最果ての森

作者:秋月諒

●春遠く、護りの詩が響く
 ——護らなければ。
 只、それだけが『残って』いた。森の中、風に揺れる木々が生む漣のように響き、ひびき。頭の中を支配する。——あぁ、違う。それだけが真実なのだ。それだけに意味がある。
「……」
 青々と茂る草に、足を落とす。吹き抜ける風が、長い緑の髪を揺らしていた。色彩は春の木々に似ていたか。薄く開いた唇は音を発さず、髪留めのリボンを失った姿は本来の翡翠・風音(森と水を謳う者・e15525)に似て——何処までも違っていた。
「……」
 ただ、長く美しい水緑の髪が揺れる。穏やかに微笑んでいた彼女の姿は既に遠く、凜々しく立つ。——そこに、理性など無いまま。暴走の域へと至り、一撃を叩き込み姿を消した風音は夕暮れの森に足を止める。ざぁああと、吹き抜ける風が長い髪を揺らしその貌を曝す。
「……らなければ」
 そこに、白い肌は無かった。半身は樹皮に覆われ、貌さえも木々に寄る。絡みつく蔦がその手を取っていた。
「護らなければ。護らなければ。尊き命を。尊き仲間を。止めなければ。殺めなければ。星を脅かすものを——……」
 奪うものを。護人として、番犬として、生きているのならば。
 くり返される言葉に理性は無く、心さえ塗り潰すように声だけが落ちる。滅多に声を発さぬ者が最後に落とした言葉は風に攫われ、ふつりと途絶えた。
「……」
 肩の花だけが、ただ美しく咲いていた。気高く美しく——だが、何処か痛々しい程の色で。

●最果ての森
「——皆様、先の大阪城の戦いにて、姿を消した風音様の居場所がつかめました」
 レイリ・フォルティカロ(天藍のヘリオライダー・en0114)はそう言って、顔を上げた。
「ロキとの戦いの後、暴走した風音様はこのまま大阪城を脱出されていました。——今は、この山間の地に」
 街中を避けていたのは、仲間を守ろうとする心が残っていたからだろう。暴走の直後にあった理性は今、失われている。森の一角で動き出した風音は今、強い感情に支配されているのだ。
「人々を、仲間を護り、無念を晴らす為にデウスエクスを倒さなければという感情に支配されているんです。——たとえ、自分がどうなろうとも、と」
 護り人としての覚悟だけが、暴走した風音を突き動かしている。
「それが、時として風音様の望む形ではない方へと作用されようともしています。——この地には、古びた風車小屋があるんです」
 とうの昔に使われなくなったそれは、木々の半分を飲み込まれ、家具の類が置かれたままになっている。
「もしも家電があれば、デウスエクスが出現する可能性を否定できない。——勿論、予知はありません」
 ですが、とレイリは言った。
「デウスエクスを倒すという強い感情に支配された風音様にとって、その可能性は由々しきものとなります」
 このままでは風車小屋を破壊し、その可能性のまま移動を開始してしまうかもしれない。
「風音様を、迎えに行きましょう」
 レイリはそう言って、ケルベロス達を見た。
 今から行けば、風音の姿を見つけるのは風車小屋の手前、開けた空間になるだろう。白詰草の咲く、美しい空間だ。
「時刻は夕方になるかと。灯りに関しては問題無く、月明かりが足場を照らしてくれます」
 人払いも済ませてある。間違っても、一般市民がやってくることは無いだろう。
「暴走した風音様は、その半身を樹皮に覆われ、蔦が絡みついています。こちらの戦意に介入する歌や、樹の外皮を利用した攻撃、肩の花から眩しい光を放つ攻撃を持ちます」
 その姿と、技に木々を感じるのは風音の持つ属性やサーヴァントが理由だろう。
「肩に咲く花を含め、風音様の力の性質と、森を守る一族に受け継がれる腕輪が共鳴した結果かと」
 それに、とレイリは顔を上げた。
「樹皮も蔦も、動きます。攻撃に、では無く護りにです」
 それは風音の恐れの感情に呼応するものだ。
