「ご機嫌よう、皆さん」
今日も、ほんわりおっとりした挙措で、貴峯・梓織(白緑の伝承歌・en0280)はケルベロス達に声を掛ける。
「6月13日は、わたくしの61回目のお誕生日なの。去年は、赤一色の素敵なひと時だったから……今年は、カラフルな処にお誘い出来ればと思って」
――少し早起きして、紫陽花の迷路なんて、如何かしら?
伊豆に在るその公園は、約15万株の紫陽花が植栽されているという。野生種のガクアジサイをはじめ、和洋様々な品種は実に100種を越える。
「丁度、今が見頃なのですって」
少しきつい坂を上った先、紫陽花の群生地に足を踏み入れれば――正に絶景。視界を埋め尽くす色とりどりの紫陽花の美しさは、カレイドスコープの世界に迷い込んだかのよう。
「それも、『朝』の紫陽花が1番美しいと聞いたの」
澄んだ空気の中、朝露に輝く紫陽花を見てみたいと、赤錆びた双眸を輝かせる梓織。
「だから、早起きしないといけないけれど……紫陽花の季節だけ開店するテラスカフェもあるそうなの。紫陽花を眺めながらのお茶も、きっと素敵だわ」
メニューは地元特産の甘夏のジュースやソーダ、オリジナルブレンドのコーヒーはホットでもアイスでも。水出し緑茶は、勿論静岡のお茶だ。
「皆さんと紫陽花を堪能して、お茶とお喋りも愉しんで、そんな朝を過ごせたら……幸せな誕生日になるでしょうね」
或いは、「内緒話」するのも又――手毬のような大輪の陰に身を寄せて、密やかに語り合えば、きっと親密な一時が過ごせる筈。
「本当に素敵……わたくしも、旦那様とご一緒したかったわ」
ケルベロスとなるまで、ほとんど自宅に篭りきりの生活であったという梓織。最愛の人を見送ったのは、もう何十年も前だ。
物腰柔らかな佇まいに、哀情をほんの少し滲ませて。けれど、すぐに老淑女は、いっそ少女めいた無邪気な笑みを浮かべる。
「宜しかったら……今年も、わたくしにお付き合い下すってね。どうぞよしなに」
6月13日午前6時――天気は曇り。気温は既に20度を越え、空気の重さが雨の予感を感じさせる。
「1番乗りできたかなー?」
少しきつい坂を頑張って上り、ゆるやかな路を辿る中、紫陽花の彩りについつい足も止まるというもの。
そうして、群生地に臨むテラスカフェまで到着して、ウォーレン・ホリィウッドはクルリと振り返る。
「おう、めっちゃ張り切って、朝1番に来てもうた」
「朝早くから足並み揃えられるのは、生活を共にしてる利点だね」
ウォーレンの何処かはしゃいだ様子に、美津羽・光流も愉しげに紅の双眸を細める。
「見て見て! あそこ、青い紫陽花の沢山ある辺り。海みたい!」
一面の紫陽花は、その数15万株。早速、心惹かれたか、とうとう駆け出すウォーレン。
「レニ、あんまり走らんようにな」
全部見て回ろうとする意気込みは、確かに微笑ましいけれど。光流は寧ろ懸念の色を浮かべている。
(「……暑さにも雨にも負けへん紫陽花ほど、丈夫やないんやから」)
けれど、素早く追い付いたウォーレンに見せる表情は、あくまでも優しく、甘い。
「……ここ、内緒話するのに丁度良さそう」
丈高い紫陽花に囲まれて、身長180を越える2人も、少し屈めば花陰の囁きは密やかに。
「だけど、僕ら特に内緒話ってないねえ」
「……せやな」
クスクスと笑み零れるウォーレンは、光流の返答が一瞬詰まった事に気付かないふりをする。
(「うん……だって、戦いが終わった後の時間は、けして長くないって、光流さんは知ってる」)
だから、今の内に沢山見ておこう。心震える光景を最愛の人と一緒に。
「梓織さん、おはようー!」
だから、緑の中の深紅のストールを認めて、明るく声を掛けた。
