第八王子強襲戦~大軍勢を追い返せ!

作者:天枷由良

 王族に相応しい豪奢な宮殿。
 そのバルコニーに現れた人影は、三つ。
 ドレス姿の女は戦闘狂のような危うい笑みを浮かべて。
 秘書の如き出で立ちの女は、一歩前に進み出た主の細い背を案じるように見つめて。
 その視線を受ける主――少年と呼ぶべきそれは……どうにも、気迫に欠けていた。
 それでも彼は“王子”であるから、見上げる兵たちは沈黙の中で気を引き締める。
 ずらりと並んだ大軍勢には、王子直属の黒衣の兵士だけでなく、かつて王女に仕えていた白百合の騎士の一団や、三連斬の名に率いられていたシャイターンの姿も在った。
 彼女らに対し、王子は如何なる言葉を授けるのか。
 沈黙を破り、ついにその口が開かれて――。
「僕の大切なヘルヴォールを殺したケルベロスを倒しに行くよ!」
 大義としてはそれなりの、号令としては小さすぎる声が降った。
「おー!!」
 軍団の“一部”から歓声が沸き立つ。
 ヘルヴォールの敵討ちに燃える連斬部隊だ。彼女たちの士気は確かに高い。
 しかし、残りはおざなりな声を上げるばかり。
 それは軍勢が団結力に欠けている証というだけでなく。
 彼の王子が、多くの兵を率いるに足る将の器でない事も示唆しているのだろう。

●作戦概要
 東京焦土地帯に現れた、死神勢力の一軍。
 所謂“死翼騎士団”との接触によって得られた巻物――『ブレイザブリク周辺のエインヘリアルの迎撃状況』を検証した結果、エインヘリアルの陣容に不自然な点が発見された。
「詳細な分析結果によると、エインヘリアルの迎撃ポイントや迎撃タイミングについて、
 明らかに不自然な……穴と呼べるほどのものがあったのよ」
 ミィル・ケントニス(採録羊のヘリオライダー・en0134)は語り、説明を続ける。

 件の情報については、当然ながら死神の欺瞞である可能性も考慮された。
 だが、副島・二郎(不屈の破片・e56537)などを始めとする“焦土地帯の情報を探っていたケルベロスたちの情報”と組み合わせてみれば、エインヘリアルの動きが『大軍勢の受け入れの為の配置展開』によるものであると判明。予知の発生にも繋がった。
 そこに、之武良・しおん(太子流降魔拳士・e41147)が調査で得た情報も加えると、来る大軍勢の指揮官は『第八王子・ホーフンド』であり、なおかつ、彼は大阪城のグランドロン城塞でレリ王女と共に撃破した“三連斬のヘルヴォール”の夫で、出陣が妻を殺したケルベロスへの報復を目的としている事も分かったのだ。
「ホーフンド軍には、レリ王女やヘルヴォールに従っていた者も加わっているわ。
 戦力としてはかなりのもので、これがブレイザブリクに合流すれば、今後の攻略作戦に支障をきたすのは間違いないでしょう」
 さらに王子の動機が復讐であるからには、東京都民の大虐殺などを報復手段とする可能性もある。故に、ホーフンドのブレイザブリク合流は阻止せねばならない。
 そこで、君乃・眸(ブリキノ心臓・e22801)の提案から立てられたのが今作戦。
「合流以前のホーフンド軍への奇襲よ。白百合騎士団及び三連斬部隊の残党で構成された前衛と、ホーフンド王子の本隊とは連携がうまくとれていない。さらに王子自身は妻の敵討ちと大義を掲げているものの、決して好戦的な性格では――いいえ、臆病と言っていいほど慎重なタイプなようだから、危機に晒されれば慌てふためき撤退するでしょう」
 ホーフンドの配下たちも、王子を危険な戦場=地球に送り込むのは乗り気でない様子。
「以上、現時点で得られている全ての情報に基づき、今回の作戦は『戦意充分だが連携力に欠ける前衛を壊滅させ、その救援に現れるであろう本隊の動きを制し、ホーフンド王子の元へと精鋭部隊を浸透させて奇襲、撤退を決断させる』という狙いで行われるわ」

