王者の星

作者:藍鳶カナン

●森の女神
 ――パパ、ママ、どうしよう! レグルスがいなくなっちゃった!!
 ――レグルスがあたしを置いていなくなるわけないもん! もしかしたら、『あいつ』が攫っていったのかも! パパ、ママ、助けて!! レグルスが殺されちゃうよう……!!
 星空が美しい岩の大地に、街中の自宅でそう泣き叫んでいるだろう少女の声は届かない。
 だが、今頃あの愛らしい少女は泣きじゃくっているに違いないと想像した男は嬉々として満身創痍のジャーマンシェパードに金属バットを振り下ろした。その拍子にカードケースを落としたことにも気づかぬまま、何度も、何度も。
「あんときゃよくも俺のお楽しみを邪魔してくれたな! もう邪魔はさせねぇからな!!」
 愛らしい少女を邪な欲望のままに連れ去ろうとしたあの日、鎖を引きちぎって庭から跳び出してきたこの犬、少女がレグルスと呼ぶシェパードに撃退された男は、少女の一家が家を空けたこの日、薬で朦朧とさせた犬を拉致してきたのだ。わざわざ人里離れた荒野に運んで存分に痛めつけようというあたりにも男の性質が窺えた。
 六、七歳くらいの少女だった。七、八歳くらいの犬に見えた。
 兄妹みたいに育ったのか。だからそんなに絆が強いのか。
 恨み言とともにひとしきり金属バットを打ちつけた男は、そこでくたばっちまえ、と吐き捨て立ち去った。離れたところに停めた車でそのままこの地を離れるのだろう。死に瀕したシェパード――レグルスは、最後の力を振り絞ってぴんと耳を立てた。去りゆく男の足音を脳裏に刻むように。
 あるいは、遠くで泣いているだろう少女の声を聴こうとするかのように。
 なれど、やがて時間の感覚も意識も薄れてきた頃にレグルスが聴いたのは、男の足音でも少女の声でもなく、岩地に響くひづめの音。
 現れたのは、美しい白鹿だった。
 神々しいほどの威容。角に咲く花や尾の代わりに揺れる蔓がその種族を示す。
 攻性植物だ。『森の女神』と呼ばれる、力ある存在。
『可哀想に……さあ、これをお呑みなさい。これは、あなたに不死の命を齎すもの』
 森の女神がレグルスの鼻先に何かの種と見えるものを寄せた。嘘ではないと感じたのか、藁にも縋る思いでか、不思議な気配を湛えたそれを舌で掬い、呑み込んだなら、彼は瀕死の淵から解き放たれる。
 外観の変化は、首輪の傍に咲いた夏椿――沙羅の花、一輪。
 だがそれだけで、見る者が見ればレグルスが攻性植物と化したことが解るはずだ。
 活力が漲る感覚に身を震わせて立ち上がり、彼は男が落としていったカードケースへ鼻を寄せた。匂いを脳裏に刻み込むような姿に、森の女神の瞳がいっそうの憐憫を燈す。
『復讐は何も生みません。人間のいない場所で、人間の事は忘れて、暮らしましょう』
 然れど、レグルスは。
 森の女神への感謝と、その導きへの拒否、双方をこめた遠吠えひとつを残し、男を追って駆けだした。悲しみを湛えた瞳で彼を見送った森の女神も、遠吠えの余韻が消えるとともに星空のもとから姿を消した。

●王者の星
 獅子座の一等星、レグルス。
 小さな王、あるいは王そのものを意味する星の名を少女の一家に与えられたシェパードは攻性植物と化し、最早もとには戻れない。
「少女の略取未遂については当然警察が捜査してるし、今回の予知のことも連絡済み。男が落としていったカードケースについてもね。男には必ず警察が然るべき対処をしてくれる。だからあなた達には、あなた達にしかできないことを」
 ――攻性植物になってしまった、レグルスの撃破を、お願いする。
 苦渋を呑みくだし、天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)はケルベロス達にそう告げた。ユグドラシル・ウォーで姿を消したデウスエクス達の動きが各地で報告され始めており、レグルスを攻性植物に変えた『森の女神』は『攻性植物の聖王女アンジェローゼ』の勢力拡大のために戦力増強を図っていると思われる。