「ご機嫌よう……あら、そうね、おはようございます、ウォーレンさん」
「ふふ、朝だからね。それから、お誕生日おめでとう!」
屈託ないお祝いに、貴峯・梓織(白緑の伝承歌・en0280)はおっとりと謝意を返す。
「今年は恋人さんと一緒……あれ、いない?」
「確か……赤い目の恋人さん、だったかしら?」
「そうそう、螺旋忍者らしく時々忍ぶんだよねー」
折角紹介しようと思ったのに。ほんの少し頬を膨らませて、ウォーレンは首を巡らせる。
(「あっちの品種、僕の生まれ故郷のだ」)
「探してくるー」
「ふふ、いってらっしゃい」
白と緑の一角目指して小走りのウォーレンを、にこにこと見送る梓織。だが、視界の端で、紫陽花の緑と異なる色合いが動いて、赤錆びた眼を瞬いた。
「おっ、梓織先輩も朝早いんやな」
いっそ飄然と、紫陽花の間から、光流が顔を出している。ウォーレンの言う通り、『忍んで』いた模様。
「まあ、あなたが、ウォーレンさんの?」
「確かに、レニは俺の嫁やな」
衒いなく肯いて、青年はふと気遣わしげに眉を寄せる。
「レニ……どこまで行く気や」
その心配そうな声音に、梓織が怪訝そうに首を傾げれば。
「あー……コレは内緒って程ではないねんけど」
遠からずの未来――光流はウォーレンにおいていかれるだろう。30年前の、梓織のように。
(「せやから……梓織先輩の、亡くなった旦那さんを思い続けてる姿は、何ちゅうか……眩く見えるんやな」)
彼女のように、自分が「そうなっても」大丈夫だと――諸々湿っぽいのは、きっと梅雨の所為だ。
「レニ! 俺はここやて!」
振り切るように、声を張る光流。
「ほなな! 梓織先輩……っと、言い忘れてたわ。誕生日おめでとうさん! 長生きしてな!」
サムズアップして駆けていく青年を、梓織は静かな微笑みを浮かべて見送った。
彼は、散歩が好きらしい――一々立ち止まるアンラ・アイキランケの後をのんびり追い、ロコ・エピカは欠伸を漏らす。
「……おい、アイビー」
見咎めたアンラが眉間を抑える。梅雨を厭う者は多いが、ロコは寧ろ好きだと答えていた。6月も梅雨も眠いけれども、夏至は特に好きだとか。
(「よくよく、ついてきたものだが……」)
「まだ半分寝ている様だが? もう少し早く歩けないのかね」
お小言にも、奔放な気分屋はまるで堪えた様子も無く。
「なぁに。アンラの足が早いだけ。身長分けてよ、2cmでいい」
「……よい、よい、私が悪かった」
アンラはセントール。半人半馬の呈では優に2mを越えようが、定命化した現在は大半を人型で過ごす。
「逸れぬよう、気を付け給え」
(「わあ、呆れられた」)
紫陽花の群生地に到着したのは、程なくしてだ。
「見事な紫陽花だ……そう言えば、花言葉は知っているかね」
端的に称賛するアンラ。続く問いに、ロコは無造作に肩を竦める。
「……『移り気』とかだっけ?」
「色によっても違うのだよ」
「色別には覚えてないな」
「お前はどれでも合いそうだがね。強いて言うなら、青だろうかね」
丁度、目の前に鮮やかな青が咲き誇っていた。気の無い素振りで、花毬を眺めるロコ。
「言っておいて、教えない気だろ」
「調べ物は有意義な暇潰しだ」
「同意はする。だが断……っ」
ゴンと、郵便鞄が頭上に降ってきた。
「うむ、即答とはよい心がけ」
「仕事道具の扱いおかしい」
「何、中は空だ」
つんのめり、膝突いた下から睨め付けるロコの視線にも、アンラは何処吹く風だ。
そんなこんなの朝の散歩――徐に、アンラは時刻を確認する。
「そろそろ帰るぞ、アイビー」
「ん、満足したかい」
仰いだ空は、生憎の曇天……否、あの辺りの雲の層は薄そうか。
「君はそのまま仕事へお行き。僕は鳥の道で帰るから」