●詳細説明
「では、敵戦力等の具体的な説明に移ります」
 ミィルは一呼吸置いてから、再び言葉を継いだ。
 敵軍は、大きく分けて5つ。
「まずは前衛を務める2部隊。右翼が旧レリ軍、左翼が旧ヘルヴォール軍よ。
 どちらも以前の戦いで主を失い、有力な士官も悉く討ち取られてしまったけれど、新たな指揮官を得ることで再び結託して、ケルベロスへの復讐を狙っているわ」
 旧レリ軍は白百合騎士団の一般兵で構成されていて、その戦意は充分。
 しかし所詮は雑兵。多方面から連携して攻撃されれば、実力は発揮できまい。
 指揮官として着任したエインヘリアル――ダモクレスの技術で強化されているという『氷月のハティ』と『炎日騎士スコル』も、劣勢になれば無理せず撤退するだろう。
 一方、旧ヘルヴォール軍の主力は連斬部隊のシャイターン。
 復讐心漲る此方は、戦闘力の高いエインヘリアルの『勇者兵』数名を中心に動く。
 その勇者兵はシャイターンに比べれば強力だが、個々の力は一般的なエインヘリアル程度であり、単体で見れば脅威の度合いは高くないようだ。

 そして、敵軍本隊は3部隊。
「旧ヘルヴォール軍の救援に駆けつけるであろう左翼は王子の秘書官『ユウフラ』が、同じく旧レリ軍の元に向かう右翼はホーフンド王子とヘルヴォールの娘である『アンガンチュール』が、中央は当然ながらホーフンド王子が率いているわ」
 左翼・秘書官ユウフラは頼りない王子に代わり、全軍を統率出来る優秀な指揮官だという。ここで討ち取れば、今後の戦いが有利になるかもしれないが……。
「彼女を失い、ホーフンド王子が撤退の指揮を執るとすれば、その動きは雑然としてしまい、撤退に失敗した部隊がサフィーロ王子の元へと合流を図るかもしれないわ」
 そうなれば、結果的にブレイザブリクの戦力は増強されてしまう。
 ユウフラの撃破は、一長一短だろうということだ。
「それから右翼。……ホーフンド王子と、あのヘルヴォールの間に生まれた娘よ。
 デウスエクスなんだから何も不思議じゃないけれど、それでも驚きは隠せないかしら」
 少しばかり余談を挟んで、ミィルは再び説明に戻る。
「二人の娘、アンガンチュールは母親の仇を討つべく参戦しているわ。
 性格は我儘で好戦的。だけど能力は低く、撃破は難しくないでしょう」
 だが、妻に続いて娘まで失えば、幾ら臆病な王子でも易易とは逃げ帰れないだろう。
「敵軍の撤退という最大の目的を達成しづらくなる状況は好ましくないわ。
 彼女は倒すよりも戦意を挫き、父の元に逃げ帰らせて、撤退を決断する材料になってもらうのが一番かもしれないわね」
 最後に、ホーフンド王子の本隊。
 此処は親衛隊の大戦力が王子を護っている為、王子への直接攻撃はほぼ不可能。
 それでも派手な襲撃を仕掛ければ、危機を感じた王子は撤退を決断するはず。
 そして、それが成されたならば、ケルベロスたちの作戦は成功だ。

「今作戦は、ホーフンド王子がブレイザブリクに到着する前だからこそ行えるものよ。
 死神勢力の死翼騎士団の動きや、前衛を務める部隊が大阪城に居た戦力であることなど、
 気になる点も幾つかあるけれど。まずはホーフンド王子軍を撤退させられるように、
 しっかりと準備して臨みましょう」
 瞳にケルベロスたちへの信頼を込めて言うと、ミィルは説明を終えた。


参加者
藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)
霧島・絶奈(暗き獣・e04612)
風魔・遊鬼(鐵風鎖・e08021)
朱藤・環(飼い猫の爪・e22414)
プラン・クラリス(愛玩の紫水晶・e28432)
水瀬・和奏(フルアーマーキャバルリー・e34101)
アンセルム・ビドー(蔦に鎖す・e34762)
副島・二郎(不屈の破片・e56537)