 だが、『森の女神』の導きに従った動物もいるのかもしれないが、男への復讐を優先したレグルスは彼女と袂を分かった。
「……レグルスの狙いは男だけだ。けれど、大型犬が単独で道路なり街中なりを駆けてたら誰かが通報するよね。捕まえようとすればレグルスは抵抗する。彼はもうデウスエクスだ。ただの抵抗のつもりでも、邪魔者を退けるだけのつもりでも、彼はひとを殺してしまう」
 ――だからその前に、彼を斃して、終わらせてあげて欲しいんだ。
 苦さを堪えてそう願う遥夏だけでなく、誰もが察していた。
 男を憎悪しただろう。復讐心を抱いただろう。
 けれどレグルスは、少女のために、男をこのままにしてはおけないと決断したのだと。
「今からヘリオンで急行すればレグルスがまだ岩の大地を駆けている間に捕捉できる。男はもうその地を離れているし、避難勧告も手配してるから、他のひとを巻き込むこともない」
 彼を探すまでもなく戦闘に突入できるから、その場で撃破すべきだろう。
 星空のもとに広がる岩の大地は視界や戦闘を妨げるものはなく、月と星のあかりが十分に戦場を照らしてくれる。こちらが斃す気で臨む以上レグルスも同じ気概で応戦するだろう。攻性植物化して間もないとはいえ、かなり強力な相手だ。
「舐めてかかれば斃されるのはこちらのほう、ってのは肝に銘じておいて。レグルスは敵がどこに居ようとも必ず仕留めるための牙の一撃と、夏椿の葉を乱舞させて敵を護りごと斬り裂く技、そして、夏椿の――沙羅の花を咲かせて、癒しと浄化を齎すヒールを持ってる」
 絶対の目的を成し遂げるための攻撃に思えた。
 立ち位置もそのためのものを選ぶだろう。
 けれど、夏椿の、沙羅の花の癒しを手放さないのは、きっと。
「……レグルスは何ひとつ悪くない。けれど僕は、あなた達に彼の撃破を願う。心の痛みは僕が全部引き受けるなんて傲慢なことは言わないけれど、せめて、分かち合わせて欲しい。色々察せるひとほど心が血を流す戦いになると思うけれど……それでもあなた達なら、彼を斃して、終わらせてあげてくれる。そうだよね?」
 さあ、空を翔けていこうか。岩の大地を駆ける、小さな王のもとへ。
 春が見頃となる獅子座を今の夜空で見出すことは叶わずとも――星空のもとに広がる岩の大地を疾駆する王者の星に、最初で最後の謁見を願うために。


参加者
ティアン・バ(くじら座の尾・e00040)
藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)
ネーロ・ベルカント(月影セレナータ・e01605)
キルロイ・エルクード(ブレードランナー・e01850)
カルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)
イリス・フルーリア(銀天の剣・e09423)
レスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)
櫟・千梨(踊る狛鼠・e23597)

■リプレイ

●星天の牙
 罪が、咎が、奈辺にあるというのだろう。
 罪を、咎を、誰が背負うというのだろう。
 獅子が空座の星空を翔けて降り立つ先は獅子の星たる名を戴く小さな王の許。岩の大地を力強く疾駆する王者の獣に牙を剥かせる激情に呼応するかのように熱い苦渋が胸裡を灼く。掌中の珠を、最愛の者を、あらゆる意味で壊さんとする愚劣な輩を誰が看過できようか。
 最早この腕に還らぬ妻を、唯ひとつ遺された宝たる娘を――魂が凍える程の喪失の恐怖も掛け替えのない存在を護らんとする衝動も、己の魂に強く共鳴するから。
「僕には、貴方の想いを否定できない。だからこそ……僕は、この咎を背負いましょう」
