天燈

作者:藍鳶カナン

●燈火
 暗い闇と潮の香が満ちる洞窟に、ぽう、とあかりが燈った。
 洞窟の片隅で膝を抱えた、少女とも娘とも思える姿の『彼女』が掌上に燈したあかりは、小さな小さな、それでいて夢のように美しい数多のあかり。夏夜の海辺、澄みわたる夜空と遥か大海の闇がとけあう様を一望できる浜辺で、和紙でつくられたランタンに火を燈して、空へ解き放つ祭りの光景。昨夏の動画を探すのは簡単だった。
 天燈というの。若いひとにはスカイランタンというのがいいのかしら。
 そう教えてくれた天涯孤独の老婦人はもういない。老衰とやらで生命活動を停止した者の後事をその知り合いの弁護士に託し、ひそりと姿を消した今、
「わたし……いや、当機は人間社会への潜伏プログラム・第二フェーズへ移行……」
 移行しなければならなかった。少女型のアンドロイド、即ちダモクレスたる『彼女』は。
 なのに何故、祭りの会場である浜辺に近いこの洞窟に己は潜んでいるのか。
 移行に関するデータを表示するはずが、何故祭りの光景を映しているのか。
「解析不能。分からない判らない、解ら、ない……」
『解らないままで構いません。あなたが理解すべきことは、これだけ』
 困惑に『彼女』がかぶりを振ったそのとき、不意に誰かの声が落ちた。
 見上げた瞳に映ったのは黒衣の女性、死神だと察した瞬間にはもう、その手が『彼女』の額に触れていた。球根めいた死神の因子がずぶりと『彼女』の額に押し込まれる。深く深く『彼女』の躯体の、奥深くまでそれが沈んだなら。
 掌上に映されていた、夢のように美しい祭りの光景が灰色のノイズに呑み込まれた。
 ――お行きなさい。
『そしてグラビティ・チェインを蓄え、ケルベロスに殺されるのです』
 自我も理性もノイズに呑み込まれた『彼女』の裡で今、鮮明に燈るものは、黒衣の死神が命じた言葉、唯それのみ。『彼女』の掌上に、輝きが燈る。
 映像ではなく、輝く灼熱が描く円環、炎の戦輪。
 黒衣の死神からの命を果たすべく、『彼女』が燃え立つそれを揮う処は――。

●天燈
 和紙でつくられたランタンは、火を燈されて、熱気球のように夜空へと昇る。
 願いを、祈りを、燈すように託して、数多のひとびとが天燈――スカイランタンを海辺の夜空へ解き放つ、夢のように美しい祭り。
「そこに『彼女』が乱入して、沢山のひとを殺すんだな」
「予知ではね。けれど、ティアンさんが警戒してくれてたおかげで避難勧告が間に合うし、僕のヘリオンで急行すれば、『彼女』が潜んでいた洞窟とお祭りの会場の中間地点あたりの浜辺で捕捉できる。あなた達にはそこで『彼女』を撃破して欲しいんだ」
 己の予感を確かめたティアン・バ(煙中魚・e00040)の言葉に頷き、天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)はケルベロス達へそう願った。
 黒衣の死神が少女型アンドロイドに埋め込んだモノは、『死神の因子』。
 大量虐殺でグラビティ・チェインを蓄え、ケルベロスに殺されたデウスエクス――それをサルベージし、より強力な手駒を得るのが死神の目論見だと思われる。
 戦場となるのは誰もいない浜辺。戦いの妨げになるものは無く、ケルベロス達の身体能力なら砂や波に足を取られることもない。無論、敵も同様だ。
「『彼女』が炎の戦輪で揮う術は、氷が炎になった氷結輪のグラビティって考えてもらうと解りやすいかな。理性は失われてるけれど、戦い方は的確で狙いも正確。スナイパーだね」
 油断は禁物で、ただ勝利するだけでもまだ死神の目論見を打破するには足りない。
 死神の因子を埋め込まれたこのデウスエクスを倒すと死体から彼岸花のような花が咲き、その場から消えて死神に回収されてしまうという。
