ココア・ブラウンの夢枕

作者:朱凪

●ココア・ブラウンの夢枕
 黒衣に身を包んだ女が、手にした球根のようなものをただ指示された命のままに活動していた青年型の『それ』に押し当てた。ずるりと球根は『それ』の胸に吸い込まれていく。
 『それ』は、ぱちりと目を開けた。
 喉が渇く感覚にかぶりを振って、歩き出す。
 その後ろ姿を見送って、女は小さく告げる。
「それでいいのです。グラビティ・チェインを蓄え、そしてケルベロスに殺されるのです」

 青年が『それ』に出会ったのは、不幸だとしか言えなかった。
 大学の授業をサボって、お気に入りの隠れ家たる大学の裏山に流れる小川の傍で、全力でゆっくりする。それが至福の息抜きだった。
 ──そんなに悪いことだったろうか。
 たまに責務から逃れて、川のせせらぎと小鳥のさえずりに耳を傾けることが?

「怠惰な者に未来は必要ない。君を礎に死体の山を築こう。とにかく多くのグラビティ・チェインを集めなくては」
 その理由は──判らないけれど。
「……怠惰」
 ぽつり、『それ』は俯く。
「……僕には判らないものだ。命令は遂行する。……当然のこと」

 『それ』は量産型のアンドロイド型ダモクレス。
 任務を遂行することになんら疑いを持つこともなく、ただ人間を殺しグラビティ・チェインを奪う、殺戮兵器だった。

●マリオネットは踊らない
「未だにあるんですね。『死神の因子』の事件も」
 ぽつりと告げて暮洲・チロル(夢翠のヘリオライダー・en0126)は困ったように首を傾げた。もうDear達も充分ご承知かもしれませんが。と前置きをして、彼は宵色の三白眼を瞬く。
「『死神の因子』。それを埋め込まれたデウスエクスは、暴走しただひたすらにグラビティ・チェインを求め人間を虐殺するようになります。そして、大量のグラビティ・チェインを得た上でケルベロスに倒されると、その死体を死神に回収され、死神に強力な『駒』を与えてしまうことになります」
 今回の舞台はとある大学の裏山だが、予知で確認された青年を殺したあと、大学へ降り立ち虐殺の限りを尽くすことは想像に容易い。
 だからこそ、ここで止める必要がある。
「それだけでないのは、Dear達もご存じですよね。ただ倒すだけだと死体を死神に回収されてしまいますから。残り体力に対して過剰なダメージを与える……所謂オーバーキルで『死神の因子』ごと破壊することが必要です」
 今回の敵は、大学に紛れ込んでも違和感のないような青年アンドロイド型のダモクレスが一体。攻撃の手段はレプリカントのグラビティと同じものを使用するようだ。
 チロルはメモを開いて視た予知について確認する。
「『彼』は『死神の因子』に突き動かされていますが。その前から元より任務を遂行することだけをプログラムされていた存在のようです」
 おそらく、邪魔をする者を最優先で襲って来ることだろう。
「じゃあ僕がサボってる『被害者』を避難させるね」
 こっくり、ユノ・ハーヴィスト(宵燈・en0173)も肯くのにチロルも肯きを返した。
「『彼』からすると、日々の続き……なのかもしれませんが。それでも、他の誰かに利用されるために生きて死ぬことを求められるのは、俺としてはあまり歓迎できません」
 そう言って、彼はそっと幻想を帯びた拡声器を撫でた。
「『彼』は任務を遂行するために全力を尽くして来るでしょうから、気をつけてくださいね。では、目的輸送地、閑静な裏山、以上。……徹底的に、オーバーキルしてあげてくださいね」


参加者
メイア・ヤレアッハ(空色・e00218)
シル・ウィンディア(蒼風の精霊術士・e00695)
アリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)
新条・あかり(点灯夫・e04291)
据灸庵・赤煙(ドラゴニアンのウィッチドクター・e04357)
櫟・千梨(踊る狛鼠・e23597)
款冬・冰(冬の兵士・e42446)