 硝子の隔てなき眼差しで真っ向から王を見据えた藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)は誓言とともに夏夜へ輝きを溢れさせた。世界を染めつくさんばかりに舞う焔の蝶は、王を、レグルスの魂を彼岸へ送るための力を前衛陣に燈すもの。
 途端に氷の煌きが焔の蝶の輝きを追い越していく。夏夜に凄絶な美しさを描きだし、
「あの男はじきに裁きを受けます。もう君が追う必要は無いのですよ!」
 王を翻心させること叶わぬと識りながらもカルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)が迸らせずにはおれなかった声音をも乗せ、彼が招来した氷晶の嵐が爆発的な瞬間火力を以て王者を岩の大地に足止めした。軋む心とは裏腹に、ゴッドサイト・デバイス越しのカルナの視界は透徹なまでに冴え、
「そう、おまえは守りたかったの。でも、もう一緒には居させてあげられない」
 迷わずゆびさきで撫でた胸元から連れた黝い獄炎を礫と成したティアン・バ(くじら座の尾・e00040)の速撃ちが王者の牙を砕く様さえ鮮明に捉えきった、刹那。ティアンの言葉に反駁するよう吼えたレグルスの全身から夏椿の葉が爆ぜたが、
「――阻ませてもらうよ。君の行く手も、望みも」
「憎いなら憎め、祟りたきゃ祟れ。今のお前さんにはそれが許される」
 絶大な威で荒ぶ緑嵐から彼女を護ったネーロ・ベルカント(月影セレナータ・e01605)は夥しい血を溢れさせる数多の傷も破られた護りも構わず後衛陣へ守護魔法陣を展開し、彼ら前衛陣へはキルロイ・エルクード(ブレードランナー・e01850)が奔らせた黒鎖が幾重もの守護魔法陣を描きだす。決して侮りはしない。復讐者の牙がどれほど苛烈なものか、それはキルロイ自身が体現してきたことだ。
 魔法陣の裡から焔の蝶とともに馳せ、
「銀天剣、イリス・フルーリア――参ります!」
 凛と名乗りを上げたイリス・フルーリア(銀天の剣・e09423)が揮った風冴の刃が声音と同様に凛冽な月を夏夜に見せたなら、肩を裂かれ二重に縛められたレグルスへと大きな影が落ちた。
 ――本当は、行かせてやりたい。
 銀の獄炎の輝き越しに妻と娘を眼の前で喪った光景が明滅する。懐の写真が熱を帯びる。おれがお前なら同じことをしただろう。他の何を犠牲にしたって構わなかったはずだ。地の涯てまでだって相手を追い、己が牙で喰らいついて。
「だがお前はもうデウスエクスだ。それだけが理由で、お前を斃す」
 翔けんとする魂に己を重ね、レスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)が打ち下ろす斧刃が激しい鮮血をしぶかせる。岩の大地に叩き伏せられた王が彼の斧を跳ねのけた刹那、鶯宿梅の香を連れた杖が夏夜を薙ぐ。霊気を乗せた一閃がレグルスの首元に残すのは獅子を思わす噛み跡。その間近で血に濡れてさえ輝くように白い夏椿の花も、護るために戦う彼の魂も眩しくて、櫟・千梨(踊る狛鼠・e23597)は僅かに双眸を細めた。
 ……悲しいな。
 咆哮とともに王者が跳ぶ。その挙動の一切を見逃さず、
「牙が来るぞ、ネーロ!」
「僕が受けます!」
 即時に膨大な癒しと二重の浄化を凝らせたティアンがその輝きをネーロへ撃ち込んだ次の瞬間、己が身を盾にした景臣が肩から肺腑まで喰い破らんとする激烈な一撃を防具で大きく殺す。恐らく己が最も強固な盾だろうと見定める裡で、傷から流れ込むような彼の感情が、残されることになる少女一家の悲嘆が、更に魂に共鳴したけれど。
 ――それでも、僕達はレグルスを殺します。
 迷わず王を穿つ銀閃は彼の猛撃の勢いを殺ぐ突撃槍、ああ、と応えて間髪容れずに右腕を揮うのは同じく強い共振を覚えるレスター、だが銀炎の飛沫が礫となって襲い来る速撃ちを瞬時に爆ぜた夏椿の葉が相殺し、