「しっかり歩……そうであったな」
黒き竜翼を開くロコの様子に、アンラも小さく頷いて。
「同行感謝する、真っ直ぐ塒へ帰れよ」
「此方こそ。地球は面白いよ、アイキランケ」
ひらり手を振り、飛び立つ。雲の薄層を抜ければ、晴れた空を渡れるだろう。元より寄り道の心算はない。
「それじゃあ、またね」
テーバイの竜を見送って、黒百合は手帳を開いて予定を確認する。その足取りは淀みなく、元来た道を引き返していった。
上り坂、斜面に揺れるぼんぼりの紫陽花は、曇天の下でも艶やかに。
だから、それはささやかなる奇跡。ほんの少し、切れた雲間から朝の光が階のように降り注ぐ。
「わあ……」
思わず息を呑むジェミ・ニア。赤や紫、白、色とりどりに澄んだ光がそっと染みてゆくよう。或いは、花に結んだ露がきらきらと。
早起きは三文の徳とは良く言ったもの。何だか得した気分だ。
「エトヴァ、まだ眠い?」
隣を窺えば、見上げた長い睫毛がゆらりと動く。
「……いえ、目が覚めまシタ」
霞混じる朝の空気を、ゆっくりと深呼吸するエトヴァ・ヒンメルブラウエ。少しばかりの眠気は瞬きで払った。
「本当に、優しい彩り……霞に溶けるような佇まい……美しいですネ」
ゆったりとした口調に肯いて、ジェミは首を巡らせる。
色とりどりの花の道――けれど、紫陽花は色ばかりでなく、種類も豊富。手毬型は勿論、平たく咲いているもの、八重咲のもの。和洋様々な品種の数は、実に三桁に達するとか。
「あっ、あっちの形珍しい……そっちの紫陽花も見たことない」
好奇心の赴くまま、ジェミは紫陽花の迷路に足を踏み入れる。あちこちと身軽に動けば、襟足で一纏めのしっぽが気儘に跳ね回った。
「……不思議ですネ。雨の好きなお花」
一方、エトヴァはのんびりと。鏡映しの眼を細め、朝露に潤う花にそっと手を添えていたけれど。
「エトヴァ、こっちこっち」
「……ジェミ?」
呼び声に、思わず笑み綻ぶエトヴァ。紫陽花の間で揺れる白金の髪を目印に歩み寄れば、ジェミも緑眼を細めて手を差し出す。
「やっぱり、手をつないで歩こうか」
見失うと大変だから――応じて、2人で歩く、もこもこの花の迷宮。
「もっと先まで、行ってみまショウカ」
夢見心地のまま、ゆったりと、歩いていたいと……エトヴァの呟きに、勿論、ジェミも否やは無いけれど。
「喉が渇いたら、カフェで一休みも良いね」
いつしか、空は又、分厚い雲に覆われて。けれど、滴る露に花色が鮮明さを増したら、朝食にしよう。
「おはよう、おばさま! 今年も誕生日おめでとう!」
曇天に快活な声音が響く。ドワーフの(見た目は)少女と談笑していた梓織は、散策向けに軽装の小車・ひさぎを、にこやかに迎えた。
「あれから……もう、半年経つのね。すっかり良いようで、何よりだわ」
「うん、腕はもう大丈夫!」
ひらひらと右手を振って見せるひさぎ。合わせて、橙の陽炎がゆらゆらと。
「まあ、可愛らしい」
ケルベロス独特の回復に思う所もあったようだが。ひさぎが差し出した誕生日プレゼントに、梓織は思わず感嘆の声を上げる。
「しっとりブルーグレー系とゆめかわパステルカラー、2つ作っちゃった」
つまみ細工の紫陽花はブローチ仕立て。早速ショールに着けて、老淑女は花綻ぶような笑顔で礼を述べた。
「美緒ちゃん、おばさまをお借りするのだわだわ」
「はいはい、いってらっしゃい」
紫陽花の群生地を一望出来る、期間限定のテラスカフェの営業は7時から。開店までの時間、梓織を散策に誘うひさぎ。
「おばさまと紫陽花迷路で、内緒話したいんだー」
足取り軽く、はしゃいだ様子も束の間。果たして、一面のカラフルな『紫』に、思わず息を呑んだ。
「……圧巻って、きっとこういう事なんだね」