 決して顔に出されることは無く——だが、それを抱けば外皮の厚さ、範囲が変動する。相対する際に、覚えておくべきだろう。
「それと、変動にはもう一つの意味があるかと思います。これは、風音様を守るように動いているところがあります」
 樹皮が分厚くなれば、当たり前に防御力も上がる。樹の外皮は風音の体を覆っているだけなのだから。
「シャティレ様の願いが、そうさせるのかと。必死に、風音様を護ろうとしているんです」
 心の奥底を、護るように。
 暴走状態の風音を弱体させる方法は、大きく分けて三つ、だ。
「風音様は、氷を苦手とされています。故郷の森に起因する出来事はトラウマとなってもいるようです」
 命の温もりを感じることが出来ない氷を、彼女は苦手とする。
「肩の花は、ボクスドラゴン『シャティレ』様の力が最も集まっている場所です。この花を攻撃することが出来れば、風音様を護る外皮などの力も弱まります」
 部位狙いが有効となってくるだろう。
 だが、攻撃だけでは足りない。
「楽しい、明るい記憶を思い出させる何かがあれば——引き戻せます」
 それは、簡単には告げられない言葉かもしれない。だがそれを持つ者もいるだろう。伝えられる言葉も、あるだろう。
 そこまで言って、レイリは真っ直ぐにケルベロス達を見た。
「お帰りって、言いに行きましょう。迎えに来ましたと」
 あの戦いの全ての報告も、ちゃんと守れた『明日』が今日も続いていることを。
「それでは参りましょう。皆様に幸運を」


参加者
斉賀・京司(不出来な子供・e02252)
千手・明子(火焔の天稟・e02471)
神崎・晟(熱烈峻厳・e02896)
鉄・千(空明・e03694)
板餅・えにか(萌え群れの頭目・e07179)
天音・迅(無銘の拳士・e11143)
蓮水・志苑(六出花・e14436)
影守・吾連(影護・e38006)

■リプレイ

●護り人へ捧ぐ
 唸るように強く風が吹いていた。森のざわめきは震えに似て、空から雲を散らしていく。乾いた筈の空気は——だが、強い緑の香りがしていた。
「風音」
 千手・明子(火焔の天稟・e02471)は口の中、言葉を作る。薄く帯のように差し込む夕焼けが開けたこの地に立つ姿を照らしていた。
「……」
 腕に巻き付いている蔦が、しゅるり、と動く。光を厭うよりはこちらの存在に気がついたからだろう。翡翠・風音(森と水を謳う者・e15525)の腕をひくようにゆるり、と動く蔦を明子は見る。
「わたくし、迎えに来たの」
「——」
 言葉に、声に反応したのか。将又、来訪者に反応したのか。風車小屋へと視線を注いでいた翡翠・風音(森と水を謳う者・e15525)がこちらを向く。存在を捉える。
「——らなければ。尊き命を。尊き仲間を……」
 言の葉が滑り落ちる。くり返される言葉は、会話では無い。ただ『今』の彼女に残ったものだ。ロキとの戦いで最後、暴走した風音の中、強く残った思い。
 デウスエクスを倒すという——強い感情。
 理性を失い、只、その為だけの存在へと己を変えた彼女は、来訪者の姿を障害として捉える。
「風音」
 斉賀・京司(不出来な子供・e02252)が呼ぶ。ゆっくりと開かれた風音の瞳が光を帯び——空気が、震えた。
「——ァ」
 それが、歌声だと気がついた次の瞬間、空間が——割れた。肩口から腹まで、斜め打ちに赤が走る。
「——ッ」
 前衛、空間ごと薙ぎ払うように来た刃は不可視だ。しぶく血に、痛みは後からやってくる。見切れはしなかった。それこそ、ロキとの戦いにて見せた力。暴走した風音の力は、容易く躱せはしないか。
「それは、分かっているもの」
 言い聞かせるように一度、明子は言葉を作る。だって風音なのだから、と変じた大切な友人を見る。
「私が危ない時貴方は何時でも駆け付けてくださいました。今度は私が……」