「けれど『彼女』を充分に弱らせて、大ダメージを与える一撃で命を絶つことができたなら――その体内の『死神の因子』も破壊することができる」
 因子を破壊されれば死神の回収も不可能になる。
 無事にすべてを終えられれば祭りも再開されるよ、と遥夏が話を結べば、
「合点承知! 皆でどっちも解き放ってきますなの~!」
「そうだな。『彼女』を死神の軛から解き放って、スカイランタンを夜空へ解き放ちに」
 願いを、祈りを、想いを託した天燈を、海辺の夜空へと。
 真白・桃花(めざめ・en0142)の言葉の意を掬って、いこう、とティアンが皆を促した。夏夜の海辺と、数多の天燈と、夢のように美しい祭りがティアン達を待っている。


参加者
ティアン・バ(煙中魚・e00040)
楡金・澄華(氷刃・e01056)
フィー・フリューア(赤の救急箱・e05301)
玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)
レスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)
藍染・夜(蒼風聲・e20064)
月井・未明(彼誰時・e30287)

■リプレイ

●燈火
 夏夜の闇に、滝のごとく火の粉が雪崩れた。
 灼熱に彩られた炎の戦輪が乱舞し、迎え撃つ剣や鎚に爆ぜた炎が眩く舞い散り風に躍る。掌上に燈した炎環を操る少女型アンドロイドと会敵した瞬間に幕を開けた戦いは勢いを増すばかり。なれど遥か大海からこの浜辺に寄せる波の音は豊かでゆったりと穏やかで、
 ――やさしいひとが教えてくれたものって、不思議と気になっちゃうものなんだよねぇ。
 きっと『彼女』も老婦人のおはなしをこの波音みたいに聴いていたのだろうと思いつつ、迷わずフィー・フリューア(赤の救急箱・e05301)が革ベルトから引き抜いたのは深い藍色揺れる試験管、硝子から振りまかれた夜空の毒薬が星座の煌きで『彼女』の足元に魔法陣を描き出せば、序盤に撃ち込んだ氷や狙撃手達が重ねた足止めが幾重にも深められ、前衛陣を呑んだ灼熱の嵐を銀の獄炎が断ち割った。
 初手にフィーが解き放った流体金属の煌きが研ぎ澄ます感覚のままに打ち下ろした竜骨の大剣は真っ向から『彼女』を捉え、レスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)の銀炎をその身に燈す。燈火色の瞳に銀の輝きを映す『彼女』と至近で眼差しを交え、
「お前が見たかったもんは――いや、祈りたかったもんは、何だ」
『分からない判らない、解ら、ない……!』
 最早応えは望めぬと識る問いを口にすれば、返るのは頑是ないこどものような声。だが、
「たったいま口にしたその言葉の意味も、もうお前には分からないんだろうな」
「……ひかりを見失って、底無しの闇に放り込まれた迷子みたい、だよな」
 銀炎の輝きが生み出す影へ紛れるように浜辺を馳せたティアン・バ(煙中魚・e00040)が指の環から咲かせた刃で『彼女』の肩を掻き斬れば、反射的に零れた声もわからないと音を成し、自我も理性も見失ったその響きをも包み込むよう、月井・未明(彼誰時・e30287)が揮う癒しの雨が夜色ウイングキャットの羽ばたきも乗せて前衛陣を抱擁する。
 未来、可能性、敬意、愛情。
 玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)の胸の奥に次々と浮かびあがった言の葉は、ひとをひとたらしめるもの。それらを踏み躙る連中を、眼前の娘に芽吹いたものを摘みとる輩を、
 ――俺は許さない。
「――咲き誇れ」