■リプレイ

●静穏を斬り裂いて
 グラビティ・チェインを奪う。
 ただそれだけ。
 ただ──それだけ。
 きゅいとズームする先は、小川の傍で無防備に寝転がる姿。しゅいぃぃと静音のモーターにより押さえた音量でアームが回転を始める。『彼』は枝を蹴った。
 容易い指令。
 容易い狩猟。
 ただそれだけの──はずだったのに。
「!」
「……む」
 轟音と共に撃ち出された砲弾を、すんでのところで跳んで避けた。視野に捉えた長い耳がぴくりと揺れたのは不服の顕れだろうか。
 大柄な熊が目標を抱え上げ「ユノ!」「うん」ペリドットの瞳の少女と共に駆け去る。
 それを無感動に見送って、『彼』は振り返った。
「さぼるのはだめだけど……でも、だからといって殺される理由なんかにならないっ! 彼の傍に行く前に、わたし達と付き合ってもらうよ!」
 青く長い髪を揺らす少女。邪魔者。──ケルベロス。
「……目標を変更しよう」
「対象の目的を確認。応戦を開始」
 ただの確認だった呟きに応じ、椿を髪に添えた少女の口から似た温度の声が零れた。

 砲に変形した朱殷の頭部を槌の形に戻す新条・あかり(点灯夫・e04291)の傍で、ゆらと気負わぬ立ち姿の櫟・千梨(踊る狛鼠・e23597)はひらりと手を振った。
「昼行灯も悪くない」
 その手の先、『彼』の周囲。ぼ。ぼ。ぼ。と幾多の昏い炎が円を描いた。散幻草紙『百物語』。ぎしりと足取りが硬くなったように感じるのは、錯覚ではないだろう。
 サボりたい、その気持ちを守りたい。そんな怠惰の極みと自負する千梨ではあるが、此度は『彼』やらと向き合ってみようかと軽口を叩く。
「『ケルベロス』の役目に忠実に」
 望むのならば推参しよう。
 傍らのいつも通りのやる気のない声に、けれどそこに潜むいろはどこか違って聴こえて。
 あかりもひたと『彼』を見据える。
「怠惰なひとの命を奪うのがあなたの責務だというなら、別に否定はしないよ。ただ、人の命を奪うものの命を奪うのが、僕たち番犬の責務なんだ」
 ……どちらがマシな理論だろうね。言っても詮無いことだ。知っている。小さくかぶりを振ったあかりを、前衛を、そして後衛を、メイア・ヤレアッハ(空色・e00218)と据灸庵・赤煙(ドラゴニアンのウィッチドクター・e04357)の放つオウガの粒子が包み込んだ。
 両の腕に巻き付いた流動の銀を見下ろし、「ええ」赤煙はふたりの台詞に肯く。
「八王子では共闘する一方、死神が間接的に人を襲う事件は続いている……未だわからぬ事は多いですが、まずはケルベロスの仕事をしましょうか」
 死翼騎士団・勇将と共に瑠璃将ラズリエルを相手取ったのは彼にとって新しい記憶だ。
「そうだね」
 シル・ウィンディア(蒼風の精霊術士・e00695)も大好きなひとと挑んだ戦場を思い返して無意識にプロミスリングの填った左の指を握り込み、駆け出した。
「でも今は、今できることを! ──流星の煌めき、受けてみてっ!」
 彼女の足許で白銀の流れ星が尾を引いたのは一瞬。鋭く弧を描いた軌道を「っ!」青年が避けるが、捌き切れない。腕を掠めただけの蹴撃は重力の恩恵を得て『彼』の身体を吹き飛ばした。
 ばしゃっ、と水飛沫。
 小川に片足を突っ込んだ『彼』は、小さく息を短く吐いた。がしゃと人体にあらざる音がしてミサイルポッドが背を突き破り、『彼』の緑の瞳が僅か見開く。
 降り注ぐミサイル。
「ッ!」「コハブ!」
 グレイン・シュリーフェン(森狼・e02868)が款冬・冰(冬の兵士・e42446)の眼前に迫ったそれを牡牛座の星辰剣で受けたのと、メイアの声を待つまでもなく彼女の相棒が千梨の前に飛び出したのが同時だった。
 勇敢なコハブの小さな身体は河原に叩き付けられ、炸裂した砲弾に背を深く穿たれたグレインは低く呻きを零す。
 次々と弾けた閃光と上がる黒煙を打ち払ったのは、赤と黒の巨大な扉。
 どんと左右に扉が開いたなら中から溢れ出す黒の手は影であり闇であり、虚無そのもの。黄泉路の輪唱──アウェーテ・モルテム。破滅の魔女の物語、その一節。
 アリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)の緑を帯びた薄灰の長い髪を踊らせて、手は『彼』の手足を絡め取る。
 払われた黒煙の内側から現れた彼女の身は幾多の火傷痕に爛れて、彼女自身も痛みに顔を顰めてしまうけれど。それでもまっすぐに『彼』を見た。放つ声音も、揺れもせず。
「息抜きだって必要よ。……ううん、必要だからではないわ」
 けれど大切な時間であることに違いないと私は思うわ。そう告げる。その思いは間違いなくアリシスフェイルの本心だ。「ただ、」
「少なくとも私にはそのゆとり、時間が必要だったことはあるもの」
 迷い悩んで、立ち止まって、暫く逃げていて。喪ったものと、得たものを指折り数えて。そうしてようやく彼女は、歩むべき路を──否。その路を歩むと決めた。
 確かな意志を宿す金の瞳の傍で、冰がすいと手にした杖を振るったなら、杖頭に宿った光が尾を引き、ゆらり人工のオーロラを生む。
 ぱたり、ぽつり。降り出したのは局地的な薬液の雨。
 それは前衛の仲間達を覆っていく。
「庇護感謝する、グレイン。──能力の阻害反応を検知。解除支援を実行」
「一斉掃討は不可能か。……なるほど」
 無感情に、『彼』は呟いた。

