桜綴り

作者:藍鳶カナン

●桜綴り
 麗らかな陽のひかりが、満開の桜を透かして春の風にとけた。
 この日の春陽のもとでの桜花爛漫は荘厳な光景というよりも限りなく優しい世界の祝福を皆に感じさせてくれるよう。淡い薄桜の花びらたちが柔らかな舞を見せてくれる桜の園には暖かみのある木製のガーデンテーブルセットが幾つも置かれ、思い思いに座るひとびとは、咲き誇る桜を見上げては笑みを燈し、眦を緩めてはテーブルへ向かう。
 皆の手許にあるのは、美しい桜の葉書箋。
 桜の草木染で燈るように優しい薄桃色に染めた和紙に、ほんのりと紙の色を透かす乳白で桜の花々を描いた葉書、それを数枚綴りで便箋のように綴じた葉書箋は、この桜の園のすぐ傍の店、美しい紙製品と粋な筆記具を扱う文具専門店の新商品。
 春を祝福するように咲いた桜のもとで、この桜の葉書箋で誰かへの手紙を書く――それがこの春この街の、ちょっとした流行になっていた。
 宝石めいたインク瓶から煌きを吸い上げる硝子ペンから、端正にして鮮やかな墨痕を記す毛筆まで、和紙の葉書は懐深く、あらゆる筆記具で綴られる言の葉をうけとめてくれる。
 空色のインクと硝子ペンで葉書に向かっていた少女がふと頭上を振り仰ぎ、
「わ、あ……!」
 輝くような笑みと感嘆を咲かせて、桜越しに見上げる青空がすっごく綺麗、と弾むような筆致で書き足した。そうして最後に、
 ――いつかきっと、一緒にお花見しようね。
 未来の幸福を綴って締めくくれば、不意に大きな影が手許に落ちる。
 振り仰げば興味深げに覗きこんでくる青年の姿。
『ああ、成程ね。誰かに宛てて文を書いてるわけだ。季節の便りとか?』
 誰もが見上げる程の背丈を持つ青年はそう笑って、両手に携えた純白を翻した。
『けど、君達みんな、書くなら遺書にしなよ。――ほら、嵐が来る』
 純白の、大きな大きな羽根ペンが、宙に桜吹雪を描きだす。途端に力ある桜吹雪が世界に現実化する。ひとびとの目を奪うばかりでなく、
 命をも奪う、花嵐。

●さくらつづり
 純白の大きな大きな羽根ペンが、多くのひとびとの死を綴りだす。
「敵はエインヘリアル。両手の羽根ペンには『ペイントブキ』と同じ力があるみたいだね」
 天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)は端的にそう告げ、あなた達で確実に彼を撃破してきて欲しいんだ、とケルベロス達に願った。
 このエインヘリアルも永久コギトエルゴスム化の刑罰を受けていた凶悪犯罪者。
 重罪を犯した彼が刑から解き放たれたのは、その凶暴性を地球のひとびとの虐殺で存分に発揮し恐怖と憎悪をもたらして、他のエインヘリアルの定命化を遅らせるのを期待されてのことだろう。何としても被害がゼロのうちに倒しておきたい。
 難点は事前の避難勧告が行えないところ。事前にひとびとを避難させれば敵の出現場所が変わり、事件の阻止が叶わなくなるためだ。
「あなた達には敵の出現とほぼ同時に現場に着地できるくらいのタイミングでヘリオンから降下してもらう手筈になる。速攻で戦いを仕掛けてやって。相手が一般人に余所見できなくなるくらいの勢いでさ」
 警察にも協力要請済み。ケルベロスの現着と同時にひとびとの避難誘導が開始されるが、
「合点承知! わたしも避難誘導お手伝いしてきますなの~!」
 真白・桃花(めざめ・en0142)が手と尻尾で挙手し、こっちは任せて、みんなはがつんと敵にかましてやってくださいなの~と続けた。初手はたとえ当たらずとも全力で攻撃して、相手の注意を惹きつけるのが肝心、と遥夏も頷く。
「攻防ともに優れてるようだから、相手はキャスター。まずは命中度外視で思いきり攻撃を叩き込んで、敵の機動力へ対策を講じるのはその後、って感じでお願い」
 確実な策と連携が求められる戦いとなるはずだ。
 侮れる敵ではないが、無事に勝利を得られたなら、
「折角だし、満開の桜のもと、桜の葉書箋で手紙を綴る――ってのもいいんじゃない?」
「ああんもちろん! がっつり楽しんできますともー!!」
 その街じゃ『桜綴り』って呼ばれて流行ってるらしいよ、と続いた遥夏の言葉に、桃花の尻尾がぴこぴこ弾む。限りなく優しい世界の祝福みたいな桜の花々に抱かれる心地で、心に思い浮かんだ言の葉を、心のままに葉書に綴って。