「貴方にとっては理不尽でしょうが、私達は貴方を、斃さなくてはいけないんです!」
 白銀の流星を連れて跳んだイリスの蹴撃をレグルスは文字通り牙で食い止める。理不尽に痛めつけられた彼に彼女は奴隷に堕とされていた頃の己を重ねずにおれなかったけれど、
「理不尽だよな、本当に。然し俺らは、理不尽そのものと成ろう」
「ああ、この世ってやつは理不尽に塗れてやがる。いつだって善人ばかりが損をするんだ」
 自分達もまたレグルスにとっての理不尽だろうと正しく認識する千梨が掌中の天球儀から解き放つ光の蝶でイリスの第六感のめざめを促し、仮面越しの眼差しに憐憫を燈しながらも奔らす黒鎖で、キルロイが後衛陣の護りをいっそう強固に重ねていく。
 王者の星は強くて。なれど拮抗する天秤を傾けるための態勢が瞬く間に調えられていく。誰より確かな狙いで撃ち込む轟竜砲でその布石のひとつとなりながら、カルナは己が鼓動が星花咲く懐中時計の時の刻みを幾重にも追い越していく様を感じとる。
 ――僕は、今日も。
 ――彼『も』助けられないのか。

●沙羅の花
 勇敢ゆえに、愛情深いがゆえに、捨てられたものがある。
 勇敢ゆえに、愛情深いがゆえに、捨てられなかったものがある。
 この星に生まれたままの命の在りかたを、導かれるはずだった楽園を捨てて、捨てられぬ想いのために岩の大地を駆け、立ちはだかる者達に牙を剥く王者の星。
 内なる狂気が嗤う。『彼は敵だ』と。
 外なる理性が叫ぶ。『彼は無実だ』と。
 秘めた心が感じる。『彼は真に獅子の王たる器だ』と。
 己が裡にめぐる魔術を制御するは狂気であるがゆえに敵を斃すことに迷いなく、ネーロの掌に魔力が凝る。然れど青玉の双眸に悲しみを、心に王者への敬意を抱く、その懐に秘めた白紙の書物には如何なる物語が浮かびあがるのだろう。
 幻影の竜が顕現する。迸る灼熱。
 竜に竦む王ではないはずなのに、真っ向から炎が直撃する様に青玉の双眸が瞠られる。
「そうか、彼は――」
「理力で揮われる術をいなすのは、不得手。今のネーロさんの術ではっきりしましたね」
 彼と同様にレグルスのすべてを見極めんとしていた景臣も即座に理の力を織り上げ、己が双眸を藤色に揺らめかす獄炎を撃ち放った。王の命を喰らう炎弾を迸らせた手に煌いたのは銀の指輪であったのか、それとも。
「理力の技が貴方の弱点であるのなら……!」
「衝かせてもらうぞ、お前さん相手に手を抜くなんて礼を失した真似はできんからな」
 喉元に喰らいついた炎弾が消えるより速く奔るは紫黒の剣閃、イリスが霊体を憑依させた刃で王へ毒を刻めば、仮面でも隠しきれぬ美貌の呪いで彼を三重に縛めたキルロイも銃砲を翻す。理の力によって迸る凍結光線が眉間を撃ち抜いてもなお怯まぬ王者を捉えるカルナの眼差しは変わらず冴え渡り、次元異相から召喚した氷晶の嵐が眉間から広がる三重の氷ごと彼を蹂躙した。凍てる嵐の音が声を枯らして叫んだあの日の己の声音と重なって、心を錘で沈めるよう。
 記憶を喪ったままであったら割り切れただろうに。
 記憶を取り戻したいま、それがひどく、難しくて。
「カルナ君!」
「夏椿の葉が来ます!」
「――はい!!」
 一瞬の眼差しで察したネーロと逆立つ毛並みで判じたイリスの声に即応して、緑葉を滑る雫のごとく直撃を躱さんと水面の衣を翻して跳び退った。それでもカルナが避けきれぬ葉は狩衣めいた外套を舞わせた千梨が受け、更に威を殺して。任せろと耳に届くティアンの声に頷くと同時に御業を奔らせる。
 夏夜に透けるそれがレグルスを鷲掴みにするというよりも宥めるように抑え込む様を灰の瞳に映しつつ、ティアンは強大な癒しと浄化に輝く光を千梨へ贈った。己を護るため死地へ赴いた皆の背が今の胸裡には鮮明に甦る。置いていかれた、寂しさも。