●揺らぎ、揺らがぬ
 元・被害者である青年へ経緯を説明したベーゼ(e05609)は意思持たぬ『彼』と、そして戦場でも鮮やかに翻ったシルの青い髪から想起する。
 狂月病。彼女が斃したマスタービーストの絶対制御コード。
 置いてかれた満月の向こう側。忘我の果てに為したコト。
 ──自分が自分じゃなくなるのは、なんて。
「ユノは、キミは……今も恐いっすか……?」
 ペリドットの瞳が、ちらと見た。
「僕はもう僕を失くさないから。でも。目も逸らさない。だから」
 続く言葉はなく。それでも「……そうっすね」ふやり情けなく顔を緩め、ベーゼも肯く。
 ──おれは、おれ達は。
 つまづくこともあるけれど。
 ちゃんと自分の足で、自分の意思で、今を歩いてるんだから。

「息抜きも務めを果たすのも自分の意思でいきたいもんだな」
 サボれば返ってくるのは自分だからな。く、と口角を上げて、グレインは身体の前で回復を受けてなおまだ痺れる両の手を開く。
「ま、最初からないと上書きされたものでも構いやしねえか。……風よ、力を貸してくれ」
 ぽぅ、と澄んだ浅緑のオーラが球体を成して掌の間に生まれたかと思うと、見る間にそれは大きく膨れあがり、あかりの身体を包み込み癒す。自然の護り──エレメントスフィア。
 彼の脳裏に浮かぶのは、海に融けた姿。螺旋の技を共に師より学んだ姉弟子。
 ──例え敵対するのだとしても、それは自分の意思であってほしいと思うのは。
 甘いのだろうか。内心で零す彼の前で『彼』はシルの放つ降魔の一撃を避けたその先で、アリシスフェイルの蹴撃をしたたかに脇腹に受けた。
「考えずに流されるように生きるのは、それはそれで楽なこともあるし」
 水柱を立てた『彼』へ息をひとつ。彼女は周囲に散る流星の残滓を纏って髪を払った。
「……考えた上で、誰かの為に生きて死ぬのならそれもまた、自分の為とも言えるのだろうけれど」
 『彼』が死神のために『考えた』とは、アリシスフェイルには到底思えない。
 確かに『彼』は、因子を植えられる前から思索する型ではなかったらしい。けれど予知の様子を聴く限りでは、『なにか』が『彼』の中に芽生え始めていたように思えなくもないところが、ほんの少し彼女に思案させる。
 そんな中。
「ああしんどい、もう帰りたい。戦って殺す為に生まれた者の在り方──俺にはやはり、判らない」
 場にそぐわぬ弱音が千梨の口から零れるが、それは先だって『彼』の光線に上腕の一部を灼き削がれたから──では、あるのだが。彼の表情は飄々として変わらず。
 やる気のない嘆息をひとつ。ふうわり。舞いのように彼は水平へ手を滑らせた。──削り取られたはずの腕を。舞い上がる、御業の炎。
 彼には量産型ダモクレス『だった』友が居る。
 『彼』と同じく戦うために生まれ、そして定命化した今も戦場をひた駆ける。
「ダモクレス時代の彼らは、俺とは相容れぬ敵だな」
 だが。敵ではあるが無価値ではない。ぽつり呟く褪せた灰の瞳。
「何を焼くかも知らぬまま無心に、己の性質に従い猛る炎を、美しいとも思うからな」
「……」
 ひくりとあかりの耳が微かに揺れたのは、誰に気付かれることもなく。
 赤煙の放つ蹴撃の軌跡を炎が追って『彼』を絡め取り、冰がコハブへと癒しの電光を放ちつつ、敵を注視する。
「兵士としては理想的。知的生命としては落第。How comeが浮かぶかどうか。それが冰との相違点」
「そのコードは、僕には必要ない」
「、」
 逃げ足は阻めども、踏み込みの速度は依然変わらず。『彼』の掌が向けられたと認識したそのときには、冰の身を光線が灼いて過ぎていた。ばたばたと人工血液が河原の石を叩く。
 それでも身を捻り傷を最小限に抑えたのは、彼女の幾多の戦闘経験のお蔭だろう。
 目まぐるしく移り変わる戦場の在り様に、メイアはただ夜明け色の翼を小さく揺らした。
 『彼』の現状で、なによりも気に入らないことがあったから。
「わたくし、死神の因子って嫌いよ。だってあんなの、埋め込まれて──生命を失った後に利用するなんてひどいじゃない」
 ぱらり広げた、絵巻物。周囲に浮かび上がるのは恋して溺れた金魚姫の物語。それは水葬金魚──ロストラブソング。軽く顎を上げて警戒する『彼』は、既に囚われている。メイアは微笑む。
 ──そう。惹きつけて、引き止めて、足を引いて。あなたを溺れさせるわ。
 深い深い冥府の海の、その向こうまで。