 相手に逢って、直接手渡すのもいいけれど、
「ポストに投函して、相手に届く日を待つのもきっと楽しいと思うの~♪」
 何せ、特別なものでなく、普通に買えるハガキ料金の切手にも桜の花が咲いている。
 世界にも心にも葉書にも桜花が爛漫と咲くような桜綴りを、心ゆくまで堪能して。
 そうしてまた一歩進むのだ。
 この世界を、デウスエクスの脅威より解き放たれた――真に自由な楽園にするために。


参加者
セレスティン・ウィンディア(墓場のヘカテ・e00184)
エルス・キャナリー(月啼鳥・e00859)
アリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)
花見里・綾奈(閃光の魔法剣士・e29677)
クラリス・レミントン(夜守の花時計・e35454)
天乃原・周(不眠の魔法使い・e35675)
朱桜院・梢子(葉桜・e56552)
霧咲・シキ(四季彩・e61704)

■リプレイ

●桜括り
 麗らかな春の陽射しに、時ならぬ吹雪が爆ぜた。
 ――君達みんな、書くなら遺書にしなよ。
 予知の光景で青年エインヘリアルが嘯いた言の葉、それを口にする暇さえ与えず揮われたセレスティン・ウィンディア(墓場のヘカテ・e00184)の竜の鎚は敵に躱されたが、大地を揺るがす一撃が桜の花筵と凍気のかけらを派手に舞い上げ、黒と紅蓮に燃え盛る天魔の炎がエルス・キャナリー(月啼鳥・e00859)の凄まじい火力を乗せて爆裂。続けざまに開かれた扉からアリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)の意のままに数多の虚無の手が襲いかかり、更なる攻勢が息つく間もなく浴びせられる。
 一気呵成の集中砲火で標的を捉えられたのは狙撃手三人のうち二人、天乃原・周(不眠の魔法使い・e35675)の不可視の消滅球と、霧咲・シキ(四季彩・e61704)の轟竜砲のみ。だが視覚や聴覚を盛大に刺激する幾多の技の乱舞は、
『随分と派手な出迎えだね。そこまで歓迎してくれるなら、相手してあげるよ!』
 ――遺書の準備はできているかい?
 嬉々として純白の羽根ペンを翻す青年の瞳を、ケルベロス達へ釘付けにした。
 純白の羽根の先端から様々な色彩が躍る。精鋭揃いの前中衛でも攻防ともに優れた標的を捉えるのは難しく、練度の関係もあり、狙撃手達でも不得手な技の命中率は六割程度。百発百中とはいかない。
「けれど、だからこそ――ここは攻めあるのみ、よね」
「同感です。半端に手を止めるのは得策じゃないね!」
 殺界形成は片手間に揮える術ではなく、グラビティ同様に一手を費やす必要がある。敵はエインヘリアル。妖精8種族の能力は熟知しているだろうし、護るべき者を逃がさんとするその意図も容易く察せられるはず。ならば下手に標的の気を逸らしてしまわぬよう、即座に意識を切り替えたセレスティンは影に紛れるがごとき斬撃を放ち、巨大な羽根ペンがそれを弾いた刹那、エルスが妖精の弓を引いた。
 狙撃手の足止めを『待つ』のはその瞬間に掴んでいた己の攻撃の機を捨てること。捨てた機は二度と掴めない。ゆえに迷わず射ち放った矢が咄嗟に跳び退った敵を追尾し貫けば、
『!! なかなかやるね。――それならほら、嵐が来るよ』
 対成す純白の羽根から春の色彩が溢れだした。
 宙に描かれた桜花爛漫、たちまち力ある桜吹雪が顕現して前衛陣へ押し寄せるが、前衛の矛たるエルスの盾として蒼と雪色のシャーマンズゴーストが跳び出した。
「私達の花吹雪だってあちらの桜吹雪に負けてないわよね、葉介!」
「その調子で皆を護るんだぜ、シラユキ!」
 癒し手の本領発揮とばかりに朱桜院・梢子(葉桜・e56552)が編み上げの妖精靴で舞えば前衛陣を抱きすくめるのは二重の浄化を孕む光の花吹雪、狙い澄ました和装のビハインドの念で舞い飛ぶ桜の花弁はエインヘリアルへ襲いかかる。相棒たる神霊への激励とともに周が撃ち込んだ竜の砲撃は瞬時に羽根ペンが描き出した怪物に相殺されたが、その狙いの鋭さが敵の意識を捕えて放さない。
 ――癒し手の梢子さんも、初手は攻勢に出たというのに……私は……!