 ――今のティアンになら、背を見送るのでなく、肩を並べて戦える力があるのに。
 拮抗する天秤が傾き始める。その殆どが精鋭たるこちらの陣容を思えば一気に畳みかける事も可能だろう。王者に天秤の傾きを覆す手段がなかったなら。然れどそれを持つ相手だと誰もが理解し、織り込み済みで戦術を組み上げてきた。
 銀炎燃ゆる右の拳を叩き込んだ瞬間、エレメンタルボルトから送り込まれた魔力で爆ぜた追撃の波は炎であったのか海のものであったのか。だがいずれにせよ構わぬとばかりに王が跳ぶ。牙を剥く。
「レスター!!」
「ああ、そう来るだろうよ……!!」
 咄嗟にティアンが声を張り、レスターも見えてはいたが、拳を打ち込んだ直後の至近では躱すことは叶わず、喉元へ喰らいつかれた。魔法陣の護りに鈍らされてなお齎された激甚な痛みより、溢れる己の血より、肌身と血肉で感じるレグルスの吐息が、魂が熱い。
 ――己の牙で斃したいものがある。
 魂を貫く共振。然れど、決定的な違いゆえに共鳴には至らない。
 影と夜へ融け込む外套の裏地の銀糸刺繍、その護りが威を半減してなお甚大な彼の痛手を癒すべく、ティアンが幻の空と海を世界に広げる。幻の星空を海原が映して、天地の星々が共鳴して、どうか、しるべの星を、誰も彼も、見失いませんように――と願えば、季ならぬ幻を映した星空に煌いたのは。
「……獅子座、だ……」
「そうか。それなら、間違いなく導いてくれるだろう」
 星並べの天球儀が千梨の掌中で小さく鳴り、幻の星空に王者の星を示して舞った光の蝶が星々に重ねてレスターを癒す。深手を払拭され冴え渡る感覚のまま、竜骨の大剣を揮った。
 ――己の牙で斃したいものがある。
 然れど、己の為でなく、誰かの為に。
 唯ひとつが決定的に違うがゆえに己には眩いほど崇高に映るレグルスの意志を吹き消す、その傲慢と矛盾を自身が赦す為、彼の純粋な敵たらんと銀の獄炎を真っ向から荒波のごとく打ち寄せる。光の蝶に導かれた理の技は完全に王を捉え、焔の蝶が波濤の連撃を更に重ね。
 大地をも揺るがす絶大な威に圧倒されたレグルスが新たな沙羅の花を咲かす。
 杖で千梨が残した噛み跡に威を殺されながらも、癒され、浄められ。
 帰りたかったのか。そんな言葉が萌した途端、レスターの胸奥にも花が咲いた気がした。
「――……そうか。お前の大切なその子の名が、沙羅か」
 唯ふたつの響きにぴんと立った耳が、何よりも確かな応えだった。

●王者の星
 復讐も目的だろう。守護も目的だろう。
 だが、その根幹には望みがあるだろう。願いが、あるのだろう。
「……生きたいのだよな。愛する者と、もっと一緒に」
 当然の望みだと思った。叶うはずの願いだったとも思った。善なる者がすべて報われる、そんな世界であったなら。なれど謝罪はしない。望みを阻む理不尽となることを。
 狩衣めいた袖を夜風に踊らせた千梨が奔らす御業がレグルスを捕え、
「その姿になってしまったら、あの子とも一緒に生きられないのですよ……!」
「レグルス、おまえ、もう亡骸も残してあげられないんだよ」
 己を護って攻性植物の贄となった少女を、天使の翼のごとく背に白百合を咲かせた少女を胸に燈したカルナが、解っても分かってはもらえぬことを承知の言葉とともに竜鎚を揮う。彼の機動力を削ぐ砲撃が轟くとともに砂中の星を握りしめ、ティアンが撃ち込む幸運の星が王者の星の護りを穿てば、
「わかってる。それでも、他人の手に任せるなんざ我慢ならねえんだろう」
「この手で、この牙で護りたい、護り続けたい――当然の、願いですよね」
 理でなく漲る膂力のままに叩きつける大剣と獄炎に己が心をも斬り焦がされる様を堪えて得物を振り抜くレスターの猛撃に景臣が続く。愛らしさ、儚い美しさ。脳裏をよぎったのは沙羅の花が抱く言葉。
 ――レグルスがあたしを置いていなくなるわけないもん!