 それは、蓮水・志苑(六出花・e14436)も同じだった。紡ぐ言葉に、風音の瞳だけがこちらを向く。明確な敵意——けれど、殺意では無い。ならば、と甘んじはしない。空の手を前に出す。放つ力がキィン、と甲高い音を一つ紡ぎ——樹皮を穿った。

●深き森の夜想曲
「共に帰りましょう」
 覚悟と共に志苑が放った一撃が生む破砕の音は樹の軋む音に似ていた。しゅるり、と蔦が伸びる。樹皮の砕けた部分を補うように樹が這っていく。
「——」
 そこに声は無かった。表情ひとつ変える事無く、だが樹の外皮も、蔦も風音の恐れの感情に呼応するものだ。理性を失った彼女の、その奥にある心が震えたのか。視線だけを向けていた風音がこちらを向く。
「来る」
 短く神崎・晟(熱烈峻厳・e02896)が警戒を告げた。軽い踏み込みから一気に風音が加速する。回避の為か、間合いを詰める為か。そのどちらであっても——。
「早いね。うん、流石風音だけど」
 止めないと、と鉄・千(空明・e03694)は呟いた。頬を涙が伝う。ぬぐっている暇など無かった。涙の侭俯く事も選びはしない。
「絶対に風音とシャティレと一緒に帰るのだ!」
 覚悟と共に千は地を蹴った。高い跳躍。空へと上がった千を追うように風音が上を向く。ゆるり、と持ち上がった指先は力を宿したか。
「空に、あるのならば」
「否。地上にもあるだろう」
 肩の花へと集まっていく煌めきを、阻むように晟はオールを振り下ろした。踏み込みから一気に弧を描く一撃は——だが、宙で止まる。
「……」
 風音の声は無い。ただ跳ねた蔓が一撃を受け止めていた。鍔迫り合いに似た火花が散る。その勢いに晟は乗った。
「過去の記憶というのはそう簡単に忘れられるものではない」
 どのような気持ちで生きてきていたのか、それは君にしかわからないだろう。
「だが、ここにいる皆と過ごした日々での感情や見せた表情は君自身を偽るためだったわけではないだろう?」
「——」
 打ち合った先、風音の瞳が僅かに揺れる。その事実に空を舞う千が流星の煌めきを纏う。
「届かせるよ!」
 身を、落とす。風音へと。
 晟へと意識を向けていた風音の反応が一拍、送れた。一瞬——でもそれだけあれば十分だ。
「風音の仲間を守りたいって気持ち、とっても分かる。千も守りたいんだぞ……風音とシャティレを」
 叩き込んだ一撃に、樹皮が軋んだ。欠け落ちた木片の向こう、きら、と肩の花が輝く。束ねられていく力の気配に、天音・迅(無銘の拳士・e11143)は一歩足を前に出した。
「風音、おつかれさん」
 撃ち込む拳は手加減の一撃だ。暴走状態にある風音に傷はつかない。ただ、視線が迅を捉える。
「……」
 そこに声は無かった。表情一つ変える事の無い風音に、迅は、ふ、と笑った。常と変わりなく、普段そう声をかけるように。
「アンタは何時だって勇敢だった」
 己が意思を行動で示し続けた。
「心を軋ませても戦い抜いたアンタを迎えに来たんだ。遅くなっちまってすまない」
 重ねた言葉には意味がある。覚悟がある。
「さあ、一緒に帰ろうぜ」
 風音を助けるために、皆で考えて決めたのだ。——言葉で、彼女を助け出そうと。

●月明かりの叙唱
 戦う術だけは見えていた。必要な情報と、その名残を見ることが出来ていたからだ。
 肩に咲く花は、シャティレの力に似ていた。走る光は、一度でも共に戦った事がある者であれば見た事がある。そして、暴走しているのが風音である以上、彼女が苦手とするものはそのまま——届く。
(「氷……。故郷の森で起きたこと」)
 故郷の森を、家族を凍りづけにされた。その事実は、未だ、風音の心の奥に深く残っている。
「……」
 彼女の、弟の一人との戦いを影守・吾連(影護・e38006)は知っていた。あの場に共に立っていたからだ。
「風音さん」
 振り下ろすハンマーが竜の咆吼を招いた。一撃は身を飛ばす風音の足を一瞬、止める。ほんの一瞬——だが、それで良いのだ。『その瞬間』を皆で選んだのだから。