 初手は命中度外視で全力攻撃を、と事前にヘリオライダーから要請されたにも関わらず、花見里・綾奈(閃光の魔法剣士・e29677)は盾たる位置から強化や浄化で皆を支援することしか念頭になかった。幸いにも彼女を除く皆の猛攻勢が完全に敵を惹きつけ、警察や真白・桃花(めざめ・en0142)が一般人を避難させる時を稼いだが、もしも敵を惹きつけきれずに被害が出ていたなら、それは要請に応じなかった者の責になる。
 天使の翼を思わす流体金属から後衛陣の超感覚を覚醒させる煌きを解き放つが、ウイングキャットと力を分け合う綾奈では効率的な強化も難しい。
 然れど、別の誰かが後押しをしてくれている。
「あなたは確かに強いけど、私達が負ける気はしないの。ちっともね」
 頼もしき竜の気配にクラリス・レミントン(夜守の花時計・e35454)は笑みを咲かせて、花風に薔薇色シルクを踊らせ標的の真っ向から漆黒の残滓を迸らせた。相手を三重に縛める力を秘めたそれは巨大な純白の羽根に散らされるが、
『負ける気がしないって? これくらいなら幾らだって防げるよ』
「と、思ったよね? 一泡吹かせてやって、アリシス!」
「ええ任せて! 奈落に招く這い出る諸手、呪いの歌が汝を捉える――黄泉路の輪唱!」
 傲然と見下ろすエインヘリアルと見上げるクラリスの眼差しが絡んだ瞬間にはもう、敵の背後を獲ったアリシスフェイルが殲滅の魔女の物語を紡ぎ上げていた。赤と黒の輝きが織り成す幕が扉となって開かれれば、影も闇も内包する虚無の手が這い出し敵の足を掴みとり、逃げ場なき三重の深みへと引き摺り込んで、
『……っ!』
「クラリス様の言葉どおり、私達が負ける気は全くしませんね」
 敵の意識がアリシスフェイルに向いた刹那、正面から高々と跳躍したエルスがクラリスの頭越しに幸運の星を撃ち込んだ。標的の胸と護りを穿った星の軌跡に、白金の煌きが散る。眼差しも右手も翻した青年の筆先から空中に浮かぶ道が描かれるが、エルスめがけた巨躯の滑走をセレスティンが受けとめ、横合いから跳んだシキが流星の蹴撃で鋭く敵を打つ。
 ――そっか。見切られないよう、敵は必ずあの道の術を織り交ぜなきゃいけないんだ。
 神霊にしか心を繋がぬがゆえに皆との隙なき連携が叶わぬのがもどかしかったが、冷静に敵を見定める周を不意に、百花斉放、南国の花々の幻想が取り巻いた。
「叩き込んでやってくれ。存分に」
「うん、力を借りるぜ、ありがとな! ――出でよ、ベールフェゴル!!」
 後衛陣の力を幾重にも高めるティアン・バ(まぼろしでしたか・e00040)の楽園の花々、そして序盤にクラリスが三重に咲かせた瑠璃色燈る爆風の力も重ね、漆黒の鎧の裡に秘めた周の魔術回路に青白い輝きが奔る。代償の痛みを堪えて笑む。
 キミの術は綺麗だけど、為さんとすることは美しくないから、止めさせてもらうよ。
 途端に桜の園へ顕現したのは幻影の古代神。神威の怠惰と絶大な魔力に足を囚われた敵の両の手、純白の羽根の先に桜色が燈り、
「こっちに来るぜ! 花嵐だ!!」
 空中に桜花の舞が展開されたのと周の声音が響き渡ったのと同時、心も命も奪わんとする花の嵐が後衛陣を呑み込んだ。なれど、春の彩を遮る夜の彩、
「私にとって皆は子供みたいなものだもの。この身に代えても護ってみせるわ、絶対に」
「へへ。そんな風に言ってもらえると、何だか擽ったいっすねー」
 夜空の髪と冥闇の衣を翻したセレスティンが花嵐に己が身を挺し、凄まじい加速を乗せた竜の鎚で嵐ごと叩き返さんばかりにエインヘリアルを強打したなら、彼女に護られたシキは照れくさそうに笑いつつも、花嵐を吹き飛ばす勢いで砲声を轟かせ、狙い澄ました竜砲弾で標的の膝を砕く。