●そして尽き往く
「一定量の負傷を検知。物資提供開始」
「助かるぜ。──……?」
 冬影「雪娘の贈り物」──スネグーラチカ・パダーロク。雪娘・スネグーラチカこと冰が贈るのは薬液の回復スプレーとグラビティ製の粗品。
 今回はミニハンカチだったようだ。受け取ったグレインが軽く首を傾げるが、彼女はごく真面目な顔で肯いた。
 入念に入念に味方の支援を続け、敵の足を妨げ続けた効果は抜群で、もはや『彼』に当たらぬ攻撃はなくなっていた。
 そろそろ頃合いだろう。誰もが意識を集中する。ここで誤れば、これまでの成果がすべて無に帰す。彼はただ死ぬだけではなく、死神の駒となってしまう。
「理由も覚えていないまま殺戮を繰り返す前に、ちゃんと、……終わらせなきゃ」
 きゅ、と拳を握るアリシスフェイルに「お任せください」と赤煙が掌を向けた。
 細く息を吐いて集中し、彼はグラビティで生み出すオーラを鍼の形へと凝縮していく。
「気脈の流れはグラビティ・チェインの流れ……これは」
 その鍼は敵の経絡を遮断する秘孔を突く──のだそうだ。果たしてそれがダモクレスである『彼』にも適応されるのかどうかは不明瞭だが、長年培った彼の観察眼そのものは間違いない。
「死神の球根は、間もなく発芽するようです、ご用心を」
「ああ、判った」
 しかと肯いた彼が次に生み出す癒しのエネルギー球は、煌々と輝く満月の藤黄。ざわりと揺れる血は、消えたかのコードによるものではなく、確かなグラビティの効果だ。
 向けた視線の先で、大きな蒼い瞳がウィンクする。
「任せてっ!」
「ああ、頼んだ」
 ただひとり前衛で攻勢に立ち続けたシル自身とて、癒し切れぬダメージは蓄積している。ドリル状の腕に抉られた腕の痕は癒してなお生々しい。それでも彼女は笑ってみせる。それは虚勢ではなく、彼女の信念だ。
 この痛みを生み出している存在がいる。
 ──その脅威から守るために……そのために、わたし達がいるんだっ!
 それに。
 想うだけで胸の奥が温かくなる。彼女はそっと指輪に触れる。
 ──わたしには、帰る場所があるっ! だから、こんなところで立ち止まれるかっ!