 胸裡を一切覗かせぬ端的な詠唱が成った途端、彼の翼猫の尾を彩る木香薔薇の花環が燃え盛る向日葵に変じた。刃に重ねて閃く炎の夏花、咄嗟に跳び退らんとした『彼女』が序盤に轟竜砲で狙撃された膝を崩した刹那、完璧な軌跡を描いた陣内の一撃が『彼女』に幾重もの炎を咲かせ、
「送ってあげようね、『彼女』が多くを傷つけてしまう前に」
 黒豹の髭の張りひとつで彼の心境を感じとった新条・あかり(点灯夫・e04291)が、流体金属から解き放つ希望の煌きで前衛陣の超感覚をいっそう冴え渡らせる。
 だって、老婦人が天寿をまっとうする様を見送ったのは、『彼女』の優しさに、想えて。
 流石はタマさんとあかり、と藍染・夜(蒼風聲・e20064)は二人が燈す輝きに微笑して、
「俺達の足止めもこれで十二分だろうか、桃花」
「夜さんの見立てならがっつり完璧! に決まってますともー!」
 竜の砲撃と流星の蹴撃で編んだ戦術から一転、誰より確かな狙いで織りあげた天藍の霧で夏夜を彩り霞の柵で『彼女』を捉えれば、神経回路に霞の麻痺を注がれた相手の炎環めがけ真白・桃花(めざめ・en0142)の速撃ちが迸った。
 藍の霞と火の粉を夜風が浚っていくのは、事前に聴いたとおり、戦いの妨げとなるものの無い浜辺。それは戦闘に活かせる特徴的な地形も無いのと同義で、
「それならば皆様との連携で『彼女』を追い詰めるのが最善の策、ですよね」
「真っ向勝負は忍びとしては不本意だがな、攻撃手としての役割、果たさせてもらおう」
 序盤に描いた星の聖域の輝きを馳せて、レフィナード・ルナティーク(黒翼・e39365)が星剣で『彼女』へ描くのは呪詛ゆえに空恐ろしいほど美しい斬撃の軌跡、彼の剣閃の余韻が消えるより速く、楡金・澄華(氷刃・e01056)が蒼き刀身に雪のごとき波紋が踊る大太刀の力を解き放つ。
 逃れえぬ鋭さで奔るのは凍て空を翔ける天飆を思わす苛烈な斬撃、だが深々と斬り裂かれながらも『彼女』の双眸が眼前の相手を捉え、
「澄華!」
「後ろに跳べ!!」
 燈火の眼差しと翻る掌にティアンの声が、灼熱の嵐の次は炎の戦輪そのものが揮われると読んでいたレスターの声が響いたのとほぼ同時、凄絶な輝きと熱気が爆ぜて、次いで銃声と火の粉が爆ぜた。澄華の喉を裂くはずだった戦輪はレスターの銃身を咬まされ、その左腕を焼き焦がした直後に彼の速撃ちで波間に叩き落とされて、
「感謝する、助かった!」
 二人の声で後方へ跳んだ澄華が砂浜を蹴った一瞬で『彼女』の懐へと舞い戻り、波間から戦輪が翔け戻らぬうちに叩き込んだのは零の境地を乗せた拳、交差させて受けた腕が石化に一瞬強張った刹那、未明の指が硝子瓶の蓋を弾いた。
「ティアン、頼んだ」
「うん。いこう、フィー」
「もっちろん! 今はまだまだ攻めてかなきゃね!」
 解き放つため迷わず跳ぶ。愛しおしい楽園の名残が描く指環、そこから咲かせた光の剣に初手で錨たる男から贈られた銀の輝きも咲かせたティアンの一閃が『彼女』を圧倒すれば、砕けた氷片も相手を襲う中をフィーが急襲、その間に幻想のハーバリウムを思わせる未明の硝子瓶から踊った魔法薬が、夜明けの涼やかさと癒し手の浄化でレスターの熱傷を潤して。
 癒しの銀を鋼の鬼として拳に重ねたフィーが『彼女』の護りを三重に突き破る。
 夏夜の闇にも輝くような蛍光の眼差しと燈火の眼差しが重なる、永遠にも似た一瞬で、
 童話のおはなしを。
 天燈のおはなしを。
 己の胸を震わせ、心をくれたおはなしを、レプリカント同士で語り合う――もしかしたらありえたかもしれない別の未来を夢想して、そっと胸の奥へ仕舞い込んだ。
「この子いいよねぇ。弱点とかもなさそうだし、すっごくバランス良く調整されてる」
「黒衣の死神とやらも中々お目が高い……と言うべきところかな、ここは」