 桜吹雪の幻惑を払拭せんと吹き渡るのは、梢子が舞い降らせる癒しの花々と綾奈の翼猫の清らな羽ばたき。旧世界の闇を秘めたエルスの魔導書から時をも凍らす弾丸が奔ったなら、凍てる軌跡を朝靄の森を思わす風が追った。
「麗らかな春も満開の桜も、この星の祝福だもの。だからあなたには」
 ――相応しくないのだわ。
 幻と現の花が錯綜する風に緑がかった薄灰の髪を踊らせて、アリシスフェイルが巨大鋏を模す白銀の刃を敵の陰から跳ね上げる。氷ごと斬り込み、縛めを幾重にも深めていく。
『言ってくれるね、取るに足らない定命の輩が!』
 閃く羽根から奔る空中の道、だが颶風のごとき突撃をセレスティンが防ぎ、
「ええ、言わせてもらうわ。遺書をしたためるのはそちらのほうになりそうね」
 ――万代に 年は来経とも 梅の花 絶ゆることなく 咲き渡るべし。
 強気に応えた梢子が肩に手を添えてくれるビハインドの力も得て万葉歌を詠えば、瞬時に咲き誇った幻想の梅花が香りを深く共鳴させんばかりの大きな癒しで闇の女を抱擁し、
「いつも最後の手紙だと思って一筆入魂するのは大事だけれども」
 この世とお別れするのはあなたのほうよ。
 桜と梅の競演にセレスティンが嫣然と笑むと同時、冷気を持たぬ吹雪がエインヘリアルへ襲いかかった。白く細かなそれは砕かれた骸骨の亡霊、たおやかな女の手が触れた敵の腹を突き抜けて、奪い去った命を風花のごとく彼女のもとへ降らしめる。
 別離の足音が瞬く間に大きくなって迫り来る。
 焦燥の滲む筆致で描き出された荘厳な夜桜の光景が青年を癒すが、
「ダメだよ、あなたをここに留めてはおけない。――さよなら、さよなら」
「綺麗な夜桜っすけど、散らさせてもらうっすよ!」
 白き掌を花唇の吐息が渡れば、たちまち万華鏡のごとき数多の色彩踊る花嵐がクラリスの魔力と三重の破魔を乗せて敵を呑み、電子のペン先から夜桜を散らす風のごとき道を奔らすシキが流麗なアーチと破魔を描くそれを翔け、エインヘリアルに燈った加護を破砕する。
「空気読めない輩にはさっさと『あちら』へ去ってもらいたいね!」
「遺書をしたためる時間をあげられなくて、ごめんなさいね」
 白椿が咲く白銀の髪とも純白の天使の翼とも対照的な紅蓮と黒に彩られた輝き、エルスが創造した天魔の炎が自陣最高火力の破壊の爆裂を齎して、誰にも癒しの必要がない機を得た梢子が揮う竜の鎚が勝利の祝砲めいた砲声を響き渡らせて、
『ふざけるな!』
 天使の少女めがけて空中の道が奔れば、そこへ春色の光の翼が躍り込んだ。
「防がせて、いただきます」
 雷鳴の戦斧を構えた綾奈が巨躯の突撃を受けとめた瞬間、アリシスフェイルが翻したのは金が縁取る深緑の衣と、その上に纏う終焉の夜。
「あなたはまだ実感できないかもだけど、デウスエクスにも永遠の離別は訪れるのだわ」
「私達シャドウエルフは、もう何世代も前から永遠の別れを識っているけれど、ね」
 己が手で齎した離別を胸奥に秘め、蜂蜜色の瞳で敵を見据えた娘が解き放つ漆黒の残滓が大鴉のごとく翼を広げて強く敵を縛めれば、同族の友が捕えた相手を真っ向からクラリスの撫子色の眼差しが射抜く。
 いのちには花のように終わりがあるから。
 大切な誰かに言葉を届ける機会を、大事に抱きしめていく。
「あなたにそれを、損なわせたりはしないよ!」
 春風に舞った足に纏うはミストルティンの葉といのちを燈す妖精の靴、春陽の祝福を享け煌き翔けた幸運の星に貫かれ、純白の羽根ペンを携えた青年は、桜の園に消え果てた。