■リプレイ


 東京焦土地帯を進撃するホーフンド王子軍。
 それは誇張でなく圧倒的な戦力。まともにぶつかれば敗戦必至の大軍勢。
(「もしも、この全てが人々に牙剥くような事があれば……!」)
 起こり得る惨劇は、想像を絶するものだろう。
 そのあまりに怖ろしい未来図を一度追い払うべく、水瀬・和奏(フルアーマーキャバルリー・e34101)は小さく頭を振った。
 和奏が――ケルベロスが為すべきは、ただ明日を憂うのでなく、最悪へと至らぬように力を尽くす事。
 より具体的に述べるなら、三班で形成された部隊の片翼として、前衛の旧レリ軍を救援すべく動き出した本隊右翼を攻撃し、件の一隊を率いる“アンガンチュール”――ホーフンド王子とヘルヴォールの娘を撤退させるのが、和奏達の使命。
(「さて、うまくお帰り願えればいいが」)
 仕掛ける時が迫っているのをひしひしと感じつつ、副島・二郎(不屈の破片・e56537)は大将首を探す。
 事前情報によれば、アンガンチュールは好戦的な性格であるという。故に、接敵直後から切り結ぶ事もあるかと想像していたのだが――。
(「さすがのお姫様も、いきなり先陣に立つのは止められてるみたいだね」)
 大部隊の何処を見ても、プラン・クラリス(愛玩の紫水晶・e28432)の目には軍人の如き装いの女達と、鉄棍握り締めて大砲担ぐバニーガールの姿しか映らない。
(「まあ、それならそれで、って感じだけどね」)
 メインディッシュが来るまでに、前菜をたっぷりと味わってやるだけだ。
 プランは無意識の内に舌舐めずりしながら獲物を見やる。
 そして程なく、ケルベロス達は敵の行く手を遮るように堂々と戦場へ躍り出た。


 敵軍を形成する黒衣の女兵士達が、俄にざわつく。
 忽然と現れたケルベロスへの驚愕と警戒。その接近を許した前衛に対する怒号や誹謗。
 混沌渦巻く叫びは、しかしすぐさま一つに纏まっていく。
(「指揮する者の技量はともかくとして、やはり軍ではあるということですね」)
 霧島・絶奈(暗き獣・e04612)は値踏みするような視線を向けながら、傍らのテレビウムに備えるよう促す。
 刹那、敵方の喧騒が刃の形を成した。
「彼奴らを排除するのだ! 撃て! 撃てぇー!」
「突撃するわよ! 私に続きなさい!」
 声と共に射出される大量の砲弾。
 その軌跡をなぞるように、鬼の金棒じみた得物を振り上げて迫る敵兵の一団。
 ケルベロスもすぐさま対抗する姿勢に移り、風魔・遊鬼(鐵風鎖・e08021)が極小の手裏剣を投じた。
 さらに続けざま、和奏とプランも敵集団の先頭に狙い定めて。
「……行けっ!」
「ほら、好きに暴れてきなよ」
 口々に言いながら、浮遊砲台と暴走機械の群れを差し向ける。
 力と力の交錯は一瞬。まずは刃と砲撃と機械兵の猛襲が、敵軍の勢いを幾らか削ぐ。
 対して、ケルベロスからは藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)と朱藤・環(飼い猫の爪・e22414)が先駆け、絶奈のテレビウムと共に雨あられと降り注ぐ砲弾を切り払い、叩き飛ばしてさらに前へと進む。
 それを寡兵の無謀な突出と見た敵が、取り囲んで潰そうと迫るが。
「――はぁっ!」
 裂帛の気合と共に打たれた環の猫拳が、群れ成すバニー集団を纏めて弾き飛ばす。
 同時に、遠間からは絶奈の撃ち放つ竜砲弾が炸裂。環の後を追うようにして来たアンセルム・ビドー(蔦に鎖す・e34762)も、己を沈黙に委ねたまま半歩退いて金棒バニーの特攻を躱し、オウガメタルで覆った踵を相手の側頭部へと叩き入れる。
 そうして蹴り飛ばされた敵が錐揉みして落ちるところを見るまでもなく、ケルベロス達は一斉に引き上げた。
「な……逃がすか!」
 そのまま乱戦に縺れ込む想定だったか、敵は僅かな困惑を挟んでから喊声を発した。
 しかし、それが追いついて来るよりも遙か先に陣形と態勢を整えたケルベロス側は、景臣が放つ煌めきと二郎の描く守護陣によって力を高めつつ、遊鬼が氷結輪から噴出する冷気の嵐で敵を牽制。怯んだ相手に向かって、また遠近問わずの戦いを挑む。
「くっ……なんなのだ、貴様らは!」
 あまりに目まぐるしい攻防の転換に、敵兵が語気を荒げた。
 しかし、ケルベロスはただ一人を除いて言葉を返さない。
 そして唯一、口を開いた女は。
「見れば分かると思うけど。分からないなら身体に教えてあげるよ」
 するりするりと戦場の隙間を縫って進み、バニーの敵に絡みつくと妖艶な笑みを向ける。
 それは同性でも赤面するほどの色香と、異性でも蒼白する他ない恐怖を孕んでいて。
 決して許してはいけない相手に身体を許してしまったと、バニーが悟った直後。
「凄いの、感じさせてあげるね」
 囁くプランの手元から飛び立つ雷竜の幻影は、仇なす者に雷を浴びせかけた。