 彼女の意志に、全員が託すことは決めていた。
 ──なるべく苦しまずにすむように。
 そう、あかりも支援のグラビティを紡ごうとした、その瞬間。
「ッ!」
 ダモクレスにも第六感や野生の勘のようなものが備わっているのだろうか。緑の双眸が燃えて、『彼』は瞬足でシルとの間合いを詰め、高速回転する腕を再び振り上げた。
 咄嗟に駆けた。
 ポケットの中で握り締めた種は、──花束のように枝を伸ばして、『彼』の腕を絡め相殺した。Kalmia。
 『彼』とシルとの間に潜り込むように割り入ったあかりの白衣に、『彼』の身体から零れ落ちるオイルが染みを作る。
 枝に搦め取られてもまだ、『彼』の腕は目標を狙い続け、『彼』の瞳には理性はあった。
 あかりはただ、その瞳を見つめて。
「……シルさん」
「うんっ!」
 素早くバックステップで距離を測り直し、シルは両の掌底を合わせる。
 ──最後の最後、わたしの切り札を……これで……、一撃で決めるっ!
「闇夜を照らす炎よ、命育む水よ、悠久を舞う風よ、母なる大地よ、暁と宵を告げる光と闇よ……。六芒に集いて、全てを撃ち抜きし力となれっ!」
 六芒精霊収束砲──ヘキサドライブ・エレメンタルブラスト!
 名の通り六つの力を集めた光は眩く全てを照らして、──そして宵闇の如く消えた。

 がしゃり、音を立てて崩れ落ちた『彼』の姿は既に『部品』と化していて、けれども千梨はその周囲へと御業の炎を浮かべ照らした。それは弧から螺旋へと移り代わり、空へと続いていく。
「……願わくば、善き導きになるように」
 その声音には、哀も惜も含まれてはいなかった。
「……例え自分の意思で敵対したとしても。それを尊重するかどうかは別の話だけどな」
 身勝手なものだと、自分自身に苦笑しながらグレインはさらさらと崩れて消え往く『彼』の最期を見送って。
 あかりは至近距離で見た緑を思い返し、そして瞼を伏せる。
「……あなたに川のせせらぎはどう聞こえただろうか。願わくば、少しでも逝き道への慰めになれば良いのだけれど」
 使命のために生きて、死ぬ。
 これしかないと理解しているからこそ、彼女も表情を変えることはない。
 ────それでも、僕は忘れないよ。

●怠惰に含まれる癒しの効果
 めいめいにヒールを施し、裏山の隠れ家だというその場所から戦の痕跡を減らしていたさ中、「あら」ふふり、アリシスフェイルはそこへ戻ってきた件の青年の姿に笑みを零した。
 赤煙も折っていた膝を伸ばしてその身に傷ひとつないことを確認し、「災難でしたな」と笑いながら声を掛けた。
「デウスエクスに襲われたから言うわけではありませんが、息抜きもほどほどに」
「そうよ、サボるのはいけないことだと思うの」
 上目遣いでメイアも憤然と彼に指を突きつける。
「学費はご両親が出してくれているのでしょう? サボるのは自分の責任で負えるようになってから、ね」
 青年は気まずそうに「ああいや、その、」とかごにゃごにゃもごもご言っていて、メイアは傍に寄ってきたコハブを抱き上げて、呆れたように相好を崩す。
「息抜きは必要よ。だから、お休みの日にしっかりね」
「ああその、……はい」
 そんな様子を千梨は少し離れたところで幹に背を預けて眠たげに眺め、小川の傍では冰が水面をしげしげと見つめている。
「知識、経験を蓄積。引き続き思索を継続」
「がんばるよな……。──……どうした?」
 ところが突然彼女がぽすりと河原に座ったものだから、彼も思わず首を傾げた。
「……お腹空いた。怠惰が必要」
「よし子(チョコ)と騎士MEN(面白ミラクルシェフ謹製炭水化物)ならあるが」
「ネーミングの不可解さに知識と食欲の混乱を確認」
 くすりともせずそんな会話を交わすふたりに、通りかかったグレインが口角を緩めて所持していたパウンドケーキを彼女達に分けた。
「今はちょっと隠れ家を借りてひと息つくのもいいだろ」
 木々や大地に触れ自然から借り受けた力に感謝を籠めてヒールを重ねていく彼は、ふと案内してくれた友人の仕種を思い出す。
 同じように川縁で、同じように姉弟子のことを想起したグレインの傍で、彼は肯きながら同じ仕種をしたから。
「……気にし過ぎか」
 小さく笑って振り返った視線の先。
 歯車ひとつだけ落ちるその場所に、紫苑の花が風に揺れた。

作者:朱凪 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年7月3日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 4
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