●桜綴り
 麗らかな春の陽射しに、花そよぐ好風が舞った。
 桜花爛漫、花の天蓋を仰げば、満開の桜越しに見る春の青空が限りなく優しくて、ふわり心が浮かびあがっていくかのよう。柔らかな微風が春花咲くリボンを擽っていく感触で我に返ったエルスが眼差しを戻せば、書き出しに迷っているらしいシキの硝子ペンが無意識にか猫の絵を描いていて、
「シキ様、下書きしながら考えるのもおすすめなの」
「ああ、そうっすねー! ありがとっすよ、エルス」
「ふふ。言葉を考えながら書くならそれが一番よね」
 桜の葉書箋と一緒に買ったというメモ帳の一葉が少女から彼の手に渡る。
 目許を和ませたセレスティンの裡では既に綴る言の葉が息づいていたから、背筋を正し、本格的な毛筆とはいかずとも筆ペンで、冬の魔女は春の和紙にたおやかな筆致を踊らせた。
 櫻の木の下で――と始まる言の葉を綴り終えれば、冬色の唇から零れたのは悪戯な笑み。
 私がここにいると知ったあなたは、綺麗だなと思ってくれますか?
 それとも、と笑みを深めた女のもとへ、桜がひとひら舞い降りる。
 ――花は、散るからこそ。
 春の陽射しがぽかぽかで、桜と青空をテレイドスコープで覗いたら、世界の祝福みたいな幸せが無限に結晶して煌いて、と硝子に添わせた芽吹きの緑でシキが綴るのは、心をくれた『博士』に宛てた言の葉。
 オレが好きになったここへ。そして、博士が好きなどこかへ。
『いつか、一緒に行ってみたいっす』
 優しい薄桃色を燈す和紙に、ほんのりと春色を透かした乳白の桜の花々。美しい葉書箋に新しく覚えた料理や読んだ本をひとつひとつ綴るたび、エルスの心にも花が咲くかのよう。これから一緒にしたいことも書き終えた指先に、そっと舞い降りてきた桜の花びらも一緒に桜の封筒に封じて。
 毎日逢っているあのひとへ、改めて――と想った途端、頬に春色の熱が燈った。
 幸せそうに封筒を抱くエルスの姿は見る者まで幸せにしてくれる。私も誰かへ、尊敬するあのひとへと、綾奈も暖かな心地で想いを馳せた。桜の葉書箋に綴る言の葉は、まだ、何も思い浮かばないけれど。
 ――慣れないからきっと、悪戦苦闘するだろうな。
 そう思いながら買った硝子ペンは意外に書き味がなめらかで、知らず筆致が流れだすのを抑えながら、周は夜空色の言の葉を丁寧に、大切に綴っていく。あのひとの、瞳の色。
 祝福めいた桜が綺麗で、一緒に桜を観たくて。
 臆病な心が立ち竦んでしまうから、彼との関係はまだ曖昧なままだけれど。
 綴った望みが叶うときには、きっと。
 春の香と墨の香が優しく鼻先を擽っていく。
 そちらの桜も咲いた頃かしら、こちらの桜も満開で綺麗ー、と何よりも手に馴染む毛筆で梢子が綴るのは、厳格な実家で唯ひとり可愛がってくれていたばあやへの手紙。桜の切手で彩れば、眼の前に桜一枝が差し出された。
 自然に落ちたらしい枝を手にするビハインドを見上げれば、少し困ったような笑み。
 生前と同じように言の葉を交わすことは叶わない。声でも、文字でも。
 なれど、命を分かち合った彼の想いを掬うことは、梢子にだけは叶うから。
「もしかして葉介、この歌を添えたいの?」
 許嫁に代わって梢子が綴るのは、古の万葉歌。
『この花の一節のうちに百種の 言ぞ隠れるおほろかにすな』
 声でも詠えば嬉しげに彼が頷いたから、微笑み返した梢子が贈る返歌は、
『この花の一節のうちは百種の 言持ちかねて折らえけらずや』
 ――ああやって、一緒にいる方法もあったんだな。