 けれど、その勢いに乗じて攻めてくるかと身構えた敵軍に対して、ケルベロス達はまた微妙な間合いを保ったまま様子を窺うばかり。
 それでは埒が明かないと、焦れた兵士がまた遮二無二突撃してくるが。
 二郎に光盾の護りを施された景臣が、眉一つ動かさずに殴打を受け止めて。
 暗器を投じる振りから急転、懐深くまで踏み込んで金棒を根本から砕く。
 驚愕する敵。その瞳を景臣も藤色の双眸でじっと覗き込み、止めの一撃は繰り出さずに視線を逸らす。
 彼方には、同じ使命を帯びた仲間達の奮戦が見て取れた。勇猛な藍髪のアイスエルフが全力で振り抜かれた金棒の一撃に耐えて、己が矜持を見せつけている姿が――。
「き、貴様ぁ!」
 生命の奪い合いの最中に脇見するなど、一体どれほど余裕ぶるつもりなのか。
 武器だけでなく自尊すら打ち砕かれたと言わんばかりに顔を歪ませた敵が、空いた拳で景臣に襲い掛かる――が、しかし。
「無駄だ」
 酷く冷たく短い言葉で、二郎が現実を突きつける。
 彼の見据える先では、再び張り巡らせた光盾が景臣への攻撃を防いでいた。
 弾かれた拳を擦りつつ、敵が恐怖と怒りを綯い交ぜにした面で此方を見やる。
 だが、二郎は何処までも無に等しい表情で淡々と仲間達を癒やし続けて。
「貴様ら如きに破れるものではないと知れ」
 自身の生み出した護りを示し、言い放つ。
 その確固たる態度は、それだけで相手の戦意を削り取る。この男が支えているのならば、本当に何処までやっても打ち砕けないのではないかと、敵兵達の心を脅かす。
 そうした隙を、絶奈が見逃すはずもなく。
 二郎の顔と等価値の“笑み”を貼り付けた彼女は、束の間、本来の狂的な笑顔を覗かせながら巨大な光槍を喚び出して、その眩い輝きの中に一人のデウスエクスを攫う。
 一瞬の出来事だ。けれども、確かに其処に居たはずの同胞は影すら残さずに消えていて、周囲の敵兵には否が応でも“死”の文字が過っただろう。
(「……これが戦場。凄惨なる絶望の淵。現し世の最果て」)
 恐らく、指揮官たる娘は理解していまい。
 ならば戦を識る先人として、闘争を嗜好する先達として。
 それを教育してやるべきかとも思うのだが。
 肝心のアンガンチュールは、まだ表に出てこない。
(「此処に来て怖気づいたのでしょうか? ……いや」)
 和奏は超大型バスターライフルの一射で敵兵を仕留めた後、アンガンチュールについて知り得る情報をもう一度思い返す。
 王族に連なる娘。我儘で好戦的。親の敵討ちすらも名目に戦場へ飛び込んできた愚か者。
 踵を返したなどとは考え難い。そう遠くない内に、痺れを切らすはず。
(「さあ、出てきなさい……!」)
 そして戦場の怖さを知り、父と共に本国へ逃げ帰れ。
 和奏は胸中で何としても敵軍を追い返すのだと気を入れ直しつつ、再充填の終わった浮遊砲台を放ち、敵軍へと向かわせる。