 氷の攻撃は使わない。
 トラウマも思い出させはしない。
 肩の花も——狙わない。
 本当に、本当にこのまま皆で倒れてしまうとなる迄は。
「ね、風音さん。きっと今、すごく怖いよね」
 ふわり、と明子の描いた陣が回復の光を紡ぐ。燃えるような夕暮れの中、吾連は風音を見た。
「自分がやらないと、守らないとって。皆から距離を置いて、たった一人で」
 距離を詰めれば苺の香りが揺れる。シャティレの大好きな苺の香り。風音にとっても馴染みの深い香り、その香水を纏ってきたのだ。
「……」
 その表情に変化は無くとも、木の外皮が、蔦が彼女の心に確かに届こうとしているのを教えてくれる。
「頑張ってくれてありがとう」
 己を落ち着かせるように一度息を吸って、吾連は言った。
「でも、暗くなる前に俺達と帰ろう。シャティレと一緒にさ」
 また皆で遊んだり。ご飯やおやつ食べに行ったりしよう。
「明日も皆で一緒に笑おうよ。また、笑ってる顔見せてよ」
「——」
 ゆるり、と視線が上がる。払うように動く腕が風を招いた。ゴォオオ、と吹きすさむそれは攻撃というよりは回避に似ていた。間合いひとつ、取り直そうとする姿に板餅・えにか(萌え群れの頭目・e07179)は声を投げる。
「無事帰るところまでが任務ですぜ!」
 初めて出会った時は、風音は宿敵と対峙していた。今は、その時の事は流石に話せない。
(「ここで一手間違うと風音さんもデウスエクスの側にいってしまいかねない。それをさせないためにここに来たんだ」)
 だからこそ、えにかは光を手にする。ピン、と指で弾けば光の盾が晟に立つ。
「いきますぜ!」
 前衛から着実に長期戦に向けて、盾を紡ぎ続けているのだ。声をかけ続ける皆と風音の様子をしっかりと見ながら、えにかは回復の術を重ねていく。声を、言葉を、思いを届ける為に此処に来たのだ。
 ——それは、この地に駆けつけた仲間も同じだった。
「翡翠さん! 一緒にみんなで企画した、ハロウィンでのパレード車を覚えていますか!」
 フローネが思い出を紡ぐ。展開した盾が受け止める花からの一撃を赤煙は知っていた。共に何度も戦ったのだ。
「守るとは、自ら苦しむことではありません。守る事で良い事もあったでしょう?」
「——らなくては」
 声を振り払うように風音が身を前に飛ばした。踏み込みからの一撃、ざ、と間合い深くに沈み込んだ風音の手を樹皮が覆う。絡みついた蔦と共に生まれたのは刃だ。
「緑樹よ、此処に」
「風音君」
 だが、一刀が届くより先に割り込む力があった。猟犬の鎖だ。刃に絡み、振るう腕ごと捕まえる。
「今の君は少し前の僕だね」
 漸く、重ねた制約が彼女に届く。気がつけば夕暮れが遠く去っていた。帯のように落ちていた紅が遠ざかり、月明かりが戦場に降り注ぐ。
「無力な自分が生き残って辛かった? 自分じゃなく優秀な兄弟だったらと考えた?」
「……」
 重ねた言葉の先、風音が僅かに足を引く。足元、白い花が散る。
「死んでしまいたいと想ったかい?」
「——」
 ひゅ、と息を飲んだのは風音であったか、吹き抜ける夜の風であったか。蔦が伸びていく。風音を護るように樹皮が広がっていく。その姿に見た答えのどちらも口にはしないまま、京司は囁くように告げた。
「そうだね。僕はそうだった」
 だからこそ死ねないよ。
「僕の姉が僕に自分の大切な子共達を託したやうに。君の兄弟は君に大切な森を託した筈なんだ」
「——ぁ」
 擦れる声がひとつ、落ちた。その変化に誰もが気がつく。木の外皮に覆われた先、凜々しく立つ護り人の気配がほんの僅か、揺れた。
 ——ヒュン、と蔦が伸びた。弧を描くよう、振り払うように風音を捕まえた鎖を落とす。その勢いの侭、向けられた強い力に——だが、構わず京司は言った。
「それを護りたいのに独りは耐えられなかった。だから僕達がいる」