 ふと瞳に映った光景に淡く双眸を細めて、万年筆から炎のかけらめいた赤橙の煌きを桜の葉書箋に燈す。『彼』も皆も生前見たことはなかったろう、やわい彩で世界に息づく花を、故郷の外に、広い世界があることを。
 それを識れるくらい、ティアンが成長したことを。
 届きますようにと願って、桃花にも書きたいなと瞳をめぐらせたなら、何故かテーブルにぺしょりと八柳・蜂(械蜂・e00563)が伏していた。
 ご一緒しましょう? と手を引けば春色の友が握り返してくれたときも、ああんはっちー強く生きてーとこめかみちゅーを貰った今も、透明な硝子に淡い紫を乗せて綴りたい想いは蜂の胸に幾つも浮かぶのに、上手く言の葉にならなくて。
「ねぇ、桃花ちゃんは何を書くの?」
「ふふふ~。明日か明後日にはわかりますともー!」
 彼女達のやりとりに、明日か明後日、とティアンは瞬きして、
「封蝋の手紙は手渡ししたいって言ってたけど、今回は」
「桜の切手貼りたいから、郵便屋さんにお願い! しますなの~♪」
 訊けば尻尾ぴこぴこ娘が蜂とティアンに訊き返す。何故か予定の空いている日を訊かれた二人のもとへ届く春のたよりは。
 ――桜のジャムとアーモンドスコーンを用意するから、お茶会に来てくださいなの~♪
 戦いの最中に援護してくれたヨハン・バルトルト(ドラゴニアンの降魔医士・e30897)の気配は熱く頼もしく、麗らかな春の祝福に満ちる桜のもとで傍にいてくれる今の彼の気配は優しく暖かい。
 妖精族たる母方の祖先が、レプリカントたる父が永遠の命を手放して得たものは、儚くも確かにクラリスの裡で息づき、きらきらと煌いているから。
 結婚記念日を迎える両親へ『おめでとう』と『ありがとう』と『大好き』を。
 そして、
「ふふ、この写真も一緒に送っては貰えませんか?」
「え? あ! いつのまに……!?」
 続きを綴る前にひといきついた処へ差し出されたヨハンのスマートフォンには、限りなく優しい笑みで手紙をしたためている己の姿。照れ隠しに唇を尖らせつつ、彼と選んだ桜色と群青色の硝子ペン、贈り物の彩がとけあったような春暁の紫で、父母へと綴る続きは。
 ――二人と同じくらい、大好きな人ができたの。
 春の祝福に包まれるかのような友の姿に微笑み、薄桃の薔薇色リボンと遊ぶ風に誘われる心地で花の天蓋を見上げれば、青空を背に咲き溢れる桜の花々。好風にさざめくたびに桜が優しい光の滴を降らせてくれて。
 ほんと、世界に祝福されているみたい。
 ひときわ柔らかな笑みがアリシスフェイルの花唇から零れれば、取り澄ましたようだった硝子ペンの手触りも何時しか優しく慕わしく手に馴染み、溢れる想いを大切に燈す気持ちで言の葉を綴る。
 亡き両親へ、血の繋がらぬ兄へ、従兄へ。
 近況を綴る言の葉から、柔らかな光を残すような行間から、確かに伝えられる心地。
 愛されていたこと、大切にされていることを識っているからこそ、今の私が幸せに笑っていられることを。素敵な友人達に出逢え、誰よりも大事にしたい人に逢えたことを。
 葉書の宛先は己も住む家で、兄が手に取る様を思えば面映くもあるけれど。
 ――私が幸せでいることを、何よりも笑顔で喜んでくれる家族へ、送る。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年4月6日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 0
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。