 そうして、衝突した戦力の規模に見合わない戦いが暫し続いた後。
「何を手こずっているの、あんな奴らに!」
 敵軍の合間から苛立つような声が響かせて、それはケルベロスの前に姿を晒した。
(「ようやくお出ましだね、お姫様」)
 ついぞ現れた主役へと、プランが妖しげな視線を送る。
 けれど、アンガンチュールは向けられた想いに全く気付かないまま、正面に位置する部隊へと勇んで殴りかかっていく。
「参ったね。何をするでもなく振られてしまったみたいだよ」
「眼前の相手しか見えていないのでしょうね」
 絶奈がファミリアシュートで敵兵を制しながら、アンガンチュールの指揮官に相応しくない様を切って捨て、さらに言葉を継ぐ。
「此方から仕掛けられなくもないとは思いますが」
「……いや、止めておこう」
 僅かな思案の後に言ったのは、アンセルムだ。
「あまり刺激しすぎて、彼女の頭から撤退の二文字が消えたら困る」
「アンちゃんに賛成です。でも、ちょっとずつ圧は掛けましょー」
「中央の部隊へと寄せていくのだな」
 環と二郎が意見を重ねれば、他の仲間も頷く。
「そのうち正面の相手に飽きて、こっちとも遊んでくれたらいいんだけどね」
 嘘か本当か判断に迷うくらいの声色で言って、プランも再び雑兵へと目を向けた。


 アンガンチュールが舞台に上がったとて、戦局そのものが大きく変わるわけではない。
 むしろ、突破口の見出だせない争いに敵兵は疲労を重ねるばかりで。
 攻撃にも当初の勢いは感じられなくなり、環は振り下ろされた金棒を易々と叩き返してから、視線を指揮官の方へと向ける。
(「あの娘にとっての仇なわけですよねー、私は」)
 だから何だと言われれば……さて、何だろうか。
 後悔? いや、違う。ヘルヴォールは配下の連斬部隊を『選定』に差し向けるなどした、紛うことなき敵。それをケルベロスとして討ち果たした事も、彼女の最期を間近で見た事も、何ら悔いるものでない。
 だというのに、仇という言葉は思考や心の端々を刺激してくる。
(「……アンちゃんは」)
 あの時も同じ戦場に立っていた彼は、何を思っているだろうか。
 再び敵の攻撃を払い除けてから、環の目は見慣れた横顔を捉える。
 けれど、そこに言葉を掛ける気にはなれなかった。
 アンセルムは口を噤んで、淡々と敵兵の相手をしている。
 ただ、彼が“努めて”そうしているのだとは、この場に立つ他の誰に伝わらずとも、環には感じ取れた。
 そうして眼前の敵以外のものも相手にしているのだと知れば、環も不明瞭な感情は奥底にしまい込む他ない。
 真剣な表情を作り直して、無言で癒やしの矢を放つ。
 それが多少の逡巡の後に射ち出されたものと知らぬままに受け取って、アンセルムは敵を退ける為の力と変える。
「沈め、棺よ」
 ごく僅かな言葉を糧に伸びゆく蔦が、立っているのもやっとの兵士を二人ほど大地へと引きずり込んでいく。
 ――否、奪ったのだ。母を奪われたアンガンチュールから、また二つ奪った。
 だから何を言われても仕方ないと、アンセルムは己を戒める。罵られようと馬鹿にされようと、彼女の母の今際の際に投げかけたくらいの、酷いほど冷ややかな台詞を浴びせられようとも、言い返しはしないと決めて戦場に立っている。
 とはいえ、覚悟の真価を問われる機会は、今のところ訪れそうにないが。
 来ないならば、それでいい。
 アンセルムとて、遺された娘から浴びせられるであろう言葉を、親殺しの免罪符にするつもりはない。
 そう思うのは彼だけでなく、例えば景臣も同じ。
 ケルベロスが地球の民を脅かすデウスエクスを討つのも、親を奪われた子が仇討ちに赴くのも、どちらも至極当然の話。
 故に、アンガンチュールが恨みをぶつけてくるなら、ただ全身全霊を以て応える。
 それが、奪われる辛さも知る父親として、景臣が為すべきと思う唯一つ。
 勿論、その唯一つを言葉に変えて放つ事はないが。
(「……危ういですね、彼女」)
 飛来する砲弾を一刀で無力化した後、景臣は敵将に目を向けて想う。
 父性が大きく顔を覗かせたのは、其処に見えたのが、あまりにも戦慣れしていない娘子であったからだろう。
 武器を振り上げても軽くいなされて、相対する敵の一挙手一投足、一言一句にまともな反応を返してしまう。
 あれは、本当に子供だ。戦場に出すべきではなかったと断言できるほどの、幼い子供。
(「せめて優秀な副官でもついていれば、早々に夢から醒めたのかもしれませんが……」)
 絶奈もまた、敵を見つめて思案する。
 しかし、アンガンチュールを諌めるような立場の者は、誰も――。
(「……? あの身形は……」)
 応酬の合間に生じた空白で、戦場を俯瞰していた二郎が“それ”の接近に気付く。
 戦場の外れを大きく迂回して来たのは――旧レリ軍を統率する指揮官の片割れだ。