 チリチリ、と痛む傷があった。深手にはなっていない。小まめに紡ぐ回復と長期戦を覚悟して紡いだ盾と加護のお陰だ。この場に集まった21人で繋ぐのだ。届ける為の時間を。
「君が言ったんだ。僕は大切な仲間だと」
 間合いは変えない。踏み込んだまま京司はひたり、と風音を見据えた。
「それを今、君に返す」
 凍える夜を越えるんだ、僕達。
「歩み間違え、この身と心に受けた傷が治らなくても。友がいる限り、共に認めて助け合うから」
 揺れる。ゆれる。
 蔦が揺れた。肩口の花が淡い光を帯びては、迷うように揺れる。森に差す光の強さは目映い程に、一瞬世界を染め上げた。その光に夜の訪れを知る。
「これから楽しい想いをしよう。揃いの服を買った日みたくなるべく微笑む日にしよう」
 縁側で語ったやうに。それから遊ぼう。庭で団子を作った時みたく。
「風音」
「たし、は私は……ら、なければ、生き延びて、今なお生きているのならば。その身が朽ちるまで、いつまでも」
 紡がれる言葉は——だが、揺れていた。いつまでも、と低く響く言葉の奥、振り払うように紡がれる力を見る。瞬間、穿つ光のその前へと晟は踏み込んだ。キィイン、と穿つほどの力をその身で受けきる。盾として全てを防ぎ、肩口焼け付くように走った痛みに顔を上げた。
「臆病者? 落ちこぼれ? 仮に君自身がそう思っていても今の眼の前にいる者たちの言葉から逃げるな」
 回復いくっすよ、とえにかの声が届く。淡い光の中、剥き出しの敵意に——その行き先が目の前の自分達に向いていない事を感じながら。
「今の君が守りたいものはそこにあるのではないのか?」
「まも、り……」
 それは、理性を失い暴走の域へと足を踏み入れながらも風音の中に強く残ったもの。
 護らなければ、と。
 護り人たる彼女が思い、そして己に課したもの。擦れ落ちた声が夜風に攫われた。

●月下の二重唱
 月明かりが風音の頬に触れていた。樹の外皮が戸惑いに似た不安を示すように半身から、風音の肩口まで届いていく。呼び留めるように志苑は風音へと踏み込んだ。
「幾年経つでしょうか」
 身を空に飛ばす。落下の勢いから流星の煌めきを纏う。穿つ一撃はただ、風音を止めるだけのものだ。
「……」
 ふわりと髪が舞う。髪留めの無い、下ろされただけの髪に緑と血の匂いが混じる。古い、ものだ。きっと彼女が暴走した戦場で得たもの。
「同じ時を過ごすうちに知った貴方の過去。兄弟を殺された境遇に自身と似たものを感じていました」
 大切な人を守れなかった事、自責の念……痛い程に。
 樹皮が軋む。肩口から全身へと届こうとした樹の外皮を志苑は押しとどめる。間合い深く、手の届く距離で言葉を紡ぐ。
「けれど知って欲しいのです」
 真っ直ぐに瞳を見る。吐息一つ零すようにして志苑は微笑む。
「貴方は何時も危ない時駆け付け助けてくださいました。私は其れで何度も貴方に救われました」
 毎年のお菓子の贈り物とても嬉しいです。
 シャティレさんが選んでくださった菫は栞にしております。
「帰りましょう。皆が居る所へ、花と共に皆でお茶をしましょう」
「守りたい人達の笑顔、覚えてる? 何話したか、何して過ごしたか……」
 手を覆う樹皮が動きを止める。風音の全てを覆ってしまいそうだった樹が月明かりの中、少しずつ風音の手を晒していく。
「その人達だって、風音が笑顔で幸せな方がきっと嬉しい」
 精一杯、声を張り上げて千は言った。
 一緒に過ごした日々の思い出と共に。
「だって千も、その中の一人だから……だから千にも守らせて!」
「帰ってきてください、貴女の活躍の場所は、私達の傍です」
 ロジオンの言葉が重ねて響く。
「帰ろう、私たちの友人たちが待つ黒流花壇へ!」
 モカの声が強く響く。大切な帰る場所へ、貴女を待っている皆が、沢山いるのだと。
「お前さんが戻らないことで悲しむのは、何もケルベロスの仲間だけじゃないんだ」
 縁側で笑い合った時間を思い出すようにアジサイは声をかけた。