そうして――艶やかな万華の中、2人の声音は花陰に潜む。
時に照れたり、笑ったり。言葉を交わす間、ひさぎの表情はクルクルと変わる。
梓織の表情も又、懐かしそうに遠くを見る眼差しが、ひさぎの言葉に動揺したように泳ぎ、同時に頬に朱が差したりと。
世代の異なる2人の何処か似通った様相は、きっと遠目からでもどんな話題か知れるだろう――乙女心は、秘してこそ素直に花咲ける。
見渡す限り、紫陽花の花、花、花。そして、緑滴る光景は、曇天の下にも瑞々しい。
紫陽花の群生の最中に佇めば、彩なす世界にいるのは2人だけ。
「じゃあ、内緒話。先に耳貸してもらうね」
「アンちゃんも、あとで耳貸してくださいねー」
満面の笑みを浮かべる朱藤・環に囁こうとして、アンセルム・ビドーはほんの少し、戸惑ったように藍の双眸を瞬く。
「……あ、環の耳はこっちか」
「ふふ、耳の位置が違うから慣れないですか?」
スコティッシュフォールド特有の垂れた猫耳をピクリと動かし、環はクスクス。その白い耳に唇を寄せて、内緒話のやり直し。
「実はね……環と一緒に過ごす時間が、最近とても楽しくて仕方ないんだ」
他の皆と何かしたり、遊びに行く時とは又違う。環と2人きりで過ごすだけで、心の底から嬉しくなる。
「人形やぬいぐるみと遊んでいるよりも、環と遊びたい……今のは内緒だよ。お人形よりもキミが良い、なんて話は」
「そっか、お人形さんよりも……ですか」
じんわりと、環の胸の奥から込み上げてくるのは、歓びだ。
「少し……ううん、すごく嬉しいな」
アンセルムが常に共にいる少女人形を大切にしているのは、環もよく知っている。正直、そのお人形さんを羨ましく思っていたのだから。
「あのね……他の人から、頼れるとかゴリラとか言われる私ですけれど」
頬の熱さを隠すように、背伸びした環はアンセルムのエルフ耳に唇を寄せる。
「アンちゃんには……妙に甘えたくなるんです」
例えば撫でてほしいとか、手を繋ぎたいとか。依頼中だって、つい姿を探してしまう。
「嫌じゃ、ないですか?」
「いいよ、たくさん甘えて。環のお願いなら、聞けるよ」
女装以外なら、と茶目っ気混じりに微笑むアンセルム。
「だったら……もし、どうしても1人じゃ立ち直れないときが来たら。その時は……たくさん甘やかしてもらっていいですか?」
「うん。その『どうしても』が来た時も……キミが立ち直れるようになるまで、傍にいる」
即答だった。だから、環はもうひと踏ん張り、我儘を口にする。
「もし、今も甘えていいのなら……出口まで手を繋いでこ?」
それ以上は、気恥ずかしくて。彼女の精一杯の言葉に、アンセルムは蔦に鎖されていない方の手を差し出す。
「おいで。今から甘えさせてあげるよ」
そっと滑り込んできた手をしっかりと握って、アンセルムは環と肩を並べて歩き出す。
そうして、耳に滑り込んできたのは、彼女の真実。
アンちゃん、大好き――。
6月13日――天気は曇り。午前中は9時頃に一雨も来たが、雨の紫陽花も又美しい。
朝の紫陽花の一部始終を、傘を片手に、珈琲をお供に堪能したヘリオライダーは、万華鏡のような群生地の中に、静かに佇む老淑女を認める。
嗚呼、幸せそうで何よりと、笑顔で手を振ってきた彼女に、慇懃に会釈した。
作者:柊透胡 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2020年6月29日
難度:易しい
参加:9人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 1
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