疾風狼牙。放たれた牙は敵を喰らい、憂いのない最期へ向けて助力する。
「ぴよ、おまえもグレインに恩返しをしておいで」
 雛鳥の姿へと戻ったファミリアが気合い充分に突撃するのを熾月も見送る。
「なぁおい。そろそろ、終わりにしてもいいだろ?」
 素早い突進が狐面に直撃するその視界が塞がった瞬間を踏み抜いて、鬼人が刃を振るう。弾ける鮮血の勢いも、もはや弱い。
 流れる水に洗い流されて周囲にその痕はほとんど残っていないが、かなりの血を流したのだろうと察することは容易かった。鬼人とアガタの動きを読んで女の身が傾くであろう方向に回り込んだ万はその目を眇めて、振り抜く脚を面の直前で引き戻した。
「シュリーフェン!」
 そのひと言で、「ッとォ、」ジョーイもすんでのところで腕を止めた。全員の共通認識。
 ぱしゃ、と狐面が水に落ちた。
「……ほらよ、きっちり喰い切ってやるンだな」
 じゃりと身を翻して万がグレインの肩へ手を置いて、それからひらりそれを振る。
 鬼人は隙なく身構えつつも黙して終焉を見守り、ラルバもどこか祈るような気持ちが湧き上がるのを鎮めて静かに拳を握った。
 ──……大事な事なら、きっちり決めないとな。
 その想いは、シルも同じだ。そうっと握り締めたパズルから生み出された光の蝶が舞い、グレインへと祈りを贈る。
 ──……決着をつける、その力になりますように。
 浅瀬に膝をつく姿へ近付くグレインの後ろ姿を熾月は見る。いつだって頼もしく進むその背に、迷いは見えない。
 ──僕はその背中を支えてゆく。
「終いを渡すのはグレイン、君だよ」
「言いたいコトとか気持ちとか、そういうの、全部伝えられるように!」
 君の決着のために。
 熾月とベーゼから届く、ルナティックヒール。それは満月に似たエネルギー。
 もうマスター・ビーストは居ないと言うのに、昂ぶる魂にグレインは苦笑する。彼自身は狂月病の罹患者ではない。けれどこの衝動に突き動かされ正気を失っていたのだとすれば、それはどれだけの痛苦であったろうか。
 そう察することはできても、ただひとつ歯噛みすることがある。我知らず剣を持たぬ左手が己のチョーカーをなぞる。
「……こうなる前に、俺にあんたを手助けできることは、なかったのか」
 なぜ、黙って。
 なぜ、ひとりで。
「フ。言えるものか。目上には格好つけさせるものだ」
 項垂れるアガタの声は、死が近いとは思えぬほど明瞭だった。幾多の過去のやりとりが脳裏に蘇り、グレインは奥歯を噛み締めた。
「……探しものは、見つかったのか」
 答え合わせの心持ちで問うた彼に、顔を上げた女はひたと視線を合わせて、笑った。
「ああ。……私は、『狐』だからな」
「──そうか」
 歪みそうになる眦を意思の力で抑え込む。その答えも、既に知っていた。

「……この一撃は、あんたへの餞だ」

 これまでの修行と経験で培った力を剣に宿す。大自然の恩恵、降魔の力、螺旋の運動。
 全てを含めて命を咬み切り断ち斬る森螺の牙──フォレストファング。
 あまりにも静かに穏やかに、終焉は訪れた。

 狐死して丘に首す。狐は死の間際、生まれ育った丘を振り返ると言われる。
 至近距離で覗いた蒼穹にあったいろは『怒り』ではなく、『安堵』だった。
 もう『戻る』ことはできないと理解していたアガタは、探していたのだろう。故郷たる森と、その象徴である『弟』を。
 つまりは、死に場所を。
「ゆっくり眠ってくれ、……ねえさん」

●果て
「さァて、と。終わったことだし先に帰るわ。じゃあな」
 螺旋忍者の亡骸が崩れ落ちて塵と消えたのを確認したところでジョーイがあっさりとそう告げて手を振り帰路へと着く。「やっぱ鈍ってんなァオイ」とぼやきながらも、
 ──久々に戦った割にはそこそこ動けてたんじゃあねーの?
 及第点、及第点。なんて。肩を回しつつ遠ざかっていく背中はどこか満足気だ。
「……おつかれさま」
 終りだと、終ったのだと伝えるべく音を紡いだ熾月その肩のぴよ、そして駆け寄って来たロティに、順に拳を合わせる仕種をしてグレインは肯いた。
「ああ。ありがとうな、……みんな」
「おう。いい喰いっぷりだったぜ。あいつも満足だろ」
 万が首を傾げ肩を竦めて見せる。
 胸に下げたカリンのロザリオに手を添えて、無事の終りを思い愛しいひとと並ぶことができる幸福を想い、鬼人は軽く睫毛を伏せた。
 此度の戦いには思うところも多かったのだろう、ベーゼもグレインの服の裾を掴むユノへとぽつり、零す。
「……ユノ。おれも、おれを見失わない」
 恐れない、自分を。それは先日の戦いで彼女に問うた、己の答えだ。
「だから、見ててほしいんだ」
 瞬いたペリドットは、それでもひたと彼を見つめる。
「……うん」
 短い言葉ではあったけれど。そこに宿る強い意志に、グレインも彼らの様子を微笑ましく眺める。
「終わったら無事に帰らなきゃ、だぞ。待ってる人もいるからな」
 ラルバの言葉に、そうですよ、とシルもめいっぱいに肯くから。慮る視線の熾月に笑って見せて、グレインはただまっすぐに前を向いた。
「ああ。帰ろう」

作者:朱凪 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年8月30日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 4
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