「それにだ。護るということは、傍にいるということだ」
 どこかに行っちまったら、何も守れないぞ。
「決して、何も」
「オレ達は代表みたいなもんさ。皆がアンタの無事を祈ってる」
 迅が声をかける。突きつけた拳は、ただ連れ戻す為のものだ。
「——ァ」
 落ちた、声が揺れる。思い出される記憶達に、風音を覆う樹の外皮が少しずつ退いていく。
「シャティレ! ご主人様のピンチだぞ!」
 声を上げ、えにかは肩の花へと回復を注ぐ。
「お前もシャキッとせんか!」
 あの花から感じる気配はシャティレの力だったから。届けと願いを込めて紡ぐ。響けと願いながら踏み込み、一撃を届け——けれど、痛みにはならないようにと術を技を駆使していく。光の中を、誰もが駆けた。
「らなければ、私、私は……」
「——風音」
 ラ、と響く声が再びの旋律を呼ぶ。だが、不可視と刃に明子は踏み込んだ。迫る力に——だが明子は刃を抜いた。
 ギン、と不可視の刃を弾く。
「風音との思い出は多すぎて、あなたがいるのが自然すぎて。どんなふうに出会ったか、すぐには思い出せないくらい」
 衝撃を弾く。腕に返った痺れに、流石と思いながら踏み込む。一撃届ける為に。あなたの傍に行く為に。
「困難な戦いでもあなたと肩を並べていれば怖くなかった。一緒にお買い物に行ったわね」
 バレンタインの贈り物は、毎年のわたくしの楽しみよ。
 接近に戸惑うように蔦が揺れる。攻撃では無い。——何より、多くの制約が風音を既に捉えていた。攻撃は最初ほど重くは無い。盾を担う者達が庇い、回復を担う者達が重ね、此処まで来た。辿りついた。
「楽しい記憶が大事といわれても、思い返せばわたくしにとっての楽しい思い出ばっかり」
「たしは……私は」
 夕焼け色の瞳が揺れていた。それが今、しっかりと見える。見える場所にいれる。
(「わたくし、いつも風音についつい偉そうにしちゃうけど、それって風音が受けいれてくれてたからこそなのよね」)
 こうして風音を思う人々と迎えに行って、弱虫の自分を再確認した。
(「反省するし、これからもっと頼れる女友達になるわ。頑張らせてちょうだい。そうしたいの」)
 風音、と呼ぶ。払う蔦を飛び越え、一足で向かう。
「風音はどうだったかしら? わたくしと一緒にいるのは楽しかった?」
 キン、と抜き払う。描くは月の陣。
「今日はそれを教えてもらいにきた……ような気がするわ!」
 これは、あなたを迎えに行く為の力。皆で紡いで、辿りついたもの。
「さあ風音、戻ってらっしゃい!! わたくしを不安がらせておいていいの!?」
「——」
 落ちる一撃が、樹皮に届く。ギン、と硬い音を響かせ樹の外皮が——落ちた。破片が、蔦が光に包まれるようにして消え、その中から翼が生まれた。シャティレだ。
「……シャ、ティレ」
 ぱふん、と肩に触れたその暖かさに風音が瞬く。擦れるように聞こえていた声が、何処か合わなかった視線が目の前を捉える。見つける。
「風音……!」
 思わず明子が手を伸ばす。シャティレと一緒に抱きしめる。
「わた、しは……」
「お帰り」
 瞬きの後、風音が顔を上げる。未だ、戸惑いを残す彼女に京司は言った。
「おかえり」
「おかえりなさい。風音さん」
 ぎゅうぎゅうと抱きしめられる中、目をパチパチとさせる風音に志苑は微笑む。駆け寄ってくる沢山の仲間達が次々と風音の名を呼んだ。
「ただ……いま?」
 そう言っていいのか。悩みながら紡がれた言葉に、勿論だとお帰りの声が重なった。

作者:秋月諒 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年6月4日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 9/キャラが大事にされていた 0
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