 恐らく必死に少女が否定しただろう喪失の予感、それを現実にする痛みを抱えて奔らせる刹那の銀閃で、彼の命をまたひとひら、散らして。
「レグルスさん、貴方は、貴方は……!!」
「お前さんは何ひとつ穢れちゃいない。だからというわけじゃないが――」
 理不尽への憎悪だけで解ったつもりで、解ってはいなかった。唯やりきれなさを募らせて掲げた刃に、天使の翼に星空から光を集め、イリスが煌々たる一閃と時を封じる力で王者を圧倒すれば、翼から更なる輝きが彼を襲うのに重ね、一気に彼我の距離を殺したキルロイが突き立てた銃口から迸る力が王者の星を裡から爆裂させる。
 邪悪なものであれば赤黒い劫火を噴き上げる断罪の技。
 然れど、夏夜に眩く咲き誇った炎の華は、どこまでも高潔な白に輝いて。
 それでいて、夏の陽射しを緑が優しく遮る庭で、そっと愛らしく咲くような、胸に沁みる光景を皆の胸に灼きつけた。どれほど攻防が激しさを増しても、それはきっと消えなくて。
 罪が、咎が、奈辺にあるというのだろう。
 罪を、咎を、誰が背負うというのだろう。
「敢えて君の罪を告げるなら、復讐心を抱いたことと、歪んだ生を選んだことだ」
 機を掴み獲ったネーロが詠唱代わりにそんな言の葉を紡いだのは、双子の片割れの幻影を顕現させたのは、王に眠りを贈る裁きの光を招くため。最後の審判が下り眩い輝きが夏夜を裂いたが、裁きに抗った小さな王が光を喰い破る。勢いのまま跳躍する。
 ――然れど。
「復讐心が罪ならば、俺が承ろう。恨みも痛みも、悲しみも、要らぬ荷は置いていけ」
 仲間の喉でなく己の肩を星の牙に喰らわせ、左腕でそのままレグルスの背を抱いた千梨が右腕を揮った。王の横腹から背を貫くのは不可視の刃、千梨自身にも見えぬ刃は、傷口から奪う相手の『感情』を、己が糧と成す刃。理を説くのでなく、力尽くで負の感情を奪う。
 魂が千里を走れるものかは知らねども。
 叶うなら行くと良い。本当に待っている者の、傍へ。
 魂が翔けていけるよう、恨みも痛みも、悲しみも取り込んでやる。命の灯火が消えてゆく様も間近で感じ取り、餞の言の葉を贈る。
「……大丈夫だ。誰ももう、彼女も、お前も、傷つけない」
 ただ、傍にいるだけで、良いのだよ。
 沙羅の花の白、その彩の光となってすべて消える寸前に、小さな王の大きな尾がぱたりと揺れた気がした。お前は紛れもなく王だった、と彼を見送ったレスターが星空を振り仰ぐ。
 死んで星になると思えるほどの青さはなかったけれど。
 名も知れぬ星がひとつ、街をめざすように流れる様を胸に仕舞うべく、目蓋を伏せた。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年8月26日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 3/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 0
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