 程なく姿を確かめられたそれは、やはり氷月のハティであった。
 ハティは単身アンガンチュールの元に駆け込むと、今が戦の只中であることも、間近に敵が居ることも憚らず、自らが敗残の将であると明らかにした。
「申し訳ありません――」
「壊滅ですって? あれだけの戦力が、どうして!?」
 報告を受けた側も声を荒らげる。
 その迂闊すぎる振る舞いに、中央のケルベロス達が二言三言と浴びせかければ、夢見た戦場で上気していたアンガンチュールの顔は瞬く間に青褪めて。
 この危機を招いたのが“サフィーロ王子の謀略”だという虚言までも真に受けると、ついに現実から目を背けるように一歩、後退ってしまった。
 少し離れていても分かる程の狼狽っぷりだ。そして指揮官が見せた醜態は、すぐさま兵士達にも伝播して全体の士気を削ぐ。
 彼女らを纏めて追い返すならば、今こそ絶好機のはず。
「本隊が予定通り到着したようですね!」
「ならば、娘の首を手土産に王子の元まで攻め上がるとするか……!」
 和奏が欺瞞を叫び、二郎が殺気に満ちた企てを嘯く。
 他にも、ケルベロスからは様々な形の敵意が突きつけられた。
 真なる戦いを知らない子供の心が、それに耐えられるはずもなく。
「て、撤退よ!」
 アンガンチュールは叫び、前衛から一人逃亡してきた将を罰すでもなく傅かせて、ケルベロス達に背を向けた。
「親の敵討ちと息巻いて来たのに、尻尾を巻いて逃げるんだね」
 プランが呟くように扱き下ろした頃には、もはや愚かな指揮官の姿は何処にもなく。
 残る兵士達も、主の取り乱し具合を真似るように、ぐずぐずと哀れな様を見せつけながら撤退していく。

「……何とか、追い返す事は出来ましたね」
 胸を撫で下ろすように言って、和奏は一つ息を吐く。
 務めは果たした。あの様子ならば、父に泣きついたアンガンチュールはケルベロスへの反転攻勢を求めるのでなく、一刻も早く本国に帰るよう進言するだろう。
 その時に、彼女が見聞きした全てを真実だと宣ったなら――。
「さて、アスガルドは如何なる判断を下すのでしょうね」
 まだ戦乱の空気漂う中で、景臣が呟く。
 それが予見する新たな戦いの気配は、早くもケルベロス達の肌を刺激していた。

作者:天枷由良 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年4月14日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 6/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。