 曇らぬ声音であえてそう紡ぐフィーには軽口で応じつつ、死神への忌々しさを募らす心を押し隠した陣内も迷わず彼我の距離を殺す。歪な稲妻型へと変じたナイフ、その銘に言霊が宿るのだとしても『彼女』は己に芽吹いた何かをもう二度と思い出せはしない。その事実が微かに胸を軋ませるのを識りつつ揮う刃が、相手に更なる氷を咲かせ、麻痺を強めて。
 わからない、と。
 ぽつり零した『彼女』の掌上に舞い戻った戦輪の炎が、ふつりと消えた。
 ――然れど、
「死神の思惑のまま消させはしないよ。それは――君が『ひと』であった証だ」
「ああ。もしも死神にも消しきれずに燻るもんがあるなら……持っていけ。むこうまで」
 己の霞が威を発揮した瞬間に夜が跳躍する。『彼女』が操る炎は芽吹いた何かの証だと、自我も理性も潰えたとしても、決して消せぬひかりで、尊厳なのだと、揺るがず信じて眩い光の剣を咲かす。輝きを魂へ注ぐかのごとき一閃に続くはレスター、銀の獄炎を波打たせた大剣を横薙ぎすれば、またひとつ輝きが咲く。
 光剣と銀炎の輝きに、白き竜の属性を重ねられたかのごとき友の姿を幻視した気がして、
「私の地獄の炎も……この少女のための燈し火になるでしょうか」
「なるさ、きっと」
 然れどレフィナードは心の揺らぎを振り払い、今為すべきことのために燃ゆる心臓の炎を重ねた星剣を眼前の『彼女』へ揮えば、頷いた未明の脚が翻るとともに兎のロップイヤーが跳ねた。靴先から翔けるは幸運の星、『彼女』を送るために護りを穿つそれが、氷の煌きも連れて相手の胸を貫けば、その掌上に燈火が甦る。輝きが環を描く。
「未明! 戦輪が来る!」
「通しません!!」
 次の瞬間、夜の声が奔ると同時に跳び込み、抱き込むように灼熱の炎環を受けとめたのはレフィナード。己を焦がす炎越しに彼が見たものは、戦輪を揮った細腕に燈る炎に灼かれ、新たな炎に肩まで呑まれた『彼女』の姿。
「……近いな」
「うん、そろそろクライマックスだよ、みんな!」
 灰の瞳に確と炎を映したティアンの声、皆の心をひとつにするかのようなフィーの声、
「終幕の舞台は調えておくよ、ティアン」
「ティアン、貴女が幕引く舞台へ、わたくしの心も連れていってくださいな!」
 艶めく笑みひとつ、それを術の引金とした夜が天空から招来する数多の刃は、広く降るがゆえに浅く『彼女』の命を削ぎ、アイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)の祈りを抱く真紅の艶めきは、甘やかに華やかにティアンを彩り、その力を高みへ導いて。
 幾人もの仲間が幾つもの死神の因子の破壊を経験しているのだと、レフィナードは改めて実感する。己が初任務に臨むよりも遥か以前から途切れぬ事象。それが意味することは、
 ――無策の私の調査で尻尾を掴めるような、甘い相手ではない……ということですね。
「お願いする、ティアン殿」
「俺とあかりの分も、頼む」
 夜叉たる姫の刃から澄華が分かつ魂の力が、陣内の掌中に咲くパズルの薔薇から舞う光の蝶が、ティアンの眼差しを冴え渡らせて、未明は新たな硝子瓶の蓋を弾く。数珠石に金銀の水引花に、幾つもの煌きを送り火で蕩かしたその魔法薬で、
「おれの力もティアンに届けてくれ、フィー」
「了解、僕と未明さんの分も託すよ、ティアン!」
 搦め手を強められたフィーの榛の枝、柘榴石に脈打つ深紅の光が弾け四重の電撃となってティアンの力を跳ね上げたなら、仕上げとばかりにレスターが贈る波立つ銀が、錨たる娘の指先まで力を漲らせていく。
「――できるな、お前なら」
 解き放ってやれ。
「大丈夫。みんなが託してくれた力と想いごと届けて」
 必ず、解き放つ。
 世界で唯ひとりティアンのみが揮える断頭台宣言、超重の一撃によって進化可能性を奪うアイスエイジインパクト、自陣最高火力を備えた技であるのはどちらも同じ。
 首を落とす一撃と進化可能性を奪う一撃は果たしてどちらがより残酷なのだろう。だが、
「この鎚は、ティアンにとっては櫂だから」
 奪うのは『彼女』ではなく、死神の因子の進化可能性。『彼女』には死神の因子から解き放たれ、自由に旅立つための一撃になるとの確信をもって、己の想いと皆の想い、すべてを櫂に乗せる。潮の香と夜の風、海の波を掻くようにそれらを潜って、『彼女』へ届かせた。
 強く、然れど優しく、櫂が触れた身体の芯から、光の粒子に変わっていく。
 眩い火の粉めいた光の粒子に変わりつつ、それでも掌には徐々に小さくなってゆく燈火の環を握りしめて、『彼女』は死神の軛から天燈のまつりの夜へ、解き放たれた。

●天燈
 夏夜の闇に、空へと昇るあかりが燈された。
 澄んだ夜空の闇と遥か彼方でとけあう大海、浜辺に立てば吸い込まれそうな心地で眩暈を覚えたけれど、あたたかに闇をとかすランタンの明るさに黒豹は瞬きをする。
 子供の体温の名残が残るのはあかりのほうなのに、その手を離すまいと縋る子供のように握るのは陣内のほう。握り返してくれるぬくもりを確かめて、繋いだ手とは逆の手で支えていた天燈を、手離した。
 カウントダウンが終わるより僅かに速く。
 今夜いちばんに彼の天燈が解き放たれたのは、きっと偶然、けれど必然で。
 遥かな夜空の闇へ、まるいひかりが昇る。
「――……月みたいだ」
「うん。思ってたよりずっと、軽やかに昇っていくね」
 辺りからも一斉に数多のひかりが浮かびあがれば、心まで浮かびあがる心地がした。
 月みたいな天燈が遠く遠く昇り、数多の天燈とともにあたたかな星になっていく。陣内の心で影のごとき錘になっていた月への怖れも、彼方へ連れていかれてしまったよう。
 不意に軽くなった心に彼が戸惑うのを感じつつ、想いを添わせてあかりは、彼が手離した月を見送った。月の病はもう二度と、彼を脅かすことはない。
 ばいばい。
 ……もう、苦しまないでいいんだよ。
 世に名高いタイのコムローイ祭をはじめ、天燈を空に放つ祭は秋から冬に催されるものが多い。この国でも同様だが、今の時季に催される祭もいくつかあるのは、
「七夕を意識してのこと、なのだろうか」
 それなら、老婦人と逢えるといいな。澄華がそう語りかけて解き放った天燈は『彼女』のためのもの。そしてもうひとつ、天へ送り出すひかりへ、安らかに眠れと囁いた。
 氷雨、と紡がれた声音に。
 ――ああ、澄華殿も、きっと。
 何処か相通じるものを感じて淡く目蓋を伏せたレフィナードの傍らで、和紙にダチュラの花を描いた天燈が優しいひかりと熱を抱いていく。手紙のように送り出せたら、と花緑青の瞳を緩めるエヴァンジェリン・エトワール(暁天の花・e00968)に頷いて、彼も己の天燈に亡き友へ、亡き主君への想いを乗せた。
 感謝も謝罪も、たとえ怨嗟が本物でも、己が友を大切に想っていることも。
 精一杯生きてみるから再会は遅くなるけれど、待っていて欲しいとも。
 暁の星のごとく空へ還った父へ、微笑みかけるような手紙を送ったエヴァンジェリンが、
「……届くといいわね」
「えぇ、エヴァ殿の想いも」
 彼にも微笑みかけたから、目許を和らげたレフィナードも、穏やかに微笑み返した。
 海辺の夜風は陸から海へ渡る風、浜辺から解き放たれた天燈達は遥か大海へ誘われつつ、流れるよりも先にまっすぐ昇っていく。それでもいつか海へ旅立つだろうか。
 ――大切な人達が、幸い多く、ありますように。
 亡くしたひと達も、今傍にいてくれるひと達も、ティアンの大切な存在で。
 己が手で解き放った天燈が飛んでゆく彼方へ祈りを捧ぐ。
「死んだら水平線の彼方にいく、それがティアンの故郷の流儀だから」
「そっか、それならきっと、届くよねぇ……」
 何かおくりたくなったら空でも海でもいいんだ、と語る友の言葉に眦を緩めて、フィーも夜闇を夢のように彩っていく数多のひかりを振り仰ぐ。耳に届く優しい波の音を、遠い日に絵本をくれた、小さな女の子の幼い声のように聴きながら。
「さっき旅立ったところだし、『彼女』も空から一緒に見れていると良いんだけど」
「見えるんじゃねえか。ここからも、空からも」
 願いを呟いたフィーに応え、己が天燈にレスターは右腕に波打つ銀炎を燈す。『彼女』の命を喰らった炎ならばと天燈にその命を熾し、空へ還してやる。ひときわ優しい彩を抱いた天燈が何者にも縛られることなく旅立っていく。迷いなく、憂いなく。
「そうか。そこにもいたんだな」
 もう、迷子じゃないな。
 振り仰ぎながら知らずそう口にして、未明もあたたかなあかりをひとつ、解き放った。
 想い出が喪われてしまうのは哀しいこと。何もかも忘れぬまま抱えていくことが幸福だと言い切れはしないけれど、『彼女』はどちらかを選ぶ意志さえも奪われてしまったから。
 もしも次があるなら、今度こそ自分で歩けると良い。
 祈りを届けたいひとを見失った未明は今も迷子のままだけれども。
 月の病の真実が明らかになった、今もなお焦がれる月。そこまでも想いが届けばいいと、遥か空へ、心で翔ける。
 暖かなあかりのひとつひとつが、誰かの愛おしい心を抱いている。
 願いが、祈りが、想いが、夏夜を夢のような美しさで彩っていく様を、あの中のひとつに己の心が燈っている様を、海に映る煌きごと写真にきりとって、
「桃花は、何か願い事、した?」
 訊けば、望みを叶える方法はもう識ってるの、と春色尻尾がぴこり。
「だから、わたしの求める楽園で、みんなみんな自由に花を咲かせられますように、って」
 叶うといいな、と応えたティアンの胸にはまだ、己のための願い事は浮かばぬまま。
 然れどそれを識るのは当人のみではないから、
 ――ティアンが、戦の時代が終わったあとの、自分自身の夢を持てるように。
 託す想いを声にすることはないまま、昨夏の七夕に短冊へ綴った願いと同じ望みを乗せ、灰の娘達の傍らでレスターが解き放った天燈が、夢のような夏夜をまたひとつ、確かな現の心で彩った。
 愛おしさ。そう呼ぶのが何より相応しい彩のあかりを燈す天燈は、
 ――遠い遠いお空まで昇って、いつか星になるのでしょう。
 思わぬスカイランタンの大きさに瞬きながらもアイヴォリーが、そんな御伽噺を天燈へと語りかける様に夜は微笑して、期待を募らせるカウントダウンの先で自分達のそれとともに皆のあかりが一斉に解き放たれる様に、二人で子供みたいに笑み交わす。
 夏夜の底に咲いた数多の天燈が遥かな夜空へ翔けていく。
 光の花園から花が一気に舞いあがるようで、花々が遥か空で一面の星の海になるようで。籠められた祈りのひとつひとつに星の双眸が細められた。
 あの燈を飛ばす翼が『祈り』なら、
「夜天はなんて美しいもので出来ているのかしら」
「星を作る職人なった気がするね。俺達や、今ここにいるひと、皆で」
 ひときわ優しい彩を抱いた天燈が嬉しげに翔けゆく様に柔らかな笑みが浮かべば、自然に繋ぎ合っていた手が絡め直された。伝わる彼女の願い。離さないと言葉よりも雄弁に、絡め返す指の強さで夜からも伝えて、同じ願いを燈す。
 いとおしいこの星の命達と、唯ひとり狂おしく恋しいひとと。
 いつかあの星の海へ昇っていくときまで、ともに――。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年7月15日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 0
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。